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Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル/人物伝/性別の表記について

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このページはWikipedia‐ノート:スタイルマニュアル/人物伝での議論のうち、性別の表記に関しての議論のみをまとめたものです。

男性か女性か

[編集]

以下はWikipedia:井戸端より移動

この方なんですが、人物の記事に性別を付け加えることを延々となさってました。特に性別は付け加えなくても良かったかと存じますが、いかがなものでしょうか?--Makiko99 2005年11月2日 (水) 02:11 (UTC)

Wikipedia:スタイルマニュアル/人物伝では、性別について記述しないといけない決まりはないし、ほかの人物のページでもそのような記述はないので、削除してもかまわないとおもいます。ただしその前にその方の会話ページにおいて充分な意見調整をおこなってその方が納得した上で、削除作業を行なってください。--Onsentaro 2005年11月2日 (水) 02:27 (UTC)
削除しても「かまわない」、ということは残しておいてもかまわない、ということではないのですか? 問題があるとも思いにくい情報を減らす理由が思い当たりませんし、いたずらに該当するともおもえませんが。LR 2005年11月2日 (水) 03:13 (UTC)
性別は「付け加えなくてもよい」=「付け加えてはいけないわけではない」=「付け加えてもよい」と思います。積極的に(性別付加に)反対する理由もありません(積極的に賛成する理由もありません)。全部修正するとなると大変だなぁとは思いますけど。--BitBucket 2005年11月2日 (水) 03:53 (UTC)

人物記事においては、事績と関わって記述する意味がある場合を除いて、性別は必要ないと思います。この方の編集履歴を見ると、「あ」で始まる人物に無差別的に性別を付けようとしておられるようで、はっきりしませんが、「記述しないといけない」という方針をお持ちなのかもしれません。これを認めると、血液型占星術の星座、九星などの「情報」も「記述しないといけない」という方が出てきて、収拾がつかなくなるのではないでしょうか。--みっち 2005年11月2日 (水) 04:13 (UTC)

「記述しないといけない」という方針提案に関してなら断固否というべきですが、「記述しないと気が済まない」人には好きなだけやっていただけばいいのではないでしょうか。wikipedianのモチベーションなんて、どなたもそれと大差ないのではないかと思います。ただ「そういうオプショナルな事項は定型フォーマットの外に書いてくれ」という議論なら可能で、合意形成の価値有りと思いますが。LR 2005年11月2日 (水) 04:42 (UTC)

個人的には、日本人なら性別は名前を見ればある程度推測がつくと思いますが、日本史に登場するような過去の人物、あるいは外国人となると名前だけでは判断できないです。本文を読んで性別を推測しろ、というよりは書いてあったほうがいいんじゃないかと思います(血液型や星座等は過去に否定されており、そちらの方は私が言うまでもなくいらないでしょう)。というわけで付加するのには私は賛成寄りになりますが、スタイルマニュアルのノートで付加するか否か、どこに記載するか等を話し合って、方針に反映させるのもいいんじゃないかと思います。現時点で削除の行動をさっさと起こすのは編集合戦になりかねないので、その利用者も交えて議論できるといいと思います。Tekune 2005年11月2日 (水) 05:00 (UTC)

人物伝についてとくに性別の表記が必要な場合は、概要内に特記すべきで、冒頭の記事内に表記すべきではありません。それを許してしまうとすべての人物について性別を表記しなければいけなくなってしまいます。どうしてもマニュアルについて変更したい考えがあるならば、まず、Wikipedia:スタイルマニュアル/人物伝の[[ノート:Wikipedia:スタイルマニュアル/人物伝|ノート]]に変更したい旨、明記してウィキペディアンの合意を得た上でマニュアルを書き換え、変更作業を行なってください。そうしないと無益な編集合戦におちいる可能性が高くなります。--Onsentaro 2005年11月2日 (水) 08:02 (UTC)
追記されている方が既存の全ての記事に追加してくれるならとも思いますが、それは現実問題不可能なことなので、スタイルマニュアルで入れるかどうかしっかりと決め手から入れるなら一斉に作業をしたほうが良いですようね。たね 2005年11月2日 (水) 08:06 (UTC)
必要ならつけてもいいとは思うけど、あんましがちがちに決めて欲しくはないなあ。どっちに分類するかでモメるひともいそうだし、ないけど(笑)もしもおれの項目が出来たら性別の記述は断固拒否したい。--Nekosuki600 2005年11月2日 (水) 08:10 (UTC)
というか、「○○の息子」だとか「○○の娘と結婚」だのと書いてあるのにいちいち男性と入れられるのは。。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2005年11月2日 (水) 08:19 (UTC)

全部にいれるとなると「藤原道綱母は平安時代の女性。」とか「原節子は日本の女優。女性。」とかなるわけですよね。それはなんかいやだなあ。Tanuki Zさんご指摘のケースも同様。記事から自明なことをくだくだ書くのはかえって読みやすさを減じるように思いますが。ちょっとぞっとしません。カテゴリで女性男性をソートするというならまだわかるのですが。--Aphaia 2005年11月2日 (水) 08:39 (UTC)

Tanuki Zさん、それを言ってしまうとPOVかと(笑)。同性婚もあるし、ウェンディ・カーロス(げ、赤リンクだ)みたいに性転換する人もいるしですから。Aphaiaさんには同感なんですけど、どうせなら中途半端なことをしないで全部入れてみろ、本当にそこまでする気合いがあるのかと言いたくなります(苦笑)NekoJaNekoJa 2005年11月2日 (水) 08:55 (UTC)
確かに現在はジェンダーフリー性自認など自己の性別についての様々な議論がおこなわれているため、一概にこの人は男性だ女性だと断言する記述を行なうことに違和感を感じます。--Onsentaro 2005年11月2日 (水) 09:13 (UTC)

どうして「書かねばならなくなる」方向にだけ話が一直線に進むのかが判らないのですが。重複がウザくなってきたら「自明なので削除」すればいいことではないかと思います。それにジェンダーが云々とか云い始めると、逆に将来「母だから、妻だから、娘だから女性」とは限らなくなるかもしれませんよ。LR 2005年11月2日 (水) 09:39 (UTC)

POVというかそういうことまで意識していたのですが。。単に男か女か書くよりは「息子として生まれる」だののほうが性別に関しても望ましくないですかと。なのにそれがあるのに男性女性とか書かれるのはどうもという意味です。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2005年11月2日 (水) 09:46 (UTC)
LRさんがおっしゃるようにこの欄が「書かねばならなくなる」方向に話が向いているわけではありません。私自身性別の記述は反対ですし、書く必要はないと思います。しかし、Wikipedia:スタイルマニュアル/人物伝において合意がなされ記述すると決まれば、その決定にしたがいます。ジェンダーの問題ですが、確かに「母だから、妻だから、娘だから女性」とは限らないという意見は賛成しますが、その記述については、具体的にどのような理由でその人が生理学上の性別とはことなる性別を述べなければいけないようになったのか理由は記事の中に特記すべきで、記事名欄に書くべき内容ではないといっているのです。--Onsentaro 2005年11月2日 (水) 10:02 (UTC)

「自明」だから記述は必要ない、というのはその人を知ってる場合はそうでしょうが、全くその人物について知らない人が引く場合だってあるわけで、たとえば、この人の場合、小学生が見て、男性か女性か分かるでしょうか。今では著名人で性別は自明であって、百年後、二百年後の利用者には自明でない可能性だってありえます。血液型や星座は不要ですが、むしろジェンダーが現実社会にあるからこそ、必要な情報だと思います。わざわざ記述を削除する必要はないでしょう。Wing09 2005年11月2日 (水) 11:22 (UTC)

歯止めかけて一旦呼び出したほうがいいような。カテゴリー貼りまくるのとは勝手が違いますし。Wing09さんの理論をとると、分からない人だけつければいいともいえますし。未来永劫、性別が自明の名前の方もいないかもしれませんけど、それは分からなくなった(分かりにくいと判断した)場合につければ良いわけで。今躍起になって全部につけるのはきついでしょう。他の人に呼びかけて、付けるなら付ける合意したほうがいいんじゃないでしょうか。とにかく片っ端から付けていくのには反対。いっそのことカテゴリー男性、女性、その他でも作ったほうがいいのかも。。半分冗談ですけど。--草薙 2005年11月2日 (水) 18:53 (UTC)

ジェンダーだの政治的な話をしだしたら、国籍や民族などに関する記述も問題になってしまうでしょう。Hermeneus (talk) 2005年11月2日 (水) 20:57 (UTC)

ジェンダーの話を持ってきたのは、ちょっと問題でした。すみません。ここは話をもどして、現時点で性別を入れるかどうかにしぼって話し合いましょう。--Onsentaro 2005年11月3日 (木) 02:41 (UTC)

ノート:あずまきよひこでロシアの執筆者が性別を確認しに来たことがあります。また、国文学研究者に前田愛という人がいるのですが、男性です。このようにややこしい例もあるので、私自身は積極的賛成でないものの、性別表示はあっていいと思います。できれば邪魔にならないようなうまい表現がいいですね。--Charon 2005年11月3日 (木) 02:50 (UTC)

一律につけるかつけないかしか選択肢はないのでしょうか。名前から明らかでないものだけ付けるというのはどうでしょうか。また、入れられてしまったものをわざわざ外す必要はないかなと思います。--Tamago915 2005年11月3日 (木) 03:13 (UTC)
おれとしてはそんでいいと思うけどね。「Wikipedia:スタイルマニュアル/人物伝」とかでへたに話し合いをして決めようとすると「つける/つけない」の択一になる可能性がある程度存在するし(笑)、そうなったら異なる様式の記述に対して「ルール違反」とか叫ぶやつが出てくる可能性はかなりの確率で存在するし(苦笑)。とはいえ、どっちの性なのかが実績とあまり関係なさげなやつにまで無理やり性別を入れてまわるといったやり方へは、おれ個人的には反発が強いけどなあ。--Nekosuki600 2005年11月3日 (木) 03:33 (UTC)
もし入れるならば、♂とか♀を使った方がすっきりしていいですね。機種依存文字じゃないようですし。--Onsentaro 2005年11月3日 (木) 03:50 (UTC)
「つける」「つけない」で合意ってのは勝手につけるよりはいいんじゃないのかなーって言う意見。僕自身分からないもにだけ付けた方がいいんじゃないかって言う考えです。条件付「つける」ですね。♂♀をつかうとつんく♂さんが(笑)--草薙 2005年11月3日 (木) 03:52 (UTC)
この節もかなり長くなってきたので、続きは、ここでやりましょうか。--Onsentaro 2005年11月3日 (木) 04:05 (UTC)

みっち氏の発言から "人物記事においては、事績と関わって記述する意味がある場合を除いて、性別は必要ないと思います。" 草薙氏の発言から "未来永劫、性別が自明の名前の方もいないかもしれませんけど、それは分からなくなった(分かりにくいと判断した)場合につければ良いわけで。今躍起になって全部につけるのはきついでしょう。" Charon氏の発言から "このようにややこしい例もあるので、私自身は積極的賛成でないものの、性別表示はあっていいと思います。" Nekosuki600氏の発言から "どっちの性なのかが実績とあまり関係なさげなやつにまで無理やり性別を入れてまわるといったやり方へは、おれ個人的には反発が強いけどなあ。"

などの意見に賛成です。性別がわかった方が良い場合は性別を入れても良いと思います。 しかし、片っ端から入れていくことには反対です。Pluto 2005年11月3日 (木) 07:41 (UTC)

私は基本的に性別は明記したほうがいいと思っています。日本人が外国人の名前を見て性別を判断するのは困難な場合もありますし、文脈から性別を判断するのも難しい場合があるでしょう。
それに、ノート:あずまきよひこの件はとても重要だと考えます。ロシア語では外国人の名前を表記する際でも男性形と女性形を区別するそうですし、他の言語でも名詞や動詞で性別を区別するものは多くあります。前述とは逆に、他言語の話者で日本人の名前だけ見て性別を判断できる人は少ないでしょうし、歴史上の人物であればなおさらでしょう。日本語版から各国語版へ翻訳される可能性も考えたら、なるべく性別の表記はあったほうが親切ではないでしょうか。
もちろん、職業や称号などに性別が明確に含まれていたり、本人が性別を非公開としている場合には載せる必要はないと思いますが。--shikai shaw 2005年11月4日 (金) 06:54 (UTC)

つける人はここの議論とかかわりなく(あるいはあえて無視してか)いわゆる捨てハンでつけているようですけれど、その行動の妥当性はいかがでしょう。合意を反映していない編集として差し戻すことに異議のある方はおられますでしょうか。--Aphaia 2005年11月4日 (金) 13:49 (UTC)

  • 自分は性別は必須でなくともあって構わないし、わざわざ既にある性別の情報を削除する必要はないという立場なので差し戻しには異義ありです。ボランティアとして好きにやってくれるんであれば放置しておけばいいんじゃないでしょうか。議論に参加しない姿勢は何とも言いようがないですけど。Wing09 2005年11月4日 (金) 13:59 (UTC)

とりあえず失礼ながら読まずに書きます。私が「つける人」です。ハンドルもこれに変えようかしらん。この手のメッセージがいつ届くかと待っていました。

少しだけスタイルマニュアルらしきものを見渡しただけですが、特にダメという規定はないようだったので、私個人の判断で付けています。本当に読んでないから分からないのですが、現在は、前例がないから認めないのかなどの議論をなさっているのでしょうか。

私のスタンスとしては、規定がないなら既成事実を作ります。とりあえず男性か女性かの記入を止めてほしいとの要望はお断りします。削除したり投稿ブロックをかけたりする理由はないものだと考えます。

できれば英語版やその他の言語にまで広げていきたいと考えています。皆さんも是非協力してください。行動で挽回するしかない 2005年11月4日 (金) 14:00 (UTC)

対話を拒否しての実力行使はそれ自体ブロック依頼の事由となります。続行されるならブロックを依頼します。--Aphaia 2005年11月4日 (金) 14:03 (UTC)
(どうやらAphaiaさんとかぶったようです)私は個人としては「性別あっても良いではないか」論に立つ者ですが、行動で挽回するしかないさんが「他人の意見は読まない」「個人の判断で付ける」「既成事実を作る」「止めろとの要望は断る」しかし皆も「協力しろ」と言うのは、Wikipediaの精神に照らして問題があるのではないかと憂慮します。他の方に「付けるべきだな、よし俺も一肌脱ごう」とはいかないまでも「あなたが付けるのは黙許しよう」という合意を生むべくあなたがこの場で努力されないと、「合意に基づかない云々」という批判を集めるだけだと考えます。--にごう 2005年11月4日 (金) 14:11 (UTC)
「失礼ながら読まずに書きます」なんていってないで読みましょう。性別をつける事に絶対反対という人はいませんが、全ての人物項目に性別をつけるのは
  1. 一人でできる作業量ではない(常に新着記事を追って行くのか)
  2. 「女優」と明記されている場合など、冗長である
  3. リーダーの部分は見通しよく、できるだけ簡潔にしたい
という意見ばかりなわけです。
もう一つの問題は対話を拒否しようという貴方(貴女かな)の態度です。「少しだけスタイルマニュアルらしきものを見渡しただけ」というのは不遜な態度ですし、「要望はお断りします」と明言する方には執筆の権利はありません。もし性別が必要な情報だと思うなら、
  1. スタイルマニュアルに組み込まれるよう提言する
  2. 必要な項目にしぼる
のどちらかでないと受け入れられないし、実行不可能でしょう。「皆さんも是非協力してください」なんていっても、現状では無駄でしょうね。NekoJaNekoJa 2005年11月4日 (金) 14:33 (UTC)

「つける人」です。投稿ブロックかかったので、名無しで発言します。私の発言で皆さんの協力が得られなくなるとのご意見はごもっともです。議論の結果が出るまでは男性か女性かの記入は止めます。

えっと、実際に性別をつけ続けてみて、性別を書くことの方が性差別を回避できると感じてます。たとえばウエイトレスとかスチュワーデスという言葉が消えていくことになりましたが、女優という言葉は残っています。女優を消して俳優にしようかと思いましたが、いきなりそれはまずいだろうと思ってやめました。

LRさんも同じことを書かれていますが、何百年後になれば、例えば名前の最後に「子」の文字があるから女性だ、などという判断は出来なくなっているかもしれません。母親や娘は女性で間違いないのでしょうが、妻ということば女性を意味しつづけるかどうかは怪しいものです。プロ野球や相撲だって女性がやるスポーツになってるかもしれませんよ。何かの記事で、「日本語版だからといって日本人だけが見ていると思ったら大間違い」と書いている人がいましたが、外国人からすれば、女性か男性かの判断は、難しいでしょうしね。

男性か女性かはきわめて基本的な情報なので、冒頭の生年月日の欄に記入するのが最も適当だと考えています。行動で挽回するしかない 2005年11月4日 (金) 14:36 (UTC)

対話の席につかれたのは大変結構ですね。この辺で仕切り直しですか? えと、そろそろ気付いてほしいんですが、これは一応百科事典なので「あらゆる情報を載せなければいけない」というものでもありません。もう一つ、できるだけ統一された書式であることが望まれます。歌手の性別は音楽のつくりにも関わってきますから重要かもしれません。ですが例えば物理学や数学の研究者の性別は必須な情報ですか? スタイルマニュアルに含めるためにはそういう点を考える必要があります。NekoJaNekoJa 2005年11月4日 (金) 14:45 (UTC)
せっかくだからあと二点かいときましょう。一つは、性別を明記するにしても記事のどこに書くとよいかという点です。これは論議の余地があります。もう一つ、この問題と性差別問題は基本的には関係がありません。「女優」「ソプラノ歌手」「息子」という表現は今の所受け入れられていますから、これに性別を加えたら冗長ですし(女流○○はそろそろ妖しいかも)、将来例えば「女優」がPCじゃない、避けるべき単語になった場合、その時点で書き直せばいい(どうせ書き直すのですから)。逆に性転換する人はまだ少ないので、そういう人の性別は特例として二重三重に書けばいいわけです。よって、性別を明記することが決まっても決まらなくても、現状ではほとんど差別問題になっていないと思われるわけです。NekoJaNekoJa 2005年11月4日 (金) 15:05 (UTC)
「性別を書くことの方が性差別を回避できる」と考えられていますが、本当にそうでしょうか?「男性」と「女性」で白黒つけることがグレーの人に対する差別を助長する可能性があるのではないかと懸念します。また、NekoJaNekoJaさんがおっしゃるように、性別が「必須情報」となるような人物はごく限定的だと思います。PC(Politically Correct)は重要ですが、一方で百科事典は多くの人に理解可能な言葉で書かれる必要があると思います。これは一種のトレードオフで、ケースバイケースで考えていくべき問題だと考えます。Xmas Steps 2005年11月9日 (水) 01:40 (UTC)


以下は、NekojaNekojaさんのノートに書いた文章の転載です。ここに書けない状態だったので、Nekojaさんの書かれていたことだけに限定して、ノートに私の考えを述べました。

物理学者であろうと、何の職業をしている人であろうと、男性か女性かの情報は、人間としての基本情報だと考えます。決して性差別に基づくものではありません。全ての情報を載せる必要はないですが、性別は必須情報だと考えています。必須かどうか疑問視するのは、「名前や職業を見ればどうせ分かるじゃん」という意識があるからではないでしょうか。自分が分かればいいという発想ではなくて、数百年後の人々、地球の裏側の人々に説明するという発想が必要だと考えますがいかがでしょうか。

どのようにスタイルとしてマニュアル化するかという議論なら分かるのですが、必要かどうかの議論は、理解できないという気持ちで眺めております。本当に、今まで何故誰もしようとしなかったのだろうか。218.43.106.237 2005年11月4日 (金) 15:09 (UTC)

性別をつける人です。上の文章は私です。追記します。ブロックかかっていると、書き込みは何かと煩雑になります。

あとで直せばいいという考え方は分かりません。それこそ手間のかかるものではないですか?男性か女性かは変わらない情報なので、分かっているならそのまま書けばいいだけのことだと思います。

また性別記入がそれほど冗長とは思えません。♂♀の記号でもいいでしょうが、なんとなく品の無いものに感じるのは私だけでしょうか。218.230.161.39 2005年11月4日 (金) 15:20 (UTC)

こういう論議は私のようなコモノじゃなくて猫好きさんやAphaiaさんが得意だと思うのですが(苦笑)、コモノなりにちょっと書いてみましょう。なぜ性別がそれ程重要ではないと考えるかというと、ここは人名録ではなくて、その人がした(しようとしている)事を重視すべき所だと思うからです。例えば木下牧子さんや藍美代子さんはどちらも大変美しい女性ですが(比較的最近実際に見たことのある有名女性ということで)、どんな曲を書いている/きたかどんな曲をどのように演奏している/きたかに比べたら重要度が随分低いという考え方なわけです。研究者も同じですよ。だから誰も貴女/貴方のようなことをしなかった訳で。NekoJaNekoJa 2005年11月4日 (金) 15:22 (UTC)
  • 「その人がした(しようとしている)事を重視すべき」というなら、それこそ性別を記す理由になると思いますが。現実社会では性差は区別されて、社会的な活動をしようとする場合、それがしばしば影響を受けるわけですか。特に女性の場合は。男性を記すのは、女性でないことを示す意味があるわけで。純粋科学くらいじゃないですかね。性差が重視されないってのは。だからって、性別記入が必須だとまでは主張しませんけどね。ボランティアで付加してくれるなら放置しとけばいいじゃんって程度です。Wing09 2005年11月4日 (金) 15:31 (UTC)
>分かっているならそのまま書けばいいだけのことだと思います
ですから「絶対にするな」とは誰もいっていないわけで。まずは、性別を明記することの重要性をここで書いていただけると、賛同者が増えるでしょう。あなたがすべき事はそれです。木下牧子さんの例だと、オンディーヌなんて曲はいかにも女性の曲だとは思います(詩が凄いせいかもしれませんが)。でも思うに「女性らしさ」を分析しなければ性別を書く意義は少ない。もっとも「私はこう分析する」と思って書くだけではテンプレートを貼られますけど。基本的には私は放置派ですが、統一性や書式を重視する方々の気持ちも判るつもりです。NekoJaNekoJa 2005年11月4日 (金) 15:37 (UTC)

