コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

プロジェクト‐ノート:スポーツ人物伝/subj/プレースタイル検討案

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

プレースタイル検討案

[編集]

サッカー選手や野球選手などスポーツ選手の記事で「プレースタイル」という節が設けられている記事が多数見受けられますが、その内容を見る限りWikipedia:独自研究は載せないWikipedia:出典を明記するWikipedia:中立的な観点などの基本方針に則っていない主観的記述が多数見受けられます。

例:リオネル・メッシ

サッカー選手としては小柄だが、筋肉質でフィジカルは決して弱くはない。ストライドが短いため、直線的なスピードには目を見張るものがあるわけではないが、そのストライドの短さを生かした加速力には特筆すべきものがあり、限られたスペースの中での速さはトップレベル。ゴールに向かって走るそのスピードはディエゴ・マラドーナをして、「6速目のギア」と評される。体の使い方が上手く、また非常に高度な足元のセンシビリティーを駆使した華麗なボールタッチで流れるようなドリブルを可能とする。 バルセロナでは4-3-3のナローな右ウイングを定位置としている。右ウイングでプレッシャーのかからない場所に位置取りをし、足元にパスを受けたら、その後の選択はほぼ高い左足のテクニックを活かしたゴール方向へ向けてのドリブルに特化される。そのドリブルはスピード、テクニック、バリエーション共に十分で、相手チームの脅威になる。 パスの精度も非常に高く、しばしばアシストを記録している。ドリブル後突破が困難な場面では後方の味方を使ってのワンツーでゴール裏に飛び出すプレイも得意とする。 ドリブル突破後のゴールセンス、シュートの精度も非常に高い。シュートに関しては利き足で無い右足でも遜色ない。(代表での初ゴールや前述の5人抜きゴールも最後は右足で決めている。)GKとの一対一の場面でも冷静で、マーカーが残っていた場合でもシュートエリアを見つけることが可能で、その点がドリブラーとしてだけではなく、上背がなく空中戦では全く戦力とならないのにも関わらず優秀なアタッカーとして評価される所以である。 メンタル面では、物怖じせず、大舞台にも強い点が高い評価を与えられている。2005 FIFAワールドユース選手権決勝、レアル・マドリードとのエル・クラシコ、チャンピオンズリーグでのビッグクラブとの試合といった重要な試合でチームのキーマンとなる活躍を見せることも少なくなく、またチームが不調でもそれに引きずられない強い自立心を持つ。 一方でその世界最高レベルのドリブルを持つあまり単独での突破に固執する傾向があり、行き当たりばったりのプレイが目立つとの指摘もある。しかしそういった指摘が目立った2007-2008シーズン序盤のバルセロナFCは、相次ぐFWのパートナーの変更やパートナーの不調等もありコンビネーションを確立できなかったという点も考慮するべきであろう。 最も危惧されるのが怪我の多さ。筋肉系の故障が多く、シーズン途中で欠場することが多々あり、これまでシーズンを通してコンスタントにピッチに立っていた経験がなかった。だが、2008-2009年シーズンから監督に就いたジョゼップ・グアルディオラの指揮の元、食事栄養面を重視した体調管理に成功。シーズン通して怪我なく過ごすことが出来、スペインでのクラブチーム初の三冠達成に大きく貢献した。

つまりある基準(全サッカー選手中、欧州サッカーリーグの所属選手中、リーガ・エスパニョーラ所属選手中、FCバルセロナ所属選手中、など)においてフィジカルは弱くない、トップレベルの速さであるという事なのでしょうが、以下に問題点が挙げられます。

①基準値の統一が困難

例えば多くのスポーツにおいて日本人選手は南米や欧州の選手よりもフィジカル面で劣るという評価・認識を受けています。Jリーグ選手の中でフィジカル面で高い評価を受けている選手がセリエAのチームに移籍して、そこでも基準以上の能力を持っているかと言われれば必ずしもそうではないと思います。柳沢敦は全盛時は日本を代表するFWでしたがセリエAに在籍した3シーズンで得点はわずか1点、スタメンとしても定着できなかったなど結果を出したとは決して言い難い内容です。野球でも中村紀洋は日本を代表する長距離砲でしたが、メジャーリーグでは1本の本塁打も打てず、出場もわずか17試合でマイナー落ちし、1シーズンで日本へ出戻りしています。特にサッカーは国際交流や移籍市場が活発でイタリア、イギリス、スペイン、ドイツetc.とシーズン毎にチームを転々とする選手も少なくありません。つまり基準値が時期毎にコロコロと入れ替わってしまうのです。かと言って全サッカー選手に同一の基準を適用すると記事の正確性を損なう恐れがでてきます。たとえばサッカーで欧州レベルの基準を全サッカー選手に適用すると日本人の代表クラスの選手でも能力が低いものとして評価しなければならなくなる可能性が出てきますし、仮に世界中のプロサッカーりーグの平均値のようなものが算出できたとしても、そこにはたとえ弱小国のサッカーリーグでも「プロ」である以上含めなければならないので、そこを基準にしてしまうと欧州や南米の選手の殆どが「強い」ものになってしまう可能性があり、結局誰が強くて誰が弱いのか、誰が速くて誰が遅いのかがわからなくなり混乱をきたす恐れがあります。

②基準値の特定が困難

①を解決する方法のひとつとしてその都度、何を基準にしているかを明記するという方法があります。しかしプロ野球でもプロサッカーでも定期的かつ公的に選手の身体能力を計測しているという例は聞いたことがありません。例えば50メートル走何秒、遠投何メートルというデータを根拠に野球選手の強肩俊足を示すとして、他の選手は50メートル走何秒で遠投何メートルなのか、平均値はどれくらいなのかといったデータを引き合いに出されている例はそうありませんし、そもそもいつ計測されたものかすら分かりません。また、仮にNPBやMLB、JFLやFIFAが年に一度、公的に能力測定を行っていたと仮定したとして、選手は年齢・経験を重ねるごとに身体能力・技術が成長したり衰えたりします。そのため1点台で防御率のタイトルが取れない年もあれば、3点台でタイトルが取れる年もあるように、平均値は年ごとに変動する可能性がありますし、有力な選手が海外のリーグに流出したり故障したりすればその差は大きくなる可能性もあります。また、プロスポーツ選手といえどチームの主戦力として活動できる選手は所属選手中の一握りであり、多くの選手が一軍クラスで通用することのないまま戦力外通告を受けて引退せざるを得なくなります。そのような選手の能力を平均値の算出に加えると、平均値そのものが極端に低い数値になる可能性があります。この点から、一定範囲内の平均値を基準値として選手の能力を定義する事は限りなく困難であるといえます。

③能力の算出範囲の特定が困難

4人の同一のプロリーグに所属するプロ野球選手がいたとして、3年間の本塁打数が以下のような結果になったとします。
ケースA…1年目=7本、2年目=6本、3年目=7本、通算=20本、備考:長打力の観点で語られる事はないが、毎年レギュラーとして出場している選手。
ケースB…1年目=0本、2年目=8本、3年目=12本、通算=20本、備考:2年目の後半で飛躍し、本塁打8本はすべてシーズン後半戦の8月1日以降に記録したもの。さらに3年目の12本はすべて開幕(4月)から5月までに記録したものであるが、故障で6月以降の試合は出場せず。
ケースC…1年目=43本、2年目=2本、3年目=0本、通算=45本、備考:かつては毎年本塁打20本以上を記録していたベテラン選手だが故障によりこの2年目以降は殆ど本塁打を記録できていない。
ケースD…1年目=0本、2年目=0本、3年目=20本、通産=20本、備考:3年目に大きく飛躍した若手選手。
仮に1シーズンで本塁打20本以上を記録する事が長打力のある打者(スラッガー)の定義であるとします。ケースAは通算で20本に達していますがシーズンでの20本超えは一度も達成していないため、この定義を満たしていません。ケースBもいずれもシーズンでは一度も20本超えを果たしていません。しかしシーズン後半を開始点として1シーズン(約6カ月)間の範囲での記録は20本超えを達成しています。ケースCでは過去にはスラッガーの基準を超える結果を残していたがここ3年はスラッガーの定義を満たす結果を出していません。ケースDは最も直近の記録がスラッガーの定義を満たしていますが、それ以前の年は結果を出していたとはいえない内容です。そして当然ながら四者とも来季はどうなるかはわかりません。
ここで言いたい事は、「一定期間での結果・印象から選手の能力を定義できるか」という事です。特にプレースタイルの項目が活発に記述されている記事は必然的にユーザーがリアルタイムで見ているであろう現役選手の記事になり、かつ現在系の視点から記述される傾向にあります。この場合、ケースCの選手のプレースタイルの項目に「かつての長打力は失われた」「衰えた」などと記述される可能性がありますが、本塁打数=長打力と仮定したとして、それが一時的なものであるのか恒久的なものであるのか、少なくとも現役で活動している以上はウィキペディア上でそれを判断する事はできないのではないでしょうか。例えばケースCに近い例として濱中治は2006年に20本塁打を記録したものの肩の故障なども相まって2007年以降は長距離砲に相応しいといえる結果は出していません。しかし、それを根拠に「パワーが衰えた」などと表現する事はウィキペディア上ではできないのではないでしょうか。何故なら、現役で活動している以上はどの選手にも20本以上本塁打を打つ可能性があるからです。逆にケースDに近い例として亀井義行などは今シーズン25本塁打を記録していますが、それ以前のシーズンでは長打力があるとは決して言い難い数字で、現時点ではその期間の方がプロ生活の中で占める割合が高い状態です。その辺の記述に関してひと悶着起こっているようですが、現時点では一時的でしかない活躍から亀井の長打力をウィキペディア上で定義する事はできないのではないでしょうか。直近のシーズンの結果だけで選手の能力を定義する事はウィキペディアの体裁上、無茶な行為であると言えますし、逆に何年も前の実績を根拠に選手の能力を定義するのも正確性を伴うものではないと言えます。すなわち、現在系の視点から現役選手の能力を定義する事は困難であり、できるとすれば引退した選手などで数値を基に過去形、完了形の視点から定義するぐらいのものではないでしょうか。

④成績と能力の因果関係の証明が困難

盗塁のプロ野球記録保持者である福本豊の50メートル走のタイムは6秒台前半と言われており、プロ野球選手として飛びぬけて速い部類に入るものではありません。しかしながら福本が盗塁のシーズン・通算記録を樹立し現在まで保持している事は紛れもない事実です。つまりは盗塁の能力を構成する要素には単に足の速さだけでなく、いくつかの走塁技術が関係していると言えます。盗塁数=走力と定義すると、盗塁数(シーズン)10個の選手は盗塁数20個の選手よりも(野球の上では)足が遅い事になってしまいます。本塁打数=長打力と定義すると本塁打数30本の選手は50本の選手よりも非力だという事になってしまいます。となると、シーズンごとに足の速い選手・遅い選手、力の強い選手弱い選手が引切り無しに入れ替わる事になってしまいます。そんな馬鹿な事があるはずありません。つまり、本塁打、打率などの数値は選手の打撃能力を示す参考値にはなりますが、それひとつで選手の能力を確定できるものではないという事です。さらに厄介な事にそこには数値では語れない要素まで関わってきます。サッカーに至っては個人の記録として公式に記録されるものが出場試合数と得点数のみ(アシスト数は各メディアの私的な算出)と、野球以上に数値で語れる要素が少ないです。

