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Wikipedia‐ノート:中立的な観点/過去ログ3

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NPOV・中立的観点・中立的な観点は日本語でわかりにくい

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(節移動しました --Aotake 2007年6月25日 (月) 06:52 (UTC) Aotakeさん移動ありがとうございます。ページの整形化等ご苦労様です。

この言葉をめぐる二つの 観点(視点)

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観点(視点)① (善意では書いているが、現在の「中立的な観点」の表記に対して批判的な観点(視点))
英語のNPOVは「意味と概念」が日本語の「中立的観点・中立的な観点(以下中立的観点と略します。)」の言葉とは異なって受け取られそうです。翻訳上の問題はありそうです。 point of viewはそのまま視点と訳したほうが良さそうです。どうやら、Neutral Point of View の意味と概念は、「記述の視点を明確にさせて殆どの人が検証を行え、答えやその他のことが選びようがないこと」を背景としており、科学技術の方法・概念と似ています。そもそも他の方針と一緒に理解しないと意味を持たないかもしれません。  このようなことを考えると、この日本語訳は本来の意味と概念が伝わっていないと思われます。基本方針の意味と概念が伝わらないとなれば百科辞典としては基本的で決定的な欠点だと考えられます。観点だと意見を含んでいるような印象を受けそうです。視点であれば見方だけで本来の意味がとおりそうです。他にも視点としたほうが良い理由はありそうです。  誤解を恐れず意訳すれば「(まずは、どれが正しいか判断せず、肩の力を抜いて)曇りのない目で見た新しい百科事典を創るための視点」だと考えます。NPOVもこの事典の中だけで通用する言葉です。このコミュニティ(ウィキぺディア内)の中だけでしか通用しない単語なども、Neutralとは考えにくそうです。このような使い方を百科事典として使うのは好ましくないと考えられます。中立もNeutralの訳では違和感はあります。中立だという判断(ジャッジ)を含みそうだからです。また、記述するとき、視点(Neutral Point of View)をはっきりさせることも必要でしょう。
(Neutral Point of View についての表現例)
百科事典なのでこの基本的方針は、日本語を理解できる10~16才くらいまでの語彙と教養で共通の認識として理解できる文章にしていきたいですね。(この言葉について書くときの私の視点(Neutral Point of View)です。)  当然ながら、私の Neutral Point of View とこれを読んでくださる人の Neutral Point of View とが一致しているかどうかは、私にはわからないことを前提としています。Neutral Point of View を厳密に一致定義することは至難のことで、できればこの文章を読んでくださる殆どの方と一致させる\努力をしていきたいと考えております。--Kubuki 2007年6月25日 (月) 06:22 (UTC)
他にも視点としたほうが良い理由は,それぞれの、視点を図示したほうがわかりやすいと考えたのでこのようになっております。--Kubuki 2007年7月4日 (水) 04:33 (UTC)
観点(視点)②
代表的国語中辞典の定義を確認します。
視点
「(2)視線の注がれるところ。また、ものを見る立場。観点。『—が定まらない』『—を変えて論ずる』」(『広辞苑』第五版)。「(1)物事を観察する立場。観点。『—を変えるといい考えが浮かぶ』(『大辞林』第二版)それぞれ、遠近法における語義もあげる。
観点
「観察・考察するときの立場や目の付けどころ。見方。見地。『—が違う』『—をかえる』」(『広辞苑』第五版)。「物事を考察・判断するときの立場。見地。『—を変える』『—を絞る』『教育的—』」(『大辞林』第二版)
国語辞典を見るかぎりでは、「観点」を「視点」に変えるべき積極的理由はないと思われます。ちなみに手元の英和中辞典のpoint of viewの定義をみると、リーダーズ英和辞典第2版では「見方、観点、立場; 考え方、意見、ものの見方」、ジーニアス英和辞典では「観点、見地; 考え方、意見、態度」となっております。--Aotake 2007年6月25日 (月) 06:52 (UTC)

百科事典をできるだけわかりやすくできれば美しく日本語で記述する具体的な方法

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美しい日本語で書こうとする努力をして書く方法は以下のような記述になります 

「座して世界を見る」や「澄んだ目で見る」などの日本語のフレーズなどを参考にして、どの単語を選べば良いかを模索するほうが良いと考えます。
この項が、現実世界の本質を理解し、よりよく伝える文章やその他の表現方法作成の手助けになればと考えております。--Kubuki 2007年6月25日 (月) 18:56 (UTC)