Nekojaさんが私の性別に関して触れたことの意味を理解して発言します。私の性別は非公表です。ここで発言している私という存在は公人ではなく、ここで紹介されるような対象ではないからです。ですが公人であれば、その方が特に性別を隠している場合を除けば、性別は記述すべき最低限の情報だと考えます。ここで紹介される人物について、その業績はたしかに何よりも重要な情報でしょう。しかしその業績を生みだすことになった背景や、人物像などは、百科事典としても必要な情報だと考えます。

性別は生命における基本的な区別で、人間界においても同様です。それが人間の精神面において、個人の能力に対して、生み出す業績にとって、どれだけの意味があるのかは、私には分かりません。ただ、業績への影響を筆者の判断で軽視してはいけないと思われます。また、読者にとってさほど重要ではないだろうと決めてかかることもすべきではないと思います。性の区別は全ての人間が持っている情報です。そのどちらなのかは、分からない場合は、知りたいものです。

扇千景、政治家。この場合、女性であることを明記することは必要ないでしょうか。小池百合子、政治家。これは女性だから書かなくてもいい、と考えますか?218.230.161.39 2005年11月4日 (金) 15:49 (UTC)

性別をつけている者です。扇千景は元宝塚女優だから女性を明記する必要はないと人は言うのだろうか。しかし宝塚歌劇が女性だけでするものかどうかは、外国の人は分からないだろうし、女優という表現が無くなって俳優という表記になれば、やっぱり女性であることを書く必要は出てくるんじゃなかろうか。それでも歌舞伎俳優のだから必要ないという人がいるかもしれない。ただそこまで読まないと性別が分からないというのは、不親切なんじゃないだろうか。

議論の答が出るまで性別書くのやめますって書いたけれども、自分としてはこの行動はやめたくない。議論せずに行動を続けるのは投稿ブロックの対象になるということだけど、答が出るまで投稿ブロックをかけるというなら、早く答を出すようにしてほしい。「保留」なら「保留」でいいから。「保留」となれば性別記入を再開します。

もともとダメという規定は無いのだから、議論してダメという答になるなら、納得いく説明をしてくださいね。3日で答は出ませんか?3日かけてちゃんと議論して答が出ないなら、かなり長くかかると思う。3日以上も理由のない制限を受け続けるのは、わたしゃ嫌ですよ。

3日かけてちゃんとした答が出なければ、性別記入の行動を再開したい。つまり3日で答が出ない場合は、「放置」という処置にしてください。3日で答を出すという約束は出来ませんか?でも、管理権限を持つ人は何も制限を受けないで、権限を持ってない一般投稿者だけを規定もないのに制限するのはずるいと思います。とりあえず今日はもう寝ます。219.165.69.238 2005年11月4日 (金) 16:15 (UTC)

219.165.69.238さん。Onsentaroといいます。性別をつけるかつけないか論じる前に、ちゃんと、Wikipedia:投稿ブロックの方針#投稿ブロックの対象となる行為を読まれましたか。その中の対照行為の例示のなかの 記事の編集に際し他の執筆者との協調が図れないなど、Wikipediaの目的遂行を妨げる行動でという規定がありさらに解説として、「Wikipediaでは編集方針がぶつかった時や、投稿内容や行動に問題があると他のユーザーが考えたとき、無闇に編集を繰り返す『編集合戦』をせず、ノートページや利用者のノートページで議論することを推奨しています。Wikipedianは記事の差し戻し時の要約欄による呼びかけを含め、こうした議論や対話の呼びかけがあったら、基本的にそれに応じて一致点をさぐるよう努力すべきです。しかし、中には一切の呼びかけに応じなかったり、議論が進行中であるにも関わらず自分の主張に沿った編集を強行する人もいます。また、編集や議論に際して他のユーザーからの質問や根拠の明示などの依頼に応ぜす、個人攻撃を行ったり話題を逸らすなどの行為を繰り返した場合にも議論が成立しにくくなります。このような場合は編集を一時中断して議論に集中して貰うために『対話のための投稿ブロック』を行うことが必要です。」とあります。対話のテーブルにつかれたことは、よいことだとおもいますが、「3日かけてちゃんと議論して答えがでないなら、性別記入を再開したい」とおっしゃってますが、Wikipediaでは合意形成のない編集は迷惑行為とされ投稿ブロックを受けるだけです。確かに自由な百科事典ですから、どんな思想信条をお持ちのかたでも自由に編集できます。しかし、登録ユーザー30,000人 (アクセス統計参照)IPユーザー無限大という多くの方がかかわる巨大プロジェクとにおいてはちゃんとしたルール作りをしないと、無秩序な編集が行なわれ、Wikipediaの信用が落ち、ついにはこの画期的なプロジェクト自体が消えてしまう可能性があるのです。世の中が法律というルールにしたがって動いているのといっしょです。しかし、少数意見の方を排除しているわけではありませんよ。そのためにこのノートがあるのですから。
長くなりますが、もうひとつ言わせてください。あなたは、「管理権限を持つ人は何も制限を受けないで、権限を持ってない一般投稿者だけを規定もないのに制限するのはずるいと思います。」とおっしゃっていますが、Wikipedia:管理者を、そこに貼られているリンクを含めてしっかり読んでください。「管理者」の方は一般投稿者がゆるされていない強力な権限がありますが、それを行使するにあたっては厳しい規定があります。このようなことを書くと管理者の方に失礼ですが、そのような決まりがない分一般投稿者の方が気持ちが楽でいいですよ。とにかく、Wikipediaのルールをしっかり読んだ上でまたこちらに帰ってきてください。--Onsentaro 2005年11月4日 (金) 23:43 (UTC)

性別をつける人です。ここで発言してる人に聞いてみたいのですが、皆さんは男性ですか?女性ですか?私は男性です。
ここで性別記入が必要ないと発言されている方の考え方は、とても男性的だと感じるのですがどうでしょうか。「男性と記すのは、女性でないことを示す意味がある」と書かれてる方がいましたが、ひょっとして男性と分かってるのにあえて書く必要はないとか、女性のときだけ書けばいいと、皆さんは考えているのでしょうか。
もちろん女性が多い職業や分野もあります。その場合は少数派の男性だけ書けばいいと考えるのでしょうか。くどいようですが、「自分が」、或いは「自分たちが」分かればそれでいいんだ、という意識は適当ではないと考えます。ちなみに実際に「あ」行から無差別に性別記入をしてみると、ほとんどが男性でした。
女優だけでなく、女子アナとか女性タレントという言葉は、いずれ無くなるものだと思います。かなり過激な考えを持つ人からすれば、それらの言葉はむしろ差別語に当たるとされるでしょう。キャビンアテンダントとか保育士という呼び名を使うようになったのは、決して性の区別が無くなればいいと考えてした訳ではないと思います。行動で挽回するしかない 2005年11月5日 (土) 03:19 (UTC)

(つづきです)

管理権限を持つ人は何も制限を受けないで、云々のくだりは、今回の議論に関して言ったものですよ。今回の議論と関係ないところでどんな苦労をなさっているかは私は問題にしていません。
一般投稿者は投稿をブロックしたり、それを解除したりする権限をもっていません。その権限をもっている管理者が権限のない一般投稿者に対して、「規定の無い事項」に関して何らかの制限を課そうとする場合は、その権限行使の期限や解除条件などを明確に約束するべきではないでしょうか。今回の場合は特に、有害になるわけではない作業です。むしろ有益になるはずの編集作業だと考えます。それを中断させようとする場合であれば、中断の期限を無制限にするのは納得がいきません。
議論しながら編集作業を続けることも出来ます。3日たったらそうさせてもらえませんか?11月7日の16時15分を期限として。それ以降は議論つづけながら編集もつづける。それはダメですか?まさか議論した結果、書き込み済みの性別を消すというような愚行に至ることはないでしょう。私以外の人が書いた場合でも削除していきますか?「WIKIPEDIAでは性別を書くスタイルにはなっていません」というメッセージを送るのでしょうか。
本当に、なんで性別書くのを制限されなきゃならんのか理解できんです。スタイルマニュアルの想定外だったということでしょうが、スタイルの次元でとらえられないまま要不要の議論だけで終わるのかな。話し合ってみて、どんな面白い結論が出るのか期待しています。煮え切らない結論だけは勘弁してくださいね。こんなこと書くから支持得られないんだろうなぁ。行動で挽回するしかない 2005年11月5日 (土) 03:36 (UTC)

マニュアルで禁止されていないとおっしゃってますが、マニュアルに『名前の直後に括弧()をつけ、最初に読み仮名を記載してください。(中略) 読み仮名の後は生年月日との区切りとして「、」をいれてください。』という記述があり、名前の直後の括弧内には読み仮名、生年月日の順で記載されるものと暗に定義されていると思います。また、少なくとも私は、括弧内に性別を記載することには抵抗があります。(そういう記載方法を採っている百科事典を見たことがないからです) --60.236.242.167 2005年11月5日 (土) 08:52 (UTC)

行動で挽回するしかないさん。もう一度いいますよ。スタイルマニュアル/人物伝において、そのマニュアルに反する編集行為はそれがいかに有益なものであっても、迷惑行為なのです。何のためのノートページなんでしょうか。様々な考えを持つWikipediaメンバーが集まって一つのルール作って、メンバー全員の合意を得るためのページなのです。
ちょっと、厳しいことをいいますが、許してください。Wikipediaはあなたの我儘が簡単に通るほど甘いところではありません以上です。--Onsentaro 2005年11月5日 (土) 11:02 (UTC)

>60.236.242.167さん
私はWIKIPEDIAの規定には詳しくありませんが、少しだけ目を通したことがあります。その中で2つだけ好きな言葉があります。「ページの編集は大胆に」という言葉と、「ルールにこだわらない」という言葉です。マニュアルにないことでも、どんどん試してみるのはいいことだと思いますよ。それから「前例がない」という言葉は、一番聞きたくない言葉です。他でやっているのを見たことがなければ、我々が手本になればいいことです。60.236.242.167さんの発言には、マニュアルに書いてるかどうか、他でやっているかどうか、の視点しかないのが残念なことです。60.236.242.167さんご自身の考えを聞いてみたいものです。実際に性別を知りたいと感じたことはありませんか?他の人は性別を知っていても、60.236.242.167さんは知らなかったということはないでしょうか。逆に、60.236.242.167さんには分かりきっている性別が、他の人が知らないということもあるするかもしれません。もし今なかったとしても、将来そのようなことが起きてくることは充分予想されます。それなら全てに性別を書いておくべきだと思いませんか?他がどうとかではなく、60.236.242.167さんのお考えをお聞かせください。行動で挽回するしかない 2005年11月5日 (土) 17:10 (UTC)
60.236.242.167です。ルールにこだわらず、現在マニュアルになくても検討する価値はあると私も思っています。ただ、それには十分な議論と合意が必要だと思っています。全員が満足する妥協点は見つけられないにしても、合意しようとする努力や議論の過程には意味があると思います。だからこそ、上の方であなたが書かれていた「このまま結論が出なければ、議論の終了を待たずに編集を再開する」という考えには賛同できません。「マニュアルにないから、やるな」とは私は思っていません。「マニュアルにないから、編集を再開する前に議論しましょう」ということです。というわけで、私としては「議論の終了を待たずに編集を再開する」という宣言だけでも撤回してほしい、と思っています。
性別を書くこと自体の是非については、私はあってもよい情報だと思っています。確かに名前から性別が判断しにくいこともあります。また、その人のことを深く知ろうとする際に、性別が不要とも思いません。その人がやったことが重要なのであってプロフィール的な情報は不要という意見もあるようですが、出身地や生年・没年などと同様、人物の背景を知るのに役立つ可能性はあると思います。ただ上でも書きましたが、括弧内の振り仮名と生年月日の間に挿入する方法には今のところあまり賛同できません。理由はやはり他にそういう表記方法を見たことがないからです。一般的でない表記方法を推し進めようとするのであれば、それ相応のメリットや根拠を主張する必要があると思います。どうしても括弧内に表記する必要があると思われるのであれば、その根拠を聞きたいです。(それによって、私の意見も変わるかもしれません。)書くとすれば、『夏目 漱石(なつめ そうせき、XXXX年XX月XX日 - XXXX年XX月XX日)は日本の小説家。男性。』みたいな書き方でよいのではないでしょうか。--60.236.242.167 2005年11月5日 (土) 18:49 (UTC)
人物伝を書くことが多々あるのでコメントを。……まず先に個人的な執筆方針を宣言しますと(編集方針として特に規定されれば別ですが)、特に性別を強調したい時を除いて今後も性別を付ける予定はありません(そもそも、私がよく書く中国の皇帝は周の則天皇帝を除いて男性ですし、作家さんの場合はそもそも性別非公表の方が多いです)。また、文脈上他の言葉で代用できる場合はそれで充分だと思います(「性別をつける人」さんは性別概念を含んだこれらの言葉が消えゆくと捕らえているようですが、私はそのようなことはまず起こらないと思います。本論とは関係ないですが現在「かんごふさん」と普通に呼べない理由自体私には理解できません。言葉狩りはゴメンです)。60.236.242.167さん提唱の第2文で書くという意見に賛成ですが、一括マニュアル化には反対します。
いずれにしても今の記入形式には反対であり個人的には編集し直したいのですが、結論を待ちます。Nukkie 2005年11月5日 (土) 19:52 (UTC)(以上2節)
>Onsentaroさん
性別記入の行動は、マニュアルに反していたのですか?私は、議論に参加せずに編集を続けたことが問題なのだと思っていました。ところですぐ上でも書きましたが、マニュアルにない編集行為を試みること全てが迷惑行為であるかのような発言は、余り建設的なものとは感じられません。行動で挽回するしかない 2005年11月5日 (土) 17:10 (UTC)

以前にも書きましたが、付加するのには私は賛成寄りです。性別を書く、書かないに関しては、スタイルマニュアル上にて何らかのオプションとして(定型句として付加しなくてもスタイルが成り立つように)、先の議論でも見受けられた「名前から明らかでないもの」とか、例えば本文中で「女優」等の表現が現れない場合に限って付加するのを認めればいいんじゃないかと思います。あくまでも「認める」であって、もしその人を語るのに性別表記は一切不要、であるのなら書かなくてもいいんじゃないかと思います。逆に、他の方が不要であると判断されるなら消してもいいでしょう(編集合戦にならないようノート等で話し合ってもらいたいですが)。『「つける/つけない」の択一』にさせない書き方をスタイルマニュアルに反映するのが望ましいと思います。

まずここまでの内容に関しては皆様いかがでしょう。一切不要である、という意見はとりあえず見受けられない、あるいはそこまでの主張はみられないようですが、全てに書くべきと言う意見に対しては、自明であれば(何らかの形で言及していて読み取れるなら)書かなくてもいい、という意見が強いように思えます。

その上で、行動で挽回するしかない氏には、引き続いて落ち着いてある程度長い目で見つつ、議論に参加してくださることを望みます。個人的な考えですが3日ぐらいでは結論は出ないでしょう。当時は「控えて欲しい」旨の要請を無視して編集を続けたことで投稿ブロック対処が行われておりますので、結論が出ない状態で再開されると再びブロックされるおそれがあるように思います。Tekune 2005年11月5日 (土) 18:26 (UTC)

まず行動で挽回するしかないさんに申し上げたいのは、3日で実力行使、という考え方を撤回していただきたい、ということです。Wikipediaには多くの記事が存在しますし、1人で全部の記事に加筆するのは大変な労力でしょう。今後も新しい記事が続々と増えることを考えれば、皆さんの合意を得られない編集を行っても、中途半端に終わるだけです。逆に合意が得られれば、多くの人が協力してくれるでしょう。日々新しい人がWikipediaに加わっていますし、人の考え方も変わります。あまりあせらずに、長い目で見ていただきたいと思います。
その上での私の考えですが、行動で挽回するしかないさんの提案には私も賛成寄りです。生年月日があって性別がない、ということに積極的な理由が見出せませんし、百科事典に基本情報が明示してあって何の問題もないでしょう。重複は記述上の表現の問題ですし、デリケートなケースについては初めからそのように記述されるべきでしょう。Wikipedia:ウィキペディアで起こしがちな間違いにある「意味のある記述を削除してしまうこと。記事の中の意味のある記述の全体量を決して減らさない」に反してまで性別を削除する理由が見つかりません。(ジェンダーなどに関連して大きな問題提起がされれば別ですが。)但し、スタイルについては好き嫌いの分かれるところなので、十分な議論が必要と思います。仮に英語版でこれをやるとすれば、「m.」「f.」とでも書かれるのでしょうが、「男性」「女性」は少々目立ちますね。 けんち 2005年11月5日 (土) 22:21 (UTC)
私もけんちさんと同様に一定の有意義な提言が少々乱暴な手続きによって無駄になりかけているように感じます。多くの場合ある文化内では人名は見ただけで性別がわかる構造になってしまっています。そのため、異文化の人間が見ても自明ではないのに、その文化内の人間が男女の性別をことさら記述したのを見ると何かことさらに厚化粧した表現のように感じて違和感を持ってしまう。問題はそのあたりにあるのでしょう。ただし、文化は歴史の中で変化しますから、異なる時代の人名では男女の性別が必ずしも現代人にとって自明ではない場合もありますし、戸籍名という人名形態が出現して人名の流動性が高まっている近現代日本人の人名には性別を確定しがたいものがしばしばあります。私が以前立稿した植物学者で生きた化石のキムラグモの発見者でもある木村有香氏は男性なのですが、女性と勘違いしたクモ好きの女子高生が、その誤解したままの知識に勇気付けられて高名なクモ学者になってしまったというエピソードがあります。では、どうすれば日本語を母語とする読者にくどさを主体とした違和感を感じさせずにさりげなく性別情報を付記するかと、いう知恵が必要なのだと思います。じっくり議論しましょう。--ウミユスリカ 2005年11月6日 (日) 01:04 (UTC)
行動で挽回するしかない さん、私は女性です。女性の立場で書かせていただきます。行動で挽回するしかないさんがおっしゃってるように、確かに現在は、“看護婦”ではなくて、“看護師”ですし、“保健婦”ではなくて“保健師”女性が“保母”で男性が“保父”だったのが“保育士”、そしてまだ今のところ女性しか居ないようですが、“助産婦”じゃなくて“助産師”です。助産師についても、賛否両論で、産婦人科の医師は男性でもいいけど、看護師や助産師は全員女性じゃなきゃ何科なのかわかんないし、もし、助産師が男性だと、体の場所が場所だけに(笑)、かなり抵抗がある、だから助産師は女性じゃないとダメ、とおっしゃってる方もおりますし、助産師が女性だけ、なんていうと、男女差別になってしまいますので、男性でも信頼が持てるような人なら、男性でも構わない、と、おっしゃってる方も居ます。あとは、助産師は、出産のときに医師の介助をするだけではなく、妊産婦に対して、栄養指導、妊娠中の不安の解消(ストレスが溜まらないように、話を聞いてあげるとかね)、出産後ですと、母乳がよく出るように、おっぱいマッサージなんかも指導するんです。だから、男性助産師だと、男性は妊娠や出産がないから話しづらい、体を触られることへの不安がある、という意見もあります。ですから、女性だけの職業として、未だに“助産婦”という言い方をする方もいらっしゃいますよ。あと、女性の場合は“主婦”ですね。男性はあまり、家に居て家庭を護る、なんて方は、まずいらっしゃらないと思いますし、でも最近は“主夫”とかおっしゃってる方がいらっしゃるようですが(^^ゞ、以前は男は必ず外へ出て働く、という考え方が当たり前の話でしたから、主夫なんて言い方はしませんでした。男女の違いとか、男女差別とか、ジェンダーフリーとかいうんであれば、まずこういうことが基本になるんじゃないかと思って書きました。そういえば、医師も“女医”なんて言いますしね。“男医”とは言いませんから、こういうのも、百科事典に載っている人物の肩書きとしては如何なんでしょうか? --Makiko99 2005年11月7日 (月) 02:14 (UTC)
私の挑発的な文章にもかかわらず皆さん真剣に議論してくださってありがとうございます。7日に性別記入を再開するとの発言は撤回します。正直なところ、ネットで百科事典を作ろうかと考える人たちは、私なんかよりももっと現実的で柔軟な発想をするんだろうなと思い込んでいました。時代を先取りするような感覚を持っているというか。議論は始まったばかりですが、性別記入の反対意見を読んでいて、少し自信を失いつつあります。皆さん結構保守的なんですね。今後は議論の推移を見守ります。議論の結果がどういう時期にどういう形で出されるのか、まだその辺の規定に目を通していないので、よく分かっていません。煮詰まってきたら投票でもするのかな?具体的に発議しなきゃならんのだろうか。とにかく結果が出るまで、性別記入は中断します。私は議論の結果に従います。3日で実力行使との発言でご心配をおかけしました。行動で挽回するしかない 2005年11月7日 (月) 15:06 (UTC)

雪舟の性別は自明か

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私は、性別をつける人です。Aphaiaさんは、私をこのノートに呼んでくださった方です。今日Aphaiaさんの投稿履歴を見ていて、とても興味深い行動をなさっているのを発見しました。Aphaiaさんの行動は重要な示唆を含んでると思うので、ここで質問させてくださいね。

Aphaiaさんは、私が性別を書き込んだ「雪舟」の記事で、「自明」との理由で性別を削除されていました。そこでお聞きしたいのですが、Aphaiaさんの言われる自明とは、誰にとって自明なのでしょうか。Aphaiaさんご自身にとってですか?日本人の常識という意味ですか?またそれは、Aphaiaさんにとって、最初から自明でしたか?自明と思っていたけれど、本当はどこかで聞いて知ったことではありませんか?wikipediaで初めて雪舟を知る人は、何をもって性別を判断すればいいと思いますか?それは特に知る必要のない余分な情報だとお考えですか?それは削除に該当しますか?まあ他で調べれば分かることですからね。それから、雪舟の記事の中で、他に自明の箇所は無かったですか?他に自明の記事があれば削除なさいますか?あともうひとつ、削除したことと、その理由を「自明」としたことは、今でも正しいと考えますか?数学の証明問題で、「自明」とだけ書いて提出したら何点をもらえるでしょうね。面白そうだから誰かやってみてほしいものです。

