コンテンツにスキップ

Wikipedia‐ノート:削除依頼/東京国際コンサート

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

この記事は本当に「独立記事作成の目安」を満たしているか

[編集]

削除票を投じたRienziと申します。

この依頼に票を投じた皆様のご意見を拝見していて、非常に疑問を感じたのですが、削除依頼そのもので議論をすべきでないと判断し、こちらにコメントさせていただきます。 私が疑問を感じ、できれば、詳しくお伺いしたいと感じたのは、Husaさん、Kouhuku789さん、Childofacrowさんのコメントのうち、以下に引用する部分です。

  • 「キリ・テ・カナワと大西宇宙、コナル・コードが参加したコンサートですからケースEにはあたらない」(Husaさん)
  • 「Wikipedia:独立記事作成の目安を満たしています」(Kouhuku789さん)
  • 「第三者による有意な言及が認められます」(Childofacrowさん)

出演者が超大物であるということは、私自身理解しておりますが、出演者各個人の特筆性と、「東京国際コンサート」の特筆性とは、ある程度切り離して考えるべきではないかと思いました。 Husaさんは、「キリ・テ・カナワ、大西宇宙、コナル・コードが参加した」ということが「ケースE」には当たらない、とおっしゃられていますが、果たして本当にそうでしょうか? そういった理由で「ケースE」には当たらない、とするということは、ドミンゴ、パヴァロッティ、カレーラスが一堂に会した「三大テノール日本公演」の単独記事もあって良い、ということになりますが、現時点ではウィキペディアにまだ単独の記事としては投稿されていないわけです。この点、Husaさんはいかがお考えでしょうか。 次に、Kouhuku789さん、Childofacrowさんにお伺いしたいのは、この記事のどの点がWikipedia:独立記事作成の目安を満たしており、また、どこの新聞や雑誌などに「第三者による有意な言及が認められる」のか、ということです。

Wikipedia:独立記事作成の目安には、「もし対象と無関係信頼できる情報源から有意な言及があった場合、その話題はウィキペディアの独立記事として作成、収録するだけの価値があると推定されます」と、あります。そして、「有意な言及」とは、「信頼できる」とは、「情報源」とは、「対象と無関係な」とは、「推定できる」とはどういうことか、詳しく説明されています。

私なりに、とりあえず、まずはインターネット上で何か「対象と無関係な信頼できる情報源」がないか、探してみましたが、次のような結果になりました。

東京国際コンサート」のみでは無関係の情報も大量に入ってきてしまうため、「東京国際コンサート キリ・テ・カナワ」というキーワードでGoogle検索した結果、上位に出てきているのは以下のようなサイトです。

この他にもいくつかありましたが、いわゆる「マスメディア」と言われる媒体からのものは一つもありませんでした。さらに申し上げるならば、Googleで同じキーワードで「ニュース」検索をした結果は「0件」でした。

少なくとも、インターネット上で入手できる情報に関して言えば、「対象と無関係な(自主公表されたものでない)」情報ゼロ、「信頼できる(個人のブログなどを除いた)情報源(二次資料)」ゼロ、という時点で、「ウィキペディアの独立記事として作成、収録するだけの価値があると推定」できる状況にないと思うのですが、皆様、この点、いかがお考えでしょうか。

「新聞に掲載された」というのが、具体的にどのようなものであったのかについては、時間のあるときに縮刷版などでチェックをしたいと思いますが、それも「公演の宣伝記事」や「公演の広告記事」であった場合は、出典としてはかなり厳しいでしょう。

それから、撫子桜さんのように「依頼者の過去の行い」のみを判断基準にすべきとも思えませんし、Childofacrowさんのように「…一度きりであるに過ぎないなどと評するにはあたらない」「…文化庁、外務省、東京都、アメリカ大使館の後援により、この日本で、公益目的でコンサートを開催したという意義は認められる」「年齢からいってもキリの最後の来日コンサートになる可能性だってあります」ということでもって「百科事典的な記事に成長する見込みはありますし、どう転んでも削除という話にはなりません」と結論づけてしまわれることについても、「ウィキペディアのガイドラインを満たすような情報がないのに・・・」と思います。