このコミュニティで意味と概念を伝えるように書く方法は以下のような記述になります

他の編集合戦等を見させていただきました、当分の間は視点と変えるべきウィキぺディア内での積極的な理由はないですね。中立的な観点は、百科事典の役割である本質的な概念と意味を理解するのには、誤解は受けやすいと考えられます。--Kubuki 2007年6月26日 (火) 09:58 (UTC)
言葉は道具だと考えられますので、「中立的な観点」を使うには、2つの場面(視点(観点))でこの道具を使う場合が想定されます。現時点では①ですが、、②の視点に移行する検討が進行中である。私はできるだけ②になるようになればと考えております。
①ウィキペディアのあまり意味を持たないと考えられる編集合戦を止めるためには現在の表現で仕方がない。
(意味を持たないの 意味は、記述してる当事者同士は意味があると考えられるが。その他の読者には意味を持たない)
ウィキペディアは百科事典なので、意味と概念がより良く伝える表現方法にしたい。同じ意味と概念が伝わるのであれば、長い文章より短い文章のほうが良いと考えるひとが多い。ともすれば、一つの概念を伝える長い文章を醜いと感じる人たちがいる。
追記;まず概念の理解のあとに翻訳であると考えますので、用語や定義を議論しても不毛なものになるのではないかと考えます。黒澤明の映画「羅生門」や中谷宇吉郎の「科学の方法」岩波新書313などが概念の理解に役立つと考えます。
①羅生門を参考にすれば良い点
一つと思われる事象を、それぞれの概念を伝えるために、複数の映像で見せてくれる。それぞれの映像には、伝えようとする目的がある。言い換えれば同じ事象を異なる意味と概念を伝える目的に利用できると考えることに役立つ。
②「科学の方法」を参考にすればいい良い点
冒頭の一番目立つところで、「科学の限界」から始まっていること。言い換えると、「自己否定」から記述されていることです。
「百科事典の役割」や「検証可能性と一緒に考えること」等を考えれば単語を分割したり、辞典で日本語で検討したり、厳密な定義で用語を記載しても日本語での意味と概念の把握はできないと考えます。「言葉は事象を抽象化したものであること」や「日本語には単語の切れ目がないこと」「日本語はツリー構造を持たなくても記述できること」などがこの場合翻訳のために個別の用語を使うことが適切でない理由と考えております。
さらに、日本語の機能を十分に利用すると「中立的な観点」より、他日本語の記述方法が意味の理解に良いと考えられます。例えば「漢字」と「ひらがな」「カタカナ」の関係を考えれば明らかです。カタカナ表記も考えると良いと思います。
カタカナ表記で、表現された意味と概念は、「日本語を母国語としないグループで作られた比較的最近の概念で日本語での概念では表現できず、誤解されることがあります」の意味を含んでいるのですから。
厳密に記述しても意味と概念は受け手に伝わりません。なぜなら、言葉は意味と概念が抽象化されたものだからです。日本語は、Neutral Point of View とは異なった意味をもたせ、より良い言葉になるよう再定義して使うのも良い記述の方法ももっています。英語本来の意味とは異なった百科事典を利用するのによりよい言葉に再定義して利用することができれば良いと考えます。日本語を完全に理解した人であれば、たぶん、Neutral Point of View を再定義して利用することが、真の意味での日本語訳です。
特に誤解されそうなので記述しますが、当たり前のことですが、語学のテストで100点取ったからといって、日本語を完全に理解し、現実の意味と概念を日本語ですべての人に伝えることは不可能です。例えば日本語を使っている一部の地方ではアクセントの概念がありません。このため、アクセントのみでなんらかの概念を伝えることはできません。このように、言葉の送り手は相手に少なくとも何か伝えようとすると、相手の能力に合わせざるを得ないのです。あまりよくない、比喩ですがラジオよりテレビのほうが情報量が多くて優れていても、テレビの電波を送ってもラジオで受け取ることができません。このため、テレビの電波をすくなくともラジオの電波に翻訳することは必須となります。また意味と概念の理解はテレビのほうが良くできラジオのほうができないとも必ずしも言えません。伝える意味と概念や、場面によります。