ところで議論を呼びかけ、議論に参加しないままの行動を理由に投稿ブロックを申請する以上は、Aphaiaさんも今後もちゃんと議論に参加してくださいね。私は、議論がいつの間にかうやむやになってしまわないか、それがとても不安なのです。正直言うと、議論の推移とか結末に対する信頼性がとても低いです。うやむやで放ったらかしにされるか、前例がないなどの煮え切らない理由で保留にされるか、そんな結果にしかならないだろうなと、私は疑っています。それでも議論に参加しようと決めたので参加します。Aphaiaさんも活発に発言してくださいね。規定のないもので規制をかけようってんだから、議論が中途半端に放置されて、規制だけが残ってるなんておかしいことですよね。Aphaiaさんは、性別を書くかどうかなど、自分の知ったことではないと思いますか?たいしたことではないと思いますか?そう思わないから議論に呼んでくださったんですよね。行動で挽回するしかない 2005年11月5日 (土) 16:23 (UTC)

ちょっと脇道かもしれませんが。そういえば以前テレビのクイズ番組で、街頭で「小野妹子は男か女か」という問題を一般の人に出題していたのを思い出しました。正確な数は忘れましたが、何割かの人は間違っていましたね。--60.236.242.167 2005年11月5日 (土) 19:22 (UTC)
雪がついてるから外国の人は女の人だと判断するかもしれませんね。はいおわり。小野妹子は笑い話。そうじゃなくて、貴方がやろうとしていることは広範囲のページに影響を及ぼすことなんですよ。それを実力行使で通そうとしてるのに問題があるわけで。片っ端からつけるのにこれだけ反対している人が居るんですから、ばんばんつけてはいけませんよ。つけるのなら皆で「こうしようと」ルールを決めて、それから付けましょうよ。こういう合意形成は短期間でなされるものではありませんし、なされるべきではないと思います。他の言語版では性別なんて明記されてませんし。草薙 2005年11月5日 (土) 23:50 (UTC)
これだけは言わせてください。ルールを決めるは勘弁願いたい。この手の記述でルールなんか作られたらたまったものではありません。--Goki 2005年11月6日 (日) 10:52 (UTC)
あ、それもそうですね。。草薙 2005年11月6日 (日) 12:17 (UTC)

wikipediaで、ある人物について調べていたら、性別が書かれておらず当惑し、わざわざ他サイトで調べる羽目になりました。 何故このような基本的な情報すら書かれていないのか疑問に思い、調べたところ、ここに辿り着きました。 わざわざ書く必要は無いと仰っている方もいらっしゃいますが、こんな基本的な情報を書いていないと非常に誤解を招き易く、誤った認識を与えかねません。 人物の性別がわかっている場合には、絶対に書き添えるべきです。 少なくとも、性別が書かれていなかった事によって困った人間がここに居たという事を、しっかりと認識して頂きたい。 Psyeki2会話2020年4月15日 (水) 09:17 (UTC)

性別加筆の一例

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性別を加筆する場合の一例を、上で提案されているアイディアを元に並べてみました。私自身は紛らわしい人名を除いては性別は付けなくてもよいかな、と思ってますが、つける場合には(全員ではなく、一部でも)統一したスタイルがあったほうが良いでしょう。個人的には、2、4のような記号はやはり違和感がありますし、年号の方が性別より重要な情報だと思いますので、1もあまり良くないでしょう。3か5が適当かと思いますがどうでしょうか。それと一つお尋ねしたいのですが、宦官性転換者の場合はどうするのでしょうか?--Yakouhai 2005年11月6日 (日) 10:30 (UTC)

  1. 雪舟(せっしゅう、男性、1420年(応永27年) - 1502/1506年(永正3年))は号で、15世紀後半室町時代に活躍した水墨画家・禅僧で、画聖ともたたえられる。
  2. 雪舟(せっしゅう、、1420年(応永27年) - 1502/1506年(永正3年))は号で、15世紀後半室町時代に活躍した水墨画家・禅僧で、画聖ともたたえられる。
  3. 雪舟(せっしゅう、1420年(応永27年) - 1502/1506年(永正3年)、男性)は号で、15世紀後半室町時代に活躍した水墨画家・禅僧で、画聖ともたたえられる。
  4. 雪舟(せっしゅう、1420年(応永27年) - 1502/1506年(永正3年)、)は号で、15世紀後半室町時代に活躍した水墨画家・禅僧で、画聖ともたたえられる。
  5. 雪舟(せっしゅう、1420年(応永27年) - 1502/1506年(永正3年))は号で、15世紀後半室町時代に活躍した男性の水墨画家・禅僧で、画聖ともたたえられる。
  6. 雪舟(せっしゅう、1420年(応永27年) - 1502/1506年(永正3年))は号で、15世紀後半室町時代に活躍した水墨画家・禅僧で、画聖ともたたえられる。男性
オスの項目を見ればわかるのですが、オスという言い方は動物に使うもので人間に使うものでは基本的にないので、♂マークは使わない方がいいとおもいます。草薙 2005年11月6日 (日) 12:19 (UTC)
私は5か6の併用(文脈上自然な方を選択できる)が良いと思います。5の書式に問題があるというわけではないのですが、5のみにしてしまうと、場合によっては「日本の男性の千葉県出身の小説家」みたいに「の」の連続が起きてしまいそうです。あと、私も義務化には反対です。というわけで、私の考えは 「5か6の書式で記述してもよい。ただし、(1)性別が不明または未公表の場合、(2)「女優」など性別を示す記述が他にある場合 には、記述しない。」 というところでしょうか。 あと、宦官については詳しく知らないのですが、これは性別を変更する概念なのでしょうか? まあ、性別を書こうとする場合で特殊な事情がある場合には、臨機応変にその旨追記すればよいとも思えますが・・・。 --60.236.242.167 2005年11月6日 (日) 12:24 (UTC)
宦官の方は「宦官」に内部リンクを貼って、知らない人にも事情を分かってもらうほうがいいので、性別についての記載は不要と考えます。宦官はもともとは男ですけど女なので。それにもともと女である宦官はいませんから。--草薙 2005年11月6日 (日) 12:41 (UTC)
補足訂正。上の意見もありますが、男性と表記もしていいと思います。司馬遷みたいな方にいきなり宦官と書いてもなと。後に「宮刑を受けた」と書けばいいわけですので。
性転換者はデリケートな問題のような。戸籍上も変えてる方はそちらを尊重していいでしょうけど、してない人はどうなんでしょうね。「男」でいい方もいれば、「女」と書いたほうが良い人もいそうです。--草薙 2005年11月6日 (日) 12:53 (UTC)
個人的には6が良いとおもいます。
私は、性別はそれほど重要な記述ではないと思っていますので、"男性の水墨画家"といった説明は不要と考えます。
例として、「女流ピアニスト」「女流棋士」などの記述は問題ないのですが、「女流」が当わない職業だと「女性の学者」みたいになってしまい、「性別」を強調しているように見えるからです。(「女流」の男性版の言葉が見つからない・・・。)性別を記載するのは性別が重要な意味をもつ人物だけでよいと思っています。Pluto 2005年11月6日 (日) 19:40 (UTC)
Yakouhaiさんの、例を示しての具体的なご提案はとても分かりやすくて良いと思います。
さて、性別明記の条件について、60.236.242.167さんがご提案された(1)(2)以外を明記対象とするのは、私とほぼ同じです。ただ私の場合は、「女優」というような、職業で女性と男性を区別する意味の無い言葉は、将来的には無くしていくべきと考えています。今は支持を得られないでしょうから、今は「女優」という言葉を無くそうとは言いません。ナイチンゲールは「看護婦」となっていますが、将来は「看護師」になるんでしょうね。ナイチンゲールは画像があるから分かりますが、無ければ女性とは分からない人も大勢出てくるんじゃないでしょうか。将来的に職業でも男女の区別が不明確になった場合は、ほとんど全ての女性が対象になるものだと思います。その場合は、5や6というのは、それこそ冗長だと感じます。私は1か3にするべきだと思います。
Plutoさんの意見ですが、「女流」を残すなら男に「男流」とはつけませんか?私には「女流」の方が百科事典的でないように感じられます。今までの百科事典ではなく、将来的な百科事典像としては。Wikipediaでは、過去にとらわれるのではなく、将来的にあるべき姿を考えて議論していきませんか?それで逆に他の百科事典の手本になりましょうよ。私の言うことは過激だと感じますか?
ジェンダーフリーのこと私はあんまり詳しくないけれど、議論をしているうちに、失礼ながら私以上に頭のかたい人がいっぱいいるように感じられます。ほんとに聞いてみたい。みんな性別は何ですか?女性の感覚からしたらこういう議論はどう感じますか。女性の支持を得たくて聞いてるのではありません。女性の方でも性別記入不要と考える方がいらして当然だと思います。ただ私が男性だから、男性の考え方はある程度想像が出来るけれど、女性ならどんな風に考えるのかを聞いてみたいと思って。(以上は、2005年11月6日 (日) 23:26 (UTC) に書いたものを一部変更しました)行動で挽回するしかない 2005年11月7日 (月) 02:03 (UTC)
行動で挽回するしかないさん、ここまで何人かの方が書かれていた「3日で実力行使、という考え方を撤回してほしい」という意見に対する回答をされてはどうですか? 議論がうやむやにならないか心配している、というような内容を書き込まれていましたが、あなたは過去のご自分の発言をうやむやにしていませんか? 議論に参加していることで態度を表明されているおつもりかもしれませんが、ハッキリと回答しておくべきではないでしょうか。--60.236.242.167 2005年11月7日 (月) 06:57 (UTC)

未来の日本語がどうなっているか、正しく知る事は誰にも出来ません。今の日本語に基づいて表記を定めるのが中立だと思います。-- 2005年11月7日 (月) 13:19 (UTC)

男性か女性か-2

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(サイズが大きくなったので章を分けます)

性別が、人間性や業績にどのように関係するかを、私は説明することが出来ません。そういったことに関わらず、基本的な情報なのだとしか私は言うことが出来ません。性別を書く意味が何があるのだと聞かれたときに、この観点からの説明が出来ないことをご理解ください。

>60.236.242.167さん 冒頭の括弧内の振り仮名と生年月日の間に挿入する方法のメリットや根拠について。

私は性別は、百科事典だからこそ欠かしてはいけない情報、あって当たり前の情報なのだと思います。職業も名前も、どちらも男女の区別が不明確になるように変化していると感じます。もう今の子供の名前は、男女の区別がはっきり分からない名前がとても多いのではないでしょうか。男女どちらなのか知りたくてWikipediaを見たとき、書いてなければ残念です。逆に性別が分かるようになっている百科事典は、利用者は利用しやすいと感じるのではないでしょうか。ひょっとしたら性別事典なんてものも、将来は作られるかもしれません。

たとえば履歴書で性別の項目は必要でしょうか。私は必要だと思います。しかし、男女どちらに対する設備も充分整っている会社であれば、その人の能力だけを考えるのであれば、男女の情報は不要、ということにならないでしょうか。なぜ履歴書で全ての人が共通して性別を書かなければいけないのか、私はその理由を人に説明して完全に納得させることは難しいように感じます。皆さんは、履歴書に男女の項目など不要だと考える立場でしょうか。百科事典の人物伝は履歴書ではありませんが、履歴書では必要だと考えて、人物伝では不要だという考えでしょうか?私はどちらも必要だと考えているので、そう考える理由を教えてほしいです。

私は性別は全ての人物に等しく記入するべきと考えています。この人は必要、この人は不要などと、誰かの判断で決めることなど出来ないと考えるからです。もちろん、事情があって性別が不明確になる場合や、本人が隠している場合などで、記入対象からはずすべき人もいると思います。

ほとんどの人に共通する基本情報であるから、文脈にとらわれずに見つけやすい場所であるカッコ内に記入する必要があると考えます。カッコ内にコンパクトに納めれば、それほど邪魔にはならないと思います。行動で挽回するしかない 2005年11月7日 (月) 23:29 (UTC)

「ほとんどの人に共通する基本情報であるから」だけでは、根拠として弱いと思います。それなら出身地や在住地はどうでしょうか。履歴書に書く必要がある基本情報は全て括弧内に書く必要があるとお思いですか? 「ほとんどの人に共通する基本情報」を全て括弧内に記述するべきとなると、性別以外にもたくさんの情報を書くことにはなりませんか? そしてその場合、かえって読みにくくなりませんか? 私は別に、括弧内に書くことに意地でも反対するつもりはありません。何度も書きますが、一般的でない表示法を推し進めるからには、ほかの人を納得させることが出来る根拠を示していただきたいのです。基本情報の中でも特に「性別」を括弧内に書く必要があるとお思いになる根拠を示してもらえませんか? --60.236.244.10 2005年11月8日 (火) 04:36 (UTC)
名前のすぐ後ろのカッコ内には何を書くべきか。読み仮名は分かるが、生年月日はなぜカッコ内なのか。そうであるべき理由が何かあるのか。その理由は、スタイルマニュアルには書かれていないようだ。括弧内に書くものと、その後に書くものとの区別は、一体何なのだろうか。それを少し考えてみたいと思う。行動で挽回するしかない 2005年11月8日 (火) 13:58 (UTC)
読み仮名と生年月日が氏名のすぐ後に必ずあるのは、百科事典において一般的だからです。他の百科事典を見てみたことがありますか? 括弧の形は違っていたり、振り仮名が太字になっていたりという差はありますが、すぐ後に書かれているのは同じです。そして性別を氏名のすぐ後に必ず書くのは、百科事典において一般的ではないのです。(悪いといってるわけではありません。) だからこそ、性別については「一般的でない表示法を推し進めるからには、根拠を示す必要があるだろう」と言っているんです。少し考えてみたいとおっしゃってますが、正直に言って、考えもなく他の百科事典に一度も目を通すこともなく、括弧内に書くべきだと主張されていたのだと思うとガッカリです。たくさんの人が参加しているWikipediaのルールを決めようというときに、「何となく」「自分の好み」レベルで話をされては困りますね。一般的な方法を採る、というのは、ただ保守的なのとは異なります。利用する人にとってその方が利用しやすいのです。お湯の出る蛇口が赤、水の出る蛇口が青、というのを「何となく」「設計者の好み」で逆にされたら、利用者は困ってしまうでしょう? --60.236.244.10 2005年11月9日 (水) 22:08 (UTC)
もう少し待ってもらえませんか?要不要の議論を先にしておくべきだと思っているのです。百科事典は見たことあります。考えもなく見たことも無いのですかと前の方では質問されていますが、途中からそれが事実であるかのような書き方になっていますよ。行動で挽回するしかない 2005年11月9日 (水) 23:13 (UTC)
事実であるとは一度も書いていないつもりですが、そう受け取られたのであればそれはこちらの本意ではありません。伝わりにくかったとしたら申し訳ありませんでした。「要不要の議論を先にしておくべき」というのには賛成です。もちろん待ちます。ただ、「考えてみたい」と書き込まれているからには、十分に考えていなかったと自覚されているのですよね? もしそうであれば、今度からはきちんと十分にご自分の中で考えてから主張をされてはどうでしょうか、ということです。--60.236.244.10 2005年11月10日 (木) 07:16 (UTC)
少し論点がずれていく恐れを感じたので横レスします。明確な答を出せない部分を持ったまま主張するもあると思います。それについては後で考えて答える、ということを認めないとすれば、議論は進まないのではないでしょうか。60.236.244.10さんも、全てのことを分かった上で行動したり主張したりできているわけではないでしょう。賛成の方も反対の方も、感情的にならず冷静な議論をつづけられて、良い結論を導きだされることを期待しております。220.102.192.114 2005年11月10日 (木) 08:38 (UTC)
「全てのことを分かった上で主張しろ」などとは一度も書いておりません。ただ、根拠なく「ルールを変えたい」という主張をされても困る、と言っているだけです。根拠のない主張こそ、「感情的」で「冷静でない」議論を生むと思います。--60.236.244.10 2005年11月10日 (木) 10:34 (UTC)

私が性別記入していくときに決めていたことは、以下の2点です。この方法での性別記入が、私は必要だと考えています。

  1. 性別記入は冒頭のカッコ内に記入する。
  2. 性別は、以下の2つの場合を除き、全ての人に等しく記入する。 
  • 性別が不明または本人が隠している場合
  • 職業で「男」「女」を示す言葉が入っている場合

(2)について、「看護婦」「女優」「女流-」などの表現は将来は無くすべきと考えています。しかし現時点では、不特定多数が参加する場所でその考えを実施することは不可能と思われるため、残すしかないと考えます。したがって現在は、職業で性別を示す言葉が入っている場合は、重複を避けて性別はつけないという考えです。ただしプロ野球選手や相撲取りなど、日本に住む人には男性しかいないことが分かる職業であっても、他国の人には分からないと思うので、職業に「男」「女」を示す言葉が入っていない場合は、性別を記入するべきと考えます。

>Tekuneさん

ご忠告ありがとうございました。「もしその人を語るのに性別表記は一切不要、であるのなら書かなくてもいいんじゃないか」とありますが、要不要の判断は誰にも出来ないのではないかと私は思っています。「定型句として付加しなくてもスタイルが成り立つように」「オプションとして」、性別記入することは、融通がききそうでいい提案だと感じます。ただし例えば性転換された方のような、性別で議論が分かれそうな人でない限り、一度書いた性別を消す理由は無いように思います。

>けんちさん

ご忠告ありがとうございました。「重複は記述上の表現の問題]という意見は全く同感です。「デリケートなケースについては初めからそのように記述されるべき」という意見も同じです。性別記入は、「男性」「女性」という言葉を使用するしかないように思います。

>ウミユスリカさん

「異文化の人間が見ても自明ではないのに、その文化内の人間が男女の性別をことさら記述したのを見ると何かことさらに厚化粧した表現のように感じて違和感を持ってしまう」という言葉は全く言い得ていると思います。それ以下のご意見も同感です。「違和感を感じさせずにさりげなく性別情報を付記するかと、いう知恵」に関してですが、意識が変わらない限り、違和感は残ると思います。しかし慣れてしまえば意識は割と早くに変わると思っています。現在でもまだ、同じ職業なのに女性だけ「女流」などの言葉で区別されていることがあります。しかしそう遠くない将来に、そういったことに対して逆に違和感を覚えるようになると思っています。現在それらの言葉は無くなりつつあります。名前でも推測しにくくなっています。いずれ性別が必要だと、皆さんが考えるようになっていくと思います。つまり必須情報になると思うので、冒頭のカッコ内に「男性」「女性」と書くことが適当だと考えています。

>Makiko99さん

私の行動を最初に取り上げてくださった方ですね。問題提起をしていただいたおかげで、皆さんの考えを知ることが出来ました。ありがとうございます。また女性の立場からのご意見もありがとうございます。

職業の表現は、「女優」を「俳優」に変えたり、「看護婦」を「看護師」に変えたりすることを求めることは、今は出来ないと思っています。そのような表現が使われている場合は、性別も記入すると明らかに重複してしまうので、現状では性別記入を控えるしかないと考えています。もし何かマニュアルにするとすれば、「なるべく職業で性別を区別するような言葉は使用しない」という程度の緩やかな推奨(?)にとどめるしかないと考えています。

「助産師」が女性ばかりの職業であることは、私は知りませんでした。確かに現実問題として男性がするのは難しい仕事のようですね。しかし「Jリーガー」や「力士」などと同様に、「助産師」の人についても、重複するようですが、「女性」と書いてあげた方が良いと私は考えます。ただ「助産婦」という言葉もまだ認知されているようなので、その言葉を使ってはダメということも出来ないと思っています。そういえばほんの少し前までは「産婆さん」と言っていたんですよね。言葉の変化に慣れるのは、意外と早いものだと自分では感じています。行動で挽回するしかない 2005年11月8日 (火) 03:07 (UTC)