⑤特定のプレーと能力の因果関係の証明が困難

前述のようにサッカーでは数値として記録される成績が少ないために、印象によってプレースタイルの節が記述されるケースが大半を占めています。上のメッシの例ではGKとの一対一の場面でも冷静で、マーカーが残っていた場合でもシュートエリアを見つけることが可能で…などと記述されています。冷静かどうかはメッシ本人にしか分からない事ですし、マーカーが残っていた場合にシュートエリアを見つける事の難易度を検証する事は困難だと思われます。おそらくこの記述はメッシがある特定の試合でこういう局面を打開したから記述されたものなのでしょうが、このような局面を高い精度で突破しているかどうかを検証する事は限りなく困難であると言えます。場合によってはたった一度でしかない可能性もあります。野球でも例えば浅尾拓也のプレースタイルの記述では、(打撃能力が低いとされる投手にしては)バッティングも上手く、2007年5月9日広島東洋カープ戦(広島市民球場)では三塁打も放っていると記述されていますが、具体的に一般的な投手の打撃能力について検証は行われていません。バッティング能力が高いと評価される投手でもレギュラーの野手と遜色ないレベルの選手はプロでは皆無に近いですし、特定の印象的なプレーのみによって評価されているケースが大多数と考えられます。ここでの問題はたった一度や数度の印象的なプレーによって選手の能力が定義されている可能性がある事です。言い換えれば、投手がヒットやホームランの一本でも打ってしまえばバッティングに優れた選手として記述されてしまう可能性が高いという事です。確かにそのようなプレーをした事はおそらくは事実なのでしょうが、そこから具体的な検証も行われていない状態で選手の能力をウィキペディアが結論付ける事ができるでしょうか。

⑥評価者の権威の特定が困難

①~⑤の問題点の解決法のひとつとして、特定の人物からの評価を出典とする事が挙げられます。上述のメッシの例ではゴールに向かって走るそのスピードはディエゴ・マラドーナをして、「6速目のギア」と評されると記述されています。メッシのスピードを説明するにはよい資料であると思います。が、そこから「あのマラドーナがそう言ったのだからメッシのスピードは速い」という結論をウィキペディアが出す事はできるでしょうか。マラドーナのメッシに対する評価の出典は不明ですが、ここから検証できる事は「マラドーナがメッシのスピードを評価した」という事実のみです。サッカーも野球も採点競技ではありませんので、評価する側の立場や価値基準は千差万別あります。マラドーナは言わずと知れたサッカー界の名選手です。しかしサッカーや野球の評論家や指導者の選手時代の成績・能力も千差万別です。プロでは大した実績はないものの、指導者・解説者として大成した人物は多くいますし、その逆も然りです。そもそも現役時代の活躍が引退後の指導者や評論家としての権威を確定するものではありません。あくまでもそれはメッシを評価する主観のひとつとして明示しなければならず、客観的な評価、もしくは事実として変換してはならないと思われます。つまり、メッシを例にすれば
  • ○:ディエゴ・マラドーナは(メッシの)ゴールに向かって走るそのスピードを「6速目のギア」と評した。
  • ×:(メッシの)ゴールに向かって走るスピードはトップレベルで、ディエゴ・マラドーナは「6速目のギア」と評した。
という事になります。この場合、トップレベルである事を証明するためにはレベルそのものの出典が必要になります。また、関係者からの評価以上に権威の特定が難しいのが雑誌・新聞の記者やスポーツライターといったメディアやファンからの評価です。まず注意しなければならないのが、メディアは大衆の代弁者ではないという事です。そして特定のメディアからの評価がメディア全体の評価ではないという事です。日本のスポーツ紙では番記者(トラ番、鷹番など)と呼ばれる各紙、プロ野球では各球団ごとに担当の記者が在籍し特定の球団の取材を担当し記事を執筆するスタイルが主流です。すなわちメディアが下す評価とは一人の人間による評価でありひとつの団体(新聞社、出版社)による評価でしかないとう事に留意しなければなりません。例えば選手名鑑などに選手のプレースタイルについて触れているものは多数ありますが、我々はその名鑑の執筆者が何者であるか、それらの情報に対してどれくらいの検証が行われているのか、それを検証する事は困難です。つまり[1]を出典に岩隈久志についてウィキペディアで執筆する際は
  • ○:岩隈の制球力について、Yahoo!プロ野球選手名鑑は「正確無比」と記載している[1]
  • ×:岩隈の制球力は正確無比である[2]
  • ×:Yahoo!プロ野球選手名鑑で「正確無比」と記載されているように、岩隈の制球力には定評がある。[3]
  1. ^ http://baseball.yahoo.co.jp/npb/player/11888/
  2. ^ http://baseball.yahoo.co.jp/npb/player/11888/
  3. ^ http://baseball.yahoo.co.jp/npb/player/11888/
と、ならなければなりません。つまり、何者の評価もあくまでひとつの視点からの評価として考えなければなりません。が、繰り返しですが我々はこの選手名鑑の執筆者が何者であるか分かりません。そして、これらの執筆者は多くの場合、一般企業である出版社の社員ですのでWikipedia:特筆性 (人物)の基準を満たす人物ではないのが大多数でしょう。すなわち、特筆性を満たさない人物による評価は特筆性に値するのか、という事が問題として挙げられます。

以上のようにプレースタイルの節の記述には数々の問題点が存在します。プレースタイルに関する議論はプロジェクト‐ノート:サッカー選手/プレースタイルの必要性[*]Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 野球選手/プレースタイルでも行われていますが、前者は一定の結論が出ているもののそれに基づいた記事の改善が追い付いていない、後者は議論のベクトルがユーザーの編集姿勢批判に進んでおり主題から外れたものになっているのが現状です。野球やサッカーなど特定の競技に限った事例ではないので、適用範囲をスポーツ選手の記事全体に広げて、ここで何らかの方針を合意形成する必要があると思われます。

原則としてプロジェクト‐ノート:サッカー選手/プレースタイルの必要性[*]での合意に即した形で、節としてのプレースタイルの存在はこれまでのような独自研究に基づいた記述を助長する可能性が高いと思われるため節を解体して業績に即した形で経歴・人物の項目へ誘導する事が最も理想的であると考えられます。その選手がどのような実績を残したのかを明示し、端的に活動内容・実績・結果・記録を記述するのみに留め、そこから選手の能力を定義する記述は行わないという事です。また、これに加えて選手の能力に関する人物評についてはWikipedia:特筆性 (人物)を満たす人物(選手の直近の関係者である事が望ましい)からの評価に限定し、そこから選手の能力を執筆者が定義する記述は行わない、ウィキペディアが定義する特筆性を満たす人物ではあるが評価の信憑性に問題がある可能性のある評価(例えばダンカン松村邦洋など阪神ファンを公言するタレントによる阪神選手の能力の評価、格闘技における対戦相手への罵倒発言など)が記述された場合は各記事のノートで検討を行う、などをPJの基本方針化して、原則ウィキペディア上で不特定な基準や立場から選手の印象・評価を記述するような事はしないように誘導していきたいと思いますので、他に良い改善策があればご意見をお願いします。--Bami 2009年11月21日 (土) 23:42 (UTC)[返信]

(追記)具体例として上述のメッシのプレースタイルの例では、

(人物節への誘導)

  • ゴールに向かって走るそのスピードはディエゴ・マラドーナをして、「6速目のギア」と評される。

(経歴節への誘導)

  • 2008-2009年シーズンから監督に就いたジョゼップ・グアルディオラの指揮の元、食事栄養面を重視した体調管理に成功。シーズン通して怪我なく過ごすことが出来、スペインでのクラブチーム初の三冠達成に大きく貢献した。

他の記述はそれらの能力について具体的に誰からの評価であるかが分かる出典があればそれぞれ人物、経歴の節に記述が可能なものもあると思われます。--Bami 2009年11月21日 (土) 23:49 (UTC)[返信]

基本的には上記に同意です。プレースタイルの項目は総じてファン目線からの記述が多いと思われます。好意的に書くのは悪くはありませんが中立性は守る必要があると思います。能力は同一の団体(NPB、Jリーグ、日本相撲協会、JBCなど)以上の範囲を包括する競技機構や規約が公式に基準を設けていて、それ以上の水準の記録を残していれば(その団体内においては能力は)高い、それ以下でれば低いと定義してもよいのではないでしょうか。例えば、日本サッカー協会が定期的に全選手の身体能力の測定を行っていて、走力を計測する項目である50走で6秒を標準記録として定義し、それよりも速い記録を出した選手走力が高い=俊足として定義できる、という具合です。要はそれが何を計測するための測定かはっきりしてて、なおかつ、きっちりとした基準さえ決まっていて、それ以上の記録を出しているのであれば、特定の範囲(日本国内など)内においては能力が高いとしてここで記述してもいいということです。ただし、きっちりと決まっていない以上はたとえ記録の上での1番であるタイトルをとっていても能力は高いものとして定義できませんが。評価はBamiさんの案を全面的に支持します。「○○と評価されることが多い」「○○と評価されることがある」というような曖昧な言い回しをしないためにも、誰からの評価であるかをはっきりと書くべきだと思います。ただ、解説者が中継でこぼしたような発言は事実確認の機能を欠く情報源ですので、活字で残っていたりweb上でパーマネントに配信されているようなものに限った方がいいと思います。「何月何日××ラジオ △△戦での解説より」とか書かれても、確認がとれませんし。--Katalk 2009年12月8日 (火) 12:08 (UTC)[返信]
私も概ね同意です。プレースタイルの表記はWikipedia:中立的な観点Wikipedia:大言壮語をしない等に反した記述の温床になっているのが現状だと思います。
ただシニシャ・ミハイロヴィチカルロス・バルデラマ等、身体能力でなく、技術的に何かに特化した選手であれば、例えば「フリーキックが得意」「ショートパスが得意」(稚拙な表現ですが)といった事を記述ぐらいはしてもいいんじゃないでしょうか。まぁ「特化」の基準についても議論しなければならなりませんが。見出しを付けてまでプレースタイルを記載する必要はないと思います。--Zero_1_k 2009年12月9日 (水) 06:50 (UTC)[返信]

(インシデント戻し)その辺りの解決法としては、評価やエピソードによって十分に説明できると思います。特定の能力や技術に優れているのであれば、関係者によって評価されている何がしかの出典が必ずあると思われます。メッシを例にすればドリブルスピードについてマラドーナの証言の他、チームメイトや対戦相手、OBなどが証言をしているはずです。また、本当に特定の能力や技術に優れているならばそれなりの記録・エピソードを持っているはずです。デニス・ベルカンプのトラッピングならフランスW杯のアルゼンチン戦やニューカッスル戦のベルカンプターン、ロベルト・カルロスのキック力なら悪魔の左足の異名やフランス戦でのフリーキックなど。そういった評価やエピソードを記述していけば、公的な基準がなければ価値観によってしか定義できない「○○に優れている」という表現は言わずとも、どんなプレーに特徴を持った選手であるかは理解できると思います。--Bami 2009年12月9日 (水) 11:30 (UTC)[返信]