つまり、各言語は、それぞれの単語で表現しようとする意味と概念が異なっていても、同じように抽象化し表現することができる可能性があるということです。同じように抽象化(翻訳)できて伝える意味と概念が異なるとすれ、厳密な、翻訳に意味を持たなくなります。すくなくとも、この百科事典は送り手からは、受けての知識のバックグラウンドを予想することが非常に難しく、受け手に対する表現の方法(インターフェース)を選ぶことから考慮する必要があるのです。
言い替えると美しい日本語で書こうとする努力をして書く方法に対する反論への答え は、あなたの反論は、もっともなことで反論する余地は殆どありません。しかし、あなたがこの文章と方法を理解されると、私の殆どのバックグラウンドの知識を理解され、たぶんあなはこれをただ単に批判するより有益になります。ということです。この項を前の項に書かないのは、美しい日本語にならないと考えているからです。--Kubuki 2007年6月30日 (土) 08:15 (UTC)
大変申し訳ないのですが、私にはKubukiさんがなにをなさりたいのかよくわかりません。「現在の方針文書がわかりにくく、変えるべきである」とお考えであることはわかります。ですが、ウィキペディアは歴史の短いプロジェクトではありますが、それでも、ここの文書類は数年間の蓄積の中で作り上げられてきたもので、それなりの経緯があってこのようになっております。こと「中立的な観点」の方針に関しては、ウィキペディアの中でももっとも大切な文書とされていて気軽には編集できないこと、日本語版ではながらく「保護」されており実際にも編集ができないことから、「わかりにくい」まま長いことおかれているという面もご理解いただければと思います。更に、基本的に英語で運営されているウィキメディア財団の意向と違わない内容を保持することが重要ですので、「英語本来の意味とは異なった」内容よりも、英語版の内容を極力損なわない表現が好まれていることもご理解いただければと存じます。加えて、現在の「Wikipedia:中立的な観点」の内容がわかりにくいことは同意いたしますが、わかりやすくするためには、具体的な改定案を提示し、利用者間で議論し、合意することが必要で、「美しい日本語で書けば」といった抽象的な提案では、何も先に進みませんし、他の利用者も意見を述べることは難しくなります。
なお、先に国語辞典の定義などを持ち出したのは、Kubukiさんの当初のご主張が、「『観点』を『視点』に変えるべきである」というご意見であると理解したためです。Kubukiさんが「視点」と「観点」に異なる語感をお持ちであることは理解いたしますが、個人個人の「語感」を頼りにしていては、広く概念や内容を共有することは難しくなります。広い範囲で情報を容易に共有するためには「共通語」が必要であり、「共通語」の各語の意味内容の拠り所とできるのは、辞書しかありません。ウィキペディアのように、匿名利用者の集合体では、なおさら、辞書のような「権威」に頼らざるを得ないのです。最後に「翻訳者の視点(観点) 理事投票できるくらいのベテランの視点」というのは、私のことを指していらっしゃるのだと思いますが、私は中立的な観点の文書の翻訳には携わっておりませんし、「理事投票できるくらいのベテラン」と呼ばれることも正直不快です。それと対比的にたてている「日本語を母国語とする記述者あるいは読者で初心者としての観点(視点)」というのが、私が日本語が「母語」ではないとバベルで表示していることを踏まえての見出し付けであれば、なおさら不快です(当方の考えすぎであればご容赦ください)。この点、ご理解いただければ幸いです。--Aotake 2007年6月30日 (土) 09:34 (UTC)修正--Aotake 2007年6月30日 (土) 15:15 (UTC)
私の周辺では他人の名前を間違えて記述することはとても失礼です。私の名前はローマ字で記述するとkubukiですkubikiではありません。
上記のようなことは、あなた(方)が私に行っていることは、いわゆるどのような言葉で書いても、あなたは、私に対し基本的に「慇懃無礼」で私に対して、意味と概念を伝えようとする意思がないのではないのかと私に考えてさせることになります。あなたは文章では、いろいろ書いておられますが、
あなたは「視点」と「観点」の認識でわたしと同じ概念を辞書を使えばできると、考えておられますが。それにはあなたの「中立的な観点(視点)」に対する認識が不足していると私は考えております。他の書物や社会の現象を理解されれないと、理解できないと考えております。(たとえ財団が理解しているとお墨付きを与えるとあなたに言ってもです。)
