コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル/導入部/過去ログ1

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

過去ログ

[編集]
サブページ

読み仮名について

[編集]

読み仮名について
例えば「スウェーデン王カール12世」という項目名があったとして、

  • 読みが不要なものは次の通りにする。
    • 項目名がひらがな、カタカナだけのもの。
    • 項目名が英数字だけのもので、特殊な読み方をしないもの。

という原則に従って、スウェーデン王カール12世(スウェーデンおうカール12せいすぇーでんおうかーるじゅうにせい)という読み仮名をつけるのは不当である。従って、

    • 容易に読め、他に読み方がありえない場合は読み仮名を省略してよい。

という1条を加えるべきではないか。 --忠太 2005年2月20日 (日) 12:33 (UTC)

現行のルールに従えば、「スウェーデン王カール12世(スウェーデンおうカール12せい)」となります。念のため。--Brevam 2005年2月20日 (日) 13:11 (UTC)
訂正。 --忠太 2005年2月20日 (日) 13:33 (UTC)

(見出し入れました)。現行の読み仮名のようになった理由は次の通りだったと記憶しています。

  1. Wikipedia:索引の作業を効率化するため
  2. 外国語話者の便を図るため

最初の索引整備作業の方は現状が把握できていないのでコメントを控えます。 2番目の外国語話者にとって便利になるようにですが、ウィキペディアが多言語プロジェクトである以上必要であるといった議論になっていたはずです。

日本語がほとんど読めなくても(仮名程度しか読めなくても)、日本語版への多言語間リンクが適切に張れるように、読み仮名の敷居は低くしておいて方がよいと私は思います。ここで、どの程度まで敷居を低くするかが問題となるでしょう。

ちなみに例に挙げられたカール12世ですが、記事名はルールに従えば「カール12世 (スウェーデン王)」となり、冒頭部は「カール12世(かーる12せい)は、……」となります。 --Michey 2005年2月21日 (月) 04:07 (UTC)

納得しがたい。ちなみに自分が作成した項目では次のようにしています。

アレクサンデル6世(Alexander VI,1431年1月1日-1503年8月18日)はルネサンス期のローマ教皇(在位,1492年-1503年)。

外国語話者にとって、何か不都合がありますか? --忠太 2005年2月21日 (月) 12:44 (UTC)

現状では、「カール12世」のような「○○X世」という形式の名を有する君主の記事の導入部については、Wikipedia:スタイルマニュアル/導入部ではなく、Wikipedia:スタイルマニュアル/人物伝に従って、読み仮名をつけないことが慣例化してます。これをさらに一般化して、「容易に読める場合はつけない」というルールを付け加える必要はないように思います。いかがでしょうか? --oxhop 2005年2月21日 (月) 13:12 (UTC)

「読み仮名を付けるべきだ」と主張する人がいるため、自分としてはやむをえず「何でもかんでも付けろと強要するのはおかしいではないか」と思って提案した訳です。やっぱり、読みづらいし、うっとうしいと思うでしょう? その点を理解してもらえれば結構ですが、疑義が生じるおそれもあるので、明記しておくべきではないでしょうか? --忠太 2005年2月21日 (月) 15:29 (UTC)

異論がなければ、ひとまず

と付け加えたいと存じます。(Oxhopさん、ご教示ありがとうございます)  なお、個人的には読みやすさなど考慮のうえ、読み仮名を付けないことが多々ありますが、文句を付けないでください。 --忠太 2005年3月4日 (金) 16:54 (UTC) 加筆 --忠太 2005年4月7日 (木) 17:04 (UTC)

特に異論なきようなので、修正します。 --忠太 2005年3月14日 (月) 17:03 (UTC)

導入部における項目名の原語表記について

[編集]

項目名が日本語以外に由来する場合に括弧内に表記する原語は、何語に由来するかも記したほうが良いのではないでしょうか。例えば「アルバイト:arbeit)」のように。であれば、その際のスタイルも決めておくとよろしいかと思われます(左の例では、その外国語の漢字名の一文字 + 全角コロン + 綴り)。Hermeneus (talk) 2005年10月25日 (火) 20:47 (UTC)

  • 日本語の「アルバイト」とドイツ語の"arbeit"は、意味が違うので例としては良くないですが、原語表記を付けるときに、それが何語であるかを付けた方が良いという点は賛成です。付け方も、「独:」とするか「ドイツ語:」とするか、コロンは全角にするか、半角にするか、という点も決めておいた方がいいですね。私自身は、「ドイツ語:_XXXX」という具合に、省略なし、半角コロン、半角スペース で書くことが多いです。英、独、仏、伊、露くらいなら何の説明もなく略語でも良いでしょうけど、西、中あたりくらいからはちょっときついかもしれません。全ての言語で統一感を求めるのであれば、略語は使えないですね。
  • これは提案なのですが、特に外国地名・人名で、記事名として採用されている日本語慣用と原語の発音とで違いがある場合には、オデッサ (オデッサ州)リヴィフでとっているスタイルが有効だと思います。すべてをこのようにする必要はありませんが(例えば、セクションをつくって解説するという方法もあります)、こういう方法もありますと、スタイルマニュアルに記載してはどうでしょうか? --oxhop 2006年2月11日 (土) 15:45 (UTC)

ドイツ語は名詞を大文字で始めるので、「アルバイト:Arbeit)」とすべきかと思います。英語の場合、固有名詞以外は小文字にすべきだと思いますが如何でしょうか?以上の署名の無いコメントは、125.30.47.109会話/whois)さんが[2006年10月16日 (月) 17:10 (UTC)]に投稿したものです(Vanteyによる付記)。

導入部における読み仮名の強調について

[編集]

おまかせ表示で多数の本文を見ていると、読みがなの部分を強調してあるものとしていないものが混ざっていました。こちらの規則をみると強調するのは項目名だけであって、読みがなは強調しないように読み取れます。いずれにしても、読みがなを強調するのかしないのかはっきり書いておいたほうが迷わないのではないでしょうか。Redattore 2005年10月25日 (火) 07:03 (UTC)

導入部における読み仮名の強調について、今はどちらでもよいというルールになっていると思いますが、そのために、強調だけをつける編集があったりします。そういった編集を防ぐために、どちらかに決めるルールをはっきり決めたほうがいいと思うのですが、どうでしょうか?--Filler 2006年4月8日 (土) 06:10 (UTC)

確かに、決められるものなら決めておいたほうが良いですね。いくつかのケースを上げてみます。

漢字の項目名

  1. 岡本 太郎(おかもと たろう、1911年2月26日 - 1996年1月7日)は、芸術家
  2. 岡本 太郎おかもと たろう1911年2月26日 - 1996年1月7日)は、芸術家
  1. 青少年有害社会環境対策基本法(せいしょうねんゆうがいしゃかいかんきょうたいさくきほんほう)は、日本の法律案(国会提出に至らず)。青環法(せいかんほう、又はあおかんほう)と略される。
  2. 青少年有害社会環境対策基本法(せいしょうねんゆうがいしゃかいかんきょうたいさくきほんほう)は、日本の法律案(国会提出に至らず)。青環法(せいかんほう、又はあおかんほう)と略される。

漢字かな混じり

  1. 志摩スペイン村(しまスペインむら)は、三重県志摩市磯部町坂崎にある複合リゾート施設。
  2. 志摩スペイン村しまスペインむら)は、三重県志摩市磯部町坂崎にある複合リゾート施設。
  1. 親指シフト(おやゆびシフト)は、日本語の文章を効率よく快適に入力することを目的として考案されたキー配列、およびこのキー配列を採用するキーボードの仕様である。
  2. 親指シフトおやゆびシフト)は、日本語の文章を効率よく快適に入力することを目的として考案されたキー配列、およびこのキー配列を採用するキーボードの仕様である。

カタカナ(外国語)の項目名

  1. カルデラ(Caldera: スペイン語で「」の意)とは、火山の活動によってできた大きな凹地。
  2. カルデラCaldera: スペイン語で「」の意)とは、火山の活動によってできた大きな凹地。
  1. ブラックホール (Black hole) は、宇宙に存在するとされる天体の一つである。
  2. ブラックホール (Black hole) は、宇宙に存在するとされる天体の一つである。

以上をざっと見たところ、振り仮名まで太字にするとうるさい感じがするかもしれないという気がします。また「'''」を使う回数が増えれば増えるほど、「'」がひとつ落ちてしまうなどのエラーが起こる可能性も増すため、強調を使う回数はできるだけ少ない方がいいのではないか、と思います。--miya 2006年4月8日 (土) 08:39 (UTC)

miya様、早速のご意見ありがとうございます。また、詳細な実例を挙げていただきありがとうございます。私もmiya様の意見と同様で、振り仮名まで強調すると、項目名の強調が目立たなくなり、冗長だと思いますので、振り仮名の強調は行わないほうがいいと思っています。先ほども上越線にて、強調だけを行う編集が行われましたので、該当者のノートに「現在どちらでもいいので、そこだけの編集は無意味です。」といった内容を記載しましたが、どちらか1つに決めてしまえば、そういう揺れも少なくなるかと。他の方の意見も伺いたく存じます。--Filler 2006年4月8日 (土) 08:46 (UTC)
表題名と別名だけ太字、読みや言語表記のアルファベットは修飾無しで統一するに一票。Hermeneus (user / talk) 2006年4月8日 (土) 08:55 (UTC)
ルール化には反対します。制定は、むしろそのためだけの編集の横行を助長すると思います。現行の「記事名は強調する。読みは強調してもよい。括弧は強調しない」で十分だと考えます。―Rh-Kiriki 2006年4月8日 (土) 10:12 (UTC)
再びコメントさせていただきます。私はどちらかに決まっていないと、逆にそのためだけの編集が延々と横行する原因になると考えます。結局どちらにも固まらないため、そこが気にいらない人はいくらでも直すでしょうから。どちらかに決まっていればたとえそのためだけの編集があっても延々とは続かないでしょう。スタイルマニュアルが迷いの原因となってしまっては元も子もないですし、そもそもあいまいにしている理由がわかりません。--Filler 2006年4月8日 (土) 10:19 (UTC)
早く決めないと将来決めたときに膨大な量の「そのためだけの編集」が発生してしまいます。私自身は強調しない案に賛成しますが、どちらにせよ早く決めるべきです。mononohazumi 2006年6月11日 (日) 02:39 (UTC)
現状、Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)との相違も起きていますね。私は(人物伝)に合わせれば良い、と考えていたのですが…。--なっしゅびる 2006年11月5日 (日) 22:54 (UTC)
提案に関しての確認ですが、中見出し「読み仮名」で
>7. 読みを'''を使って太字にしてもよい。
という記述をどう改めるか、という認識です。個人的にはどっちでも良いですが、この際、消した方がいいのかな、と。ただ強調に関しては、大見出しの「導入部」冒頭で
>3. 導入部で、リダイレクト元になりうる別名を太字で書く。
という表記もあるので、リダイレクト元にあるなら強調、そうでない「単なる読みがな」なら、強調はしないという区別の仕方もあると考えます。実はガイドライン読み直したら、私もこの辺りを見落としていた事に気がついた次第です。--なっしゅびる 2006年12月3日 (日) 02:36 (UTC)
「リダイレクト元にあるなら強調、そうでない「単なる読みがな」なら、強調はしない」に賛成です。--Phew 2007年3月25日 (日) 05:28 (UTC)

読み仮名と原語の強調について(議論再開)

[編集]
こんな議論があったんですね。でも、最後のご発言から9ヶ月が過ぎているようですし、決着を付けてもよろしいのでは? と言うか、さっさと決めて頂かないと、Mononohazumi さんがご指摘なさっていらっしゃるように、そのためだけの無駄な編集が横行しそうです。あたしは Phew さんと同様、「リダイレクト元にあるなら強調する、単なる読み仮名なら強調しない」に賛成です。新年になったコトですし、おめでたく決めちゃいましょう! (⌒ヮ⌒*) --Marianne 2008年1月2日 (水) 17:41 (UTC)
まただいぶ経過してしまいましたが、私も「リダイレクト元にあるなら強調する、単なる読み仮名なら強調しない」に賛成です。というのも利用者:0null0さんの投稿記録[1]を見て、現在どちらでもいいと書かれているのに強調だけの編集はやっぱりよろしくないのではと思いを強くし、早く見解を統一した方がいいのではないかという気持ちになりました。--Filler 2008年2月22日 (金) 14:16 (UTC)
(インデント戻す)Phewさんの提案した「リダイレクト元にあるなら強調する、単なる読み仮名なら強調しない」に賛成します。--Hideki1976 2008年2月22日 (金) 14:29 (UTC)
曖昧さ回避で複数の読みがある場合の使い方なども記載していただけるとありがたいです。--Triglav 2008年2月23日 (土) 00:26 (UTC)

過去の議論から鑑みるに、意見をくださった方の大多数については「リダイレクト元にあるなら強調する、単なる読み仮名なら強調しない」でほぼ統一できていると思われますが、いかがでしょうか?

