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SM52W

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

SM52Wは、日本造船研究協会において策定された溶接高張力鋼の規格[1]引張強さ 50 kgf/mm2 (490 MPa)級・Si-Mn系の非調質高張力鋼である[2][3]

開発に至る経緯

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第二次世界大戦中、大日本帝国海軍ドイツ国から技師を招聘して50キロ級高張力鋼についての研究を行っており[1]呉海軍工廠八幡製鉄所の協力のもとでSi-Mn系の非調質高張力鋼の開発に成功、終戦直前には潜水艦に採用されるに至っていた[3]

終戦によって研究は中断したものの、復興が進むとともに建築土木・船舶・車両など各方面から溶接性高張力鋼の要望が高まったのを受けて、1950年代初頭より、製鋼各杜は海軍が開発した高張力鋼を参考として50キロ級高張力鋼の研究開発に力を注ぐようになり、また関係学協会も積極的に利用研究を推進して工作基準などの策定を進めていった[3]

そして昭和28年度計画より艦艇の国内建造が再開されることになったのを受け、防衛庁から日本造船研究協会への委託研究として、これらの艦艇に用いるための鋼材の仕様を定めるための研究が実施されることになった[4]

SM52W規格案の作成

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1953年には同協会において第6研究部会が組織され、艦艇用高張力鋼の大規模な試作研究が着手された[1]。この研究は大学・研究所・製鋼所・造船所を一丸として推進され、海軍での研究当時は重視されていなかった切欠き靭性などのデータ不足を補い、イギリスアメリカ合衆国、ドイツで使用されているMn系およびMn-Si系高張力鋼規格を参照し、特にSiの溶接性への影響を重視して、50キロ級高張力鋼の成分を決めるための研究が行われた[1]。この結果、Mnを主体とした英米系のものより、ドイツのSt 52に準じたSi-Mn系の高張力鋼のほうが[注 1]、溶接による硬化を増すことなく、Siによる強度増加を期待できる点で有利であると結論された[1]

これらの検討を経て、1954年10月、下記のようなSM52W規格案が作成された[1][5]

  • 化学成分: 炭素(C)0.18パーセント以下、マンガン(Mn)1.25パーセント以下、ケイ素(Si)0.55パーセント以下、リン(P)および硫黄(S)0.03パーセント以下、(Cu)0.30パーセント以下、ニッケル(Ni)0.25パーセント以下、クロム(Cr)0.25パーセント以下
  • 機械的性質: 引張強さ 52–60 kgf/mm2 (510–590 MPa)、降伏点32 kgf/mm2 (310 MPa)以上、伸び20パーセント以下

昭和28年度計画艦艇用の高張力鋼はこの規格案に従って製造され、甲型警備艦(28DD)などに採用された[4][5]

派生規格の作成

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この建造経験を踏まえ、昭和3031年度において、更に検討を重ねるための研究が船舶設計協会に委託された[4]。この研究も大学・研究所・製鋼所・造船所が参加する委員会組織により推進され、東京大学の木原博教授が委員長を務めた[4]。この検討を受けた化学成分などの改良を経て、1957年11月に防衛庁規格(NDS)としてNS30が定められ[注 2]、戦後初の国産潜水艦である「おやしお」(31SS)に採用された[5][6]

1954年からは引張強さ 60–70 kgf/mm2 (590–690 MPa)級で溶接性・工作性の良好な高張力鋼の開発も開始されており、1956年にはNS30をもとにバナジウムと特殊な熱処理を加えた調質鋼が登場、1961年5月にNS46(超高張力鋼HHT材)として規格化された[5][6]。これは防衛庁の艦船だけでなく、日本初の本格的な有人潜水調査船である「しんかい」にも用いられた[7]

またこれらの研究・実用実績を踏まえて、Si-Mn系50キロ級高張力鋼は軟鋼とほとんど変わりなく安全容易に溶接・工作しうることが認識されて、造艦用途に限らず広く各方面に普及した結果、1959年には、化学成分などが一部改訂された規格がSM50として日本工業規格(JIS)に制定されるに至った[2][3][注 3]。現在、溶接構造用圧延鋼材(SM材)は、橋梁、建築などの社会インフラに用いられる溶接構造用鋼として最もポピュラーな規格の一つとなっている[8]

脚注

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注釈

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  1. ^ St 52は溶接性の良好な構造用高張力鋼として実用化された初のものであり、初期にはまだ溶接性が十分に良好でなかったために橋梁等で破壊事故を生じたものの、膨大な研究を経て対策が進められていた[3]
  2. ^ NSはNavy用SteelまたはNDSのSteelという意味であり、30は降伏点を表したものであった[4]
  3. ^ 国際単位系への適合化を図るため、後にSM490と改称された[8]

出典

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参考文献

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  • 今井保穂「高張力鋼の防衛庁規格について」『特殊鋼』第8巻、第10号、特殊鋼倶楽部、27-30頁、1959年10月。doi:10.11501/3317990 
  • 木原博「日本における構造用高張力鋼の発達と溶接上の問題点」『鉄と鋼』第58巻、第13号、日本鉄鋼協会、1903-1912頁、1972年。doi:10.2355/tetsutohagane1955.58.13_1903 
  • 幸島博美「耐圧船殻の構造と材質(潜水艦 100のトリビア)」『世界の艦船』第766号、海人社、26-27頁、2012年9月。 NAID 40019411790国立国会図書館書誌ID:023940018 
  • 寺井清「潜水調査船」『溶接学会誌』第38巻、第7号、718-729頁、1969年。doi:10.2207/qjjws1943.38.7_718CRID 1390282681479146880https://doi.org/10.2207/qjjws1943.38.7_718 
  • 日本防衛装備工業会 編「兵器の材料」『兵器と技術』第524号、日本防衛装備工業会、1991年1月。doi:10.11501/11395742 
  • 古谷仁志「高張力鋼 (特集/特殊鋼の合金元素の基礎知識)」『特殊鋼』第68巻、第4号、特殊鋼倶楽部、24-27頁、2019年7月。 NAID 40021967311https://www.tokushuko.or.jp/publication/magazine/pdf/2019/magazine1907.pdf 
  • 堀川一男「高張力鋼の歴史」『安全工学』第15巻、第1号、安全工学会、1-7頁、1976年。doi:10.18943/safety.15.1_1 
  • 宮野樺太男『高降伏点鋼とその応用』日刊工業新聞社〈日刊工業技術選書〉、1963年。doi:10.11501/2499156