あなたの本心は、私の書いた文章を含めて理解するつもりはないのではないですか?
あなたの本心は、財団の考えを啓蒙しなければならない、面倒な指導すべき初心者ではありませんか?
「私にはKubukiさんがなにをなさりたいのかよくわかりません。」とか書かれていますが少なくとも、私が何をしたいかできるだけ、理解されてからこの文章を書かれるべきだと私は考えております。
(このような姿勢はウィキペディア財団も含めて必要だと考えますが、寄付で運営されているから中立だとか、善意であるから、これまでやってきた歴史を知っているから、とかであなた方を肯定される人ばかりではありません。自己否定の考えをもたれることを強くお勧めします。)また、あなたの書かれている文章の中をこまごまと指摘するようなことは避けたいと考えておりましたが共通語についてだけ記述します。「共通語が必要」などは悲しくなるような発言です。世界中でどれだけの言語がなくなっているかなどを調べられたほうが世の中のためになります。あなたはきちんとしたお考えをお持ちなのでしっかりした考えを持ってください。それぞれの言葉を尊重することこそが大切です。また自分の理解できない概念を相手あるいは相手の言葉が持っていてすべてを全部を理解することができない等を理解するほうが良いと考えます。共通の認識を得るには抽象化された文章をもとに現実を見つめることが大切です。辞書にたよっていてはできません。
また、あなたの記述されてきたことに対しできるだけ理解しようと勤めましたのであなたの記述された文章にはできるだけ、目を通しております。
なお、対象物を記述するときどのように書くのかの視点や観点をはっきりさせることは、必要だと考えて記述しましたが個人攻撃と理解されているのではないかと危ぐしております。これについては、Aotakeさんに対し私は理解が不足しており、失礼しました。
なお、あなたの指摘より先に、記述してアップロードしたつもりでしたが、後述の文章が遅くなったことも原因の一つかと考えております。「権威」にたより文章を記述することは大変危険である。という認識で、「中立的な観点」について書いております。わかりにくくなりますが誤解を避けるため 視点(観点)① 視点(観点)②と修正しました。--Kubuki 2007年6月30日 (土) 12:40 (UTC)
お名前を間違えた点は大変失礼いたしました。深くお詫び申しあげます。
それについては平にお詫びしますが、それでも、正直、私にはKubukiさんのお使いになる言葉も論理もよくわかりません。Kubukiさんのなさろうとしていることが、ウィキペディアのもともとの方針の内容そのものを変えることなのか、あるいはただ表現を調整したいということなのかもよく分かりません。「具体的な提案」というのは、もっと方針文書全体、せめて節全体程度の草案を提示していただかないと、ほんとうにお考えが分かりません。
なお、私はほかの方に財団の方針を啓蒙しなければならないなどとは思っていませんし、私自身初心者に毛が生えた程度の存在だと自認していますが、中立的な観点のような方針については、ウェールズ氏や財団の考えに従うべきだと考えていますので、もしKubukiさんのなさろうとしていることがこの方針文書の内容自体を大きく変えようということであるならば、やめておいた方がよいと思います。ここはウィキメディア財団が運営しているプロジェクトですから、彼らが「これは絶対に守ってください」ということは、守るしかないですし、いやならウィキペディアに関わらなければいいだけのことです。英語版では最近、Verifiability とNo original research の統合を行ったところ、ウェールズ氏の一声で差し戻されたということも実際にありました。そのこと自体、大きな混乱を引き起こしはしましたが、それでも、ウェールズ氏にはその権利があると見なす人が多いと思います。ウィキメディア財団に自己批判を求めるのであれば、財団に直接おっしゃるのがよいでしょう。ここで何をかいても、多分無意味です。
それと、いまここで話題にしているのは広い範囲で認識を共有するために言葉を共有しなければならないという話であって、話者人口の少ない言葉を大切にする話とは別の話です。あなたの使っている言葉と私の使っている言葉が同じものを指していなければコミュニケーションは成り立ちませんし、多くの匿名の人が基本的に文字だけのやり取りに頼っているこの場では、悲しくても共通語に頼ることがほとんど唯一の選択肢でしょう。--Aotake 2007年6月30日 (土) 15:15 (UTC)


