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フランシスコは、第266代ローマ教皇(在位:2013年3月13日 - )。就任は3月19日であり、この日にサン・ピエトロ広場において就任ミサを執り行った。新教皇の選出にあたり、日本のカトリック中央協議会は声明を発し、枢機卿自身は「フランチェスコ」とイタリア語で発音したが、「日本では英語の発音で『アッシジの聖フランシスコ』との呼び名が定着している」ので、混乱を避けるために「報道機関も英語読みで統一してほしい」と要請した。そのとき、併せてアッシジのフランチェスコとの混同を避けるために「日本の教会は1世を付けて呼んでいく」と付言したが、その後教皇庁大使館より日本カトリック中央協議会に通知があり、新教皇名には「1世」を付けないことになり、新教皇名を「教皇 フランシスコ」として各小教区・信徒・司祭・修道者に周知するよう指示がなされた。
ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ(Jorge Mario Bergoglio)は、1936年にアルゼンチンの首都ブエノスアイレス特別区フローレス区で、イタリア系移民の子として生まれた。父のマリオ・ホセ・ベルゴリオは、ピエモンテ州のポルタコマーロ出身の鉄道職員であり、母のレジーナ・マリア・シヴォリもまたイタリア系移民の子で、ブエノスアイレス出身である。夫婦は中流の労働者階層で5子をもうけたが、ホルヘ・マリオは幼少期に感染症により肺の一部を摘出している。マリオ・ホセはホルヘ・マリオが小学校を卒業すると「教育上の配慮から」会計士事務所に働きに出された。サレジオ会が経営するラモス・メジア学院(現在のウィルフリド・バロン学院)を経て、ブエノスアイレス大学で化学を学び修士号を取得した。
ベルゴリオは1958年3月11日にイエズス会に入会し、ブエノスアイレス特別区ビジャ・デボト区の神学校で司祭になるための勉強を始め、1960年にまずブエノスアイレス州サン・ミゲル市のサン・ホセ高等学院で哲学を学んだ。その後1964年から1965年にかけて、サンタフェ州のインマクラーダ学院で文学と心理学の教鞭を執ることになり、1966年にはブエノスアイレスのサルバヴァドール学院でも同じ教科を教えた。
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