ここまでの議論を元に草案を作成しました。要約すれば「誰かの主観の中でその選手の能力が高いのであれば、それが誰の主観によるものであるかを明確に記述せよ。そしてそれを客観や他の主観に置き換えてはならない。」といった感じです。
  • 原則としてユーザーによって選手の能力の高低・優劣を定義しない。選手が所属する競技機関や競技規約が能力の基準を設けている場合はそれに準じ、どの基準における定義であるかを明確に記述する。
  • 選手の能力を裏付ける評価やエピソードがあれば記述してもよい。ただし、それらの評価やエピソードから選手の能力をユーザーによって結論付けない。
  • 選手の能力に対する評価は誰による評価であるかを明確に記述する。評価をする人物はWikipedia:特筆性 (人物)の定義を満たす人物とする。直近の関係者(チームスタッフ、対戦相手など)や競技に直接関わった経験のある人物であることが望ましい。前述の基準を満たしているが評価能力の信憑性に問題がある人物(ファンを公言する芸能人など)である場合、ノートページで記述の有無について検討を行う。
    • 例1
      ○ 彼のドリブル技術について、元ブラジル代表サッカー選手Rは「彼は極めて高い技術を持っている」と評している。
      × ドリブル技術には定評があり、元ブラジル代表サッカー選手Rは「彼は高い技術を持っている」と評している。
    • 例2
      ○ 200X年X月X日の○○戦では相手チームのディフェンダー、キーパー計5人を抜き去りゴールを決めた。
      × 2XXX年X月X日の○○戦では相手チームのディフェンダー、キーパー計5人を抜き去ってゴールを決めるなど、高いドリブル技術を持っている。

これを元に検討した上でプロジェクトページのスタイルマニュアルに記述の注意点として加筆したいと思います。--Bami 2009年12月12日 (土) 04:49 (UTC)[返信]

異論はありません。以前、Wikipedia:ウィキプロジェクト 野球で「代表的な○○」「○○として有名な選手」の記述について議論に参加させて頂きましたが、何をもって主観とし、何をもって客観とするかという定義がはっきりしないために各記事で編集合戦が起こったり議論がこじれたりしているのが現状です。プロジェクトの合意は絶対的なルールではありませんが、ここでの合意を大義名分として記事のあるべき方向性を示して修正していく事は可能だと思います。--POPPE 2010年1月1日 (金) 21:02 (UTC)[返信]

反対意見も特にないので合意が成立したものとして、プロジェクトの方針として適用させて頂きます。今後、追加・修正などがございましたら引き続きこちらで提案・議論をお願いします。--Bami 2010年1月9日 (土) 13:21 (UTC)[返信]

改定案

[編集]

申し訳ないのですがサッカー選手や野球選手まで対象にして議論を行っているにもかかわらず、対象プロジェクトのWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト サッカー選手Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 野球選手には一切告知していない以上、当該プロジェクトに関わっている利用者はこの議論に気づいていない可能性が高く、合意成立とするのはいささか早計であると判断いたします。まずは対象となるプロジェクトのノートにて議論が行われていることを告知すべきでしょう。--Web comic 2010年1月10日 (日) 05:35 (UTC)[返信]

議論の告知を行いました。--Web comic 2010年1月10日 (日) 05:38 (UTC)[返信]
告知に不備があったのは認めます。しかし、スポーツ選手のプレースタイルの記述方針についてはWikipedia:合意形成が定める合意形成期間(168時間)以上の期間を経て一度合意が形成され、既に記述の注意として方針化されています。上位・下位双方のプロジェクトに参加しているユーザーもいて2カ月近い期間を置いてあって、それは「気付かなかった」のではなく「反対する意思がなかった」ものとして捉えています。逆にいえば提案者でる私一人の権限でこの合意を無効にすることはできず、再度の合意を形成する必要があるということです。従ってWeb comicさんやこれ以降の各ユーザーの意見は、合意の再形成ではなく、一度成立した合意の改定提案という形になることを承知ください。--Bami 2010年1月10日 (日) 06:08 (UTC)[返信]
告知に不備があったのを認められているのでしたら改めて仕切りなおして合意を形成すべきでしょう。このような状況でサッカー選手や野球選手のウィキプロジェクト参加者に周知が徹底していない状態で合意が形成されたと主張して各記事のノートに編集を促すような書き込みを行うのは強引ではないでしょうか。そのような強硬な態度では周りと軋轢を生むだけです。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないもお読みください。少なくても現状の合意内容ではサッカー選手や野球選手の記事には適用できないことはご承知おきください。--Web comic 2010年1月10日 (日) 06:20 (UTC)[返信]
仕切りなおして合意を形成するにも合意が必要であることはお分かりでしょうか。私一人で決めたものではなく、決して非公開ではない場でユーザー間の議論を経て決定された方針です。それを「気付かなかったから」ということを理由に無効を主張したのではどの基本方針も合意形成も成り立たなくなってしまいます。「気付かなかったから」を理由に合意を反故にする行為こそが腕ずくであり強引というべきではいでしょうか。それを脅かす権利は誰にもないはずです。また、プロジェクト‐ノート:サッカー選手/プレースタイルの必要性[*]においてすでにプレースタイルの廃止は合意が成立していますが、これも否定されますか?--Bami 2010年1月10日 (日) 06:46 (UTC)[返信]

コメント Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 野球選手の告知でこの議論を知ったひとりです。Web comicさん、お知らせありがとうございました。

Wikipedia:ウィキプロジェクト 野球選手では、野球選手(MLB・NPB)記事の執筆スタイルとして「(前略)Wikipedia:ウィキプロジェクト スポーツ人物伝に準拠する」という原則が定められているため、少なくともルール上では、この場で合意が成立した案件はPJ 野球選手においても決定事項となるものと思います。ただし、Bamiさん側も告知に不備があったことを認めておいでなので、できればご配慮をいただきたいところです。何も「これまでの議論をすべて御破算にせよ」というわけではないですし、発効を1〜2週間ほど先延ばしにして様子を見るというようなやり方もありますので。

その上で私見を述べますと、「『プレースタイル』節の記述には独自研究が多い」という指摘についてはまったく同意なのですが、「『プレースタイル』『プレーの特徴』などスカウティングレポートを記述するための節は原則として作成」しない、という結論は、記述内容の改善にどの程度効果があるかはなはだ疑問であり、賛成しかねます。

独自研究を書かせないということが主目的なのであれば、そういった記述を編集除去すればよいだけの話であって、単純に「プレースタイル」節を廃止しさえすればよいというのは「看板の掛け変え」にすぎません。逆に、独自研究の排除という趣旨を理解しておらず、単に「『プレースタイル』という節を作ってはいけない」という意味だと解釈した編集者がいれば、“経歴”“人物”節に独自研究の記述を持ち込んでしまうおそれも考えられます。また、「人物」と「選手としての特徴」は別々の節で述べたほうが読みやすくなる場合もあると思いますし(具体的な使い分けはPJ 野球選手のノートで発言したことがありますのでご参照ください)、その意味でも「プレースタイル」節は有用であると考えます。廃止派の方々にも改めてご検討いただければ幸いです。--Yasu 2010年1月10日 (日) 16:06 (UTC)[返信]

「私が議論に参加していないのでこの決議は無効です」という主張は傲慢すぎると考えます。少なくともこの合意は沈黙による同意ではなく、複数名のユーザーの賛同の意志による同意によって成立した合意です。火種を拡大するつもりはないので私自身は各記事への勧告、修正を強行するつもりはありませんが、一度決まってしまったことですので他のユーザーがこの方針を元に編集を行うことを止める権利は私を含めて誰にもありません。そもそも、プロジェクトの方針は禁止事項として拘束するためのものではなく、合意形成された方針を基準としてユーザーが記事を修正する権利を保障するためのものです。再度ですが、この合意形成を反故にするにも提案者一人の権限ではできず、合意形成が必要になります。もちろん、Web comicさんの一方的な主張でもこれを反故にすることはできません。それは合意形成によって編集方針を決定するというWikipediaの在り方そのものを否定し冒涜する行為になります。もし現行の方針に問題があるとお考えならば再度、合意を形成してください。なお、私個人は現行案がベストであると考えていますので現時点で改定の意志はありません。--Bami 2010年1月10日 (日) 18:56 (UTC)[返信]

選手の能力評価についてWikipedia:特筆性 (人物)のある人物のみとする点については反対です。プロフットボール殿堂HP(この場合は殿堂が特筆性の人物と同等と考えれば良いのでしょうが)やスポーツ・イラストレイテッドESPN、NFL.comのアナリストなどの中には出典として十分とりあげる価値のあるものがあります。またチームHPなどの場合、中立的な観点に多少欠ける評価がされている場合もありますが控えめな表現とする、より適当な出典が現れた場合に修正するといった方法を取っていく対応で良いのではと思います。特筆性のある人物からの評価でも新人や若手選手などに対してリップサービスや期待の大きさからなされるものがあります。こうしたものは好ましいものではないと思います。(例:公式戦に出ておらず練習しかしていないにも関わらずフリーキックは若い時の誰々より優れているなど。)--Tiyoringo 2010年1月11日 (月) 02:10 (UTC)[返信]

英語版の状況を見てみました。議論がどこでされているかはまだ確認しておりませんがen:Kobe Bryant#Player profileen:Michael Jordan#Player profileのような方法で人物に対する評価を記述していくことは可能だと思います。ソースのないものは要出典をつけてもいいでしょう。ソースがなく加筆されたものが書籍などで見聞きしたものなどを出典を書かずに書いたものか思い込みも含めて書かれたものか個別に判断はしづらいですが不十分な形でもばっさり除去するよりは要出典つきで残した方が良いものもあるのではと思います。--Tiyoringo 2010年1月11日 (月) 02:35 (UTC)[返信]

コメント(Bamiさんへ)「この決議は無効である」という主張は(Web comicさんを含めて)どなたもされておられないようですが。私が見るところ、合意自体は成立しているが、議論の周知が不十分だった状況下でのものであるので、その点を斟酌するべきだということが論点なのだと思います。ただ、手続き云々は別としても、合意内容自体に反対する意見がやはり複数名の編集者から出ているという事実もお含み置きいただきたいところです。Bamiさんはご自分なりの意見をお持ちで、それは大変結構なことなのですが、「現行案がベスト」と主張されるだけでなく、指摘されている問題点について明快なご説明をいただけませんと、せっかくの合意自体も正当性が薄れてしまうおそれがあります。この合意が重要だとお考えでしたら、どうかもうしばらく議論にご協力ください。よろしくお願いします。--Yasu 2010年1月11日 (月) 16:24 (UTC)[返信]

コメント 基本的には賛成しますが、何らかの出典によって信頼性が担保されれば、プレースタイル的な記述(節ができるかどうかはともかく)は許されるべきだと思います。--出羽卒族 2010年1月14日 (木) 15:09 (UTC)[返信]

