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Wikipedia‐ノート:削除依頼/日蓮正宗の寺院関連 その1

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削除依頼について思うこと

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削除審議とは直接は無関係なのでノートに。

この削除依頼(および後続するその2その3)に先立って、Wikipedia:利用案内質問されている差分ようですが、そこでのアドバイス差分が活かされていないようですね。具体的には

  1. ≪数が多い削除依頼は、1件1件確認するのが困難だから避けた方がよい≫という主旨の意見があったはずです。ここでの確認とは、「依頼者が確認する際」という意味ではなく「依頼された各記事を他者が確認する上で」という意味のはずです。その1だけの提出であれば、そのアドバイスに沿った提出となったでしょうが、削除依頼を分けつつも同時期に複数提出する(123)というのでは、依頼された各記事を確認する他者にとっては分割しないのも同じことで、分ける意味などないのではありませんか?
  2. ≪関連するウィキプロジェクトで削除基準を決定する≫という主旨の意見があったはずです。「Wikipedia:ウィキプロジェクト 宗教」なのか、より下位のプロジェクトなのか、そういったところへの提案はないようですね。前項についてもそうですが、他者にアドバイスを求めておいて、アドバイスに対するコメントなしに結局当初の行動(=削除依頼提出)を取るくらいなら、最初からアドバイスなど求めないほうがよいのではありませんか?

といったあたり。

後、依頼者の削除依頼提出/不提出の閾値が判りませんでした。「一月寺」は「普化宗」からの言及があるから削除依頼に掛けずに残したようですが、削除依頼に提出されている「有明寺」も「日精」などから同程度の言及があるように見えます。利用案内に質問した時には≪カテゴリの一部しか確認していない≫という主旨の発言があったように思いますが、結局、依頼提出されている全記事を確認したのか、確認したのであればどういう基準で削除依頼提出/不提出の判断を行ったのかがよく見えません。削除依頼提出が妥当と依然考えているのであれば、依頼提出/不提出の根拠をより明確にしておくほうが良いであろうと思います。--NISYAN 2010年6月17日 (木) 23:22 (UTC)[返信]

ご意見ありがとうございます。確認に関しましては、依頼に出した項目はすべて確認しています。これを記載した時点においては、「し」の途中の順妙寺まで確認しており、「こ・さ」の項目箇所は即依頼可能な状態にはなっています。現時点においては依頼はいたしません。
基本としては、「起源と歴史」で「建立の事実だけ」や「正信会との関連」のみでしたら、特筆性に価しないと考えています。明治以前建立の寺院も、それだけの事実では特筆性に価しないと考えています。
「し」の中で持経寺 (川崎市)寿海寺の記載に関して、特筆性に価するかどうか判断しかねています。また、実成寺 (会津若松市)下之坊 (富士宮市)はも歴史の長さから、特筆性に価するかどうか判断しかねています。
住本寺要法寺との関連性により、対象外かと考えています。
当方が依頼した項目で「これは残してもいいのでは」という項目がありましたら、意見していただければありがたいのですが。元々大半の項目の立項者が宣伝的な目的での立項をしていたので。今まで「Category:日蓮正宗の寺院」がそのままだったのは「項目が膨大」だからなのでしょう。
現在「Category:正信会の寺院」や「Category:創価学会系寺院」に関しても削除依頼を考えています(どちらも全削除が妥当ではと考えています)。--ステイシア・ボーダー 2010年6月18日 (金) 11:25 (UTC)[返信]
宣伝的であるということは、削除依頼の理由として認められていません。「宣伝的であることを理由として削除依頼を出さないように」と明記されています。Wikipedia:削除の方針#削除対象にならないものの3番目を参照のこと。今回は削除依頼ですからあてはまりませんが、Wikipedia:即時削除の方針#全般の4の注意書きも参考になるかもしれません。
確かにこれらの項目を立項した側には「創価学会や日蓮正宗を宣伝してやろう」という意図があった可能性はあります。しかし「宣伝的意図があるものは報復的に削除する」といった方針はWikipediaにはありませんし、項目の存否判断は立項者の意図とは無関係になされるべきものです。
こんなもんは「ああ、一所懸命に情報を提供してくれたのね」とでも思っておけば良いものです。まあ、横丁の稲荷神社のレベルまでを全部立項しようとするやつがいたらさすがにそれはちょっと止めようかと思いますが、日蓮正宗に限らず日本基督教会所属教会とかカトリック中央協議会所属教会とかは全部項目があっていいんじゃないかと思います。「特筆性」というのは、そもそも現在のところはまだ合意が成立していないということはとにかくとしても、もともと「もんのすごく特別なもの以外には認められないもの」というものではありません。--Nekosuki600 2010年6月18日 (金) 12:00 (UTC)[返信]

