Wikipedia‐ノート:コメント依頼/Pauro 2003
以下、本文より転記
[編集]- (Hmanさんへのコメント)。私からの視点では、利用者‐会話:Pauro 2003においてHmanさんがされたことは仲裁ではなく、Pauro 2003さんの逃げ道造りです。その結果、Pauro 2003さんに傷つけられた人(Dr jimmyさん)が一人増えました、ということです。事実をご認識ください。また、Hmanさんは「議論」や「論破」の意味をどのようにご理解されているのでしょうか。失礼ながらPauro 2003さんはロジカルシンキングの基礎に至っていない方なので、Pauro 2003さんがされていることは議論ではありません。それと気になったのは、Hmanさんの「アホな編集者」という言葉遣いです。このような非論理的かつ天に唾棄するような言葉を自然に使う感性は、HmanさんとPauro 2003さんのお2人に共通するものであると私は感じました。無知の知をご一読ください。大変失礼な物言いになってますが、何卒ご容赦ください。--663h 2010年4月2日 (金) 14:12 (UTC)
- はい。ぶっちゃけ逃げ道作りです。「まあ今回はその辺にしとけよ」と言うことです。それで察して頂けると思っていた私の見通しが甘かったと言われればその通りなのかもしれません。後学のためにお伺いしますが、あの場合、私は見て見ぬふりを決め込んでいれば良かったのでしょうか。で、「アホな編集者」のくだりですが、私の編集履歴を精査し、これを含めた私のこれまでの執筆活動や言動に問題が有るとお考えでしたら、別途、私へのコメント依頼を立てて頂きたく思います。これに関しても大抵の方には察して頂けると思ったのですが。--Hman 2010年4月2日 (金) 21:56 (UTC)
- 追記。この場は「コメント依頼/Pauro 2003」ですので、私に関しては場所を改めて頂きたい、と言うことです。--Hman 2010年4月2日 (金) 22:25 (UTC)
- Hmanさんの立場に同調します。誰かが落としどころをつけなければ、不毛なやりとりが繰り返されるだけだったと思います。また「逃げ道作りの結果、傷つけられた人が一人増えた」という意見は、論理が不明であり、賛成しかねます。デール・カーネギーは『人を動かす』(創元社、ISBN 9784422100517)で「盗人にも五分の理を認めよ」と説きます。「窮鼠猫を噛む」という言葉もあります。私も663highlandさんに、Hmanさんと同じ質問をします。「我々はあの場面で指をくわえて見ていなければならかったのでしょうか。」--Tsop9 2010年4月3日 (土) 10:04 (UTC) 一部誤記修正--Tsop9 2010年4月3日 (土) 11:26 (UTC)
(インデント戻す)Tsop9さんは、「意見」と「事実」と「論理」という語句について、一体どのような理解をされているのでしょうか。私の理解とは大きくずれています。「事実」を、「意見」と「論理」に取り違えてらっしゃいませんか? これにつきましては、後述いたしますので、文中になりますが読み取ってください。さて、先ずは「同調します」や「賛成しかねます」との仰せについてですが、これは賛否を問うようなことではございません。
次、「誰かが落としどころをつけなければ、不毛なやりとりが繰り返されるだけだったと思います」と仰せですが、Hmanさんがコメントを入れる直前にはPauro 2003さんは終息宣言のようなものを出されており私も既に落としどころは見えているという状況にあり、殆ど終わっていました。事実をご確認の上、コメントをしてください。
次、「我々はあの場面で指をくわえて見ていなければならかったのでしょうか。」というご質問につきましては、これは、観ていればよかったのです。Hmanさんがコメントを入れる直前で、上で記したとおり観ている間もなく終わっていたでしょう。
次、「デール・カーネギーは『人を動かす』(東京創元社、ISBN 9784422100517)で「盗人にも五分の理を認めよ」と説きます」につきましては、Tsop9さんは企業家カーネギーの処世訓の引用が適切と思われているのですか?、、と申しても趣旨が伝わらないと思いますので、ここは噛み砕いて申します。
