Wikipedia‐ノート:「要出典」をクリックされた方へ
ここはページ「「要出典」をクリックされた方へ」の改善を目的とした議論用ノートページです。 |
このノートはWikipedia:「要出典」をクリックされた方へのページそのものについて議論する場です。「要出典」が貼られた個々のページに関しては、それぞれのノートページをご利用ください。
要出典添付のルールに関する論議
[編集]要出典を添付する際の明確なルールが存在していない、もしくは定義が非常にあいまいなように思います。
そこで、要出典を添付する際の明確なルールを決めたいと思うのですがどうでしょうか?
--Yamagashi 2007年9月25日 (火) 03:18 (UTC)
ルールの例としては、まず添付の理由
1.統計学に基づく(と思われる)数字が掲載されている場合。
2.公人もしくは著名人の意見などにおいて出典元がブログや著作である場合。
3.科学的根拠を元に意見を述べている場合。
免除の理由
1.出典元がラジオやテレビなど、証明しづらいが周知の事実として広く一般に認められている場合。
2.都市伝説
3.大人の事情
というルールを設定し、「上記のような記事において出典元が不明である場合には「要出典」が張られるのですよ。」という説を追加するべき・・・というのが私の意見です。
--Yamagashi 2007年9月25日 (火) 03:42 (UTC)
出典に関する件
[編集]出典に関しては、横田哲治氏の著書である「天皇の牧場を守れ-トリインフルエンザの攻防-」(日経BP社)の巻頭のエピソードと言葉をご覧下さい。
>2001年に北朝鮮を訪問した際『自分を世界のプロボクシング界の王者に育ててくれた敬愛する金正日将軍に、勝利と忠誠の報告をするために祖国を訪問した。祖国は自分の人生のすべてであり、祖国を愛する自分の拳は、敬愛する金正日将軍が鉄拳にまで育ててくれた祖国の拳である』などの発言をした
これが要出典とされたのですが・・・。これは確かスポニチの記事が出典ですが。古い記事でネット上から削除されています。そういう場合にはどういう風に引用すればいいのでしょうか?在日コリアンがらみの記事ですので、妨害も多いのでわかりやすく。確実な方法をご教示ください。--125.195.65.88 2006年11月25日 (土) 12:25 (UTC)
- 図書館などでスポニチの日付、版(13版などと、新聞の欄外に書いてあります。また、地域も各必要があるかもしれません)、ページ(面)を確認し、それを明示すればいいのではないでしょうか。--っ 2006年11月25日 (土) 14:55 (UTC)
- 出典元の最後に<ref></ref>で囲むのはどうでしょうか。そして参考文献の節に<references/>--2006年12月5日 (火) 09:51 (UTC)
要出典に関する議論
[編集]「あなたをうそつき呼ばわりしているのではありません」という記述は 逆に投稿者の神経を逆なでするだけのような気がしますが。 「出典を示していただければ、より信頼性が増し、多くの人がその情報を共有することができるようになります」 「ウィキペディアは、常に正確な事実が記述されることを期待しています」 などというようにワンクッションおいた文面はどうでしょうか。--220.210.183.54 2006年11月28日 (火) 17:14 (UTC)
無駄な装飾文字もどうかと思う。--Luilz 2006年11月30日 (木) 04:26 (UTC)
(どちらでも良いと言えば良いのですが)IPアドレスさんの意見に賛成ですMikan 324 2006年12月3日 (日) 15:00 (UTC)
- みなさんがその方がワンクッションおいた文面になると思われるなら私はどちらでも。私がこの文書を作ったのは、それこそワンクッション置くためですから。ただ、1週間くらいは様子を見ましょう。--っ 2006年12月3日 (日) 23:44 (UTC)
出典の明記→検証→記述であるために、検証に必要な出典の明記が無いものは削除できます。これに反する要出典は検証可能性を軽視するもので不要不当です。61.214.15.15 2006年12月6日 (水) 02:42 (UTC)
いきなり除去したためにキレるユーザーを幾度となく見てきたので必要だと思います。--Luilz 2006年12月6日 (水) 03:45 (UTC)
Wikipedia:検証可能性には以下のようにダブルスタンダードなルールがありますが、ルールを守らずキレるというユーザーのためにあるのではありません。要出典を貼るだけで記述を残してもよいというわけではありません。「削除する」「削除した上でノートに移す」が正しいのですが誤って使用している人が多いです。 >この方針の要旨: ウィキペディアに掲載される情報は信頼できるものでなければいけません。あらかじめ信頼できる情報源から公表、出版されている事実、視点、理論及び議論だけを収録してください。記事は可能なかぎり情報源を明記すべきです。情報源が明らかでない題材は、異議を述べて取り除くことができます。
>出典を示す責任は掲載を希望する側に
>信頼できる情報源を欠く編集は、除去されるのもやむを得ません。しかし、もしも出典を示す機会を与えずに記述を除去すると、異議を唱える人がいるかもしれません。 情報源を欠く記述について情報源の明示を求める場合、その記述をノートに移動するとよいでしょう。または [要出典]、
テンプレート、
この記事の内容の信頼性について検証が求められています。 |
、
などのテンプレートを張ることもできます。
存命中の人物に関する記事あるいは情報の場合、情報源が明示されていない情報は直ちに除去して下さい。存命人物の伝記 (en:Wikipedia:Biographies of living persons) も参照して下さい。情報を除去するときは、礼儀正しく行うよう注意して下さい。
>出典を明らかにするには、記事を執筆された方の協力が必要です。ぜひご協力ください。
協力するかどうかの選択の自由はありません。義務です。
Wikipedia:検証可能性 >出典を示す責任は掲載を希望する側に
これらは公式な方針であるため、これに反することは認められません。61.214.15.15 2006年12月9日 (土) 03:09 (UTC)
- ええ、61.214.15.15氏と同意見です。つまり需要があるから必要と言う事を言いたかった。--Luilz 2006年12月9日 (土) 17:22 (UTC)
「あなたをうそつき呼ばわりしているのではありません」とか色々とアレなので、220.210.183.54さんの通り直してみました。--220.211.154.206 2006年12月12日 (火) 08:44 (UTC)
「歴史書である三国史記・三国遺事・高麗史・高麗史堤綱・高麗史節要・朝鮮王朝実録の原文には、シルムに関する記載が無い[要出典]。」・・・というところから飛んできましたが、疑問を呈します。この場合「三国史記・三国遺事・高麗史・高麗史堤綱・高麗史節要・朝鮮王朝実録の原文」が出典じゃないんですか?又聞きにせよ無いって言っているんだから、文句があるなら原文を調べて1ヶ所でも記載を見つければ勝ちでしょう?無いことの証明をどうしろっていうんでしょうか?この『原文を見たかもしれない人』によるの記述に疑いを持つならば、やはり原文を元にして書かれたらしい「三国史記・三国遺事・高麗史・高麗史堤綱・高麗史節要・朝鮮王朝実録の研究」という書物(仮定)を出典として出したとしても納得できるんだろうか?60.36.27.204 2009年4月28日 (火) 22:37 (UTC)
- 韓国起源説から来られたのでしょうか? それに関する質問や議論はここではなくノート:韓国起源説で行った方が適切かと思います。--蒲生直義 2009年4月29日 (水) 11:04 (UTC)
修正に関する投票
[編集]現在の書き方があまりに百科事典らしくない点、装飾文字等を無駄に多用している点を修正したのですが、結論が出てないとダメだという人がいるので修正すべきか投票お願いします。
一応現在のものを記載しておきます。
このページは、[要出典] をクリックした方へのご案内の文書です。
この [要出典] は、ウィキペディアの編集者の内の誰かが、記事のその部分について、出典が必要だと感じた、ということを示しています。
