コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

Wikipedia‐ノート:削除依頼/アウンサンスーチー

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

(Szk7788さんへ)「著作物」とは「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」(著作権法2条1項1号)ですよね。そして「著作権」は、著作物を作った人だけに与えられる権利であり、著作権を持っているからこそ、他人による無断転載を禁止できるわけです(著作権法21条~28条)。

したがって、新聞記者が文章を作成したところで、それが「著作物」でなければ、他人による無断転載を禁止できません。文章が「著作物」であるか否かは、その文章が「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」であるか否かで決まります。つまり、文章の作成者の意向(毎日jpでの主張)とは関係なく、あくまでも作成された文章の内容によって客観的に決まってしまうことがお分かりになるかと思います。

転載が発見されたときに、著作権侵害であるか否かを判断するためのフロー(ファイル:Copyright infringement judgement flow chart.png)も作成しているので、ご参照ください。和栗のモンブランさんは、図中の(1)で著作物ではないから、最も左にある矢印を通って、著作権侵害ではないと判断しています。一方で、毎日jpの表示は、図中の(3)や(5)での判断材料にしかなりません。したがって、著作物ではないという主張に対し、毎日jpの表示を持ち出しても、まったく噛み合わないことがお分かりになるかと思います。

Wikipedia:削除依頼/中央新幹線 20101114において、さっそくSzk7788さんの発言を引いて、他人に誤った注意をしてしまっている残念な方がいらっしゃいます。誤解はこうして広まってしまいますので、ご注意いただければと思います。「新聞報道は一般に著作物ではない」という見解は不適切であることには変わりません。「新聞記事の多くは事件の選択,情勢分析,評価,文章上の工夫等が加わっているため、思想・感情が表現されており,著作物性を認めるべきである」(中山信弘『著作権法』(有斐閣、2007年)、38頁より引用)というのが、それに対する正しい反論だと思います。--ZCU 2010年11月17日 (水) 15:07 (UTC)[返信]

コメント ご高説ありがとうございました。ZCUさんのお考えによれば、本依頼において特定版削除票を投じている皆の判断が間違いであるということでしょうか。今後の確認の為にお伺いしますが新聞報道の転載は著作権侵害に当たらないという認識で良いのでしょうか。--Szk7788 2010年11月17日 (水) 15:36 (UTC) 一部取り消し。--Szk7788 2010年11月17日 (水) 17:10 (UTC)[返信]
コメント 一体どこをどう読んだらそういう解釈になるのでしょう。ZCUさんは、本依頼での特定版削除票投票者が間違いとは言っていませんし、「新聞報道の転載は著作権侵害に当たらない」とも言っていません。これだけ丁寧に説明されても理解できず、まったく逆の解釈をしてしまうようでは、こういった削除依頼への参加はご遠慮いただきたいと思います。「新聞報道の転載」というだけで判断することが間違いなのですよ。『新聞報道は一般に著作物ではない』も『新聞報道の転載は著作権侵害』も誤りなのです。そして、「無断転載禁止。著作権は当社にあります」などと書かれているものが、本当に著作権を持つとは限りません。--氷鷺 2010年11月17日 (水) 16:43 (UTC)[返信]
コメントすみません、私の解釈が誤っていました。お詫びします。--Szk7788 2010年11月17日 (水) 17:10 (UTC)[返信]
ええっと、私もコメントした方がよろしいですよね?著作権法10条2項で「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道」は著作物に該当しないと規定されています。したがってここにいう「報道」に該当すれば、著作物ではないので、著作権侵害はありえないのです。なお「新聞報道」には、社説やエッセイ欄、連載小説などは含まれません。日本は制定法主義ですので、条文を最優先で考える必要があります。この問題は最高裁判例もないようですし、条文から解釈するしかないでしょう。よく著作物の説明として、著作物ではない物の例として新聞報道が挙げられます。これは、上記条文の「報道」に忠実な「報道」であることが多いからでしょう。私は「新聞報道は絶対に著作物ではない」と主張するつもりはありませんが、「新聞報道は一般に著作物ではない」と考えております。「一般に」とは例外を許容する表現です。どのような報道文が著作物に該当するかは、さじ加減的な要素があって、どこまで著作物とするかは識者でも見解が分かれるかとは思います。私はもう片方の削除依頼では存続票を投じたのに、こちらではコメントにとどめています。これは、こちらの方が著作物性を認める余地が相対的に大きいかなあと考えたからです。--和栗のモンブラン 2010年11月18日 (木) 08:48 (UTC)[返信]
「事実の伝達にすぎない」というのは、少なくとも和栗のモンブランさんが考えているよりも限定的なものです。社説やエッセイ欄、連載小説などを除いた「新聞報道」についてもその事実の取捨選択、表現などによって「著作物」となり得ます。日経産業新聞などの記事の抄訳を提供していた会社が訴えられた「コムライン事件」では、『新聞の報道記事のほとんどは、その中に盛り込む事項の選択、記事や論理の展開の仕方、文章表現等に創作性がある。』という判断が東京地裁によって示されています。--氷鷺 2010年11月18日 (木) 09:46 (UTC)[返信]