コメント Web comicさんより連絡をいただきましたので、意見させていただきます。私はBamiさんの提示された案についてはウォッチリストから確認しており、かつ、提案内容には基本的に問題がないという印象がありましたので、特に私からコメントをつけることはしませんでした。結果としては、合意された内容について後から意見をつける形になってしまい、まずはその点で心証を悪くされていることをお詫び申し上げます。その上でなのですが、一点気になることがあります。それは、今回追加された注意書きのうち、一番最初の「プレースタイル」「プレーの特徴」などスカウティングレポートを記述するための節は原則として作成せず、記述内容に応じて経歴節・人物節へ記述する。 の、「原則として」の部分であり、すなわち、場合によってはプレースタイルの節を作っても構わないのか、ということです。ここでの意見を見る限り、Bamiさんはプレースタイルの節を作ること自体に大きな懸念をお持ちでいらっしゃるようですが、それでは逆に、プレースタイルの節を作ってもいい場合とは、どのようなケースを想定されているのでしょうか。具体例として、上でTiyoringoさんが英語版の記事を例示されていますが、日本語版でも、PJスポーツ人物伝の対象で秀逸な記事に選ばれている岡部幸雄にも「騎手としての特徴」という節があります。この節における記載は、今回追加された注意書きに抵触する部分が見受けられず、まさしく見本とすべき記述でしょう。これくらいの記述であればプレースタイルの節を作るのは問題ない、と考えられているのであれば、Bamiさんの提案内容に改めて賛同させていただきますが、これほどの記述でもプレースタイルの節を作るべきではない、と考えられているのであれば、「原則として」とはどのような基準なのか再考を願いたく思います。--チェンジオブベース 2010年1月16日 (土) 15:39 (UTC)[返信]

再改定議論

[編集]

上記チェンジオブベースさんのご意見表明から1週間経過しましたが、現行の合意内容に対して複数の異論や疑問が寄せられていること、かつそれらへの回答が現時点でまったくないことから、現合意をこのまま継続して適用するのは問題であると判断し、再改定を提案します。

今のところはまだ具体的な文面案を提示することはしませんが、少なくとも異論の出ている

  • 「プレースタイル」「プレーの特徴」などスカウティングレポートを記述するための節は原則として作成せず、記述内容に応じて経歴節・人物節へ記述する。
  • 選手の能力に対する評価は誰による評価であるかを明確に記述する。評価をする人物はWikipedia:特筆性 (人物)の定義を満たす人物とする。直近の関係者(チームスタッフ、対戦相手など)や競技に直接関わった経験のある人物であることが望ましい。前述の基準を満たしているが評価能力の信憑性に問題がある人物(ファンを公言する芸能人など)である場合、ノートページで記述の有無について検討を行う。

の2項は手直しの必要があると考えております。再改定の是非も含め、ご意見をよろしくお願いします。--Yasu 2010年1月24日 (日) 16:02 (UTC)[返信]

コメント 私としては、先に述べたとおり、「原則として作成しない」 = 「場合によって作成してもよい」と解釈しているので、そこまで問題視していないのですが、それでも現状の文面では解釈にゆれが生じかねませんので、必要があればよりわかりやすい文面に改訂してもよいのではないかと思います。また、誰が評価したかという点についても、現状の文面では、特筆性のない人物の評価は絶対に書いてはいけない、と読むことはできないので、どこまでの人物の評価が望ましいか、という範囲の問題くらいだと思います。実際、無差別にプレースタイルの節を削除するのに現在の文面を根拠とするのは弱い印象があるので、そこまで無理に改訂せず、文面の解釈にゆれがあるのであれば、それに応じてもう少しはっきりした形の文面に改訂する程度で構わないと思います。Bamiさんの問題意識については理解できる部分が多いので、そのニュアンスを変えてしまう形での改訂は避けていただきたいです。--チェンジオブベース 2010年1月25日 (月) 10:14 (UTC)[返信]
とりあえず、再改定自体については反対がないようなので、このまま話し合いを進めていきたいと思います。
Bamiさんの「Wikipedia:独自研究は載せない、Wikipedia:出典を明記する、Wikipedia:中立的な観点などの基本方針に則っていない主観的記述が多数見受けられます」という当初の指摘については私としてもまったく同感であり、「誰かの主観の中でその選手の能力が高いのであれば、それが誰の主観によるものであるかを明確に記述せよ。そしてそれを客観や他の主観に置き換えてはならない」という趣旨にも賛成です。しかしながら結論として「プレースタイル節を廃止して本文に組み込むべし」という内容になっているので、話がおかしくなっているのだと認識しています。繰り返しになりますが、「プレースタイル」節は百害あって一利なしというわけではありませんし、そもそもこの結論では、プレースタイル節ではなく本文に独自研究が流れ込むおそれもあります。重要なのは主観的記述を除去したり、書かせないようにしようとしたりすることであって、プレースタイル節を廃止しさえすれば問題が解決するわけではありません。
前置きが長くなりました。とりあえず、再改定のための叩き台を以下に示しておきます。
文案としては、前記の2項を廃し、代わりに以下の1項を追加します。これは「選手の能力評価についてWikipedia:特筆性 (人物)のある人物のみとする点については反対」(Tiyoringoさん)、「何らかの出典によって信頼性が担保されれば、プレースタイル的な記述(節ができるかどうかはともかく)は許されるべき」(出羽卒族さん)などのご意見も踏まえたものです。
  • プレースタイル、選手としての特徴などスカウティングレポート的な記述をする場合は、必ず出典を付すものとする。特に、選手の能力に対する評価を書く際は、その評価が誰によるものであるかも明確に記述する。出典のない記述があれば{{要出典}}を付し、一定期間を過ぎても改善されない場合は除去。
出典として認められうる範囲はどこまでか、といった点については、必要であれば今後の議論で詰めていけばよいと思います。まずはご検討をお願いします。--Yasu 2010年2月7日 (日) 15:28 (UTC)[返信]
賛成 再改定に賛成します。プレースタイル節はあったほうが記事の体裁を整えやすいこともあると思います。無理に経歴節・人物節に組み込む必要性はないでしょう。「選手の能力評価についてWikipedia:特筆性 (人物)のある人物のみとする点については反対」には強く同意します。例えばサッカーや野球といったメジャーな競技では特筆性のある人物による評価も多く出てくるでしょうが、私が執筆しているスキー選手などのマイナー競技は特筆性のない人物による評価(スキー雑誌などでの評価)が殆どです。スキー雑誌などによるきちんとした出典があるのに何も書けなくなってしまいます。最低でも専門誌などによる評価は可とすべきだと思います。--Toto-artist 2010年2月12日 (金) 00:58 (UTC)[返信]
一案として、Wikipedia:信頼できる情報源に沿った出典であれば認められる、ということでどうでしょうか。
また、提案後に気がつきましたが、上に挙げた文では「プレースタイル節は場合によっては作成してもよい」ということを明記していませんでしたので、この点もあわせて、提案する文面を以下のように修正します。
  • 「プレースタイル」「選手としての特徴」などスカウティングレポート的な記述をする場合は、必要であれば独立した節を作成してその中でまとめてもよい。
  • スカウティングレポート的な記述には必ず出典を付すものとする。特に、選手の能力に対する評価を書く際は、その評価が誰によるものであるかも明確に記述する。出典に用いる資料は、Wikipedia:信頼できる情報源を満たすものとし、これに合致しない出典があれば{{出典無効}}、出典のない記述には{{要出典}}を付し、一定期間を過ぎても改善されない場合は除去。
引き続きご意見をお待ちします。--Yasu 2010年2月15日 (月) 14:58 (UTC)[返信]
Wikipedia:信頼できる情報源に沿った出典の案、Wikipediaの既存の方針に従うということで良いかと思います。ちなみに「選手の能力に対する誰かの評価」はWikipedia:信頼できる情報源#意見に当たると思いますが、その認識で良いでしょうか。後は除去までの一定期間というのをどの程度にするか。1~2週間では性急な気がするのですが、1ヶ月程度が妥当でしょうか?--Toto-artist 2010年2月22日 (月) 02:55 (UTC)[返信]
もう特にご意見もないようですが、異議なしということでよろしいでしょうか。出典なしまたは無効な出典による記述の除去までの期間ですが、私も1か月程度でよいと思います。この点も明記することにし、以下を最終案とします。
  • 「プレースタイル」「選手としての特徴」などスカウティングレポート的な記述をする場合は、必要であれば独立した節を作成してその中でまとめてもよい。
  • スカウティングレポート的な記述には必ず出典を付すものとする。特に、選手の能力に対する評価を書く際は、その評価が誰によるものであるかも明確に記述する。出典に用いる資料は、Wikipedia:信頼できる情報源を満たすものとし、これに合致しない出典があれば{{出典無効}}、出典のない記述には{{要出典}}を付し、一定期間(目安としておおむね1か月)を過ぎても改善されない場合は除去。
1週間以内に反対意見が出なければ、本節冒頭に掲げた現行ガイドラインを上記の内容に改定させていただく予定です。--Yasu 2010年3月2日 (火) 16:04 (UTC)[返信]
対処 反対なしと認め、ガイドラインの改定を実施しました。議論に参加してくださった皆さん、ありがとうございました。--Yasu 2010年3月15日 (月) 14:58 (UTC)[返信]

確認事項

[編集]

方針に基づいた編集を実行するにあたって私の個人的解釈がここでの合意と相違がないか確認をしたいと思います。

  • 原則としてユーザーによって選手の能力の高低・優劣を定義しない。選手が所属する競技機関や競技規約が能力の基準を設けている場合はそれに準じ、どの基準における定義であるかを明確に記述する。
つまり、日本のプロ野球選手の「足が速い」という表現に対して、日本プロ野球機構(NPB)ないし公認野球規則が「50メートル走のタイムが6秒フラット以下であれば足が速い」と定義しているのであれば、その選手は俊足な選手であるとして記述できる。
あるいは、NPBや公認野球規則が俊足の定義を「シーズン盗塁数20盗塁以上」としているならば、wikipediaの上では20盗塁以上の選手は全員俊足である。ただし、この場合、「鈍足」の定義が成立していないのでシーズン2盗塁の選手を鈍足としては定義できない(ただし、「俊足ではない」とは定義できる)。
これは有り得ないとは思いますが、NPBが「最優秀防御率のタイトルを獲得した選手」を優れた投手と定義しているならば、3点台でタイトルを獲得した選手は優れた投手であるが、1点台でもタイトルを獲得できなかった投手は優れた投手ではない。
  • 選手の能力を裏付ける評価やエピソードがあれば記述してもよい。ただし、それらの評価やエピソードから選手の能力をユーザーによって結論付けない。
方針の例通り。投手がある試合で本塁打を打ったからといって、それを根拠にバッティングの巧い投手である、と結論付けてはいけないという事で間違いないですね?
  • スカウティングレポート的な記述には必ず出典を付すものとする。
つまり、プレースタイル節の全文に出典が必要であるということでで間違いないですね?
  • 特に、選手の能力に対する評価を書く際は、その評価が誰によるものであるかも明確に記述する。出典に用いる資料は、Wikipedia
    信頼できる情報源を満たすものとし、これに合致しない出典があれば[出典無効]、出典のない記述には[要出典]を付し、一定期間(目安としておおむね1か月)を過ぎても改善されない場合は除去。
つまり、「~に定評がある」といった表現は誰からの評価であるかが不特定であるため成立しないという事で間違いないですね?定評があるならば特定の人物によって評価されている出典が存在するはずですから、それを出典として明示した上で監督なら監督、スポーツライターならスポーツライターというよに誰による評価であるかを明記しなければならない。

