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Wikipedia‐ノート:削除依頼/ロシア人の父称の曖昧さ回避ページ (2019年)

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ファミリーネームに関する項目のあり方について

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お尋ねの件についてですが、「ファミリーネームを記事名として立項する際には曖昧さ回避ページのみが許容される」という明確なルールは、現在の日本語版には存在しないものと認識しております。また私個人としましては、個々のファミリーネームについて、その地理的・歴史的・言語学的説明がなされた記事が増えることを大いに期待しております。

しかし、実際に個々のファミリーネームを記事として発展させられるか、という点に関しましては、個人的に極めて否定的な見方を採らざるを得ません。例えば日本語の姓を見れば、

  • 世帯数の多い「鈴木」姓などは、背景が多様であるため地理的・歴史的説明が困難であり、語源の説明に終始せざるを得ない
  • 希少姓である「勘解由小路」姓などは、その希少性ゆえに氏族としての説明に接近せざるを得ない(現状の記事も「勘解由小路家」との棲み分けが成功しているか疑問)

など、それぞれの事情があって「3行程度しか書くことがない」のであろうと想像します。また、そもそも日本においては姓と地理的要素は深い関連を持っているため、「沖縄県の名字」「東北地方の苗字」のような記事方式で横断的に述べる方がはるかに合理的であるとも考えられます。

一方、ご指摘の「島間網切氏」のような朝鮮語の姓は、実際には姓ではなく氏族に関する記事であるがために、(そして幸いにも島間網切氏の持つ歴史的特異性によって、)辛うじて体裁が保たれているように見受けられます(この点、現状「Category:朝鮮語の姓」と「Category:朝鮮の氏族」の両カテゴリは運用に失敗していると言わざるを得ません)。また、朝鮮語の姓が記事として成立させやすいのは、その文化圏が現代においても本貫(氏族的要素)を重視するという背景も多分にあるように思われます。

いずれに致しましても、Wikipedia において記事として発展を遂げられるのは「氏族」に関する項目であり、「個々のファミリーネーム」に関する項目には(私の願いとは裏腹に)曖昧さ回避ページとしての役割しか期待することができない、というのが私見です。--Arvin会話2019年2月2日 (土) 16:02 (UTC)[返信]

ファミリーネームによる曖昧さ回避の要不要は、文化圏によって弁別され得るか

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ここからはまったく別の話となりますが、現状の Wikipedia日本語版においては、「日本の人物を姓によって曖昧さ回避する」ことは認められておりません(「鈴木」ページにも、鈴木姓を持つ人物がずらずらと列挙されてはおりません)。しかしながら、日本語以外(とりわけヨーロッパの言語)においては、ファミリーネームを項目名として曖昧さ回避ページを設置することが、ごく一般的に行われております。文献などにおいて、人物がファミリーネームのみで言及されることが頻繁であることを鑑みれば、「ペトロフ」のような曖昧さ回避ページの有用性は疑うべくもありません。

であるなれば、果たして「日本語の姓による曖昧さ回避」を認めないことに合理性はあるのでしょうか。文献などにおいて、東アジアの人物が姓のみで言及されることは、その他の文化圏の人物に比して少ないとはいえ、決して無視できる頻度ではなく存在するのではないでしょうか。

※この節の内容につきましては単なる繰り言であり、私も議論を本格的に進展させるつもりはございません。無視して頂いて結構です。--Arvin会話2019年2月2日 (土) 16:02 (UTC)[返信]