特筆性ってなんなんでしょうか

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Wikipedia:削除依頼/日蓮正宗の寺院関連 その1/共通賛否におけるステイシア・ボーダーさんの「基本としては、『起源と歴史』で『建立の事実だけ』や『正信会との関連』のみでしたら、特筆性に価しないと考えています」以下を見て、ステイシア・ボーダーさんが考える「特筆性」というのがよくわからなくなってきました。というか、わりと見慣れた誤解があるんじゃないかという印象を強めています。

特筆性は、「現在のテキスト」が特筆性の有無についての基準になるわけではなく、「対象とされる事物」が特筆性の有無についての基準になるのです。「対象とされる事物は十分に特筆性があるものなのだが、現在のテキストはぼろぼろである」という場合は、それは「特筆性がない」ことになるのではなくて「その記事はスタブだ」ということになるわけです。もちろん、検証可能性などに基づいてきっちり書いてあれば誰にでも特筆性があることはわかりやすくなりますし、そのあたりに無配慮なスタブ記事が横行しているという悲しい現状があることも認めざるを得ません。しかしながら、それでも「スタブであること」と「特筆性がないこと」とは、全く異なる概念です。

数百年存在し続けた寺社に特筆性がないなんてことは、普通に考えてあり得ないことのように、おれには思われます。数百年存在し続けた寺社の項目が悲しいまでにスタブであるということは、ごくごく普通にあり得ることなんですけれども(念のためですが、近年創立された寺社についても、おれはしばしば、たとえば建築デザインを見て「こんなもんをおったてたのはどこの馬鹿だ」と思って調べたりすることはあるんで、「昭和**年以降は削除していい」というような合意が成立する余地はありません)。

ステイシア・ボーダーさんが理解するところの「特筆性」がどのようなものであるのかについて、とりあえず一度ご説明をいただけるとありがたいと思います。--Nekosuki600 2010年6月19日 (土) 14:56 (UTC)[返信]