それをもってコミュニティの方向性として決定し本文中に反映させてよいのか、それとも告知の上今後投票などによって決定すべきか、皆様のご意見をお願いいたします。結論は急ぐ必要はないと考えますが、まだどちらとも決定していない現在の状況下において、前述の利用者様のノートにて一方に偏った些細な編集が強行される旨の宣言がありましたので、まずここの議論を活発化させることにより、そのような些細な編集を冷静になって思いとどまっていただきたく皆様の意見をお願いいたします。--Filler 2008年2月23日 (土) 15:52 (UTC)

微細な編集ではあるものの、非常に広範囲にわたる議題ですので、投票を行うのが良いと思います。この議題はかなり初期から決着がつかずにきたもので、結論がついていない理由はよみがなが太字であるか否かは個々の項目については些細な問題だからでしょう。これについては2004年にコメントしたことがあります。個人的には「一切をボールドにしない」が良いと思います。ボールドにしないスタイルがおおく見られることから十分に受け入れられていると考えられ、また、統一してしまうのがもっともシンプルだからです。リダイレクトを強調すること自体には反対ではないのですが、万人を従わせるにはやや煩雑かなと思いました。別名の強調については#「リダイレクト元になりうる別名を太字で書く」はやめませんか?にコメントしました。ともあれ、投票により十分に多数の人の意見で決めるのが良いように思います。電気山羊 2008年2月23日 (土) 17:39 (UTC)
たしかに「リダイレクト元にあるなら強調する、単なる読み仮名なら強調しない」というのはちょっとわかりにくいです。もし個人により解釈に幅がありうるなら、編集合戦や水かけ論につながる恐れがあります。それよりは「読み仮名は強調しない」もしくは「読み仮名は強調する」、どちらか一方に決めたほうが、投票にかけるにしても、簡単ですし、編集合戦を招きにくいという意味で無駄がないでしょう。
  • 「表題名と別名」は「太字」(これは現行どおり)
  • 「読み」は「太字」または「修飾無し」
  • 「原語表記のアルファベット」は「太字」または「斜体」または「修飾無し」
のように、解釈に幅ができないような、明快な選択肢を用意して投票にかけるのがよいと思います。--miya 2008年2月23日 (土) 18:13 (UTC)
(コメント)読みについての議論は、実は随分昔から行われていたんですね。色々と過去ログなどを拝見させて頂いて、改めてこの議論の根の深さを思い知りました。太字にするか否かに関する議論だけでも、過去から順に:
の3つがあったんですね。他にも漏れがあったらゴメンなさい。いずれにせよ、さっさと決着を付けてしまわないと「そのためだけの編集」が横行する元になると思いますので、あたしは人名の記事も含めて統一の必要性を感じました。
ルールは煩雑であるよりも単純であるべきだ、とのご意見はごもっともだと思いますので、賛成です。「日本語版」である以上、基本的にすべての項目において読みは必須でしょうし、となると広く投票を受け付けることは理にかなっていると思いますので、こちらも賛成です。ですが、過去の議論では、「太字」「斜体」「修飾なし」の他にも「小文字」というご意見もありました。読み仮名はあくまで付加情報ですので、「小文字」というご意見がまったく的外れだとも思えません。選択肢に加えてみてはいかがでしょうか? 原語表記を読みの後方に分かち書きすれば、小文字も実現可能だと思います。
--Marianne 2008年2月25日 (月) 17:35 (UTC) / 修正 --Marianne 2008年3月15日 (土) 17:46 (UTC)

コメントありがとうございます。投票にすすむことについて他にご意見はありますでしょうか。とりあえず、投票自体については様子をみながら、次に投票の選択肢について話し合いたいと思います。今までの案を並べてみると、全般についてのよみのスタイルは:

  • 修飾無し
  • 太字
  • リダイレクト元があれば太字、通常は修飾なし
  • スモール

があります。他に言語表記についての選択肢があって、簡略化すると:

  • 原語表記のアルファベットは斜体
  • 原語表記のアルファベットはよみに倣う

の2つでしょうか。デフォルトとしてはこのようになるのではないかと思いますが、これについてご意見を伺いたいと思います。また漏れがありましたらご指摘ください。よろしくお願いします。電気山羊 2008年2月27日 (水) 16:52 (UTC)

基本的に議論に参加するつもりはなかったのですがあえて。 現状の電脳表現上のアルファベットの斜体は表現媒体上の制限により私はお勧めしません。印刷上での斜体とは精度上に大きな差があるので、表現方法として斜体を取るというのは現状ではしてほしくありません。0null0 2008年2月28日 (木) 15:43 (UTC)

個人的な愚見を。ちょっと前までは、リダイレクト元が存在していれば太字にすれば分かりやすいかしら、と思っておりました。ですが、実際に項目名の別名や読みが複数存在する項目でそんなことをすると、太字と標準字が混在して却(かえ)って見づらくなるんですね。また、リダイレクト元が多い場合、冒頭部が太字で埋め尽くされてしまいます。それに、確かにルールが煩雑になって、編集・修正作業も手間が増えます。さらに悪いことに、ウィキペディア自体に慣れていない初心者さんがご覧になった際に、なぜ太字と標準字が存在するのか見当がつかず混乱を来す虞(おそれ)すらあります。ですので、この際それは選択肢からは外してしまっても構わないように思います。Electric goat さん、Miya さんもそのようにお考えのようですし、いかがでしょう? (゜ヮ゜*)
あと、原語表記の扱いって意外に厄介なように思います。項目名の別名の1種と捉えれば、太字が適当かも知れませんし、読みの範疇だと捉えれば、読みに従った表記にすべきかも知れません。いずれとも異なるのだと捉えれば、斜体でもいいのかも知れません。投票に掛ければいずれ結果は出るのでしょうが、0null0 さんの斜体に関するご意見も参考にしませんとね。
--Marianne 2008年2月28日 (木) 19:04 (UTC)
私も当初はリダイレクト元が存在していれば太字というのがわかりやすいと思っていましたが、いろいろな意見を目にするうちに、項目名のみが太字であることで項目名の強調がわかりやすくなるものであり、太字の多用は可読性を損なうと感じるようになりました。
読みの投票につきましては、強調あり・なしのみに絞る方がルールが明確になると考えます。--Filler 2008年3月4日 (火) 12:36 (UTC)

お返事おくれましてすみません(おそらく今後も早い応答はできませんが平にご容赦ください)。まず、投票については行うものと結論したいと思います。選択肢についてはリダイレクト元の太字化は除くことにしてよいでしょうか。スモールにすること、および原語表記についてはいかがでしょうか。この点について詰めながら、これまでの議論から各選択肢の長所短所をまとめて投票者に経緯がわかるように提示したものを作成しようと思います。作成は今週末に行おうと思います。それから、投票の条件についても決めて行きたいと思いますが、みなさんはどのようなご意見をおもちでしょうか。電気山羊 2008年3月5日 (水) 17:40 (UTC)

読みの選択肢としては「修飾なし」「太字」「小文字」の3種で、原語表記の選択肢としては「修飾なし」「太字」の2種で、くらいが分かりやすいように思います。あたしなりにまとめて表にしてみました。
各選択肢の長所と短所
選択肢 長所 短所
修飾なし
  • 多数存在している場合でも、可読性を損なわない。
  • 項目名や別名の強調をより際立たせられる。
  • 誘目性が低い。
ボールド
  • 誘目性が高い。
  • 多数存在している場合、可読性を損なう。
  • 項目名や別名の強調が目立たなくなる。
  • 冒頭部が太字だらけになる虞がある。
スモール
  • 本文の可読性を高める。
  • 項目名や別名の強調をより際立たせられる。
  • 誘目性が極めて低い。
  • 却って可読性を損なう虞もある。
いかがでしょうか? ご意見賜ります。--Marianne 2008年3月7日 (金) 15:54 (UTC)
まとめありがとうございます。可読性・誘目性について良くまとまっていると思います。ただスモールについてはこれまでにあまり議論がないと思いますので、表とは別にもう少し具体的なレベルまで詰めておく方が良いように思います(例えば単にsmallタグでマークするのか、テンプレートを使うのかなど)。また、現在ノーマル:ボールド:スモールが7:3:0くらい(ランダム抽出 n=25)ですが、47万項目に適用するとなると、この数字も考慮に値するかと思います。
原語表記はよみとは別物なので別件かなとも思いましたが、この際、決めておくのがよいでしょうか。ノーマル、ボールド、イタリックがありますが、これについてものちほど利点欠点をあげて見ようと思います。
投票所には先にMarianneさんが挙げられたこれまでの議論へのリンク(他にあれば追加して)と、スタイルの具体例をいくつか挙げれば形式としては良さそうです。上で挙げた点などについて、もうすこし議論を詰めたのち、告知期間を経て(その間は自由コメントを受け付けておいて)投票を行いましょう。投票条件は比較的ゆるやかでいいでしょうか。今週は投票所を作って行きたいと思います。電気山羊 2008年3月9日 (日) 16:24 (UTC)
(コメント)タグを使うか、テンプレートを使うか、といった点は、まず修飾をどうするのかを決定した後で議論しても決して遅くはないように思います。仮にテンプレートを用意するのであれば、採択された書式・修飾に合わせて後々作成していくことになるでしょうし。事を急いては仕損じますよ? d(^ヮ^*)えへ
投票条件に関してですが、ほぼすべての記事項目に影響を及ぼす事項を決定しようとしておりますから、削除議論などの条件と同等の「50回以上編集作業を行っているログイン・ユーザのみ」に賛否の投票権を与え、該当しない人たちにはコメント権のみを与える、とすれば参加者の多くからの賛同が得られようかと思います。--Marianne 2008年3月10日 (月) 03:15 (UTC)

そうですね。詳細についてはあとからで良いと思いました。ただ、スモールについてはこれまでにほとんど議論がありません。少なくとも投票に入る前に具体例をみての議論がいるのではないかと思います。ことを急いているのではなくて、旅行先を決める前に候補地の下調べをしておくようなものです。投票権については他に意見がないようでしたら「50回以上編集作業を行っているログイン・ユーザのみ」としたいと思います。では/よみと原語表記のスタイルについての投票(長いですかね?)を作成して詰めて行きましょう。電気山羊 2008年3月15日 (土) 15:18 (UTC)

サブページの名称は、決して長くはないようには感じますが、「読み仮名と〜」の方が分かりやすいかも知れません。で、そちらの表を全体的に見やすく分かりやすく修正してみました。ついでに「イタリック」も追加して、リンクを修正しておきましたので、ご確認下さいませ。
1つ質問ですが、「具体例」というのは、実際に存在する記事項目の冒頭部を例示するのか、それとも例示するためだけの実在はしない偽物の記事冒頭部を仮に作成するのか、どちらでしょう?
--Marianne 2008年3月15日 (土) 17:46 (UTC)
修正について了解です。ありがとうございました。表は読み仮名と原語表記をまとめられていますが、投票については分けるということで良いでしょうか。まとめるとイタリックあたりで票の混乱がありそうに思いますので。
具体例は実Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#例にあるのを使うのが楽かなと思います。いかがでしょうか。
あと、サブページをノート側に切ってしまいましたが、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)/読み仮名と原語表記のスタイルについての投票に移動して、そこのノートではなしをした方がスムーズかなと思いました。特に反対等なければ後ほど移動しますがよいでしょうか。電気山羊 2008年3月17日 (月) 15:44 (UTC)
了解しました。移動案にも賛成です。--Marianne 2008年3月18日 (火) 03:01 (UTC)

「原語」表示であることの明確化

[編集]

原語表示を見て英語を括弧書きしなければならないものと勘違いをして英語由来でない語にまで英語を括弧書きしてしまう人がよくいます。先ほどもブラックジャックによろしくで削りましたが、情報量を減らしているわけで、心苦しいです。「外国語由来でない語には表示する必要がない」と明確に書いてはいけないでしょうか。mononohazumi 2006年6月9日 (金) 13:52 (UTC)

今手元にある講談社『現代哲学事典』では原語だけでなく希、羅、英、独、仏の訳語を冒頭に掲載している項目もあります。--222.1.41.112 2006年6月9日 (金) 14:17 (UTC)

IPの方に反論しても反応があるか分かりませんが、一応。

まず第一に私は現行の方針を変更すべきだと申し上げているわけではありません。現行のスタイルマニュアル(導入部)でも黙示的には示されていることを、この際明示してはいけないかと言っているのです。

第二に『現代哲学事典』に載っている語はほとんどが外国語由来なのではないでしょうか。外国語由来の語には原語表記が必要だと私も思いますし、現行のマニュアルもそうなっています。

第三に『現代哲学事典』のような多言語表記の事典は少数派ではないでしょうか。そのような事典が紙の事典において多数派になればまた方針を変更すべきかもしれません。

第四にウィキペディアの他言語版でも外国語由来でない語に外国語を併記しているのはあまり見かけません。

第五にウィキペディアには他言語版へのリンクがあるのでこれにより外国語における対応語を知ることができます。

第六に完全に禁止すべきだとまでは言いません。個別の例で外国語由来でなくても外国語を併記すべき事情のある語については柔軟に対応すべきでしょう。ただそういう例は少ないと思います。

mononohazumi 2006年6月10日 (土) 11:43 (UTC) (追記)mononohazumi 2006年6月10日 (土) 11:50 (UTC)

学問系の事典では英独仏など主要原語での訳語を載せている例は多い。また、近代の事物に関する概念・用語は既に日本に定着して久しいながらも元々は外国から移入したというのが多く、そう簡単に外国語由来の語とそれ以外を峻別できるわけでもない。--Saintjust 2006年6月10日 (土) 12:43 (UTC)
黙示されていることを明示したいというだけの提案なので気楽にしてしまいましたが、意外と難しそうですね。
「学問系の事典」というのは専門用語を扱ったものですよね。一般的な外国語辞典に訳語が載っていない恐れがあるので読者の便宜を図るために載せているのではないでしょうか。ウィキペディアには他言語版へのリンクがあるのでそちらで十分だと思います。
スタイルはできるだけ簡潔であるべきです。特別の必要性がないのに外国語を併記するスタイルは簡潔さを欠くと思います。少なくとも冒頭の括弧の中に詰め込むべきではありません。現行のマニュアルで「外国語を併記しましょう」と書かないことで間接的に「外国語を併記する必要はない」ことが示されているのも簡潔さを志向する心理が働いた結果ではないでしょうか。
第二・三については反論をいただきましたが、その他の論拠についてはどうでしょうか。
mononohazumi 2006年6月11日 (日) 00:14 (UTC)
言われている通り、暗示を明示にするだけなのでおおむね賛成します。
しかし、既についているものを削除(といってもブラックジャックによろしくを見る限るコメントアウトですが)する作業には疑問を感じます。グイン・サーガ#作品一覧を見ていただくと分かりますが、これらの小説は日本人の作者の日本語の小説であるにも関わらず、英語のタイトルが付いています。これら英語のタイトルは、作者が誰かに依頼して付けてもらっているもので、出版された本に(通常の翻訳書であれば原語版の情報が書かれている部分に)記載されています。これらの小説が記事になって英語のタイトルがかかれていた場合、それを削除するのは好ましい行為とは思えません(実は1冊記事になっていますが英語タイトルは書かれていません(笑))。これに限らず、日本語由来のもののなかには英語のタイトルが公式に付いているものはあります(それらにどれほどの認識と意図があって付けているのか不明ですが)。なお、そういった背景調査までされた上での削除でしたら、私の失礼な意見をお許しください。Dada 2006年6月11日 (日) 10:55 (UTC)
『ブラックジャックによろしく』については英語で言及する際"Burakku Jakku ni Yoroshiku"でなく"Say hallo to Black Jack"とされる場合もあるようですし、何よりすでにあるものを削るのは心苦しいのでコメントアウトの形をとりました。この際マニュアルに明記することで心苦しい事態を減らせないかなと考えました。
個別の例で外国語由来でなくても外国語を併記すべき事情のある項目は私の思ったよりは多いかもしれませんね。
mononohazumi 2006年6月11日 (日) 21:52 (UTC)

しばらく放置してしまいましたが、提案を取り下げます。現行のマニュアルをどう読んでも「外国語由来でない語にも外国語を併記する」という意味には読めませんので。ただし、片っ端から英語を付け加える編集をする人が現れた場合には、くどくても明示すべきだと思います。--モノノハズミ 2006年8月19日 (土) 13:10 (UTC)

概要について

[編集]

>ウィキペディアでは、== イントロダクション ==、== 導入 ==、== 序論 ==のような見出しをつくらないようにしてください。その見出し内に書こうとしていた内容は、見出しを付ける前の部分で記述してください。

