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フィリピン・デイリー・インクワイアラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Philippine Daily Inquirerから転送)
フィリピン・デイリー・インクワイアラー
Balanced News, Fearless Views
(均衡あるニュース、恐れない見解)
種別日刊新聞
判型ブロードシート判
所有者フィリピン・デイリー・インクワイアラー・インク
設立者ユージニア・D・アポストル
ベティ・ゴ=ベルモンテ
マックス・ソリベン
発行者Abelardo S. Ulanday
会長Paolo R. Prieto
共同編集者Abraham Cerojano
編集主幹Dennis Maliwanag
社説編集者Gilbert Cadiz
スポーツ編集者Francis Ochoa
画像編集者Remar Zamora
設立1985年12月9日 (38年前) (1985-12-09)
政治的傾向中道左派
言語英語
本社所在地フィリピンの旗 フィリピン マニラ首都圏マカティ
Media Resource Plaza Building, 2530 Mola corner Pasong Tirad Streets, La Paz, 1204, Makati, Metro Manila, Philippines
発行数1,979,000部
姉妹紙Inquirer Bandera
Inquirer Libre
Cebu Daily News
ISSN0116-0443
ウェブサイトhttps://www.inquirer.net
フィリピンの旗 フィリピン
都市マカティ

フィリピン・デイリー・インクワイアラー』(Philippine Daily InquirerPDI) は、単に『インクワイアラー』(Inquirer) と言及されることもある、フィリピン英字新聞1985年に創刊されたこの新聞は、しばしばフィリピンにおける記録の新聞英語版とされる[1][2]。この新聞は、フィリピンにおいて、最も数多く賞を受賞しているブロードシート判の新聞であり、様々なメディアに及ぶグループである インクワイアラー・グループ英語版は、各種の媒体を通して、5400万人に到達しているとされる[3]

歴史

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『フィリピン・デイリー・インクワイアラー』は、1985年12月9日に、発行人ユージニア・D・アポストル英語版コラムニストマックス・ソリベン英語版が、ベティ・ゴ=ベルモンテ英語版とともに、フェルディナンド・マルコス大統領の政権末期に創刊し、マルコス政権下で創刊された、最も早い時期の民間新聞のひとつとなった[4]

『インクワイアラー』は、週刊で発行されていた『フィリピン・インクワイアラー (Philippine Inquirer)』の後継紙であり[4]、この週刊紙は、1983年8月21日マニラ国際空港で野党指導者だったニノイ・アキノ暗殺された事件英語版連座したとして起訴された25人の兵士たちの裁判について報道するために、1985年にアポストルが創刊したものであった。アポストルは他にも、マルコス政権に反対する内容のタブロイド判の週刊誌『Mr. & Ms. Special Edition』も刊行していた[4]

ベルトラン時代(1985年 - 1989年)

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いずれも週刊であった『Mr. & Ms. Special Edition』と『Philippine Inquirer』の後継紙として、『インクワイアラー』紙は、100万フィリピン・ペソの予算で創刊され、初期から毎日 30,000部を発行し好調な滑り出しを見せた。この新しい日刊紙は、マニラの港湾地区であるポート・エリア英語版の13丁目 (13th street) とレイルロード通り (Railroad street) の交差点にあったスター・ビルディング (Star Building) という荒廃した平屋の建物に、入居していた。100平行メートルほどのニュースルームでは、編集者、記者、通信員、写真担当、その他の編集関係者など40人ほどが働いていた。コラムニストのルーイー・ベルトラン英語版編集長に任命されていた。

1986年フィリピン大統領選挙英語版に際して、この新聞はコラソン・アキノの運動を記録して伝える媒体となり、また、1986年ピープルパワー革命(エドゥサ革命)の際も同様であった。この新聞のスローガンは「Balanced News, Fearless Views(均衡あるニュース、恐れない見解)」であるが、これは、創刊直後のひと月の間におこなわれたスローガンを募集するコンテストを経て、1986年1月から掲げられるようになったものである[4]。この初期においては、最も多い時で、発行部数は1日あたり50万部に達していた。

1986年7月、財政面で疑念や、優先事項の不一致から創設メンバーの間に亀裂が生じ、ベルモンテ、ソリベンと、アート・ボージャル (Art Borjal) が『インクワイアラー』紙を離れ、『ザ・フィリピン・スター (The Philippine Star)』紙を創刊した[5]。『インクワイアラー』紙が本社を置いていたスター・ビルディングは、ベルモンテの所有物件だったため、『インクワイアラー』紙は平和裡に、イントラムロスのアドゥアナ通り (Aduana Street) にソリベンが所有していた、BFコンドミニアム (BF Condominium) へと移転した[5]