上の議論で出された「客観的な指標の上で選手能力の高さ・低さを定義する」「誰かの主観の中でその選手の能力が高いのであれば、それが誰の主観によるものであるかを明確に記述せよ。そしてそれを客観や他の主観に置き換えてはならない」というのがこの方針の趣旨であると解釈しています。 現在行っている記事の修正および出典の要求がこの合意と相違があれば何が拡大解釈で何がやり過ぎなのかご指摘の程をよろしくお願い致します。なお、野球選手に限らずスポーツ選手の数は計り知れませんのでそれらの記事ひとつひとつを修正するには膨大な時間がかかりますのでご協力を頂ければ幸いかと思います。--Kridro 2010年4月23日 (金) 10:32 (UTC)[返信]

Kridroさんの見解は、今は参加されていない利用者:Bamiさんの主張を大筋でなぞったものだとは思いますが(Bamiさんが利用者:Web comicさんに執拗に迫っている姿と、Kridroさんが利用者:ミラー・ハイトさんの名前をよく出される姿がかぶって見えるのは偶然?)、「スカウティングレポート的な記述」=「プレースタイル節の全文」であるとする解釈には疑問があります。まずはその点をはっきりさせる必要があるかと。また、プレースタイルと銘打った節以外にも同様の記述がありますし、その点の線引きはどうするのかなど。今回議論の中心は野球選手の記事になっているわけですが、サッカーなどと違い細かく能力や貢献度を示すことが可能な野球とでは事情が異なる点にも留意しなければならない。「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説」において出典が必要であるかについても同様です。「既知の一般的な概念」と「意見が分かれる項目」の分別くらいはつけなければなりません。たとえば重力相互作用 なんかにも出典は存在しませんが、これなんかは典型的な物理学の基本知識であり、アップルパイの記事に出典を求める同様にナンセンスの極みです。お断りしておきますが、Wikipediaは百科事典であって入門書ではありませんので、完全に分野外で最低水準の基礎知識もない人間のことまで考慮して記事を書けというのは誤りです。一度図書館で紙の百科事典を閲覧なさることをお勧めします。更にいえば、Wikipediaは選手の記事単独で存在しているのではなく、年度別成績表の打率や打点にはリンク先にスタッツごとの記事が存在するのであり、そこで詳細な解説・評価がされてるのであって、野球に明るくない人間にも理解は可能な筈です。字引など全く考えることも努力もせず、そういった人間をターゲットにして記事を編集しろというのは、百科事典の概念としてをはありえない話です。そういう理由から、数字として明瞭化されている成績に基づく記述については、一言一句にまで出典が必要であるという認識はありませんし、その考えが方針に反しているとは思いません。勿論、それに当てはまらない記述には出典は必要だと思いますが。

なお、今回は野球選手についての議論が根幹となっていますので、意見表明される方はWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 野球選手/プレースタイルにおける議論も参照なさってください。似たような議論内容になっている上に、NISYANさんのコメントを最後に、はっきりとした終着点が見出されたとは言いがたい状態のままコメントが途切れてしまっています。また、やたらめったらに要出典タグを貼り付けて、その本人が出典作業に一切関わらないことや、出典を明記すべき範囲についての見解の相違が存在することを理解せず極端な行動に走るといったことは、方針の理解不理解とはまた別の問題です。方針を盾にすれば強権的な行動が正当化されるということはありえません。その点勘違いがあっては困ります。ルールの為にユーザーが存在しているのではありませんので、目的と手段が逆になってはいけないのです。上記のプロジェクトにおける議論を見ても、そういった行動について賛意を示しているユーザーは1人も存在しないということです。

それともう1点、この議論がどういった方向に傾くのか現状では不明瞭な状態であるのに、ご自分の解釈が正しいという考えを前提にしたまま複数の記事において出典タグが貼られ、「1月後に出典がなければ問答無用に除去する」といった発言が放置されているのは問題であると思います。自分の解釈が正しいかどうかを問う為にここで提議された筈なのですから、ノートでの宣言は一旦取り下げ、なおかつここでご自分が提議されたことについて告知すべきではないでしょうか。それと気になった点があるのですが、[2]方針に従わない修正や要出典タグの取り消し、復帰等を行った場合は投稿ブロックなど然るべき処分を依頼する事になりますとありますが、これは半分脅しに近い文句であり、私には果たしてここまで書く必要があると疑問に思います。仮にそういった編集を行ったユーザーがいたとしても、突然そのようなケースに持ち込むというのは普通ありえない話です。また、初心者に対しても無駄に威圧的な行動を取らなくてもよいでしょう。逆に反発を食らうだけです。もう少し普段から物腰穏やかな言動を心がけていただけないでしょうか。Kridroさんがもし、出典のない記述に対する除去の為だけにWikipediaに参加しており、加筆その他の編集作業を行う意思もなく、ご自分の考えるルールを厳守することを至上命題とし、それに従わないユーザーをむやみに敵視し相手を軽んじておられるとしたら、Wikipediaの目的外利用とまでは言いませんがそれは本末転倒というものです。記事の充実に寄与するという、建設的な理念からかけ離れていると考えます。--Bbcs 2010年4月26日 (月) 23:14 (UTC)[返信]

(追記)書くの忘れた。方針文章をそのまま運用するか修正するかの話じゃなくて、あくまで解釈についての提議であるとするならば(まあそれも今後の流れ次第かもしれませんが)、私のように野球とその他スポーツ全てにおいて見解を統一させろという考えとは異なる見解をもつ人間がいる以上は(ある程度の指針なら分かるんですがね)、ここだけでなくWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 野球選手も平行、もしくは移動して議論したほうがいいんじゃないかと思いますが。--Bbcs 2010年4月27日 (火) 00:54 (UTC)[返信]

