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Wikipedia‐ノート:コメント依頼/ムカイ

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独自解釈について

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私がムカイさんについて「『「かつて現役だった時の姫路城」と「今残る『城跡』としての姫路城」を截然と分け、その両方を同時に表さなければ姫路城の定義として不足がある』という独自解釈にこだわり続けていつまでも納得しておられない」と認識していた根拠についてコメントします。まず、この議論はノート:姫路城#「あった」と書かれると強い違和感がから連続性があるものと認識しています。

以上などによって、ムカイさんの一連の編集はいずれも歴史と文化財を截然と分け、現状の文化財関連だけでなく歴史関連も盛り込まねば気が済まないという視点から、(彼が論拠とした文献の恣意的な利用を指摘しても、特別史跡の誤解を指摘しても、城専門や歴史専門の文献でさえも導入や概要には文化財関連しか書いていない例があることを指摘しても、複数の第三者から反対意見が寄せられても)いつまでも納得せずに手を変え品を変え少しでも盛り込めないことかと主張し続けてきた、と認識しておりました。また、事実としてムカイさんが次々提案した内容で一貫して主張し続けていたのは歴史関連の記述を導入部に盛り込むことだったのですから、特に撤回の必要があるとは認識していません。ただ一方で、私はもともとこの議論を他の城記事に拡散することには否定的であり、それぞれの城記事における定義文、導入部と概要のバランスや記述内容などは、各城固有の事情やページサイズなどから総合的に勘案すべきものと考えております。ですから、上記のような認識を抱いているからといって他の城記事におけるムカイさんの編集を全否定する意図は一切ない、ということは、言うまでもないことですが、この場でも明言しておきます。--Sumaru会話2016年3月14日 (月) 12:51 (UTC)[返信]

(追記)念のため追記しておきますが、ムカイさんの現時点で最新のコメントで「この議論における合意形成は不成立である」「合意が至らなかった提案を強引に本文に反映させたり、同じ提案を行っていつまでも議論を続けようとする行為も禁則行為であったと思います」と明言なさっているので、さすがにこの議論がこれ以上続くことはないと考えています。上の私の認識はあくまでもある時点までのムカイさんの一連の議論に対する認識であって、その時点における認識としては特に間違っていたとは考えていないので撤回しませんが、だからといって現在もそれが継続しているとは考えていません(「認識しておりました」と上で過去形で書いている通り)。それでもあえて上のように少々詳しく説明したのは、説明せよとの求めに応じたものであって、それ以上でもそれ以下でもないと申し上げておきます。--Sumaru会話2016年3月15日 (火) 14:58 (UTC)[返信]

ムカイ側の説明

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ムカイより説明いたします。誤解を招く恐れがあるため念のためにお断りいたしますが、これは上述のSumaruさんのご説明にレスポンスしたものではありません。