パスクアル時代(1989年 - 1991年)

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1987年2月、『デイリー・エクスプレス (Daily Express)』紙の元副編集長だったフェデリコ・D・パスクアル (Federico D. Pascual) が、『インクワイアラー』紙の執行編集者 (executive editor) に指名され、2年後には編集長となった[4]。彼が在職していた1990年に、『インクワイアラー』紙は『マニラ・ブレティン (Manila Bulletin)』紙を抜いて、フィリピン最大の発行部数をもつ新聞となった。

ところが、1990年7月に発生したルソン島地震(バギオ大地震)によって、イントラムロスの『インクワイアラー』紙本社は、被害を被った。同紙は1991年1月5日に、マラテ英語版の国際連合大通り (United Nations Avenue) とロムアルデス通り (Romualdez Street) の角にあるYICビルディング (YIC building) へ移転した。

ヒメネス=マグサノク時代(1991年 – 2015年)

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2016年の再刊以前に使用されていた『インクワイアラー』紙のロゴ
1991年から死去した2015年まで、『インクワイアラー』紙の編集長を務めたレティ・ヒメネス・マグサノク2011年撮影。

『インクワイアラー』紙の編集長を最も長く務め、また最初の女性編集長でもあったのは、亡くなったレティ・ヒメネス・マグサノク英語版[6]、着任は1991年6月14日であった。それ以前の彼女は、『マニラ・ブレティン』紙の前身であった『ブレティン・トゥデイ (Bulletin Today)』紙の日曜版雑誌『パノラマ (Panorama)』のコラムニスト、編集者を務めていたが、マルコスをからかう記事を書いたことで、クビになっていた。マルコス政権の崩壊まで、彼女は『Mr. & Ms. Special Edition』の編集に携わっていた。彼女は『Sunday Inquirer Magazine』の初代編集長でもあった[7]

彼女が在職中の1995年1月12日に、『インクワイアラー』紙は、4度の移転を経て、現行のマカティの本社に移った。

大統領となったジョセフ・エストラーダは、『インクワイアラー』紙について、「偏見悪意捏造」だと指弾した。1999年、政府関係の組織やエストラーダ支持派の企業、映画プロデューサーなどが、一斉に『インクワイアラー』紙から新聞広告を引き揚げ、5か月にわたってボイコットを続けた[8]マラカニアン宮殿(大統領府)は、この広告ボイコットに広く関わっていたが、発行人のイサガニ・ヤムボット英語版は、これを報道の自由への攻撃だとして糾弾した[8]

2017年AGBニールセン・フィリピン英語版が実施した調査によると、『インクワイアラー』紙は、フィリピンにおいて最も広く読まれている新聞とされた。これに続く第2位は『マニラ・ブレティン』紙、第3位は『ザ・フィリピン・スター』紙であった[9]。マグサノクは、タギッグ聖ルカ医療センター英語版2015年12月24日に死去した[7][10]。死から1か月後、ヒメネス=マグサノクは、『インクワイアラー』紙から「2015年今年のフィリピン人 (the Filipino of the Year 2015)」に認定された。

ノラスコ時代(2016年 - 2018年)

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マカティにある、フィリピン・デイリー・インクワイアラー本社。

2016年2月2日、『インクワイアラー』紙は、経営編集者のホセ・マ・ノラスコ (Jose Ma. Nolasco) を、従来から30年以上も使ってきたの編集長 (editor-in-chief) に代えて、執行編集者 (executive editor) という同紙の新しい役職に就けた[11]

2024年10月1日、『インクワイアラー』紙は、それまでの娯楽 (Entertainment) 欄を、ライフスタイル (Lifestyle) 欄に統合した。

読者

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『インクワイアラー』紙の放送用車両。

『インクワイアラー』紙のウェブサイトによると、同紙には、毎日270万人以上の読者が全国にいて、市場占拠率は50パーセントを超え、読者調査の首位に立っているという[12]

評判

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『フィリピン・デイリー・インクワイアラー』は、2022年の時点で、フィリピン人に信頼されているニュース源のひとつと考えられており、ロイター研究所英語版によれば、信頼度は65パーセントに上るという[13]。ロイター研究所による2023年のデジタル・ニュース・レポート (the 2023 Digital News Report) によると、信頼性は68パーセントに上がり、フィリピンにおける最も信頼されるブロードシート判新聞となっている[14]。この調査によると、『インクワイアラー』紙は、28パーセントの回答者が週に1回以上手にし、13パーセントは週に3回以上読むとされ、フィリピンにおいて最もよく読まれている新聞になっているという。オンラインでの到達度を見ると、36パーセントの回答者が、オンライン版を読んでおり、20パーセントは週に3回以上オンライン版を読むとしており、GMAネットワークABS-CBNに次ぐ第3位となっている。