行動で挽回するしかないさんが人物に関する記事に性別情報を記載すべきであると考えるのは「基本情報」だからという理由からだ、と理解しましたが、本当に「基本的」な情報なのでしょうか?ある人物が百科事典に記事として取り上げられるのは、良いことであれ悪いことであれ、その人が関係する「事実」があるからです。その事実に対して性別は基本的な情報となるケースはそれほど多くないのではないかと個人的には考えています。もちろん、「個人」にとって生年月日や性別、出身地などは基本的な情報ですが、「個人についての記事」にとって基本的な情報は何かとは別問題だと思います。看護婦から看護師に呼称が変わっているのは、「職業の名前に性別を判定できるものを含める必要はない」という考え方から来てるのではないでしょうか?私にとっては同じ論理で、「個人の業績を記述する記事に性別を含める必要はない」と思います。Xmas Steps 2005年11月8日 (火) 10:01 (UTC)
人物伝で重要なことは、ある人物が何を考え、実行したかということでしょう。思想や業績中心であるべきです。氏名と生年月日はその人物を定義付けるために最低限必要な項目だと思われます。氏名がなければある人物を特定できませんし、生年月日がないと時代性が分からなくなります。ある人物の生物学的な特徴は人物伝に不要です。女性だとか、右利きだとか、盲目だ、というような情報は思想や業績に関連するときに必要であれば触れるという扱いで十分です。Yakouhaiさんの提案でいえば6でも良いという立場です(1から5には反対)。---Redattore 2005年11月8日 (火) 21:07 (UTC)
XmasStepsさんの言われる通り、職業名が言い換えられているのは、「職業の名前に性別を判定できるものを含める必要はない」という考え方があるからだと思います。しかしそれだからこそ、性の区別を他で明記する必要が出てくるのだと私は考えるのです。
XmasStepsさんは、性別が全く分からない人について、想像してみたことはありませんか?大体の性別は自分では想像がつくから、特に重要ではないと考えるのではないですか?性別が全く想像がつかない人について考えてみませんか?ウミユスリカさんが例示していた木村有香さんは、可愛らしい女性の名前でありながら男性だそうです。しかしWikipediaの記事では、業績は書いてありましたが、性別はどこにも書いてありませんでした。こういう事態はこれからどんどん出てくると思います。事実だけ書いてあればいいんだという考え方は、百科事典として相応しいものなのでしょうか。木村有香さんや、Charonさんが例示した前田愛さんは、日本人にとって性別が分かりにくい特別な存在です。しかし外国人にとっては、他の日本人と特に違いがないでしょう。その様な立場に立って、もう一度性別が基本的な情報かどうかについて考えてみてもらえませんか。きっとそれ以前とは違った思いを抱くと思います。
日本語は英語のように、彼や彼女といった言葉で人物紹介をしないですから、「男性」「女性」とはっきり明示しなければ、読者にとって性別が分からないままであることが多いと思います。記事を書く側の視点で「性別が必要かどうか」を考えて、記入すべきかどうかを決めるのは、偏った判断になると思います。読者の立場に立ってみて、「性別さえ分からないのか」と感じないかどうかということを基準にして、性別記入の是非を考えるべきだと思います。性別は強調するような情報では決してありません。しかし欠かすことの出来ない情報だと考えます。
XmasStepsさんは、百科事典では性別は問題にする必要がないと言い切っておられます。私はそれには賛成できません。職業でも名前でも性別が分からないときでも、それでも性別は不要だということでしょうか?もしそうであるなら、それは性の区別を無いものにしようとする、かなり過激な考え方だと思います。性の区別を無いものとすることは出来ないと私は思います。職業や名前がそういう動きだからこそ、性の区別を明記する必要が出てくるのです。それを必要とする世界中の読者の存在を意識するべきだと思います。行動で挽回するしかない 2005年11月8日 (火) 15:25 (UTC)
まず私自身にも、名前から想定していた性別と実際の性別が違っていたという経験はありますし、特に外国人の氏名では性別を予想する勘も働かないため、「分からないなぁ」と思うこともあります。かといって、何らかの業績を残された方について知りたいと思ったときに性別が分からないと不満だと思ったことはありません。いろいろ調べる過程で性別が分かることがあっても、特に重要だとは考えません。Wikipediaの(人物に関する)記事に業績はあっても性別がない、というのは、「人物に関する記事は業績中心に記述する」ということに多くの執筆者が賛成しているという証拠ではないでしょうか。もちろん、今回のように異なる視点から、「性別を明記すべきである。」という意見が出てくることは価値観の多様性という意味でも好ましいことであると思います。しかしながら、自分の意思に従って性別の明記を記事に加筆していくことに対して、異論が出てきた場合には、何らかの合意は必要だと思います。私も一人の執筆者として、「個人の業績を記述する記事に性別を含める必要はない」という意見を表明しました。今後、この議論がどのように収束していくのか関心を持って見ていますし、多くの人が納得行く形で収束するべく協力したいとも考えています。
一点、「性の区別を無いものにしようとする」という考え方を私は持ち合わせていません。誤解です。私も性の区別はなくすことのできないものであると考えますが、一方で「男」と「女」という2種類のラベルで色分けすることには無理があるかな、とも思っています。具体的には、性同一性障害を念頭に置いていますが、(これを「障害」と呼ぶことに違和感はありますが)この障害を持っている人が記事として取り上げられた場合どのような性別を付与するのでしょうか?残念ながら、私は答えを未だ見つけてはいません。
また、読者の立場に立ってみても性別の情報が必要不可欠だとは考えません。これは意見の相違ですが、きっと、行動で挽回するしかないさんと同様に「人物に関する記事に性の区別を明記する必要がある」と考える人も多くいるかもしれませんが、私と同様に「人物に関する記事は業績を中心とするべきで、性の区別は必ず明記されなけばならないようなものではない」という考え方の人もそれなりにいると思います。もちろん別の意見の持ち主もいるでしょう。ただ、一つ苦言を呈させて頂ければ、「それを必要とする世界中の読者の存在を意識するべき」という、行動で挽回するしかないさんの表現は、自身の意見を誇張しているように思えていささか違和感を感じました。何はともあれ、今このコミュニティにできるのは、読者のニーズを意識しつつ、書き手としていかに行動すべきかという合意ができればよいのかな、と思っています。Xmas Steps 2005年11月9日 (水) 01:10 (UTC)
>Xmas Stepsさん
「世界中の読者の存在を意識するべき」という部分について、XmasStepsさんは、誇張と感じられたのですね。思い出してみれば、かつてインターネットが普及しはじめた頃、「ネットで世界とつながる」だとか、「世界に向けて発信する」だとかの言葉で、インターネットが紹介されていました。実際に、日本のサイトが他国で翻訳されて読まれていることも多いですし、外国のサイトを翻訳して日本で見ることも多いです。特にWikipediaでは、言語の壁はうすく低いように思います。
XmasStepsさんにお聞きしたいのですが、Wikipedia日本語版は、「日本国内の人々向けに限定して書かれていれば良い」という立場か、或いは「世界のどこかの国に翻訳されて引用されることもあるという前提で書かれた方が良い」という立場か、どちらでしょうか。XmasStepsさんと私とは、まずそこから違っているのだろうなと感じます。日本人が分かれば良いという立場で考える方には、私の話はずっと理解してもらえないままではないかと感じています。
歴史の教科書を私は例にあげましたが、私が知っている教科書は日本国内向けのものですが、女性には女性と分かるような書き方がしてあります。外国に向けて発信する目的で書かれていれば、なおさら性別について明確さが求められると思います。行動で挽回するしかない 2005年11月9日 (水) 12:47 (UTC)

考えてみれば、歴史の授業や教科書において、人物の性別までいちいち説明されることはありません。女性である場合だけ、それが示されています。歴史上の人物のほとんどが男性であることを、教師も生徒も、教科書執筆者も読者も、男女かかわらず皆が共通して、前提として認識しているからなのでしょう。学校で学ぶ歴史とは「男性」の歴史なのだということを、今更ながらにして実感しています。ひょっとすると、ずっと先の将来には、教科書に「性別で特に指定が無い場合は男性です」という注記が書かれることもあるのではないでしょうか。或いは全ての人物に性別が書かれるか。私の言ってることは、かなり変だと皆さん感じるでしょうか。行動で挽回するしかない 2005年11月8日 (火) 16:52 (UTC)

>Redattoreさん
「女性だとか、右利きだとか、盲目だ、というような情報は思想や業績に関連するときに必要であれば触れるという扱いで十分です」「性別は不要」この考え方は一般的ではないと思います。男女の区別が、右利き左利きの区別と同程度の次元であるという考えで例えられているのでしょうか。その例えでもって、男女の区別の要不要を論じることは出来ないと思います。それは人間性にも業績にもほとんど関係しないだけでなく、多くの読者が区別したいと感じる情報とは成り得ないでしょう。逆に盲目は多くの場合触れないわけにはいかない大きな問題だと思います。
多くの言語は、ある程度男女を区別するように出来ています。Redattoreさんは区別は不要と言いますが、多くの場合は既に区別されているのです。日本語の場合は、今までは少数派の女性の側だけを示す言葉で区別されていました。名前に「子」とついていたり、「女流棋士」とか「女帝」といったように。それが無くなった場合に、他に区別する方法が日本語にはありません。区別自体が不要とまで言うことは、いささか極端な意見だと思います。行動で挽回するしかない 2005年11月8日 (火) 23:14 (UTC)

>Xmas Stepsさん

(前章で書かれていたことへの返答です。前章はサイズが大きいとのことなので、こちらに新しく章を立てて、継続して論じたいと思います。)

「男性」と「女性」で白黒つけることがグレーの人に対する差別を助長する可能性があるのではないかと懸念します。

私自身は、「デリケートなケースについては初めからそのように記述されるべき」というけんちさんの意見に賛成です。そしていつか、今よりは一般的な事柄になれば、普通に転換後の性別を記入すればいいだけのことではないかと、私は漠然と考えています。

しかしいずれにしても、現在の議論においては、性同一性障害の方のケースについては、特別な場合として別個に論じるべきだと私は考えています。このケースのために、その他の全体が影響を受けるということは、避けるべきだと思います。

性別が「必須情報」となるような人物はごく限定的だと思います。

限定的に性別を明記するという考え方にした場合ですが、その場合は、たとえば歴史上の人物については、女性の場合だけ女性であることを明記するということになると思います。男性の場合は、あえて書くまでも無く、多くの日本人にとって「自明」のことですからね。限定的に書くとすればそうなると思われます。女性の天皇や皇帝、王について、女性であることを触れない、つまり性別を分かるようにしない百科事典は無いでしょう。しかし、たとえばそのように女性の場合だけ女性であることを明示して、男性には書かないという書き方は、XmasStepsさんは差別的だと感じませんか。少なくとも男性女性分け隔てなく書くことにした方が、差別問題からのいらぬ誤解を避けることが出来るとは思いませんか?

ケースバイケースで考えていくべき

必要と思う人物だけ性別を記入すればいいという意味でしょうか。その意味である場合、XmasStepsさんは、どのような人物の性別だけ記入すれば良いと考えますか?違う意味だとしたらごめんなさい。その場合は、ケースバイケースで何を考えていくべきという意味なのかを教えてください。行動で挽回するしかない 2005年11月9日 (水) 13:09 (UTC)



性別全員記入は不要という方への質問

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全ての人物への性別記入は不要であるという意見の方に質問します。その理由は何でしょうか。自分は判別できる、自分は知りたいと思わない、自明、または性の区別自体認めない、というような理由なのでしょうか。

その理由や、また本当に不要と思っているかどうかを確かめるために、質問をしたいと思います。以下は、一般の日本人が良く知っている人物、または名前や職業から、日本人であれば容易に性別が判断できる人物についての質問です。そういった人物についても、名前のすぐ後ろのカッコ内に性別が書かれていることがあります。まあ私が書いたのですが。この既に記入された性別は、どのように処理するべきと考えますか?

既に書かれた性別について、削除するべきと考えますか?それとも書く場所を変えたり、別の書き方に変更するべきという考えですか。

削除するという考えであれば、理由をつけて欲しいと思います。書く場合だけではなく、消す場合にも同様に理由が必要になると思います。消す場合の理由は、単純に「不要」だからいうことでよろしいでしょうか。不要であると考えるなら、なぜ不要と考えるのかの理由が必要になりますね。「必要」だと考える人もいるわけですから。

または、カッコ内から別の場所に移動するということで考えているのでしょうか。あえて書き直すという行為は、性別が不要ではなく、また消すわけにはいかない情報であることの証明であるように思います。そしてそれらの性別記入が残されるのであれば、他の人物についても、記入を禁じることは出来ないと思いますがいかかでしょうか。行動で挽回するしかない 2005年11月9日 (水) 23:05 (UTC)

前にも書きましたが、ある人物が百科事典に記事として載る場合は何らかの業績があってのことだと思います。その業績について記述する場合に性別が不可欠な情報となるケースあまり多くないというのが、私がすべての人物の記事に性別を明記する必要はないと考える理由です。したがって、ケースバイケースで考えるというのは、ある人物の業績の評価にその方の性別が深く関連している場合は書かれて然るべきだと思います。例えば、歴史的に女性が多数を占める職業で初めてある男性が大きな業績を残したとすれば、それは記事の中に「男性」ということがクローズアップされて然るべきでしょう。それも行動で挽回するしかないさんは差別的だと感じますか?ちなみに私は感じません。
また、天皇を例に挙げておられましたが、例えば推古天皇と舒明天皇は「天皇」というカテゴリーでは同一です。女性にだけ女性と明記されるのは差別的であるというのであれば、男性・女性ともに明記しないというのも解決策ではないでしょうか?ただ天皇の場合、諱から推古天皇は額田部皇女、舒明天皇は田村皇子として性別が分かるような表現が出てきます。これは例えば英語版に翻訳されたとしても天皇はEmperor、皇子はPrince、皇女はPrincessと訳されるでしょうからその時点で性別は判明します。
そもそも、すべての人物に性別記入が必要だとするのは、こだわり過ぎではないかと思います。行動で挽回するしかないさんは、差別問題を回避するための手段として明記するという方法を提案していますが、その方法が本来の意図と反して逆に差別的に見えてしまうという可能性もありうると思います。その理由は何か、といえば、すべての人物に性別を明記するということは、その人の業績を考える上で性別が重要な意味を持たない場合にも明記されている訳です。そうすると、それを読んだ読者は何の目的で性別を明記しているか不思議に思うかもしれません。変に勘ぐられる危険もあるのではないかと思います。
また、想定される危険性は、「性同一性障害の方のケースについては、特別な場合として別個に論じるべきだと私は考えています。このケースのために、その他の全体が影響を受けるということは、避けるべきだと思います。」という部分に見え隠れしているように思います。この場合、性同一性障害の方については明記したりしなかったりする訳ですよね。もしくは男性でも女性でもない第3、第4の性として記入するのかもしれませんが、このこと自体が差別的な行動の引き金になる可能性はありませんか?Xmas Steps 2005年11月10日 (木) 01:42 (UTC)

>Xmas stepsさん

質問に答えてみてくれませんか?本当に私が固執してるだけなのかどうか、質問に答えていただき、それからもう一度考えてみてもらえませんか?あと、皇族のことを例にあげられてますが、皇族以外ではどうですか?家族関係まで書かれていない人物も大勢いると思いますよ。性同一性障害の方のケースについても、質問に答えていただくことで、ずっと議論しやすくなると思いますよ。

以前に質問したことですが、Wikipedia日本語版について、「日本国内の人々向けに限定して書かれていれば良い」という立場なのか、「世界のどこかの国に翻訳されて引用されることもあるという前提で書かれた方が良い」という立場なのか、どちらか教えていただきたいのですが、答えていただくことは出来ないでしょうか。

それと、私は性差別を回避する目的で性別全員記入を説いているわけではありません。性差別回避は伴って生じることだという意味です。目的は、読者に性別を知らせるということです。行動で挽回するしかない 2005年11月10日 (木) 17:05 (UTC)

皇族を例に挙げて、私自身が日本語の記事が外国語版に翻訳される可能性を否定してはいないことをお伝えしたつもりでしたが、ちょっと間接的過ぎたようなので、改めて私の見解を。「前提とすべきかどうかはともかくとして、日本語版の記事が外国語版に翻訳される可能性は考慮する必要はあると思います。」でも、それは今回の「性別を明記すべきか」という問題と大きく関係しますか?議論の中でどなたかが指摘されていたように外国語版ででも性別の明記はルール化されていないようですし。
また60.236.244.10さんと同様に、行動で挽回するしかないさんが「(性別情報を)必ず記述すべきだと思う明確な理由」を明示して頂けませんか?ちなみに、私の意見は「書くか書かないかは記事における性別の重要性による」というものです。異なる意見の是非を考えるのであれば同じ俎上(この節のことですね)にそれぞれの意見が提示されることが第一歩だと思います。ついでといっては何ですが、「Wikipedeia日本語版が日本国内の人々に限定せず、世界ののどこかの国に翻訳されて引用されることもある」となぜ人物伝に性別を必須情報として記載しなければならないのでしょうか?理由を教えて頂けませんか?
「既に書かれた性別について削除する場合の理由」についてですが、「合意に基づかない編集」で十分ではないでしょうか。反対意見が出てきたにもかかわらず性別情報の追加という編集を行なったことは「編集は大胆に」とは別問題だと思います。WIkipediaはあくまでも多くの執筆者の協力関係を前提に存在するということを軽くお考えではなかったですか?
あと、行動で挽回するしかないさんが「性差別を回避する目的で性別全員記入を説いている」とは思っていませんが、性差別回避に繋がるとはお考えのようだったので、性差別助長という逆効果を生む可能性を指摘しただけです(意図せざる結果というやつですね)。Xmas Steps 2005年11月11日 (金) 01:59 (UTC)


ここでおっしゃっている「不要」というのは、「書くべきでない」と「書いても書かなくてもよい」をまとめて指しているように読めます。この2つの意見は異なるものなので、区別せずに扱うと、論点が不明確になって議論が発散しないかな、という心配があります。
あと、章のタイトルですが、「~という方への質問」というのは、あまりにも個人的な印象を受けます。議論に参加する人が思い思いに「~という方への質問」という章を作ったら、どうなるか想像してみてください。ここは多くの人が議論するための場ですから、議論したいテーマごとに章を分けるなら分かりますが。「記入の要・不要について」とかで充分でしょう。
また、「不要と思う明確な理由」を要求されているようですが、であればまずご自分が、「必ず記述すべきだと思う明確な理由」を示されてはどうですか? 以前の書き込みで既に示しているという認識かもしれませんが、全て読み返すのが大変な分量になってきていますので。--60.236.244.10 2005年11月10日 (木) 07:40 (UTC)
もう一度ハッキリとさせておきますが、現状のWikipediaにおいて性別を括弧内に書き込むのは、スタイルマニュアルに違反しています。(マニュアルに『名前の直後に括弧()をつけ、最初に読み仮名を記載してください。読み仮名の後は生年月日との区切りとして「、」をいれてください。』という記述があります。つまり、名前の直後の括弧内には読み仮名、生年月日の順で記載されると定義されています。)議論をする前にスタイルマニュアルに違反した記入をし、「削除するなら正当な理由を言え」というのはいくらなんでも強引ですね。--60.236.244.10 2005年11月10日 (木) 10:57 (UTC)


横からすみません。私は性別情報はあったほうが良いと思います。「性別記述はあってはならない」という理由があるならともかく、そうでないなら、ほんの数文字で重要な情報が付加されるのですから良いことだと思います。少なくとも削除する理由は見当たらないように思います。
業績を中心にするにせよ、その業績を残す上でも性別は何がしかは影響してるかと思います。実社会では服装からトイレから諸々の待遇まで性別によって異なることがしばしばです。現実がそうである以上、特に過去では、何らかの業績をなす過程では方向はともかく性別ベクトルが働きますから、同じ業績でも性別も含めその人となりや時代背景が見えればより理解も深まりますし、楽しくもあるかと思います。百科事典が単なる業績リストではつまらないですし、そもそも人物項目は「何がなされたか」という業績の項目ではなく、「何をした人か」という、飽くまでも「人物の説明」なのですから、やはり性別は重要な情報かと。
反対の理由がスタイルマニュアルに反しているということなら、削除でなく、とり合えずはスタイルに合うように修正しておき、行動で挽回するしかないさんにも記入法を変更して性別記入をしていただくのが良いと感じます。いずれにせよ、折角ある情報を無にする必要はないのでは?他言語に翻訳する場合も彼か彼女かがすぐに分かれば翻訳者の労力節約にもなりますし。以上、的外れな意見であればお詫びします。たかはし 2005年11月10日 (木) 21:06 (UTC)

>60.236.244.10さん

議論をしていく上で、必要と考える人と、不要と考える人、またその中間の立場の人、という形で立場が分かれるのは、極めて典型的なケースだと思います。その一方の立場からもう一方の立場へ質問という形をとったのですが、これがいけないということでしょうか。

質問の文章にタイトルをつけたのですが、ご提案されている「記入の要・不要について」では、不要の意見の方に対する質問のタイトルにはなりません。タイトルは、便利だと思い小見出しという形にしました。区別しやすいように横線を引きました。小見出しがダメとなると探しづらい上に編集もしづらくなって、質問を受ける側も不便ではないでしょうか。

なぜ必要なのかが問題となり、そう考える理由を何度も述べております。逆に不要と考える方の多くが、ご自身の考えに疑問を持っておられないように感じたので、そこを問いかけてみることに意味があると考えました。必要と考える側から不要と考える側へ質問することはダメでしょうか。

60.236.244.10さんは、マニュアルと異なる編集行動をとった者は、他の人が認められている議論の方法にも制限を加えられて当然だとお考えですか?私が質問してはいけませんか?