長くなってしまい、申し訳ございません。既に票を投じておられる方もそうでない方も、お手すきのときにコメントをいただければ幸いです。 また、「『音楽の友』に特集記事が載ってるよ!」とか、「○○新聞に演奏会の批評が載ってたよ!」といった、記事の特筆性を保証できそうな情報の所在をご存知の方は、ぜひご教示いただければ・・・と思っております。よろしくお願いいたします。--Rienzi会話) 2014年4月12日 (土) 12:11 (UTC) 一部修正。--Rienzi会話2014年4月12日 (土) 12:37 (UTC)[返信]

こんにちは。存続票を投じた全利用者のご意見に賛成します。ドミンゴ、パヴァロッティ、カレーラスが一堂に会した「三大テノール日本公演」の単独記事については、当然、立項するに値する出来事でしょう。それは、世間一般で、オペラ歌手よりも10代のアイドルなんかが人気があるから、新規立項される順番が後回しになっているだけのことだと思います。仮に、もし、三大テノール日本公演が立項されたら、削除に同意するつもりはありません。また、インターネットの情報がすべてではありませんし、対象者とは無関係な第三者による有意のある言及(日時以上の情報)が、最低二つは確認できていると思います(スポーツ新聞と著名人のブログ)。ですから、Wikipedia:独立記事作成の目安を満たしていないとは言えません。また、「どうころんでも」というのは、最低限、それこそ「どうころんでも」リダイレクト以上の価値はあるのに削除する必要はないという意味です。キリ・テ・カナワが、人生の晩年(このような表現は失礼にあたるかもしれませんが、オペラ引退後という意味で)に来日して公益目的の意義のあるコンサートをしただけで、後世の百科事典に残す価値はあると考えますから、リダイレクトの価値さえも皆無という状況は考えられません。「どう転んでも削除という話にはならない」という意見は絶対に変えるつもりはありません。出典が付してある記述には、開催日時など単なる情報を超える第三者による有意な言及が認められます。(スポーツ紙には、コンサートの意義などが書かれているようすですし、著名人のブログには、評価が書かれています。)たとえば、このコンサートがキリの最後のコンサートとなったとしたら、さらに特筆性が増します。今後、第三者の有意な言及が増加する可能性も高く、百科事典として発展する可能性もあります。また、ライブ音源が発売されるなど動きがあっても特筆性が増すでしょう。キリがオペラを引退してからもう長いですから、いつまで生声をわざわざ日本で披露してくれるか未知数です。Wikipedia:独立記事作成の目安を満たしているという意見に賛成ですし、今後、百科事典として発展する見込みがあるという意見に賛成です。また、この削除依頼の依頼者は、自分で投票することもなく審議をコミュニティーに丸投げしているという、不誠実な印象を感じます。自分が新規立項した記事について過去に過度な荒らし履歴によりブロックを受けている依頼者により、いい加減な削除依頼を提出されたら、撫子桜さんのように感じるのも無理はないでしょう。出典に関しては、気をつけて見てみます。また、ここからは半分は感想ですが、どこかのアイドルや声優がコンサートを開催してもとくに新聞にのるわけではありませんが、微妙な出典により次々と立項されています。(それが悪いとは言っていません。記事として発展性が皆無でなければ認めるべきだと思います。)キリ・テ・カナワ未満のアイドル(ほとんどのアイドル)のコンサート記事がその有様なのに、たしかに世界で最も美しい声といえる時期があったキリ・テ・カナワが出演しているコンサートだけを厳しく判断して立項を認めないという考えには、どうも同意できません。--Childofacrow会話2014年4月12日 (土) 15:32 (UTC)[返信]
Childofacrowさん、コメントいただきありがとうございます。上の私の発言で、少々キツい表現もあったかと思いますが、何とぞ、ご容赦ください・・・。キリ・テ・カナワは本当に素晴らしい歌手ですし、引退後それなりに時間が経つのに、日本に来て歌ってくれた、そのことは大変喜ばしいことですが、それを「百科事典の記事として残す」となると、きちんとした出典がなく、特筆性が保証されていない状態で項目を立ててしまうのは、良いことではないでしょう。(特筆性が微妙なアイドル記事や声優記事が乱立していることに関しては私も同様の感想を持っています。実際、以前、そのような記事を濫造している利用者さんと結構激しいやり取りもありました。