もし、あなたが、その部分について、信頼性のある文書をご存じでしたら、それを出典を明記するに示された方法で、そのページに加えてください。もし、時間がなければ、出典をその記事のノートページなどにメモしてくださるだけで、他の編集者の助けになります。
もし、あなたが、その部分を執筆されたのでしたら、ひょっとしたら腹立たしく思われたかもしれません。しかし、
[要出典] はあなたを嘘つき呼ばわりしているのではありません。
ウィキペディアは、その記事の出典を明らかにすることで、その記事を検証することができるようにすることが必要だと考えています。出典を明らかにするには、記事を執筆された方の協力が必要です。ぜひご協力ください。
- ただし、著作権やGFDL上問題となるような、出典元からの転載や引用は避けてください。--220.211.154.206 2006年12月12日 (火) 08:55 (UTC)
修正後。
このページは、[要出典] をクリックした方へのご案内の文書です。
この要出典は、ウィキペディアの編集者の内の誰かが、記事のその部分について出典が必要だと感じた、ということを示しています。
もし、あなたがその部分について、信頼性のある文書をご存じでしたら、それを出典を明記するに示された方法で、そのページに加えてください。もし、時間がなければ、出典をその記事のノートページにメモしてくださるだけで、編集者と読者の助けになります。
ウィキペディアは出典を明らかにすることで、信憑性を確保すると共に、読者が検証可能にする事が必要だと考えています。出典のない記載は本来除去されるべきですが、ひとまずこの要出典を貼り、応答がないようであれば除去するといった方法も良いでしょう。
出典を明らかにするには、記事を執筆された方の協力が必要です。ご協力ください。
但し、著作権やGFDL上問題となるような、出典元からの転載や引用は避けてください。条件を満たした引用であればそれは歓迎されるでしょう。--220.211.154.206 2006年12月12日 (火) 09:08 (UTC)
- ここに書いてあった文書を削除し撤回します。投票でも何でもないじゃないですか。--Gonorego 2006年12月12日 (火) 10:40 (UTC)
- 意味不明。一度修正してリバートされたので結論付けようというだけですが。ノートページも記事も編集してない方のようですが何を撤回するのでしょう。--220.211.154.206 2006年12月12日 (火) 16:03 (UTC)
- 本文側の履歴を見ずにこのノートの内容だけを見て追加提案したのですが、提案→投票→反映という手順を踏まず、最初にいきなり編集していたことを本文の履歴から確認したためです。そのような行為には協力できませんので撤回します。--Gonorego 2006年12月12日 (火) 16:21 (UTC)
- 上記で異論がないため提案なしで修正して良いかと思っただけですが。何をそんなに拘ってるのでしょう(提案などしなくても修正するユーザーはいくらでもいますが)--220.211.154.206 2006年12月13日 (水) 12:04 (UTC)
ざっくり編集しました。内容の本質は失われていないと考えます。横から勝手にやってしまってすいません(>220.211.154.206氏へ)。--co.kyoto 2006年12月18日 (月) 17:54 (UTC)
- よくなりましたね。ありがとうございます。--っ 2006年12月19日 (火) 00:14 (UTC)
- ただし、著作権やGFDL上問題となるような転載や引用は避けてください。は編集画面の下にも太字で強調されてるのでわざわざ強調する必要は無いと思います。--Wrath 2006年12月20日 (水) 23:47 (UTC)
- 流れ的に編集する前にこの文章見るわけで、あっても困らないかなと。また、こと問題になりやすいところだけに冗長性を持たせておく意図もあります。--co.kyoto 2006年12月23日 (土) 02:53 (UTC)
- これらは出典を明記するタグでして、出典を明記するにあたり著作権違反となりうるケースは極少数であると思います。編集画面の下に堂々と記されているものを関係のない記事に貼る必要はありません。
- 更に基本方針で「出典を明記すべき」と何度も記されているため、要出典を貼り付けた側よりも出典を記さない側に問題がある。それなのに要出典を貼られた程度で腹立たしく思う人間がいるのでしょうか。本来除去されるべきなのに?腹立たしいのはどちらかというと読者や他の編集者側ではないかと思われます。よって「腹立たしく」云々は不要ではないでしょうか。--Wrath 2006年12月28日 (木) 08:56 (UTC)
- 腹立たしく思われる方がもういないのでしたら、それに越したことはありません。しかし、このページができた頃は、結構いらっしゃったのです。--っ 2006年12月28日 (木) 21:29 (UTC)
- 理由になってません。おまけに過去のノートを見てもそのようなユーザーは一人も見当たりません。800万もの利用者がいるWikipediaでそのような「基本方針を無視しつつそれを指摘されると腹立つような方々」に一々配慮する必要は無いですね。--Wrath 2007年1月2日 (火) 05:15 (UTC)
ぶっちゃけ「そういう方々」がキレたときに相手をしなければならないのは他のユーザでして、そういう事態は面倒だからなるべく起こしたくないし、起こらないに越したことはないんです。出典のことについても、関連文書をよく読まない人がノートあたりに「~というホームページにほげほげ(←丸写しの文章)と書いてありました」とかコピペしたら、最悪そのノートを著作権侵害で特定版削除しないといけないわけです。そういうわけで、問題が起こっては面倒なので、万が一にも問題が起こらないように強調記述してあるのだと思いますし、その記述があって不都合なことはないとも思うのですが。--co.kyoto 2007年1月8日 (月) 12:11 (UTC)
- まともなユーザーであればWikipedia:出典を明記するに従って明記すると思いますが。基本方針を無視する方々だの著作権法も知らない方々だの明らかにWikipediaを編集するのに好ましくない人々に一々配慮してたらキリがないと思うんですよね。--Wrath 2007年1月11日 (木) 17:18 (UTC)
- 上の発言は「Wikipediaを編集するのに好ましくない人々が起こした問題に対処しないといけないユーザを作らないための配慮」要するに「一般ユーザへの配慮」ではないかという意味です。Wikipediaを編集するのに好ましくない人々が問題を起こすのを手をこまねいて待つよりは、事前防衛しておいたほうが幾分建設的ではないか、という。キリがないとはいっても、だからといって今ある文を削除する必要性もないのではないでしょうか。Wrathさんがなににひっかかっているのかよくわからないのですが、「どのような理由であれ、Wikipediaを編集するのに好ましくない人々へ配慮した(ように見える=前述のように、真意は別にあると私は思っていますが)文章があるのはおかしい」ということでしょうか? 私は実害ないんだし別にいいと思うんですけども。--co.kyoto 2007年1月11日 (木) 17:51 (UTC)
んな事言ってたら全てのガイドラインに著作権侵害の警告を入れなきゃならないだろって事を言いたいんじゃないですか?要出典と著作権侵害は直接関係ないですしね。--Luilz 2007年2月22日 (木) 22:10 (UTC)
- まぁそれもあるんですけど[要出典]のタグがおかしいのもどうにかならないんでしょうか?貼り付ける際に面倒です。あと出典の追加の仕方も記しておいた方がいいんじゃないかと。(<ref></ref>とか)--220.211.93.64 2007年3月27日 (火) 11:26 (UTC)
- 上で話題になっている明記方法を加えました。「あなたをうそつき呼ばわりしているのではありません」の除去ついては賛成多数のようですので削除致しました。--220.211.126.198 2007年4月1日 (日) 09:04 (UTC)
--220.52.99.167 2008年4月4日 (金) 23:51 (UTC)山田
装飾文字の使用についてはおかしいと思っていました。 Wikipediaにあることを知ってからずっと。 Kami0120(会話) 2018年8月16日 (木) 09:09 (UTC)
「要出典」が安直に使われているのでは?