事情がありこの投稿から3日ほど来れないのですが、復帰後に、ご提案の通り自分の意見のまとめをしたいと思います。念のため申し上げますが、以上に書いたことは全て、議論のテーマである「性別を記入すべきか否か」とは全く関係しないことです。

以下は性別記入に関する内容です。

『「書くべきでない」と「書いても書かなくてもよい」(中略)は異なるものなので、区別せずに扱うと、論点が不明確になって議論が発散』とありますが、はっきりしない方にとっては、完全に削除するのか、どこかに残すのかで、明確になるのではないでしょうか。

また、「もう一度ハッキリとさせておきますが、」で始まる文章で、カッコ内に書くべきかどうかというマニュアルに関する議論と、要不要の議論とが、一緒になってしまっていることをご注意ください。カッコ内に性別を書くというマニュアルにはなっていませんが、性別自体を完全に削除するかどうかは、意見が分かれています。

議論に呼ばれたときは失礼な態度でご迷惑をおかけしました。現在は真面目に議論しようとしています。冷静に意見を言ったり質問したいと思いますが、攻撃するような言い方に感じられたら申し訳ありません。そのような意図はありません。行動で挽回するしかない 2005年11月10日 (木) 23:10 (UTC)

まずお願いします。落ち着いてください。冷静に文章を読んでください。お願いします。
>マニュアルと異なる編集行動をとった者は、他の人が認められている議論の方法にも制限を加えられて当然だとお考えですか?私が質問してはいけませんか?
そんなことは書いておりません。私が書いたのは、議論をする前にスタイルマニュアルに違反した記入をした上で、「既に書かれた性別について、削除するべきと考えますか? 削除するという考えであれば、理由をつけて欲しいと思います。」とおっしゃっているのが、いささか強引というか、態度として誠実でないように感じるということです。議論するな、質問するな、などとは書いておりません。--60.236.244.10 2005年11月11日 (金) 10:11 (UTC)

意見の大勢

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行動で挽回するしかない さん、こんにちは。Maris stella と申します。ここまでの文書を読ませて戴いて、感じたことを記します。多くの方が意見を述べられましたが、その大勢は二つになるように主観的に思えます。

  • 1)確かに、人名で男性か女性か分かりにくいものがあり、勘違いしていた例や、勘違いが起こった例もあり、男性か女性か、「明示」があった方がよいようなケースもあるように思える。……これが一つの見解の流れで、いま一つは、
  • 2)しかし、人物全員に男性か女性かの識別を一々記載するというのは、百科事典として何かそぐわないし、どうしてすべての人物について明示表記しなければならないのか、必然的な理由が思いつかない。

……このような二つの意見が大勢を占めているように思えます。それに対し、「行動で挽回するしかない」さんは、「全員に男性・女性という識別を付けるべきだ」という意見ですね? その意見は、以上の長い話のなかで、そのまま「肯定されていない」ということが、見て取れます。つまり、「人物全員に、男性か女性の識別を入れるべき」という主張は、大勢としては、そのままでは支持されていません。

ここでは、色々重要なことも論じられているのですが、男女の識別をすべて入れるべきかどうかについては、入れない方が自然だという意見が大きな流れになっていると思います。「行動で挽回するしかない」さんが、このようにするのが良いのではないか、と意見を主張された。そのことは意味があります。ただ、目下、コミュニティはその意見に対し否定的です。だからこそ、「なぜ、保守的なのでしょうか」というような、ある意味乱暴な発言が、行動で挽回するしかないさんの発言で出てきているのだとも思います。この件については、コミュニティはとりあえず、男女の識別をすべてに入れる必要はないように思える、で収束しているように思えます(それは「保守的」なのではなく、百科事典は、その人物が白人か黒人か等、識別が不要なものを識別すべきでないし、また必要がない場合、「人物の信教」を一々記述しないというのとも似ています。「普遍性」を要請しているというべきです)。

最後に、個人的な見解を記します。まず、人物記事の場合、デフォルトは「男性」です。男女の平等とか機会均等という話ではなく、男性の方が多いのだと言えます。そこで、「女優」とか「女流文学者」というような「女性限定」表現を使うのだと言えます。将来、こういう表現は「なくなる」だろうとの「挽回」さんの言葉ですが、いま使われている言葉であり、日本語です。将来なくなるなどという客観的根拠がありません。(デフォルトというのは、千の項目のなかに、歴史の中の女性という項があることからも分かります。「歴史の中の男性」というのはないのです)。

……他にも色々とありますが、例えば、日本語版ウィキペディアは、日本語が読める人のための事典で、日本語や日本文化がよく分からない人を配慮する「必要はない」とか(日本語を読める人にとって簡潔適切であることの方が重要です)、または、どうしても男女を明示したい場合は、丸括弧の適当な位置に、「m」「f」の記号を入れるか、または本文で、「彼女」または「彼」を一度でよいから使えば、それで十分とかは、とりあえず、別の議論ということになります。--Maris stella 2005年11月12日 (土) 04:53 (UTC)


・・・そもそも世界各国の歴史に共通することとして、歴史の表舞台に立ってきたのは男性であり、女性が後世に名を残すことはごく稀なことだったと思います。別に女性が歴史上何もしていなかったと言ってるワケではありません。ただ、特別な場合を除いて女性が名を残せなかった時代が続いたためだと思います。

で、ここから意見なんですが、性別をすべての人物に記していくのなら、それなりにルールを作ってやっていくべきだと思います。勝手に強行してしまったために、当事者が投稿禁止をくらってるわけだし。しかも自分の非を認めてないのが痛い存在だということがわかってんの?それに日本人に限らずすべての国の人物に性別をつける根性も見せて欲しい。

さて、俺としては性別は必ず入れるものではないと思いますが、上で言ったようにきちんとルールを作ったあとならば構わないと思ってます。そして賛同者を募るなり(今の当事者の態度のままでは無理だと思いますが)、誰にも理解されずに孤独に作業を続けるなり自由にすれば良いと思います。ルールを作らないまま性別を記入していったら、投稿者ごとにそれぞれ異なる記入場所になってしまうと思います。(傍観者)2005年11月15日(火)20:59

男女の識別のあり方と保守性について

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新たに小見出しを設けるのはちょっと屋上屋を重ねるようでためらわれるものもあったのですが、議論が多岐にわたって少し錯綜しておりますのでちょっと私の意見を整理してここで書いてみます。

性差別の点で保守的か革新的かということは、現段階で性別を明記したほうが革新的ということになるのか、性別を無視したほうが革新的ということになるのか、今の人間には未来を予測できません。百科辞典執筆者は予言者、あるいは歴史の神の声を賜っている預言者ではないのですから、「歴史が歩むべき正しい道筋」を予測しながらそれを目指して書くというのは僭越なことだと思っています。むしろ、現在完了系の事象がどのようなものである、またはあったのかということを極力実証的に記録していく。そして、その実証的記録が現在の人間の世界認識能力を高めて未来の道筋を切り開く力になっていくことに期待するという効果を考えると、へたに「将来あるべき姿」を明示しない百科辞典のあり方こそが真に革新的存在となりうるのだと思います。

ですから、今からの議論では、ある記述の方式が保守的かどうかという論争は棚上げにしませんか?--ウミユスリカ 2005年11月12日 (土) 05:55 (UTC)

性別の記入の既成事実化1

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IPの方が一生懸命記入していっているみたいです。行動で挽回するしかない、ということでしょうか。--Shinya1739 2006年1月23日 (月) 15:58 (UTC)

そのためだけに編集するのもその編集をロールバックするのもそれを禁じる規定を作るのも馬鹿馬鹿しいですが、スタイルマニュアルに以下の旨明記することを提案します。
  • 冒頭文の括弧の中は、名前の読み(外国人の場合は原語表記)、生年誕生日および没年忌日(西暦と和暦、グレゴリオ暦とユリウス暦など暦法が複数ある時代の人物はそれを併記してよい)のみを入れる。また、ペンネームがある場合など必要に応じて冗長にならない範囲で本名や別名(およびその読み)を入れてもよい。冒頭文の括弧内において性別、生地、没地などは記入しない。
  • 記事本文中において性別が明らかになっている場合(「長男として生まれ~」「妻は~」「皇后」など)、性別を一々記述することを推奨しない。
霧木諒二 2006年1月23日 (月) 18:47 (UTC)
霧木さんの提案に賛成です。私としては、このようなスタイルマニュアルは最小にとどめて、性別などは執筆者の裁量で書くか書かないかを決めればいいと思っています。それは画一化することとは全く反対で、あくまでも執筆者のバランス感覚に信頼して、ということなのですが。
丸山 眞男(まるやま まさお、男性…
なんて、本当に勘弁して欲しいです。--Shinya1739 2006年1月24日 (火) 17:47 (UTC)
賛成です。IP氏達は何故か性別表記だけに拘った編集をしているので一人で2,30項目位性別つけているようですから、ここでそうかいているからやめてくれという根拠がほしいです。--代言人 2006年1月29日 (日) 16:35 (UTC)
賛成です。はっきり言って無意味です。代言人さんと同じくやめさせる・戻す根拠が欲しいですね。--端くれの錬金術師(talk|contrib.) 2006年1月29日 (日) 16:38 (UTC)
井戸端で意見募集の告知をしてきました。ただ現在の案で
丸山 眞男(まるやま まさお、1914年3月22日 - 1996年8月15日)は、日本の男性政治学者。
とか
丸山 眞男(まるやま まさお、1914年3月22日 - 1996年8月15日)は、日本の政治学者。男性
とかいった編集を防げるかは未知数ですので、改善の余地があるかもしれません。―霧木諒二 2006年1月29日 (日) 18:47 (UTC)
とりあえず現時点で、IPユーザーの実力行使(既成事実化)をやめさせる(もう止まっている?)ことができれば十分だと思います。霧木さんの危惧するようなカッコの外に出しただけの編集を始められると困りますが・・・。--Shinya1739 2006年1月31日 (火) 12:28 (UTC)
まだ継続なさっている方がいるようです。こちらの方です。わずか1時間半の間に、200人以上の人物に性別を括弧内に記述する作業だけを延々と続けたり(他の編集は一切していない)、定義文にある性別を判定できる記述部分(女子プロゴルファーの女子の部分など)を削除したりしています(してないものもあります)。一応、ノートの方で注意を喚起しておきました。--松茸 2006年2月3日 (金) 11:59 (UTC)

少し前から気になっているのですが、性別をいちいち付加すると、芥川賞作家の藤野千夜さんはどうなるのかしら。
提案に対しては、賛成です。記述をよく読めば性別に関してもわかるように記述を造るべきだと思います。リード部分は、簡潔にすべきです。 --ねこぱんだ 2006年1月30日 (月) 15:55 (UTC)

私は性別記入は必要だと考えます。その理由を以下に書きます。
本文を読んで分かるようにすればよいという意見がありますが、本文を読んで息子や彼という言葉を見つけなければ性別が分からないというのではいささか不親切であるように感じます。また性別記入を回避する目的で本文に性別が分かるような書き方をすることは、望ましい態度だとは思えません。家族関係を書いたり、彼はとか彼女はと意識して書いたり、~の息子として生まれと書いたりといったことを全ての人物に対して施していくのでしょうか。全ての執筆者にその書き方を求めることは出来ないと思われます。
ルールを作る場合、上記のようなルールが出来るのと、冒頭括弧内に性別を書くルールが出来るのとでは、どちらが相応しく、また実現可能でしょうか。私は本文が制約を受けるようなルールは問題だと思います。冒頭括弧内に無条件に記入するのであれば、以下で述べる性同一性障害の方の場合を除き、執筆者によって性別記入が必要か不必要か判断が分かれることはありません。
読者のことを考えなくてよいという意見の方もおられるようですが、それは推奨される編集方針と言えるでしょうか。その意見の方々は自己満足のために書いているのでしょうか。そうではないと思います。読者を意識したとき、この人の性別は必要、この人の性別は書かなくても良いなどと、どの執筆者も判断出来るものではないでしょう。読者は日本人だけではありません。10年後に古くなるような感覚で、この人の性別は皆が知ってるから不必要だ、などと決めるべきではありません。執筆者は読者を無視することも選ぶことも出来ないと思いますがいかがでしょうか。
また百科事典は事実の羅列だけで用を足しており性別は分からなくて良いのだ、という考えの方もおられるようですが、これはまったく同意できません。ある人物について性別が書かれていなければ、それを知りたいと読者が思っても不思議ではありません。Wikipediaで分からなければ、知りたい人は他で調べようとすることでしょう。人物伝に性別すら載っていない百科事典を、良い百科事典と言えるでしょうか。
性同一性障害の方については、個人個人によって状況が異なるので、そのつど判断すればよいと思います。これこそ執筆者たちのバランス感覚に委ねるべきことだと思います。
今まで無かったことだから違和感を感じるのは当然と思います。性別記入が普通になれば、逆に無いことが不自然に思えてくるのではないでしょうか。現在でも性別記入を必要と考える人は決して少なくないし、いずれは多くの人がその必要性を認めると思います。「男性」、「女性」、この二文字がそんなに邪魔でしょうか。
性別記入をやめさせる根拠のためにマニュアルを作るとのことですが、そのマニュアルには根拠があるのでしょうか。感覚的にとか、大勢の意見だからということは何の必然的理由にも根拠にもなりません。自分は必要と思わないというのも同様です。203.136.183.15 2006年2月7日 (火) 14:51 (UTC)
スタイルマニュアルというのは、既存の百科事典のスタイルなども踏まえたものであるべきです。既存の百科事典では記事の冒頭にいちいち性別が記されているものは一般的ではないようです。kaz 2006年2月7日 (火) 16:06 (UTC)
他の百科事典がやるようになればWikipediaでやってもいいだろうということでしょうか。あまりに主体性が無さすぎるように思います。Wikipediaはどうあるべきかを考えるときに、他と合わせなければならないという縛りがあるのでしょうか。60.236.137.146 2006年2月8日 (水) 23:38 (UTC)
性別を知りたくてウィキで検索する読者の側からこの問題を考えているようですが、それ以外の読者の身にもなってもらえるでしょうか。私の知っている範囲では伊丹十三丸山真男等もう名前からして十分に性別が推測される人たちが多くいます。その人たちの名前の後に性別を入れるとどうなるか。端的に「ナンセンス」だ、ということに気づきませんか? 今までにない表記だから、という理由とは関係なく表記として冗長なためにそれは読む人を疲れさせるのです。この性別記入によって起こる一般読者への負担は「性別の書いてある親切な百科事典」を目指す人たちが十分考慮に入れるべきです。
また、性別は重要な情報であることは性別記入賛成の方が力説するところです。性別はその人物の人格なり業績なり発見なりに密接に関わっている場合があります(ない場合は記す必要はないのでここでは省きます)。しかし、そのような重要な性別だからこそ冒頭にただ表面的に「男性」「女性」という「属性」をもっていると表記するだけでは足りないのです。本文でその他の業績や人格などの性別と同じくらい重要な情報と絡めてしっかりと記述しなければならないでしょう。
ここが大事なところだと思うのですが、「画一化」することにそれほどの利点があるのでしょうか? 画一化は、画一化することによって発生する性別が自明な記事における冗長性の増加などの欠点以上に、画一化することによる利点があると認められて初めて実行する意味があるものでしょう。果たして、画一化が現行のスタイルを超える利益をウィキに与えることができるかどうか。私はできないと思います。
少し話が大きくなりすぎましたが、読者は普通、性別をわざわざ記入しないでも「常識」でわかるのだということを知ってもらえたら、と思います。パッと名前を見ただけではわからなくても、画像や本文を読めばわかるのです。まず、最初に名前を見たときに「たぶん男性だろうな」(もしくは女性)と思う。その後にこれといった注意書きがなければ普通に考えて男性(もしくは女性)だとわかります。
ところで、203.136.183.15さんの意見全体にいえることですが、203.136.183.15さんは誰の意見を引き合いに出しているのかをはっきりさせてください。「百科事典は事実の羅列だけで用を足しており性別は分からなくて良いのだ、という考えの方もおられるようですが」や、「読者のことを考えなくてよいという意見の方もおられるようですが」などという幼稚で平板な意見の持ち主はどこにもいらっしゃいません。あなたのように話を運ばれると、こちらはなんとも答えようがありません。そのような意見の持ち主はそもそも存在しないのですから。
また、マニュアルを尊重してください。このようにさまざまな意見が出されている問題に関するマニュアルを無視する、もしくはそのように議論されているという事実自体を無視する、ということは合意形成のための努力を放棄したのと同じことです。私個人としても、マニュアルで縛られるのは当然好ましいと思っていません。しかしIPユーザーの方がマニュアルに規定がないのをいいことに性別記入の既成事実化を進められるのなら、それを防ぐ文章をマニュアルに記述するのもやむ終えないと思っています。--Shinya1739 2006年2月8日 (水) 14:56 (UTC)
引用は、下章のまとめからではないでしょうか。60.236.137.146 2006年2月8日 (水) 23:38 (UTC)
私は前回発言した203.136.183.15です。Shinya1739さんからご意見をいただいたので以下に回答します。
まず、誰の意見かはっきりさせてくださいということですが、これまでのやり取りを読んでいれば見つかります。13章のまとめを参考にすれば見つけやすいです。
性別が書かれてあるとそんなにも疲れますか?たった二文字です。冗長でしょうか?無駄という理由で書くなというのならまだ分かるのですが(性別は無駄ではありませんが)、「常識」だから、「当たり前のこと」だから書くなというのは、私は理由にはならないと思います。何故なら知らない人が知るために調べるのが事典だからです。Shinya1739さんは知っている人の立場で発言されていますが、知らないことを調べるためにWikipediaを使うことはありませんか?事典とは、知っている人からすれば「常識」「当たり前」のことばかりで成り立っていると思いますがいかがでしょうか。
私には、知っている人のことより、知らない人のことを意識する方が良いように思われます。また実証的に書かれるべき百科事典では、読者の推測に頼る姿勢は良くないとも思います。Wikipediaは書くものでもありますが読むものでもあります。Shinya1739さんの発言には、「普通」「常識」「普通に考えて判る」といった言葉が見られますが、あまり推奨されるべき姿勢ではないと思われます。
性別が重要となる人物については、本文にそのような記述をすればよいでしょう。それについては他の方も発言されています。けんちさんの、「デリケートなケースについては初めからそのように記述されるべきでしょう」という発言などがそうです。同氏は「重複は記述上の表現の問題」とも発言していますね。その通りだと思います。
引用に関して、「読者のことを考えなくてよい」については、Maris stellaさんの発言です。「日本語版ウィキペディアは、日本語が読める人のための事典で、日本語や日本文化がよく分からない人を配慮する「必要はない」」というMaris stellaさんの発言は、執筆者が読者を選別するもので、良くない姿勢だと思います。「松井秀喜を説明する場合は野球を知らない人のことは配慮しなくてよいのだ」、とでも言い出しかねない意見で、とても危うい考え方だと思います。以下はたとえ話ですが、多くのスポーツは男性も女性もしています。プロ野球は男性のスポーツだ、というのは野球を知っている人だけの常識であり、野球を知らない人にとっては常識でも何でもありません。百科事典は、そういう読者の存在も意識して書かれるべきだと私は考えます。
「百科事典は事実の羅列だけで用を足しており性別は分からなくて良い」については、Xmas Stepsさんの発言です。「人物に関する記事は業績を中心とするべきで」、「個人の業績を記述する記事に性別を含める必要はない」、「何らかの業績を残された方について知りたいと思ったときに性別が分からないと不満だと思ったことはありません。いろいろ調べる過程で性別が分かることがあっても、特に重要だとは考えません。」という発言を要約したものです。
歴史で学ぶ人物は確かに男性が多いです。人物のデフォルトは男性という人もいましたね。(個人的には男性がデフォルトというのは、あくまで男性視点の歴史に基づいてのものなので、その認識が本当に実証的な姿勢なのか考える必要もあると思っています。特に日本の歴史では古代から自立した女性が数多く登場するので)。デフォルトがあるなら、そうでないときだけ性別を書くことで用を足すことはできるでしょう。しかし現代人については、デフォルトを男性とすることは無理があると思います。デフォルトがないとなれば、違う場合だけ性別を書くということは出来ません。「現代人でもデフォルトは男性で、女性の場合だけ女性と書けばよい」、というお考えですか?それは一般的ではないと私は思います。男性か女性か分からない人物が出てきた場合、女性の場合だけ女性と書けばよい、ということは現代の人物には通用しません。現代と歴史と、どこで線引きするかを決められる人はいません。現代人で無理なことは歴史上の人物でも無理だと思います。歴史上の人物にも性別を記入するべきだと考えます。
画一化について、性別の問題から離れていかないように注意して書きますね。
性別は全ての人物が共通して持つ情報です。スタイルマニュアルは、そのような共通項をまとめて統一したスタイルにすることを目的としています。つまり性別を記入するのであれば全員に施すということは、スタイルマニュアルの目的に合致しているのです。
また全員記入の目的には、執筆者によって必要か不必要かの判断が分かれることを防ぎ、どの人物についてであろうと読者が性別を知ることができる、ということがあります。つまり全員記入しなければ意味がないのです。ただし性同一性障害の方や非公開の方など、一部のケースについては執筆者が知恵を出しあって決めるべき場合があります。
以上のことで、性別記入する場合は全員にするべきということについては議論する余地はないと思っています。
ほかメリットとしては、たとえば性別をある人は記入するが全員には記入せず、また冒頭括弧内にも記入しないとした場合、「女性の○○」とか、「男性の○○」とか、ことさらに性別を強調したような書き方になってしまいます。性別は多くの場合強調される情報ではありません。全員に無条件に書かれていれば、無駄に強調されることを防ぐことが出来ます。
また、Shinya1739さんのように性別全員記入に反対している方でも、性別が分からなくて知りたいなと思うことはあると思います。性別全員記入を実施すれば、今後はそのような人物の性別が、執筆者が知っている限りすべて書かれていることになります。202.225.31.32 2006年2月11日 (土) 13:15 (UTC)
なかなか壮大な計画のようですが、記事の冒頭に性別が堂々と書かれている百科事典なんて見たことありません。それこそ202.225.31.32さんの仰る無駄な強調です。殊更性別を強調する表現になっているのはただ単に表現がおかしいだけで括弧内に性別を書いたからと言って解決される訳ではありません。--代言人 2006年2月11日 (土) 13:42 (UTC)
同じことの繰り返しになるのが嫌なのですが。まず他でやってるのを見たことが無いということについて、それは何の理由にもならないとだけ言っておきます。つぎに代言人さんが「無駄」と感じるのは、あくまで代言人さんの立場でだけで発言しているからだということをお気づきください。読者の視点で考えてみてもらえませんか?読者を選別することが出来ないということも考慮してください。それらを考えたとき、性別は決して無駄ではなく必要な情報なので書かれているべきです。私は性別を無駄に強調するような書き方はするべきでないと言っているだけで、性別自体を無駄と言ってるわけではありません。誤解しないでください。それと括弧内に書けば無駄な強調をなくす解決になると思いますよ。他の全ての人物に書かれているのですから。202.225.31.32 2006年2月11日 (土) 14:26 (UTC)
それを必要な情報と感じるのも貴方の立場だけで、性別表記にがんばっている人は極々僅かです。多くの執筆者が性別を書かないのはなぜ?性別が書いてなくて困るなんてクレームが多いかな?--代言人 2006年2月11日 (土) 14:48 (UTC)
あなたが反対される理由は意見が多いか少ないかだけですか?それからまだ誤解されてるようなのですが、私は自分が必要だから性別全員記入を主張しているのではないですよ。(一部訂正しました)202.225.31.32 2006年2月11日 (土) 14:51 (UTC)
それよりも記入するかどうかに議論があるのに私が戻した記事だけを狙って実力行使するのはやめてください。--代言人 2006年2月11日 (土) 15:06 (UTC)
さっきの議論は終了でよろしいでしょうか。あなたがなさった削除のうち、理由が一方的だったものだけについて必要な情報を残すようにしました。202.225.31.32 2006年2月11日 (土) 15:25 (UTC)

性別の記入の既成事実化2

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読みにくくなるので字下がりを戻します。 以下、手当たり次第に答えていくのでまとまりはないかもしれません。