企業とは、協力して社会的幸福を追求するという共通の目的をもった選別された人々の集団です。しかしウィキペディアは、百科事典を作るという漠然とした旗の下に、選別を経ない利用者其々が破壊まで含めた其々の目的を持って活動しています。この前提から、利用者(従業員)の多様性において、両者には大きな開きがあることを推定できます。斯様な、共通の目的(組織の目的)が存在しないウィキペディアにおいて、カーネギーが盗人にも五分の理を認めて野放しにせよ等と言うと、Tsop9さんはお考えなのですか?、そして野放しにしてしまった結果、其の者が同じ行為を繰り返したという事実をご認識できませんか。
次、Hmanさんの「察して頂ける」という願望についてですが、これは常に幻想と心得て頂ければ幸いです。今回Hmanさんの、Pauro 2003さんのための逃げ道作りの理由が「まあ今回はその辺にしとけよ」では、察しようもありません。「その辺」がどの辺か存じませんが、既に山を通り過ぎて、Pauro 2003さんから終了宣言が出ているという状況でした。
最後に、お2人とも当ページ最初にある私のコメントの趣旨が伝わっていないようですし、これを噛み砕くと、対話相手を必要以上に傷つけるような表現になってしまい、これは私の本意ではありませんので控えます。それよりも対話の目的が存在しないか末梢的と考えられますので、終了します。有意義な対話であることを論証していただければ、これに応じることに吝かではありません。失礼な物言いをしましたが、何卒何卒ご容赦ください。以上--663h 2010年4月3日 (土) 15:58 (UTC)
一気に書いたこともあって乱筆のうえ無礼乱暴な表現になっています。読み返してみて、恥じ入っております。何卒何卒何卒ご容赦ください。--663h 2010年4月3日 (土) 16:24 (UTC)
- 当方と致しましては、本件は元より全くもって意に介さない案件であり、何ら異議はありません。--Hman 2010年4月3日 (土) 16:38 (UTC)
- 『人を動かす』は作家デール・カーネギーの著作であり、企業家アンドリュー・カーネギーの著作ではありません。「事実をご確認の上、コメントをしてください。」という言葉はそのままお返しします。また同書は示唆に富むと思われますので、ご一読されることをお勧めします。その他の点についてはこれ以上議論をする必要性を感じません。--Tsop9 2010年4月3日 (土) 17:33 (UTC)
- ああ、そっちでしたか、失礼しました。自分ではそういうつもりはないのですが、重要でないと判断した対話は無意識に大幅にショートカットしているのかもしれません。申し訳ない。お薦めの著書ですが、そっち系は学生時代に社会・哲学・心理学系の著作を主に読んでいたので、自己啓発系著作には興味無いです。偏見でしょうね。せっかくご推薦いただいたのに、申し訳ない。なお、趣旨に変更はございませんので、悪しからずご了承ください。以上--663h 2010年4月4日 (日) 00:20 (UTC)
- 悔しいからはぐらかして逃げたいという気持ちは解りますが、真面目に謝罪していないと言わざるを得ません。謝罪はきちんとすべきです。人間性の問題です。老婆心から申し上げます。--福田實 2010年4月5日 (月) 07:51 (UTC)
- 「論理」・「意見」・「事実」の用法を誤っているうえに見当違いの諺を用いて更に事実誤認および前提となる文章誤読解・趣旨不読解の状態で目的不明の対話を挑まれてきた大変な御方に対して、当方は頼みもしない御紹介の未成熟であることの無自覚者向け自己啓発系一般書籍の著者を勘違いしただけで謝罪をしています。最大限に配慮したつもりですが、何か不足でしょうか?
当方、福田實様のような大変な御方との対話が立て続けなので、リミッターが外れかけています。失敬--663h 2010年4月5日 (月) 14:34 (UTC) - 図らずも間接的にTsop9さんに失礼なことを言ってしまっていました。Tsop9さんにお詫びします。--663h 2010年4月13日 (火) 15:10 (UTC)
- 「論理」・「意見」・「事実」の用法を誤っているうえに見当違いの諺を用いて更に事実誤認および前提となる文章誤読解・趣旨不読解の状態で目的不明の対話を挑まれてきた大変な御方に対して、当方は頼みもしない御紹介の未成熟であることの無自覚者向け自己啓発系一般書籍の著者を勘違いしただけで謝罪をしています。最大限に配慮したつもりですが、何か不足でしょうか?
- 悔しいからはぐらかして逃げたいという気持ちは解りますが、真面目に謝罪していないと言わざるを得ません。謝罪はきちんとすべきです。人間性の問題です。老婆心から申し上げます。--福田實 2010年4月5日 (月) 07:51 (UTC)