現状の「日蓮正宗の寺院」の項目があれだけ立っているのを、私が良く編集する分野に例えるならば「ガンプラの商品1つ1つに項目を立てる」のと同様に感じたからです(相当失礼かもしれませんが)。また私が住んでいる地元・玉名市にある日蓮正宗の寺院「知広寺」も立項されて「Category:玉名市」にも出ていますが、「誕生寺」がないのに、何故ここが立項されているの、と思ったのがあります。また別件ですが、確か現在の「日蓮正宗の寺院」の中には創価学会の寄進による寺院もあったはずなのですが。「創価学会 寄進」で検索したところ、「356カ寺」寄進していたようですが、そういう記載を見かけません(検索で2番目の項目に出てくる方が、大半の「日蓮正宗の寺院」の項目を立てた人物と同一人物のようですが)。個人的には「創価学会の寄進」の記載があっても特筆性に値するとは考えてはいません。
これを議論のきっかけとして、私が削除提案したすべてを削除するではなく、ある程度議論して整理すべきなのでは、と思うのは間違いでしょうか。より知識を持っている人が、整理の為の削除提案を今までしなかったということを疑問に思います。--ステイシア・ボーダー 2010年6月19日 (土) 20:29 (UTC)[返信]
「オモチャのバリエーションごとに記事を作って紹介する必要はない」という考えには同意しますが、寺院記事をそれと同列に語るのは失礼と言うより的外れでしょう。寺社仏閣というのはどれとどれを見比べても大差ないコンビニのチェーン店などとは違い、同じ宗派の寺院でもでもそれまでに培ってきた歴史などによってそれぞれが個別の組織と言ってもいいほど個性があるものです。多数あるからといって、それを篩にかけて少なくすることに意味があるとは思えません。同時に、現時点では貧弱な内容でも識者による拡充がなされる余地があり、その叩き台となりうるならば価値もあるでしょう。それに拡充を待ったとしても誰にも何のデメリットもありません。「ある程度議論して整理すべきなのでは、と思うのは間違いでしょうか。」という問いには明確に「間違っている」とお答えしておきます。
個人的にはステイシア・ボーダーさんが今後削除依頼の提出を検討している記事群が日蓮本仏論を支持する教団に偏ってる点についても気になっていたりしますが…ここで訊く事ではないですね。失礼しました。--114.170.5.136 2010年6月20日 (日) 09:46 (UTC)[返信]
◆ガンプラの商品ひとつづつと寺社をいっしょにするのは、「失礼というよりもまとはずれ」という印象は、おれも同様です。別の論点を出すならば、たとえば「ガンプラの場合は、それぞれの特徴を記した一覧の方が、比較や時系列による発展がわかりやすくて便利」だが、「寺社の場合には、個々の独立性が高く、比較したり系譜図的記述が困難」といった違いがあります。そりゃまあ寺社の系譜図的説明てのもあり得ますし面白くもありますが、その手の研究がある場合にそれを紹介するというくらいが限界でしょう(教団の項目にその教団に所属する寺社教会の一覧を並べるというのは、個人的にはOK)。
もう一点。「誕生寺がないのになぜ知広寺が立項されているの」ですが、それはWikipediaで言ってもしょうがないことです。Wikipediaでは、組織的に上から順に項目が作られるというわけではなく、誰かが必要だと思った項目から作られていくのですから。「誕生寺がないのになぜ知広寺が立項されているの」という疑問があった場合「知広寺を消す」という選択肢は取り得ません。解決策として容認されるのは「誕生寺を作る」だけであり、自ら誕生寺を作らないのならば「放置する」「我慢する」がよろしかろうと存じます。
で、素朴で根本的な疑問なんですが、整理をするとどういう良いことがあるとお考えなのでしょうか? おれには、整理をしても何も良いことはないとしか思えないのですが。少なくともおれは、必要に応じてその手の情報を使うことがありますので、妙な取捨選択によって情報が削減されることは歓迎できないのです。--Nekosuki600 2010年6月20日 (日) 10:02 (UTC)[返信]
現在の「日蓮正宗寺院一覧」に建立年月日と、記号で「創価学会の寄進の寺院」とか「元正信会の寺院」というのを記載するだけで十分な寺院が多数なのではないかと考えたからです。知広寺はそれに該当するのではと思いました。--ステイシア・ボーダー 2010年6月20日 (日) 10:37 (UTC)[返信]
◆うーん、それはぜんぜんちがうのじゃないかなあ。どういう情報が欲しいのかは人によるわけで、「誰がどういう情報を欲しがるか」についての想像力問題っていうか。
おれの要求としては(別に他の人が同じような情報への欲求を持っているかどうかは、ここでは考えません)、「境内建築物のリスト」や「建築物単位での建築年や更新履歴」なんかが欲しいですねえ。建築物に特徴があればその写真と特徴を説明したテキストも欲しい。あ、特徴がなくても写真はあってくれたらありがたい(=^_^;=)。
このあたりの点については、過去にWikipedia‐ノート:削除依頼/ショーン・オチンコ/特筆性を理由とした削除に関する疑問なんていう議論をやったことがありますので、ご参考までに。
また、今回のリストには含まれていない「一月寺」のように途中で宗派が変更されている寺院などもあり、教団別一覧ではうまく説明できないケースは普通にあろうかと思います。--Nekosuki600 2010年6月20日 (日) 11:10 (UTC)[返信]
正直今から書くことが適切とは思えませんが、あえて書きます。
「この数十年に出来た(多くが創価学会の寄進の)日蓮正宗寺院に特筆するほどのものがあるのでしょうか」と。確かに「寺院には個々の歴史があり、個性がある」というのは分かります。そのことが「多くの日蓮正宗寺院」にあるのか、ということです。極端に言えば「(記事に記載はないですが『創価学会の寄進』で)建立された」だけの記事の寺院が多いのではと。それにプラスして「正信会に関連した」だけとか。
当方としても「日蓮正宗寺院」の記事をすべて削除しよう、とは言っていません。「一月寺」の様な寺院か否かを個々に判断してみては、ということです。--ステイシア・ボーダー 2010年6月20日 (日) 11:44 (UTC)[返信]

