Wikipedia‐ノート:削除依頼/劇団福耳
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- コメント Pasternさんからご指名で苦情を頂戴しました(Pasternさんの引用ページを読んだところ、コメントは下部に書くことが求められているので、こちらに書きます)。
- 方針についての議論はないと思います。広く合意されている事項に基づいて、具体的な話をしているわけです。この点はご了解いただきたく存じます。
- 削除については、重要なことを思い出していただきたいのですが、「単に特筆性が証明されているかだけではなく、すぐ簡単に証明できるかを考えることも重要です。ウィキペディアの記事は完璧でなくともよく、編集を楽しむものであることを思い出してください。特筆性を証明できるような情報源が現時点で追加されていないような記事でも、それが実は存在して、特筆性を示すことができるのかもしれません。完璧なものを求めるばかりに新規参加者を苛めないでください」以下、引用箇所に続く部分を読むと、特筆性の証明に欠けると思われる記事に出会った際の、望ましい行動が書かれています。いかなる解釈の仕方においても、削除自体が目的ではないはずです。
- 次に、同じ箇所の「注9」を見ましょう。「ウィキペディアにおいては、不十分な調査に基づく削除依頼は却下されてきました。ここでいう「調査」とは、その特筆性を証明するための情報源や他の方法で示せそうな情報を探そうとするということを含みます」。十分な調査というのが、どの程度のことを指しているのか、明記はされていませんが、当該分野に対する知見や素養のない人が、「1回ググってみたけど結果がパッとしなかった」というのは、社会的常識に照らして「十分な調査」とは言えないでしょう。
- Pasternさんは真面目で熱心な方と拝察いたしますが、一つ残念なことは(本項目も典型的ですが)、削除依頼の理由が、抽象的・定型的で、悪く言えば「コピペしただけ」の状態で提出されることがままあることです。これでは、Pasternさんが対象項目に対してどのような改善活動をされたのか、そしてどのような十分な調査を行われ、その結果として削除やむなしの結論に到達したのかが、説明されていません。これでは、前2項に引用した特筆性のガイドラインの精神を十分に体現したとは、残念ながら言えません。
- しばらく観察したところでは、削除依頼の提出にあたって十分な調査をしたことを示さなくても、却下はされないようですが、これはwikipediaが条文絶対主義で運用されていないことを示すものとして、良しとしましょう。しかし、逆に、どのような判断で削除依頼を出したのかは、議論の中で問われて当然かと思います。投票者にはそこまでは問われないのでしょうが、理由を示すことは推奨されていますし、それに関する質疑や議論もあっておかしくないものと思います。
- 繰り返しますが、これは「方針を議論する」つもりではなく、既に広く合意されていると思われるガイドラインに基づいて、より良い議論を望むということに過ぎません。--J Stalin 2011年9月3日 (土) 14:02 (UTC)