Wikipedia‐ノート:削除依頼/出雲優生
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(Wikipedia:削除依頼/出雲優生(UTC) 2014年09月04日14時56分の版より転記)
- 被依頼記事に「ストラテジスト」という一般にはありふれているとはいえないキーワードがありますので、その関連書としてCiniiのリストにラインアップされていることを示したまでです。また「学生からの購入リクエスト」云々の事実も「国立の研究機関が内容を調べて国費で購入」とは矛盾しませんし、所蔵図書横断検索結果を示すこともハローワークでの「職業紹介」と同様なので、「紹介」の語の使用が不適当とはいえないと思います。--Haruhium(会話) 2014年8月31日 (日) 12:12 (UTC)
- コメント 自費出版ではない――著者がWEB上で出版社の「企画出版」であると述べており、当該出版社は自費出版だけでなく「企画出版」も行っている会社ですから、自費出版でなく通常の意味での出版社による出版(いわゆる「商業出版」)と判断できます。--Haruhium(会話) 2014年8月31日 (日) 12:12 (UTC)
- コメント 特筆性ガイドラインはクリアしている――Wikipedia:特筆性 (人物)で、各分野での人物の「特筆性」について、作家等については「著書が著名な図書館で永久所蔵されている」こと、というガイドラインが示されています。図書館の蔵書検索で調べますと、出雲優生の著書は国立国会図書館に5冊所蔵されているほか、国立大学を含む大学図書館、県や市の中央図書館など国内数十の図書館に所蔵されていますから、このガイドラインをクリアしていると思われます。--Haruhium(会話) 2014年8月31日 (日) 12:12 (UTC)
- 国立国会図書館に著書5冊すべてが所蔵されているのは納本制度によるものであり国会図書館が出雲氏の著書に価値を認めて能動的に所蔵したものではありませんので、「著名な図書館で永久所蔵されている」と解釈することは不適当です。大学図書館に関しては、2大学「しか」所蔵していないと見る方が適切でしょう。公立図書館についても同様です。--Claw of Slime(会話) 2014年8月31日 (日) 12:57 (UTC)
- 確かに納本制度によるものとみるのが自然ですが、自主収集の可能性も否定できませんし、もし納本制度によるもののみだったとしても「著名な図書館で永久所蔵されている」と矛盾するものではありません。また、公立図書館には納本制度はありません。--Haruhium(会話) 2014年8月31日 (日) 13:15 (UTC)
- 国立国会図書館に著書5冊すべてが所蔵されているのは納本制度によるものであり国会図書館が出雲氏の著書に価値を認めて能動的に所蔵したものではありませんので、「著名な図書館で永久所蔵されている」と解釈することは不適当です。大学図書館に関しては、2大学「しか」所蔵していないと見る方が適切でしょう。公立図書館についても同様です。--Claw of Slime(会話) 2014年8月31日 (日) 12:57 (UTC)
- コメント 出典明示について――出雲優生は処女作を発表してまだ数年なので、出典とすべきものがあったとしてもそれを膨大な情報の海から探し出して示せと強要されることには抵抗を覚えます。単に「出典がないから削除」とするだけの安易な方法がWikipediaの本来的な姿勢を示すものとも思われません。これについて参考になるのが漫画家の特筆性について議論したプロジェクト(プロジェクト:漫画家#特筆性)で、そこには次のような記述があります。「しかしこの条件を厳密に適用すると現状では記事の多くが削除対象と成り得るため、本PJでは以下の様な条件に当てはまり、プロとして一定の活動が認められる人物については積極的な削除の対象からは除外しています。・商業出版社から自分名義での単行本が1冊以上刊行されている(自費出版は不可)。」これは漫画家の特筆性についての記述ですが、小説家のそれも同様に考慮されてしかるべきでしょう。当然、執筆者としては良い出典を求めてはいきますが、仕事の合間の作業となるのでいついつと確約することはできません。「まず削除ありき」の姿勢で意図的に策動されない限り、如上の説明で一応問題はクリアされていると思います--Haruhium(会話) 2014年8月31日 (日) 13:15 (UTC)