だからあなたにとって「特筆性」って何なのか

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コメント「その1」で出した寺院の記事を改めて見たのですが、個々に違う「所在地・寺院周辺・交通アクセス」は除いて、「起源と歴史」を見るとほとんどが「19○○年(昭和○○年)○○月○○日 - 建立される。開基は日蓮正宗大石寺第○○世法主○○上人。」のみです。

確かに「一乗寺 (大崎市)」「有明寺」は100年以上の歴史があり、「応顕寺」は「開基した法主が1年後にここで死去、関東大震災や横浜空襲の被害、昭和22年合併による閉鎖、昭和58年再建」、「遠霑寺」は「元は1642年設立の僧侶の学問所「細草壇林」、明治初期廃止後、1967年復活」の記載があります。

あと「一道寺 (柏崎市)」「円照寺 (呉市)」「円妙寺 (四万十市)」には若干違いますが、以下の文があります。

○○市には19○○年(昭和○○年)○○月○○日に○○山○○寺が日蓮正宗寺院として建立されたが、1982年(昭和57年)8月21日に○○住職が、第67世法主日顕上人の法主としての地位を否定し、日蓮正宗の宗制宗規に違背したことにより破門されたが、その後も○○寺を占有し、居住しているため、それに代わる日蓮正宗の末寺として建立された。

記事自体を一番熱心に書かれていたのはほとんどの立項者のたかぼん8160 さんでした。

ノートの方にも書きましたが『この数十年に出来た(多くが創価学会の寄進の)日蓮正宗寺院に特筆するほどのものがあるのでしょうか」と。確かに「寺院には個々の歴史があり、個性がある」というのは分かります。そのことが「多くの日蓮正宗寺院」にあるのか、ということです。極端に言えば「(記事に記載はないですが『創価学会の寄進』で)建立された」だけの記事の寺院が多いのではと。それにプラスして「正信会に関連した」だけとか』と思います。 --ステイシア・ボーダー 2010年6月22日 (火) 14:32 (UTC)[返信]

