Wikipedia‐ノート:削除依頼/ノート:特定都区市内
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1部
[編集]Wikipedia:削除依頼/ノート:特定都区市内、rev. 2007-05-29 14:22:46よりNCZさんの長文コメントを移動しました。--ikedat76 2007年5月29日 (火) 14:48 (UTC)
- (釈明意見)Wikipedia日本サイトにおける「本名」と言う定義に難点があるのではありませんか?
歌手などの「表に出す名=芸名」、「本当の名=本名」とは異なり、2人の管理者は「表に出す名前=本当の名=本名」としてインタビューに答えておられますので、
本名を使うにあたり「積極的」、「消極的」の区分けは存在しないと思います。
まして、このノートはそれこそ、基本的に「積極的に一般公開」されてはいる訳ではありません。
まして、この「ノート」を訪れるのは基本的にWikipediaの執筆仲間です。
いわば、これは「身内の語らいの場」と言えますので、「プライバシー・著作権侵害」等とはその性質を異にすると考えるべきでしょう。
実際、例えば歌手の「木村カエラ」さんの日本コロムビアのHP
コロムビアミュージックエンタテインメント 木村カエラ
プロフィール
には、
生年月日:1984年10月24日
出身:東京都
また、彼女の公式Webサイト「KAELA WEB」
KAELA WEB
Biography
には、
1984年10月24日 生まれ
出身 東京都
趣味 服をつくること、ギター、ピアノ
と画面表示されており、特に彼女の本名はありません。
それこそ「積極的に本名を公開してない、使っていない。」に該当します。
ところで、Wikipedia日本サイトで木村カエラを検索すると。
本名の 木村 カエラりえ (Rie Kaela Kimura)
が記載されています。
更に、父親、母親、他多数の事項が記されています。
この様なパターンは木村カエラさんに限定されないと思われます。
木村カエラさんの実名等がWikipediaで公開されるのはOKだが、Wikipediaの管理者については、たとえインタビュー記事まで出していても「NO!」だと言うのには矛盾があります。
更に、ikedat76 さんなどWikipediaの執筆者は、何か意に添わないと、やたら「投稿ブロック」と言う言葉で圧力をかける姿勢に出ます。
これはWikipediaの構築を守るためのものである事はわかりますが、同時にWikipediaの悪い点でもあります。
このサイトは「フリー百科事典」と称される多人数自由参加型の百科事典です。
細かな規則はおおまかな、「たてまえ」として扱い、ある程度の自由度を持たせるべきでしょう。
現状を見る限り、このサイトの常連執筆者、及び、管理者サイドの対応姿勢は「2ちゃんねるの管理者」、「まちBBSの管理人」レベルにも見えます。
意に添わない書き込み・記事は、あらゆる規定を適用してでも排除しようとする姿勢が強く見られる感があります。
本家のアメリカサイトには、日本サイトの様な細かい規定も、また、排他的対応も殆ど無いものと思われます。
これはWikipedia日本サイトにおける大きな課題であると言えましょう。
確かに、この日本Wikipedia日本サイトには細かな規定があります。
しかし、このサイトが日本国内における利用を前提として開設されています。
日本国内における、全ては我が国における最高法規である「日本国憲法」に従わなくてはなりません。
Wikipedia日本サイトにおいて定義される各種規定による拘束的対処行為も、我が国における最高法規である「日本国憲法が規定する言論・表現の自由」の条文に反するものであってはなりません。
勿論、自由には責任が伴ないますので、それが日本の社会に危害・悪影響を及ぼさない事が絶対条件となる事は申し上げるまでもありません。
この観点に立つならば、Wikipediaにおける執筆文は社会的良識から判断して正しいものであれば、Wikipedia日本サイトはこれを受け入れる義務があるのでは?と考えられます。
宜しく善処願います。
--NCZ 2007年5月29日 (火) 13:53 (UTC)
この版より審議に無関連なコメントを移動。--ikedat76 2007年5月29日 (火) 17:09 (UTC)