とあるのですが、「概要」という見出しはたくさんあります。[[2]]これも禁止されているという解釈でいいのですか? それとも、

>「要約」「概略」などの見出しで要約をつけることを妨げるものではありません。

の方に入るのでしょうか? 趣旨から言うと前者の気がしますが?--赤龍館 2006年9月28日 (木) 04:10 (UTC)

私もはっきりとは分かりませんが、「導入=概略」ではなく、「導入→概要」という考え方が基本になっているのではないでしょうか? 言い換えると、導入(イントロダクションや序論なども含む)という概念と概要(要約なども含む)という概念は対等ではなく、導入があってその後に概要を述べるのが基本になっているのではないかということです。Yahoo辞書の導入(2)概要を比べてみても「導入(=準備のため)→概要(=全体をまとめたもの)」であるべきだと思えます。--ピピヨン 2007年2月11日 (日) 09:37 (UTC)
私は赤龍館さんに同感です。「概要」という項目を作ることは概要を重複させることになり、文章の構成が変なように思います。私は記述スタイルの趣旨を次のように解釈しています:
> 本文の先頭から最初の見出しまでは、導入部として、その項目の概要について説明します。
(1)書き始めではその記事の概要(=全体をまとめたもの)を説明し、(2)詳細については見出しを作って説明する、という構造なのでは。
最近「概要」という見出しが増えていますが、読みにくい感があります。特に、導入部に一文を置いた後に、数行の「概要」を記された記事は、読みにくい記事に思います。たとえば、カナダ議会: 2007年3月2日 (金) 00:17版は、その一つです。
「概要」が記された記事のなかには、見出しを置いたほうが読みやすいものも見たことがあります。しかし、項目名として「概要」を付けられた項目のほとんどは、もっと他の分かりやすい項目に置き換えることができるように思います。
もっとも、私が、初めには言いたいことを述べ、次にその詳細を記述する、といった英語でよく見かけるスタイルの構造に慣れていることから、多少の偏見が含まれているかもしれません。--eveningmist 2007年3月4日 (日) 07:38 (UTC)
「記事のスタイル(記述量)」と「見出しの文言」の話がごっちゃになっていませんか?。eveningmistさんの仰るとおり、Wikipediaでは 1)書き始めではその記事の概要(=全体をまとめたもの)を説明し、(2)詳細については見出しを作って説明する…という構成が推奨されています。そして(1)は「導入部」であり、コンテクストを確立する部分であり、数行程度という推奨もされていたと記憶しています。で、ここには見出しをつけない、と。
その上で(2)に「概要」という見出しをつけることは問題がないというのが、本方針の意図でしょう。数行の導入部のあとに、十数行の「概要」が続き、さらに詳細な説明が続くということです。eveningmistさんの問題提起は
  1. この構成に問題がある。
  2. この構成になってない記事が散見されるのが問題である。
  3. 「概要」の節名は、もっと適切なものにするべきだ
のどれなのか、よく分かりません--はま 2007年3月4日 (日) 08:00 (UTC)
eveningmistです。はま さん、ご指摘ありがとうございます。私が問題としているのは、記事の構成、すなわちスタイルです。はまさんの言われます「記述量」ではありません。はまさんにまとめて頂いた項目のすべて、とくに2が私の意図に該当します。すなわち、はまさんの言われます、「(2)に「概要」という見出しをつけること」は問題と思います。これは、『概要』と『要約』・『概略』の混同に端を発します。
  1. この構成に問題がある。
    スタイルマニュアル(導入部)の項目4の定義は不完全ではないかと思います。この文から、概要は導入部に包括されることが望ましいことは分かりますが、「要約」・「概略」の節名も別に立てることもできます。『要約』・『概略』は『概要』と同義語であり、これが混乱を導き、「概要」の節名が増える結果となっているのではないかと思います。英語版では'As the lead section always comes above the first header, it is almost never useful to put an ==Introduction== or something similar.'[1]とあり、『概要』と同義の項目を立てることは推奨されていません。もっとも、日本語で書く場合の事情もあり、これまでにも合意形成がなされてきたものであることから、「要約」・「概略」の節名も別に立てることもできる方針には、不明確だとは思うものの、反対はしません。
  2. この構成になってない記事が散見されるのが問題である。
    そのとおりです。wikipedia:スタイルマニュアルに於いては「概要」の節名を定義をされておらず、この節は導入部に含めるべきだと思います。この原因は、上記1に書きました通り、スタイルマニュアル(導入部)の項目4の定義が不完全なためと思います。なお、はまさんが言われます、「導入部」を数行程度という推奨がされていたことは存じ上げません。
  3. 「概要」の節名は、もっと適切なものにするべきだ
    wikipedia:スタイルマニュアルに於いては「要約」・「概略」には書かれているものの、「概要」という見出しは定義されていないため問題とは思いません。ただし、上記2に述べましたとおり、各記事での「概要」の節名は、問題であり、この節を導入部に含めるべきだと考えます。
  • 参照
  • ^ en:Wikipedia:Guide to writing better articles
  • できるだけ明瞭に書くように心がけましたが、不明瞭な部分もあるかもしれません。ご不明な点等ございましたら遠慮なくご質問ください。--eveningmist 2007年3月5日 (月) 06:08 (UTC)

    2ヶ月もたってますが、個人的には、導入部は数行(100字程度)書くにとどめて、概要などは節を設けて記述するのがよいと思います。読み手にとって導入部は、この記事が何について記述しているのか「判別できる」ことが第1の目的としてあり、記事の概要や概略・要約については第2の目的としてあるのではないかと思います。しかしながら、導入部において第1の目的だけにとどめるべきだと思うのは、ウィキペディア特有の閲覧環境にあります。ウィキペディアの発展はすなわち、長い目次の出現を招き、それに伴い、導入部と最初の見出し以下の本文に距離が開くようになってしまいました。

    • 導入部(定義→概要)→→→→→→→→→本文

    つまり何が言いたいかというと、

    • 導入部(定義)→→→→→→→→→概要→本文

    の方が、読みやすいと思います。さらに、記事の右上に写真や長いテンプレートも出現し、その横に概要を書くと読みづらいです。しかし、改定案なら、左側に長い目次、右側に写真や長いテンプレートを配置することができます。ゆえに、本ガイドラインにおいて、導入部に概要を記述することを非推奨に変えませんか。--プロバロン 2007年5月17日 (木) 21:16 (UTC)

    非推奨にするのは難しいと思います。
    導入部の内容について私は、ウィキペディアの記事を元にしてコンパクトな用語集を作成しようとする場合に、各記事の導入部だけを集めれば一応それなりのものになる程度の記述があったらいいなと考えています。おそらくこれだと、「定義」プラス、簡潔な「概要」くらいまで含まれることになるかと思います。これに加えて、しっかりとした「概要」が必要なら、その下に節を作って言及するのが理想です。ただし、どこまでが「定義」で、どこからを「概要」と捉えるのかは、個人差もあるでしょうし、記事によっても異なるでしょうから、抽象論で話を進めるのは難しい部分があるかもしれません。--oxhop 2007年5月19日 (土) 15:20 (UTC)

    具体論で話すと、導入部を100字程度にするとよいと思います。しかし、oxhop様の意見にうなずけるところもあるので、概要を非推奨にするという意見を撤回し、「導入部は100字から150字程度が望ましい」とするといいかな、と思います。理由は、上で述べたとおり。--プロバロン 2007年5月25日 (金) 13:35 (UTC) 2007年5月25日 (金) 13:38 (UTC)

    一ヶ月以上待ちましたが、再反応がないので解説に反映しました。ただし、明確な合意が得られたわけではないので、3段落ルールも条件付で残しました。--プロバロン 2007年7月2日 (月) 18:16 (UTC)

    かつて国立国会図書館(現在、導入部は3段落)において、第二段落以下が「概要」として分節されたところ、これを不適切とする多数意見により「概要」節は廃止された(その代わり導入部自体もできるだけ簡潔にされた)という前例があります。ノート:国立国会図書館#「概要」の議論は本節の先行議論として参考になると思われます。 --Vantey 2007年8月7日 (火) 12:54 (UTC)
    自己フォローになりますが、国立国会図書館は上記投稿の12日後に「概要」節が再分割されて現在に至っています。「概要」節のあり方に関しては最新の議論によって新たな指針ができていますので、このノートの下方およびおもてのページをご参照ください。 --Vantey 2008年8月1日 (金) 16:35 (UTC)

    CDの冒頭部分

    [編集]

    最近、日本のCDの冒頭部分に、「『'''○○'''』は××の12thシングルである。」のような表記があります。記事内部の表記なら分かるのですが、導入部分にこう書かれると、このCDの分野に明るくない人や、英語表記に慣れていない人にとっては苦痛ではないでしょうか。ある程度は我慢していたのですが、あるCDの冒頭部分に「43rd」という表記がされているのを見て、問題提起させていただきました。スタイルマニュアルで禁止(若しくは「推奨されない」)するべきではないでしょうか。--天澄幽蛇AZ Cafe] 2007年3月2日 (金) 06:29 (UTC)修正。--天澄幽蛇AZ Cafe2007年3月20日 (火) 10:05 (UTC)

    ジャンル的に、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 音楽辺りでの提案から始めた方が良いような気がします。ただ、作品記事として「○枚目」や「○番目」という記述をした方が良い、という提案ならここでも良いかも知れません。--なっしゅびる 2007年3月2日 (金) 17:24 (UTC)
    過去にウィキプロジェクト アルバムで提案されたことがありましたが、「ウィキプロジェクトに拘束力は無い」との理由で一蹴されました。なので、「考慮すべきガイドライン」のレベルであるここで提案させていただきました。また、作品記事全般でもこのような序数詞を用いた数え方では読み辛い、との考え方ももちろんあります。--天澄幽蛇AZ Cafe2007年3月3日 (土) 04:45 (UTC)
    難しく考えずに、見つけるたびに12th→12枚目のなどと書き換えればよいことではないでしょうか。日本語版において12thのような表記が相応しくないことは冷静になれば誰でも分かることなので、編集合戦に持ち込んでまで英語表記に拘る人がいるとも思えません。--モノノハズミ 2007年3月4日 (日) 08:52 (UTC)
    順次書き換えています。が、それでもふと確認すると英語表記に変更されています(例に出した「43rd」も、私が加筆した際に「43枚目」に直したはずなのですが、現在は「43rd」に戻っています)。「誰でも分かること」とおっしゃいますが、分かってない人が多いんです。おそらくそれらの人たちに「その表記方法はやめろ」と言っても、「(アーティストの)公式にはこうなっている」と返すでしょうし、仮にその人が納得しようが、たぶん次から別の人が涌いてくることと思います。なので、ここでの提案とさせてもらいました。正直、ガイドラインで禁止しても書く人はなくならないという思いもあります。しかし、確実に減るとは思います。--天澄幽蛇AZ Cafe2007年3月4日 (日) 09:24 (UTC)
    そうですか。認識不足でした。どうも私は呑気すぎるようです。上のほうで冒頭括弧内の(原語でない)英語表記を明示的に禁止できないかと提案しましたが、そのときもあんな拒否反応があるとは予想していませんでした。 --モノノハズミ 2007年3月4日 (日) 10:25 (UTC) --(脱字補充)モノノハズミ 2007年3月20日 (火) 12:17 (UTC)

    議論が若干停滞しているようなので、一度提案をまとめさせていただきます。

    1. 「導入部分での作品の番号を表記する際に、アルファベットの序数詞を使用しない」と明記。
    2. 上記を示すCDの導入部の例をひとつ追加。取り消し。--天澄幽蛇AZ Cafe2007年4月2日 (月) 01:02 (UTC)

    特に1ですが。これだけ書けば少なくともアカウントを取っている方にはわかってもらえると思います。批判がないようならば、書き込みたいと思います。

    また、直接は関係ないのですが、現在CDの導入部分のタイトルに『』をつけているものとつけていないものが混在しているので、現在明示されていない部分を(例が挙げられているので、暗示はされているのですが)はっきり記入することも提案します。--天澄幽蛇AZ Cafe2007年3月20日 (火) 10:05 (UTC)

    良いと思います。天澄幽蛇さんの提案に賛成票を入れておきます。--はま 2007年3月20日 (火) 11:37 (UTC)
    私も賛成します。--モノノハズミ 2007年3月20日 (火) 12:17 (UTC)
    少なくとも「枚目」と言い換えることには反対です。私はなるべく日本語で書けることは日本語で書きたい立場なのですが、この件に関してのみは、言い換えることによるデメリットの方が大きいと考えられるからです。理由を端的に言えば、現状多くのJ-POPアーティストにおける「アルファベットの序数詞」は「アーティストが認定した公式ロットナンバー」のようなものであって、事実上の「枚目」とは限らないからです。これは日本のアルバムの発売形態が非常に多様化しているために起こる現象です。例を挙げると
    1. データ配信されたもので、物理的に「枚目」と数えられないが、公式には「2nd」などとされているアルバム
    2. 同日に違うタイトルで3種類発売されたが、どれも「3rd」とされたアルバム
    3. さらにその次の「4th」アルバム(6枚目なのに4枚目?)
    とりあえず、私が思いついたものだけでもこれだけあります。たとえば「3rd」アルバムが3種類発売された後の「4th」アルバムを「4枚目」に書き換えた場合を例に取ると、
    • 「~は、誰々の4枚目のアルバム。ただし、事実上の6枚目である。」
    という、よくわからない説明になります。このままでは説明不足なので、その後必ず「公式では4thアルバムとされているから冒頭定義で4枚目と書いた」ということを書かないと意味が通じなくなりますから、いずれにせよ「アルファベットの序数詞」は記事上から消えませんし、説明も書き換えた後の方が確実に長くなってしまいます。そういうことを一々説明するよりは
    • 「~は、誰々の4thアルバム。事実上の6枚目である。」
    とした方が、端的には意味が伝わりやすい、と思いませんか?また、アーティスト自身が「4枚目」とせず「4th」としている場合などは、より検証可能性に沿っているとも考えられます。これらが単独の理由であるならまだましで、活動の長いアーティストの場合、これらがどんどん組み合わさってとてもややこしいことになります。さらに、私が挙げた例もあくまで一例であって、もっとややこしい場合も出てくるかもしれません。これらをふまえた上でも「枚目」と言い換えるべきでしょうか?--ZERO 2007年4月1日 (日) 16:46 (UTC)

    その場合、"枚"だと媒体単位になりますので、「『なんちゃら』は、なんとかの○作目の~アルバム」とすればいいだけの話ではないでしょうか。上記にあるようなややこしい販売状況であれば、冒頭直後の節で経緯や「オリジナルアルバムとしては○作目である」とか解説しておけば、解説できると思います。--Dump 2007年4月1日 (日) 19:34 (UTC)

