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O・パンニールセルヴァム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
O・パンニールセルヴァム
O. Panneerselvam
生年月日 (1951-01-14) 1951年1月14日(73歳)
出生地 インドの旗 インドペリヤクラム
所属政党 全インド・アンナー・ドラーヴィダ進歩党

タミル・ナードゥ州首相
在任期間 2017年8月21日 - 2021年5月6日 - 現職
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O・パンニールセルヴァムタミル語: ஒ. பன்னீர்செல்வம்英語: O. Paneerselvam1951年1月14日 - )はインド政治家

略歴

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全インド・アンナー・ドラーヴィダ進歩党(AIADMK)に入党し、ペリヤクラム選挙区から二度当選している[1]

2001年9月に、暴動時の失政の責任を問われて2年以上の懲役を最高裁判所に言い渡されていたJ・ジャヤラリターに代わる形で、州首相を務めることとなった。任期中はジャヤラリターの傀儡であるとの厳しい批判にさらされた。2002年3月には、懲役の判決が覆されたジャヤラリターがアーンディッパッティ選挙区の補選に勝利し、パンニールセルヴァムは州首相の座をジャヤラリターに返した。

州首相を辞した後は、第2次ジャヤラリター内閣の中で公共工事担当相となった。2006年にAIADMKが惨敗して下野した後は、AIADMK院内代表兼野党院内代表を2週間ほど務めた。2011年の州議会選では、BodinayakkanurからAIADMK候補として立候補し、当選した。 再びジャヤラリター政権の財務大臣になり、2011年5月16日から2014年9月27日までその職に就いた。2014年9月にジャヤラリターが汚職事件の判決で懲役刑を下され、州首相を辞任した。これに伴い、パンニールセルヴァムが州首相に就任。しかし、2015年5月11日にカルナータカ州高等裁判所がジャヤラリターに無罪を下したため、同22日にパンニールセルヴァムは州首相を辞任。再びジャヤラリターが州首相となった[2][3]

辞任から1年後の2016年5月23日、彼はジャヤラリター政権の財務・公共事業省大臣に就任した。 2016年12月6日、現職のジャヤラリター首相の死後、パンニールセルヴァムがタミルナードゥ州の首相に選出された[4]。12月10日、州首相として最初の閣議を開いた[5]。彼は2017年2月6日にタミル・ナードゥ州の首相を辞任の意向を示し、知事はそれを受け入れて、さらなる措置が取られるまで、政治的空白を避けるために暫定州首相に任命した。

2017年2月14日、党書記長のV・K・サシカラによってAIADMKから追放される。追放された直後、知事はAIADMKの新たに選出された州首相であるエダッパディ・K・ポラニスワミ英語版に組閣を命じ、その後2017年2月16日に州首相に就任しました。2017年8月21日、ポラニスワミは、当時のEPS派閥との党合併の同じ日に、タミルナードゥ州の副首相として宣誓しました[6]

人物

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とても柔和な性格で、テーニからマドゥライにかけての地方では非常に良い評判を得ている。

政治家になる以前には茶屋の主であり、現在でも店を営んでいる。

脚注

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関連項目

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先代
J・ジャヤラリター
タミル・ナードゥ州首相
13代: 2001 - 2002
次代
J・ジャヤラリター