ご対応ありがとうございます。あなたを傷つけたことに対して、自分を恥じておりますし、残念に思っております。
少し長くなりますがご容赦ください。
あえて書けば、表現を調整するということだと考えております。
 書き直せない事情も十分に理解しております。私にとってではなく、未来の執筆者や読んでいただく人の立場を、私が考えると中立的な観点はわかりにくいということです。
もしほんとうに私の記述したものが、正直わからないのならもう少し時間をかけて私の書いた物を読まれれば、あなたであれば理解していただけると確信しております。少なくともクロサワの映画を見られればわかると思います。
あなたの言葉を借りれば、私は、広い範囲で認識を共有するために言葉を共有することは不可能に近く、どのような人も、認識の一部しか言葉では表現できないと申し上げているのです。実際のものや概念が理解できた後でないと、共通語がたとえあってたとしてもコミュニケーションをとることはきわめて難しいということです。だから、大切なことは共通語といわれるものがあるのなら、それの限界を知るいうことです。「これが自己否定の見方です」言い換えれば「謙虚」です。
英語でも差し戻しがあったことで英語でも共通の理解は困難だということからもわかると思います。つまり英語圏の人たちでさえ英語(言葉)のみでの共通語はない場合があるということです。Aotakeさんのいわれる共通語などない可能性があるということです。
例えば「ウェールズ氏により差し戻されるばあいがあります。」とか「他人に敬意を払って記述していただかないと、管理者が文章を削除するばあいがあります。」だけの記述で、私のような者(善意の執筆者)に対してはあえて中立的な観点と記述しなくても良いのではありませんかと言っているのです。
私は、一般の読者に対しても、心から有益な情報を与えたいと考えております。すくなくともインターネットを探して、他のページより意味のある情報をできるだけ与えたいと考えております。
具体的に記述するために私の場合を書きます、土地区画整理事業と道路の専門家としての立場で、建設関連やまちづくりのことに対して、現在、私があまり記述方法がよくないと、考える記述を、できるだけ私が思うところの、よりよい記載を心がけたいと考えております。私が、記述するときに書いたものについてきちんと検証できるものを提供しようと考えており社会的に、ある程度の品質のものを記述し提供できればと考えております。
また、土地区画整理事業についてはこのページを見てください。裁判等の多い事業です。私は、法律論や事項を記述するときは自分が間違っているのではないかと常に考えて書こうと心がけております。また、完全な事実確認は大変で、間違いのない記述などないと考えております。
これまでの記載者は用語の定義や法律論や事項の列記で記述されており、次のようなことがありました。以下のように Neutral Point of View が意識されているのでなないかと考えられました。それでこのページに書き込んでいるのです。
①筆者間で無駄な論争をしなければならない
 現在の記述は、各ページでは殆ど、まず法律の定義が書いてあります。これは、各筆者間で完全に定義でき、誤りようがなく合意できると思えるからだと思われます。実際は、法律の内容についても合意ができない場合も出てきます。私が見ると法律論では間違いではないかとの記載もありました。裁判でもしなければわからない内容の記述もあります。私は、百科事典で法律論のようなことは、できるだけ避けたいと考えております。それは百科事典を利用される方はそのようなことを百科事典で期待されていないと考えるからです。後段では法律の記述が必要だと考えますが。
また、裁判も抱えている事業であるのでAさんとBさんが裁判になっていことや、事業に対して異論がある場合もあります。ここで、中立な観点からでAさんとBさんの意見を記述しようとする方さえいらっしゃいます。土地区画整理事業の説明ではまず不要です。
②誤解によりわかりやすい説明ができない
 例えばあなたに、この事業を私が説明しようとすると、ある程度概念を説明した後、「神戸の震災のあと、道路や駅前広場を造ったときに使われたものです」とか「震災や戦災の後行われてきた事業で、東京の山手線の駅前広場の殆どはこの事業で造られました」との具体的な記述やインターネット事典としてできるだけ新鮮なを記述できれば良いのではないかと考えております。事典で言えば知恵蔵や現代用語の基礎知識等のような書き方が、わかりやすいのではないかと考えています。
できるだけ平易にみなさんにわかるように記述しようと考えております。
ところが記述されているページは、この方針に縛られて裁判の話や法律の定義や事象の羅列になっているのではと考えます。他のホームページと見比べると国で作られたホームページより法律的で杓子定規です。記述される方が、この中立的な概念に立ち帰るので百科事典に必要なことが書きにくいのではと思います。
各ノートページにこのような私が百科事典として無駄と考えることを書くことをできる限り少なくしたいと考えています。
私はログインしないでKUBUKIで記述と考えて簡単な法律上の指摘をしたが、私の手違いと、アップロードの時間差により署名忘れの状態にしばらくの間なりました、後で署名しようとしたのですが、利用者の方にIPアドレスを曝されました、このコミュニティの、ルールによると曝すことは当然許される行為で何の問題もないのでしょうが、、私にとってはあまり良い気持ちではありません。また、記述量が増えたので匿名ではと考えログインしたのですが、この定義等や百科事典のその他のことについて説明することに忙殺されたのです。あなた方が荒らしと呼んでいる行為と私にとっては変わらないと思えるのです。
私は大事なことだと思い大切だと考えてまじめに対応しようと考えております。文中に整合の取れないところなどありますがご容赦ください。なお、もしAotakeさんが、「せっかく書いていただいたのですが、やはり正直わからないのです。」等の記載をされるつもりであれば失礼ながら、ここにいまさら書くことは不要だと考えております。Atokuさんが映画「羅生門」を見られたことがあるかどうかを、私は知りたいと考えております。--Kubuki 2007年6月30日 (土) 21:57 (UTC)