    「アルファベットの序数詞はロットナンバー」とおっしゃいますが、公式で発表されていようが、所詮は読みやすさやデザインからの、「○枚目」のかっこつけた言い方でしかありません。わざわざ序数詞でなければいけないというのをすべてのアーティストの方が検証可能性を満たすとは思えません。「同時に発売~」については、現在インディーズ時代を含む・含めない、オリジナルアルバム・それ以外などで「○枚目」が併記されている例も珍しくありません。「事実上~」で十分対応可能だと考えます。

    これらの序数詞は、CDに使われているからまだ違和感が少ないですが、たとえば「『'''○○'''』は××監督の4th監督作品である。」という表記ですら、今のスタイルマニュアルでは禁止することができません。「CDではこの表記がたまに使われる」以外に、これらを分けて考える理由は見つかりませんが。

    あと、提案2の「例を挙げる」につきましては、いいCDのアイディアが思い浮かばなかったので、取り消しさせていただきます。--天澄幽蛇AZ Cafe2007年4月2日 (月) 01:02 (UTC)

    私の言葉が足りず、大変な誤解を招いたようなので補足します。私は「必ず序数詞でなければいけない」と言っているわけではないんです。「○枚目」で全く問題が出てこない場合は、それがベストだと思っています。この点までは皆さんと同じ考えです。私が問題としているのは「現在記載されている助数詞を書き換えることで、先ほど挙げたような(もしくは予測していないような)問題が出てきた場合でも、無理矢理にでも「枚目」「番目」に書き換えなければならないのか?」という点についてです。実際スタイルマニュアルに掲載されたとなると、その後おそらく各記事で大規模な書き換えがなされるでしょう。そういった過程において問題が起きた場合、Dumpさんのお話でいえば、「枚目」「番目」に書き換えて説明文を加えることで、かえって著しく冗長になってしまう場合など、 天澄幽蛇さんのお話でいえば『資料に「○枚目」が併記されていない例』に直面した時などです(事実そういう事例があります)。こうなった場合に『「○枚目のかっこつけた言い方でしかない」というのはあなた独自の見解である。「○枚目」と言う表記は資料には出てこないので検証可能性を満たさない上、事実上の「枚目」とは異なる。資料に基づいて序数詞に書き換えるべき』といったような意見が間違いなく出てきます。こうなった際に『あくまで「考慮すべきガイドライン」であるから強制力はなく、何らかの理由・特殊な事情があればノートで議論して「枚目」「番目」でなくてもよい』と考えられる余地があるように説明文には配慮していただきたい、ということなのです。文例としては「枚目(番目)が望ましい」などです(Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト アルバムの議論は今見えないようなので、ここに置いておきます[3])。--ZERO 2007年4月2日 (月) 22:45 (UTC)
    私はスタイルマニュアルでは「望ましい」という表記はあまり好ましくないと考えています。「別に禁止されていないんだから、かまわないだろう」と解釈する人が、(経験上)おそらく出てきます。また、文章を無駄に長くするとさまざまな解釈がされてしまうので、これもあまり好ましくないと思います。
    また、例えばあるアーティストが何らかの理由で4枚目のアルバムを「4th」としていて、それを冒頭部分に書いたところで、始めて見た方には何のことか分かりません。私の提案が「意味の分からない表記を減らす」ことを目的としている以上、それを冒頭部分には書くべきではないと思います。解説部分に書くなり、表記方法はほかにあると考えます。
    ちなみに、ZEROさんがおっしゃる例外的な事例については、私はまったく理解ができません。私の足りない脳にすべての非があるとしても、具体的な事例を挙げてはいただけないでしょうか。--天澄幽蛇AZ Cafe2007年4月3日 (火) 02:43 (UTC)

    わかりました。そこまで反対なさるのであれば、みやすいとおっしゃる方が多い方にに従います。--ZERO 2007年4月3日 (火) 13:04 (UTC)

    定義文の体言止めについて

    [編集]

    定義文が大言止めになっている例がたいへん多いのですが、どうしてこのようなことがはやりだしたのでしょうか? 本文も全部体言止めにするなら整合性がとれますが(もちろんそんなことはご遠慮いただきたいですが)、定義だけ体言止めとするのは文章としてあまりに稚拙でしょう。○○は××である、というように述語をキチンと書いてほしいものです。--PeachLover- ももがすき。 2007年8月5日 (日) 03:11 (UTC)


    定義文の体言止め

    [編集]

    定義文を体言止めにするおかしな現象が非常に目につくのですが、このようなことが起きているのはなぜでしょうか? 定義文を、キチンと述語を書かずに体言止めにしましょうというようなことが推奨されているのですか? 気持ち悪いですね。なぜ「~は××である。」と書けないのでしょうか?--PeachLover- ももがすき。 2007年8月10日 (金) 14:36 (UTC)

    どうも「冒頭定義は簡潔に」という部分が一人歩きして、単に短く書ければ(=文字数さえ少なければ)良いと思っている人もいるみたいですね。小生は個人的に焼いたシシャモの頭と尾を取り除いて盛り付けられているみたいで落ち着かない部分ではありますが。
    それらの記述では、作成時にWikipedia:素晴らしい記事を書くには#冒頭の段落は明確で簡潔に辺りをやや誤解しているのかもしれません。文法上であからさまな誤りもなく意味が通れば別に構わないとは思いますが、冒頭文は概要やその他の節に橋渡しをするための食前酒みたいなものなので、多過ぎても駄目だし、変に自己主張(文章の癖が強いなど)されても困るという面もあるかも。やはり冒頭部分は洗練された簡潔な文章を心掛けたい…と思っているけど、小生自身もどーもうまくいきません(自爆)。気になったら修飾と過剰な説明の記述は概要の節に分離して、コンパクトにまとめると美しいかも?とか個人的に思っています。--夜飛/ 2007年8月10日 (金) 15:03 (UTC)
    体言止めしたから述語がないということはいえません。というか述語と体言止は関係ありません。といっておきます。さて、「~は××である。」という書き方が推奨されているのでしょうか。百科辞典的であればなんら問題はないと思いますがいかがでしょうか。ところで、「気持ち悪い」という個人の主観で井戸端に苦言を呈するのはなんか間違っているような気がしてなりません。--あなん 2007年8月10日 (金) 15:16 (UTC)
    感覚の問題だけではなく、PeachLoverさんが指摘する体言止めではない記述のほうが、他の部分の文章の記述との整合性を考えても、内容の適切さからみて妥当だと思います。ただ、「である」などを省略が不可だ、というほど、大きな意味がある話ではないように思います。新聞などの日常的に目に触れる「記事」だと省略したがる傾向が影響しているように思います。直せる際には適宜直すべきかと思いますし、特にその点で編集合戦等になるような話ではないように思いますが。--磯多申紋 2007年8月10日 (金) 15:28 (UTC)
    体言止を推奨はしませんが、あったらおかしいとも思いません。それよりは、冒頭の導入文を「定義文」と呼び、「A は B である」式の文しか認めないあるいはそれに準じて近い形にしなければならない、というような風潮が当たり前であるかのように言われていることのほうが違和感を禁じ得ません。既に引用されている「すばらしい記事を書くには」に統合されてしまった元ネタであるwikipedia:コンテクストを確立するが示唆している内容は、記事の主題に対する導入として、主題を含むさらに広い文脈や主題の簡単な説明をすることによって、記事の主題が置かれているコンテクストを明らかにするように求めています。記事の主題になんらかの定義がある場合にそれを記述することは、コンテクストを確立するいい考えのひとつである、ということが示唆されているだけであって、記事冒頭が定義文であるべきだと言われているわけではないと考えます。記事の主題に関する定義が含まれない冒頭文はありえますし、認められるべきではないですか。--Wailerleaf 2007年8月10日 (金) 15:37 (UTC)
    段落末尾が体言止めになっていると違和感がありますが、そうでなければ使用を問題視するほどのことではないように思います。特に末尾が似たような表現の文が続くと流れが悪いので、その回避を目的に用いるのは一理あるかと。--こまくさ 2007年8月10日 (金) 16:04 (UTC)
    好みの問題ではないでしょうか。どちらでもあまり気にしない人もいれば、どちらかでないと気になるといった方もいると思います。個人的には「である」がついていないためか、定義なしと即時削除に出される記事を見つけるとなんだかなと思います。明仁は、・・・(中略)・・・今上天皇。といった定義文に「である」がついてもつかなくても、文章を理解することはできますし。--Tiyoringo 2007年8月10日 (金) 15:59 (UTC)
    こんなところに議論があるとは思いませんでした。いささかいまさらながらのコメントですが、私としては「〜である」で終わるほうがキモチワルイです。おおむねの日本語の百科事典は「〜をいう」などの場合以外、「〜である」のときは「〜。」で体言止めするのがほぼ慣習であるように思っていました。実際手近の平凡社や小学館をみて、やはりそのように読み取れるのですが、そうでもないのでしょうか。--Kotoito 2008年2月11日 (月) 08:19 (UTC)
    今日ちょこっと図書館で眺めた百科事典では、(例文は天文台からとってますが)
    天文台 天文学の研究を行なうための施設。」
    というふうになっているのに対して、ウィキペディアでは
    天文台は、天文学の研究を行なうための施設。」
    というふうになっていて、わずかな違いのようですが私には後者は気持ちわるく感じます。--Kestrel 2008年3月23日 (日) 13:04 (UTC)
    どちらかでなければならない理由があることについては議論を経て結論を出すことを試みる価値があるわけですが、どちらでも良いことについて議論をしてもどうせ結論は出ませんし、あまり意味がないように思う。「必ず『~である』とすべきである」なんていう結論を出してまたひとつ新たなルールを作ろうということならば、猛反対させてもらおうと思う。どっちでもいいじゃん、説明としてクォリティが下がるとかってことじゃないんだし。
    ひとつ付け加えておくと、冒頭部に「A=B」形式の一文がないというだけの理由で「定義なし」とか言って即時削除を貼り付けるやつとかにはたびたび殺意を覚えているということを書いておきたい。定義ってのは、何について説明をする項目なのかの宣言なんかなわけで、それにはいろいろな様式があるんだ。定義文がない=定義なし、みたいな短絡思考をする程度のひとは百科事典作りという趣味に向いてないよ。--Nekosuki600 2008年3月23日 (日) 13:23 (UTC)

    読み仮名の省略について

    [編集]

    現在の方針では「ひらがな部分とカタカナ部分はそのまま読みにも書く。」とされていますが、ひらがな・カタカナ部をハイフンやダッシュなどで省略する記事が多いように見えます。
    例:スタイルマニュアル導入部(-どうにゅうぶ)とは~

    これは気づき次第直していいものなのでしょうか。 それとも、事実上の慣例としてそういった記述が推奨されているのでしょうか。--meekcharat 2007年8月24日 (金) 07:09 (UTC)

    特に議論はないと思います。私は他に加筆する内容があるときに限って直しています。ただしあまりにもひらがな・かたかな部分が長いものは放置しています。このようなゆるい運用でよいと考えます。関連する議論として索引の自動作成によみがなを使うというものがありますから、本当はきっちり書いた方がよいのでしょうが。---Redattore 2007年8月24日 (金) 07:25 (UTC)

    「リダイレクト元になりうる別名を太字で書く」はやめませんか?

    [編集]
    導入部で、リダイレクト元になりうる別名を太字で書く。

    とありますが、このガイドラインは削除しませんか?

    私が主に編集に関与している記事では、ツイストペアケーブル‎10ギガビット・イーサネット‎のようにツイステッド・ペア・ケーブルツイスト・ペア・ケーブルツイステッドペアケーブルツイステットペアケーブルとか10ギガビットイーサネット10Gbitイーサネット10Gビット・イーサネット10Gビットイーサネット10Gbイーサネットといったリダイレクト元になりうる別名がありますが、とてもこれらを導入部やその後にも含める気にはなりません。これらのページ名が特殊ではなく、多くの記事名が1つや2つはリダイレクト元になりうる別名があるのではないですか? 幸い実際に、このガイドラインを実践しているページはほとんど無いように思います。

    別名で無くても、導入部で英語での表記やその略称まで含めて3-6単語程度が太字で最初の1行程度が太字というページもそれほど珍しくはありません(例:国際自動車連盟)。もともと導入部は強調したいことが多く集まるために、意識して太文字を避けないと太文字だらけになります。現在のガイドラインではその傾向を助長しているだけで、あまりメリットを感じません。

    だいたい、太文字は強調したい単語単位や、せめて1文単位で使うのが効果的で、バラバラの単語を連続して太文字にしても、強調になりません。上の単語のリストはわざと太文字の連続にしました。 私自身は1行目は記事名以外は英語等の略称以外は太文字以外は使わないようにしています。皆様のご検討をお待ちいたします。Tosaka 2007年11月12日 (月) 12:38 (UTC)

    確かに場合によってはデメリットとなりうると思います。どれを強調するかは執筆者の判断に委ねる方が良いのではないかと思います。もちろん別名の強調が自然な場合もあり、その場合はメリットとなるでしょう。例えば自分で書いた実例としては生物学染色体説のところで太字を用いています。導入された経緯を調べていないのですが、このマニュアルはこういう場合を念頭にしたもので、Tosakaさんの例のようなものについては考慮していないのかもしれません。また、必ずしも全ての別名を載せる必要もないかもしれません。それから、推奨のルールとして残す場合は、リンクにより具体例を示しておくと良さそうです。電気山羊 2008年2月23日 (土) 17:09 (UTC)
    >導入部で、リダイレクト元になりうる別名を太字で書く。ただし、別名の数が多い場合は別名のすべてを太字にする必要はない。(例:*****、***)
    のように、補足を入れるのがよいのではないでしょうか。また国際自動車連盟についてはセクションを別にして述べます。--miya 2008年2月24日 (日) 00:33 (UTC)

    項目名が「日本語訳」である場合の原語表記の位置

    [編集]

    国際自動車連盟のように項目名が「日本語訳」である場合、原語表記は、冒頭の読み仮名のカッコ内に入れない方が読みやすいのではないでしょうか。厳密にいえば「読み仮名」ではないのですし。以下の例をご覧ください。