miyaさん 御助言有難うございます。
ここ数日Wikipediaの世界を拝見させて頂きました。
それにしても、Wikipediaにこれだけ多数の規定があるのには驚きました。
各種規定には、それなりの意味合いがある事は解ります。
しかしながら、その解釈の仕方によっては執筆者に対して著しい拘束・圧力をかけかねない性質のものとも見受けます。
更に、各種規定の効力に対する認識度も人により異なる様にも思えました。
Wikipediaの規定とは言えども、それを作ったのは「人」です。
人である限り「絶対・確実」と言う事はあり得ません。
僭越ながら、Wikipedia日本サイトの管理体制(一部の方であるかも知れません)は各種BBSにおける管理人の様なレベルの意識で行なわれている感は否定できません。
Wikipedia日本サイトは、まだ6年と歴史も浅く、また、日本の社会にも十分に浸透しているとも言い難いと思います。
より多くの方々がこのWikipedia日本サイトを訪れる様になれば、このサイトのあり方も変わって来るものと思います。
それに合わせて、Wikipedia日本サイトの規定の運用方法も改訂されて行くものと思います。
現段階としては、Wikipedia日本サイトの管理体制はには、やや、拘束的、また、個人別的な偏りの念を抱かせるものがあると見受けます。
私は素人ゆえ、Wikipediaの各種規定を完全網羅・理解・履行する事は至難の業と考えております。
それゆえ、Wikipedia日本サイトの活用国である、我が日本国の最高法規である日本国憲法の理念をもって、社会的通念・良識的観点にそぐう正しい記述であるなら、
Wikipedia日本サイトは認めるべきではなかろうか?と申し上げた次第であり、これが大きく道を反れる事は無いものと認識しております。
。
--NCZ 2007年5月29日 (火) 16:03 (UTC)
2007-05-31 12:29:22版よりコメントを移動。
- サーバーがアメリカにある事は解りますが、利用する人々の大半は、日本に国籍を置き日本に居住しています。
- この観点からすると、Wikipedia日本サイトを利用する日本国民、及びWikipedia日本サイトの諸規定を作成した人々は、日本国憲法に批准しなくてはならないでしょう。
- もっとも、日本国憲法自体がアメリカにより作成されていますので、「日本国憲法≒アメリカ憲法」とも解釈できます。
- ここでWikipedia日本サイトが、アメリカの法律に拘束されると言うのであれば、「Wikipedia日本サイトはアメリカ憲法に批准するべき」と解釈する事もできます。
- アメリカの法律解釈も日本と同様であると言えましょう。
- さて、このWikipedia日本サイトの厄介な各種規定ですが、
- 概して「規定・規則」と言うものはこのWikipedia日本サイト及び利用者を生かすために存在するものであり、Wikipedia日本サイト、及び利用者を拘束する事を意図とするものではあり得ない筈です。
- ここ一連の経緯を拝見する限りWikipedia日本サイトでは、「研究」、「偏見」等の概念が安易に使われすぎる感があります。
- 確かに百科事典の内容に強い偏りがあるのは好ましくないと思います。しかし、この規制が余りにも強過ぎると、新しい情報・知識等を収載する機会を閉ざす事にも繋がりかねません。
- Internet Encyclopedia の特徴である多人数参加による幅広い情報収載の機会を潰す要因となり得ます。
- ある程度の緩和的対応も求められるのでは?と考えられます。
- しかし、その緩和の基準を如何に置くかがまた問題ともなり得ます。
- 今、申し上げられる事は、記事の内容がこの日本社会の通念として受け入れられるものであるなら、Wikipedia日本サイトへの執筆を認めるべきであると思います。
- 現状のWikipedia日本サイトの執筆者方々の認識を察する限り、どうもその規則基準が「2ちゃんねる」、「まちBBS」等、各種BBSの削除人レベルと類似している様に見えます。
- 特定の人が作った、いわば「閉鎖的・排他的規則」により、少しでも意にそわない記事があった場合は、即時に包囲網が如き圧力で押し潰し、更には「投稿ブロック(=アク禁)」なる制裁的手段で排除するが如き対処となっている様に思えてなりません。
- これで本当に良いのでしょうか?