[編集]個人的な疑問なので無視されても構わないのですが、最近 [要出典]がやたら貼られている記事が多く見かけられる気がします。例えば、姫路城の「黒田重隆築城説」は城内展示にも書かれているもので、ネットでも書籍でも調べればいくらでも出てくるのでは? という疑問が逆に沸いてきました(ノートも参照のこと)。検証可能性の立証は書いた方にあるとは言え、第三者が検証してはならないというルールは存在しません。従って貼る方も少しは自分で確認して貼るくらいの余裕は持った方がいいのではないのでしょうか? [要出典]は、「検証可能性に問題がある記事」に貼るものであって、「検証してもいないが、怪しいと思える記事」に貼るものではないと思ったのですが。--水野白楓 2007年10月28日 (日) 02:48 (UTC)
- そう思いますが、このテンプレートの優先順位が明確にされていないことがそもそもの原因ではないかと思います。何をどう考えても質問テンプレートやノートの議論よりは下(依頼系>質問・ノート>このテンプレート)でしょう。それにこのテンプレートは貼った瞬間に「出典を必要とする記事」に括られてしまう比較的強力なものですし、本質的に当該部分と以降の版の編集者に悪魔の証明(嫌疑に対して無実であることを、嫌疑をかけられた側が証明しなければならない)を要求するテンプレートです。極論すれば「何時間以内に出典を明記しなければ、これからのオレ様の編集に同意したとみなす」という牽制に使われていると感じます。
- 検証可能性は公式方針ですが、そのことを錦の御旗にノートどころか他の依頼(査読・修正)も無視して、この低コストで強力なテンプレートを乱発するのはいかがなものかと思います。依頼系はたとえば勝手に除去したらブロックの対象となるなど運用が決まっていますが、このテンプレートも優先順位・除去の扱いなど運用について議論すべき時期に来ているのではないでしょうか。--Gonorego 2007年10月29日 (月) 20:56 (UTC)
- こんにちは。そのへんは検証可能性でも議論になっています。個人的には、場内展示であれ、ネットであれ書籍であれ、執筆者が何を参照して書いたかというのが分れば、それで検証可能性は満たされますので、貼られた側としては、それを書いて頂くようお願いしたいです。誰かがその記述に関連することを調べていて、ウィキペディアで情報源が示されていれば、その情報源を頼りに調べ物が進むかもしれません。場内展示を元に書いたのであれば、他の執筆者は別のより信頼できる情報源を当たらなければと思うかもしれません。そこに、より詳しいことや、最新の学説が書いてあれば、それを元に加筆され、ウィキペディアはさらに質が向上します。そういったことのためにも、情報源を示すことは必要なのです。検証可能性に問題がある、というのは、すなわち情報源が示されていないと言うことであって、「当該項目についての知識があっても容易に検証できない」とうことではないです。貼る側については、とりあえず出典がなければ何でも貼れるとはいえ、むやみに貼ることで、執筆者のやる気を削いでしまっては困りますから、ウィキケットを守り、情報源を示すことの重要さを説明する必要があるでしょう。--Ks aka 98 2007年10月29日 (月) 21:30 (UTC)
「要出典」が貼られたまま編集にロックがかけられてる項目を時折見かけます。あと言葉の誤用に対しても「要出典」を貼る人もいます(編集で修正すればいいだけのことです)。--以上の署名のないコメントは、59.171.108.142(会話/Whois)さんが 2008年2月3日 (日) 04:31 (UTC) に投稿したものです。
- 何でもかんでも「要出典」を付けまくる「要出典」厨が蔓延しているような気がします。特に世代が違う為に自分が知らないからとの理由や、知識不足の問題で安直に使われまくり、その出典元を参考に記述するにも今度は「無断引用」だのと付けてくるケースが多いです。--以上の署名のないコメントは、211.7.124.29(会話/Whois)さんが 2008年2月17日 (日) 07:51 (UTC) に投稿したものです。
- 編集にロックというのは、保護されているということだと思いますが、出典が十分付けられていない記事が保護されている場合、情報源が明らかではなく過度に信頼しないようにということを読者に示す必要がありますから、要出典テンプレが残る意味はあると思います。保護解除に向けて、ノートの議論人参加していただくのがよいと思います。
- 言葉の誤用は編集で対処して、テンプレを除去してください。
- その項目について知識がない読者のために、情報源を示してほしいです。
- 適法な引用は無断でできますが、そのためには出典を明示しなければいけません。無断転載はしないでください。単に出典を明らかにしただけで、著作権法上の問題がないものについては、著作物についての説明をしてあげてもらえると助かります。--Ks aka 98 2008年2月17日 (日) 08:18 (UTC)
- ただ要出典を貼り付けるだけではなく、編集履歴を見て編集した人のノートで聞く、自分で情報源を探すなどをしてほしいです。無断引用の前にその点が重要だと思います。--Iamweak 2008年3月21日 (金) 14:20 (UTC)
- 情報源がネット上に存在し、検索すれば検証できるような内容での要出典や、特定のページでの安易な要出典が確かに最近特にかなり目立つように思えます。あと一つ、流行やムーヴメント、物事や時代の雰囲気、特定の関係者の中での常識やかなり過去の物事など、かなり出典が難しい、が、実際にあった、知られている物事に対しての「要出典」がかなり多くなってきています。こちらも出典を示したくても示せないし、知っていても出典がわからない、で、とても検証が難しいです。そういう物に対しての要出典や安易な削除、除去は避けたほうがよろしいのではないでしょうか。--221.24.206.229 2008年4月13日 (日) 00:58 (UTC)
- 根本的に勘違いされているのではないでしょうか。「情報源がネット上に存在し、検索すれば検証できるような内容」なら出典を示せるはずですし、「出典を示したくても示せない」なら載せるべきではありません。{{要出典}} を貼るのはまったく問題がありません。ただ、{{要出典}} を貼るだけでなく出典を探して欲しいとは思いますが。 - TAKASUGI Shinji (会話) 2008年4月13日 (日) 02:38 (UTC)
- 内容がよく伝わっていなかったのですね。書き方が悪かったです。
情報源がネット上に存在し、検索すれば検証できるような内容の物に対しては、できる範囲で出典を明記していますが、最近は、{{要出典}}を貼るだけ貼って、ページ全体が要出典まみれになっていることが多くて、修正・出典を示せる範囲内以上の、{{要出典}} が貼られており、困っている。ということです。 「出典を示したくても示せない」というのも、、{{要出典}} になっている項目を見つけ、自分がその出典を知っていたために一度、出典を示して、提示したのですが、「一般の方にはわかりにくいので、問題の箇所を削除しろ」「本文自体を変えろ」などと言われ、それ以上の出典もできず、手も足もでなくなってしまったページや、ネットワーク以外のメディア(当時の映像、書籍など)から出典をしたが、「私には確認できなかった」「ネット上で検索しても出てこなかった」などと言われてしまうことがあまりにも多すぎて、{{要出典}} 項目の対処がやりきれない。ということです。「:何でもかんでも「要出典」を付けまくる「要出典」厨が蔓延しているような気がします。特に世代が違う為に自分が知らないからとの理由や、知識不足の問題で安直に使われまくり、その出典元を参考に記述するにも今度は「無断引用」だのと付けてくるケースが多いです。」この通りになっています。--以上の署名のないコメントは、Jekyll sakuramomo(会話・投稿記録)さんが 2008年4月19日 (土) 02:05 (UTC) に投稿したものです。
- 「一般の方にはわかりにくいので、問題の箇所を削除しろ」
- 「ネット上で検索しても出てこなかった」
- これはひどいですね。どの分野のどの記事でしょうか。 - TAKASUGI Shinji (会話) 2008年4月19日 (土) 02:23 (UTC)
具体例として、先ほど漫画家・濱田浩輔の項目を開いた際に、逸話はおろか出身地や師匠にすら要出展が貼られていました。しかし、情報源を調べると項目内に記されていた浜田氏が1年前に週刊少年ジャンプで掲載デビューした号にプロフィールとして要出展となっていた記述のほとんどが記載されていました。また、師匠の項についても要出展を貼られながらも記載されていた方の作品や単行本のスタッフ紹介にアシスタントとして記載されていました(漫画家はアシスタントを経験させてもらった作家が師匠と表記される事が多い)。最初に記述した方が情報源を明記しなかったのもありますが、単行本、作者や雑誌の公式サイトなど容易に確認が出来そうな情報であれば要出展を貼るだけの編集をしないで軽く調べる事も出来るのではないでしょうか。--MiyazakiH 2008年7月21日 (月) 01:31 (UTC)
- 最近、要出典の過剰な貼り付けに加え、持論をコメントアウト状態で長々と述べ、他利用者による編集を牽制する例が散見されるのですが、これは許されることなのでしょうか? リソースの無駄としか思えません。このような編集(情報・出典の追加が一切ない状態で18kバイト以上も記事が膨れ上がった)もありました。要出典タグの過剰使用も問題ですが、それ以前に、貼り付けた利用者の持論など記事には不要です。なお、この編集を行った利用者さんは、ノートで注意を受けた後も、こうした編集を行っています。--60.236.97.122 2008年7月22日 (火) 08:40 (UTC)
- 類似した事例も挙げておきます。一人の「何でもかんでも「要出典」を付けまくる「要出典」厨」が、コミュニティを疲弊させた例です。この記事のノートの「出典について」以降も参照して下さい。--60.236.97.122 2008年7月22日 (火) 08:49 (UTC)