  1. まず、性別が書かれてあるとそんなにも疲れますか?、とのことですが、ナンセンスさに疲れます。人物の記事を見るたびに生没年の横に見えたら疲れると思いませんか。むしろあなたは性別記入を人物記事全てに及ぼそうというのですから、「たった2字」という気持ちではいけないと思います。
  2. 「読者のことを考えなくてよい」という意見と、「日本語や日本文化がよく分からない人を配慮する」必要がない、という意見が同じですか? 「事実の羅列」が「業績」と同じ意味ですか? 誰かの意見を要約するときは正確に行ってください。要約の仕方が非常に恣意的で、意見が公平に扱われているか疑問です。
  3. 私が使った「常識」という言葉は、ただ「知られる」知識や情報ではなく、そういった知識や情報を推測できる「能力」のことなのですが。つまり、いい意味での常識です。確かに、性別が知っている・知っていないのどちらかに分けられるような情報ならば、それを読者に提供する必要があります。しかし、名前や本文を読めば容易にわかる性別のような情報の場合、これをわざわざ冒頭に書く必要はないでしょう。当然それでも分かりにくい場合は注記すればいいだけのことです。
  4. 私も読者の一人ですよ? このノートに書き込みをされる全ての人が、執筆者であると同時に読者です。その読者の立場から、全ての人物記事の冒頭に性別を記入することに意見を出されているのです。「知らない読者」と「知っている執筆者」との対立に仕立てるのはやめてもらえますか?
  5. 性別と同じくらい重要な情報、業績、生涯、思想等、書かれるべき情報はほかにも多くあります。なぜそのうちの性別だけを抜き出して示すのか。
  6. 女性であるがために、色々な苦労をした人物は多いでしょう。しかし、そういう人物であっても、その人物が百科事典に載るのは、その人のなした業績、思想、もしくは偉大な生涯のためです。本質はむしろその人が何をなしたのか、でしょう。そして、その人物を知るのも、その人のなしたことを通してです。その人をもっと知りたい、と思う人が、必要欠くべからざる情報として「性別」を優先する、と考えることはできません。
  7. ここは少し個人的な感想ですが、こうやって議論をしているとますます性別を記入することに意義を見出せなくなってきました。性別はその人が人間として生まれた、ということと似通った部分があります。確かに男性か、女性か、は重大な違いかもしれませんが、生物ならばそのどちらかとして分類されるのはあたりまえです。しかし、人間は「社会的動物」(表現は古典ですが。)です。現代社会においても性によって差別される部分が確かにありますが、歴史が教えてくれるのは、男性であっても、女性であっても、偉大な人は偉大な「人」で、女性、男性関係はないのです。それをなぜ、ことさら冒頭に書き立てるのか、意義が見出せないのは当然ではないでしょうか?
  8. 画一化することの利点として判断が不要になることを挙げるのはやめてください。画一化するかしないかでこれほど判断が分かれているのではそれは利点とはいえません。また、議論の途中で性別を記入するのはやめてください。--Shinya1739 2006年2月11日 (土) 16:51 (UTC)
IPが変わっていますが、私は昨日回答した202.225.31.32(=203.136.183.15)です。Shinya1739さんに回答します。
  1. なぜナンセンスなのかを書いてください。文字2つというのは客観的に少ないもので、これが目障りに感じるのは主観が邪魔しているからです。
  2. 読者を選別するのは執筆者の都合を優先させることです。その考え方に対する反論を書きました。事実の羅列を業績の羅列と言い換えてもいいですよ。業績の羅列に対する反論を書きました。私は要約を担当したわけではありません。
  3. 分かりやすいか分かりにくいかについて誰かが決めることは出来ません。
  4. 読者の立場でという言葉を誤解しないでください。読者が個々の希望を通すという意味ではありませんよ。色んな立場の読者のことを考えるという意味です。私が個人的な希望で性別記入を論じているのではありません。
  5. 性別は業績や思想とはまったく異なり全ての人間が共通して持っているため、そのような情報は共通項としてスタイルを決める必要があるとか、そのほか色々既にこれまで理由が書かれています。
  6. ある人物のことを知りたくなって調べたが性別が分からなかった、というのは不親切ですね。優先するのではありません。何をなしたかについて詳しく書いてほしいと思います。
  7. 話してるうちに、男性か女性か区別することは無意味に思えてきましたか?それはそれでひとつの意見だと思いますが、性別で区別する必要はないのだという意見であれば私は何も言うことは出来ません。私は区別はあると思います。繰り返しになりますが、本文が制約を受けないようにするため、無駄な強調を防ぐため、全ての人物が持つ情報なので定まったスタイルにするべきであるためなどが冒頭に書く利用です。
  8. 全員記入が必要かどうかの議論と、ある人物に性別が必要かどうかの議論は同じではありません。個々の人物に性別記入するかどうかの判断が分かれるからこそ全員に統一したスタイルにするべきなのです。やめてくださいと言われても理由なのでやめることはできません。202.225.31.248 2006年2月12日 (日) 00:37 (UTC)

スタイルマニュアルで規定するスタイルは、Wikipediaだけの独自すぎるものではよくないのは言うまでもないことです。世の中に存在する多数の既存の事典に、例えば性別を画一的に記したものがないのは、読者にとって必要とされてきた情報をいかに読みやすく記述するかという先駆者の長年の歴史の積み重ねの末という理由があるのですから。そういう経験を無視して、ことさら独自のスタイルを追求するような実験的な試みは、個人や少人数のレベルでやるべきことで多数の参加者がいるコミュニティでやるべきことではないでしょう。kaz 2006年2月11日 (土) 17:33 (UTC)

過去を尊重するのは大切なことだと思う。しかしあらゆる物事に先人たちの知恵や経験が反映されている。あなたの主張通りそれらを尊重して変えないままでおれば、世の中は何も進歩しないままではないか。かつては合っていたことでも、時代の移り変わりとともに合わなくなってくることもある。必要を感じ、時代に合わなくなってくれば、適宜変えていけばよい。誰かが変えようとしなければいつ物事は変わるのだろうか。実験ではなく必要に応じた適切な処置だ。かつてはインターネットもなく、日本語で書かれた辞書が、海外のどこかでほぼ同時に翻訳されることなど有り得なかった。同時代人がこれほどまで多く掲載される百科辞典も無かっただろう。性をめぐる状況は特に過去から変化している。従来の辞書どおりでは合わないことが出てきたとしても当然だ。冒頭に性別を書くルールは、守られないほど難しいルールではない。むしろ他の手段で性別を明示する方が何かとやっかいだ。新しいからという理由で行動を起こすことを恐れて何もしないのは最も良くないことだ。「言うまでもない」とあなたは言うが、それでは説明にならない。主張するには説明が必要だ。202.225.31.7 2006年2月13日 (月) 15:38 (UTC)

前は性別不要と思っていましたが、尾崎紅葉が男性で、樋口一葉が女性だというのは、号だけではたしかにわかりませんね。わが娘も、お札になるまで一葉が女性だと知らなかったといっていました。(当時小学生)ただ、本名や出身校でわかる場合にも必要なのか、ときかれるとよくわからないのですが。--ねこぱんだ 2006年2月14日 (火) 06:53 (UTC)


字下がり戻します。 私がナンセンスさを性別記入に感じる理由としては「冗長さ」をあげるほかありません。ナンセンスと感じるのは、私の「感覚」です。あなたは、それが理由にならない、といわれる。しかし、あなたが性別記入を「たった」2字と捉えていることも一つの「感覚」だということに目を向けてもらえれば、あなたの「客観的」は客観的ではないことが分かると思います。 あなたの言うことがまったく分からないわけではないのです。確かに「たった2字」といわれてみれば、それほど気にならないか、とも思えます。しかし、実際にあなたが性別を記入している記事である黒田善太郎川村龍夫を見れば、名前の後に「男性」と付け加えているのは、まさに無駄以外の何ものでもない、と確認しなおすことになるのです。 再論することになりますが、

  • あなたは「色んな立場の読者のことを考える」ことを要求されている。
  • 私(Shinya1739)は、確かに性別記入を希望する読者がいることを想定している。しかし、それ以上に、それを必要としない読者にとって、性別記入は負担である。それをナンセンスといってもいいし、美しくないともいえる、と主張する。
  • あなたはそれに対して、私の意見を理由にならないものとし、「文字2つというのは客観的に少ない」(太字はShinyaが強調)とし、その理由を求めました。
  • それに対して私は、何より、質・量ともに最高の百科事典を目指すわれわれにとっては、「たった」2字という感覚ですべての人物記事に性別を記入することはできない、と答えます。

あなたはまだ、あなた自身の意見を客観的であり、私の意見を理由にならない、とおっしゃられますか? 私の意見を意見以下のものとして、理由にならないものとして扱われますか? それとも、たとえあなたの感覚とは縁遠いものであっても、私の意見に対してその存在を認められますか?

私たちは、これまで結構な時間をかけてお互いの主張を行ってきました。私はこのような機会を与えられ、あなたと議論するために色々考えることで、「性別」が一筋縄でいかないものだということがよく分かりました。あなたとのやり取りについていえば、あなたの意見にも一理あることが分かるとともに、私の意見にも理由があるということが分かりました。 しかし、あなたの意見を採用できない大事な理由があります。それは、代言人さんやkazさんが述べられているように、あなたの意見が今までどの言語のウィキでも採用されていない新しい意見であることです。現行のスタイルと、あなたの新しいスタイル。一方が一方に優越する理由がなければ、それを現行のスタイルを廃して新しいスタイルに移行させる根拠としては不十分なのです。 私は、「新しいからという理由で行動を起こすことを恐れて」あなたの意見を採用しないのではない。あなたの新しい意見に、現行のウィキを超える利益を見出せないからあなたの意見を採用しないのです。 ……まぁ、投票か何かで意見を広く集めるのがいいかもしれません。

それと、あなたが「ある人物に性別が必要かどうかの議論」を行ったことがありましたか? あるのなら、その議論のノートでも会話ページでも教えてください。あなたの記入の仕方、つまり冒頭の括弧に性別を記入するやり方は、なによりも画一化しなければ意味がないやり方です。それにもかかわらず、「全員記入が必要かどうかの議論と、ある人物に性別が必要かどうかの議論は同じではありません。」とはもはや詭弁以外の何ものでもないでしょう。 議論の結果をまたずに性別記入の既成事実化を行うのはやめてください。そのようなスタンスの人間と対話する気はありませんので。--Shinya1739 2006年2月14日 (火) 13:30 (UTC)

またせっせと記入が始まってますね。今度は221.170.245.64さんですか。--220.212.242.221 2006年2月24日 (金) 03:51 (UTC)
どこで書けばいいのか…とりあえず、ここに書いておきます。個人的にはカッコ内に性別を記載することには絶対反対です。カッコ内には読み方と生年月日と没年月日を基本としたほうが見栄えがいいと考えています。冒頭でカッコの外に性別を記載することには賛成はしませんが、強く反対はしません。--経済準学士 2006年3月9日 (木) 15:41 (UTC)

性別記入 意見のまとめ

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補足:以下のまとめは、61.214.226.124氏によるもの。kaz 2006年2月7日 (火) 16:10 (UTC)

以下は、このWikipedia‐ノート:スタイルマニュアル/人物伝において議論された内容を要約したものです。ただし2005年11月3日 (木) 04:05 (UTC)のOnsentaroさんの発言までは井戸端で行われていた議論をこちらの人物伝に後で移動させたものとなります。

以下の文章の改変や追記について、Wikipediaの編集方針で定められている以上の特別のルールはありません。発言者の名前を明示しているので、文章を改めようとされる方はその点に特に注意してほしいということと、理由の無いままの削除はしないでほしいとお願いするぐらいです。変更された方は、下記に倣って署名をしていただければ幸いです。218.230.177.174 2006年2月24日 (金) 18:21 (UTC)

要約履歴
1.(要約担当)61.214.226.124 2006年2月5日 (日) 17:50 (UTC)
(対象)2005年11月2日 (水) 02:11 (UTC)のMakiko99~ 2006年1月30日 (月) 15:55 (UTC)のねこぱんだ
2.(要約担当)218.230.177.174 2006年2月24日 (金) 18:07 (UTC)(前回と同一人物)
(対象)2005年11月2日 (水) 02:11 (UTC)のMakiko99~ 2006年2月24日 (金) 03:51 (UTC)の220.212.242.221

1.視点

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[1]内容は執筆者の立場に立って書かれるべきか、読者の立場に立って書かれるべきか。

  • (執筆者側)執筆者のバランス感覚を信頼してあくまでも執筆者の裁量に基づくものであるべきだ。(Shinya1739)/執筆者が必要と思う場合だけ書けばよい。(草薙、Pluto)性別を知りたいと思わない読者のことを優先するべき。「知らない読者」と「知っている執筆者」との対立に仕立てるべきではない。(Shinya1739)
  • (読者側)執筆者の視点ではなく読者の視点に立った内容にすべき。読者の視点を欠いてさほど重要ではないだろうと決めてかかることはすべきではない。(行動で挽回)事典は知らない人が知るために調べるもので、知っている人からすれば「常識」「当たり前」のことばかりで成り立っている。 「常識」、「当たり前」だから書くなというのは理由にならない。知っている人のことより、知らない人のことを意識する方が良い。百科事典は実証的に書かれるべきで、執筆者が読者に対して「普通」や「常識」を押し通すべきでないし、推測に頼るべきでもない。(202.225.31.32)


[2]日本語や日本の文化を知らない読者も対象にするべきか。

  • (反対)外国語版に翻訳される場合でも人物伝に性別を記載する必要はない。(Xmas Steps)/日本語や日本文化を知らない読者を配慮する必要はない。(Maris stella)
  • (賛成)ノート:あずまきよひこでロシアの執筆者が性別を確認しに来たことがある。(Charon)/他言語の話者で日本人の名前だけ見て性別を判断できる人は少ないだろう。日本語版から各国語版へ翻訳される可能性も考えれば性別は表記されていた方が親切だ。 (shikai shaw、たかはし)/数百年後の人々、地球の裏側の人々に説明するという発想が必要だ。特にWikipediaでは言語の壁はうすく低い。(行動で挽回)/読者の選別は執筆者の都合を優先させることだ。必要と主張するのは個人的に言ってるのではない。読者が個々に希望を主張するのではなく自分以外の色んな立場の読者のことを考えるべき。執筆者が自己満足になってはならない。執筆者は読者を無視することも選ぶことも出来ない。 日本人以外の読者、10年後の読者を意識すればどの執筆者も性別の要不要を判断出来ない。(202.225.31.32)

2.必要性

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[1]性別は必要な情報か。

  • (不要)性別は必ずしも必須情報ではない。(NekojaNekoja)性別は必須情報ではないし、基本情報でもない。百科事典に取り上げられるのはその人の関係した「事実」があるからで、「事実」に対して性別は基本情報となることは少ない。個人的には事実さえ分かれば性別が分からなくても不満はない。(Xmas Steps)/事績と関わって意味がある場合だけで良い。(みっち)/名前などから明らかでないものだけ付ければよい。(Tamago915、Nekosuki600、草薙)/生物学的な特徴だけの情報は人物伝に不要。思想や業績に関連するときに必要であれば触れる程度でよい。(Redattore)/全ての人物について明記する必然的理由が思いつかない。(Maris stella)
  • (必要)性別は全ての人物が共通して持っており、それを知らない読者にとっては知りたいと思う基本的なあって当たり前の情報。性別さえ分からないということでは百科事典として不充分。強調する情報ではないが百科事典だからこそ欠かしてはいけない。(行動で挽回)/性別は基本情報であり、同じ基本情報の生年月日があって性別がないということに積極的な理由が見出せない。意味のある記述を削除することは禁じられている。(けんち)/「性別記入はあってはならない」という理由はない。(たかはし)

[2]性で区別することは必要か。

  • (不要)どっちの性なのかが実績とあまり関係なさげなやつにまで無理やり性別を入れてまわるやり方には反発が強い。(Nekosuki600、Pluto)/性の区別は無くすことは出来ないが「男」「女」の2種類のラベルで色分けすることは無理がある。(Xmas Steps)/偉大な人は偉大な「人」で、女性でも男性でもどちらでもいい。性別で分けることに意義を見出せない。(Shinya1739)
  • (必要)ジェンダーが現実社会にあるからこそ性別は必要な情報(Wing09)/性の区別を無いものとすることは出来ない。多くの言語では文法や単語などで既に区別されている。日本語には文法で区別するものがなく職業や名前でも性差が無くなりつつあるからこそ性別を明示する必要がある。(行動で挽回)/区別はある。(202.225.31.32)

[3]人物伝では業績以外のことも書かかれるべきか。

  • (反対)百科事典はありとあらゆる情報を載せる場所ではない。数学者や物理学者については業績のみ書かれるべきで性別は必要ない。人物伝は人名録ではなく「その人がした(しようとしている)事」が重視されるべきだから不要。(NekojaNekoja)/個人の業績を記述する記事に性別を含める必要はない。(Xmas Steps)/何を考え、実行したかということが重要で、思想や業績中心であるべき。(Redattore)/性別が業績に関係ない場合は記す必要はない。本質はむしろその人が何をなしたのかであり、その人物を知るのも、その人のなしたことを通してだ。必要欠くべからざる情報として「性別」を優先することは出来ない。性別が業績に関わる場合は本文で他の重要な情報と絡めてしっかりと記述しなければならない。 (Shinya1739)
  • (賛成)現実社会には性差があり特に女性の場合は純粋科学以外では社会的活動においてその影響は免れないため性別を記入する理由となりうる。(Wing09)/業績を生み出した背景や人物像は必要。性別が業績に対してどれだけ影響があるか分からないが、その影響を執筆者の判断で軽視するべきではない。事実だけ分かれば性別は分からなくてよいというのは百科事典として相応しくない。事実とは無関係に性別は書くべきだ。(行動で挽回)/業績の説明だけではなく、業績を残した人はどのような人物であったかを説明する内容であるべきなので性別は重要。人となりや時代背景が見えればより理解も深まり楽しくもある。(たかはし)/百科事典では何をなしたかについて詳しく書かれるべきで性別は優先されるべき情報ではない。しかし性別は必要な情報だ。(202.225.31.32)

3.判断

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[1]職業や名前以外で判断できるようにするべきか。

  • (反対)性別が自明でなくなったときに付ければよい。(草薙)/女優などの表現が使われなくなったときに性別を書けばよい。(NekoJaNekoJa)/「女優」「女流」という言葉が将来無くなるという客観的根拠がない。(Maris stella)
  • (賛成)過去の人物や外国人などは名前だけで性別は判断できない。(Tekune、shikai shaw)/国文学研究者に前田愛という男性がいる。(Charon)/生きた化石のキムラグモの発見者でもある木村有香氏は男性。(ウミユスリカ)/「女流」「看護婦」などの性別が分かる言葉は無くなりつつある。「女優」なども今後無くなっていくと思われる。名前も性差の無い名前が増えている。日本人の読者でも、人物の性別を判別することが難しくなりつつある。外国人にとってはどの名前でも同様だ。(行動で挽回)

[2]冒頭に書くべきか。

  • (反対)本文に家族関係があれば分かる。(tanuki_Z)/文脈上他の言葉で代用できる場合はそれで充分。(Nukkie)/本文で「彼」「彼女」を一度使えばそれで充分。(Maris stella)/性別が分かるような記述を造るべきだ。(ねこぱんだ)/性別は普通、名前や本文から容易に推測できるので記入不要。名前で判らない場合でも画像や本文を読めばわかる。注意書きが無い場合でも推測できる。読者は推測できる「能力」すなわち常識を持っている。推測しにくい場合だけ注記すればいい。(Shinya1739)
  • (賛成)読者に本文から推測することを求めるよりは、冒頭に書いてある方がいい。(Tekune、shikai shaw)
  • (コメント)本文との重複は記述上の表現の問題。(けんち)

[3]教科書に載っている人物やテレビによく出ている有名人でも自明とするべきでないか。

  • (反対)自明として扱ってよい。(Aphaia)/人物記事のデフォルトは男性である。(Maris stella)/歴史の表舞台に立ってきたのは男性。(傍観者)
  • (賛成)全くその人物について知らない人が引く場合だってある。また現代人には自明でも、百年後、二百年後の利用者には自明でない可能性だってありえる。(Wing09)/自分は性別を知っていても他の人が皆知っているとは限らない。またWikipediaで初めてその人物のことを知るということもある。(行動で挽回)現代人についてデフォルトを男性とすることは無理がある。現代と歴史と線引きすることはできない。現代人で無理なことは歴史上の人物でも無理。歴史上の人物にも性別を記入するべきだ。(202.225.31.32)

4.前例

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[1]他言語版でやっていないことを日本語版でするべきか。

  • (反対)外国語版でも性別の明記はルール化されていない。(Xmas Steps)
  • (賛成)日本語は人称代名詞を使用しなくても書けるため本文で性別が分からないことが多い。(行動で挽回)

[2]これまでの百科事典に前例がないことをするべきか。

  • (反対)これまでの百科事典で性別記入しているものを見たことがないため抵抗がある。(60.236.242.167)/未来の日本語がどうなってるかではなく現在の日本語に基づいて表記を定めるのが中立。(俊)/百科辞典執筆者は予言者あるいは預言者ではないので「歴史が歩むべき正しい道筋」を予測しながらそれを目指して書くというのは僭越。極力実証的に記録していき「将来あるべき姿」を明示しない百科辞典のあり方こそが真に革新的存在となりうる。(ウミユスリカ)記事の冒頭に性別が堂々と書かれている百科事典は見たことがない。(代言人)/スタイルマニュアルで規定するスタイルは、Wikipediaだけの独自すぎるものではよくない。既存の百科事典のスタイルを踏襲するべき。記事の冒頭にいちいち性別が記されているものは一般的ではない。これは、読者にとって必要な情報を読みやすく記述することを考えた、先駆者の長い年月の経験に基づくものだ。経験を無視して、ことさら独自のスタイルを追求するような実験的な試みは、個人や少人数のレベルでやるべきことで多数の参加者がいるコミュニティでやるべきことではない。(kaz)
  • (賛成)過去にとらわれず将来的にあるべき姿を考え、他の百科事典の手本となればよい。前例に囚われるべきではない。逆にWikipediaが前例となることがあっても良い。英語版やその他の言語にまで広げていきたい。(行動で挽回)前例がないというのは理由にならない。今まで無かったことだから違和感を感じるのは当然。性別記入が普通になれば、逆に無いことが不自然に思えてくるだろう。他の百科事典がやるようになればWikipediaでやってもいいということでは主体性が無い。他と合わせなければならないという縛りはない。(202.225.31.32)/かつてはインターネットもなく、日本語で書かれた辞書が海外でほぼ同時に翻訳されることもなかった。同時代人をこれほどまで多く掲載する百科辞典も無かっただろう。性をめぐる状況も特に過去から変化している。従来の辞書どおりで合わないことが出てきても当然。冒頭に性別を書くルールは、他の手段で性別を明示するよりは守られやすいルールだ。(202.225.31.7)