    スタイルマニュアル例文
    『フィガロの結婚』(フィガロのけっこん、Le Nozze di Figaro)とは、フランスの劇作家ボールマルシェによる戯曲、および同戯曲をロレンツォ・ダ・ポンテがイタリア語に訳したものをもとにモーツァルトが作曲したオペラである。原作は『セビリアの理髪師』の続編にあたり、1784年にパリで初演された。
    原語表記を後ろに回した例:スタイルマニュアル例文を改編
    『フィガロの結婚』(フィガロのけっこん)とは、フランスの劇作家ボールマルシェによる戯曲、および同戯曲をロレンツォ・ダ・ポンテがイタリア語に訳したものをもとにモーツァルトが作曲したオペラである。原題は: Le Nozze di Figaro(ル・ノッツェ・ディ・フィガロ)。原作は『セビリアの理髪師』の続編にあたり、1784年にパリで初演された。
    フィガロの結婚 2008年2月19日16:21の版より
    フィガロの結婚』(フィガロのけっこん、: Le Nozze di Figaro: Les Noces de Figaro: The Marriage of Figaro: Die hochzeit des Figaro)は、フランス劇作家カロン・ド・ボーマルシェの書いた風刺的な戯曲、ならびに同戯曲を題材にヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲したオペラ作品である(Le Nozze di Figaro, K.492)。・・・
    原語表記を後ろに回した例:フィガロの結婚2008年2月19日16:21の版を改変
    フィガロの結婚』(フィガロのけっこん)は、フランス劇作家カロン・ド・ボーマルシェの書いた風刺的な戯曲、ならびに同戯曲を題材にヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲したオペラ作品である(Le Nozze di Figaro, K.492)。原題は: Le Nozze di Figaro(ル・ノッツェ・ディ・フィガロ)、: Les Noces de Figaro: The Marriage of Figaro: Die hochzeit des Figaro。・・・

    このように、項目名が日本語訳の場合は原語表記を読み仮名のカッコに入れない方がよいのではないでしょうか。--miya 2008年2月24日 (日) 00:33 (UTC)

    僕も他国語版記事の和訳を手がけたことがあり、主に3番目の方式に近い書式を採用しています。最近の例ではフランスの映画作品「ザ・カンニング IQ=0」のように外国語のタイトルを入れる場合は母国語のタイトル(この場合フランス語)と英題に留めており、英語表記と母国語表記までなら読み仮名の後に併記してもよいのではかと存じます。なお3か国以上に渡る場合は分離した方がよさそうですが・・・--Comyu 2008年3月7日 (金) 17:01 (UTC)

    「○○は××である」か「○○とは××である」か

    [編集]

    最近、「○○××」という定義文を「○○とは××」という風に書き換える編集を時々目にします()。どちらが正しいのでしょうか。個人的感想を申し上げますと、「○○とは…」は何とも言葉にしづらい違和感を感じます。それは別として、わざわざ変更する必要はあるのでしょうか。--Avanzare 2008年4月8日 (火) 07:56 (UTC)

    結論から申しますと、「は」でも「とは」でも、お好きなほうを用いればよろしいかと思います。現状ではいずれの形も用いられており、日本語としても違和感は感じません。どちらを用いるかは、前後の文脈や好みによって決定される程度のものでしょう。この項目でも、いずれの形もWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#例の内で挙げられているのが、何よりの証拠でしょう。
    ただ、最近は Google などの「とは検索」への対策として、「とは」を用いる編集者さんも多いように感じます。とは言え、「わざわざ変更する必要があるか」と問われれば、「特にはない」が大方の答えでしょう。
    また、ご存知とは思いますが、そのような瑣末な言い回しだけを書き換えるような編集はあまり歓迎されません。Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすをご参照になればお分かり頂けるように、他の加筆・修正などの編集を行った際に同時に行うならば、大きな問題とはならないでしょう。ですので、「とは」への書き換えのみを行うような編集者さんがいらっしゃったら、利用者ページのノートなどで注意喚起の呼びかけを行ってみるのも有効かも知れません。
    --Marianne 2008年4月8日 (火) 15:49 (UTC)

    読み仮名が不要な英数字について

    [編集]

    現在は

    • 読みが不要なものは次の通りにする。
      • 項目名がひらがな、カタカナだけのもの。
      • 項目名が英数字だけのもので、特殊な読み方をしないもの。

    とあります。 「英数字だけのもので、特殊な読み方をしないもの」では例えば「GO」は単語として読んで(ゴー)か、あるいは一文字ずつ読んで(ジーオー)か悩む場合もあるでしょう。いっそのこと「項目名が英数字だけのもので、通常の読み方がひとつに限られるもの」としたほうが良いのではと考えました。現実にはまぎらわしいものについては読み仮名がつけられているようなので大きな問題ではありませんが。--Sweeper tamonten 2008年4月16日 (水) 19:59 (UTC)

    導入部の長さについて変更案

    [編集]

    ノート:荒木飛呂彦の議論で促されてきたのですが、導入部の長さについての「100字~150字程度が望ましい」は目安としても短すぎるように思います。この目安に従ってか、数100字しかない導入部を「概要」の節でわざわざ分断するだけの編集を各所で見かけるのですが、Wikipedia:スタイルマニュアル (見出し)にも「たった一つや二つの段落に見出しを用いないでください」とあり、文章量の少ない「概要」の節をわざわざ作るのは好ましくないのではないかと思います。100字~500字程度に幅を持たせることを希望します。現在の目安では夏目漱石ジェイムズ・ジョイスの導入部が長すぎるということになりかねません。--Metronome 2008年5月4日 (日) 22:02 (UTC)

    導入部分の長さについてどう書くかは、悩ましい問題だと思います。以下、ひとつの意見として考慮していただければ、と思います。
    荒木飛呂彦の導入部は〔荒木 飛呂彦(あらき ひろひこ、1960年6月7日 - )は、日本の漫画家。代表作は『ジョジョの奇妙な冒険』。〕くらいでいいと思うし、夏目漱石やジェイムズ・ジョイスも「小説家。代表作は・・・」くらいでもよいと思います(そのほかの部分は、略歴などに記載。なお、身長体重や家族構成などは、記述の必要性なども含めていろいろ考えるべき部分だと思います。プロスポーツ選手だと体格も重要な情報ですが、漫画家の場合はどうなんでしょう・・・)。j8takagi 2008年5月5日 (月) 02:44 (UTC)
    問題点が伝わっていないような気がします。
    まず、人物記事などの場合、定義のほかに主たる業績などを概要としてかいつまんで説明するのが望ましい、という点については概ね意見の一致が見られていると思います(秀逸な記事に選ばれているノストラダムスなど)。漫画家や小説家の概要は代表作だけでよい、というのは少々乱暴な意見では。その上で(概要を記す上で)3~400字程度しかない短い「概要」の節をわざわざ作るべきではなく、その程度なら導入部にまとめるべきではないか、という話だったのですが・・・。上述した夏目漱石やジェイムズ・ジョイスなどの例も、略歴、作風、評価などを適度にまとめたものの例として挙げたのですが、J8takagiさんはこれらが好ましくないとお考えなのでしょうか。--Metronome 2008年5月5日 (月) 03:08 (UTC)
    んー、「業績」の捉え方が私とMetronomeさんでは違うのでしょう。小説家や漫画家の場合、「作品」(代表作)こそが業績のほとんどだと私は考えます。
    また、略歴、作風、評価は、「業績」と比べると1段重要性の低い情報であり、そうしたまとめは概要部分に必ずしも必要ではない、と私は考えます。漱石やジョイスの記述は、わざわざ修正する必要があるとは考えていませんが、現状がベストとも思っていません。「荒木飛呂彦」の場合、学歴や同期生などの記述は「百科事典に載せるべき業績」とは明らかに違うため、概要への記載は好ましくないと考えます。また「荒木飛呂彦」の場合、概要を短くするとしても、現在導入部に記載している情報は「略歴」や「作風」に移動させるだけでよく、「概要」の節をわざわざ作る必要はどのみちないと考えます。j8takagi 2008年5月5日 (月) 03:57 (UTC)

    (インデント戻す)リンクしておきますと、この変更#概要についての議論ですね。

    Metronomeさんの意見に賛成です。多くの記事では150字では、ここの本文に書かれている 導入部に概要がまとめてあることが望ましい。 という条件を満たす事は出来ません。参考として、最近選ばれた秀逸な記事の選考終了時点での導入部の量を、選考の新しい順に10例、大雑把に調べてみました。

    記事ごと・分野ごとに事情が異なるでしょうから、ここの数字はあくまで目安として考えるべきでしょうが、上限の数字としては 500 - 600 程度が適切だろうと思います。それを超えてしまう場合のみ概要節に分けるのが適切でしょう。分けた場合の導入部は、j8takagiさんの言われた程度に簡潔にとどめた方が良いと思います。--Kickaha 2008年5月5日 (月) 03:40 (UTC)

    (「100字~150字程度」を支持)冒頭文には簡潔明瞭な定義だけを置くのがよいと考えています。ただし概要を分離するには短すぎる場合のために
    概要に分割するには情報量が少なすぎる場合は概要を別立てしなくてよい
    と注記してはどうでしょう。私個人としては、夏目漱石やジェイムズ・ジョイスも定義以外は概要として節を改めた方がよいと考えていますが、どういうスタイルにするかは、ウィキプロジェクトで話し合って決めるべきでしょう。荒木 飛呂彦で言えば、冒頭は定義と本名だけにして、のこりは執筆スタイルともども概要にまとめた方がいい(冒頭に身長体重だの血液型だの既婚や子どもの有無だのは不要)と思っています。冒頭が短い方がいいと思うのは、携帯電話で閲覧しやすいという理由もあります。携帯端末からだと、冒頭文が短い方が目次が上に来て、目的の情報を見つけやすいのです。--miya 2008年5月5日 (月) 04:32 (UTC)
    Kickahaさん、情報整理ありがとうございます。非常に参考になります。
    携帯電話での閲覧の便というのは考えていませんでした(携帯持ってない)。冒頭に500字あるとそんなに不便なものなんでしょうか。短い「概要」節に抵抗があるのは(ノート:荒木飛呂彦でも書きましたが)「英語版でそんな節は見たことがない」ということもあります。英語の文と日本語の文とでは見易さなども違うでしょうから一律にすべきではないですが、分量関係なく無闇に「概要」節が作られていく現状はちょっと奇異に感じます。
    ウィキプロジェクトで(つまり分野ごとに)議論されるべきというのは分かりますが、ある程度規範となっているスタイルマニュアルの方であまり制限(のようなもの)を設けるべきではないと思うので、やはり幅を持たせたほうがいいんじゃないか、というのが私の意見です。
    荒木飛呂彦に関して、冒頭に身長だの血液型だの同期生だのいらない、というのはまったく同意見ですが、略歴の文章にうまく組み込めず、独立させるとトリビアの箇条書きになってしまう、というような事情でなんとなく冒頭に来ているような感じです(そもそも事典の情報としてもいらんと思うのですが、書き込む人がいるので)。この点は「概要」節に独立させても事情は同じかと思います。なお「執筆スタイル」などは漫画家の業績や特徴としてはそれこそ瑣末な事柄ですので、この部分を概要に組み込んで記述すべき、というご意見には首肯しかねます。--Metronome 2008年5月5日 (月) 05:20 (UTC)
    スタイルマニュアルでは幅を持たせるべきだという意見に賛成です。150字では、極端に少なすぎます。Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)で、導入部の第一段落の例として挙げられている文章すら収まりません。ちなみにスタイルマニュアル (人物伝)では、「人物の主な活動」「人物がどうして重要か(主な活躍)」までを、第1段落に記載すべきとされています。またmiyaさんは ウィキプロジェクトで話し合って決めるべき と書かれましたが、発端の「荒木飛呂彦」を扱うWikipedia:ウィキプロジェクト 漫画家では、詳細項目を読まなくても導入部で説明が完結するような書き方が推奨されています。--Kickaha 2008年5月5日 (月) 08:06 (UTC)

    定義というのは、他の類似のものとの区別を可能とする必要がありますから、例えば漫画家の場合は、単に漫画家であるということだけでなく、他の漫画家との区別が可能な程度の情報、つまり、どのような漫画家なのか、まであってはじめて定義になると理解すべきだと思います。デビューした年、代表作、どのような系統の作品が多いか、などは定義に含まれると思います。だとすると、定義だけでも150字程度ではきつい場合が多いだろうな、とは思います。しかし、具体的にどの程度の文字数までならOKというのは、なかなか難しいですね。環境も様々ですし。

    それよりも問題なのは「概要」節のあり方で、こちらに関しては私も変な記事が増えたなと感じています。分量の少ない「概要」節もそうなんですが、それ以外にも、記事全体が概要でしかない状態で、その中の一部記述に「概要」というタイトルをつけているものは滑稽ですし、「概要」節の中身を読んでみると全然「概要」ではなくて「雑記欄」(それだけでは単独の節とするのが難しい程度の短い説明による情報を放り込んだもの)と化しているものも多いです。基本的に、秀逸記事のような読み通すのに数時間かかるようなデカイ記事には5分程度で読めるくらいの分量の「概要」節があると便利なのですが、コンパクトな記事には不要だと思います。雑記類は目次のすぐ後ではなく、あるとしても記事の下の方にあるべきですし、記事の初めで言及しなければいけないような情報なら冒頭部にあるべきだと思います。冒頭部が肥大化しすぎな場合であれば、安直に冒頭部と「概要」節に分断するのではなく、定義の書き方や記事の構成自体の見直しが必要になるのと思います。トリビア節に否定的な意見も強いようですが、冒頭部や「概要」節に書かれるよりはよほどマシだと思いますので、暫定的なメモ書きスペースとしてあってもよいのでは(将来的には記事本体へ組み込んだり、情報自体を除去するなどの整理が必要なのはもちろんです)。--oxhop 2008年5月5日 (月) 12:01 (UTC)

    私はmiyaさんの意見に賛成です。幅を持たせるにしても最大500文字では一般的な原稿用紙が400文字詰めですので概要として分けるのに十分な量であり導入部としては長すぎるのではと感じます。
    導入部はあくまで定義を書く場所なので100文字から200文字程度が望ましいかと。ですが分割する必要がない程度の記述があり略歴等のまとめるのに適した節がないのならばそのまま導入部に書いてしまう形がよいのでは。荒木飛呂彦の記事でいえば「1980年「武装ポーカー」でデビュー。」云々からの記述は定義としては不必要な情報なので略歴等にまとめるのがベストだと思います。--Qret 2008年5月5日 (月) 14:47 (UTC)

    >Oxhopさん 特にサブカルチャーの記事でトリビア節をつくってしまうと事典的でない情報が次から次へと書き込まれていくんですよね。私はトリビア節を作るくらいなら次善の策としてパーソナル・データを冒頭に組み込んだほうがよい、という立場です。「概要」しかない記事に「概要」の見出しがいるのかというのはまったく同感で常々感じていたのですが、これも携帯電話からの便を考えるとあったほうがよいということになるのでしょうか。 >Qretさん ノート:荒木飛呂彦でも述べましたが、略歴に組み込んでしまうと概要に当たる説明がなくなってしまうんですよ。原稿用紙が400字詰めだから400字で分割すべきという論理的根拠がよく分からないのですが、この点をもう少し説明していただけますか。--Metronome 2008年5月5日 (月) 17:22 (UTC)