・・・が、歌手として優れているからといって、キリ・テ・カナワが出演しているコンサートの立項が、出典がほぼない状態でも認められるかというと、残念ながらそうではないと思うんです・・・)それから、記事の出典とされている鈴木理沙さんのブログについてですが、鈴木理沙さんは、深見氏が会長を務める国際スポーツ振興協会会員さんでいらっしゃいます。ですから「対象と無関係な第三者」と言い切るのは難しいと思いますね。(鈴木さんが仮にISPS会員でなく深見氏と無関係であったとしても、音楽の専門家ではない、自身の専門分野内について記述している著名な専門研究者ではない方のブログ記事、というのはWikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源に照らした場合、そもそも出典として適切ではありません)「日時以上の情報」がある、というだけではWikipedia:独立記事作成の目安を満たすとは言えないのではないでしょうか。・・・ともあれ、Childofacrowさん、詳しくコメントをいただきまして、ありがとうございました。久々に、キリの歌った録音を聴いてみようかと思います。ここでは引き続き、他の方々からのコメントを待たせていただきたいと思います。--Rienzi会話2014年4月12日 (土) 15:52 (UTC)[返信]
  • コメント Rienzi様に賛同致します。過去に荒らし行為があったから無効だとするのであれば、存続票を入れているメンバーの履歴にひっかかるものを感じます。いつも思うのですが、議論や投票で結果として深見氏に利する側に、ベテラン編集者がいた事はありません(勿論、著作権侵害や名誉毀損行為は、私も含めその限りではありませんが)。即時削除相当や法的問題が無いので、一歩引いてコミュニティに判断を委ねますが、私の対立サイドにはそのようなコニュニティに委任という考えはないようですね(まーそれは自由ですが)。--JapaneseA会話2014年4月13日 (日) 00:07 (UTC)[返信]
  • コメント 「キリ・テ・カナワと大西宇宙、コナル・コードが参加したコンサートですからケースEにはあたらない」について説明いたします。依頼者は「百科事典的な記事に成長する見込みのないもの」及び「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事」と断言されていますが、「キリ・テ・カナワと大西宇宙、コナル・コードが参加したコンサート」であるために、「百科事典的な記事に成長する見込みのない」とは考えられず、ケースEにはあたらないと判断しました。出演者各個人の特筆性が、ただちに「東京国際コンサート」の特筆性につながるという意味ではありません。「三大テノール日本公演」の単独記事に関しては、是非、立項されるべき記事であると考えます。WP:GNGより、一般的な目安として、特筆性を示す出典がない、またはひとつしかないということだけでは削除の理由になりません。この記事は新規立項されたばかりであり、スタブ記事であるのはしかたのないことです。特筆性のガイドラインを満たしているか不明確な記事において、ケースEにより記事を削除するのはWP:FAILNにより最終手段であるべきとされています。この記事に特筆性を満たしていることを証明するのに十分な情報源が示されていないと感じた場合、まずは、記事の情報源を探すべきだと判断しました。たとえば、この記事の特筆性に疑義を呈されてから、3年以上も改善がないなどという場合には、削除票を投じるつもりはあります。しかし、「キリ・テ・カナワと大西宇宙、コナル・コードが参加」しているコンサートである以上、作成されたばかりで出典を探してもいないのに早々と削除するほど、「百科事典的な記事に成長する見込みがない」とは言えないでしょう。インターネットではあまり出てきませんが、それでも、テノール歌手の志摩大喜氏が、Twitterで評価している[1]など、反響があった事実は確認できます。つまりは、この記事が数ヶ月前にアカウントを取得された新規参加者による新規立項であり、その後、他投稿者による投稿がされる間もないほどのスピード依頼であることや、出演者の顔ぶれから、「百科事典的な記事に成長する見込みのない」とは考えられなかったため、ただちに、最終手段である削除を行う必要は感じなかったということです。個人的には、おそらく、Rienziさんと、それほど異なった見解ではないと感じているのですが、いかがでしょうか。--Husa会話2014年4月13日 (日) 18:31 (UTC)[返信]