5.ルール

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[1]現在のルールに則っているか。

  • (コメント)スタイルマニュアルでは性別を記入しなければならないという規定はない。(Onsentaro)/現在のマニュアルでは記入すべきとはなっていない。しかし記入してはいけないともなっていないため、記入してもよいとも受け取れる。(BitBucket)/名前の後の括弧には、名前の読み仮名と生没年月日を書くという規定しかなく括弧内に性別を書くのは違反している。(60.236.242.167)

[2]新しくルールを作るべきか。

  • (反対)ルールに縛られたくない。(Nekosuki600、Goki)根拠のないマニュアルで規制するのは反対。(202.225.31.32)
  • (賛成)性別を全ての人物に記入するならルールを作るべき。(傍観者)/馬鹿馬鹿しいが性別記入を禁じる規定が必要。(露木諒二)/性別記入に反対する根拠がないため根拠をつくるためにルールが欲しい。(代言人、端くれの錬金術師)/後で追記するより初めからあった方がよい。ルールがあれば今後性別記入をする者が出てきたときに一人一人不要と言って廻ることは防げる。(行動で挽回)/マニュアルで縛られるのは好ましくない。マニュアルにないことを既成事実化しようとする動きがあれば、それを防ぐ目的のマニュアルを作らざるを得ない。(Shinya1739)

[3]性別を書くルールを作るとすれば冒頭でよいか。

  • (反対)特に性別の表記が必要な場合は概要内に特記すべきで冒頭の記事内に表記すべきではない。(Onsentaro)/リーダーの部分は見通しよく、できるだけ簡潔にしたい。(NekoJaNekoJa)/名前後の括弧内に書くのは一般的ではない。基本情報という理由だけでは根拠にはならない。(60.236.244.10)/「画一化」は冗長でメリットはない。性別だけ抜き出して示す理由がない。(Shinya1739)/性別全員記入は無駄な強調だ。本文で強調にならないように考えて書けばよい。(代言人)
  • (コメント)マニュアルを作る場合はオプションとして状況に応じて付加を認めるようにすればよい。「つける/つけない」の択一にするべきでない。(Tekune)
  • (賛成)性別は全ての人物(生物)に共通する最も基本的な区別であり、業績や家族関係などとは質的に全く異なる個人情報であるため本文の文脈に影響を受けない見つけやすい場所で明示されるべきである。いずれ皆が性別を必要と感じるようになる。(行動で挽回)/本文から性別が判る言葉を見つけたり推測に頼るのは不親切だ。本文で性別が判るように書くことを、全ての人物に対して施していくことも、全ての執筆者に求めることも出来ない。本文が制約を受けるようなルールは問題だ。性別を書くかどうかも記入場所も人物によってまちまちであれば、「女性の○○」とか、「男性の○○」とか、意図と反して殊更に性別を強調したような書き方になってしまう。性別は業績や思想とはまったく異なり全ての人物が共通して持つ情報なので、共通項をまとめて統一しようとするスタイルマニュアルの目的に合致する。冒頭括弧内に性別を書くルールは実現可能だし、執筆者によって性別記入が必要か不要かの判断が分かれることもない。全員に無条件に書くことで無駄な強調を防ぐことが出来る。どの人物についてであろうとどんな読者であろうと確実に性別を知ることができる。(202.225.31.32)

[4]性別を書くルールを作るとすれば男性、女性をどのように表記するべきか。

  • (コメント)もし入れるならば♂、♀の記号を使うのがよい。(Onsentaro)/オスは人間以外の動物に対して使う言葉なので♂♀の記号は使うべきでない。(草薙)/♂♀の記号は品が無い。(行動で挽回)/「男性」、「女性」では目立つので「m」「f」とするべきか。(けんち)

[5]職業や名前に関係なく全員記入するべきか。

  • (反対)職業や称号で性別が明確になっている場合は不要。(shikai shaw)
  • (賛成)原則的に全員記入するべき。(行動で挽回)

[6]既に書かれた性別を削除してはいけないか。

  • (反対)合意に基づかない編集と言う理由で既に書かれた性別は削除してよい。(Xmas Steps)
  • (賛成)削除する理由はない。(たかはし)

6.GID

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[1]性同一性障害の方の場合をどう考えるか。

  • (コメント)自己の性別について一概にこの人は男性だ女性だと断言する記述を行なうことに違和感がある。生理学上と異なる場合は本文に書くべきだ。(Onsentaro)/性同一性障害の方についての表記を決めるべきだ。(Xmas Steps)/宦官は男性、性転換者で本人が公表している場合は、転換前の性別と転換後の性別を書けばよい。性同一性障害の方についてはデリケートな問題なので個別に考える。このケースのために他の全体が影響を受けるのは避けるべき。(行動で挽回)/性同一性障害の方については個々で状況が異なるので、執筆者たちのバランス感覚に委ねてそのつど判断すればよい。 (202.225.31.32)

7.性別記入による影響

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[1]冒頭括弧内に性別記入を認める場合でも、血液型や星座、人種、信教などの全員記入は禁止するべきか。(全員の文字を追加

  • (コメント)血液型や星座、信教なども記入すべきという意見がでてきて収拾がつかなくなる恐れがある。(みっち)
  • (賛成)血液型や星座については過去に否定されている。(Tekune、Wing09)

[2]性別記入は性差別を防ぐことができるか。

  • (コメント)性別記入するかどうかは性差別の問題とは基本的に関係ない。(NekoJaNekoJa)/性別記入を性差別と結びつけることに差別意識の過剰性を感じる。(渚)
  • (反対)「男性」と「女性」で白黒つけることがグレーの人に対する差別を助長する可能性があるかもしれない。性同一性障害の方についてのみ区別して明記しないとした場合それが差別的な行動の引き金になる可能性がある。(Xmas Steps)
  • (賛成)性別を書くことの方が性差別を回避できる。性別で女性を明示すれば女流という表現は無くなる。女性の場合だけ女性と書き男性の場合は書かないという書き方は差別的。(行動で挽回)

8.その他

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[1]感覚的にどうか。

  • (反対側のコメント)何かそぐわない。(感覚的に)記入しない方が自然に感じる。(Maris stella)/名前から性別が推測できる人物に性別記入するのは「ナンセンス」だ。表記として冗長で読む人に負担となり疲れさせる。(Shinya1739)
  • (賛成側のコメント)異文化の人間が見ても自明ではないのに、その文化内の人間が男女の性別をことさら記述したのを見ると何かことさらに厚化粧した表現のように感じて違和感を持ってしまう。ただし、文化は歴史の中で変化するため、異なる時代の人名では男女の性別が必ずしも現代人にとって自明ではない場合もある。(ウミユスリカ)/慣れが意識を変える。意識が変われば違和感は無くなる。看護婦→看護士のように、言葉の変更は初めは躊躇するが、使っているうちにすぐ慣れるものだ。性別記入も同様だ。(行動で挽回)/ナンセンスと考える理由を説明するべき。性別記入は客観的にみて文字2つと少ないものであり目障りに感じるのは主観が邪魔しているからだ。(202.225.31.32)
  • (コメント)性別が明らかな場合は必要はないかもしれないが、分かり辛い場合は記入する必要がある。性同一性障害者云々などは難しく考える必要性はない。(渚)

[2]性別記入は支持を得られているか。

  • (反対側のコメント)マニュアルに反する編集行為であり迷惑行為である。(Onsentaro)/絶対にするなとは誰も言っていない。(NekoJaNekoJa)/一般的でない表示法を推し進めるからには他の人を納得させる根拠が必要。(60.236.244.10)/多くの執筆者が「人物に関する記事は業績中心に記述するべき」と考えている。(Xmas Steps)/全員性別記入の意見は肯定されていない。入れない方が自然、必要はないように思えるというのが大きな流れ。(Maris stella)
  • (コメント)一切不要であるとは見受けられない。(Tekune)/現在でも性別記入を必要と考える人は決して少なくないし、いずれは多くの人がその必要性を認めると思う。 (202.225.31.32)

性別表記のガイドライン策定提案

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過去に議論に加わった者ですが、そのとき、「大勢」はどうであるかを述べたと思います。いま再度、強調したく思うと共に、発散している問題を収束させたく思います。まず基本的に、一つのことを、当面の「強制力あるガイドライン」つまりルールとして制定することを提案します。

  • そもそも問題のもっとも重要な点は何か。それは、人物記事において、もっとも目立つ、最初の「人名(よみ、生没年)」という記述のなかに、男性か女性かを入れるか入れないか。この一点が問題になっています。つまり、「人名(よみ、*性、生没年)」または「人名(よみ、生没年、*性)」というような記述を「一律に認めるか否か」が問題の焦点です。(「*性」は男性か女性の略です)。
  • この問題について、無条件でこれが良いと主張している人は、一人のアカウント・ユーザーと他にIPの人が少数で、IPの人は、こういうガイドライン問題では、意見は述べるのは構いませんが、議決権はありません。従って、事実上、一人しか主張者はいません(そのような認識ですが、勘違いの場合は修正願います)。sockpuppet がもし出てくるなら別に問題になります。とまれ、「無条件で、基本人物欄に、男性か女性を、画一的にすべて入れるべきだ」という意見は、少数派であり、超少数派とも言えます。
  • わたしは、投票を行い、このようなスタイルは「ガイドライン違反」とすることを賛否で決めたく思います。ただし、個別的なケースについては、他の編集者が異議がなければ、それでもよいというガイドラインです。一人のユーザーが、多数の記事で、人名の性別を付けるなどがあれば、これは「個別的なケースごとは例外」とは矛盾しますから、ガイドライン違反です。
  • ガイドラインはいま一つ、基本定義文のなかで、「男性・男」「女性・女」を記述することを、上と同じ基準で禁止するとします。「Aは、物理学者で女性である。」「Aは、オランダの医学者である。女性。」などの記述は、認められないということです。ただこれも、他の編集者に異議がない場合は、可とするということです。ただし、「女優」「閨秀詩人」など、単に性別だけを述べているのではない表現は、ガイドラインの外にあるとします。
  • 一般に、説明文(定義文も含め)、記述に必然性があり、自然な文章の流れになっている場合は、可とします。例えば、「当時は、議員が男性しかいなかったが、Aは史上はじめて女性として議員となった」などは、自然な記述で、また「女性であること」を明確に表現することに必然性があります。単に、男か女かを示すために、男性・女性を書くというのとは異なるということです。
  • 名前の漢字などを見ただけでは男性・女性が分からない人というのは確かにいます。例えば、「小野妹子」は女か男か、歴史を知らないと、女だと思うかも知れません。あるいは「紫式部」は男か女なのか。日本文化について中学生水準の知識があれば、女性だと分かっているはずですが、小学生では知らない人がたくさんいる可能性もあります。「老子」や「孟子」はどうなるのか。あるいは「諸葛亮孔明」というのは男か女か。(あるいは、話が日本語ではありませんが、英語の countess は、女伯爵か伯爵夫人かよく分かりません。また「兄弟姉妹」は日本語だと、どちらが年長かは一目瞭然ですが、英語の記述だと、She has a brother. とあると、兄か弟か不明です。elder か younger を付けるとはっきりするのですが、付いていないことが多いです)
  • 百科事典は、最低限、中学で学ぶ程度の「文化知識」水準は前提にします。もしこれを前提にしていないと、本文において、少し難しい漢字はすべてルビがないと、小学生に読めない、とか、「イスラム帝国は、北アフリカを席巻し」と書くと、「席巻」とは何か分からない、分からないことを書くな、などという話になります。この種の例は幾らでも列挙できます。百科事典は、ある程度の文化教養を持ち、日本語は当然読むことのできる人を前提に書きます。

以上のガイドライン制定の提案を行います。またガイドライン議論が決着するまで、男性・女性の記述を多数、意図的に行う者には、警告を出し、従わない場合は、共同編集ができない方ということで、ブロックの発動でも構わないと考えます。なお、これは原案で、各位の意見をお伺いしたく思惟します。--Maris stella 2006年2月25日 (土) 20:27 (UTC)

(また、「当面のガイドライン」というのは、編集実績のある多くのアカウント・ユーザーから、性別表記を入れるべきだという意見が出てきた場合、当然、ガイドラインの再考を検討するという意味です。ウィキペディアは、十年、二十年とかのプロジェクトで、五年後には、いまは考えてもいなかった形になっているということもありえます。……例えば、「総ルビ」表示が選択できるようになるとか、「詳細」ボタンを押すと、男女とか血液型とか、星座とか、身長だとか、その他色々と表示されるとか、現在でも、「目次」は自動生成ですが、邪魔な人には、見えなくするボタンが付いています)。--Maris stella 2006年2月25日 (土) 20:27 (UTC)


Toki-hoと申します。ちょっと奇異な意見かもしれませんが、念のため書いておきます。性別を端的にかつ機械的に「男性 女性」と書かれる方は、なにを根拠に、男女の性別をつけておられるのでしょうか。たとえば「雪舟 男性」と書かれた場合、それが生物的な区分であるとして書いておられるのだと思うのですが(いままでの 行動で挽回するしかない さんのご発言からそううけとりました)、それは、どこで証明されるのでしょうか。「雪舟はほとんどすべての人に男性だと思われている」という書き方なら正確ですが、「雪舟は男性」という端的な表現は、正確ではないのではないかと思ったりします。もちろん、こういう理屈を言い出すと、「○○は■■の父」などいう表記もあくまで推測であるというよりほかないのですが。遺伝子が男性でも男性型外性器のない人もいますし、その逆もありますから、生物学的に正確な性別は、出産した女性の場合以外、ほとんどの場合推測でしかなく、推測でしかないものを書くというのは、科学的ではないのではないかな、と思うのです。英語の「she/he」表記は、「生物学的な性別は正確にはわからないが、書く人がその人物を身体的特徴などから女子/男子と思っているという含意」ですし、日本語の「夏目雅子は女優」という表現も「夏目雅子は女優(女の俳優という意味ではなく)として活動し、他者からもそうみなされていた」という意味です。なので「自認 他認」というレベルでの客観性を保障できるとみなしていいと思のですが、端的に「○○は男性/女性」と書いてしまうと、それが客観的に証明された事実のようにあやまってうけとられるおそれがあると思うのです。もし、「客観的に証明された事実でなくても、そこに書かれた性別は他者からみた、あるいは自認したものであるということは、自明である」とおっしゃるのでしたら、わざわざ、そのような科学的にはあいまいな情報を、いちばん目立つところに断定的に書く必要もないのではないかと思ったりいたします。(参考:intersex の問題については半陰陽ご参照のこと。外的な身体特徴から、まわりからも男性とみられ、自分でも男性と思い込んでいた人が実は女性だったということもありうることです。)結句、私は、性別は機械的に書いていくのでなく、執筆者がその人物について「外部からそうみられている性別がその人物の記事に必要」だと思ったときに個々の記事のなかで自然にふれていくのが、百科事典的であると思います。Toki-ho 2006年2月26日 (日) 02:28 (UTC)
(先走りかも知れませんが、一言)上記ガイドラインの賛否を問う投票が提案された場合、投票資格について編集回数が含まれるとは思いますが、性別の記入のみの編集(性別を記入しただけ、あるいはそれを差し戻しただけも含む)については回数に含めないことを提案します。理由は、編集内容としては手軽かつ機械的にできるため、これを編集回数に含めると駆け込み的に編集して投票権を持つ人が出てくる可能性があるためです。異議を唱える方もいらっしゃるでしょうが、その前に、記事の他の部分を充実させていただきたいと希望します。--Mt.Stone 2006年2月26日 (日) 04:53 (UTC)
で、それをどうやって判断するんですか?Mt.Stoneさんがすべての投票者の資格を確認するのであればかまいませんが…。--Goki 2006年2月26日 (日) 04:58 (UTC)
全然構いませんよ。現状では3秒で判断できそうなので。判断に困るようだったら提案しません。今後これを回避する動きがあるかもしれませんけど、それはそれでよし(ニュアンスを読み取っていただけると有難い)。--Mt.Stone 2006年2月26日 (日) 05:36 (UTC)
議論を発散させた当人です。ガイドライン制定、それを目的とした投票にも賛成です。原案に特に問題はないと思います。--Shinya1739 2006年2月26日 (日) 11:59 (UTC)

行動で挽回するしかないさんからメッセージを頂きました。議論を放置しないその行動に敬意を表します。
議論や観点はほぼ出尽くしており、これ以上続けても合意に至る望みは少なく、票決すべきと考えています。ですが長文のガイドライン追加は賛同の集まりを難しくしそうです。票決は以下の三択が妥当ではないかと考えます。どうでしょうか?-- 2006年2月26日 (日) 08:42 (UTC)