    まとめと再提案

    [編集]

    論点は概ね出尽くしたようなので、ちょっと仕切りなおします。現在、目安を100~150字/200字に維持すべきとの意見と幅を持たされるべきという意見が伯仲しております。しかしここで話し合われているのは「考慮すべきガイドライン」であり、「多くの利用者が基本的に同意」しているはずのことで、議論が伯仲しているということ自体が、上の数字はガイドラインの目安としてふさわしくないということの証左ではないでしょうか。携帯電話からの便宜も考えた方がよいというmiyaさんの意見も顧慮すべきところがあると思いますが、しかしWikipedia全体(つまり、他言語版も含めて。英語版のほかに独、仏、伊、ポーランド、中国語版の秀逸な記事のページをざっと見てきましたが、冒頭で短く定義を述べ、あとは概要などにまとめる、というスタイルが主流であるようなものはありませんでした)の現状から見ても、また日本語版における秀逸な記事群を見ても、そうした観点が利用者の間に行き渡っている(多くの利用者が同意している)ものとは言い難いようです。すべての記事に当てはまるスタイルマニュアルである以上、この場の狭い議論で「どのようなスタイルを推奨すべきか」を決定すべきではなく、「現状、良質な記事においてどのようなスタイルが取られているか」を基準に目安を設定するべきかと思われます。以上の観点から、Kickahaさんの報告が示すように、日本語版の秀逸な記事において、500~600字程度を境に冒頭に「概要」節が作られているということが蓋然的に見て取れることを踏まえ、目安を100字~500字程度に設定することを再度提案いたします。この観点からの賛成意見、反対意見をお寄せいただけますでしょうか。--Metronome 2008年5月6日 (火) 19:36 (UTC)--Metronome 2008年5月7日 (水) 17:42 (UTC)修正

    目安の文字数を変えることに反対ではありませんが、「導入部には定義(人物の場合は業績)をできるだけコンパクトに記載」「記事が大きい場合は記事全体のまとめを記載」などといった内容についての記載もあったほうがよいと思います。単に目安の文字数を増やすだけでは、「導入部に雑多な情報を記載する」結果を招きかねないと思いますので。j8takagi 2008年5月6日 (火) 21:33 (UTC)
    英語版のガイドラインには「導入部の適切な長さは記事全体の長さに依ります」というような文言があるようです。「導入部の長さは、記事の扱う内容や記事全体の量にもよるが、100字~500字程度であることが望ましい」くらいでどうでしょう。あくまで長さに関する議論ですので、導入部に何を書きどのようにまとめるか、といったことは分野ごと(人物ならウィキプロジェクト (人物伝))で個別に議論されるべきかと思います。--Metronome 2008年5月6日 (火) 22:01 (UTC)
    目安の文字数を変えること自体はいいと思うのですが、500文字というのは反対です(増やしても200文字程度)。定義や概要をまとめるのに500文字は必要ないでしょう。j8takagiさんの言う通り雑多な情報まで記述される恐れがありますし、あくまで導入部は簡潔なのが美しいのでは。--Qret 2008年5月7日 (水) 12:11 (UTC)

    荒木飛呂彦を外野から眺めてました。概要節を作ることそのものには賛成も反対もしませんし、文字数の目安についても意見を持ちませんが、この編集のようにただ単に見出しだけを挿入してぶった切るのはやめていただきたいです。概要なら概要と呼ぶにふさわしい内容が書かれている状態にしっかりと再構成してほしい。節の構成を変更するってのはそういう、結構な大仕事だと思います。内容を考慮することなく長さだけで節を切りまくった結果長期ブロックを受けた人を知っていますが、先の例はこれと同レベルの質の低い仕事と言えるんじゃないでしょうか。そんなわけで、節に分ける場合は単純に見出しを挿入するのでなく、記事全体の構成を考慮するような文言を盛り込んでくださるとありがたいです。--cpro 2008年5月7日 (水) 13:02 (UTC)

    Qret氏へ。議論の流れをまったく無視して「必要ないでしょう」と根拠も理由も示さず一方的に拒否するというのはどういうことでしょうか。「この観点から(多くの利用者が同意しているか、という観点から)賛否をお願いします」と述べたのにその観点についてもまったく言及されていませんよね?概要をまとめるのに必要な文字数についてもすでにKickahaさんより「概要をまとめるのに100~200字では難しい」ことが実例を持って示されているのにそれも無視し、導入部・概要が300~500字ある秀逸な記事や日々作られている新着項目群すべてに対しあなたは「いらない」と言い切れるのですか。
    「美しい」って別に私は短くまとめるのが美しいとは思いません。なぜ我々があなた一個人の美的判断に沿わなくてはならないのか。そろそろご自身の論点がおかしいということを自覚なさってください。きついことを言ってますが、議論を撹乱されてはこちらの方もたまったものでありません。--Metronome 2008年5月7日 (水) 17:42 (UTC)
    ★「導入部の長さは、記事の扱う内容や記事全体の量にもよるが、100字~500字程度であることが望ましい」・・・この変更自体はいいとは思います。ただし導入部に記載する「定義」(人物の場合は業績)は簡潔なのが望ましいということと、導入部に雑多な内容を入れないでほしいということは留意してほしいです。
    今回の議論で考えたのですが、「導入部に概要がまとめてあることが望ましい」というのは記事がある程度以上大きい場合に限った話かもしれないですね。記事自体が小さいときは、導入部の簡潔さの方を優先したい気がします。j8takagi 2008年5月8日 (木) 14:42 (UTC)
    ここまでの議論を踏まえて修正しました[4]。導入部は「簡潔な定義文+概要節」が良いという立場も、導入部で概要をまとめたいという立場も許容できる文面にしたつもりです。「短い記事」というのがどの程度の短さを言うのか、などちょっとあいまいな部分もありますが、あまり厳密な規定をしても意味がないと思うので。
    あくまで「長さ」の説明ですので、雑多な内容に関する注意は特に行なっていません。上述のように私自身は作家の作風や略歴まで冒頭に不必要とするのは反対ですし、トリビアの節を作るくらいならある程度冒頭に組み込んでもいいと考える立場です。例えばWikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人には、「冒頭における定義文は人物について語るにあたって「重要な事項を明確・簡潔」に記述することが望ましいので、上記の例に挙げてあるからといって欲張って詰め込む必要はない」という注記があります。導入部に何があるのが望ましいか/望ましくないかは記事の分野ごとに違うので、ここで一律に「とにかく簡潔にし雑多な内容は入れない」とするのではなく、このようにプロジェクトごとに規定していく形が望ましいと思います。--Metronome 2008年5月8日 (木) 23:11 (UTC)
    文言をさらに修正しました。目的は、文章の整理です。あと、「導入部はできるだけ簡潔に」という表現を強めました。Metronomeさんの意図も汲んだつもりですが、もしそうなっていないのならば再修正をお願いします。
    「導入部が雑多な内容にならないように」は、今後の宿題ですね。j8takagi 2008年5月9日 (金) 00:30 (UTC)

    すいません、異議有りです。[5]ちょっと最初に意図したものとちがった内容になってしまっています。「目安」というのは導入部を書く上での目安であって、「概要」の節を作るか作らないかの目安ではないです。現在の文面では長いものは文面を調節して分離することを推奨するかのような内容になっています。上述のように私は両方の立場を許容する文面にしたつもりで、今の文面では「短い定義文+概要節」の立場寄りになっています。賛成できません。
    極端な話、べつにミネソタ州の歴史(ちなみに英語版の秀逸記事の翻訳です)みたいに冒頭に1000字あったってさしたる問題は無いと考えます。600字を基準に概要をつくることを推奨することには同意できません。またそもそも問題の発端となっていた「「概要」をつけて回ったり消して回ったりする行為」に注意を促す文面は欲しいのですが、J8takagiさんはそのような編集をしたほうが良いという立場なのでしょうか? ええと、具体的には、第2・3文を私の案の第2文に(ですます調にして)置き換えることを希望します。(第1文は異存ありません)
    とくに意見が無ければ上のようにしておきます。
    --Metronome 2008年5月9日 (金) 00:59 (UTC)

    すいません、上記撤回します。やはり現在の第1文にも不満があります。
    現在の第1文は目安に拘束力があるかのような書き方になっています。簡潔さも強調しすぎではないでしょうか。上の議論でわかるように、私とJ8takagiさんでは冒頭の「簡潔さ」について見解の相違があります。雑多な内容を詰め込むべきではないというのはまったく同意ですが、大雑把に言うと私は「ある程度膨らませても良い」と考える立場であって、とにかく簡潔なのがよい、とは考えません。まだ見解の相違がある(合意が成り立っていない部分がある)ことに留意してください。私の意図は「どちらの立場も許容できるが、一方の立場を押し付ける編集は牽制する」文面を作ることです。--Metronome 2008年5月9日 (金) 08:47 (UTC)

    具体案の提示

    [編集]

    編集を行なうのは時期尚早だったようなので、まずこちらで具体的な文面を示し、合意が得られてから投下するようにしましょう。ほとんど最初の文面と同じですが、私の文案は以下のものです。

    • 導入部の適切な長さは、記事の扱う内容や記事全体の長さにもよりますが、短い記事であれば100字~200字(1~2段落)程度、長い記事でも100字~600字(1~4段落)程度にするのがよいでしょう。定義、概要はなるべく簡潔にとどめ、記事全体を説明しない雑多な内容を記述するのは避けてください。
    • 概要が長くなってしまう場合や、あるいはその方が記述しやすい場合は、「概要」「概略」などの見出しを設けてそちらで記述しても構いません。ただし、既存の記事に「概要」の見出しをつけてまわったり、逆に消して回ったりするような編集はくれぐれも行なわないでください。上記の数字はあくまで目安に過ぎませんし、あなたが見やすいと考えるスタイルが他の人にとっても見やすいとは限りません。

    上記について変更すべき細かな点、あるいは対案があれば提示して下さい。「長さ」についての本文はコメントアウトしておきますので、2~3日して異論が無ければ上記とまったく同じ文面にいたします。--Metronome 2008年5月9日 (金) 08:47 (UTC)

    1. Metronomeさんの具体的な改定案を見たら、なんかよく分からなくなってきました。例えば、Metronomeさんは導入部にトリビアを入れることも許容すべきだとおっしゃっていながら、その案だとトリビアを入れることはできないことになると思うのです(「避けてください」は「するな」ってことをやんわり言ってるだけ)。私はそれで構わないのですが、今回の議論の参加者の中で何が合意されていて、何が合意に至っていないのかがいまいち分からなくなってきました。
    2. そもそも、導入部の長さを考えるにあたっては、導入部の目的や役割(Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#定義あたりに書いてありますが、他にもあるかも)を果たす上で、必要な情報が過不足なく書かれていることが第一であって、文字数は二の次のはずです。にも関わらず、「長さ」と題して、まず「何文字から何文字程度が望ましい」みたいなことが書かれていることが元凶なのではないでしょうか。文字数ばかりに目が奪われて、これを短めに設定されていれば必要な情報まで目次の下へ回し、逆に長めに設定されていれば不必要な情報まで追加して、これでガイドラインには反していないのだ、となる。目安に過ぎないことを強調すればするほど、ガイドラインとして文字数の提示は本当に必要なのだろうか、と疑問に感じてきました。--oxhop 2008年5月9日 (金) 12:49 (UTC)

    合意ができていなかったと判断して、Metronomeさんと私の編集は差し戻しました。
    さて、Metronomeさんの案には、次のような問題を感じています。1つ1つは表現上の細かい問題です。だけど積み重なると結構気になります。

    • 1つ目
      • 文字数の目安よりも先に方針(例えば、「簡潔であるべき」)を示すべき。
      • 「が」でつなぐ文はわかりにくいし、美しくない(ノートならともかく、記事本文や方針文書では避けたい)
    • 2つ目
      • 長すぎる
      • 「その方が記述しやすい場合」があいまい
      • 「つけてまわる」「消して回る」の表現がわかりにくい

    対案を示してもなかなか受け入れてはもらえなさそうなので、代わりに私の考える、現在までの合意点をまとめておきます。
    次の点については合意ができるのかなと思っています。

    • 文字数の目安を変える
    • 導入部が短い場合は「概要」節は不要
    • 既存の記事の導入部を安易に分割すべきではない

    次の点は合意できていると思っていたのですが、そうでもないのですかね。

    • 導入部は簡潔であることが望ましい
    • 導入部が長くなる場合は、「概要」を別に設けることも可能

    以上です。j8takagi 2008年5月9日 (金) 13:56 (UTC)

    まず合意点について。おそらく現在まで合意が行なわれている(と私が考えていた)のは以下のことです。
    • 目安の文字数が100~150字では少なすぎる。(500~600程度まで幅があってもよい)。
    • 「概要」などの見出しを設けても良い。
    • 既存の記事を編集してあまりに短い「概要」節をわざわざ作るべきではない
    • 既存の記事の導入部を安易に分割すべきではない。
    • 雑多な情報を導入部に入れるのは好ましくない(出来るだけ「避ける」)
    以下の点は合意ができていません(合意できません)
    • 簡潔さを導入部の第一義として強調すること。
    • 目安に基づいて既存の記事を編集してまわる行為を是認すること。つまり記事を目安に杓子定規に当てはめようとすること。
    「簡潔さ」についてはすぐ上で述べたとおりです。合意は成立していないものと思ってください。私の文案が「目安」が「目安」に過ぎないことを強調しているのは、記事のスタイルの多様性を是認するためです。j8takagiさんは多分目安がつくられたのならその目安を既存の記事にも当てはめたいと考えられているのだと思いますが、新着項目に選ばれるような良記事でも上の目安に当てはまらない記事が多々あるような現状、ひとつのスタイルを好ましいものとして推奨するには、現在の議論では狭すぎると考えます。既存のすべての記事に「600字を超えているなら概要に分けるべき(「分けることを考えた方がいいかもしれません」)」ということを推奨するのであれば、コメント依頼やお知らせなどを通じて議論を周知し、より広い議論を行なってください(無論、私も議論に参加します)。
    oxhop氏への応答にもなりますが、私の文案は「合意されていることはそれほど多くははない」という認識に基づきます。合意されていない現状をそのまま反映したつもりです。そもそも文字数を掲げることが必要なのか、といったことは私も考えたのですが、例えばこれから記事を書こうとする人にとっての参考程度にはなるのではないかな、くらいに考えています。oxhop氏が懸念されている、文字数にとらわれた編集が行なわれるのではないか、ということについては、目安があくまで目安に過ぎないこと、「概要」節をつくることを妨げないこと、既存の記事を目安にしたがって編集して回らないことという文言を盛り込むことによって回避しようとしたつもりでした。
    さて、割と自信のあった文面が読みにくいと言われてちょっとショックなのですが、どうでしょうか。わかりにくいでしょうか。多少もってまわった言い方になっているのは、慎重に述べたりある程度の含みを持たせているためだと思うのですが・・・。自分ではこれ以上修正できませんので、修正案、対案などがありましたら(もちろん、そもそも文字数の目安はいらない、という意見もふくめて)よろしくお願いします。そろそろコメント依頼も考たほうがいいかもしれません。--Metronome 2008年5月9日 (金) 23:13 (UTC)

