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スー・ライン鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
SOOから転送)
スー・ライン鉄道
路線地図
1961年から現在までのSOOの路線図。現在営業中のものが赤、ミルウォーキー鉄道から引き継いだ路線が青、旧SOOから引き継ぎウィスコンシン・セントラルに譲渡したものが緑。青い点線は廃止した部分
報告記号 SOO
路線範囲 ノースダコタ州からミシガン州シカゴ経由)
運行 1961年–2000年
本社 ミネソタ州ミネアポリス
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スー・ライン鉄道(スー・ラインてつどう、英語: Soo Line Railroad)は アメリカ合衆国に存在する一級鉄道である。報告記号SOOカナダ太平洋鉄道(CP)の子会社である。スー・ライン・コーポレーションの傘下にある。

概要

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SOOはミネアポリス・セント・ポール・アンド・スー・セント・マリー鉄道(Minneapolis, St. Paul and Sault Ste. Marie Railroad、略称MStP&SSM、報告記号は同じくSOO。以下、旧SOOと記す)から名称を承継しているが、SOOは1961年に旧SOOとCPの他の子会社を統合して発足したものである。

他の子会社とは、ダルース・サウス・ショア・アンド・アトランティック鉄道(DSS&A)とウィスコンシン・セントラル鉄道(WC)である。のちに、1982年ミネアポリス・ノースフィールド・アンド・サザン鉄道を、1985年には倒産したシカゴ・ミルウォーキー・セント・ポール・アンド・パシフィック鉄道(ミルウォーキー鉄道、MILW)を買収。一方、1987年には路線の大部分をウィスコンシン・セントラル(現在はカナディアン・ナショナル鉄道の子会社)に譲渡した。

SOO、デラウェア・アンド・ハドソン鉄道(DH)、ダコタ・ミネソタ・アンド・イースタン鉄道(DME)などのCPの子会社はCPの名の下に運営されており、車両の塗装もCPのスキームに変更されつつある。しかし、陸上交通委員会Surface Transportation Board)はCPの子会社すべてをSOOグループとして扱っている[1]

解説

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SOOの幹線はカナダ・アメリカ国境のノースダコタ州ポータルから南東に向かい、旧SOOだった路線でミネソタ州双子都市ミネアポリスセントポール)を経て旧MILWの路線でミルウォーキーを通りイリノイ州シカゴへと向かう。

シカゴ~ミシガン州デトロイト間ではノーフォーク・サザン鉄道に線路使用権を得て列車を運行しており、またCSXトランスポーテーションの路線では列車牽引権を付与して列車を運行している。

アメリカとカナダの国境越えは、CPが所有するミシガン・セントラル鉄道トンネル(デトロイト川トンネル)(Michigan Central Railway Tunnel)による。このトンネルは国境となっているデトロイト川をくぐるもので、デトロイトとカナダのオンタリオ州ウィンザーとを接続している。

支線として、アメリカ・カナダ国境のミネソタ州ノイエス(Noyes)から同グレンウッドまでの路線やシカゴからケンタッキー州ルイビルまでの路線があった。後者は2006年インディアナ鉄道に売却された。

双子都市からダルースまでは、BNSF鉄道において線路使用権を持っている。

歴史

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現在のSOOの源流は1949年10月19日に設立されたダルース・サウス・ショア・アンド・アトランティック鉄道(レールロード)である。これはダルース・サウス・ショア・アンド・アトランティック鉄道(レールウェイ)を再編してできたもので、これと子会社のミネラル・レンジ鉄道が元となっている。

CPが1961年1月1日をもって子会社を再編した折、これらの鉄道会社を旧SOOとウィスコンシン・セントラル鉄道(WC)に統合し、現在のスー・ライン鉄道という名称とした。新生SOOは1982年、双子都市周辺の短距離鉄道であるミネアポリス・ノースフィールド・アンド・サザン鉄道(MN&S)の経営権を得た[2]

旅客輸送は1961年の統合時にほぼ全廃されたが、いくつかの列車が残った。

1984年、CPは持ち株会社としてスー・ライン・コーポレーションをミネソタ州に設立。12月にはSOOの株式を譲渡し、経営権を委ねた。2ヶ月後の1985年2月19日、SOOは倒産したミルウォーキー鉄道(MILW)を買収。新たに設立した子会社、ザ・ミルウォーキー・ロード・インクとした。この会社とMN&Sは合理化のため1986年1月1日にSOOに統合した。

1986年2月10日、重要度の低い路線を合理化して運営するためにレイク・ステーツ・トランスポーテーション・ディビジョン(LSTD)を設立した[3]。その中にはシカゴと双子都市とを結ぶWC由来の路線もあった。従業員との合意ができなかったため、翌1987年、SOOは総延長1,800マイル(2,900キロメートル)のLSTDの路線を新たな地域鉄道であるウィスコンシン・セントラルに譲渡した。その価格は1億3300万ドルであった[4]

1990年、CPはそれまでスー・ライン・コーポレーションの株式の56パーセントを保有していたが、株を買い進めてこれを完全に支配下に置いた[2]

社長

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  • レオナルド・マーレイ(Leonard Murray), 1961–1978. 前DSS&A社長
  • トーマス・M・ベックリー(Thomas M. Beckley), 1978–1983.
  • デニス・マイルス・キャバナフ(Dennis Miles Cavanaugh), 1983–1986, 1987–1989.
  • ロバート・C・ギルモア(Robert C. Gilmore), 1986–1987.
  • エドウィン・V・ダージ(Edwin V. Dodge), 1989–1996

脚注

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  1. ^ Annual Report of Soo Line Railroad Company to the Surface Transportation Board for the Year Ended December 31, 2007, p. 18
  2. ^ a b Moody's Transportation Manual, 1992, pp. 221, 223
  3. ^ Modern Railroads, February 15, 1988, p. 37
  4. ^ Steve Glischinksi, Regional Railroads of the Midwest, Voyageur Press, 2007, p. 137

参考文献

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  • Gjevre, John A. (1990) [1973]. Saga of the Soo, West from Shoreham (second ed.). Morehead, Minnesota: Gjevre Books