  • まず、前議論と現議論はあくまでも一線を画すものですが、前議論と全く関係しないというわけではないので、Sumaruさんの認識と大体同じです。
前議論では、中立的な観点と独自研究は載せない抵触のご指摘によって、私は一部納得の行かない部分はあるもののと付記をしておりますが、概ね合意して終了を行ったものであって現在の「姫路市にある城」との表現について「姫路市にあった城」という表現を行うには文献が不足しているため、独自研究は載せないをクリアできないと判断されるため、まず独自研究となりうるような記述を意図的に行うことはありえません。歴史的内容の記述の加筆または、現行記述の言い換えは独自研究にかかる独自解釈に強く結びつけるようなものはなく、排除するべき編集提案であるとは言えません。また、複数の文献に文化財関連の記述の列挙に留まるものはあるものの、それらを理由に検討自体を拒否したり表現を制限できるとはいえないと思われます。“特別史跡が歴史を含意するとすれば、逆に「特別史跡に指定されている」を言い換えることも可能なはずです。文化財関連の記述が少ないのであれば追加すればいいでしょう。「日本における近世城郭の代表的な遺構である。」がちょうど大言壮語ぎみですので、それを「日本の文化庁は「国指定文化財等データベース」において特別史跡「姫路城跡」について“本城はその構成が優秀であるばかりでなく、近世における城郭の形態を伝える遺跡として稀有のものであり、その価値は極めて高い。”(「国指定文化財等データベース」特別史跡「姫路城跡」より抜粋引用)と評価している。」のように変更するなど、どのようにでもなります。それによって、Sumaruさんのご懸念は解消するのではありませんか。(ムカイ 2015年12月31日 (木) 16:20 (UTC))”と言い換えの案を提案したにもかかわらず、2016年1月1日 (金) 02:27 (UTC)にSumaruさんからは現状維持でよいという主張を理由に検討さえされず、意味不明とまで言われてしまいました。Sumaruさんは、私の今提案において歴史的内容の記述を何とかねじ込もうとしているというご主張を展開されておられますが、歴史的建造物についての歴史の記述を排除できるものではなく、それに言い換えができるもしくは加筆ができるのであれば、現状の導入部をよりよいものにできるのではないかと私は検討しています。Sumaruさんは私が導入部から文化財関連の記述を排除しようとしたかのごとく説明していますが、提案文の推敲をする中で再構成を見込んで提案していたわけであるのですから、文化財関連の記述がばっさり削られたことをご指摘になっていたことについて、私は文化財関連の記述も移動や加筆することはできると説明いたしました。しかし、それらの譲歩案は悉く拒否されています。現状維持案を固持して一切の検討が拒否されたまま現在に至っています。現状維持を固持する理由としてSumaruさんからは“その「姫路市にあった」が独自研究の域を出るものではなかったわけですから、結局のところ、「あった」を修正した代わりというのでは“『「かつて現役だった時の姫路城」と「今残る『城跡』としての姫路城」を截然と分け、その両方を同時に表さなければ姫路城の定義として不足がある』という独自解釈にこだわっているだけにしか思えないのです”の域を出るものではありません。#「あった」と書かれると強い違和感がの時点から一貫して、手を変え品を変え独自解釈をねじ込もうとしていると取られても仕方ないように思います。・・・貴方の改稿提案に反対していることは、あらゆる改稿に反対することとイコールではありません。かような独自解釈的観点の改稿に反対というだけの話です。新たな文案を見ていないのに的なコメントもありましたが、改稿提案の背景にあるのが独自解釈であれば、新たな文案もそのような不適切な観点に基づくのであろうことは合理的に推察されるところでしょう。(Sumaruさん 2016年1月30日 (土) 02:23 (UTC))”と念を押すようなコメントから窺えるかと思います。

Sumaruさんがおっしゃられる私が論拠とした文献とは、中山氏の著書(中山良昭編著『もう一度学びたい 日本の城』西東社、2007年)のことと思われ、前議論終了の際に私が提示した参考文献をSumaruさん自らから進んでご購入なさって、検証していただきましたが、実はこの検証は任意であって私からは「今はもう必要ありませんので、お暇がありましたらご検証ください。」と予めお断りしておりましたが、Sumaruさんのご好意で検証していただくこととなりました。