- また、管理者の件に関しては、他の管理者方々が如何にお考えかは存知上げませんが、あの両管理者の方々に関しては、現状を鑑みる限り、それ程厳しい規制措置の対象とはなり得ないのでは?と認識しております。
- 実際、私としては、両管理者の氏名記載により、彼らの権利を侵害する事を目的とはしておらず、社会的良識による投稿の正当性の根拠を示すための引き合いとして引用させて頂きました。それ以外の他意はありません。
- 宜しく御願いします。
- --NCZ 2007年5月30日 (水) 17:31 (UTC)
- この closed area である Wikipedia 日本サイトの各種規定・各執筆者の観念等がどれだけすごい権威を持つのかは知りません。
- 我が日本国の社会的通念・良識で判断し、多くの日本国民がそれを認めるのであれば、やはりそれが全てに優先されると考えるべきでしょう。
- そうであるなら、この日本では問題は無い筈です。
- --NCZ 2007年5月30日 (水) 17:46 (UTC)
- 両管理者方々のインタビュー記事はYahoo!JAPAN検索の上位に位置しており、既に以前から多くの人々が知る所である事はどなたでもおわかりでしょう。
- 確かに両管理人方々は木村カエラさんみたいな著名な歌手・芸能人ではありません。
- よく、各種雑誌のコラム記事において、特定のテーマに焦点を当てた、それこそ「時の人」みたいな感じでインタビュー記事に出る方々がおられます。
- 各種BBS、その他のメディア媒体等における話題として投稿文書に取り上げられる場合はしばしば見受けます。投稿者は特に「侵害」を目的として実名取り上げるのではなく、その投稿文に真実性、重厚性を持たせる事を意図としているものがその多くでしょう。
- これを「侵害」等と呼ぶ事は聞かれません。
- 両管理者方々のインタビュー記事もこれと同類と言えます。
- 今回のインタビューに登場したWikipedia日本サイト管理者は、多分、代表的な管理者であるものと思われます。
- インタビューに出演したのも、我が国におけるInternet Encyclopediaの躍進・充実を期しての事であるでしょうから、当然、日本全国に御本人の存在等が知れることを御承知の上での筈です。
- また、前述の通り、私も特に「侵害」等を目的としておりません。
- 通常の社会的概念において、この事は両管理者方々も御理解頂けるものと思います。
- --NCZ 2007年5月31日 (木) 06:40 (UTC)
- 客観的に見て、「Wikipediaのルール自体」及び、「Wikipediaのルールの適用」のどちらも同意義と解釈できます。
- 両者には差異は存在しないものと思われます。
- 私が両管理者名を記したのは、発端となった「(川)川崎市内」に関する記事を半ば意図的にWikipediaの規定に反するとして一方的に削除を主張する執筆者がおられたため、やや不当的とも受け取れる措置に対して、説得力のある釈明をする観点から、
- 「実在するインタビュー記事に前向きな姿勢で応じられているWikipedia日本サイトにおける代表的と見受けられる両管理者方々も、社会的良識的観点、及び多くの日本国民による賛同が得られる記事であれば、きっとWikipedia日本サイトの記事として認めて下さるであろう。」と言う意味合いでインタビュー記事より引用させて頂きました。
- 尚、頻繁に「プライバシー」と言われますが、インタビュー記事は両管理者氏名と写真画像のみを公開しており、それ以外のものは一切公開してはおりません。
- 私としては、インタビュー記事内容の範囲でノートに記させて頂だきました。
- 更に、このノート自体、積極的に日本全体に公開されている訳ではありません。ここに来る人々はおよそ限られております。