この方に対してそろそろ何か手を打ったほうがいいのではないでしょうか。相当何らかしらの拘りを持っているようで、とても正常の編集者とは思えません。220.104.112.196 2008年7月30日 (水) 11:24 (UTC)
- 上記のリンク先をいくつか見ましたが、一文ごとに「要出典」が貼られていたり、そのせいで記述内のどの部分に対して情報源を求めているのかがわからなくなっている例もありました。正確な情報は必要ですがその項自体の信頼性が失われる可能性もありますし、ネット上で簡単に調べられる記述すらありました(出身地や作品の連載期間など)。何らかのルール的なものが必要な気もします。--MiyazakiH 2008年7月31日 (木) 04:58 (UTC)
要は「要出典」テンプレを張りまくっている人間が、概して張り逃げを行うケースがあまりにも多いことが問題なのではないでしょうか?「要出典」を張る人間に対して、「張った責任」として、最後まで記事のフォローを行うことを義務付けるべきだと思います。「俺はこの記述に関して知らないから、この出典はどこから持ってきたかいちいち脚注をつけろ」では、特に大きな記事では記述者に大きな負担となるだけでなく記事スタイルの大きな破壊にもつながりかねません。 また、経験上こういう「要出典」を大量に張る人間に限って、「自分には甘く、他人に厳しい」というダブルスタンダードな人間が多いことが一番の問題だと思います。自分の経験上も[こういった方]などが居られましたが、こういう方が大量貼り付け者に非常に多いのもこのテンプレートが問題となる原因です。しかも、こういう人間に限って記事の大量加筆などしたことが無く、人の書いた記事にケチをつけるだけで、その労力が全くといっていいほどわかっていない、そのくせ、WP:OR等を錦の御旗に掲げて他人に作業を強いるだけ、といった方を何人も見てきました(勿論殆どの方が必ずといって良いほどコミュニティの議論対象となってますが。)レイテ沖海戦等でもこれを貼り付けられていますが、あの記事量で出典を全部脚注化したらどういうことになるか、皆さん想像はつくでしょう。
で、提案なのですが、まず、「要出典」の貼り付け責任として
- 責任を明確にするためIPユーザー、ソックパペット、事後ブロックを受けた人間には貼付権利を認めない。(後ろ二つに関しては対象ユーザーの処分確定後無条件でテンプレ削除可とする)
- 貼付けた人間は、貼付け理由を必ずノートに記載した上で、当該文章記述者に対して会話ノートにて必ず通告させる。
- 参考文献で出典がカバーできるのであれば、いちいち脚注を加えない。特に記事内の多数の文章をカバーしている参考文献は脚注化から除外する。(記事のスタイル破壊を防ぐため)
- 出典明記まで、記述者とコミニュケーションを最後まで保ち、より良い記事にするために最後まで編集に責任を持たせる。
以上4点をルールとして提案したいと思いますが如何でしょう?皆さんの同意が得られれば、井戸端等でルールとして提案してみたいと思います。--以上の署名のないコメントは、GFcommander(会話・投稿記録)さんが 2008年8月4日 (月) 10:09 (UTC) に投稿したものです。
- 貼り付け責任としてルールを設ける提案には賛成です。強いて言えば、2番目の「貼り付け理由をノートに記載した上で当該文章記述者に対して会話ノートにて通告させる」と言うのは、ノートによる議論そのものに言えることかもしれませんが、状況によっては意見の食い違いなどによる水掛け論的なトラブルが起きたり、閲覧者の少ない項で第三者がおらず解決しづらくなるなどの可能性もないとは言えないので、可能であればその様な事態にどうすればいいかも考えるべきだと思います。--MiyazakiH 2008年8月4日 (月) 11:51 (UTC)
こんにちは。まず、ウィキペディアの参加者になんらかの義務を負わせるということは、プロジェクトの性質からして難しいと思います。出典を示すことを促す際に留意すべきことのガイドラインのようなものは、作れるかもしれません。そのへんは、文書の位置づけや文章の作り方で何とかなると思います。
基本的なところですが、ウィキペディアは誰でも編集できますから、書かれていることが正しくても、正しいか正しくないかを担保するものがありません。その分野の専門家が書いたとか、大きな出版社からの刊行だとかいうことであれば、それを信頼することができますが、ウィキペディアはそうではないですね。そこで、検証可能な資料を示すことで、そっちに信頼性を担保してもらう。公式サイトや、連載開始時のプロフィールなら、かなり信頼できるでしょう。本人や関係者によるものではない個人ブログやどこかの掲示板では、それほど信頼できない。もし、悪戯などで改変されていたとしても、確実な情報を求める読者は、その情報源を探して、確認することもできます。
他方、「ネット上で簡単に調べられる」というのは、なかなか難しいものです。たくさんヒットしたからといって、それが正しいといえるものではないです。読者は、何かを調べようとしてウィキペディアに来ているのですから、彼らにわざわざ他のサイトを調べさせるのは、不親切です。もっとも信頼できる情報源を示しておくことが好ましく、「簡単に調べられる」のであれば、その記述を掲載したい人が、記載することで、みんなが便利になる。
出典は、基本的には必要なもの、というのは、ご理解いただけていると思います。現状の日本語版では、あまり情報源を示した編集が定着していないし、出典の無い記事も多い。既に書かれたものを、他者が出典を補うのは難しい。出典の明記を求められて怒り出す人もいる。個々に対応していくのではなく、縦断的に出典明記を求めていきたくなる気持ちもわからないではないかなと思うのですね。そこで、どうすればウィキペディアの記事の信頼性が向上するか、そっちに向かうために、執筆者間でどのようにコミュニケーションをとっていくのがいいか、ということで、考えていただけると助かります。出典が必要であることを周知する、記事に出典が付く、というのが最終的な目的で、その過程で、ごだごだを起こさないためには、どうするか。
一文ごとに、要出典が貼られているのは、出典が示されたところから、それを剥がせることができるからです。要は、全部に付けてね、と。一つの出典で、いくつもの文を支えることができることは多いですから、全部といっても、ある程度作業を進めれば、あるいは一つの概括的な資料があれば、ほとんどは取り除くことができるでしょう。隣り合う文でも、異なる情報源に由来するものがあるかもしれません。そうした場合は、まだ確認できていないものの要出典タグを残しておいてください。記事全体への要出典タグも以前は使われていましたが、その場合でも、何を示せばいいかという反発がありました。
記事スタイルについては、酵素チンドン屋桂正和などを見てください。いずれも秀逸な記事に選ばれているものです。記述全体のベースとなるような文献がある場合は、特に記載がなければこれこれに拠る、などと書けばいいですし、脚注以外の出典明示が望ましい場合もあります。そのへんは、分野ごとの論文作法などを参照するのがよいかと思います。--Ks aka 98 2008年8月4日 (月) 12:39 (UTC)
- すいません、前回署名忘れていました。補筆ありがとうございます。
- >記述全体のベースとなるような文献がある場合は、特に記載がなければこれこれに拠る、などと書けばいい
- 本来であれば、参考文献がそれに該当するはずなんですが、現状のウィキではそれが通用しない場合が多いです。実際私も武蔵 (戦艦)で議論になり、ベースが2冊しかないのに記事全文にわたって何のどこのページから出したか脚注をつけろ、と言われて往生した覚えがあります。出典の明記が確かに必要なのはわかりますが、出典も版が違えば出典ページ数も違う場合がありますし、更にこの少ないたった2冊の出典、しかも全体のベースとなっているものから、どこがどこに対応している、等といちいち記載をさせられるようでは記事を書くにも作業量が果てしなくなってしまい、非常に作業効率が悪くなります。私が上で3番目に示したルールはその経験が基になっています。従って、少なくとも記事のベースとなっている参考文献がある程度出典の役割を果たせるようにルールを変えていかないと、いつまでも出典明記でのトラブルは消えていかないと思います。
- 私が貼り付け者に責任を、と言っているのは、出典を知る権利ばかり主張して自分が果たすべき編集の義務(コメントアウトなりノートでの議論なり)を果たさない人間がトラブルを起こす例が後を絶たないからです。社会の一般概念上、義務を果たした上での権利の主張が正当であり、権利ばかり主張して義務を果たさない人間が社会に無用の混乱を引き起こすのは現実でもネット上でも変わりません。特に、他人との共同作業であるウィキペディアにおいて、後者のような人間はただ単にコミュニティの疲弊を招くもの以外の何者でもないはずです。私が示した4番目の義務を果たすためには1番目の条件が最低限必要であろうし、2番目の会話ページでの通告が困難であれば、最低限要出典理由をノートに書かせることは、それまでにその記事を形成してきた他の執筆者に対しての最低限の礼儀であるはずですから、それを行うだけで無用のトラブルはかなり減ると考えます。
- 出典を明記することは信頼性を保つ上で大変必要なことです。一方でただ教えてもらうだけではなく、自分で調べ、考える、ということも大事でしょう。その道標となるべき項目が参考文献であるべきであり、なんでもかんでも手取り足取り教えてあげないと信頼すらできないような記事を目指すようではウィキ自体が疲弊していくだけだと思います。出典明記は大前提ですが、その明記の仕方は現状において大きな問題があると考える次第です。--GF 2008年8月4日 (月) 15:37 (UTC)