中立的観点の解説は中立的な観点に則していないので書き直したほうが良い

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編集合戦が落ち着いてからでも良いと考えますがやはり以下のような方針で書き直したほうが良いと思います。

中立的な観点から記述する

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現在の中立的観点解説ページはそもそも中立的な観点に反しています。それは創始者の言葉しか書いていないからです。中立的な観点の解説ページで守れないものをその他のページで守らせようとしても説得力はないと考えますので次の2つの対処方法があります。

①解説ページで以下の文章を削除するかリンクにする
「ウィキペディアの創始者ジミー・ウェールズ (Jimmy Wales) の言葉によれば、中立的な観点は「絶対的で交渉の余地のないもの」“absolute and non-negotiable” です。」
その他の意見を付け加える。
「ウィキペディアの執筆者の中で、異論が出ることもあるが、少なくとも、ウィキペディアの創始者ジミー・ウェールズ (Jimmy Wales) の言葉によれば、中立的な観点は「絶対的で交渉の余地のないもの」“absolute and non-negotiable” と言っている。

その他の日本語を探す。

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上記概念を伝える方針が決まれば、答えがない場合もあるかもしれません。広く美しい言葉をを求めたいと考えますが。

自己否定の文章の書き方など

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トラブルページの紹介しながら 文例の紹介をするなどができればよいですね。
自己否定しながらの文例
相手の意見を書きながら自分の意見を書く
第三の視点で記述する
等の文例をあげ記述法を具体に紹介する

このような検討をした後その他の文章を検討し、後半の記述はできるだけ簡略化したほうが良いと考えます。このノートページも含めて。--Kubuki 2007年6月30日 (土) 09:51 (UTC)


「中立的観点」は記事を書く上での話です。プロジェクト関連文書は普通の記事ではありませんので、そういう自己言及っぽい適用を考えたところで意味はありません。 -- NiKe 2007年6月30日 (土) 10:52 (UTC)