  • (コメント)こちらにも私なりの考えを書いておきます。
百科事典の目的が記事対象に関する情報や知識を得る一助という観点で言えば、選手の特徴が書いてあるに越したことはありません。例えばドラフト時に「俊足巧打の遊撃手」などとスポーツ新聞で表現されている選手の記事に、「ほげほげ新聞何年何月何日何面の記事より」という脚注を伴って記載されているならば、「信頼できる情報源とは言い難いから」という理由で直ちに除去すべき情報だとは思いません。
スポーツの分野は、記述者による意図しない思い入れが記述の中に含まれやすいジャンルではあるので(よく「政治とスポーツの贔屓と宗教については話題にしない方がいい」ということが言われますが、それだけ偏りが見えやすいということであろうと思います)、また、特に現役選手の評価が、信頼できる情報源として固まってくることは時系列的にも少ないと思われるので、さしあたっての出典としては、例えばスポーツ新聞でも「ないよりはあった方がまし」の出典だと私は思います。その後記事の成長とともに評価が確立されれば、信頼できる情報源に出典がとって代わられることでしょう。
感覚的な部分に話を移しますと、言い換えによって記述ができる部分もあるかと思います。「2008年シーズンの打率は3割4分の高打率をマークし」と書きたい時、脚注として「このシーズンの打率ランキング4位」と併記すれば、そのシーズンで相対的に高打率と言える根拠にはなるかと思います。同様に4割は高打率かという議論についても、「NPBではシーズンを通して4割を達成した打者はおらず、2009年までのシーズン最高打率は.389である」と併記すれば、読者には高打率であると推し量れるだけの情報を提供出来ていると思います。
またBbcsさんがおっしゃる、「Wikipediaは百科事典であって入門書ではありませんので、完全に分野外で最低水準の基礎知識もない人間のことまで考慮して記事を書けというのは誤りです。」という部分が、もし全般的に当てはまるのだとすれば、「投手がある試合で本塁打を打った」という記述だけでも、その分野の基礎知識がある読者は「この投手はバッティングも上手なんだな」と想像出来る余地があるわけですから、わざわざ「バッティングの巧い投手である」と書く必然性もまたなくなってしまい、記述の除去に拍車をかけてしまう主張であると思います。これでは本末転倒です。
私の意見をまとめますと
  1. 評価部分はさしあたって出典をつけ、誰、もしくはどのメディアの評価なのか明らかにする。記述者の評価であるような文章は3で述べる方法で書き換える。
  2. その際の出典は、信頼のできる情報源であることが望ましいが、学術的に確立されておらず、現役選手の場合評価が固まっていないことも考えられるため、さしあたっての出典ならば、スポーツ新聞などでも、ないよりはある方が望ましい。
  3. 出典がつけにくい記述や、執筆者の評価であるような表現は、そのシーズンの全体記録など、数字から容易に推し量れるような脚注を併記する。また出典をつけることに対しても努力する。
ということになるかと思います。記事の成長と記事対象に関する情報や知識を得る一助という観点で考えていただき、出典のない部分は除去という方向性ではなく、この分野に積極的に関わっている編集者の方々には、まずは出典をつけていく、書き換えを励行していく方向でお考えいただければと思います。--海獺 2010年4月27日 (火) 05:50 (UTC)[返信]
誰とは言いませんが、イエスかノーかで答えられる質問に本題からとは関係のない私の人間性に関する主張を長々と述べて議論の本題をはぐらかす行為にここで答える義理はありませんので、そこは会話ページで答えてあげますのでそちらにお願いします。
海獺さん、ありがとうございます。問題のある記述を行うユーザーの持論を要約すると「新聞や専門家が偉いと言った選手はすなわち偉大なのだ」というのが彼らの主張です。つまり、「偉い人が白いものを黒と言ったらそれは黒なのだ」「やくさんや内館さんがそう言っていたので朝青龍は横綱としての品格がない」という事です。この部分を方針「選手の能力に対する評価を書く際は、その評価が誰によるものであるかも明確に記述する。」はこれを否定しています。「肩が強いと評価されている」という論評を「肩が強い」という事実にすり替えてはならないとしています。海獺さんがこのような行為を推奨しているとは私も思っていませんが、「スポーツ新聞などでも、ないよりある方が望ましい」「執筆者の評価であるような表現」という言い方は誤解を与える恐れがあるし、ユーザー間で解釈の相違が発生しやすいものと思われます。「ゴッホの『ひまわり』は名作である」と「ルーブル美術館館長ほげほげはゴッホの『ひまわり』を名作であると評している」では意味が違いますし、ノーベル賞は受賞者の功績の社会貢献度を閲覧者が推し量るための資料にはなり得るが、偉人を定義する尺度ではない事は私と海獺さんの中で見解の相違はないものと思われますし、あくまでもスポーツ新聞は「あの選手はチャンスに強い」という事実に対する出典ではなく、「スポーツ新聞には『あの選手はチャンスに強い』と書いてあったよ」という評価が存在するという事実に対する出典だという事も私と海獺さんの間でずれはないものと思っています。
成績を根拠に選手の「勝負強さ」「判断力」といった能力を定義するのではなく、「3割以上の打率を毎年コンスタントに叩ける打者」とさえ書いていれば「巧打者」「アベレージヒッター」と書かずともその選手が巧打者か否かはユーザーによって容易に推し量れる、この点でも解釈にはずれはなさそうですね。正直なところ、出典を求めるよりも単に数字をありのままに記述した内容に書き換える方が話が早い訳です(数字や結果から勝手に結論づける行為は方針「それらの評価やエピソードから選手の能力をユーザーによって結論付けない。」上アウトですが)。そこをいつまで経っても理解しようとせずに「打率3割が凄いのはみんな知ってるし当たり前だろ」なんて論調を馬鹿のひとつ覚えで繰り返す輩がいる訳で。「じゃあ打率3割がすごくて.299が凄くないという基準をNPBや野球規則が何処に書いてあるのか出典を出しないよ」というのが方針「原則としてユーザーによって選手の能力の高低・優劣を定義しない。選手が所属する競技機関や競技規約が能力の基準を設けている場合はそれに準じ、どの基準における定義であるかを明確に記述する。」です。問題のある記述が改善されればそれでいい訳ですから、そこらの記述を書き換える方向で進めていいのなら私はやりますよ、そっちの方が話が早いし。では、提案から1週間を目途にこの後出てくる意見も考慮した上でその方向性で編集を再開したいと思います。--Kridro 2010年4月28日 (水) 12:33 (UTC)[返信]
一点だけ明確に記しておきます。この議論の場で今後も、今回のような「誰とは言いませんが」、「問題のある記述を行うユーザーの持論を要約すると」、「なんて論調を馬鹿のひとつ覚えで繰り返す輩がいる訳で」などの発言が改まらないのであれば、あなたにこの議論及びこの議論に関連する編集一切からの退場をお願いしたいです。他の利用者も同様です。意見の確認やすり合わせ作業の中に、当てこすりや皮肉や攻撃を盛り込む方がいるのでしたら、私は同じようにお願いするでしょう。
上記のあなたの見解の中で、私の意見を受けてご自身が改めた方が良いと思う部分がありましたら、必要に応じて書き換えるなどの対応をお願いします(表面的な対応でしたら必要ありません)。
Kridroさんのご意見についての私の感想は、現時点では表明しません。--海獺 2010年4月28日 (水) 14:10 (UTC)[返信]
(追記)「提案から1週間を目途に」の部分について、追記しておきます。提案から1週間という期限は何の根拠もありません。合意まで編集は再開しないで下さい。--海獺 2010年4月28日 (水) 16:04 (UTC)[返信]
「打率3割が凄いのはみんな知ってるし当たり前だろ?.299は凄くないよ」なんて具体的に誰が言っているのでしょうか。私は存じ上げませんが。2桁と9勝の違いでも同じことでしょうけど。論点がずれていますね。それはさておき、解決の糸口も見出せていないのに、1週間などと勝手に期限を決めるのはやめてください。もし出典タグを貼り付ける作業の再開を強行された場合は何らかの対策を講じさせていただく可能性があります(私がやらなくても誰かが問題視するでしょう)。
いずれにしても、私の考えは既に上で書いたことですし、海獺さんのアドバイスもありますから、Kridroさんの見解に対する反論は他の方の意見が投下されるまでは待つことにします。Kridroさんも変に急かすような行為は慎みましょう。重ねてお願いしますが、ここで明確に合意がなされるまでは、1ヶ月経とうが標準名前空間ではこの件と関連した編集行為を行わないようお願いしますね。その為の確認作業でしょうし、結論を見出せないままご自分が正しいのだと強行するのであれば、この場で提案した意味がありません。--Bbcs 2010年4月28日 (水) 14:35 (UTC)[返信]
>ブロックの判断が出るまでは一度、筆を休めて頂きたく存じます。
>私は海獺さんや他のユーザーと合意形成されたルールの運用方針について確認を取っているところなのです。
悪いんだが意味が分からん。つか海獺さんも勝手に1週間なんて期限を決めるなと言ってるでしょうに。「俺が納得しないから」もなにも、ルールの解釈について議論しようよと言ってる筈なのに、どうして自分が正しいんだという前提で話を進めているのか。Kridroさんのご意見についての私の感想は、現時点では表明しませんというが読めないんでしょうかね。別に現時点では様子見なんであって、あなたの解釈に賛同してるわけじゃないんだから。ただでさえ2人しか意見表明がされていないのに、なんでそう急性にことを進めて「オレが正しい」という風にもっていきたがるのかね。結局これじゃあ、あなたがこの提案をだしたのも、自分が正しいという前提に基づいた確認作業なだけであって、反対する立場のものに対して「貴方の意見なんて聞いてない」と無視するんじゃ、何の意味もないってことでしょうが。後ね、私がブロック依頼その他でなにをしようが、このノートページでの立ち位置になんら影響なんてないんだからそこんとこ勘違いしないように。私はたかが1ユーザーではあるが、あなたもその他の方々もそれは同じことです。人が依頼のノートページで迷走していることにつけこんで、そういう行動に出るとか、魂胆が見え透いてるんですよ。方針の運用の妨害とやらと、ノートページでの言動を結びつけるなんて無理があるって分からんのですかね。--Bbcs 2010年4月28日 (水) 17:20 (UTC)[返信]
あのね、貴方の意見に従う事を協調性とも共同作業とも呼ばないのです。私は海獺さんや他のユーザーと合意形成されたルールの運用方針について確認を取っているところなのです。「俺が納得しないからこのルールは無効だ」などという論調はただの駄々捏ねです。ブロック依頼での投稿内容の改竄など他の問題も含めて貴方の議論での主張は問題の改善に向けた建設的なものではなく議論の混乱および方針の運用の妨害そのものが目的であると判断し、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Bbcsを提出させていただきました。貴方のこれ以上の発言はさらなる議論の混乱を招きますので、ブロックの判断が出るまでは一度、筆を休めて頂きたく存じます。
海獺さん、失礼しました。本題に戻りますが、方針の在り方そのものや私の方針の解釈の仕方に対しては大きな異論はないという事ですね?あとは運用のベクトルを出典のないものを除去する方向から出典のないものに出典を加えていく方向へ進めていくべきであると仰っているという事で。そこの確認が取れれば私の方は特に貴方の意見に異論はありません。--Kridro 2010年4月28日 (水) 17:05 (UTC)[返信]
それは同様に、あなたの意見に従う事を協調性とも共同作業とも呼ばないのですが。あなたはようするに、私が他のページで海獺さんとやりあって迷走しているのをこれ幸いと利用して、排除をもくろんでいると、そういうことですね。あなたね、大きな勘違いを犯している。幾ら私が海獺さんと他のページで剣呑なムードになったからといって、海獺さんはあなたの協賛者でもなければ味方でもありませんよ(勿論私の味方でもない)。というか、話が通じないと思っている相手となんて、普通あそこまで会話を続けようとしようとしませんから。大体、私は「俺が納得しないからこのルールは無効だ」なんて一言もいっていない。ルールにはむしろ賛成な位でしょうに(今後手を加える必要性までは否定しないが)。あくまでルールの解釈はどれが正しいか、加えてその運用方針について語る場である筈なのに、どうしてそうやって人が言ってもいないことをでっちあげ、あたかもすでに2人の間で合意がとれたかのように語るのか、全く分かりません。--Bbcs 2010年4月28日 (水) 17:36 (UTC)[返信]



もっぱらフィクション分野(か、たまに歴史)で、野球についてはそんなに興味も無いし詳しくも無いですが、コメント。
まず私は自明な記述には出典はいらないと考えてます。ただ、何を自明とするかは(たとえ同じ事象を指していても)分野ごとに変わるし、その分野で何が自明かを決めるのはやっぱりそれについて知識が無いとダメなので、ここでは具体的言及を避けます。ただ、こういう辺りを論点にすると「一般常識」「当然の認識」という証明の難しい物を振りかざして多数派が少数派に同調圧力をかけることはザラなので、この点には気をつけて欲しいなと思います。
Kridro氏の投稿記録を見るとプレースタイル節についての編集が多いように見えます。で、実際にプレースタイル節を見ると確かに出典が無く、素人の人物評っぽく見えます。英語版の方を見ると「プレースタイル」に相当する「Playing style」節は必ず出典付いている(英語が苦手だからそれが十分な物かはわからないけど)。節として個人の評価が介在しやすいと思うので、PJの方で「プレースタイル節を記述する際には出典を要する(あるいは具体的な事例を載せて信憑性を高める)」とか、「節に対する」ルールを決めた方が良いと考えます。
最後に「出典が無い記述がされた場合にどのような対策をすべきか」という点について述べたいと思いますが、これは第一に「要出典」を張ることは悪いことでは無いでしょう。問題は、「要出典」の目的は出典を出させることにあって、削除を予告することではないと思います。よって、削除までの期間については長い目で見る必要があり、それをどのように設定するかに議論の余地があると思います。今Kridro氏は1ヶ月としていますが、私は半年でも良いと思うし、あるいは要出典を付けるだけで除去しないという意見もあると思うので、その辺の設定は話し合いとすり合わせでお願いします。また、一定の期限を持って出典の除去をするなら、出典を付けた際にコメントアウトでそれを付けた日付も入れておくと、良いかもしれません。
あと蛇足ですが、私の経験則として「要出典」を張って嫌われる人と言うのは、「要出典」を張ることだけに終始して、自分では出典は補わない(あるいは出典に基づいた記事の作成、編集が無い)ってのがあると思います。別に自分で出典を補おうがどうしようが「要出典」を張る基準に違いは無いと思うんですが、心理的に許されないのでしょう(まず隗より始めよと)。ただまあ、自分でも出典を付けることを心がけていれば、ある記述について「これは出典を補える(補えない)」「これは完全に独自研究だから除去しても構わないな」という判断力が身に付いてくると思います。--EULE 2010年4月30日 (金) 03:29 (UTC)[返信]

コメント 横から失礼いたします。「自明な記述には出典はいらない」というEULEさんの意見には同意です・・・・というか、要請や必要に応じて出典を提示するくらいで良いんじゃないですか?記事下部が出典だらけになってしまうのもそれはそれでおかしいですよね。--フライング・タッチメン 2010年5月1日 (土) 05:49 (UTC)[返信]

節の記述の仕方の方針は既に本PJの「記述の注意」として合意形成されています。記事の修正の対象となるもの、あるいは要出典の対象になるもの、自明であるかないかを問われるものは、「wikipediaの基本方針およびPJの方針に記述が基づいているか否か」それだけです。もっとわかりやすく言えば、「人それぞれ」の尺度で片付くものは少なくともお二方が仰る「自明な記述」にはまずならないでしょう。「○○は足が速い」、五輪で金メダルを獲った選手は足は速いが予選大会でビリっけつだった選手は足が遅い、とはならないでしょう。それは人の尺度でしかない、あるいはIOCや陸上連盟が定義している「タイム何秒以上の選手は早くてそれ以下の選手は遅い」という公式な定義でしか決まらないでしょう。現状ではそれが合意によって決められたルールです。逆に前述の「自明な記述」として出典が必要のないものとして認められるものとしては、公式記録を参照すれば事実確認がとれる記述「打率○○を記録している」「○月○日に××をした」「前人未到の記録を達成した」ぐらいのものでしょう。ただ、それがすごいかすごくないかは公式な基準によって定義されるべきものであって、「特定の基準によって明確に定義されている事実」が自明な記述であり、「人それぞれの尺度によって1ミリでもぶれる基準による定義」は自明な記述ではありません。そのような記述は記事本文には必要ありません。「ただの意見であるならば、誰の意見かを明確に書き、誰々の意見であるという事実を明記せよ。ただし、そのような意見を根拠に「○○はすごい」とは書くな」というのが合意によって決められたルールです。逆に出典もなく、そういった記述が平然と羅列されている、そして、それにもかかわらずそのような記述が放置されている事は全く問題視せず、逆にそれを修正しようとすると「正論は何もないが消されるのは嫌だからお前のやり方は認めない。もしくは何となくお前は嫌いだから。」というのはおかしな話ですよね。ルールを作った時点で解釈の統一は果たしている訳ですから。--Kridro 2010年5月3日 (月) 23:23 (UTC)[返信]