    (ちょっと別の話になっているので分けています。文案などに対するご意見は下にお願いします--Metronome 2008年5月10日 (土) 00:06 (UTC))

    Metronomeさんのコメントの内容についてはもう少し考えるとしてとりあえず・・・オモテのページで「長さ」の部分はコメントアウトしないでほしい。議論前の状態が「消去しなければならないほどの問題」だったという点についても合意できていないと思います(私は「変えてもよい」とは申し上げたけど・・・)。j8takagi 2008年5月9日 (金) 23:45 (UTC)
    100字~150字が目安としてふさわしいということ自体に複数の利用者から異議が出されているのですから、明らかに「多くの利用者が基本的に同意」しているものでは無くなっています。掲げておく理由は無いと思いますが。--Metronome 2008年5月9日 (金) 23:51 (UTC)
    異議が出てることは確かですし、その気持ちもわかります。だけど、「現状(変更前)が問題」という合意がとれている状態ではないですよね。だとしたら、保守的に対応するのが常識的だと思います。コメントアウトすると、結果として、合意がとれていないまま編集してしまうことになります。j8takagi 2008年5月9日 (金) 23:55 (UTC)、2008年5月9日 (金) 23:58 (UTC)一部修正
    理解できません。「現状が問題だという合意が取れている」とはどういう意味でしょうか。現状が問題だというのは異論が出ていることから分かるのであって「現状に問題がある」というテーゼに合意を得ることによって分かるものではないでしょう。もしそうだとすると、異論が出ているのにも関わらず現状が問題無いと考えるたった一人の人間が「現状に問題がある」ことに同意することを拒むことによって「現状に問題はない」ということになってしまう。論理的におかしいでしょう。「コメントアウトすると、合意が取れていないまま編集してしまうことになります」というのも意味がわかりません。説明を求めます。--Metronome 2008年5月10日 (土) 00:03 (UTC)
    「『現状(変更前)が問題』という合意がとれている状態ではない」で、「現在の文面を問題だとは思っていない人がいるかもしれない」という意味です。現在の文面をコメントアウトが必要なほど問題だと考えているのが本当に1人なのか、それともほかにいるのかは未検証です(ちなみに、「反対しているのがたった一人ではあっても、議論などにより合意を目指す」のがWikipediaの原則ではあります)。「文字数を変えること」には反対しない人でも、コメントアウトすることには異論がある可能性について留意してください。また、コメントアウトことについてはなにも話し合われていない点についても留意してください。
    「コメントアウトすると、合意が取れていないまま編集してしまうことになります」について・・・。文字数の目安を変更すること自体はある程度合意がとれているでしょう。しかし、コメントアウトについて合意がとれていません。j8takagi 2008年5月10日 (土) 00:51 (UTC)

    ああ、要するに「コメントアウトをすることに合意を取ってくれ」ということですね(他の点の説明はちょっと理解できませんが)。コメントアウトは論議中の文章を宙吊りにしておくごく一般的な手段だと思っていたのですが。{{Notice}}を入れておくことに異存はありませんか?--Metronome 2008年5月10日 (土) 00:56 (UTC)

    そうです < 「コメントアウトをすることに合意を取ってくれ」。{{Notice}}を入れておくことに異存はありません。j8takagi 2008年5月10日 (土) 01:06 (UTC)

    「文字数の目安よりも先に方針を示すべき。」に賛成です。

    簡潔さについては、次の3つの捉えかたができると思います。

    1. 中身度外視で単純に短ければ短いほうが良いという意味での簡潔さ
    2. 必要最小限の内容という意味での簡潔さ
    3. 内容的に過不足のないことを前提とした表現面での簡潔さ

    私は3なら賛成なんですけど、皆さんはどういう意味で簡潔が良いとお考えなんでしょうか? あるいは、Metronomeさんが反対されているのは、どの意味での簡潔さなのでしょうか?

    目安となる文字数の幅に関しては、現段階では合意に達していないと理解したほうが良いと思います。ここは、いろいろな見解があるということを前提として、各記事の執筆者間でうまく調整してもらう、という方向性にもっていったら良いのではないでしょうか。

    「概要」節をつくることに関しては、上でも述べたように私は原則的には反対の立場なのです。秀逸記事のように記事が巨大な場合はあったほうが良いと思いますが、それ以外の多くの記事においては「概要」節はなくても困らないし、導入部が長くなってしまった場合は記事の構成全体を見直して、それぞれ適切な節に情報を割り振るべきだと考えています。--oxhop 2008年5月10日 (土) 13:11 (UTC)

    私も3であればもちろん賛成です。ですが文頭に「簡潔さ」を示すj8takagiさんの文案では、「求められているのは内容的に過不足無いことを前提とした簡潔さである」というニュアンスがまったく伝わらないんですよ(「定義」のほうの文に書かれているとはいえ)。目安の文字数を設定することによって文字数にとらわれた編集がされることをoxhopさんが懸念されているように、私は簡潔さを第一義とすることによって「とにかく簡潔なほうが良いのだ」ということになってしまうことを懸念しているわけです。例えば先の議論の例では、J8takagiさんやmiyaさんは作家の記事の冒頭は代表作だけで十分だと言う。私やoxhopさんはデビュー年や作風などもあったほうがよいと言う。この場に限ってみても「簡潔さ」の解釈に差が出ているわけで、「簡潔さ」を強調することで前者がよいのだということになるのは私としては困るわけです。
    文字数については概ね「100~600字」でまとまっていると思ったのですが、oxhopさんが「いらない」という立場を取られるのであれば、文字数についても「概要」節の取り扱いについても意見の一致が見られていないということになりますね。私とJ8takagiさんの一番の争点も多分「目安を設定した上での概要節の取り扱い」だと思うので、目安を設置すべきでないとなると双方の意見の前提が崩れます。こうなってくると
    1. 意見の一致が見られないということをもって「長さ」に関する規定を本文から除去する
    2. 本文に「意見の一致が見られていない」「分野ごと・記事ごとに執筆者間で調整する」といったことのみを記すにとどめる
    3. コメント依頼へ移行
    くらいしか方策は無さそうだと思うのですが、いかがいたしましょうか。--Metronome 2008年5月11日 (日) 03:37 (UTC)
    ★「内容的に過不足のないことを前提とした表現面での簡潔さ」について、「内容」が明らかでない限りはなんともいえないです。
    「中身度外視で単純に短ければ短いほうが良いという意味での簡潔さ」の、「内容度外視」というのは論外です。もっとも、内容についての議論をしてないのだから、そのような印象になるのも仕方ないですね。
    一方、「必要最小限の内容という意味での簡潔さ」と「内容的に過不足のないことを前提とした表現面での簡潔さ」については、「内容」がわからなければなんともいえません。この2つを区別するよりは、なにが必要な内容なのかを考えるべきでしょう。私としては、この文書のほかの部分から、「定義は必須。概要は望ましい」という扱いになると考えていました。つまり、本当の必要最小限は「導入部には定義だけ」になるし、多くの場合は記事ごとに「概要」をどこまで記述するか考える、ということになると思うわけです。
    導入部は、「概要を含めても、目安となる文字数以下にする」のが理想です。そうならない場合は概要から不要な記述を削除して適切な節に割り振る、(仕方がないから)概要節を作る、(これも仕方ないから)目安を越える状態にする、という対応になるでしょう。ただし、既存の記事に関して概要節を作るのはいろいろ問題があると考えていまして、わたしの文案でも3番目の項目でそのことの注意は書いたつもりです。
    なお、繰り返しになりますが、「長さ」に関する規定を本文から除去するのであれば、除去するための合意が必要です。コメント依頼については、反対しません。j8takagi 2008年5月11日 (日) 09:12 (UTC)

    >除去するための合意が必要です
    そんなことはわかってますけれども、しかしそれはひょっとしてj8takagiさんは合意する気は無いってことじゃないですかね?仮に他の全員が除去すべきだと言ったとしても、「保守的に対応するのが常識的」で「合意を目指すのがWikipediaの原則」だから、j8takagiさん一人が頑張る限りはとても多勢の賛成が得られているとはいえない条項が半永久的にガイドラインに残るということになる、と。キャッチ=22じゃあるまいし・・・。j8takagiさんがそのような考え方でいる以上、コメント依頼をしようが何しようが無意味なんじゃないでしょうか。

    もともと「100字~150字」の規定はあとから(ごく最近)つけられたもので、この文章を付け加えたプロバロンさん自身「明確な合意が得られているわけではない」と明言されています[6]。そのときに反対意見が出なかったというだけで、目安について議論を経た上でのものではないのです。それを今あらためて妥当かどうかを議論しており、この長さに疑問を呈する意見が複数出ている。

    • 導入部の長さについての「100字~150字程度が望ましい」は目安としても短すぎるように思います(by Metronome)
    • 多くの記事では150字では、ここの本文に書かれている 導入部に概要がまとめてあることが望ましい。 という条件を満たす事は出来ません/導入部の第一段落の例として挙げられている文章すら収まりません。(by Kickaha)
    • 定義だけでも150字程度ではきつい場合が多いだろうな、とは思います(by oxhop)

    上記の意見が「問題はあるけれども、文面を変えるほどでもない」程度の異論に見えるのでしょうか。もう一度確認しますが、現在話しあわれているのは「考慮すべきガイドライン」の条項であり、「多くの利用者が基本的に同意」しているはずのことです。議論参加者の半数が疑義を呈しているような条項が上に当てはまるわけはない。したがって「ガイドラインにはふさわしくない」。単純な三段論法でしょう。これと「全会一致が見られなければ(いくら反対意見が出ようと)条項を手付かずのまま残すべき」という考え方といったいどっちが常識的なんでしょうか。

    以上はj8takagiさんに対する不信感の表明です。誠意あるご回答をいただければ幸いです。無論、話し合いで誰もが納得できる文章にするのがベストですが、この場の議論だけでも論者ごとに意見が分かれているような状態では、仮にコメント依頼にかけたとしても「誰もが納得できる統一的なスタイル」を見出すのは難しいんじゃないかと思います。結局は上に挙げた1か2ということに行き着くんじゃないでしょうか(自分で「コメント依頼を」と言っといて何なんですが、コメント依頼は労力もかかるし)。わざわざ「長さについては統一的な見解が得られていない」といったことを記すのもどうかと思うので、私の立場としては「どちらかというと(他の手段よりは)本文の除去を勧める」というものです。oxhopさんは(あるいは他に意見のある方)はいかがでしょうか。--Metronome 2008年5月11日 (日) 14:58 (UTC)

    Metronomeさんの発言を読んでいると、ほかの人の発言から自分に都合のいい部分だけを抜き出そうとしている印象が強いです。わたしがMetronomeさんの発言や行動に異議を唱えている部分があるというのはご理解いただいているようです。しかし、そのほかにも例えばmiyaさんやQretさんが、Metronomeさんの改定案や「除去」に賛成していると思いますか?oxhopさんも、「概要」節を作ることに反対という点ではMetronomeさんと意見が一致しています。だけど、Metronomeさんの改定案に賛成しているわけではなさそうですし、「除去」の是非については触れてないですよね。MetronomeさんがKickahaさんの意に沿うような案を考えているのは理解します。だけど、Metronomeさんの提案以降にKichaさんが発言していない状態では、ほんとうにkickaさんの意図通りかもわからないですよね。そうして考えると、j8takagiは別にしても、現在議論している人の間でMetronomeさんの行動や発言が納得を得られているのかは怪しいわけです。合意とは何かをもっと真剣に考えてください
    Metronomeさんは思いがけず強い反対にあって手詰まりのような気分になっているのだと推察します。だけど、解決方法のヒントは今までの議論(下のTosakaさんの発言も含め)の中にたくさんあります。もう一度ここでの議論全体をじっくり読み返してみることをオススメします。j8takagi 2008年5月12日 (月) 15:38 (UTC)
    論点がずれまくってますね。私は自分の改定案には全くこだわってませんし、私の考えにどれだけの人が賛成しているか、なんてことも今は問題ではありません。「自分一人でも反対すれば自分にとって都合のいい条文が守れる」などという、自分の立場に有利な条件をまるで理の当然のように提示するというのは議論の態度としてどうなのか?と言いたかっただけです。あなたの目に私が「ほかの人の発言から自分に都合のいい部分だけを抜き出そうとしている」ように見えると言うのであれば、私としては「あなたはガイドラインや基本方針から自分にとって都合のいい部分だけを抜き出そうとしているように見える」と言わせていただきましょう。論争の元となる可能性のある方針は採用の前に十分議論する必要があります(Wikipedia:基本方針とガイドライン)。現在の長さに関する方針は採用前に議論されていません。合意というのは考えの違う人々が意見を擦り合わせることに対して言うのであって自分の立場を安全にするために使うべき言葉ではない。「合意とは何かをもっと真剣に考えてください」そのままお返しいたします。
    議論を追っている人はわかると思うので、私が何を言っているのかJ8takagiさんが理解できないというのならもう放っておいて構いません。まあそういう人なんだろうな、と思うだけです。--Metronome 2008年5月12日 (月) 23:31 (UTC)
    名前が挙がったのでコメントしておきます。まず、私はj8takagiさんの変更された文章でも、「拘束力があるかのような書き方」とか「600字を基準に概要をつくることを推奨」しているとまでは感じませんでした。あくまで「目安」とか「ことも検討してください」という表現ですので……。どちらかと言えばMetronomeさんの新提案の方が適切に感じる部分もありますが、私としてはどちらも受け入れられるものです。
    導入部は簡潔であることが望ましい という点については合意できていたと思います。しかし「冗長な表現や瑣末な内容を避けるべき」なのは、記事本文全体に対して言われるべき事です。「導入部では特に注意が望まれる」などの記述は有用でしょうが、この節で第一義として書く事ではない気がします。「方針を先に示す」という意味では、本文の最初で導入部では その項目の概要について説明する とされており、「簡潔」という意味は「概要」という言葉に当然含まれると思っていました。少なくとも、第一文に「oxhopさんが書かれた3つの捉えかたができるような表現」を置く事で、「単純に短い方が良い」と誤読される可能性があるならば、それは改善されるべきでしょう。
    導入部が長くなる場合は、「概要」を別に設けることも可能 という点についても合意できていたと思います。「機械的な節分け」に対する注意文としては、j8takagiさんの文章の方が明解に感じました。(「記述しやすい」という表現は私も違和感があります。)節分けを推奨していると読まれないように表現を変更されてはいかがでしょうか。
    記述全体について、あくまで目安である事は、強調しておいていただきたいと思います。極端な例を挙げると、記事全体が1000字程度で記事として完成されている場合に、その冒頭に概要をまとめなおしても、かえって理解しにくくなるだけですし、もちろん概要節を設ける必要もないでしょう。記事の構成の仕方についての議論は有益ですし、私も色々意見はありますが、結局は分野ごと・記事ごとに考えないと例外は必ず生じます。規定が細か過ぎると、例外を認めないような誤解を招きやすくする点も危惧するところです。--Kickaha 2008年5月13日 (火) 10:50 (UTC)
    (遅ればせながら)ご意見どうもです。議論を錯綜させてしまってどうも申し訳ないのですが、「目安」の設定に関しては消極的な意見が出ていることもあって、私自身も設定しない方向に傾いています。下のほうにも意見をいただければ幸いです。--Metronome 2008年5月17日 (土) 06:55 (UTC)