少なくとも2点の作品が、『インクワイアラー』紙をフィリピンの記録の新聞であると評しているが、これは批判的文脈においてのことである。『ザ・マニラ・タイムズ (The Manila Times)』紙は、『インクワイアラー』紙を批判して、「発表は...気の抜けた、何も考えていない立場 (publish[ing] ... vapid, unthinking positions)」のものであり、「良くても、非難されて当然 (reprehensible, at best)」だと述べている[15]2014年には、GMAニュース英語版が、『インクワイアラー』紙を事実上の (de facto)記録の新聞だとした上で、「この特別な歴史は、同紙が崩壊し始めていると述べる際に、痛みを重ねるものでしかない。 (This distinguished history only makes it more painful to say that the paper is starting to suck.)」と述べている[16]

脚注

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  1. ^ Philippine Daily Inquirer – Inquirer.Net”. Library of Congress. May 7, 2022時点のオリジナルよりアーカイブJune 6, 2022閲覧。
  2. ^ Philippines | RSF”. rsf.org. August 31, 2022時点のオリジナルよりアーカイブAugust 25, 2022閲覧。
  3. ^ Philippine Daily Inquirer focuses on 5 priorities to reach goal of 100,000 digital subscribers”. International News Media Association (INMA). August 8, 2022時点のオリジナルよりアーカイブAugust 25, 2022閲覧。
  4. ^ a b c d e “History”. The Philippine Daily Inquirer. オリジナルのDecember 6, 2013時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131206220643/http://inquirer.dqs.com.ph/index.php/about-us/history May 6, 2013閲覧。 
  5. ^ a b Yu, Doreen (July 28, 2011). “The beginnings of The Philippine Star”. The Philippine Star. オリジナルのJuly 4, 2017時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170704063611/http://www.philstar.com/supplements/710349/beginnings-philippine-star May 6, 2014閲覧。 
  6. ^ Letty Jimenez-Magsanoc: Stars of Asia-Opinion Shapers”. Sheridan Prasso (July 3, 2000). April 3, 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。May 18, 2014閲覧。
  7. ^ a b Nery, John (November 25, 2015). “Magsanoc, who led the Inquirer for 24 years, writes 30”. Philippine Daily Inquirer. オリジナルのDecember 25, 2015時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20151225090941/http://newsinfo.inquirer.net/750024/magsanoc-who-led-the-inquirer-for-24-years-writes-30 December 25, 2015閲覧。 
  8. ^ a b Balana, Cynthia D. (March 4, 2012). “Isagani Yambot: PDI grammar cop, pillar of free press, friend”. Philippine Daily Inquirer. オリジナルのMarch 3, 2012時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120303191621/http://newsinfo.inquirer.net/155727/isagani-yambot-pdi-grammar-cop-pillar-of-free-press-friend March 5, 2012閲覧。 
  9. ^ The STAR is NCR's no. 1 newspaper”. The Philippine Star (December 8, 2017). December 15, 2021時点のオリジナルよりアーカイブDecember 15, 2021閲覧。
  10. ^ Inquirer editor in chief Letty Jimenez-Magsanoc dies”. Rappler (December 24, 2015). December 15, 2021時点のオリジナルよりアーカイブDecember 15, 2021閲覧。
  11. ^ “Nolasco appointed PDI executive editor”. Philippine Daily Inquirer. オリジナルのFebruary 3, 2016時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160203091807/http://newsinfo.inquirer.net/760953/nolasco-appointed-pdi-executive-editor February 3, 2016閲覧。 
  12. ^ Philippine Daily Inquirer”. philippinedailyinquirerplus.pressreader.com. June 7, 2022時点のオリジナルよりアーカイブJune 6, 2022閲覧。
  13. ^ Philippines” (英語). Reuters Institute for the Study of Journalism. June 21, 2023閲覧。
  14. ^ Philippines” (英語). Reuters Institute for the Study of Journalism. June 21, 2023閲覧。
  15. ^ “Actor-politicians and understanding the vote of the poor”. The Manila Times. (July 6, 2014). オリジナルのApril 26, 2018時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180426213024/http://www.manilatimes.net/actor-politicians-and-understanding-the-vote-of-the-poor/109589/ April 25, 2018閲覧。 
  16. ^ Reform the country's 'paper of record”. GMA News (May 7, 2014). November 19, 2016時点のオリジナルよりアーカイブApril 25, 2018閲覧。

関連項目

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外部リンク

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