ある程度予想はしておりましたが話題に上がっているようなのでコメントを。なお、原則として私は漫画関係を中心としてWP上で活動し、サブカル記事の質の向上を目標として{{要出典}}の貼付けを行なっておりますので、メインカルチャーにおいても同様に当てはまるとは限らない事は事前に申し上げておきます。漫画家記事において私が{{要出典}}を貼付けているのは主に以下のような場合です。それぞれに不可分な物であり、どちらか一方に分類しきれる物ではありませんが、編集する機会があった漫画家記事において当てはまると感じる物が含まれていた場合、出来るだけ{{要出典}}を貼付けるようにしております。
- 出典がなければ書き様のない物
- 作者のプロフィール情報
- 出典がなければ典型的な独自の研究となるもの
- ○○の影響が見られる / 影響を与えた
- ○○と評価されている。
- アシスタントなどをふくめた人間関係
1. については執筆者も何かしらを参考としていなければ書き用のない物であるだけではなく、ネット上の噂などから執筆した場合には本人が積極的に公開していないプライバシー情報の暴露に繋がる事もあり、特に出典の必要性の強い物であると判断しています。
2. についてはWikipedia:独自研究は載せないから。アシスタント関係についてはネット上での個人研究が進んでいる事からそれらを参考として安易に掲載されがちでありますが 1.にも関わる問題も含んでおり、個人的に出典を重要視しております。
これらの事から特に「ネットで調べれば簡単にわかるような情報」にこそしっかりとした出典が必要と考えています。
研究の進んでいるメインカルチャーであれば「この程度の本を読んでいるのは当然」と言えるような参考文献があり、「その程度の内容であれば文献を挙げるまでもない」と言えるような事もあるよるかもしれませんが(それでも出典として明記する事は方針上重要であると考えます)、漫画の場合では研究書自体がほとんどない事から「この程度であれば出典は不要」という判断は極めて問題のあるものであり、出典を伴う細かい事実の積み上げが重要でると考えています。--マクガイア 2008年8月17日 (日) 10:44 (UTC)
明確な出典を求める事は確かに最もです。しかし、『「要出典」を貼るだけの編集』や『どの内容に対して出典を求めてるのかがわかりづらい』などの行為は避けて欲しいと言う事も問題です。漫画関連の項を見ると一文ごとに「要出典」が貼られていますが、文の内容によっては出典が必要な記述が二つ以上ある場合(「同業者の○○と親しく、○○に対し『××』と発言した事もある」○○と親しいと言う事実の出典、××と発言した場についての出典など)もありますし、このような編集をされると詳しい事情を何も知らずに見た人からすれば「要出典ばかりで項そのものの信頼性・必要性が怪しい」、「人に頼むだけで自分では何もしていない」と思われる可能性もあります。上記の通り確かな出典元があってこそ信頼できる項になるわけですが、初めて見る人や新たに編集しようとする人に対する配慮も必要ではないでしょうか。--MiyazakiH 2008年8月23日 (土) 12:55 (UTC)
- 「人に頼むだけで自分では何もしていない」という発言に対しては、ろくな執筆もせずに{{要出典}}を貼付けるだけのような方には私自身もあまり良い印象をもっていないこともあり、はっきりと異議を申し上げます。まず私は出典をしっかりと明記した漫画家の記事として桂正和・北条司を執筆しております(北条司は内容としてはまだまだ不十分な物ですが出典の明記という点に関しては徹底しております)し、和月伸宏や小畑健のアシスタント関係のように自身で出典を確認できた物については積極的に追記を行なっています。また一色まことが女性である事のようにファンとしては常識と思える事であっても、出典を見つけられなかった記述については除去も行なっています。
- しかし、私が前回指摘したような出典の必要な記事は漫画家関連には溢れかえっており(むしろ出典がしっかりとした記事の方が希でしょう)、私一人で全ての記事の出典を特定し追記する事は不可能です。こうした状況において{{要出典}}の貼付けは極めて穏便な物であり(方針上は貼付けずに除去をする事も可能です)、私の行動に問題があったとは思いません。
- そもそも、WPはその信用性を独自の研究を排し出典を明記する事によって保っていますので、「要出典ばかり」の物も含めて「出典がない」項とは信用性が怪しいのではなく信用が無い記事です。出典が無い記事については「事実かもしれない」ぐらいのスタンスで見るべき怪しい記事であり、たとえ内容が完璧であっても担保すべき出典がない以上「項そのものの信頼性」が疑われて当然です。大元の原因は出典をつけて執筆しなければならないものに出典をつけずに執筆した側にあるのは自明です。
- なお、私自身の編集について言うのであれば『「要出典」を貼るだけの編集』は行なっておらず、むしろリンクの修正などで編集する機会があった際についでとして{{要出典}}を貼付けております。
- また、{{要出典}}が『どの内容に対して出典を求めてるのかがわかりづらい』のであれは個別ご指摘頂ければ修正致しますが、そのような記事は全体として記述に信用性がないと見なして良いように思います。結局の所、方針に従い出典を明記さえすれば全ての問題は解決するのですから。
- 要出典をクリックすればどういう主旨の物であるかは説明されている以上、初心者に対する配慮は十分ではないでしょうか。「{{要出典}}が貼られている事によって信用性が無いように見られる」事を避ける配慮というのは、出典なく記述した人物が嘘を書いたように思われる事を避けるための不要な配慮でしかなく、初心者に対しては方針を理解する機会を奪い、出典がなくても執筆しても良いという誤解を与える事となり、配慮とは真逆の物であると私は思います。--マクガイア 2008年8月23日 (土) 15:44 (UTC)
マクガイヤ氏に対して。
> 個人的に出典を重要視しております。 それはあなたの主観であり、皆に強制することではないと思います。
> これらの事から特に「ネットで調べれば簡単にわかるような情報」にこそ > しっかりとした出典が必要と考えています。 とはいえ、それが「要出典」の乱用の理由にはなりません。
> [要出典]の貼付けは極めて穏便な物 そうは思いません。 少なくてもマクガイヤ氏の要出典乱発には眉を潜めるような人もいます。 たいした事でもなく要出典を貼ること自体、暴力的と捕らえる人もいるでしょう。
122.29.188.239 2008年9月18日 (木) 13:32 (UTC)
- 私の利用者ページの方に、私の要出典に対するスタンスをまとめておりますのでよろしければそちらもご覧下さい。
- アシスタント関係について個人的に出典を重要視しているのはもちろん私の主観です。しかし出典が不可欠であるという事は、3大方針の中の2つであるWikipedia:独自研究は載せないとWikipedia:検証可能性、そしてガイドラインのWikipedia:出典を明記するに基づいた物です。よって私が重要視している / いないに関わらず、出典が明示されるのは「WPの根本的なルール」であるはずです。こうした方針やガイドラインを無視し、アシスタント関係について出典を明記しなくてよい根拠はなんなのかご教授ください。
- 私は上記した(私の中では明確な)基準の元で{{要出典}}を貼付けておりますので乱用であるとは全く考えておりません。しかしこれが乱用であるのであれば大きな問題であり荒らしに該当しますので、『利用者の行為についてのコメント依頼』に「Wikipedia:コメント依頼/マクガイア」を、あるいは『Wikipedia:投稿ブロック依頼』に「Wikipedia:投稿ブロック依頼/マクガイア」を出す事をお勧め致します。
- 眉を顰めていないような人もいますね。「要出典を貼ること自体、暴力的と捕らえる」事がそもそもWPの方針やこのテンプレートの意味を理解していないだけです。同じような言い方をするのであれば、方針無理解者に対して眉を顰めている人もいますし、方針を理解しようともせずに自分の思い通りに記事を作成しようとする事自体、暴力的と捉える人もいるでしょうね。私は、大した事であると考える故{{要出典}}を貼っていますので、{{要出典}}を出典も伴わずに剥がす行為はルールを無視した非常に暴力的な行為であると捉えております。
- なお、私の名前はマクガイヤではなくマクガイアです。念のため。--マクガイア 2008年9月18日 (木) 22:22 (UTC)
差し出口失礼します。ところで本題に入る前に、論題が「要出典の利用方法」ではなく、「マクガイア氏個人の執筆方針」になっている気がします。売り言葉に買い言葉なのでしょうが、氏も、氏に異論がある方も、意見交換は氏のノートででも進めるべきと思うのですが。
本題ですが、まず大前提としてこの節の要旨に同意です。WPの出典主義は理解しているつもりですし、出典主義には原則異論もありません。ですが、このタグは強力な効果を持ちながら、個人的悪意による安易な利用を蔓延らせる抜け道があるのも事実であり、使用に関する何らかの策定作成がなるべく早急に必要ではないかと存じます。
- まず、要出典タグの貼付例は大きく二つに分けられると思います。一つは、誰が見ても覆しようのない“事実”への貼付。上述の例でいえば、漫画家の生年月日などのプロフィール・アシスタントなど。これらへの貼付はまぁ正当性を帯びているとは私は考えますが、誰が見ても当たり前の事実、極端に言えば「Wikipediaは百科事典である。」の様な文章にさえ貼られている例。これは貼付の正当性に欠きます。まぁこれは現状でも対処できるのではないかと思うのですが。
- 次に、覆しようのない“事実”ではなく、項目の“内容”に関するもの。これが問題。どれだけ明瞭に確認できる客観的事実であっても、「強い~」とか「~が明らか」とか、形容詞・形容動詞の様な装飾語の付いたそもそも絶対的に主観性から逃れられない表現、いわば「相当多数の主観の総意で形成されるタイプの客観性」を示す記述に「誰が言ってるんだ?出典しろよ」とばかりに貼り付ける例。現状で問題視されているものは、こういう例が一番多いんじゃないかな?と思うのです。これについて要出典(や、検証可能性)を持ち出す以前に、まずノートで合意形成を進めれば済む事なのでは?という思いが常にあります。尤も、要出典タグを貼り付けたがるだけの人がそんな事するとも思わないのですが、その様な類の指針を策定する余地はまず、無いのでしょうか?少なくともそういった人種は減少する様に思うのですが。