- また、既に、両管理者が事実上WEB公開している現実からも、これはプライバシー侵害にはあたらないと考えられます。
- およそ、日本国内の法律にも、またアメリカ国内の法律にも反する性質のものではないと思います。
- 通常良識レベルでのノート記載と申し上げるべきでしょう。
- 客観的に見て、このWikipedia日本サイトの反応は過敏的な感があります。
- それこそ臨機応変・柔軟なWikipedia日本サイトルールの適用が望まれると思われます。
- --NCZ 2007年5月31日 (木) 12:28 (UTC)
- お願いですから、結論ありきで話を進めるのは止めてください。--ゆきち 2007年6月1日 (金) 09:38 (UTC)
2部
[編集]- NCZさん、表示は日本語ですが、ウィキペディアは「日本のサイト」ではありません。サーバも母体もアメリカにあります。日本在住の参加者が多いので、日本の法規も尊重していますが、あくまで「日本語版」であって「日本版」ではありません。
- ウィキペディアは参加型プロジェクトとして百科事典を編纂するために、基本方針による一定の縛りを設けています。その基本方針は、ウィキペディアにとっては日本国憲法よりもはるかに重要なのです(というか、日本の憲法はウィキペディアには関係ない、と言っても良いでしょう)。基本方針が理解できない間は、無理をなさらない方が良いと思います。たとえ日本国憲法の理念に沿っていようとも、ウィキペディアの基本方針にそぐわなければ、その人の加筆や主張は受け入れられません。
- たしかに色々な決まりがあって分かりにくいと思いますが、最低限、Wikipedia:五本の柱、Wikipedia:中立的な観点、Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:独自研究は載せないをお読みになってください。ウィキペディア上においては、日本国憲法よりもこれらの基本方針のほうが肝心だ、ということです。--miya 2007年5月30日 (水) 10:26 (UTC)
プライバシー侵害かというと、どちらの実名も、ウィキペディア上のHNと結びつけて書かれたわけではないので、微妙なものがあります。ただ、ウィキペディアでは履歴にずっと残りますし、書かないほうがよかったんじゃないかと思います。
また、あそこでお二人の名前をあげても、NCZさんの主張にはなんのプラスにもなりません。かれらもまた筋金入りのウィキペディアンですから、検証可能性の低い記述や独自研究には容赦ないはずです。また、仮に二人が賛成したとしても、50人以上いる管理者のうちの二人、にすぎませんし、インタビューに答えているからといって、ウィキペディア日本語版の代表者というわけでもありません。ウィキペディアは壮大なバザールなのです。--miya 2007年6月1日 (金) 15:05 (UTC)
ウィキペディアは百科事典ですから、書いて良いことと書くべきでないことを基本方針で定めて、ひろく一般に認められたことのみを書くよう求めております。「編集者個人の意見」や「編集者オリジナルの知見」は本文には書かないことになっています。日本国憲法が認めていても、「表現の自由」の実行はウィキペディアではなく、外部掲示板や個人ブログなどでお願いします。(コメント依頼に書くべきかもしれませんが、続きですのでここに。あとでまとめてあちらに転記します)--miya 2007年6月1日 (金) 15:17 (UTC)
- バザール方式が「参加者の独自性を尊重すること」とするとのお話しですが、どうも矛盾がある様に見えます。
- 「書いて良いことと書くべきでないことを基本方針で定めて~」のWikipediaの理念は既述の通り、その運用次第では「新しい情報・知識等を収載する機会を閉ざす事」に繋がる要因をも含みかねません。
- 問題は基本方針の運用する者の姿勢にあるのではありませんか?