- コメント Wikipedia:特筆性 (人物)には「いくつかの著名な美術館、博物館、あるいは国際的に価値ある図書館の永久所蔵物の中に見られること」とありますが、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかには「ウィキペディアは現存する、または過去に存在したあらゆる事象のカタログ・名鑑・人名録ではありません」とあることから、多数の書籍を所蔵する国会図書館・大学図書館等に著書が収蔵されていることのみをもって作家の特筆性を保障するという意味ではなく、「
いくつかの著名な美術館、博物館、あるいは国際的に価値ある図書館」において特別な扱いを受けるような「永久所蔵物」の作者に対して特筆性を認めるという意味であると思われます。Wikipedia:削除依頼/サーフライダー (ゲイビデオメーカー)のような例もあることから、存続票が皆無であっても直ちに記事が削除されるとは限らないものの、仮に今回削除されなかった場合でも依然として削除の対象となる可能性があります。ウィキペディアにおける記事の存続を確実なものにしたい場合は、やはり信頼できる情報源が必要となります。--Menetoko(会話) 2014年9月2日 (火) 13:28 (UTC) 一部訂正--Menetoko(会話) 2014年9月3日 (水) 12:12 (UTC)- Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかのお示しの項目は意味内容が明快ではないのですが、「ニクソンの政敵リスト」のようなものはOKとされていますから、そうでない単なる住所録のようなリストの掲載は不可という意味か、あるいは単にある人物の住所や連絡先を記しただけのページは掲載不適当ということかだと思います。「出雲優生」のページはそのどちらにも該当しませんので問題ありません。また、その条項からの連想か、著名な図書館の蔵書リストに著書が入っているだけではだめで、特別な扱いを受ける「永久所蔵物」でなければならないというご意見のようですが、図書館における「永久所蔵」というのは、ある種の雑誌・新聞のように2年間とか3年間とかに所蔵期間を限定する「一時所蔵」に対照する概念で、図書館の所蔵物の大半は「永久所蔵」なのです。少し誤解をなさっているかと存じます。--Haruhium(会話) 2014年9月3日 (水) 10:01 (UTC)
- コメント Wikipedia:特筆性 (人物)には「いくつかの著名な美術館、博物館、あるいは国際的に価値ある図書館の永久所蔵物の中に見られること」とありますが、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかには「ウィキペディアは現存する、または過去に存在したあらゆる事象のカタログ・名鑑・人名録ではありません」とあることから、多数の書籍を所蔵する国会図書館・大学図書館等に著書が収蔵されていることのみをもって作家の特筆性を保障するという意味ではなく、「
- 本項は、最初の行に示されているように、出雲優生の著書を自費出版書籍とする誤解に基づいて設けられたものですから、その誤解が解けた以上は速やかにクローズされてしかるべきと考えます。--Haruhium(会話) 2014年9月3日 (水) 10:01 (UTC)
- コメント 一部私の誤解が含まれていたため訂正いたします。Wikipedia:特筆性 (人物)では「創造的な専門家」について「その者の作品が、(a)重要な記念碑的存在になっているか、(b)重要な博覧会の主要な部分になっているか、(c)相当の注目を集めたか、(d)いくつかの著名な美術館、博物館、あるいは国際的に価値ある図書館の永久所蔵物の中に見られること」とあります。(d)の図書館のみ「国際的に価値ある」という特別な表現が用いられているのは、美術館や博物館と比較して大規模な図書館では蔵書の数があまりにも多いことから、著名な図書館が国外から取り寄せて永久所蔵物とするほどの書籍を著した作家については、特筆性を認めるというような意味合いではないでしょうか。参考までに英語版では"(d) is represented within the permanent collections of several notable galleries or museums"となっております。なお企画出版である論拠はこちらのウェブサイト[1]と思われますが、「大衆文芸賞『直木賞』の非公式サイト」とあることからWikipedia:信頼できる情報源にあたらない可能性があります。--Menetoko(会話) 2014年9月3日 (水) 12:12 (UTC)