    概要の取り扱いについて

    [編集]

    こんにちは、Tosakaと申します。ここの概要についてはま様が2007年3月4日に書かれております記述が私の考えを表現して下さっているので以下に示します。

    『eveningmistさんの仰るとおり、Wikipediaでは 1)書き始めではその記事の概要(=全体をまとめたもの)を説明し、(2)詳細については見出しを作って説明する…という構成が推奨されています。そして(1)は「導入部」であり、コンテクストを確立する部分であり、数行程度という推奨もされていたと記憶しています。で、ここには見出しをつけない、と。』

    私も導入部と概要節で最も重要なのはそれぞれの役割を満たした記述が行なわれることだと思います。それらの記述量は各執筆者にお任せするのが良いかと思います。それぞれの役割とは以下のように考えています。

    1. 導入部: 読者が調べようとしている記事かどうかすばやく判断できるように、内容を簡潔に示す。つまり記載事項の範囲を示す。間違いやすい範囲外の事項はここで明示し、可能ならリンクを付ける。
    2. 概要節: 長い内容の記事では、個別の詳細事項について記述されたそれぞれの節の前に、概要節を置くことで詳細事項への理解の助けとする。

    たとえば、導入部の最初から主題の説明が始まっているために判り難くなっている記事の例として、マッシュアップでは

    マッシュアップ(まっしゅあっぷ)とは2つ以上の曲から片方はボーカルトラック、もう片方はオケトラックを取り出してそれらをもともとあった曲のようにミックスし重ねて一つにした音楽の手法である。バスダードポップとも言う。』

    から始まって(私の画面で)さらに8行分の説明で「導入部」が終わり、「目次」、「1つ目の節」という構成になっておりますが、この記事が音楽に関するページだと判りますのは、ボーカルトラックやオケトラックといった聞きなれない用語の後に初めて「音楽の手法である」という文言が現れて、ああ、コンピュータやITの用語はここではないと判断できます。もちろん多くの記事ではこれよりひどく、こういった専門用語だけで音楽の手法であるといった説明が無いものもありますが、やはり、1文目は「マッシュアップ(まっしゅあっぷ)とは音楽の手法の一つで…」ではじまるべきだと思います。「1文目には専門用語を使わないことが推奨される」といったガイドがあっても良いかもしれません。

    導入部ではその記事に何が書かれているのかについての説明を行なうのであって、主題の説明そのものをいきなり始めるべきではないと思います。そして、目次より後ではじめて主題の説明を行い、各節に分割できない基本的な説明事項があればまず概要節で行なうという構成が良いと愚考しています。つまり、導入部と概要節は書かれる目的が異なり、内容が重複することはむしろ自然な場合が多いと考えています。導入部の定義だけで主題に関する基本的なことが説明されていれば概要節は必要ありませんし、基本的な説明で補足したいが概要節を作るだけの情報量がなければ導入部に付け足すして書くというのもありだとは思います。--Tosaka 2008年5月11日 (日) 23:04 (UTC)

    非常に明快かつ納得できる考え方だと思います。すでにoxhopさんも文字数の設定に対して異議を唱えられていましたが、このように「導入部」と「概要」の役割の違いをそのまま明文化してしまえば、その記事の導入部が「長いか短いか」と言う視点ではなく「必要なことが書かれているか/不必要なことが書かれていないか」と言う視点で見ることができるようになりますし、何文字以上の時に節を分けるか、なんていうことを考える必要はなくなるんじゃないでしょうか(Tosakaさんもそういう意図で発言されたのだと思いますが)。上のTosakaさんによる発言を軸に「導入部と概要節の役割を明確化する」方向で意見を調整したく思いますがいかがでしょう。具体的には
    • 「長さ」の項目は破棄
    • 「導入部に概要がまとめてあることが望ましい」の表現は混乱の元なので言い方を変え、「導入部」の役割をはっきりさせる文面にする。
    • 「概要」あるいは「『概要』について」などの節を新たに設け、「概要」節の取り扱いを導入部との違いという観点から説明する
    といった感じで。この線であれば、長い場合は「概要」節を作ることを考えたほうがよいかもしれない、という、J8takagiさん案の第2文に近い感じの文面があっても納得できます。--Metronome 2008年5月13日 (火) 00:01 (UTC)

    論点が錯綜しているせいか意見が付きませんでしたが、上のように「文字数を設定する変わりに、導入部と概要節との役割の違いを明確化する」という観点から「概要」の取り扱いに関する文案を練ってみました。長いのでサブページに書きます[7]。構成が分かりやすいように他の部分も移していますが、変更点は「長さ」を除去し「概要について」を加えたことだけです。導入部外の事柄(「概要」節)の説明も含むため見出しを3段ではなく2段(「導入部」節の外)にしています。「導入部に概要がまとめてあることが望ましい」は代わりのうまい表現が思いつかなかったのでそのままにし、「概要」節と「導入部における概要」という風に分けています。

    しかし自分で書いといてなんなんですが、文章がくだくだしく、他のスタイルマニュアルの記述からするとずいぶん浮いた内容になっています。意味もつかみにくいかもしれません。そんなわけであんまり自信がありませんが、目安の設定という点ではだいぶ行き詰っていると思うので、とりあえずこの文案に対する意見を求めてみます。「こんなんだったら無いほうがいい」といった意見でもよいので遠慮なくお願いします--Metronome 2008年5月17日 (土) 06:55 (UTC)

    草案への感想 - 構成を再考してみては?

    [編集]

    Metronomeさん、まずはおつかれさまです。マニュアル全体を練り直すべき、とお考えになったのだと思います。賛同します。
    さて、草案を読んでいてまず気になったのは、全体の構成として「導入部」「定義」「概要」をどう整理しているのかが見えにくいことです。わたしは、「導入部 = 定義 + 概要」が基本で、このパターンにあてはまらない場合(概要がなかったり、概要がやたらと長いのは許容できるか)で意見が分かれていると認識していました。
    こうした視点で読んでいくと、(現在のスタイルガイドもそうなのですが)草案では「定義」と「導入部全体」の説明が混同されている気がします。そこで、全体の構成を次のように再構築するのはいかがでしょうか?

    導入部の書き方(導入部には、原則として、定義文(必須) + 概要を記述する)
    定義文の書き方(←1.2を移動)
      定義文の例(←1.1.例)
      読み仮名(←1.3.)
      原語表記(←1.4.)
      別名(←1.5.)
    概要の書き方
     ・・・
     
    

    「概要の書き方」節の内容についてはそれこそMetronomeさんの書きたい部分だと思うので、自由に構成すればいいと思います。わたしだったら、次のように節分けします。

    概要の書き方
     概要に記載すべき内容
     概要の例(←できれば欲しい)
     「概要」節について(←節を設ける場合は注意しよう)
    

    以上です。j8takagi 2008年5月19日 (月) 12:41 (UTC)

    再構成しました[8]。現在の例文は定義だけでなく概要も含まれていますし、また別名などは定義外の事柄ですので、J8takagiさんの案とは違った形になっています。また英語版のガイドラインを参考に「どのように書かれるべきか」といった文言を追加しましたが、その結果当初の「導入部と概要節の役割を分ける」という観点を若干翻すことになりました。Tosakaさんの提示された観点は非常に分かりやすいと思ったのですが、「概要節を作る場合は導入部を簡潔にする」「分量がない場合は導入部に組み込む」などの文言がある以上、両者の役割が違うということを打ち出すことに実際上あまり意味が無いのではないかと思うようになりました。要は定義と概要の役割を明確にすれば長いか短いかを議論する必要は無くなるということですので、定義・概要が「どのように書かれるべきか/何が書かれるべきか」を明確化することで解決を図ったような次第です。日本語版の特殊な事情らしい「概要」節の役割をあまり導入部と切り離してしまうと他国語版との齟齬が大きくなってしまうのではないか、と危惧したということもあります。
    前案とややニュアンスが変わっていますが、どんなもんでしょうか。--Metronome 2008年5月19日 (月) 23:16 (UTC)
    素晴らしい内容となっていると思います。以下の数点で提案がございます。
    読み仮名の強調、リダイレクト元になりうる別名を太字で書く
    これらは私は反対の立場ですので、賛成してはいないということだけ記しておきます。
    太字にするべき別名は導入部に記載すべきです。第1段落中にあるのが望ましいです。
    「但し頻度の少ない別名について、本文中でまとめて記述する場合にはこの限りではありません。」としてはどうでしょうか?私は似たような表現や名称があるときに「名称」節を設けてまとめて説明する方法を良く採ります。こうしないと似た名称の説明文が加わって導入部が異常に大きくなってしまいます。例えば、船の「船員」では「乗員」「乗組員」「船乗り」「水夫」「漁師」等がほとんど同じ意味で使われるのですが、微妙に意味が異なるので説明を加えないと「すべて同じ意味」と読み取れることになります。
    「概要」「概略」などの見出しを設けて
    「概要」だけを推奨することにすればいかがでしょう?「概略」「イントロダクション」、「導入」、「序論」など複数の名前を許容すれば、記事の内容に合わせたファッションとして「いい感じ」に出来るメリットもあると思いますが、読者の混乱を招き執筆者に概要以外の記入を誘うなどのデメリットの方が大きいと思います。あくまでも、推奨ですが。でもこれは本当に些細な点です。
    上記の数点で「難癖」をつけているように思われるかもしれませんが、実際は私の思い描いていた内容に非常に近いので少し感激しております。あまりにも良い出来でしたので、上記の数点の些細な注文は無視していただいて、すぐにでも入れ替えていただいても良いかと思います。
    さて、色々と勝手なことを書きましたが、Metronome様も「導入部」と「概要節」の役割分けに関する点だけに注力して自らの希望する変更点はあえて[9]に盛り込まれなかったかも知れず、上記の意見集約が済んでいない点は以後も継続されるものとして、とりあえず、「導入部」と「概要節」の役割分けに関する点だけでの、スタイルマニュアル本文の差し替えを行なえれば良いかと愚考いたします。ご尽力に感謝いたします。--Tosaka 2008年5月27日 (火) 22:40 (UTC)
    はじめまして。今まで議論に加わっていなかったので、積極的に意見を申し上げるものではありませんが、自分は、ある程度、情報系の世界での学問的な論文の書き方について訓練を受けた人間なので、自分がどのように訓練を受けているかを参考までに記してみます。
    概要(abstract)と導入部(introduction)は、違うものだと教わりました。概要は論文全体の縮小コピーであり、本文の前におかれ、本文とは別物です。概要の主張=論文の主張、だと思われてもよい様に書かなくてはいけません。実際、毎年大量に論文は作成されるので、論文を読むときはまず概要を見てその論文を読むべきか決めます。また、本文は論文を実際に購入しないと入手できないのに対し、概要は外部に無料で提供されます。概要の文章量は、文字数で規定されていないことも多いですが、どんなに長くてもA4半ページに収まるように書くのが普通だと思います。論文を全部書いてから、必須な内容だけを抜き出して概要を書くイメージです。
    導入部は、概要と異なり、本文の一部です。どれほど分野違いの人間が突然論文を見たとしても、既にわかっている事柄は何で、この論文はそれに何を付け加えるものなのかが、わからないといけません。多くの場合、導入部は概要を少し詳細にしたものではじまり、その後に主な既存研究を書き、最後にこの論文が付け加えているものを書きます。
    もちろん、論文とJAWPでは目的が異なるので、概要や導入部に対する解釈も違ってよいと思います。ただ、それを概要と呼ぶか定義文と呼ぶかは別として、本文全体の縮小コピーと呼べる部分があってもよいのかなぁ、とは思います。--Autem 2008年5月28日 (水) 20:12 (UTC)

    >Tosakaさん
    ありがとうございます。苦労が報われる思いです。
    「頻度の少ない別名」の扱いについては異論ありません。そのように注記を加えてよいと思います。「概要」の名称一本化については多少躊躇します。現状概ね「概要」で統一されているようにも思いますが、秀逸な記事の中でもビザンティン建築で「概説」が採用されておりますし、とりあえず「概要」「概略」「概説」辺りは執筆者の裁量に任せるということでいいんじゃないでしょうか。もっとも「序論」「イントロダクション」などはTosakaさんのおっしゃるように概要にふさわしくない文章が書き込まれる恐れが出てくるので止めたほうが良いと思いますが。なお私はもともと現状にあっていないとおもわれる「100字~150字」という目安をなんとかしたかっただけですので、上で示した案が通るのであれば他にはとくに希望することはありません。

    >Autemさん
    非常に参考になります。私は文系の学部で卒論を一本書いたに過ぎませんが、アブストラクトのみ他国語で書かされたりしましたので、「本文とは別物」というのはなんとなくわかります。ただWikipediaの記事では発表済みの事柄をまとめることしかできませんし、形式上どうしても記事の一部に組み込まれる形になりますので、おっしゃるように論文における概要とは自ずと違った機能も持つことになるかとも思います。執筆者も自然に記事全体の流れを考えて「概要」を書くと思いますし、秀逸な記事をざっと見ても必ずしも記事全体の要約ではなく、主題についての基本的な情報をまとめる場として用いられているものもあります(もっとも、中には改善の余地があるものもあるのかもしれませんが)。

    今のところ反対意見も無いようですので、1週間して反対意見がなければ上記の別名についての注記を加えた上で本文に反映するということでよろしいでしょうか。細かい修正点の提案などあれば今のうちにお願いします。--Metronome 2008年5月31日 (土) 13:13 (UTC)

    本文に反映しました。--Metronome 2008年6月11日 (水) 03:10 (UTC)
    Metronome様へ、ご苦労様でした。本来複雑な内容が良くまとめられていて、以前に比べて大変良い内容になったと思います。--Tosaka 2008年6月12日 (木) 14:27 (UTC)