◆いやあ。尻馬に乗るわけじゃないんだけど、いまのところ「存続意見に対する有効な反論(追加的削除意見)はない」とおれは判断していて、削除審議で議論をすると嫌われるということもあるし、様子見をしているところなんだけれども、あまりに進展がないのでちょっとやらせてもらいます。
特筆性についてはいろいろな意見がありますが、おれは「対象物に特筆すべき要素がない場合には特筆性に問題ありとして削除」「対象物に特筆すべき要素があるにもかかわらず現在の記事にはそれが書かれていない場合には、スタブタグでも貼り付けて存続」というのがいいのではないかと思っています。で、一連の寺院については「寺院というのは基本的に特筆性はあるものであり、現在の項目がやせているのならばスタブとして存続」という基準で対応していいと考えるものです。今のそれらの項目は、「対象事物に特筆性がない」のではなく「今の項目がスタブであるのだ」ということです。
でだ。確かにまあ、これらの項目はテンプレート(Wikipedia的な意味でのテンプレートではなく、雛形・鋳型という意味)に個々の違いを書き込んで大量生産したにすぎないものでしょう。しかし逆に言えば、「そのテンプレートに含まれた情報については漏れなく記されている」とも言えるわけです。基本情報がそのテンプレートに網羅されているかどうかっつーとそれもまた微妙ですが、それでも誰かが思いつきで立てた基本情報がまるきし欠落しているような弩スタブ(サブスタブってゆーか)よりははるかに筋が良いとすら思うんですねえ。
ノートにも書いて返答が得られていないことですが、だから「あなたのいう特筆性ってなんだ。『特筆性なし』と『スタブである』ことの違いをあなたはどう説明するのか」というあたりのことをちゃんとあなたの中で整理してくれないと、議論は進みません。まあ削除を主張しているのは現状ではあなただけだからこのまま「削除は少数意見で存続」という結論でもいいんだけども、今回あなたが投じた労力ってけっこうなものだったとおれは思うわけで、おれとしてはそういう徒労を繰り返していただきたくないのですよ。労力がもったいないから、納得の上で、方向転換をしてほしいのです。--Nekosuki600 2010年6月23日 (水) 10:05 (UTC)[返信]
コメント私の意見としては「削除するメリット」というより「大半の寺院の記事が個々にあるほどのものではないのでは」「大半の寺院は一覧に建立年月日・創価学会の寄進だったかどうか・元正信会だったかを記載するだけ十分なのではないか」「それによって一覧の記事が地域別などで2-3個に分割されてもいいのでは」という考えです。
現時点では「一乗寺 (大崎市)」「有明寺」「応顕寺」「遠霑寺」は存続していてもいいのではと考えますが、他の寺院は単独項目として残しておくほどの特筆性はないと考えます。
あえて書きますが「大半の日蓮正宗の寺院に特筆性があると考えるのが、寺院に対する過大評価なのではないか」と。--ステイシア・ボーダー 2010年6月23日 (水) 11:07 (UTC)[返信]
あとはノートでやってくれますか?--Nekosuki600 2010年6月23日 (水) 11:10 (UTC)[返信]
◆というわけで自分でノートに持ってきました。
でだな。あなたは「特筆性がない」という削除理由と「スタブである」という削除理由にならない理由との間にある差をあいかわらず説明してくれていないんだけども。
もしも「スタブである」が削除理由として通用するなら、一連のリストにある寺院は削除が相当ということになるでしょう。しかし「スタブである」では削除理由にならないので、存続することになります。対して「特筆性がない」という正当な削除理由を主張するのであるのなら、それは正当な削除理由なので削除されることになるのですが、そのかわりあなたは「それぞれの寺院について、なぜいかなる観点からも特筆性がないと断じることができるのか」を説明しなくちゃならなくなるんですよ。「大半の寺院の記事が個々にあるほどのものではないのでは」という疑念の提出では足らず「大半の寺院の記事が個々にあるほどのものではない」ことを立証しなければならないわけです。その間って、天と地くらいに違いがあるんだけど、それわかってる? ついでにその場合、大量にまとめて削除依頼を出すというのは、手続き的に問題があります。「個別に論じてくれ」って、こんなに大量に出されて個別に論じることなどできるものか(だからって、ひとつづつ出しなおすなんてのはやめてね)。
おまけ。
えーと、「(略)寺院に対する過大評価なのではないか」だけどさあ。それについてはすでに「その程度であっても情報を欲しがるひとはいるんだ」と説明しているわけだが。おれ、三信ビルディングとか九段下ビルとか廿世紀浴場とか、ああいうものも百科事典的に説明する価値があると思ってるのよ。あなたにとって価値がないとか、マイナスの価値があるとか、そういう事情があるらしいことは理解しました。だけどそれは、情報を必要としている他者からその情報を隠す理由にはならないと、おれは思うわけ。なぜそんなことに、これほどの労力を投じることができたのかが、おれにはよくわからないんです。で、「整理するとどういう良いことがあるのですか?」と聞いたのですが、そちらへの説明もお願いします。--Nekosuki600 2010年6月24日 (木) 13:44 (UTC)[返信]