- また、こういった例も含むもので酷いものには、一句一文ごとに出典を求める様な貼り付け、仮にその方針に厳格に従ったら、今度は著作権侵害に触れる様な限りなく執筆自由度の低い例も存在しうる様に思います。当然そのような例が増えれば既に指摘されている様に執筆者の疲弊を招くでしょうね。
- こういった話とは別に、「要出典の範囲が分かりにくい」という例も指摘のとおり確かに存在します。これは既に最近多く見られる様になりましたが、Template:要出典を廃止してTemplate:要出典範囲の使用を強制すれば済む話では?とも思うのですが。私一人の視野では見落としている事も(多分)あるかもしれませんが、こうすれば今すぐ解決する事では?と。
私の意見は以上です。お役に立てれば幸いです。--さくあ 2008年9月19日 (金) 23:12 (UTC)
- 私の行動が問題視されているようだったので弁明させて頂きましたが、場違いであった様ですね。失礼致しました。今後私の行動に対する御意見などは私の利用者ページやコメント依頼等でお願い致します。
- さて本題に。どのような制限をかけるのかが具体的に出てこない事には意見を表明しにくい所はあるのですが、私は使用制限には基本的に反対です。さくあ氏の「個人的悪意による安易な利用蔓延らせる抜け道がある」とのご指摘に異論は有りませんが、これはそのような悪用する人物の問題であり、コメント依頼やブロック依頼において解決される問題であると考えるからです。また私の事になってしまって恐縮なのですが、今回の件であれば「こんな編集者がいるから方針を変えるべき」という議論の前にまず私の会話ページなりでの注意等が事前に有って然るべきであったと思います。こちらに対する議論誘導等もありませんでしたしね。
- さくあ氏の御意見で気になった点が3つ程。
- いくつかの出典があった上で意見が対立しているのなら別ですが、全く出典がない状態で「相当多数の主観の総意で形成されるタイプの客観性」はWPにおいては相応しい記述ではなく、それが評価に関わる事であればノートでの合意は「WPによる独自研究」であると私は考えます。そういった物を書きたくなるというのは執筆者の一人として大変よく分かるのですが(実際私もそのような記述を含んだ記事をかつては幾つも書いております)、やはりそうした記述に対する出典を見つけるのは執筆する側に課せられた義務であり、それを行なわず「みんなそう思ってるのだから」と記述するのは執筆者の怠慢ではないかと。出典を見つけられないのであればそれは百科事典に載せる程の事ではないのではないでしょうか。
- 一句一文ごとという事についてですがこれはケースバイケースで必要な場合もあれば不要な場合もあり、評論の類いでは必要性が高まる様に思います。全てが一句一文ごととまではいきませんが桂正和は近しい状態にあるかと思います。執筆にあたり特に自由度が低いという事はありませんでした(もちろん出典を探す苦労はありましたが)。
- Template:要出典範囲の使用についてですが、私個人としてはどちらかと言えば賛成ですが、以前「見難い」との理由でTemplate:要出典範囲をTemplate:要出典に張り替えられた事がありますので、簡単な問題ではないかもしれません。
- 以上です。--マクガイア 2008年9月22日 (月) 11:15 (UTC)
(インデント戻します)人物のプロフィール情報についての「要出典」ですが、たとえばこげどんぼ*では生年の記述について複数のものがあり、生年を除去されることもありました。わたしが今まで見た限りでは単行本などのプロフィール情報には生年の記述はなく、Wikipedia:検証可能性を満たしていないと考えられます。このような記述に対して「要出典」を貼ることには反対はしません。中には漫画家の記事で、デビュー年から逆算して生年を推測しているようなケース(失念しましたが、コメントアウトでそう記述されていたものがありました)や、プライバシーの問題もありますから、書籍や公式サイトなどで今までに公開されたことのない生年などの個人情報には、「要出典」を貼られてもおかしくないと思います。--長月みどり 2008年10月3日 (金) 16:58 (UTC)
要出典が荒らし行為として使われているのではないか?
[編集]要出典が本来の機能ではなく、荒らし行為の一環として使われていることがあるのではないでしょうか?ついこの間みつけた事例ですが青銅の記事が11月22日17:52にIPユーザーにより大量の要出典が貼り付けられています[1]。たしかに出典が明記されていない記事であり、以前から1つの要出典と3つの要出典明記がつけられておりましたが、一文一文に貼り付けるような11月22日17:52の編集は異常です。「出典が明記されていない記事なら、要出典を好きなだけ貼り付けていい」と考えられるのも困ります。このような行為に対しても、はがすためにはすべて出典をみつけて明記しなくてはいけないのでしょうか?そうだとすると要出典タグが本格的な荒らし行為に使われたときに、対応不能になる心配があるのですが。--蒲生直義 2008年11月25日 (火) 08:06 (UTC)
- 編集経歴も考慮に入れ、単なる荒しと判断して差し戻しておきました。出典が明記された方が良いのは間違いありませんが、明らかな荒らし対してまでまともに相手する必要はなく、リバートすれば良いと思います。--マクガイア 2008年11月25日 (火) 11:40 (UTC)
- 対応頂きありがとうございます。記事に出典がないだけにいきなり差し戻しできるものかとも悩んだのですが、編集者の経歴までは考慮に入れていませんでした。今後の参考にさせていただきます。ありがとうございました。--蒲生直義 2008年11月25日 (火) 13:40 (UTC)
要出典がないと削除という行為がこの2008年あたりから最近までまかり通っていることが非常に疑問に感じます。そもそも、wikipediaの個々の項目はその分野の個々のエキスパートが書くことが多く、出典元がその個人であることがあります。小生の投稿例で申し訳ないですが静止形インバータは、出展元が存在しません。私が仕事場で体験した情報を当たり障りのない範囲でまだログインアカウントを作る前に概要を書きました。要出典がないと削除ということであればこれはほとんど削除されてしまいます。なぜこのようなことを問題提起するかといいますと、きっかけは、オタ芸の履歴の2010年11月24日 (水) 06:08 Fromm氏により、裏付け無し(要出典)ということにより、全てが削除されて誰も疑問に思わない行為がまかり通っています。全てを復活させた私もどうかと思いますが少なくとも議論をした上で個々の個別項目が削除されるべきだと思います。ここ5年程度の現在進行形の事柄で、書籍やWebにまとまっていない情報を安易に、「出典元」がないからという状態で削除すべきではないと考えます。逆に、出典元が無い場合、それは独自研究で一般的なものではないという証明が、その分野のエキスパートによってされた上で削除されるのが妥当かと思います。そのことで、一時的にwikipediaのその項目が荒れる(雑多になる)かもしれませんが、それは切磋琢磨した情報を残すという皆の行為であり、wikipediaはその場を提供している状況かと思います。単に、出典元が無いという状況で削除する行為をされると、私は本を執筆しなければならないのかと思ってしまいました。逆に言うと、その個人が独自研究を重ねその個人の頭の中にある本の概要の集大成が現在wikipediaなのではないのでしょうか。現状の、要出展が無いから削除という行為は、wikipediaそのものを否定していて非常に矛盾に感じます。要出展がないから書き込むという行為は「少なくともそれを残そうとした人」がいたわけで、削除したいならばそれをまとめた上で、雑多な情報を残さない編集を皆が心がけるようにしたら、よりよいwikipediaになるのではないでしょうか。--Arisa vey 2011年1月22日 (土) 03:23 (UTC)
- あくまでも基本はWikipedia:検証可能性に則った出典付記述が原則です。Wikipediaも歴史が長くなるにつれ、信頼性が求められるようになり、出典の重要性は増しています。2008年時点では、見逃されていた出典無し記述も2011年時点では出典無しとして削除されることはありえます。また、『その個人が独自研究を重ねその個人の頭の中にある本の概要の集大成』というのは、間違いです。他の文献など公表されたものを再整理し、まとめたところがWikipediaです。Wikipedia:独自研究は載せないもお読み下さい。--Los688 2011年1月22日 (土) 03:32 (UTC)
- ノートですので「私個人の意見を書いています」。今現在、私は、「その個人が独自研究を重ねその個人の頭の中にある本の概要の集大成」と思っています。半分ぐらいは。まだまだ足りないかなと思います。「他の文献など公表されたものを再整理し、まとめたところがWikipediaです」というのは、理想であって現実は少し違うと思います。Wikipedia:独自研究は載せないは一応読んで、その方針に疑問に思った上での書き込みです。こちらの独自研究は載せない側のノートでもう少し議論しましょうか...。もっとも、wikipediaの現状の方針が少し間違っているのではないかと全く思わない人と議論する気はありませんが。私のような行為が問題になると思うのであれば、出典がないものはどんどん削除していけばいいのでは?それが正しい行為だとは私は思えませんが。--Arisa vey 2011年1月22日 (土) 04:08 (UTC)
- どうやら、私の間違いのようでしたので、大変申し訳ありませんが、オタ芸の出典がない記述をほぼ全面にわたり削除させていただきました。ほぼ初期化しております。詳細は、そのノートに記述しております。--Arisa vey 2011年2月9日 (水) 14:00 (UTC)