  • なお、冒頭の定義文に直接即した形でなくとも、本当に貴方の問題意識が専門家のそれと合致するのなら、「日本史や城郭についてのコアな知識がある人」からそうした誤解に対する発言くらいはありそうなものでしょう。たとえば、「富士山はゴミのせいで長いこと世界遺産になれなかった」という有名な主張があり、政府関係者からも出されていますが、それは制度に対するよくある誤解だ、と反論する専門家がいます(どちらが正しいかはこの際問いません)。そのように、専門家が問題視する『よくある誤解』なら、俎上に載せている文献という形で出典を見つけられる余地はあります(辞書、事典類が軒並み「姫路市にある」と定義付けているのですから、それが本当に不適切ならば、「いや、それは違うんだ」とか「それだとこういう誤解が」と言及する専門家がいたって何の不思議もありません)。(Sumaruさん 2015年11月29日 (日) 17:33 (UTC))”
このような「専門家が問題視する『よくある誤解』」が山中氏の著書に見られ、その部分は“日本では城というと、天守などの目立つ建物に目がいきがちです。実際、漢和辞典の最高峰とされる諸橋轍次著の『大漢和辞典』には「城」の日本での意味は「敵を防ぐために建てられた高層建築物」とあり「城=天守」という観念が、残念ながら強かったことがわかります。(中山良昭編著『もう一度学びたい 日本の城』西東社 2007年 p.13より抜粋引用)”であることを提示いたしました。これに対して“中山氏の該当部はあくまでも「天守だけが城ではない」ということを述べているのであって、「全体が残っていなければ『城』と呼べない(呼んではいけない)」という主張を直接導くことはできません。つまり、「ある・あった」という表現に直接対応したものではありません。”と反論をいただきましたが、私からは“定義を記述した後に“軍事的意味のない現在は、すべて城跡であって、現役の城ではないということも忘れてはいけません。(中山良昭編著『もう一度学びたい 日本の城』西東社 2007年 p.13より抜粋引用)”と十分主張されています。また、第1章の題名は「日本の城とは」ですから、「日本の城は天守閣のことではない」はアプローチであって、中山氏が結びで言いたいことは「城とは構造物そのものではなく、それによって閉鎖されたある区域と定義するのが適当だ」ということです。決して、この第一部で「天守だけが城ではない」とだけ言いたいわけではありません。”とお返しいたしました。ここで、この検証についての議論は終了いたしました。結論としては、この両者の間では検証した文献が「専門家が問題視する『よくある誤解』」に該当するか否かの合意には至っていません。私から蛇足として“しかし、この文献が検証可能性を満たしているとしても、現在この一冊しか出典とできるものが私の手元にないため、これによって「ある」の表現が中立的な観点に抵触するかとまではいえないまでも、第一段落において「意見」として扱う程度でうまいこと練りこんで加えたいと考えているところです。”という少し悩ましいコメントをさせていただきましたが、これはこの話し合いの中で可能という結論に至ればという合意形成の条件の下で実行を考えていたもので、合意がないため当然ながらこの内容の編集は不可能であったことが伺われるかと思います。その証拠に“しかし、Sumaruさんがおっしゃるように、残念ながらこれらの検証可能な情報は、姫路城に直接言及されていないため、合成して姫路城の本文に反映するようなことがあれば独自研究に抵触する恐れがあるでしょう。”とコメントしています。つまり、以降の修正提案から、そうした「独自解釈を本文に反映させうる提案者」を合理的に導き出すことはできず、むしろそうした独自研究に抵触する恐れがある認識を双方で共有しているため、ムカイ氏が方針抵触のリスクを犯してまで、かような行為に出る可能性を指摘することの方が難しいものと思われます。実際に、Sumaruさんが初期においてご指摘なさったのは、“Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#「概要」節を作る場合にあるように、長大な記事であれば、概要節に譲ることで導入部が簡潔になることは認められています。現状の記事は20万バイト近くあり、このように明らかに長大な記事全体を俯瞰しようとすれば、導入部を肥大化させるよりも概要節を設置する方が読み手に対しても親切であろうと考えられます。(Sumaruさん 2015年12月13日 (日) 15:46 (UTC))”“「今のところ概要節についての私の意見は“姫路城の始まりは”から以降です」という御主張は、「姫路城の記事を「導入部で完結した記事であるべき」というガイドラインを参考にした」という当初のご意見と矛盾していませんか。『導入部で完結』というより『導入部が簡潔(すぎる)』という感じなんですが。また、概要節の撤去を意図した文案だったならスタイルマニュアルと少ししか矛盾しませんが、概要節の撤去を目的としていなかった(=どこかで概要として区切ることを視野に入れていた)というのでは、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#別名に確実に反します。なので、当初のご提案は立場は違えども誠実な主張として理解はできましたが、今回のご意見はかえって理解に苦しみます。・・・Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#「概要」節を作る場合で小うるさいことがアレコレ書かれているのは、まさに長文の導入部を機械的に『導入部』と『概要』に分けたがる輩が何人も出たためであって、上記案はどこで切るとしても、それと似たり寄ったりの結果にしかならないと思います。