  1. 括弧内に性別を記載する。
  2. 括弧内に性別を記載してもかまわない。
  3. 括弧内に性別を記載しない。
>Maris stellaさん
早速ご意見を寄せていただきありがとうございます。Maris stellaさんのご提案されたガイドラインの内容は要約すると以下のようになると思います。
  1. 基本定義文の「人名(よみ、生没年)」の中に性別を入れない。
  2. 基本定義文でも説明文でも、性別を明確に示す必然性(女性として初めて、など)がなければ、「男性」、「女性」という単純に性別を示すだけの言葉を記入しない。
  3. 日本の中学校で学ぶ程度の文化知識水準を読者が満たしていることを前提とする。
  4. このガイドラインに違反して性別記入を繰り返して行う者は投稿ブロック処分とする。
  5. ただしいずれも個別には編集者同士の議論で例外が認められる場合があるとする。また将来的に別の意見が出てきたり新しいシステムなどが出てくればそのときにガイドラインを再検討する。
私はMaris stellaさんのご提案どおり投票を行うことに賛成します。ただしこの案を認めるかどうかという形ではなくて、対案となるものを一緒に提示して、どれが良いかを選ぶ形にするのが良いのではないかと思います。Maris stellaさんの案をA案とし、以下に対案としてB案、C案を作りました。このうちどれかを選んでもらうのが良いのではないかと思いますがいかがでしょうか。
(B案)
  1. 基本定義文の「人名(よみ、生没年)」の中に性別を記入する。
  2. 基本定義文や説明文で女優や女流、また長男や次女などといった性別を意味する言葉と重複しても構わない。ただし必要以上の重複は避ける。
  3. 中学校で学ぶ程度の文化知識水準を読者が満たしていることを前提とするが、日本には限定しない。
  4. このガイドラインに違反して、既に書かれた性別を削除する行為を繰り返す者は投稿ブロック処分とする。
  5. ただしいずれも個別には編集者同士の議論で例外が認められる場合があるとする。また将来的に別の意見が出てきたり新しいシステムなどが出てくればそのときにガイドラインを再検討する。
(C案)
  1. 基本定義文の「人名(よみ、生没年)」の中に性別を入れない。
  2. 基本定義文や説明文で女優や女流、また長男や次女といった性別を意味する言葉が無い場合は、性別を記入しても構わない。
  3. 中学校で学ぶ程度の文化知識水準を読者が満たしていることを前提とするが、日本には限定しない。
  4. このガイドラインに違反して、冒頭の括弧内への性別を記入を繰り返す者や、ガイドラインに則って書かれた性別を繰り返し削除する者は投稿ブロック処分とする。
  5. ただしいずれも個別には編集者同士の議論で例外が認められる場合があるとする。また将来的に別の意見が出てきたり新しいシステムなどが出てくればそのときにガイドラインを再検討する。
>Toki-hoさん
大変興味深いご意見だと感じました。ただ同様に最も目立つ場所に機械的に書かれている生年月日にしても誰かが役所に申請したものが認められただけのものではないでしょうか。科学的に確かかどうかを考えると、全ての情報について検証が必要となるのように思われます。私は社会的に公認されている、ということで情報として充分価値があると思います。たとえば「女性として初」などは現在でも目立つように書かれているでしょうが、これを科学的に女性かどうかが明確ではないので控えめに記載する、というようになっては変ですもんね。全ての記載について科学的に確かかどうかの検証は別途必要、という認識をもって、全ての情報を同価値に見るので良いと思いますがいかがでしょうか。
>Mt.Stoneさん
異議ありません。
※追記ですが、念のため「今回に限定して」という言葉をあえて追加させていただきます。記入が簡単でも内容に優劣をつけることは出来ないと考えるからです。
>Shinya1739さん
いろいろな観点から議論することは重要なことだと思います。その過程である程度発散していくのは止むを得ないことだと思います。今回の議論ではそれほど本題からずれた話は無かったように思われます。また誰かが原因で本題からずれたということも無かったと思います。昨日、かつて議論に参加されていた方々に向けて、ふたたび議論に参加いただけるようにメッセージを送りました。Shinya1739さんにもまたご意見をいただければ幸いに思います。投票には私も賛成です。
>俊さん
私の存在が議論の妨げになっているのではないかと懸念しています。今回の議論は、議論するまでもないことだと考える方が多いように思います。私の編集がなければ今回のような議論はずっと必要なかったことかもしれません。本題からずれていかないようにするためこの話はここで終えたいと思います。ありがとうございます。
さて、表決すべきというご意見に賛成です。なるべくシンプルにするべきという意見も同意します。しかしながら、私はもう少し内容を増やした方が良いように思われます。性別記入を括弧外に行うことについては、必ずしも私一人が主張し、私以外は全て否定している、というわけでもないように思われます。Maris stellaさんのご提案とその対案という形での投票を提案させていただきました。まずどちらの形で投票するべきか決めなければいけませんね。行動で挽回するしかない 2006年2月26日 (日) 16:14 (UTC)
こういうところでは始めて発言させていただきます。すでに他の方もおっしゃったことですが、ヨーロッパの言語では主語で彼とか彼女とか必ず書きますし、また例えばフランス語ですと、女性歌手はchanteuse、男性歌手はchanteurというように、職業名からも性別が分かるようになっています。そのためにヨーロッパ語版のウィキペディアに性別を書く必要がないだけであって、主語にいちいち彼とか彼女とか書かない日本語にあっては、性別は記されてあった方が読者には便利でしょう。それに、生没「」はともかくとして、生没「月日」なんてそんなに必要な情報でしょうか? 私には性別の方が生没「月日」よりもよほど読者にとって必要な情報だと思われますが。手元に紙の百科事典がないので分かりませんが、小さな辞書には普通生没「」しか記されていませんし、普通にはそれで十分だと思います。「亀井静香」なんてぜひとも性別を記していて欲しいと思いますよ(すでに行動で挽回するしかないさんが記入されていますが)。知らないから事典を調べるのだということ、言い換えれば事典とは知らない人のためにあるのだということを忘れないようにして欲しいですね。もちろん性別が不詳な人、性別を明かしたくない人などに付いてはこの限りではありません。--Nudite' d'Europe 2006年2月26日 (日) 20:26 (UTC)
Nudite' d'Europe さん。これについては、膨大な議論があり、何か意見を述べる場合、ともかく、過去ログ化されたものはとりあえずはとしても、この上の議論は一通り目を通して、何が「問題の核心」かということを把握された上で、発言して戴きたく思います。人物情報の基本の( )内に、男性・女性を入れるか入れないかが基本の問題です。名前だけでは男女が不明な人がいるのは誰でも認めています。しかし、日本人の場合、多くの人は、まず間違いの起こらない名前になっているのと、事績などを読めば、ほぼ男女の別が分かるというのが実情です。英語で、「he, she」、フランス語で「il, elle」で区別があるというのも当然のことで、しかし、日本語でも記事を読むと、男女の別は普通は分かりますし、分かるように記述するのが、記載方法です。また、上の方で、わたしは次のように述べています:
または、どうしても男女を明示したい場合は、丸括弧の適当な位置に、「m」「f」の記号を入れるか、または本文で、「彼女」または「彼」を一度でよいから使えば、それで十分とかは、とりあえず、別の議論ということになります。--Maris stella 2005年11月12日 (土) 04:53 (UTC)
わたしは普通に、「彼」「彼女」を書くのに抵抗もなく、自然に書きますが、そうでない人もいます。しかし、まさに西欧語がそうであるように、「彼」「彼女」と代名詞を使用すれば、重複になり、見苦しい「男性・女性」表記を回避できると述べています(しかし同時にこれは「別の議論」とも述べています。話を発散させたくなかったからです)。男女が分かりにくい人については、特に工夫して、分かるような表記をすればよいということです。(ついでに、西欧語の百科事典などは、「生没地や埋葬地」も基本情報で入っているものが多いですが、日本の百科事典にはそういうことはありません。なぜ、日本の紙の百科事典には、「男性・女性」などというくだくだしい情報が入っていないのか、そのことを考えて見られてはどうでしょうか。「分からない人のため」に百科事典は当然あるのですが、「記述を読むと」分かるように書いているのが百科事典です(そのために記述されているはずです)。男性か女性か分からない百科事典の記事は多分あるとしても極めて稀でしょう。百科事典は、「記事を読んで知識を得るというのが前提です」……記事のなかに、男女の識別情報があれば、それで十分だということです。--Maris stella 2006年2月27日 (月) 05:39 (UTC)
補足) 百科事典ではありませんが、手元の平凡社の『哲学事典』のなかから人物記事を調べてみました。女性の思想家・哲学者は少ないので、シモーヌ・ド・ボーヴォワールとアヴィラのテレサ(テレジア)しか、女性の例は思いつきませんでした(本が古いので、最近のフェミニズムなどの思想家は載っていないのです)。二人とも記事の分量は少ないです。ボーヴォワールの場合は、最初に「女流哲学者」とあり、また「彼女の創作の主題は」とあり、女性であることは記述で明示されています。テレサの場合は、もっと短く、見だしも含めて9行しかありませんが、「スペインの聖女」とあり「彼女は」とあります。女性の場合だけ「彼女」を使うのかというと、サルトルの場合は、「かれは」という風に「かれ」が使われています。男性の記事の場合、短いものは、「かれ」はありませんが、少し丁寧な長い記事は、たいてい「かれは」「かれの」という風に「かれ」が出てきて、男性であることが分かります。西田幾多郎の場合は、たいへん丁寧な記事なのに、どこにも男性を示す表示がありません。しかし、和辻哲郎の場合は、「かれは」「かれの」を合わせて五回「かれ」が出てきます。その上の渡辺崋山は、「かれは」「かれの」「かれを」など三回「かれ」が出てきます。更にその前のワーズワースの記事は、8行なのに、「かれ」が三回出てきます。中国の朱子には、一度も「かれ」は出てきませんが、孔子には二回「かれ」が出てきます。また王陽明には「かれ」が二回出てきます。女性はローザ・ルクセンブルクがいました。16行の記事で、「彼女」が一回出てきます。ルース・ベネディクトもありましたが、記事が割に長いですが、女性という表示はありません。マーガレット・ミードも性別不明です(ミードとベネディクトは同じ人が記事を書いている可能性が高いです)。
『哲学事典』という性格にもよるかも知れませんが、「彼女」「かれ」はかなり使われています。使われていない場合は、主語省略と、「西田は」というように名を書く方法、「その思想は」という風に、指示代名詞を使うか、省略するという記法です。ウィキペディアの日本人の記事は、省略するか、名前を使う場合が多いですが、「彼は・彼を・彼の」を使うとまずいという理由はないと思います(純日本風の感じがしなくなるというのはあるかも知れませんが)。「かれ」とか「彼女」は日本語としてすでに定着した言葉ですし、これらを使うことで記述している人物の性別が明確になるのなら、、これを使うのが自然だとも思います。「女性である」「女性」などという記入がむしろ不自然に思えると述べます。--Maris stella 2006年2月27日 (月) 14:38 (UTC)
1~5の条件を抱き合わせにしてA~C案を選ばせるのは絶対やめていただきたい。例えば、A案の中に私は賛成する内容もあるし、反対する内容もある。抱き合わせ販売のような弱みにつけこんだ商法のようなことをすべきでない。kaz 2006年2月27日 (月) 12:16 (UTC)

>Nudite' d'Europeさん

数少ない同意見の方の登場で大変心強く思います。日本語は、普段の会話では主語が無くても余り問題ないのですが、百科事典として事実を著すとなると、彼や彼女という代名詞を余り使用しないことから不便が生じるように感じます。特記なければ男性という共通認識が読者にも執筆者にもあるのでしょうが、同時代人については、必ずしもそうはいえないのではないか、と私は感じています。また私も指摘されて初めて気が付きましたが、確かに普通の事典には生没「年」は書いてありますが。「月日」はありませんね。性別も生没「月日」も、どちらも全ての人物(生命)が持っている情報で、知りたいと思う人にとっては、書かれてあれば便利、無ければ不便と感じる情報だと思います。

>Maris stellaさん

こんにちは。具体的なガイドラインの案作成および投票のご提案は、膠着していた議論を一挙に進展させる、大変有意義なものだと思います。

さて、過去ログのことを触れておられてましたが、過去にも今回と同様の議論があったのでしょうか。私は知りませんでした。Nudite' d'Europeさんのご意見は、私と同意見ということもあって、私には有意義な指摘だと感じられました。日本語と他の言語との違いや、百科事典として冒頭括弧内に記す基本情報について、また事典はどうあるべきかについてなど、それぞれが問題の核心を突くものであるように感じました。

Maris stellaさんは、現在の人物伝でも事績などを読めばほぼ男女の別が分かるようになっていると言われます。しかしながら、私が実際に性別記入をしていく中で、判らなかった人も数多くいます。穂積八束は男性として明らかという理由で性別が削除されています。私は名前だけでは判別しづらいと思います。戦前に東京帝大を卒業しているので普通は男性と分かりますが、その知識が無い人には判りません。納谷廣美は明治大学学長ですが、Wikipediaの記事を読んだだけで性別を言い当てることが出来るでしょうか。塩野七生が女性で山口瞳が男性だということは、知っている人には当たり前のことですが、知らない人はそれぞれ逆の性別と感じてしまうかもしれません。小説家や漫画家では特に性別が判りづらい人が多いです。そういう名前で判りづらい人だけ性別を書けばいい、と言われる方が大変多いのですが、日本人の感覚だけを基準にして性別が判るかどうかを決めることに私は疑問を感じてしまうのです。たとえば日本の文化を研究している外国人は、日本人の性別をどの媒体で調べればいいのでしょうか。これは余計な心配でしょうか。日本人には当たり前すぎて他の本には載っていないことでもWikipediaを見れば載っている、と彼らが感じるようなことがあればいいなと私は思うのですが、やはり余分な情報なのでしょうか。

「なぜ、日本の紙の百科事典には、「男性・女性」などというくだくだしい情報が入っていないのか」について、理由を考えてみました。二つあると思います。ひとつは、日本人の読者だけを対象にしているから。もうひとつは、デフォルトを男性とすることが出来るから。どうでしょうか。さて、それではこのWikipediaでは、何故性別記入が必要となるのか(必要と主張する者は少数ですが)。それは、この二つの前提が成り立たなくなっているからではないでしょうか。記事の中に男女の識別情報があれば十分と述べられていますが、この二つの前提が成り立たない場合、別に識別情報を用意しなければならないことにならないでしょうか。この二つの前提は、現在でも十分に成り立っていると言えるでしょうか。

>kazさん

弱みにつけこむつもりはありませんでした。ただご指摘の意味は理解しました。選択の幅を広げるつもりで対案を出したのですが、おっしゃるとおり却って選択しづらくさせていますね。撤回を検討します。代案を考えたのちにB案、C案を削除します。速やかに投票にうつることが出来ればと願っております。行動で挽回するしかない 2006年2月27日 (月) 13:24 (UTC)

こんにちは、行動で挽回するしかない さん。いい加減にして戴きたいという思いです。関係ありませんが、まず貴方のアカウント・ネームは「非常識」です。ウィキペディアでは、「共同作業」を行うという原則がまだ分からないのでしょうか?(アカウント名を変更するのが常識的な行動でしょう)。行動で挽回するとは何の「行動」ですか? また、アカウントがいまだに「赤リンク」なのも不愉快です。利用者ページに何か書いてください。以下に二つのことを書きます。よく読んでください。
  1. 一つは、わたしも含めて、他の人の述べていることを、正しく理解すること。その意見について、何もレスしないのなら別に構いませんが、レスしたり批判したり勝手に要約する場合は、正確に読み取らねばなりません。自分勝手に、他人の意見を書き直し、都合の良い勝手な議論をしないで戴きたいです。
  2. もう一つ、根本的なことをまったく理解していません。ウィキペディアは、その分野の専門の人が推敲した上で、記事を書いているのではないのです。出版されている「紙の百科事典」または「電子媒体の百科事典」はいずれも、とりあえず「完成した本」です。他方、ウィキペディアは、どこが完成した形か分からない百科事典で、大部分の記事は、スタブか、スタブでなくとも、まだまだ記事の記述について、色々と工夫する必要がある状態だという事実です。書きかけの記事、あるいは草稿レベルの記事を元に、何を言っても無意味だとは思いませんか?
「男性・女性」など書き加えるのは、実に簡単なことです。性別が分かりにくい人はインターネットで調べれば、大体判明します。こういう安易なことをするのではなく、実際に「記事を書いてみてください」。そうすれば、人物記事でも何でも、いかに難しいかということが分かります。そして男女識別など、本文の叙述のどこかに、男性か女性か、またはそれに類した言葉を書き加えれば、すぐに記事を読んで分かるようにすることが可能だということが分かります。「誰々は」とあれば、「彼は」または「彼女は」と書き換えるだけで、男女の識別はすぐにできます。多くの人が、基本見だしに「男性・女性」を入れるのは、冗長だ、煩わしいと言っているのが理解できないのでしょうか? 本文に簡単に叙述で表現できるのです。
--Maris stella 2006年2月27日 (月) 15:29 (UTC)
韓国語版と日本語版を行ったり来たりしていますが、基本定義文「人名(よみ、生没年)」の中に性別を入れるなんて聞いたことがありません。文章の中で彼はXX、彼女はXXと説明すれば十分です。ただ、題名の場合同姓同名で職業まで同じ場合は男性XX、女性XXとかくことがありますが。--H.L.LEE 2006年2月27日 (月) 15:53 (UTC)2006年2月27日 (月) 16:14 (UTC)(修正)
議論の最初の方に参加した者です。ちょっと乗り遅れた意見表明になって申し訳ありません。
正直言えば既に議論は膠着して平行線になっている気がしますので、投票に踏み切ることに賛成します。
この際、ブロックの可否や読者の文化水準を議題にすると議論が無用に複雑になる気がします(例えば、文化水準の問題などはこの議論ではなくWikipediaそのものの問題です)。もちろんこれらの議論は重要ですが、今はこの「男性・女性」問題に絞って議論をした方が良いのではないでしょうか(少なくとも「今現在のWikipedia」の枠の中で議論すべきです)。
俊さんの提示した三択を少し改良して、
  1. 括弧内に性別を記載する。
  2. 括弧内に性別を記載してもかまわない。
  3. 括弧内に性別を記載しないが、定義文の中で「男性作家」などの形で文脈上挿入するのは容認する。
  4. 括弧内に性別を記載しないし、定義文の中で「男性」「女性」の語もなるべく避けるが、男女が分かりにくい人物や、性別が事跡に意味を持つ人物については認める。
  5. 括弧内、基本定義文ともに「男性」「女性」の記入を禁じる。(どうしても必要な場合に限って、定義文の外で行う)
敢えて大掴みにして少し乱暴に整理しましたが、この程度に絞った方が良いのではないでしょうか?
ちなみに私自身は4に親和性を感じることを書き添えておきます。 Nukkie 2006年2月27日 (月) 16:36 (UTC)
そもそも記事のリード(定義文)は本文の要約ですから、定義と本文とで内容が重複するのはごく自然なことです。生没年も多くは本文と重複しています。(他言語版では、生没場所を入れているのが多いようですね。)問題の本質は本文にどう記述するかではなく、
  1. 記事に性別を「明記」するかどうか。
  2. (括弧も含めた)「定義部」に性別を記述するかどうか。
の2点にあるのではないでしょうか。
必要な場合以外は明記しない、という意見も多いですが、物事を広く説明する、という百科事典の趣旨に照らせば、記述自体を禁止するのは矛盾です。Maris stellaさんも書かれているように、性別明記の方法もいろいろ考えられます。「明記を認める」という点で合意が得られればスタイルについても合意の道が開けると思いますので、スタイルも含めた形での投票を行うことは時期尚早と考えます。なおスタイルマニュアルの中で投稿ブロックを記述することには賛成しかねます。 けんち 2006年2月27日 (月) 16:55 (UTC)
>Maris stellaさん
こんにちは。私の発言や行動で不快な思いをさせてしまい申し訳ありません。気分を害しながらも議論を進展させるために前向きなご提案をいただき感謝しております。アカウントの赤リンクをなくしました。ただアカウント名の変更は、申し訳ありませんが致しません。また人物記事は匿名の頃に書いたことがあります。
さて、他の媒体(インターネット)で調べれば大体分かる、という部分については同意できません。Wikipediaこそその媒体になるべきだと私は考えます(ただしこれはあらゆる情報を載せるべきという意味ではありません。性別は無駄な情報ではありません)。また実際に調べてみると、意外と容易には性別が分からないこともあります。
冒頭の括弧内への性別記入は冗長だとお叱りを受けていることは承知しております。私は日本語の記事で性別を明記するための方法としては、括弧内に記載するのが最も相応しいと考えているのですが、おっしゃる通り文中に一度だけでも「彼」や「彼女」といった識別できる情報を盛り込めば、それで判ると言えばその通りです。
ところであらためて確認したいと思い質問します。Maris stellaさんは、全ての人物記事において、男女を識別させるための情報は必要だと考えますか?全ての人物記事に対して、識別できるようにするため一度は「彼」や「彼女」といった識別できる情報を盛り込むべきだと考えますか?それとも名前で判別しにくい人物だけ、そのような対処をするべきだと考えますか?前に述べられていると思いますがあらためて確認したいと思い質問しました。答えていただければ有難く思います。
>H.L.LEEさん
韓国語版ではこのような議論は起こっていないのですね。日本語版での議論は、性別を明記すること自体は不要とは言えないのではないかという意見を持たれる方は、決して少なくないように思われます。
>Nukkieさん
ご提案について、括弧外への記入についても投票の対象にしてあるので良いと思います。ただ1点、第3項について、現状のままですと第4項と余り違いが無いように思われます。括弧外への記入の選択肢が限定されているように感じます。第3項を「括弧内には性別を記載せず、定義文の中で「男性」「女性」と記載する」としてはいかがでしょうか。括弧外記入についてさえクリアになれば、Nukkieさんの案をベースにして投票にかけることに同意します。
>けんちさん
投票による多数決で決めるのではなく、議論を通じて「性別明記を認めるか否か」のコンセンサスをまず得るべきというご意見について、まさに正論だと思います。これまでの議論を振り返ると、私たちは、ただお互いの意見をぶつけ合うばかりだったかもしれません。何を優先的に解決していくべきか、それをもっと明確に意識して議論していくべきだったのかもしれません。議論の仕方について、反省するべきところもありますが、ただやはり個人的には、性別明記を認めるか否かの両者の溝は、これ以上議論をしても容易に埋まるものではないと感じています。最早投票で決めるしかないところまで来ているのではないかと感じています。行動で挽回するしかない 2006年2月28日 (火) 15:08 (UTC)
それでは一旦スタイルの議論を棚上げにして、
  1. 性別は必須項目であり、特別の場合を除き(後日議論により決定されるスタイルに従って)すべての人物記事で明記することを推奨する。
  2. 性別は基本項目であり、(後日議論により決定されるスタイルに従って)人物記事で明記することを広く容認する。
  3. 性別は原則として明記するべきではなく、特に必要とされる場合のみ(後日議論により決定されるスタイルに従って)明記することを許容する。
  4. 性別が必要な場合は本文の中で容易に判別できるように記述するべきであり、他の手段で明記するべきではない。
というような選択肢ではいかがでしょうか。 けんち 2006年3月1日 (水) 15:55 (UTC)

提案(2)

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次のように提案します。

  1. 基本定義文のなかには、「男性・女性」は入れない。これをガイドラインとする。また、一般に、概説でも本文記述でも、「男性・女性」は必然性がない場合は「避ける」。(女流作家などはよい)。
  2. 女性か男性か分からない場合は、編集によって説明文を読めば分かるようにする。その方法は、記述内容から、男女、とりわけ「女性」であることが自明的に分かるように記述する。または簡単には、「彼女」を使う。
補足)必要なら次のようなテンプレートか、「注記節」で、「この人物****は、名前からすると、性別が分かりにくいですが、この人は男性です(or 女性です)。This person is a woman (or man)」という記述を入れる。(リヒャルト・フォン・クラフトエビングの英語版にある、Freiherr の説明のテンプレートのようなものです)。
--Maris stella 2006年2月27日 (月) 14:38 (UTC)
何らかのテンプレの導入について賛成です。Nukkie 2006年2月27日 (月) 16:36 (UTC)

文章はもう少し練った方が良いと思いますが、要点としては、

  1. カッコ内に男女の記述はしない。
  2. 本文中にも、不自然な男性、女性の記述はしない。
  3. 男女の区別をつける必要がある場合は、できるだけ自然に記述する。

だろうと思いますので基本的にはMaris stellasさんの案に賛成です。 また、どうしても性別が欲しいという人のために人物用のデータ(プロパティ)シートのようなテンプレートを作り、本文に書くと煩雑だが、あると(少なくとも一部の人には)便利なデータを記入できるようにするのも一案かなと思います。 Zorac 2006年2月28日 (火) 16:03 (UTC)

お久しぶりです。表題の問題については、全部読んだわけではないので、詳しくはわかりませんが、以前議論に参加した者として、Maris stellaさんの案に賛成します。--Onsentaro 2006年3月1日 (水) 08:09 (UTC)
「全部読んだわけではないので詳しくはわかりませんが、Aさんの案に反対します」という人がいたらどう思うだろう。賛成ってお手軽でいいね。まあどっちでもいいんだけど。おつかれさまです。ビスケット柵崎 2006年3月1日 (水) 09:20 (UTC)

オリバー・ヘビサイドにあるようなテンプレートでデータをまとめるといいと思います。写真まで含める必要はありません。こういうテンプレートであれば、性別の項目が入ったとしても、たいして目障りになることは無いと思います。Chocora 2006年3月5日 (日) 03:32 (UTC)

投票方法について

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今までの提案の投票方法を考えてみると、必要な事柄を全て定め可否を求める方法と、大まかな選択をまず求める方法がある様に思います。前者は可決されれば良いのですが、否決されるとまたやり直しになります。後者は複数回の投票が必要ですが、確実に結論に近づきます。自分としましては後者が良いと考えています。
いずれにしてもこれだけ議論されたのですから、何らかの結論が得られると良いですね。もう少しだと思います。-- 2006年3月4日 (土) 10:04 (UTC)

ブロック依頼に出しました

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以上は議論も決まってないうちに独断で性別をつけているようなので、投稿ブロック依頼に出しました。220.96.190.226 2006年3月9日 (木) 14:52 (UTC)

声優の性別について

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声優の記事に性別が入っているものが多いのですが、私が性別を削除しても性別が復活します(例:田中理恵)。女性タレント女優のように性別が入った項目(リダイレクト)がある場合はそれを定義の肩書き部分に使ってもいいと思いますが、男性声優女性声優という項目はリダイレクトでも存在しないので(間違っても作らないで下さい)、声優の定義も

× 田中 理恵(たなか りえ、1979年1月3日 - )は女性声優。…(以下省略)

ではなく、

○ 田中 理恵(たなか りえ、1979年1月3日 - )は声優。…(以下省略)

とすべきです(先に名前を出した田中理恵さんの場合を例にとって解説しました)。皆さんも声優の記事を編集する機会があれば「男性声優」や「女性声優」という記述を単に「声優」に改めるようお願い申し上げます。220.96.190.226 2006年7月28日 (金) 13:24 (UTC)

俳優や声優やアナウンサーは、雇用機会均等法の枠外に置かれているように、性別が重要な要素になります。ですから、性別をつけてもいいし、つけなくてもいいと思うんですが。無理に統一する必要性を感じません。性別をつけてはいけないという合意でもあるんですか?--203.140.42.70 2006年8月4日 (金) 06:08 (UTC)