- Wikipedia‐ノート:特筆性 (人物)に「創造的な専門家について」の議論がありました。「国際的に価値ある図書館」という表現については、専門図書館やあるいは特別なコレクションに著書が収められているという意味と解釈されているようです。--Menetoko(会話) 2014年9月3日 (水) 12:27 (UTC)
- そのページを拝見しましたが、そう提案した人もいた、ということで議論の結論ではないようです(むしろその議論は「国際的に価値ある図書館」を「著名な図書館」と緩和表現することに投稿者の方々の多くが同意して落ち着いています)。私たちが基準とすべきは現在の基準(そして日本語)となっているものであって、議論中の提案ではありません。そうでなければ、議論はいくらでも可能なわけですから永久に決着がつきませんし、Wikipediaの全ページが、だれかに否定的な提案をされれば、それが議論されているという理由、あるいは事後立法で削除されなければならなくなります。さらにまた肯定的な提案や事後立法でまた全部復帰させなければなりません。大変です。また、企画出版であるという論拠が信頼できないのではないかと言われますが、著者本人がほかのサイトでも公言していますし、出版社は企画出版をしており(同社HPに明記)、著者の言っていることにクレームもつけていないのですから、企画出版と判断すべきなのではないですか。それ以上のものを求めるなら、最近は多数の大手出版社が自費出版サービスも行っていますから、Wikipediaに掲載するにはすべての出版物を検証しなければならなくなりますが、それは不可能です。先の議論の話といい、この企画出版論証の話といい、現状でクリアできているものを、さらに困難または不可能な条件を持ち出して、これを解決できなければダメというのはフェアな態度ではありません。--Haruhium(会話) 2014年9月3日 (水) 13:26 (UTC)
- 前述した「大衆文芸賞『直木賞』の非公式サイト」は立派なウェブサイトであるため、おそらくは内容も正しいのではないかと思われるものの、ウィキペディアにおける情報源としては適していないように思われます。私見としましては、企画出版の書籍が5冊も確認できる作家ならばウィキペディアに記事があっても不自然ではないと感じるものの、多数の削除票が投じられている現状では記事の存続は難しいでしょう。--Menetoko(会話) 2014年9月4日 (木) 10:32 (UTC)
- 正確に言えば、WEB上で何らかの形で「企画出版」と説明されているのは『石神井橋』『咆哮』ですが、それでも十分でしょう。自費出版でないことが説明され、「出典」がない場合の「特筆性」想定規定についても説明された現在では、本項立項当初のような削除票の乱発は解消されているようです。また議論の結論は多数決では決定されないことも当然ながらWikipediaでは明言されています。--Haruhium(会話) 2014年9月4日 (木) 13:09 (UTC)
- 前述した「大衆文芸賞『直木賞』の非公式サイト」は立派なウェブサイトであるため、おそらくは内容も正しいのではないかと思われるものの、ウィキペディアにおける情報源としては適していないように思われます。私見としましては、企画出版の書籍が5冊も確認できる作家ならばウィキペディアに記事があっても不自然ではないと感じるものの、多数の削除票が投じられている現状では記事の存続は難しいでしょう。--Menetoko(会話) 2014年9月4日 (木) 10:32 (UTC)