>「正論は何もないが消されるのは嫌だからお前のやり方は認めない。もしくは何となくお前は嫌いだから。」というのはおかしな話ですよね。 このような発言をするとは何事でしょうか。特に新規に回答してくださったEULEさんやフライング・タッチメンさんにも失礼じゃないですか。これでは質問をしても相手にされないでしょう。「他人の発言を極端に都合よく解釈し、相手が思ってもいないことをさも言ったように誇張する悪癖がある」のがまさに当てはまります。--Ike179 2010年5月4日 (火) 01:16 (UTC)[返信]

Ike179さんが指摘されている発言はEULEさんやフライング・タッチメンさんを対象としたものではありません。誤解をさせてしまったなら失礼いたしました。お二方の指摘される「自明な記述」について追記させて頂くと、例えば私とて「イチローは野球選手である」という事に対していちいち出典を求めようとは思いません。「イチローは安打のMLB記録を更新した」事に対してもいちいち出典を求める事はしません。事実を裏付ける記録があり、検証可能であり「自明」だからです。ただ、「イチローは偉大な野球選手である」という記述に対しては出典を求めます。イチローの功績が偉大であるか否かは「人それぞれ」だからです。どの基準、尺度において偉大なものとして定義されているのか、MLBが偉大か否かの基準を作っているならばそれにおいて定義されていると明記すればよいし、OBがそう言ったならそう言ったと記述すればよい、それだけの事です。それはWikipedia:検証可能性においても査読に相当する機能は外部に求めよとしてルール化されています。--Kridro 2010年5月4日 (火) 02:02 (UTC)[返信]
EULEさんやフライング・タッチメンさんを対象にしたわけではないからそれが良いというわけではありません。誰が対して言ったかが問題なのではなく、そういう「誰か自分に対して悪意を晒している奴がいるんだ」という風なコメントを、いちいち織り込むこと自体が余計なのです。また、確認作業中なのですから、ご自分が正しいと確定するようなコメントはあまり関心いたしません。粛々と見解のみを書けばよろしいかと思います。--Abesato 2010年5月7日 (金) 07:57 (UTC)[返信]


(インシデント戻し)Kridroさんの人間性云々の話は面倒くさいのでここではとやかくは言いません。そこに論点がズレているからいつまでたっても議論が噛みあわないのです。簡潔に質問内容だけに答えさせていただきます。

  • つまり、日本のプロ野球選手の「足が速い」という表現に対して、日本プロ野球機構(NPB)ないし公認野球規則が「50メートル走のタイムが6秒フラット以下であれば足が速い」と定義しているのであれば、その選手は俊足な選手であるとして記述できる
  • あるいは、NPBや公認野球規則が俊足の定義を「シーズン盗塁数20盗塁以上」としているならば、wikipediaの上では20盗塁以上の選手は全員俊足である。ただし、この場合、「鈍足」の定義が成立していないのでシーズン2盗塁の選手を鈍足としては定義できない(ただし、「俊足ではない」とは定義できる)。
  • これは有り得ないとは思いますが、NPBが「最優秀防御率のタイトルを獲得した選手」を優れた投手と定義しているならば、3点台でタイトルを獲得した選手は優れた投手であるが、1点台でもタイトルを獲得できなかった投手は優れた投手ではない。

現在の方針に従うならば、上記の解釈で問題ないと思います。ただし、記録の有効期間を考慮する必要はあると思います。というのは、例えば5年前、10年前の記録を元に俊足だとか強肩だという定義を行うと、解釈にブレが出てくると思われます。金本知憲は広島時代にトリプルスリーを達成していますが、そこから10年以上経った現在でも走攻守揃った打者であるかというのはKridroさんの言う個人の解釈によって変わってくると思いますので。もとより、トリプルスリーが方針に従えばは打者の能力を定義する根拠にならないのですが。従って、必然的に海獺さんが提案されているような、選手が残した成績を明記し、そこからその選手の足が速いかどうかは各閲覧者で推し量ればよいと思います。

投手がある試合で本塁打を打ったからといって、それを根拠にバッティングの巧い投手である、と結論付けてはいけないという事で間違いないですね?

間違いないと思います。プレースタイルではありませんが、Kridroさんが修正された脇谷亮太のこの版[3]の編集が極例ですが、たったひとつのエピソードから選手の能力や貢献度を結論付ける、結果論的な記述を行わないための方針だと考えます。また、プロ入り後何本も本塁打を打っている投手であれば、「プロ通算10本の本塁打を記録している」と記述すれば、その投手の打者としての能力を推測する事は容易ですが、逆にたった1本の本塁打をわざわざ記述するようなサンプルが少ない例であればそういった記述自体をするべきでないと思います。

つまり、プレースタイル節の全文に出典が必要であるということでで間違いないですね?

例えば、貴方が人間である事にわざわざ出典は必要ないでしょうし、藤川球児が野球選手である事、阪神タイガースの選手である事にまでわざわざ出典は必要はないでしょう。ただ、Kridroさんが問題視されている能力に優劣をつける記述内容に関してはすべて出典を伴う必要があると思います。ややこしい表現が「~が特徴」「~が武器」といった記述で、言いかえればその選手のプレースタイルの中で特に際立っているという意味になります。このあたりの表現は「~を使用する」という表現であれば、様々な資料で検証が可能でしょうし、出典も必要なくなると思われます。

つまり、「~に定評がある」といった表現は誰からの評価であるかが不特定であるため成立しないという事で間違いないですね?定評があるならば特定の人物によって評価されている出典が存在するはずですから、それを出典として明示した上で監督なら監督、スポーツライターならスポーツライターというよに誰による評価であるかを明記しなければならない。

私はそういう意味だと思って合意に賛成したつもりです。「~こともある」「定評がある」といった表現は言葉を濁した記述内容に相当すると思われますので、具体的に誰がそう評価したのかを明記すべきであると思います。ただし、テレビやラジオの解説者の発言などは流れては消える情報でWikipedia:検証可能性における「事実確認の機能を欠く出典」、言い換えれば「嘘をつかれてもそれが嘘である事を見抜くのが困難な情報源」ですので活字メディア、できればweb上で閲覧できるものが望ましいと思います。

現在は個人的な事情であまり積極的に編集には参加していませんが、私が合意に賛成した時点から多少合意内容も改定されているようです。私個人としてプレースタイル節そのものの必要性を感じてはいませんが、ひとまず現行の方針に従った上で、海獺さんが提唱されているような、単に成績や功績を明示して閲覧者それぞれに選手の能力を推し量ってもらう方向へ修正していく事がいちばん誤解や衝突が少ないものと思われます。Kridroさんが極端であるのは確かだと思いますが、極端に方針の遵守を要求する事は問題視するが、方針に反した記述が平然と行われ、それが修正されずに半黙認されているという事実が軽視されている事には正直疑問を感じざるを得ません。Bbcsさんが行っているような、投稿ブロックによって一方の意見を強制的に排除しようというような強引な解決の仕方をすれば、方針の運用が行われずに現在の「書いたもん勝ち」の状況に歯止めがかからなくなると思います。ひとまず論点をKridroさんの確認事項内容への回答に絞るべきであると考えます。--POPPE 2010年5月4日 (火) 09:22 (UTC)[返信]

EULEさん、フライング・ダッチマンさん、POPPEさん、答えて頂きたい質問に簡潔に応えて頂きありがとうございました。ここまでの要点を纏た上で改めて再確認を行いますが、
  • 方針1「原則としてユーザーによって選手の能力の高低・優劣を定義しない。選手が所属する競技機関や競技規約が能力の基準を設けている場合はそれに準じ、どの基準における定義であるかを明確に記述する。」
方針にそぐわない表現がある場合…例:積極的・攻撃的な守備が持ち味で、プロ入り1年目から6年連続・通算7度ゴールデングラブ賞を受賞した外野守備の名手である。(高橋由伸
問題点:①守備の積極性・攻撃的/守備的の定義に関する出典が存在しない。②外野守備の名手に関する定義の出典が存在せず、ゴールデングラブ賞受賞との因果関係が成立しておらず、方針2に抵触している可能性がある。
  • 修正例1(方針に従っているが、非現実的な例)→(NPBが定義する)守備積極値においては基準値を上回る×××を記録しており、プロ入り1年目から6年連続・通算7度ゴールデングラブ賞を受賞しており、NPBから「守備の名手」として認定されている。
  • 修正例2(表現の言い換え)→野球評論家○○は「高橋は積極的・攻撃的な守備が持ち味である」と評価しており(○○スポーツ第×面コラムより)、プロ入り1年目から6年連続・通算7度ゴールデングラブ賞を受賞している。
  • 方針2「選手の能力を裏付ける評価やエピソードがあれば記述してもよい。ただし、それらの評価やエピソードから選手の能力をユーザーによって結論付けない。」
方針にそぐわない表現がある場合…例:投手にしては打撃も上手く、2006年シーズンまでに2本の本塁打を打っている。2006年8月19日には適時打2本を含む3安打を放ち勝利投手になるという試合もあった。(福原忍
問題点:①「投手にしては打撃が上手い」定義が不明確。方針1に従い、NPBが定義する投手の打撃能力の基準値を明記する必要がある。②「2本の本塁打~」「2006年8月19日には~」という文章からユーザーが独自に該当選手の打撃能力を結論付けており、方針2に抵触する可能性がある。
  • 修正例1→NPBが定義する投手打撃能力値において基準を上回る数値××を記録しており、2006年シーズンまでに2本の本塁打を打っている。2006年8月19日には適時打2本を含む3安打を放ち勝利投手になるという試合もあった。
  • 修正例2→打撃成績においては通算2本の本塁打を記録しており、2006年8月19日には適時打2本を含む3安打を放ち勝利投手になるという試合もあった。
  • 方針3「選手の能力に対する評価を書く際は、その評価が誰によるものであるかも明確に記述する。出典に用いる資料は、Wikipedia:信頼できる情報源を満たすものとし、これに合致しない出典があれば[出典無効]、出典のない記述には[要出典]を付し、一定期間(目安としておおむね1か月)を過ぎても改善されない場合は除去。」
方針にそぐわない表現がある場合…例:クイックの技術には定評がある。実は、野球をあまり知らないという妻が、ブログにおいてもそれを指摘できたほどであった(西村健太朗)。
問題点:①「定評」という表現はWikipedia:言葉を濁さないに抵触する疑いがある②野球の専門家ではない(しかも「野球をあまり知らない」とまで明記している)選手の妻による評価はWikipedia:信頼できる情報源には該当せず定評の根拠として乏しい可能性がある。
  • 修正例2→野球評論家○○は西村のクイック技術について××紙のコラムにおいて「高い」と評価している。
お三方や海獺さんのご意見を纏めればこういう方向性で修正(極力「修正2」の方向で)を行えば解釈の相違においては問題はないと思いますがいかがでしょうか。
あとは、要出典範囲の定義ですが、「自明な記述=それぐらい言わなくても分別のある大人なら誰でも分かるでしょう」というボーダーラインですが
○規定打席には到達しなかったものの、2009年には打率.299、本塁打9本という成績を記録している。(公式記録を参照すれば事実確認が可能な自明な記述)
○規定打席に到達し、2009年にはリーグ10位となる打率.299という成績を残している。
×規定打席に到達し、2009年にはリーグ10位となる打率.299という好成績を残している。(「好記録」の基準が出典として明記されていないため要出典)
×規定打席には到達しなかったものの、2009年には打率.299、本塁打9本という好記録を残している。