- 運用する者が閉鎖的・排他的姿勢が強ければWikipedia日本サイトは固定観念に縛られたclosed web site となりましょう。
- それこそWikipedianと言う特定の人々のみが良しとする記事に限定された「矮小的な空間」ともなり得ません。
- 概して、新しい情報・知識というものは最初は、当然誰もが認めるものではなく、むしろ異質的に受け取られ易いものと言えます。
- イタリアの有名な科学者「ガリレオ」を知る人は多いと思います。
- 彼は「地球は動いている」と言う持論「大きな誤りだ」として、宗教界から厳しく迫害された事は有名です。
- しかし、現実として、ガリレオが正しかった事は誰もが認めるところです。
- ガリレオまでとは行かずとも、それこそWikipediaのイメージマークデザインとも言える「グローバルな機知をパズルの如く繋ぎ合わせる知識の空間」を構築するための幅広い視野もまた必要なのではありませんか?
- 今回の論議の発端となった「(川)川崎市内」の記事は確かに余り知られてはいないかも知れません。
- しかしながら、既存の「(福)福岡市内」、「(広)広島市内」の「飛び地市内駅」の実例を「横浜-川崎間内」、「(浜)横浜市内」の設定背景を踏まえた上で、事実に基づきそれなりに筋を通して記したものであり、多くの日本国民の理解も得られる記述内容と言えます。
- 多くの日本国民が認めるのであればWikipedianも受け入れるべきではないでしょうか?
- また、Wikipedia日本サイトは日本国憲法軽視の姿勢をお持ちの様ですが、これにはやや「アナーキー=無法的」イメージがあり、疑問と言えます。
- Wikipediaにもそれなりの規定がある事はわかりますが、
- 真正面から日本人のWikiedianが我が国の最高法規である「日本国憲法」の条文をないがしろにするとも受け取れる姿勢は如何なものでしょうか?
- --NCZ 2007年6月2日 (土) 14:58 (UTC)
日本国憲法は個人を拘束する法律ではありません。--ゆきち 2007年6月3日 (日) 11:33 (UTC)
- 個人を拘束と申し上げると語弊があるかも知れません。
- Wikipedia日本サイトの姿勢が日本国憲法の理念に反するものであってはならないと言う事を申し上げさせて頂きました。
- --NCZ 2007年6月3日 (日) 13:08 (UTC)
- 日本国憲法を出すのは飛躍のし過ぎだと思います?憲法は公権力と個人・団体との関係を規定したたものというのが定説だったはずで、それも裁判所で違憲だと認めた場合に限るはず。Wikipediaのようなウェブサイトを対象にしていません。また、憲法で指す言論の自由というのは公権力などが検閲や実力行使などで抑制してはならないということであり、個々の会社・団体・サイト内ですべて保障するものでもないはずです。
- Wikipedia日本サイトにおいて定義される各種規定による拘束的対処行為も、我が国における最高法規である「日本国憲法が規定する言論・表現の自由」の条文に反するものであってはなりませんと仰っていますが、それは他所のブログやサイトなどで表現すればいいだけのことであり、何ら言論・表現の自由を侵害してはいません。
- そもそもNCZさんは自分の投稿が多くの国民の理解を得られるものだと信じて疑わないようですが、それが甚だ疑問です。例えば、何か証拠があったとか報道がこれだけあったとか統計や世論調査でこういう結果が出たというならいざ知らず、出所が曖昧でそれ以外の資料もあやふやでは、事実だ正しいんだと言われてもWikipediaに限らず俄かには信じられません。卒業論文でもある程度信頼できる情報源に基づくデータや証拠を出すように求めらるものですよ。--↑PON(ウエポン) 2007年6月3日 (日) 13:58 (UTC)
- Wikipedia日本サイトが日本国内のWikipedianにより執筆されている現状を踏まえれば、
- その運用姿勢も日本の法律に準拠するべきです。
- また、多人数のWikipedianにより運用されている現実を鑑みるなら、それこそ一種の団体的存在としても位置付けられるのではありませんか?
- ところで、 >それは他所のブログやサイトなどで表現すればいいだけ~
- と言う事は、Wikipedia日本サイトは「言論・表現の自由(新たな知識・情報の加筆)を迫害するサイト」となりますが、本当ですか?