- そのページを拝見しましたが、そう提案した人もいた、ということで議論の結論ではないようです(むしろその議論は「国際的に価値ある図書館」を「著名な図書館」と緩和表現することに投稿者の方々の多くが同意して落ち着いています)。私たちが基準とすべきは現在の基準(そして日本語)となっているものであって、議論中の提案ではありません。そうでなければ、議論はいくらでも可能なわけですから永久に決着がつきませんし、Wikipediaの全ページが、だれかに否定的な提案をされれば、それが議論されているという理由、あるいは事後立法で削除されなければならなくなります。さらにまた肯定的な提案や事後立法でまた全部復帰させなければなりません。大変です。また、企画出版であるという論拠が信頼できないのではないかと言われますが、著者本人がほかのサイトでも公言していますし、出版社は企画出版をしており(同社HPに明記)、著者の言っていることにクレームもつけていないのですから、企画出版と判断すべきなのではないですか。それ以上のものを求めるなら、最近は多数の大手出版社が自費出版サービスも行っていますから、Wikipediaに掲載するにはすべての出版物を検証しなければならなくなりますが、それは不可能です。先の議論の話といい、この企画出版論証の話といい、現状でクリアできているものを、さらに困難または不可能な条件を持ち出して、これを解決できなければダメというのはフェアな態度ではありません。--Haruhium(会話) 2014年9月3日 (水) 13:26 (UTC)
- Wikipedia‐ノート:特筆性 (人物)に「創造的な専門家について」の議論がありました。「国際的に価値ある図書館」という表現については、専門図書館やあるいは特別なコレクションに著書が収められているという意味と解釈されているようです。--Menetoko(会話) 2014年9月3日 (水) 12:27 (UTC)
- 別記事を立項・加筆することが必然的に当記事についての「出典付の加筆の放置」になるわけではありません。にもかかわらず恣意的にそのようにみなしてそれを理由にペナルティーででもあるかのように削除票を投じられることは、自由な言論行為に対して不当に不利益を与えようとするものであり、重大な権利侵害です。途方シネマズさんご自身のためにも上記ご発言の速やかな撤回を求めます。--Haruhium(会話) 2014年9月4日 (木) 12:06 (UTC)
- コメント うーんちょっと私の表現が悪かったのか、うまく通じなかったですね。削除依頼に提出された記事と言うのは原則一週間でクローズされてしまいます。削除票しか集まっていない時点で他記事を立項し、加筆している暇があるならば出雲優生の記事をちゃんと出典付で加筆しましょう、でないと削除されちゃいますよという意図で書き込みました。言論の弾圧をしようと言う意図は全くありません。私が削除依頼を提出した記事の中ではWikipedia:削除依頼/歌志内興産というのがあります。歌志内興産の記事は削除依頼を提出する前は[このような状態]でした。私はこんな会社知らないし、会社のHPを見てもWikipediaで立項するほどの価値はない会社なんだろうと思い削除依頼を提出しました。しかし、別の方が新聞などを調べ上げ加筆されたため削除依頼を取り下げた経緯があります。出雲優生の記事もこのようにちゃんとした媒体を基に加筆すれば、削除票を投じている方も存続票に転じる可能性もありますよ。なおあなたの書き込みを見ると自分の反対意見については聞く耳を持たないようですので、これ以上私に何か意見をされてもちゃんと対話に応じられる自信はありません。--途方シネマズ(会話) 2014年9月6日 (土) 23:52 (UTC)
- コメント 一部私の誤解が含まれていたため訂正いたします。Wikipedia:特筆性 (人物)では「創造的な専門家」について「その者の作品が、(a)重要な記念碑的存在になっているか、(b)重要な博覧会の主要な部分になっているか、(c)相当の注目を集めたか、(d)いくつかの著名な美術館、博物館、あるいは国際的に価値ある図書館の永久所蔵物の中に見られること」とあります。(d)の図書館のみ「国際的に価値ある」という特別な表現が用いられているのは、美術館や博物館と比較して大規模な図書館では蔵書の数があまりにも多いことから、著名な図書館が国外から取り寄せて永久所蔵物とするほどの書籍を著した作家については、特筆性を認めるというような意味合いではないでしょうか。参考までに英語版では"(d) is represented within the permanent collections of several notable galleries or museums"となっております。なお企画出版である論拠はこちらのウェブサイト[1]と思われますが、「大衆文芸賞『直木賞』の非公式サイト」とあることからWikipedia:信頼できる情報源にあたらない可能性があります。--Menetoko(会話) 2014年9月3日 (水) 12:12 (UTC)