少なくとも、上の文案を『姫路城の始まりは』で切るのでは、『概要』は充実するでしょうが、『導入部』は明らかに劣化します。(Sumaruさん 2015年12月15日 (火) 14:57 (UTC))”であり、もし前議論の懸念が提案文に影響していると判断されるのであれば、“導入部に記載した情報がABC の3つであれば、概要節はそれらを膨らませた A'B'C' (および導入部に記載するほどでなくとも本文にある情報を要約したD, E)で構成されます。導入部と概要をひとまとめにした長文ABCDEを提示しておいて、じゃあ導入部はAで切りましょうか、ABで切りましょうかというのは、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#「概要」節を作る場合で禁止されている「既存の記事の長い導入部から「概要」節を作る場合、単純に導入部の途中に見出しを挿入することはやめてください」そのものです。あっちこっちに移動させたところで、その本質的問題性は変わりません。「ちょっとしたことに固執しなければならないほどの何らかの大義があるのか」とのことですが、逆にスタイルマニュアルに抵触しかねないやり方で議論を続ける大義など見出せません。・・・ですから『余計に反対』とすでに申し上げたのです。言い換えれば、ご提示いただいた文案を叩き台にするくらいなら、基本的に現状維持を推すということです。(Sumaruさん 2015年12月19日 (土) 09:32 (UTC))”というような議論は展開しないのではないかと思います。ちなみにこのスタイルマニュアル抵触のご指摘は、ノート上の議論による合意形成をへて行おうとしているため安易に同構成を行ったものとはならないため、非推奨な方法による概要のつくり方とはいえず、批判は当たりません。したがって2015年12月23日に私は“「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#「概要」節を作る場合」“既存の記事の長い導入部から「概要」節を作る場合、単純に導入部の途中に見出しを挿入することはやめてください。文章のつながりが絶たれ、かえって読みにくくなる場合があります。導入部を編集する場合、導入部の長さだけではなく、記事全体の内容や構成を十分に考えてください。”・・・これは直接、推奨されないという方法(単純に導入部の途中に見出しを挿入すること)で本文の概要節設置を行った場合のことでしょう。今回の修正案文は概要を解体し再編した全く新しいものであって、それをノート上で再編して推敲し、修正案の合意形成したものを本文に反映させるのです。「既存の記事の長い導入部から「概要」節を作る場合」「単純に導入部の途中に見出しを挿入すること」にあたるものではないため、スタイルマニュアルの抵触はないでしょう。(ムカイ 2015年12月23日 (水) 09:34 (UTC))”と最終的にお答えいたしました。この議論を経たあとの2015年12月23日 (水) 10:11 (UTC)のSumaruさんのコメントに当該議論では初めて現れます。
  • Sumaruさん曰く私が捉われているという『「かつて現役だった時の姫路城」と「今残る『城跡』としての姫路城」を截然と分け、その両方を同時に表さなければ姫路城の定義として不足がある』という考え方について、まずこのような(少々異なりますが)考え方を以前の議論以降このウィキペディアの編集上において私が意見を変えずに持ち続けていると主張されているのは全くもって誤りであり、2015年12月11日 (金) 17:10 (UTC)のコメント時点ではSumaruさんがご指摘いただいた部分について、“Sumaruさんがおっしゃるように、残念ながらこれらの検証可能な情報は、姫路城に直接言及されていないため、合成して姫路城の本文に反映するようなことがあれば独自研究に抵触する恐れがあるでしょう。・・・“文献から直接導ける『意見』を逸脱した『解釈』を追加するのではないかという強い懸念がぬぐえないからです。(Sumaruさん 2015年12月9日 (水) 03:27 (UTC))”・・・Sumaruさんからのこの文献についてのご意見を参考に検討をするという意味でありますが、語弊があったようです。そのような不正をするつもりはありませんので、安心してください。もし、今後の修正案にそのような節があるようでしたら、ご指摘をお願いいたします。(ムカイ 2015年12月11日 (金) 17:10 (UTC))”とレスポンスしており、その認識を本文中に反映させるつもりはないことをお伝えしています。したがって、独自解釈を持ち出して現提案を行っているというご指摘は当たらず、こちらとしては同認識を含むコメントの撤回もしくは取り消しを求めるところです。

3大方針という蓋があることを踏まえ、前議論の終盤でのコメントを正しくご理解していただいていれば、こうした誤解による論争は起こらなかったのだと思います。一因は私の提案の仕方やアプローチが未熟であったことにあるかと思います。これまで議論に参加していただいたSumaruさんには、実に感謝していますし、前議論ではかつての合意形成部分に独自研究抵触という瑕疵を明確に指摘していただき、正しい方向に修正が行われるようになったことを歓迎しています。私はもしこのSumaruさんのご指摘が誤りだったとしても取り消しや撤回要求に留めるものであって、これ以上のことを求める考えはありません。--ムカイ会話2016年4月1日 (金) 17:04 (UTC)[返信]