- 尚、私の記事が全ての日本国民からの賛同を得られるか否かは解りません。
- しかしながら、事実に基づき、それなりに筋を通した文面であり社会的良識から大きく逸脱するものでない限り、日本の法律に反する事はありません。
- Wikipedia日本サイトもこれに批准し、認めるべきであると思います。
- --NCZ 2007年6月3日 (日) 16:55 (UTC)
- いい加減黙ってください。あなたが日本国憲法や日本国の法律とウィキペディア日本語版(ウィキペディア日本サイトに非ず)との関係をどのように考えようと勝手ですが、それを人に押し付けないこと。「運用姿勢も日本の法律に準拠するべき」とお考えであれば方針の改訂を提案しなさい。--端くれの錬金術師 2007年6月3日 (日) 17:26 (UTC)
- 『客観的に見て、「Wikipediaのルール自体」及び、「Wikipediaのルールの適用」のどちらも同意義と解釈できます。両者には差異は存在しないものと思われます。』(1部NCZ)
NCZさん、これ↑は本気ですか? 国レベルなら、立法機関と司法機関を同一視していることになりますが...。このノートはWikipediaの司法機能にあたり、Wikipediaの方針というルールを適用して、みなさんの合意により決定がなされています。Wikipediaの立法機能にあたる「方針を議論する場」は別にあるので、そこでの議論をお願い致します。
蛇足ですが...、「批准」という言葉の使用法が誤ってますよ。国家のレベルにおいて、下の人たちが決めてきたものを上の人たちが承認することを「批准」と言いますが、「Wikipedia日本サイトが批准」(NCZ)では、日本国憲法が下で、Wikipediaが上になり、NCZさんの主張と反対になります。辞書で確認を。もね~るmoner 2007年6月3日 (日) 19:40 (UTC)
- 『客観的に見て、「Wikipediaのルール自体」及び、「Wikipediaのルールの適用」のどちらも同意義と解釈できます。両者には差異は存在しないものと思われます。』(1部NCZ)
- >Wikipedia日本サイトは「言論・表現の自由(新たな知識・情報の加筆)を迫害するサイト」となります
- どうしたら、そういう考えになるのでしょう?ここで表現されなくてもネット上で表現する手段は幾らでも残されているわけで、NCZさんの「言論・表現の自由」は全く侵害されていないのです。例えば、政治団体のサイトやブログ、新聞社のサイト(読者投稿コーナー)などでは投稿時に審査され意に沿わない意見などは排除されてますが、だからといって言論の侵害になるとは聞いたことがありません。
- >事実に基づき、それなりに筋を通した文面であり社会的良識から大きく逸脱するものでない限り、日本の法律に反する事はありません。
- 裁判などでも証拠を出さなければ事実として認められないように、NCZさんは立証責任を十分に果たしてるようには見えません。Wikipediaでは出典の明示を強く求めていますが、Wikipedia以外でも証拠を出さなければ真偽の判定ができず事実と認定されることは稀でしょう。NCZさんは憲法や法律、そしてWikipediaの方針を自分の都合のいいように拡大解釈しているように思えてなりません。--↑PON(ウエポン) 2007年6月3日 (日) 20:04 (UTC)
- >「運用姿勢も日本の法律に準拠するべき」と~
- これは日本人のWikipedianにより作成されたWikipedia日本サイトの規定を改定する事を意味しているのではありません。
- Wikipedia日本サイトを運用するWikipedianの姿勢のあり方を、より flexible にし、より幅広い知識・情報の収載機会の道を開いて頂きたいと言う意味合いです。
- >「立法機関と司法機関を同一視」~
- この解釈は今ひとつ釈然としません。
- ここで、立法機関(国会)、司法機関(最高裁)等に分けて考えてみても、一連のWikipedia日本サイトの対応を鑑みると、本サイトは、一部のWikipedianにより統括される closed web site である事に変わりは無いと思われます。
