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MIM-46 (ミサイル)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
MIM-46 モーラー
地上用の自走発射機
種類 短距離防空ミサイル
個艦防空ミサイル
原開発国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国/イギリスの旗 イギリス
運用史
配備期間 試作のみ
配備先  アメリカ陸軍
 イギリス陸軍
 アメリカ海軍
開発史
開発期間 1959年-1965年11月(計画打切)
製造業者 ジェネラル・ダイナミクス
派生型 MIM-46 モーラー(FAAD)
RIM-46 シー・モーラー(BPDMS)
諸元
重量 54.5kg
全長 1.83m
直径 12.7cm

射程 8,000m
弾頭 HE破片効果(8.6kg)

翼幅 33cm
推進剤 固体ロケット(37kN)
最大高度 6,000m
誘導方式 中途航程:ビームライディング
終末航程:赤外線誘導
操舵方式 操縦翼面
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MIM-46 モーラー英語: Mauler:槌打つ者、叩き潰すもの、の意)は、ジェネラル・ダイナミクス社が開発した短距離防空ミサイルである。

開発計画には、アメリカ陸軍アメリカ海軍イギリス陸軍が参加し、艦載用のRIM-46 シー・モーラー: Sea Mauler)も開発されていたが、コストの高騰と技術的な問題により、配備前に開発はキャンセルされた。

来歴

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1950年代初頭、アメリカ陸軍は、新しい前線防空兵器としてM42ダスター自走高射機関砲の配備を開始していたが、この時点で既に、高速化する航空脅威に対して、M42では対処困難であることが明らかになっていた。

このことから、より大発射速度の37mmガトリング砲を搭載したT249 ヴィジランテ自走式対空砲の開発を試みる一方、陸軍は、前線防空のミサイル化を志向しはじめた。

1959年、アメリカ陸軍はFAAD(Forward Area Air Defense)計画のもと、前線防空用の地対空ミサイル・システムに関する基礎研究を開始した。FAAD計画において、最大の議論が行なわれたのが、ミサイルの誘導形式であった。この時期に新しく開発されていた各種の対空ミサイルではセミアクティブ・レーダー・ホーミング(SARH)誘導が多く採用されるようになっていたが、この時期の技術では、低空域で問題となるグラウンド・クラッターの除去が不十分であった。このことから、やや旧式だが、人が介在することでこの問題を回避できる、ビームライディング方式が採用された。また、目標に近接してからの終末誘導には、改良型の赤外線ホーミング(IRH)誘導が使われることも決定された。

開発

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1960年、計画は「モーラー」と命名され、ミサイルにはMIM-46という制式番号が付与された。モーラー計画には、アメリカ陸軍と同様に前線防空ミサイルを求めていたイギリス陸軍のほか、アメリカ海軍も参加していた。この当時、ソ連は、新兵器である対艦ミサイルの大量配備を進めており、アメリカ海軍は、モーラーの派生型であるRIM-46 シー・モーラーを基本個艦防空ミサイル・システム(BPDMS:Basic Point Defense Missile System)として採用する予定で、1965年より建造を開始した新型の護衛駆逐艦であったノックス級は、モーラーBPDMSを搭載するスペースを確保していた。

ミサイル弾体の設計は順調に進展し、誘導装置を持たない試験弾であるLTV(Launch Test Vehicles)は1961年9月に、単純な空力制御のみを受けるCTV(Control Test Vehicle)も同年中に初飛行したが、これらは、制御翼のフラッター現象など、いくつかの重大な問題を抱えていた[1]。誘導装置を取り付けたプロトタイプであるGTV(Guidance Test Vehicle)は1963年6月より試験に入ったが、発射直後に誘導から外れるという傾向があったうえに、発射機の設計にも問題があった[1]

計画の中止とその後

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これらの問題に直面し、1963年ごろより、暫定野戦軍防空研究(IFAADS:Interim Field Army Air Defense Study)が開始された。この研究では、1956年より就役しはじめた海軍の短射程空対空ミサイルであったAIM-9 サイドワインダー地対空ミサイルに転用して短距離防空(SHORAD)を担当させ、これを補完する近距離防空(VSHORAD)兵器としてM61 バルカンFIM-43 レッドアイを配備、これらの火力システムとAN/MPQ-49英語版前線防空レーダーを連接することで防空システムを構築することを提唱した。IFAADSで検討された防空システムは、モーラー・システムよりも性能面では劣るが、より堅実・安価であり、しかも早期に実現可能なソリューションであった。

1963年11月、モーラーは単なる技術実証計画に変更され、1965年11月には完全にキャンセルされた。GTVは計画のキャンセルまで飛行試験を続けた[1]

IFAADSで提唱された地上発射型サイドワインダーは、MIM-72A チャパラルとして1969年5月より配備されはじめた。しかし、MIM-72Aは敵機の後方からしか攻撃できなかった上に、かなり容易に振り切ることができた。このことから、イギリス陸軍は、バックアップ・プロジェクトとして独自に進めていたET.316計画に主眼を切り替えて、レイピアミサイルシステムとして1971年より配備に入った。

アメリカ海軍は、MIM-72をもとに、モーラーで開発された新型赤外線シーカーを搭載したRIM-72C シーチャパラルを試験した。これは、MIM-72Aよりも向上した全方位攻撃能力を備えていたものの、やはり要求には達しないとして採用せず、より大型の空対空ミサイルであったAIM-7スパローをもとにしたシースパローBPDMSを選択した。RIM-72C シーチャパラルは、システムごと台湾海軍に売却された。その後、これと同じシーカーを搭載したMIM-72Cが開発され、これは陸軍のチャパラル・システムで広く使用された。

脚注・出典

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  1. ^ a b c Andreas Parsch, "General Dynamics MIM-46 Mauler", Directory of U.S. Military Rockets and Missiles, 2002

関連項目

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