  • 返信 (Husaさん宛) Husaさん、コメントいただきましてありがとうございました。私と同様「出演者各個人の特筆性」と「コンサートの特筆性」を切り分けて考えておられるというのはよくわかりました。ただ、WP:GNGに関しては「既にある記事においては、信頼できる二次情報源による出典が提示されず、この目安を満たさないとしても、独立記事として収録するだけの価値がない、とも言い切れません」と書かれているのであって、「特筆性を示す出典がない、またはひとつしかないということだけでは削除の理由になりません」というのとはちょっと違うでしょう。「記事の情報源を探しても『信頼できる第三者情報源』を見つけるのが難しい」という現状では、「これからの記事の発展に期待してスタブ記事のまま放っておくよりも、きちんとした第三者的情報源から特筆性が保証されてからでよい」と思わざるを得ません。私なりに加筆・修正を検討しましたが、出てくる情報が全て深見氏側、または深見氏と接点のある人たち側からのもので、「内輪の情報じゃなく、外からの中立的な情報がない・・・あるとしても山の様な『内輪の情報』に埋もれていて見つけることができない・・・」という状況でした。これについては「Rienziの探し方が悪い」「まだ開催からそう日が経っていないんだからやたらと情報があるわけない」という反論は当然予想しております。この記事に限らず、深見氏が関わった「イベント記事」については、「出典がごくわずかしかない」「しかもその出典が中立的でない」「第三者的出典がほぼ見つからない」という時点で「ウィキペディアは宣伝活動の場ではありませんよ。内輪でどれだけ盛り上がってるか知らないけど、ちゃんとした出典がないのにやたらと記事を書くのは控えてほしいな」と言わざるを得ないのではないでしょうか。少なくとも「中立的な信頼できる第三者的情報源が見つかるまでスタブ記事のまま放っておく」のは私個人は良いことだと思いません。--Rienzi会話2014年4月14日 (月) 00:58 (UTC)[返信]
  • 返信 (Rienziさん宛) Rienziさん、返信ありがとうございます。ケースEの「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事」を根拠として削除する場合の参考として、Wikipedia:独立記事作成の目安には「特筆性を示す出典がない、またはひとつしかないということだけでは削除の理由になりません」と明確な記載があります。本件記事に関しては、「対象と無関係な信頼できる情報源から有意な言及があった」と考えており、「その話題はウィキペディアの独立記事として作成、収録するだけの価値があると推定され」ると判断しました。また、ケースEの「百科事典的な記事に成長する見込みのないもの。」には該当しないと判断しました。ケースEの「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事」を根拠として削除する場合には、対象と無関係な信頼できる情報源から有意な言及が明らかに皆無であり、かつ、百科事典的な記事に成長する見込みのないものであるとか、完全に異質な記事であるとか、独自の研究結果の発表であるとか、多面的から検討しても削除しか方法がない場合に、最終手段として削除するべきと考えております。この記事は、最終手段として削除するには該当しません。また、百科事典的な記事に成長する見込みのある記事に関しては、一人で情報源を探すよりもコミュニティの複数の利用者が探したほうがより早く見つかりますから、しばらくはスタブ記事であったとしても立項するほうが適切であると考えております。オペラやクラシック音楽分野はスタブ記事が意外と多いようですが、情報源を探すのがわりと難しい分野であるということでしょう。--Husa会話2014年4月20日 (日) 11:31 (UTC)[返信]
  • 返信 (Husaさん宛) Husaさん、お返事いただきありがとうございます。私の考えは、本件記事に関しては「対象と無関係な信頼できる情報源から有意な言及があった」と言える状況になく、ケースEの「百科事典的な記事に成長する見込みの無いものである」ということで変わりありません。以下、回りくどい言い回しもありますが、その理由を述べます。現状、「対象と無関係」と言えそうなものはスポーツニッポンの記事一つだけであり、他に、「対象と無関係」な情報源が見つかりません。なおかつ、このスポーツニッポンの記事も、公演日の3日前、9月7日のものであり、時系列的に言って公演の告知記事である可能性も高いことから、(というか、スポーツ新聞のバックナンバーは国会図書館か新聞ライブラリーに行かないと見られないわけで、記事の中身をすぐ確認できる状態にありません)「信頼できる情報源から有意な言及があった」と断定できる状態にもありません。