もちろん私は 解説ページについて記述してますから このようなNiKeさんの態度はあまりよくないと考えております。
NiKeさん やAotake さんは、きちんと自己評価して書き入れないと上記のような書き方ではあまりよくないと考えますが、記述者に対する理解は感じられず、本来の財団の意図と異なっていると私は、考えております--Kubuki 2007年6月30日 (土) 12:16 (UTC)
理解されていないと思いますので老婆心ながら記述します、Aotakeさんとの履歴を見ていただければわかりますが私はあなた(方)と書いているのは上記記述があるであろうと予想しておりましたのでNiKeさんが書き込まれるであろうことなどを想定して記述しております。NiKeさんが管理者であり、されている作業に対しては敬意を表しますが上記のような記述は管理者の態度としてあまりよくないと考えております。--Kubuki 2007年6月30日 (土) 13:03 (UTC)自己言及の凡例:自己言及のパラドックス--Kubuki 2007年7月5日 (木) 06:27 (UTC)
たとえば「自己言及っぽい」などという表現はたぶん年配の方への表現であれば馬鹿にしているととられるでしょうし、私も、あまり良い印象は受けません。間違いでしたらお許しください。
また以前、NiKeさんが私のページに送られてきたページに対して以下のような文を送付しておりますが、「私は以下のような記述をしたのですが、ご理解を得られず大変に残念です。」これは、あまりかかわらないでくださいというメッセージのつもりでしたが意図が伝わらず残念に思います。
kubukiです。送付ありがとうございます。管理者の方への初心者からの感想です。
お互いのリソース(メモリその他物理施設や時間や、知識や注意する意識)を無駄に消費させるかもしれませんから(無駄なやり取りはやめましょう)
あなた方の態度そのものが私にとっては本質的な「中立的な観点」からはずれていると再三申し上げているのです。方針をいくら記述しても他のかたも記述されていますが、編集合戦はなくならないと考えます。
また、私が行っている記述は全部リアクションです。私はあなた方(財団も含めてですが、)が作成されている、ページに積極的に関与しようとは考えておりません。私の専門とする部分で少なくとも私がよくないと考えているページについて内容と質の向上をと考えているだけです。
悪意で意識的に理解しようとすると、あなた方の行為は、NIKEさんやAotakeさんの行為ですが、書いてあることは殆どが建前で書いてあり「偽善」か「悪い冗談」であると発言されえているとしか考えられないかもしれません。
このような、コミュニティにありがちな書き方で書かせていただくとわたしはあなた方が
「Aotakeさんがこまっているのめんどくさいこの初心者に管理者としてNiKeさんが対応しとりあえず切り捨てとくよ」などの対応をされているのではないかと考えております。
誤解であればお許しください。
NiKeさんが財団が考えていると思われる、本質を理解され見識のあるより良い管理者になられるようにと考えております。
また良い百科事典がまとめられると良いと考えております。
--Kubuki 2007年6月30日 (土) 14:50 (UTC)
「っぽい」といったくだけた表現が非礼になるのではないか、という指摘を行う一方で、(一応)婉曲な表現によって私の意図や能力について悪し様に述べたてるというあなたの振る舞いは不可解です。正直なところ不快です。しかし、それはひとまず置いておきます。
今のところ何よりもKubukiさんに御願いしたいのは、いわゆる「5W1H」をきちんと記述するようにしていただきたいということです。文章が読みやすかったとしてもあなたの意見は理解し難く同意できないものと予測していますが、現状ではそれ以前に文章の読解に苦労してしまい、相手をする気になりません。 -- NiKe 2007年7月1日 (日) 04:06 (UTC)
 あなたを、はじめ管理されていると考えておられる方々にお願いしたいことは、これまでも相当書いておりますが、再度書き込みます。以下の文章はNiKeさんにもご理解いただけると考えております。回答は不要です。
①もともと意味や概念を伝えるのは難解で数行で、伝えることができるものは少ないと考えております。
②NiKeさんの文章である、「「中立的観点」は記事を書く上での話です。プロジェクト関連文書は普通の記事ではありませんので、そういう自己言及っぽい適用を考えたところで意味はありません。」は「5W1H」できちん書かれていますか?私は書かれていないとおもいます。管理者だけがそのような記述が許されているのですか?
③もし私に「5W1H」できちん書かせようとするのであればノートページで良いとおもいますが、わざわざここに記述するのは私に対する「私の意図や能力について悪し様に述べたてる」NiKeさんの態度ではないですか?
④相手をする気にならないのなら書き込まなければ良いのではないですか?私は、あなた方のアクションや私が考えるところの「相当良くない表現」がなければ、書き込むつもりはないと再三申し上げております。
⑤あなたの文章は、私に対する「短い表現によって、私の意図や能力について悪し様に述べたてる」態度ではないですか?
⑥私を他の荒らしと同じに取り扱っていませんか?
⑦そもそも「自己否定の文章の書き方など」は「科学の方法」を読まれれば私の文章によらなくても、記述されておりますがご理解されていますか?
他の記述者もここを引用し、私にとっては、あなた方と共有している明らかな間違いをコピーして記述しております。(まじめに対応しようとしている、私は)あなたと同じように、このようなことも含めて、あまり良い気持ちにはなりません。
--Kubuki 2007年7月2日 (月) 11:31 (UTC)
真っ当な日本語の文章を書いて下さい。1行目で既に「てにをは」が狂っています。推敲をしていないのか、できないのか、どちらなのでしょう。 -- NiKe 2007年7月2日 (月) 13:18 (UTC)


以前も書いておりますが「てにをは」よりも意味と概念の理解が百科事典には必要です。間違いの指摘より意味と概念の伝達のほうが百科事典としては大切ではありませんか、細かな埃を指摘してもご自分を貶めるだけだとは考えますがいかがでしょうか?--Kubuki 2007年7月2日 (月) 14:12 (UTC)

「てにをは」が間違っていては、「意味と概念の伝達」は不可能です。--ikedat76 2007年7月21日 (土) 02:33 (UTC)