- コメント やり取りの一部がこちらに移されたことでかえって可読性が低下してしまっているんじゃないかという気もしますし、あのようにされてしまうと追加コメントが非常にやりにくくなります(とりあえずこっちに書きます)。Haruhiumさんによる加筆を確認しましたが、そのほぼすべてが{{要出典}}な記述で、存続に意見を変更できるようなものではありませんでした。Haruhiumさんはこの審議をの動きを「削除投票をされた人に私がいちいち説明する中、削除投票が減ってきていた状況」ととらえていらっしゃるようですが、Haruhiumさんの説明を受けても誰も削除票を取り消していない事実は「Haruhiumさんの説明に誰も説得力を感じていない」ということを示しているのではないでしょうか。--Claw of Slime(会話) 2014年9月5日 (金) 07:47 (UTC)
- そうかも知れませんが、そうでないかもしれません。私の印象では、削除票を入れた方は「要出典」という伝家の宝刀に頼るあまり、本質的な議論にあまり関心を向けておられないのではないかいう気もします。Wikipediaは従来の百科事典よりも広く衆知を集めようとするところにユニークな価値があるのであって、一字一句に完璧で普遍的な出典を求めていくと、逆に既成の百科事典に後戻りしていく努力の場になってしまいます。ですから「要出典」ということに、どうすればどれほど柔軟性をもたせられるかという議論こそとても重要な議論なのです。この点を皆さんにもっと意識していただきたいと思います。それはそうと、この議論ページの奇妙な改変に私と同様の反対意見を述べていただいたことには感謝します。--Haruhium(会話) 2014年9月5日 (金) 09:58 (UTC)
- 横からすみません。上のコメントを目にした他の利用者は、「ああ、この人は五本の柱や方針やガイドラインを尊重考慮せずに参加している」という印象を持ってしまいます。現状、記事執筆に際しては、これらの方針やガイドラインが大前提であり、その上での削除審議です。これらの前提に疑義があるのなら、一記事の削除是非以前に、方針や原則の改変を働きかけてください。そうでなければ、誰でも好きな、見た聞いた知っている、紹介したい記事を好きなように書くことができてしまいます。「広く衆知を集める」のはその通りで、ウィキペディアに於いてその「衆知」を裏付けるのが「信頼できる情報源」による「検証可能性」を満たした「出典」です。削除支持者に都度異議を唱える時間があるのならば、彼ら彼女らが黙り込むような「出典」を提示してください。それさえあれば、記事は問答無用で存続です。よろしくお願いいたします。--maryaa(会話) 2014年9月6日 (土) 15:34 (UTC)
- コメントありがとうございます。削除を支持する人々が「黙り込むような出典」はもちろん探しています。ただそういうものがあれば特筆性などについての議論の必要はなく、このような議論ページの意義もなくなるのではないでしょうか。五本の柱や方針やガイドラインの大前提については私は最大限に尊重しており、それゆえそれらが示すWikipedia:特筆性 (人物)などの「明記されたルール」のみに客観的に基づいて記事の存続を主張をしております。ところが削除を主張あるいは支持する方々の多くは「自費出版のようだからダメ」とか「その基準はこういう意味だと思うから適用外」という主観、まさにあなたの言われる「印象」に基づいて立論され、大前提を抽象的に振りかざすだけで、大前提に立脚する具体的なルールを示しても主観と印象で否定してしまっておられるのが現状です。これはルールの無視といえるのではないでしょうか。