(スポーツ分野の記事であれば、スポーツ新聞を「信頼できる情報源」とすることに問題は無いでしょうが、こうした分野の記事においては、スポーツ分野と同様の「信頼できる」ものであるとするのはどうかな、と・・・)結局のところ、この記事は「公演日前の記事」と「参加した関係者のブログ」に基づいているということで一次資料のみによって書かれていると言わざるを得ず、しかもブログを除くと夕刊紙やスポーツ新聞のような娯楽中心の大衆紙のような信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか情報が見つけられないということでして、他に第三者的な信頼できる情報源による有意な言及は見つかっていないことから、百科事典の記事として置いておくのは難しいのではないかと思います。公演から既に半年以上経過しているにも関わらず、「対象と無関係な(一次資料でなくタブロイド紙でもない)第三者的情報源による有意な言及」が見つかっていないということは「その話題はウィキペディアの独立記事として作成、収録するだけの価値があると推定」できず、「百科事典的な記事に成長する見込みが無い」と判断せざるを得ません。(WP:V#NRにあるように「その情報が重要で残す値打ちがあるもの」という言葉の方を重視するなら、削除には値しないという話になるかと思いますが、「タブロイド紙以外に対象から独立した情報源からの情報が見つからず、しかも事実上一次資料のみによって書かれている」という状況から、私はそのように考えておりません)--Rienzi会話2014年4月20日 (日) 13:00 (UTC)[返信]
  • 返信 (Rienziさん宛) Rienziさん、早速のご返信ありがとうございます。ちなみに、スポーツニッポンの記事により、第三者の有意な情報が皆無ではなかったとみなしています。芸能分野に関するスポーツ紙の言及は、コンサートのような娯楽に対しては有意な言及と言えると判断します。さらに、鈴木理沙さんは、国際スポーツ振興協会の所属プロであり、本コンサートの主催団体である世界芸術文化振興協会の関係者ではありませんから、ご自分の意思で東京国際コンサートに参加された可能性が考えられます。鈴木理沙さんは、事実としては本コンサートの関係者ではなく、ご自分の意思による参加の可能性が考えられるために、一次資料ではなく二次資料による反響は皆無ではなかったとみなしています。ほかに、オペラ歌手によるTwitterの反響もありますね。それに加えて、出演者の著名性から「百科事典的な記事に成長する見込みがある」と判断し、ケースEを理由として、立項後即時に削除するには時期尚早であると判断したものです。さらに言えば、依頼者による理由も具体性に欠け、とうてい同意が出来る依頼ではないというところです。--Husa会話2014年4月20日 (日) 14:01 (UTC)[返信]
  • 返信 (Husaさん宛) Husaさん、お返事いただきありがとうございます。私が、鈴木理沙さんを「深見氏と全く無関係の第三者的人物」と看做せない理由については既に上で述べた通りです。そして、WP:SPSWP:TWITTERに照らして考えた場合、「その分野の著名な研究者やジャーナリストでない個人」のブログはそもそも出典として適切ではありませんし、twitterにおける反響というのは、安易にウィキペディア上に記載すべきではありません。既に述べたことと重複しますが「(スポニチの記事という)一次資料と、(無関係の第三者と断定できずその分野の専門家でない)個人のブログ記事以外に出典がなく、信頼できる第三者的情報源による有意な言及と看做せるものがない(他に見つからない)」という状況で、スタブ記事のまま放置しておくのは、百科事典として適切とは思いませんし、ケースEでの削除が妥当(というかやむを得ない)と思います。(スポニチの記事に関しては、Husaさんは「第三者の有意な情報」と看做しておられるというのは理解できました。また、私はスポニチの記事をそうは看做していない、ということとその理由は既に述べておりますので、再度述べることはいたしません)--Rienzi会話2014年4月20日 (日) 14:37 (UTC)[返信]
  • コメント ところで、JapaneseAさんは、対立サイドはコミュニティに委任という考えはないなどとおっしゃっていますが、それは、私のことでしょうか?依頼者が依頼者なので今回の一連の案件には多くに投票していますが、コミュニティに委任するつもりの投票には最初からコメントもしていません。「コミュニティに委任という考えはない」などと、自分と対立する人全員を想定した言い方で事実と異なる批判をされるのはお控えください。--Husa会話2014年4月13日 (日) 18:31 (UTC)[返信]