- 要出典がないから削除される場合には、出典になりそうなものがないか一旦確認してから削除するようにしてくださるようお願い申し上げます。今回の削除の件は、中立性を欠いていたと私は判断しました。--Arisa vey 2011年3月8日 (火) 01:13 (UTC)
- 要は、出典を調査する方々が、出典元になりそうなものがないか、調査すらしないで安易に削除することが問題かと思います。そのような方々の調査スキルを上げるために、私はしばらく時間がないということにしてノートに出典元を書くことにしました。出典を調査する方々は、それが正しいという確証がえられたら、出典元として正式にノートじゃないページに記述すれば現行のwikipediaの規定(ルール)にて2重チェックになり、よりよいwikipediaになると確信を持っております。 --Arisa vey 2011年3月23日 (水) 12:39 (UTC)
- 「そもそも、wikipediaの個々の項目はその分野の個々のエキスパートが書くことが多く、」とArisa veyさんは言われていますが、Wikipediaに記載したその人が、その「エキスパート」であるかどうか、まったくもって身元の証明ができないわけです。また「エキスパート」であるならば、自分の書く記述が独自研究でないことを証明するために、信頼できる情報源による出典を示すことは容易である、つまり、書こうとしている事柄に関する文献の情報をより多く持っていると推定されます。そういう点から考えると、「エキスパート」こそ、出典を付加する作業は容易なのではないかと思うわけです。
- 逆に言うと、その分野に詳しくない人たちによって{{要出典}}を付加されてしまったりしたときに自称「専門家」から「このことは○○の分野では基礎知識として常識だ」という反論をしただけで要出典を外す行為がまま見受けられますが、これも少し違うのではないかな、と考えています。とある一定の分野において仕事として糧を得ようとしたり、研究の道を目指そうとしたときには、必ず何かしら道を目指す初期の段階で勉強するために学んだ書籍やその他文献があるはずで、そういったものを出典として提示すれば、あとは専門家でない人がその文献を読み込めばいいだけの話になるのではないかな、と思います。--VZP10224 2011年8月12日 (金) 23:50 (UTC)
そのことについては私は賛成します。第3者の意見はとても重要だと思います。 Kami0120(会話) 2018年8月16日 (木) 09:03 (UTC)
「検証可能性」の方針に基づきより正確に説明を修正しました
[編集]やはり公式方針である検証可能性から漏れなく説明した方が正確だと思い、修正しました(差分)。少し詳細になりましたが、基本的ニュアンスは変えていないつもりです。--モトカル(会話) 2009年1月1日 (木) 06:35 (UTC)
要出典の基準
[編集]記事には要出典が必要なWikipediaの原則を踏まえてコメントいたします。 最近、やたらに要出典タグの貼り付けが多くてうんざりいたします。 いわば誰でも知ってるような常識的な所まで細部にわたって要出典を求めることが本当に正しいことなのでしょうか? 「どこまでが常識の範囲か」と言われればそれまでですが…。 私的意見として、「珍説奇説の類」でない限りは積極的に出典を求める必要は薄いと思いますが、いかがでしょうか?122.26.189.135 2009年6月23日 (火) 12:36 (UTC)
- どこまでが常識の範囲か、その執筆者の常識の認識は適切か、珍説奇説を常識と信じる人に対してどう扱うか、その常識は専門分野においても疑いのない常識として認知されているか、百科事典でその項目を調べようとしている人が珍説奇説なのか常識なのかを判断できるか、読者がより信頼できる、より詳しい資料に到達できる情報を書かないことが望まれるか、といった観点から、積極的に出典を求める必要があると考えます。中学生の「常識」と専門家の「常識」は、しばしば異なります。
- 誰でも知ってるような常識的なものならば、いくらでも出典を示すことができるはずです。そのなかから、もっとも信頼できるもの、アクセスしやすいもの、深い知識を得られるものを選んで示していただければと思います。わたしたちは、ただ書くだけで、その記述内容や記述のありかたが正しいと信じてもらえるだけの実績を持っているわけではありません。面倒ですが、よろしくお願いします。--Ks aka 98 2009年6月23日 (火) 12:46 (UTC)
- 例えば
- http://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E5%8F%A4%E7%94%B0%E6%95%A6%E4%B9%9F
- http://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E6%AD%A6%E4%BA%95%E5%AE%8F%E4%B9%8B
- 。どちらも世間に知られている存在ですが、前者は注釈が少なく、後者は一時的に要出典タグが多くなされ、注釈量も増えました。この2つの差はどこからくるものなのでしょうか?122.26.189.135 2009年6月23日 (火) 15:08 (UTC)
- 分野や執筆者によって意識が違いますし、記事はどれも発展途中なので、出典の数や信頼度なども含めた完成度は、それぞれに違う、ということに過ぎません。Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:独自研究は載せない、Wikipedia:存命人物の伝記などの方針、文書からは、どちらもまだ足りないと捉えられます。たとえば、秀逸な記事に選ばれている桂正和や、最近の執筆コンテストで高く評価されたトーマス・マコーリーなどを参考にしてみてください。挙げていらっしゃる項目の片方は、ぼくはまったく存じ上げませんが、それらと同等程度には、どちらも世間に知られる存在です。
- すぐにこうした記事が書けるようになるものではありませんが、本当にその項目が扱っていることを知りたい場合や、別の観点からその項目に関係する何かを調べなければならないようなときに、その記事が何を元にして書いているかということは、とても大事な情報になります。その常識を自分がどこで知ったか、ということを問い直し、それを書くというところからはじめていただければ、まずは十分。それが、あいまいな記憶だったり、あるいは信頼できない媒体であったということならば、その情報は書かれるべきではないですし、書かれたとしても、誰かが除去するかもしれません。--Ks aka 98 2009年6月23日 (火) 17:40 (UTC)
「検証可能性」や「独自研究は載せない」に関しての情報源についての意見
[編集]Wikipedia:検証可能性やWikipedia:独自研究は載せないの方針に当たって、有志が自ら調査したもしくは匿名掲示板や個人ブログにて、ほぼ事実に近いものではあるものの情報源に信憑性が低い記事であるため、{{要出典}} を貼らざるを得ない状況が発生している状況が否めません。情報源が公式にも見つからない場合があります。その点に関して信憑性が高い情報源(検証可能性や独自研究は載せないを満たせるもの)を探していただければ幸いだと思いますが、現状では執筆記事に関する情報源が少ないのが現状です。この件に関しての意見を募集します。--220.215.36.233 2009年7月25日 (土) 07:16 (UTC)
意見も何も、匿名掲示板や個人ブログみたいな信憑性の低い情報源だけを元にした記述が許容されるわけないでしょ。信頼に足る情報源がなければ、その時点で不適当な記述でしょ。--180.147.84.87 2010年5月23日 (日) 07:11 (UTC)
現在進行形の事柄であり、自らが体験したことかつ、Web上に同様の情報があれば(匿名掲示板や個人ブログ)それは信憑性の高い情報です。そもそも、信憑性が低いという根拠が示せなければ、安易に削除するのは危険な行為と思われます。少なくとも、情報を残そうという人の気持ちを踏みにじっていると私は思います。--Arisa vey 2011年1月22日 (土) 02:50 (UTC)
- あなたにとっては「それは信憑性の高い情報」かもしれませんが、Wikipediaではその論理は苦しいでしょう。執筆者は「信ぴょう性が低い」ことを示さなければならないのではなく、「信ぴょう性が高い」ことを示さなければなりません。そのために出典をきちんと載せなければならないと思いますが。少なくとも「便所の落書き」とも揶揄される匿名掲示板を出典の一つにするなんて、考えられない行為ですね。--午後の烏龍茶 2011年1月22日 (土) 03:59 (UTC)
- その論理は、匿名掲示板の信憑性が低いことの出典を明記してください。という矛盾したことになりますが。まぁ、出典元が明記されていない事柄についてはwikipediaの方針(って誰が決めた方針なんでしょうね?)どんどん削除していけばいいのでは(笑)。--124.41.69.244 2011年1月28日 (金) 23:39 (UTC)
要出典についての質問
[編集]内容が不確実、疑いがあるために要出典を求めるのはよいことであると思います。しかしそれも使い方や数の多さが過ぎると問題があると思われます。それに常識的に明らかである部分にまで要出典を求めるというのは求めているほうに認識や調査が不足している点もあると思われます。まずは質問するほうにも調査が必要なのではないでしょうか?--210.131.156.169 2011年7月17日 (日) 10:54 (UTC)
- 質問する人にも調査は必要でしょう。しかし、出典元が判らない場合、どの論文・著述、ウェブサイトなのか忘れた場合に「出典元があったはず」として「要出典」タグを付けるのならばいいかも知れませんね。ウィキペディアは便所の落書きかもしれませんが、論文に出典元を記載するように、落書きにも出典元は必要でしょう。--Joex 2011年7月18日 (月) 17:11 (UTC)
