Tokyo Calling (歌手ユニット)
Tokyo Calling(トーキョーコーリング)は、大阪で結成された男性ヴォーカルユニット。
2004年10月結成、2009年12月活動休止。現在、無所属。
ユニット名について
[編集]ユニット名「Tokyo Calling」の由来は、「東京」と付けることで、アジアや世界に向けて「日本」を表現している(決して2人は東京生まれなどではない)。CALLは「発信する」INGは現在進行形。
そしてこのTokyo Callingを集約すると、“ここ日本から世界に向けて音楽を発信している”という思いが込められている。[要出典]
メンバー
[編集]- TEPPEI(テッペイ、1981年7月4日、血液型:O型、福岡県生まれ)愛猫家。
- 立ち位置は向かって左でマイクも左持ち。現在、モデルとして活躍中。
- YU-KI(ユウキ、1981年9月3日、血液型:AB型、北海道生まれ)愛犬家。
- 立ち位置は向かって右でマイクも右持ち。現在、レコーディングエンジニアとして活躍中。
2人の生立ち
[編集]TEPPEIとYU-KIは共に3歳の頃、福岡と北海道から親の転勤で大阪に引越してくる。その頃住んでいた互いの家が目と鼻の先だったという。そしてここから2人の縁がはじまる。まず幼稚園で一緒になり、小学校、中学校、高校まで一緒という20年以上の幼なじみ。高校時代は2人とも軽音楽部に所属。
TEPPEIはBUCK-TICKのコピーバンドでボーカルを担当、YU-KIはLUNA SEAのコピーバンドでギターを担当していた。ちなみにこの時のTEPPEIのバンド名は「B-VIRUS」(BUCK-TICKに寄生するウイルスという意味らしい)。YU-KIのバンド名は「満月ポン」(当時YU-KIが好んで食べていた菓子の名前)。この頃のYU-KIは化粧をしてバリバリのビジュアルメイクをしていた。
高校卒業後の進路ではじめて道が分かれ、TEPPEIはデザインの専門学校へ進学。YU-KIは音楽の専門学校へ進学する。この頃から、徐々に連絡をとることも少なくなり、一時は疎遠状態になっていた時期でもある。
TEPPEIは専門学校を卒業後すぐにグラフィックデザイナーとして就職する。そしてYU-KIは「IMPROVE(インプルーブ)」というミクスチャーバンド結成。バンド構成は5人。2ボーカルの1人がYU-KIだった。IMPROVEはインディーズでアルバム1枚、オムニバス1枚をリリースしており、この時のCDジャケットやバンドのロゴマークなどのアートディレクションを務めていたのがTEPPEIである。2人の絡みと言えば、このIMPROVE以外ではこの時期なかった。
そして2004年、やはりずっと燻っていた「音楽の道が諦められない」という理由でTEPPEIは2年間勤めていた会社を退社する。時同じくしてYU-KIは、「音楽性の違い」からバンドを解散してしまう。会社退社後のTEPPEIはというと、ギター片手にオーデョションを受けまくっていた。しかし結果は不合格続き。YU-KIは放浪の旅と称し、生まれ故郷の北海道へ帰郷する。
数か月が経ち何となく、TEPPEIがYU-KIに電話をかけ“もどってきてこっちで一緒にやれへん?”という言葉から、再び大阪にYU-KI を呼び戻す。その際に伊丹空港まで迎えに行ったのが事実上のTokyo Callingきっかけとなった。ここから2人は精力的に動き出す、2004年10月、Tokyo Callingの幕開けとなる。
略歴
[編集]2004年
- 10月にTokyo Calling正式結成。まず二人の共作処女作品1stシングル「Let's oneself go」を自主レーベル“TCM Records”からリリース。カップリングには知り合いの結婚式のために作られた「ONE the WAY」が収録されている。
- リクルート出版「関西/ケイコとマナブ」 神戸ファッションマートのイベントにてライブ。Tokyo Callingの初ステージとなった。
2005年
- リクルート出版「関西/ケイコとマナブ」アメリカ村・フリマキューブにてライブ。
- Tokyo Callingオフィシャルのホームページを立ち上げる。
- 千葉テレビ「MU-GEN」主催コンテストにて400組から最終8組選出に選ばれる。(テレビ初登場)
- Net's TOYOTA兵庫のリージョナル「FONTE」のモデルにTokyo Callingが登場。[1]
