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Wikipedia‐ノート:削除依頼/村岡花子

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依頼者のコメントを受け、こちらに再コメントを。こみいった法律論は出来ないので、これ以上私が本文に書くと邪魔になるかもしれません。

まず、書籍についてのご教示ありがとうございました。私自身にとっても興味深いところですので読ませていただきます。

先ず著作権侵害疑惑については、自分の無知もあるので今はこれ以上の意見を控えます。ただ、Stella marisさんが侵害にあたらないのではないか、とおっしゃっているのは留意すべきと思います。

次に名誉毀損の点ですが、問題版以前の記述でも、疑惑を完全否定するには至っていないのでは、という感想があります。一方で問題版編集を見ても、少なくとも私は、この編集が疑惑を完全肯定しているという印象は受けません。ウェイトが少し肯定よりかな、という程度の感想です。桂氏のあとがきはかなりスキャンダラスな内容であり、「真相は藪の中」程度の文言でスキャンダラス性を中和できるものではないと思います。(桂氏や出版社は、この件でご遺族などから抗議をされなかったのでしょうか?)もし問題版が名誉毀損にあたるのなら、そもそも問題版以前も名誉毀損の恐れがあるのでは、とも考えられるのではないでしょうか。

以上です。前のコメントは依頼者のおっしゃるとおり主張の裏づけの点で欠いていますので、参考という意味での票なしのコメントという形にしました。今回もあくまで参考意見です。審議の邪魔になりそうでしたら、前のコメントもノート側に移していただいてかまいません。--ポコポコ 2009年11月8日 (日) 23:44 (UTC)[返信]


「オレ著作権の事はよく分からないし、ある程度理解して自分なりの見解が示せるまで勉強する意思はないけど、存続でいいと思う」のようなコメントが削除依頼の場で幾つもついてそれで多数決で処置されるのかなと思うと気落ちします。「ただ、Stella marisさんが侵害にあたらないのではないか、とおっしゃっているのは留意すべきと思います。」というのは、何なんでしょうか? 普通は Stella maris さんの意見のどの箇所が Tolena の主張より著作権法上妥当と思ったのか、そう思う根拠は何かと考えますが、「これ以上の意見を控えます」とあるし、著作権法の解説書もこれから読むようですから、結局、Stella maris さんが侵害ではないといったから、そう思うという以外は根拠ゼロ、という事でしょうか?

Stella maris さんは珍しく著作権に関する意見を述べてくれてちょっと嬉しいですが、しかしながら私としては

  • 平成3年12月19日に東京高等裁判所で裁判官の松野嘉貞、田中信義、杉本正樹が「平成2(ネ)4279」事件で「送り仮名の付し方の変更、読点の切除、中黒の読点への変更及び改行の省略」を同一性保持権を侵害すると認めたという事実の方を、より留意せざるを得ません。
  • Wikipedia:引用のガイドライン/草案#引用の要件になぜ「(同一性)原則として被引用文を改変しないこと」で始まる説があるのか

の方を考えていただきたいです。ウィキペディアの削除依頼は結構、凄い所のようで、下手に「引用のガイドライン」に言及すると「まだ草案なので守る必要なし。よって存続」程度の処置をされかねないと懸念し削除依頼の場では言及を避けましたが、同一性保持権についてちょっと知っていれば、「平成2(ネ)4279」事件判決のような例があるから、「被引用文は、原則として一切の改変をしてはいけません」で始まる注意が書かれたのだな、と分かるでしょう。

桂氏や出版社は、この件でご遺族などから抗議をされなかったのでしょうか?

会話を録音などはしていないで証拠能力はゼロですから私の言う事を信じる必要はありませんが、Wikipediaに村岡花子が立項されるより前に、私は村岡家の人にこの件で聞いています。何ら問い合わせもせず一方的に書かれて大変に当惑しているといった趣旨の事を語ってくれました。また田中斗季(とき) が弟子というのも事実ではなく、先生、先生と言って村岡家に良く来ていた時期もあっただけの自称・弟子だそうで、翻訳はいつも書斎で一人で作業していたとの事です。

この件ではさして長話はしていませんが (もっと興味深い話が聞きたかったので) 仮に自分が当事者だった場合に、考えられる対処法ですが、

  1. 桂宥子や出版社に抗議し、裁判で徹底的に争う。
  2. 相手にしない

があろうかと思います。しかしながら日本では前者の場合、費用・年月・労力が非常に高くつくのは必至です。また、「これは田中斗季さんが言った事をそそまま書いただけです」程度の事は言われるでしょうから、費用や労力に見合う結果が得られる見込みは低いでしょう。

しかし今や『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』村岡恵理、マガジンハウス、2008年も出ていますので、もはや『赤毛のアン』は実は田中斗季が訳したなどと言えば、物笑いの種にしかなりません。p.10, 226-248 あたりをご覧下さい。特に p.10 にある Anne of Green Gables の初版第7刷と村岡花子の直筆原稿、p.226 にあるミス・ショーが「ユートピア」という題で記した「我々は一国の良著を他国に紹介して国民と国民をもっと接近しむべく文学を通して大いに努力するものである」という理念を載せた教文館月報の内容を見れば、村岡花子が『赤毛のアン』を訳した、そして、訳さなければいけない理由があった事が判るでしょう。これがゴーストライター説に対し答えを出した物と言えます。

もし問題版が名誉毀損にあたるのなら、そもそも問題版以前も名誉毀損の恐れがあるのでは、とも考えられるのではないでしょうか。

そんな事は無いです。桂宥子の『モンゴメリ日記(1)(1889~1892)プリンス・エドワード島の少女』の訳者あとがきはこうであるので

一九八三年十月二十五日、『赤毛のアン』の紹介者として名高い村岡花子氏の弟子田中斗季先生との出会いがありました。…そして「じつは『赤毛のアン』は、私が翻訳したのです」というショッキングな言葉を残して、亡くなられてしまいました。今となっては関係者の多くも亡くなり、真相は藪の中です。

ですから、これだけでも

  • 『赤毛のアン』は村岡花子が訳したのではない、というのは、亡くなる直前の田中斗季の言葉以外には出所が無い。
  • 関係者の多くが亡くなっているのは事実だが、当時の事情を知る関係者の全員が亡くなったわけではない。
  • 真相は藪の中と言っているわけだから、桂宥子はこの件が事実かどうか何も調査していない。

というのが、注意深い人なら分かるかと思います。これに引き続き、田中斗季自身が『銀の森のパット 下巻』に書いた内容、『アボンリーへの道(4)』に書かれた内容、「初めての『赤毛のアン』」 に書かれた内容と比較すれば、『赤毛のアン』を村岡花子は訳していないというのは変だな、と感じるでしょう。

と思ったのですが、モンゴメリ日記に引用した内容が村岡花子に移動され、さらに「わぁ、『赤毛のアン』は村岡花子が訳したんじゃないんだ、大ニュース!」のような解釈に基づくスキャンダラスな内容にされましたね。『銀の森のパット 下巻』と『アボンリーへの道(4)』と「初めての『赤毛のアン』」 から引用した箇所は削除されて。Wikipedia読者が「村岡花子は訳していないというのは変だな」と感づくであろう箇所を、不要と判断したのでしょう。

『モンゴメリ日記(1)(1889~1892)プリンス・エドワード島の少女』の訳者あとがきにゴーストライター説が書かれるだけでも村岡家の人は大変に当惑させられたのに、それがWikipediaというオンライン百科事典でゴーストライター説が公衆送信される結果となったのは痛恨でしたね。 -- Tolena 2009年11月15日 (日) 14:05 (UTC)[返信]