- ≪内容が不確実、疑いがある≫場合は、{{正確性}}の併用などもご検討いただきたいです。それと、常識的に明らかである場合は、タグの付け方なり、なぜそこにも出典を求めているかを要約欄やノートにコメントするなり、何らかの説明や工夫があると嬉しいです。--NISYAN 2011年7月19日 (火) 23:45 (UTC)
要出典、というのは情報源や出典を求めているのですか? それとも個人的な攻撃、中傷を目的にしているのですか? 『大言壮語的、言葉を濁した曖昧な記述、雑多な内容を羅列した節、信頼性に問題があるかもしれない資料』であるとして、日本史関係にタグをよく付けられている御方がいます。その御方のために脚注にその情報源や出典を記述しても全く無駄で聞く耳を持っておられません。また出典が信用できない書籍と断言されてタグをなおも貼ろうとします。出典を明記しても無駄なのでしょうか? またその書籍が信用できないというのであれば、その書籍のどのような点が信用できないのか、またその書籍を編修・著作された方々に問題があるのかどうかを明記してほしいです。またその御方は他の記事に対しても次々に出典を明らかにするようにとタグを貼るのを止めようとしません。出典や情報源を求めるのはいいことですが、貼る本人に調査や記事が正しいかどうかの確認という行為が見られません。タグや要出典を貼る人は何度貼ってもお構いなし、記事を書いたほうが情報源・出典を明らかにしないほうが悪い。これでいいのでしょうか?要出典やタグを貼るための回数を制限する、または自らで調査する努力も必要と思います --101.1.74.82 2011年8月16日 (火) 06:46 (UTC)
要出典についての質問
[編集]要出典が乱用されている例が見えます。出典や参考にしたホームページなどを引用しても要出典が使われている例もあります。これではその記事の何がどう問題なのかわからないときもありますので、この記事のどの部分に問題点があるのか、要出典を使われた人に明記を求める必要があると思います。--101.1.74.82 2011年9月10日 (土) 07:08 (UTC) あと要出典を使う回数を投稿者ごとに制限すべきと思います。--101.1.74.82 2011年9月10日 (土) 07:27 (UTC)
- ≪出典や参考にしたホームページなどを引用≫することで問題が改善されていると思ったのなら、不適切に付与されているテンプレートですから、テンプレートを除去すればよいでしょう。テンプレート付与者がどの部分に問題点があるかを説明することも必要だと思いますが、≪出典や参考にしたホームページなどを引用≫されていることで、そのテンプレートが除去されるにふさわしいほど改善されている、かどうかを判断する力も必要だと思います。また、乱用者が特定の人であるのなら、その人に{{要出典}}のtitleパラメータに「出典を求める理由、および求める出典内容」を入れていただくことを求めてはいかがでしょう?テンプレートには「この記事のどの部分に問題点があるのか」を書く場所は既に用意されているわけですから、そこに書いてもらえばいいかと。短くまとめきれない場合はもちろんノートでいいです。が、その場合はtitleパラメータにノートへの誘導が欲しいです。--NISYAN 2011年9月10日 (土) 08:25 (UTC)
- 使用回数制限には同意できません。私は過去に「Wikipedia‐ノート:削除依頼/列車の俗称」に基づく{{要出典範囲}}の付与を複数の記事に対して行ったことがありますが、それらは記事改善の必要があって貼り付けたものです。記事を改善する必要があるのに、記事を改善するための行動を(一定回数以上)取ってはいけないということには全く同意できません。IPさんは、不適切な記事状態(1例を挙げるなら、「国電」において「酷電」という蔑称が、過去には出典なく記されていたこと)に対して、出典を求める代わりにどのようなことを行えばいいと考えているか、お教えください。--NISYAN 2011年9月10日 (土) 08:25 (UTC)
すみません。NISYANさんの仰るとおり、やはり出典を求める必要はあると思います。ですがその出典を求めること、すなわち要出典を乱用されている方に対してはどのようにすればいいのでしょうか? 私は多くの記事を見させていただいていますが、あるお方の日本史の人物に対する要出典を求める回数があまりに度が過ぎていると思います。また脚注や参考文献などで出典を明記され、ページ数なども書かれているのになおも出典を求めようとします。このようにもはや度が過ぎる方に対してはどのようにすればいいのでしょうか?またその方は要出典を何度も求めていますが、自ら調べようという努力が見えずまだ要出典・要高次出典を乱用されています。松平信綱や藤堂高虎他など、多数の記事の脚注に出典の記述がある箇所にまで出典を求められている方にはどのような対応をしたらいいのでしょうか?--101.1.107.234 2011年9月15日 (木) 07:24 (UTC)
- コメント少なくともIPユーザーさんが提示された2つの記事には、{{要出典}}が貼り付けられていないことを確認しました。そのほか{{複数の問題}}で指摘している問題点について、具体的には貼り付けられた利用者:Greatupper(会話 / 投稿記録 / 記録)さんに確認されるのがよいでしょう。--VZP10224 2011年9月15日 (木) 15:44 (UTC)
タグonlyは無責任
[編集]出典を要求する文章に棒線を引くのであれば、出典の明記は容易でしょうけど、
が上部に張られているだけなのは横着かつ無責任ではないでしょうか?--Jwc(会話) 2012年5月1日 (火) 18:55 (UTC)
- 私もそうおもいます。テンプレートですませるぐらいならば記事の削除(これはいきすぎですね)、要出典の文を削除するようにしたほうがいいと思います。--山本角間(会話) 2013年8月24日 (土) 09:11 (UTC)
問題を指摘するテンプレートを貼るだけでも、記事の向上に貢献できる
[編集]- コメント (ウィキペディアに限らず)ウィキは各ユーザーが可能な範囲で貢献することで記事の完成度を高めるためのシステムです。
- 記事を読んで、出典が十分に示されていないと感じたものの、どこに出典が必要なのかは分からない、あるいは具体的に指摘している時間的な余裕がないのであれば、{{出典の明記}}を貼るだけでも記事の向上に貢献することができます(できればその旨をノートに書き残すと、さらにいいですが)。他の(その分野に十分な知識がある)ユーザーが出典を適宜追加するなり、{{要出典}}や{{要検証}}などで問題点を具体的に指摘するなり、あるいはもし適切に出典が示されているのであれば、ノートでその旨を説明したうえで{{出典の明記}}を除去すればいいのです。 --KAWASAKI Hiroyuki(会話) 2014年8月25日 (月) 18:29 (UTC)
要出典の必要性について
[編集]要出典が乱用されている記事(例:暴力団)をたまに見かけますが、そこまで要出典というのは必要でしょうか? 出典がない記事(要出典乱用記事)は、明らかに信憑性が薄いと思うのですが・・・ 要出典が多すぎては、閲覧する方の中には戸惑ってしまったり困ってしまったりする方が出ると思います。 私個人の意見とさせていただきますが、要出典はそこまで必要なのですか?出典がないならば削除してしまうほうがいいかと。出典がない=独自研究と思われても仕方がないことだと思いますし。 そうでもしなければ、記事の信憑性が疑われてしまうのではないでしょうか? 完璧なウィキぺディアにする、というのは難しいことですが、出典がないものを要出典として残すのはどうかと思います。出典がないならば削除するほうがよいと私は思います。--山本角間(会話) 2013年8月24日 (土) 02:51 (UTC)
「要出典」と「出典を明記する」の「強制力」についての整合性をお願いします
[編集]Wikipedia:出典を明記するでは冒頭で「従うことが推奨されますが、方針ではありません。」とあります。かなり平べったく言うと、「強制じゃないよ、出典を明記しなくてもいいよ」ということです。
一方、ここには冒頭で「出典(参考文献)を明記することが定められています。」とあり、“出典のない記述について「検証可能性」の方針は「誰でも取り除くことができる」、「除去されても文句は言えない」”です。
この2つの表現のあいだには矛盾があり、両者の整合性のとれるように解消を望みます。
(もちろん、実際には、個別に合理的な議論や疑義に応じて対処していくのでしょうが、上記の2つの記述はいわゆる「要出典厨」「削除厨」(と「出典のない百科事典的でない瑣末な断片情報を書き散らす厨」)による厨的行為の根拠として利用されていますので…。)--零細系統保護協会(会話) 2013年11月7日 (木) 03:21 (UTC)
- 方針ではない文書ってことでしょう。ですから出典を明記しなくてもいいよという要約になりません。--116.64.208.207 2015年11月13日 (金) 12:27 (UTC)
英語版との違いについて
[編集]英語版ではTemplate:要出典の使用法や使用してはいけない例、Backlogを減らす方法、ツール「Citation Hunt」に関する記述が載っていますが、日本語版では英語版と一致する部分は「出典を明記する方法」(英語版の「If your work has been tagged」に相当)しかないので、加筆したほうが良いのではないでしょうか。--Ijoe2003(会話) 2017年8月26日 (土) 23:44 (UTC)
「要出典」の使い方について
[編集]やたらと「要出典」を貼り付けるのはやはり問題だと思います。貼り付ける前に貼り付けるべきかと考えるべきだと思います。 大前提として、まず調べたい事があって、それに関連するWikipediaの記事にアクセスし、必要に応じて出典をクリックして、それで詳しい情報を得る、これWikipediaのあるべき姿だと思います。「要出典」に限らず、Wikipediaの全ての操作はこの大前提の上にあるべきだと思います。 --240D:1A:1B5:5F00:6433:4337:9343:DAFF 2023年10月12日 (木) 07:28 (UTC)