- 関西テレビ「2時ワクッ!」(メッセンジャー黒田・山本浩之司会)にて生放送ライブ。この放送には少しイレギュラーな方法でTokyo Callingは出演している。まず番組内でオリジナルTシャツを作るというコーナーがありデザインを一般公募していた。それをたまたま家で見ていたTEPPEIが応募したところ、見事作品が選ばれた。当初は採用作品には賞金5万円というきまりだったが、TEPPEIがハガキに「選ばれた際には生で歌わせて」と書いていたことから急遽、賞金の代わりに生放送の番組内で「Let's oneself go」を歌唱。出演中にテロップで「応援メッセージを受け付けます」というディレクターの粋な計らいでホームページのアドレスが流れた。出演後、ホームページのメッセージは500通を超えていたという。Tokyo Callingはそのメール一通一通に返事を書いたという。
- 2ndシングル「Over the Summer」をリリース。カップリングには「eye to eye」を収録。500枚生産のうち100枚にシリアルナンバーがあり、5名だけに非売品Tokyo Callingグッズがプレゼントされた。(ちなみに商品は、Tokyo Callingと刺繍で入った赤と白のエプロン)
- 夏頃から大阪を中心にイベント、ライブハウス、クラブで精力的に活動。
(大阪城公園一帯イベント「オーサカキング」、関西テレビ「はちえもん茶屋 海の家」須磨海水浴場にて野外ライブなど)
- 大阪南港「ATC 音楽祭」第一回目より参加・定期的ライブを行う。年末のカウントダウンライブにも出演。
2006年
- Tokyo Calling専用「TCM studio」を設立。(以降、レコーディングは全てここで行われている。)
- 2月と10月に沖縄で3Daysライブを行う。
- 学園祭・夏祭りで各地を飛び回る。去年に続き、磨海水浴場にて野外ライブにも参加。
- 兵庫県西宮「さくらFM」にてセカンドシングル「Over the Summer」がパワープッシュソングが選ばれる。
- TBS「CDTVオーディション」にて3000組中、最終12組に選出される。
- 秋の学園祭シーズンでは地方の大学を中心にライブを行う。
- この頃からTEPPEIが「阪神版/Lei Wedding」のモデルに出演している。
2007年
- 「music.jp indies」にて着うた配信開始。
- 関西と沖縄を繋ぐ「いちゃりば超DAYS」に参加する。
- 4月、待望の1stアルバム「UNEVENNESS」を発売する。全8曲入り1,500円で発売。この頃からインターネットショッピング「Amazon」での販売を開始。
- アルバム発売を機に、様々なライブハウス、イベントで声がかかるようになる。大阪はもちろん、神戸・横浜・東京と、この年の夏はほぼ毎週のようにイベント出演していた。秋にはチャリティーコンサートや恒例の学園祭など様々な場所での露出が多くなった。
2008年
- S.A.Bカンパニーとマネージメント契約。音楽事業部に所属する。
- 4月、所属後第1弾シングル「LOVE SONG/DISTANCE」の両A面シングルを発売。タイトル曲となっている2曲は、前回のアルバム「UNEVENNESS」からの曲で、今作品からアレンジ・作曲・作詞などで参加している松田純一によるアレンジ。
3曲目「フラLetter」・4曲目「恋のカルテ」は松田純一の曲に合作でTokyo Callingも作詞で参加している。 2009年 5年間の活動に一旦ピリオドを打ち、12月31日で無期限活動休止を発表。 同時に、所属事務所とのマネージメント契約も終了。
ディスコグラフィ
[編集]シングル
- 2004年12月「Let oneself go/ONE the WAY」レーベル-TMC Records(作詞・作曲:Tokyo Calling)
- 2005年8月「Over the Summer/eye to eye」レーベル-TMC Records(作詞・作曲:Tokyo Calling)
- 2008年4月「LOVE SONG/DISTANCE」 レーベル-Naniwac Music
- LOVE SONG(作詞・作曲:Tokyo Calling/編曲:松田純一)
- DISTANCE(作詞・作曲:Tokyo Calling/編曲:松田純一)
- フラLETTER(作詞/Tokyo Calling、松田純一/作曲・編曲:松田純一)
- 恋のカルテ(作詞/Tokyo Calling、松田純一/作曲・編曲:松田純一)
アルバム
- 2007年4月「UNEVENNESS」レーベル-TMC Records(作詞・作曲:Tokyo Calling) 全8曲入り
- Let oneself go(1stシングル)
- Over the Summer(2ndシングル)
- DISTANCE(3rdシングル)
- eye to eya(2ndシングルカップリング)
- Link
- LOVE SONG(3rdシングル)
- ONE the WAY
- freesia