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T1型水雷艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
T13型水雷艇から転送)
1935 / 1937型水雷艇

1935型水雷艇の概観図
基本情報
艦種 水雷艇
命名基準 T(水雷艇の識別記号)+番号のみ
建造所 シハウ(Schichau)造船ドイツ造船
運用者  ドイツ国防軍海軍(Kriegsmarine)
就役期間 1939年 - 1945年(ドイツ海軍)
同型艦 1935型×12隻、1937型×9隻
前級 1924型水雷艇
次級 1939型水雷艇
要目
排水量 基準 : 845t、満載 : 1,090t(1935型)
基準 : 874t、満載 : 1,121t(1937型)
全長 84.3m(1935型)
85.2m(1937型)
最大幅 8.62m(1935型)
8.87m(1937型)
吃水 2.83m(1935型)
2.8m(1937型)
機関方式 ワグナー式蒸気ボイラー×4基
ワグナー式ギヤードタービン×2基
出力 31,000馬力、2軸推進
速力 35ノット
航続距離 1,200海里(1935型)
1,600海里(1937型)
(共に19ノット航行時)
乗員 119名
兵装 SK C/32 105mm単装砲×1基
20mm対空機関砲×2基
3連装533mm魚雷発射管×2基
機雷×30発
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T1型水雷艇1935型水雷艇Torpedoboot 1935)とは、ナチス・ドイツ海軍(Kreigsmarine)の水雷艇である。本項目に置いては、拡大改良型のT13型水雷艇1937型水雷艇Torpedoboot 1937)についても扱う。

概要

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T1型水雷艇は、ナチス政権下における1935年度建艦計画に基づいて発注されたものである。設計に置いては、1930年に英米日仏伊の5ヶ国間で調印されたロンドン海軍軍縮条約における駆逐艦の定義をすり抜けるために、基準排水量を600t以下に収めることを目標としたが[1][2]、最終的な基準排水量は845tに達してしまった。後には1937年度建艦計画に基づいて船体をやや大型化させたT13型水雷艇が新たに建造されたが、基本性能や兵装にはほとんど差がなかった。

T1型及びT13型の兵装は船体中央部に搭載された2基の3連装533mm魚雷発射管が主力であり、搭載されている火砲は艦尾部分の105mm単装砲1基と艦橋付近に設置された2門の20mm機関砲だけであったため対水上・対空火力が弱く汎用性の低さが問題となったため、後継のT22型水雷艇では、105mm単装砲を4門に増強している。

T1型およびT13型水雷艇は第二次世界大戦勃発後、半ば駆逐艦の代用として北海やバルト海、英仏海峡などにおいて大型戦闘艦(戦艦や重・軽巡洋艦)や各種船団の護衛、通商破壊戦など各種の作戦行動に幾度どなく参加したが、その結果多くの艇が失われた。ドイツ敗戦まで生き延びた艇も、賠償艇としてアメリカやフランス、デンマーク、ソ連に引き渡された。

同型艇

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T1型水雷艇

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艇名 造船所 就役 備考
T1 シハウ造船、エルビング造船所 1939年12月1日 1945年4月9日、キール軍港にて爆撃を受け撃沈。
T2 シハウ造船、エルビング造船所 1939年12月2日 1944年7月29日、ブレーメンにて爆撃を受け撃沈。
T3 シハウ造船、エルビング造船所 1940年2月3日 1940年9月18日、ル・アーヴルにて爆撃を受け撃沈。1943年に浮揚・修理され同年12月12日に再就役。1945年3月14日、ダンツィヒ湾にて触雷・沈没。
T4 シハウ造船、エルビング造船所 1940年5月27日 (?)1952年に解体
T5 ドイツ造船、ブレーメン造船所 1940年1月23日 1945年3月14日、ダンツィヒ湾にて触雷・沈没。
T6 ドイツ造船、ブレーメン造船所 1940年4月30日 1940年11月7日沈没。
T7 ドイツ造船、ブレーメン造船所 1939年12月20日 1944年7月29日、ブレーメンにて沈没
T8 ドイツ造船、ブレーメン造船所 1939年10月8日 1945年5月3日、自沈
T9 シハウ造船、エルビング造船所 1940年7月4日 1945年5月3日、自沈
T10 シハウ造船、エルビング造船所 1940年8月5日 1944年12月18日、グディニャの浮きドックにてイギリス空軍の爆撃により破壊。
T11 ドイツ造船、ブレーメン造船所 1940年5月24日 フランス海軍に賠償艇として譲渡。Bir Hakeimと改名され運用されるが、1951年10月に退役。
T12 ドイツ造船、ブレーメン造船所 1940年7月3日 ソ連海軍に賠償艇として譲渡。ポドヴィージュヌイПодвижный)と改名され運用される。

T13型水雷艇

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T13型水雷艇は、9隻全てがシハウ造船のエルビング造船所で建造された。

艇名 就役 備考
T13 1941年5月31日 1945年4月10日、沈没。
T14 1941年6月14日 フランス海軍に賠償艇として譲渡。Dompaireと改名され運用。1949年退役。
T15 1941年6月26日 1945年12月13日、イギリス空軍に爆撃訓練の標的として使用され撃沈。
T16 1941年7月24日 1945年4月13日、イギリス空軍の爆撃により破壊。
T17 1941年8月18日 ソ連海軍に賠償艇として譲渡。ポルィーヴィストィイПорывистый)と改名され運用される。1960年退役。
T18 1941年11月22日 1944年9月13日、バルト海にてソ連空軍の攻撃により撃沈。
T19 1942年12月18日 デンマークに賠償艇として譲渡されるが、解体。
T20 1942年6月5日 フランス海軍に賠償艇として譲渡。Baccaratと改名され運用。1951年退役。
T21 1942年7月11日 アメリカに賠償艇として譲渡。1946年6月10日に自沈処分。

備考

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  1. ^ 基準排水量600t超過。ヴェルサイユ条約における駆逐艦の排水量制限は800t以下であったが、ドイツ再軍備宣言後の1935年6月18日に締結された英独海軍協定Anglo-German Naval Agreement)により、ドイツ海軍の軍備制限は大幅に緩和された。
  2. ^ 同様に「基準排水量600t以下の船体に、駆逐艦並みの重装備を施す」コンセプトで建造された艦艇としては、大日本帝国海軍の千鳥型水雷艇やイタリア海軍のスピカ級水雷艇、フランス海軍のラ・メルポメーヌ級水雷艇が挙げられる。

関連項目

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外部リンク

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