なお、ここでの「好記録」という表現ですが、方針に従えばたとえリーグ1位であろうと使用できないというのが私の解釈です。というより、リーグ1位とさえ書いていればそれが凄いか凄くないかは閲覧するユーザーの「人それぞれの」分別で分かる事でしょうから、そこで議論がこじれるぐらいなら使わない方がよいというのが私の意見です。--Kridro 2010年5月4日 (火) 12:46 (UTC)[返信]

今更ですが1つ言い忘れていたので付けたしです。私の言う「自明な記述」と言うのは、その内容自体は当然のことながら、出典自体についてもわざわざ言及する必要が無い、というのを含みます。例えばフィクションだったら、ストーリーに関して1次資料(作品自体)は自明な出典として、一々出典を付ける必要は無いでしょう(例外はあるが)。今回なら、公式記録とかそういうのが当てはまると思います。まあ、既に言及されていますが、述べておきます。--EULE 2010年5月5日 (水) 05:58 (UTC)[返信]
方針1において出された例について。積極的・攻撃的というのは別に出典が必要でしょうが、ゴールデングラブ賞というのは、少なくとも守備力を評価した賞であり、正式に投票によってNPB組織より公式表彰に準じた特別賞として表彰されているのですから、守備力が評価されている根拠として申し分ないと思われます。もし賞の価値について異論があるのであれば、「だがこういう意見もある」「しかし実際は、守備率やレンジファクターでは他の選手よりも低い数値である」と、出典や比較数値を書くなり、別個GG賞の記事に問題点を記載すればよい話でしょう。この場合、逆にゴールデングラブ賞を受賞しているので守備が高く評価されているという記述に対する反論にこそ、明確な出典が必要であると思われます。
方針2において出された例について。投手の打撃能力の基準値や専門家のコメントがなくとも、海獺氏がおっしゃっているように、言い換えによって記述ができる点が存在します。そのシーズンの他の投手の成績や、歴代投手の成績と比較してどうであるなど、そういった具体的な記述がはっきりと補填してあれば、投手の中でどの数値では優秀な存在であるかどうかは推し量ることは可能です。ようするに、「こういう成績を残したから優秀である」ではなく「(平均値と比較して)こうこう数字を残したので(他より)優れている」と書き換えればよいのです。
方針3において出された例について。ちょっとこの例は極端ではないかとも思いますが、クイックの技術には定評があるという根拠を妻のコメントにするのは大いに問題です。これはプレースタイルではなく、エピソードの1つとして、妻がこういうことを書いていたとするのであれば、別個出典にはなるかもしれませんが…。また別の話なので置いておきます。また最後の自明な記述についてですが、「3割5分20本100打点なので好成績である」ではなく「3割5分で1位と、"打率では"卓越した成績を残した(何人中何位と書くのが更に望ましい)」という書き換えで残すことは可能であると思われます。
全体的な方向性としては、海獺氏の仰っていた出典がつけにくい記述や、執筆者の評価であるような表現は、そのシーズンの全体記録など、数字から容易に推し量れるような脚注を併記する。また出典をつけることに対しても努力する。このご意見に賛同いたします。出典もしくは書き換えをすることが重要なのだ、こういう考えを広く浸透させていくことなのではないでしょうか。包摂、削除の中庸が理想であると考えます。
誤解されるとされることはないかと思いますが一応付け加えておきますと、この場合の『書き換え』というのは、すなわち適正な文章に書き換えることによって、その過程の中でどうしても除去される部分も存在するということであり、出典がない以上は不適切に当たる文章を残せという意味ではけっしてありません。その点は、出典テンプレートを貼る側の人間も書き換える努力をし、「こういう風に残せるものは残せるように補填しましたが、その上でどうしても不要であると思われる記述はテンプレートを貼ったので後日削りますよ。異論がある方はどうぞ」と、各ノートページで確認するのがよろしいかと思います。運用にあたっては、プレースタイル欄に一気にテンプレート貼り、従わない場合に投稿ブロックをちらつかせるような警告文は不要でしょう。その点は十分に考慮していただければ、穏便にことが運ぶのではないでしょうか。各自面倒がらずに、相手をはねつけるのではなく異論があった場合は各ノートページごとに、どのような書き換え(除去)が妥当であるかどうか、お互いの基準をすり合わせるこれが重要であり、方針の元、共同作業をするにあたっての命題であります。これは特定の方に向けてではなく、編集に携わるみなさんによく考えてほしいと思います。--Abesato 2010年5月7日 (金) 07:57 (UTC)[返信]
(追記)自分で書いておいて思ったのですが、GG賞のような表彰や順位が出るような記録についてなど細部までこうであるべきだという議論については、個々のプロジェクトで合意を得たほうがいいのではないという気がしました。大まかな方針を決める場で、日本プロ野球についての例のみをもって進めていくスタイルに私以外に違和感を覚えた人もいるんじゃないかと思うのですが。他のスポーツに明るい方が今の流れに参加するのは難しいと思います。逆に、現状の「選手の身体や技術の能力について 」の方針の中で、サッカーの一例のみを取り上げているのも理解を得るのを難しくしている気がします。野球は野球、サッカーはサッカーの各プロジェクトで、この人物伝に沿った形で編集方針について合意が得られ、何か問題が起きた時に「ここを読んでください」と言える状況を作っておけば、拗れる可能性を少しでも減らせるのではないでしょうか。--Abesato 2010年5月7日 (金) 08:12 (UTC)[返信]
GG賞ですが、一次資料となり得るゴールデングラブ賞公式サイトの説明においては「守備に関して記者投票で選手を選ぶ賞である」事しか立証できません。公式競技機関に該当するセ・リーグ公式サイトでは「守備によってチームに貢献し、プロの技術を発揮した選手を選出する賞」とされています。つまり、ここから分かる事は「守備によってチームに貢献し、プロの技術を発揮した選手を記者投票によって選出する賞」であるという事です。ゴールデングラブ賞を守備力の基準の根拠とするならば、この「守備によってチームに貢献し、プロの技術を発揮した選手」という表現が「守備力に優れている選手」とイコールである事を証明する公式資料が出典として必要になります。あと、当然、体裁上GG賞はそのシーズンのプレーのみを選考対象として表彰する制度ですので、恒久的にそれ以降の選手の能力を保証するものではない事も付け加えておきます。例えば、仮に「ゴールデングラブ賞受賞=守備力に優れている選手」という図式を肯定したとします。つまり、「その年のゴールデングラブ賞を受賞した選手=(該当シーズンにおいて)守備力に優れている選手となりますが、同時に「受賞していない選手=(該当シーズンにおいて)守備力に優れている選手ではない」という図式も成立します(ただし、「守備力に優れていない選手」とは定義されない)。これに従えば2008年に受賞した鈴木尚広は2008年シーズンにおいて守備力に優れた選手ではありますが、2009年は受賞していないので2009年においては守備力に優れた選手「ではない」事になります。つまり、あたかも現在も守備力に優れた選手であるかのような表現はGG賞を根拠には出来ない事になります。その実、沢村賞に至っては何を定義する制度であるのかすら明確にしていません。「選考基準を満たした投手の中から選考委員が一人を選んで祝うたいへん名誉のある賞である」という事、それを受賞した投手は「(その年に)なんだかすごい賞を受賞する程の実力を発揮した投手である」事しか証明できません。GG賞は基準としてイエスかノーかは(個々の記述にぶつかった際に議論して)ここで議論を広げるつもりはありませんが、表彰制度を能力の基準とするという事はこういう事であるという事には留意してください。

「出典もしくは書き換えをすることが重要なのだ、こういう考えを広く浸透させていくことなのではないでしょうか。」この考えには同意します。ただし、「卓越した」「優れている」だのといった表現は方針1が定義する基準に準じない限りは使用せずに、「何人中何位である」という表現に留めればその選手の実力を推し量る事は十分に可能でしょう。「卓越」か「卓越でない」かの尺度が人それぞれだからです。相対的に優れているのと絶対的に優れているのでは意味が違いますから。あと、過去との比較は時代考証も考慮する必要があるでしょう。どの競技も時代と共にシステムや競技レベルが変化している訳ですから。

あと、方針の合意形成過程において野球とサッカーのPJには告知された上で合意形成されて方針の改定が行われたのが現在の方針だという事をお忘れなく。--Kridro 2010年5月10日 (月) 17:16 (UTC)[返信]

ページ肥大化のため、サブページに移動しました。引き続き議論を継続してください。--Me2hero 2010年5月23日 (日) 04:37 (UTC)[返信]
なお、本件について、このプロジェクトでは大まかな方針だけを決め、執筆する際の考え方を示すにとどめ、競技ごとの詳細な基準の取り決めや、実際の運用については競技別の各プロジェクトにお任せして、ケースバイケースで判断してもらったほうがよいと思います。--Me2hero 2010年5月23日 (日) 05:05 (UTC)[返信]

利用者間のことに関する提案

[編集]

上記議論での迷走が続いていますので、シンプルに1点ごとに合意をとっていこうと思います。同意していただけるか、同意できないかだけのお返事をいただければ幸いです。

  1. (対象者は、Kridroさんと、Bbcsさん)お互いがお互いに提出しているブロック依頼を取下げませんか?

--海獺 2010年4月28日 (水) 17:01 (UTC)[返信]

それで議論が早期に解決できるのであればひとまず私の方は取り下げます。海獺さん、ご迷惑をおかけしました。--Kridro 2010年4月28日 (水) 17:14 (UTC)[返信]
魅力的な提案ではありますが、自分に不利に働く(それを理由として働かせようとする)可能性があるのを承知で、依頼ページでも申し上げたとおり保留とさせてください。それでこの議論が早期に解決出来るとも思えませんし、早期に解決する必要性もないと思います。理由は私から海獺さんに直接申し上げます。--Bbcs 2010年4月28日 (水) 17:52 (UTC)[返信]
いえ。取り下げていただけないというお返事だけで十分です。早期解決を目論んでの提案でもないので、お答えのみで結構です。理由は必要ありません。
私は双方の合意がいただけたら、次に、GW明け(少なくとも5/6以降)まで、Kridroさんと、Bbcsさん、私の三人はこの議論関連の編集を行わず、静観しませんかという提案を出すつもりでしたが、それが叶わないため、少なくとも私はその期日まではこの議論関連の編集を行わないこととします。それ以降も携わるかどうかはわかりません。ありがとうございました。--海獺 2010年4月28日 (水) 17:57 (UTC)[返信]
別にブレイクに入るだけなら賛成するのも吝かではないんですが(実際、私とKridroさん両名が、この件から今後一切手を引いて、意思表明や関連記事の作業も行わないって手打もないわけじゃないんだが)。普通、1週間程度で停滞気味の依頼が閉じてしまうなんてこともまずないでしょうし。上の提案を呑むという条件を満たさないと、そっちの提案を出すのにこぎつけないってことなんでしょうか?まぁ私が同じように勝手に休んでもいいんですが…その間に一方的に合意判断が下ったり標準空間の編集が行われない限りは、元から手出しする理由もありませんし。--Bbcs 2010年4月28日 (水) 19:52 (UTC)[返信]