中には「ほかで何か記事を書いたことは出典探索作業の放置とみなせるから削除」と言論権を侵害する削除票まで入れられる有様で、50回の書き込みだけで与えられる投票権というものに疑義を感じてしまいます(これは余計なことだったかもしれませんが、あえて残します)。いろいろ書きましたが、私の執筆した記事は大前提に基づく「明記されたルール」は、主観や印象に基づくルール無視の主張を排除すれば、クリアしていますので、「信頼できる情報源」による「検証可能性」を十二分に満たした「黙り込ませる問答無用の出典」はもちろん探していきますが、それがないからといって削除されるべきものではないと考えます。--Haruhium(会話) 2014年9月6日 (土) 17:37 (UTC)
- コメント本質的な議論から目を背けているのはHaruhiumさんのほうでしょう。「一字一句に完璧で普遍的な出典を求めていく」ことはWikipediaの三大方針であるWikipedia:検証可能性・Wikipedia:独自研究は載せないを満たす上で理想的な状態です。現実には不可能でしょうが、それを目指していくことが編集者には求められています。「この三方針は議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません」と明記されている方針を前にして「どうすればどれほど柔軟性をもたせられるかという議論こそとても重要な議論」というのは端的に言って的外れです。もっとも本件では「一字一句に~」以前にまともな出典が一つもないわけでして、記事の存続を本気で主張されるのであれば、削除票を投じた私たちが白旗を揚げなければいけなくなるほどの出典を早急に提示してください。削除審議の最低期限である一週間は既に過ぎており、削除票のみが集まっている現状ではいつ削除が実施されてもおかしくない状態です。--Claw of Slime (talk) 2014年9月6日 (土) 16:24 (UTC)
- それはそうでしょう。Wikipediaの三大方針であるWikipedia:検証可能性・Wikipedia:独自研究は載せないを満たす上では「一字一句に完璧で普遍的な出典を求めていく」のは理想的に違いありません。しかし記事はそのために書かれるのではありませんから、常識的に問題ない箇所にまでいちいち出典を求められるとすれば執筆者には過大な負担となりますし、記事も無用な制約を受けます。「砂糖菓子」のページを作りたい人が「砂糖菓子は甘いから甘党に歓迎される」という記事を書いた場合、「砂糖菓子は甘い」に「要出典」、「甘党に歓迎される」にも「要出典」では執筆者はたまったものではありませんから、どこかの百科事典をコピペして使うかもしれないと言っているのです。あなたは『石神井橋』が投資関係の専門書店で取り扱われていることは出典があるから認めても、それがショップで注目されたから、という部分には「要出典」としています。これは上の例で言えば、「砂糖菓子は甘い」は出典があれば認めて、「甘党に歓迎される」は出典がなければ「要出典」とするようなものです。しかし現実問題として「砂糖菓子は甘いから甘党に歓迎される」と当たり前のことを書いた出典など容易に見つかるものでしょうか。一所懸命探せば見つかるかもしれませんが、元来どうしてそんなことをしなければならないのでしょうか。専門書店が、数ある出版書籍の中から『石神井橋』を選んで取り扱うのは、多かれ少なかれこの本に専門書店として「注目」したからにほかなりません。特に、この本は恋愛小説で、この書店が扱うメインのジャンルからはそれているのですが、にもかかわらず取り扱われているのですから、注目もされないのにそうなったと考えるほうに無理があります。仮にものすごく注目されたというわけではなかったとしても、一定の注目は少なくともあったとするのが自然な判断です。もっと、常識と自然な判断ということを考慮して編集していただきたいと思います。そうでなければ何かの「ためにする」「要出典」付けということになります。--Haruhium(会話) 2014年9月6日 (土) 19:43 (UTC)