- Wikipedia日本サイトを1つの「国」に喩えての表現なのだろうとは思いますが、それなら「行政=内閣」に相当するのが「管理者」と言う事なりましょうか。
- 尚、Wikipedia日本サイトに「三権分離の原理」が存在すると定義されるなら、Wikipedia日本サイトは「1つの国家に相当する性格を有する組織」と言えましょう。
- ところで、国際連合が決定した条約に各国が従う事を「批准」と言います。
- そうなると、Wikipedia日本サイトが、それこそ国家的性格を持つ組織と位置付けるのであれば、Wikipedia日本サイトで活動する日本人のWikipedianは日本の法律を尊重、批准し、従わなくてはならない様に見えます。
- >「言論・表現の自由」~
- これは、新しい知識情報をWikipediaの記事として記述する機会をWikipedia日本サイトが狭義・排他的基準により閉ざし、Internet Encyclopedia の特色である多人数参加による広範囲な知識・情報の収録を不可能にする事を意味する様に見えます。
- 新聞社にも新聞記事掲載に関わる基準は存在すると思われますが、Wikipedia日本サイトの基準は、これとはその性質を意にしている様に見受けます。
- 事実に基づき、それなりに筋を通した文面であり社会的良識から大きく逸脱するものでなければ認められるべきではないでしょうか?
- >証拠を出さなければ真偽の判定ができず~
- これはもっともな事と言えます。
- 一連の投稿において証拠・出典と強調されておりますが、私の投稿記事は、実際にテレビ・ラジオ・新聞等で広く万民に対する「既報の事実」ですので、それ程、議論する程の問題でもないと思われます。
- 実際、国会の議事録に関連する記録が存在した事からもその真実性は容易に推察できます。
- 最大の障害壁は、私に異論を唱えるWikipedian方々が、報道当時、それなりの年齢に達していないため、私の記事を事実として認識できない事にあると考えられます。
- 尚、閲覧すだけに、このWikipedia日本サイトを訪れるROMの方々の中には、私の記事が真実である事を十分に認識している方々も多くおられると思います。
- それなりの年齢に達している多くのROMの中で事実を知る方々は、この限られたエリア内での論議を御覧になり、どの様に思われているのでしょうか?
- 様々なお考えがある事はわかります。
- しかしながら、現状としてWikipedia日本サイトが一般の人々にとっては参加・執筆しにくく、排他的性格がやや強いと見られる、Wikipedianのためだけの closed web site に思える人々は多いのではないでしょうか?
- --NCZ 2007年6月4日 (月) 13:24 (UTC)
2007-06-03 22:00:28版よりコメントを移動。--ikedat76 2007年6月4日 (月) 15:56 (UTC)
- (コメント)様々な御考えがあるとは存じ上げますが、この日本は法治国家です。このWikipedia日本サイトのWikipedianは日本人であり、また日本国内の端末操作により記事編纂を行なっています。インタビュー記事への掲載実例、私が引用した意図、その他一連の経緯を踏まえた上で、日本の法律に違反するか否かで御判断頂きたいと思います。しかしながら、もし「Wikipedia日本サイトは日本の法律は無視する」と言う御意見が大勢を占める様であると、Wikipedia日本サイトはWikipedianのみにより統括される日本の法律に対してはアナーキー(無法主義)的な closed web site とも位置付けられかねません。Wikipedia日本サイトは昨今、日本国内のテレビニュースでも(良いイメージで)話題にも取り上げられております。そのイメージを崩すが如き「排他・閉鎖・偏見的主義」とも見られかねない姿勢は善処頂きたい次第です。宜しく御願いします。--NCZ 2007年6月3日 (日) 01:03 (UTC)レイアウト修正Bellcricket 2007年6月3日 (日) 22:00 (UTC)
注記 — ここに転記されたコメントの投稿者user:NCZは、無期限ブロックとなりました。--ikedat76 2007年6月4日 (月) 15:56 (UTC)