R-2 (ミサイル)
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R-2 | |
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種類 | 短距離弾道ミサイル |
原開発国 | ソビエト連邦 |
運用史 | |
配備期間 | 1952-53年 |
配備先 | ソビエト連邦軍 |
諸元 | |
重量 | 30,400 kg (67,000 lb)[1] |
全長 | 19.65 m (64 ft 6 in)[1] |
直径 | 1.65 m (5 ft 5 in) |
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最大射程 | 600 km (370 mi)[1] |
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発射 プラットフォーム | 運搬式 |
R-2(ロシア語:Р-2)はR-1の設計を元に開発されたソビエト連邦の短距離弾道ミサイル。NATOコードネームはSS-2 Sibling、ソ連コードは8Ж38。R-1もドイツのV-2のソ連内での生産型であるため、V-2の改良型でもある[2][3]。
概要
[編集]R-2はR-1の実験後、すぐに進歩的な改善を加えて開発された。R-2は少なくとも4つの主な改良点があった。重量は50%増加したが、飛距離は2倍以上の600kmに伸びた。R-2はR-1の設計から(また、V-2のそれと)以下のような主な相違を有する[1]。
- 弾頭が大気圏再突入前にロケットから分離され、V-2やR-1で最も大きな弱点であった外殻の強度問題が除去された。
- ロケットの構造では外殻がR-1の主な荷重負荷を分担したことと対照的に、燃料タンク自体がロケットの主な荷重負荷を分担する応力外皮構造になった。これは骨組みの全体としての質量を減少させた。
- 制御モジュールは燃料タンクの上から液体酸素タンクの下に移動された。これによって打ち上げ前の準備が簡単になった。現在、制御モジュールはエンジンのすぐ上に置かれており、振動はアルミに替わって鋼材をテールコーンに使い、減衰されている。
- 命中精度の改善のために無線誘導が導入され、飛距離が倍に伸びたにもかかわらずR-1と同水準の命中精度が与えられた。
最初のテスト飛行は1949年9月に行われ、1951年11月には採用が認められ、1953年には多数のミサイルが配備された。R-1とR-2の合計生産数は1,545基になった。
また、高高度空域の観測ロケット型としてR-2Aが開発された。このロケットは犬とさまざまな高高度用の物理実験器具をノーズコーンに乗せていた。大気分析を実行した後、エンジンの排気ガスによる汚染を避けるため、ミサイルの側面から2つのポッドが排出される形式となっていた。
1957年12月6日にライセンス契約にしたがって中国にも技術移転されることが決定し、12月24日には北京に2台のR-2ミサイルが到着した。このミサイルは中国のロケット開発に大きな影響を与え、DF-1(東風-1)としてコピーされた[3]。
R-2ミサイルはソ連におけるドイツの設計に基づいた最後のミサイルとなった。その後も幾分かのドイツの影響は明確に残存したが、R-2開発後のソビエトのミサイルはOKB-1の独自の設計に基づいた。
運用
[編集]関連項目
[編集]- G-1 - ドイツ人技術者たちによってV2ロケットの発展型として開発が進められたが、不採用になった。
- シュペルV-2 - 同時期、フランスでドイツ人技術者たちによってV2ロケットの発展型として開発が進められたが、こちらも上層部の決定により完成しなかった。
- BP-190計画 - 同時期、進められたV2ロケットを有人化して高度190kmへ弾道飛行する計画だったが、実現しなかった。
脚注
[編集]- ^ a b c d First Steps of the Domestic Rocket Construction
- ^ DF-1. GlobalSecurity.org.
- ^ a b R-2 / SS-2 SIBLING. GlobalSecurity.org