あえて下品な言い方をすれば、「創価学会によって大量寄進された寺院のページ」をそのまま精査なく残しているのは、「チェーンスーパーの個々の店舗のページ」を大量に作ってそのまま残しているのと同様に感じています。一連のリストにあることと、ページを残しておくというのは別問題だと思います。リストに記載しておく程度で十分な情報しかない寺院と、個別ページを作成するほどの情報量のある寺院を精査すべきなのでは。
大半のページの立項者であるたかぼん8160 さんの発言ですが、
「執筆をはじめた理由はあまりにも日蓮正宗末寺に情報発信が少なすぎるからです。大白法や慧妙は一般の人は見ません。あとネットで末寺の記事を取ろうとしたらフェイクなどの創価学会の論評が一番になっていることがあります。当方はいかなる理由であれ末寺住職の名指し批判をネット上で公開することに反対しております。そこで北海道で創価学会に一番嫌われている住職のいる末寺の記事を編集したところヒットが一番になりました。これは行けると思い編集を開始いたしました。」自己宣伝ではありませんが、それに類するように感じます。日蓮正宗末寺について持って知ってもらいたいというなら、ご自身が自分でホームページを制作して情報発信すればいいものを、ウィキペディアの場を流用して情報発信しているように感じます。 --ステイシア・ボーダー 2010年6月25日 (金) 07:11 (UTC)[返信]
類似事例の「Wikipedia:削除依頼/法龍寺 (倉敷市)」「Wikipedia:削除依頼/仏道寺 (倉敷市)」の元記事は現在では閲覧不可能ですが、やり取りからの推定ですが、現在削除依頼しているものと同様の物だったと思われます(正信会との関連)。--ステイシア・ボーダー 2010年6月25日 (金) 07:33 (UTC)[返信]
シンプルな反論にとどめます。
その1。書き手側の意思は関係ありません。だれかが一所懸命に書いたとしても記事を残す理由にはならないし、だれかが雑に書いたのだとしても記事を削除する理由にはなりません。
その2。現在のところ確かにスタブではありますが、スタブであることは対象事物に特筆性がないことの理由としては使えません。この論点についてはすでに説明をしました。--Nekosuki600 2010年6月25日 (金) 10:53 (UTC)[返信]
大半の記事が「百科事典的な記事に成長する見込みのないもの」ではないのか、と考えています。上で挙げました「Wikipedia:削除依頼/法龍寺 (倉敷市)」「Wikipedia:削除依頼/仏道寺 (倉敷市)」の事例がそれに当たったようです。--ステイシア・ボーダー 2010年6月25日 (金) 11:40 (UTC)[返信]
「特筆性」って合意された概念じゃないし、あなたが「特筆性がない」と思ったということは「削除すべき理由」にはならないんですよ。だから「特筆性って何なのか」について考える必要があると申し上げている。
この一連の削除依頼は、それ以上でもそれ以下でもないんじゃないかという気がしはじめています。あなたが「わたしは特筆性がないと思った」と繰り返しても、それだけじゃだめなんですよ。そこから先に議論を進めることができるだけの、あなたの蒙を開く方法が、おれには見えないのですけれども。--Nekosuki600 2010年6月25日 (金) 14:51 (UTC)[返信]
議論が堂々巡りになっている最大の要因は、ステイシア・ボーダーさんによる特筆性の有無の判断がwikipediaの記事内容のみによってなされている事だと思います。「記事内容を見る限り、見るべき点は無い」というのも考え物ですが、実際問題としてwikipediaはやりたい人がやりたい分だけ情報を蓄積していくようなサイトですので、それのみをもって記事の対象を評価する事はできません。Nekosuki600さんのように「それは(百科事典の記述として)書く事が無いんじゃなくて、単に書かれていないだけではないのか」と考える方がいてもおかしくはないでしょう。
本来なら記事を立項したたかぼん8160さんに参考資料などを伺った上で充足を試み、削除依頼はそれが不可能な記事を選り分けた上で行われるべきものでしょうね。とはいえ、たかぼん8160さんはブロック中で実現できる可能性は極めて低いですので、もしステイシア・ボーダーさんが現在の考えを通したいのであれば、今からでも結構ですので『全国寺院名鑑』(全国寺院名鑑刊行会 著)あたりを参考に特筆性の有無について積極的に精査をされるべきでしょう。問題提起すれば周りが話を進めてくれる程、単純な事案ではありませんので。--114.170.5.136 2010年6月28日 (月) 23:44 (UTC)[返信]