- 横からすみません。上のコメントを目にした他の利用者は、「ああ、この人は五本の柱や方針やガイドラインを尊重考慮せずに参加している」という印象を持ってしまいます。現状、記事執筆に際しては、これらの方針やガイドラインが大前提であり、その上での削除審議です。これらの前提に疑義があるのなら、一記事の削除是非以前に、方針や原則の改変を働きかけてください。そうでなければ、誰でも好きな、見た聞いた知っている、紹介したい記事を好きなように書くことができてしまいます。「広く衆知を集める」のはその通りで、ウィキペディアに於いてその「衆知」を裏付けるのが「信頼できる情報源」による「検証可能性」を満たした「出典」です。削除支持者に都度異議を唱える時間があるのならば、彼ら彼女らが黙り込むような「出典」を提示してください。それさえあれば、記事は問答無用で存続です。よろしくお願いいたします。--maryaa(会話) 2014年9月6日 (土) 15:34 (UTC)
- そうかも知れませんが、そうでないかもしれません。私の印象では、削除票を入れた方は「要出典」という伝家の宝刀に頼るあまり、本質的な議論にあまり関心を向けておられないのではないかいう気もします。Wikipediaは従来の百科事典よりも広く衆知を集めようとするところにユニークな価値があるのであって、一字一句に完璧で普遍的な出典を求めていくと、逆に既成の百科事典に後戻りしていく努力の場になってしまいます。ですから「要出典」ということに、どうすればどれほど柔軟性をもたせられるかという議論こそとても重要な議論なのです。この点を皆さんにもっと意識していただきたいと思います。それはそうと、この議論ページの奇妙な改変に私と同様の反対意見を述べていただいたことには感謝します。--Haruhium(会話) 2014年9月5日 (金) 09:58 (UTC)
- Haruhiumさんは本当に分かってないのですね。「一字一句に完璧で普遍的な出典を求めていく」のは理想ではなく基本です。「砂糖菓子」の記事を作りたい人がするべきことは「砂糖菓子」にかんする文献A,文献B,文献C・・・・・を読み込んでその内容を要約する事です。その要約が百科事典の記事です。それが検証可能性の方針が言っていることです。「砂糖菓子は甘いから甘党に歓迎される」などと言うことや「砂糖は甘い」ということが文献A,文献B,文献C・・・・・のどれにも書いていないならそれは「砂糖菓子」の説明には不要なわけです。(それが砂糖菓子の説明に必要なら、なぜ「砂糖菓子」にかんする文献A,文献B,文献C・・・・・のどれもが書かないのでしょう?)検証可能性の方針は利用者間の話し合いでどうにかできる文章ではありません。ちゃんと検証可能性の方針文章を読んで下さい。ちゃんと検証可能性の方針文章を読んでそれでも尚、wikipediaの方針に従えないというならHaruhiumさんはwikipedianに参加するべきではありません。
- さらに砂糖は甘いなどというおよそ人間であれば誰でも知っていることと、出雲氏著作のような知っている人を探す事が難しいような事柄とを同列で語る事自体が間違え。--ぱたごん(会話) 2014年9月7日 (日) 01:58 (UTC)
- NDLサーチ、CiNiiの検索結果を信じるならば、国立国会図書館以外で公立図書館の所蔵が三件、大学図書館の所蔵が二件、これは非常に所蔵館が少ないことを意味しているように見えます。またトレーダーズショップでも二作目以降は扱われていなようです。記事については現状WP:NOTESSAYであり信頼できる筋からの評価がありません。『一定の注目は少なくともあったとするのが自然な判断です』とのことですが、その『一定の注目』を担保する資料が出てくるかというとgoogle検索の結果や所蔵館数から見るに非常に厳しいのではないかと。--202.224.70.74 2014年9月7日 (日) 03:56 (UTC)
- Template:大言壮語も貼らせていただきました。削除票を入れた時にもコメントしてありますし、上記の202.224.70.74氏の意見にもありますが、加筆が必要なのは記述内容を「担保する資料」です。何らかの受賞歴であったり、第三者による評価であったり。それが無いのならば、編集者の「独自研究」に他なりません。例えば最後の文、「取り扱われている事実」までは単なる事実なので記述は問題が無いワケですが、その後段「~特筆に価する」は編集者の想像に過ぎません。今の記述をいくら積み上げても、そこに「特筆性」を認めるのは困難です。--KoZ(会話) 2014年9月8日 (月) 00:36 (UTC)