M2ビル (世田谷区)
座標: 北緯35度38分30秒 東経139度37分08秒 / 北緯35.64153度 東経139.619度 M2ビル(エムツービル)とは、東京都世田谷区砧に存在する建築物である。
施設概要
[編集]もともとマツダの東京の拠点のひとつとして建てられ、1991年11月28日にオープンした。ビル名は「2つ目のマツダ」の意味であった。
隈研吾デザインによる、ポストモダン建築の斬新な内外装デザインが国内外の各方面から話題を呼び、今でも語り草となっている。
しかし、当時の建築界からは批判を受けた。建築評論家・桐敷真次郎氏が「『新建築』誌もこの作品の発表をためらった……」「建築界の批判は手厳しい。(中略)要するに,ちょっと手加減した袋叩きである」と書いた[1]。2011年に旅行サイトのen:Virtualtourist は、世界の10の醜悪なビルの一つとして、M2ビルを取り上げた。「M2は、支離滅裂、憂鬱で徹底的に汚い」と評している[2][3]。隈研吾自身も「建築界でのM2の評判も芳しくなかった」、「M2がトラウマになって」と回想している[4][5]。
建物テナント
[編集]- 初期
および「マツダロータリー世田谷」の営業がメインとなった。
1999年にはマツダロータリー世田谷・マツダアンフィニ店が閉店となり、一般との接点がなくなってしまった。
その後の経緯
[編集]2002年、マツダはM2ビルを売却した。売却先は長崎県に本社を置き、群馬県・埼玉県・多摩地域でも事業展開している冠婚葬祭サービス業「株式会社メモリード」であった。異業種経営にも積極的に取り組んでおり、かつて長崎県大村市でオートザム店を経営していたことがあった。その縁で、東京進出の旗印とすべくM2ビルの購入を決めた。
ポストモダン建築の特徴的な外観には一切手を加えず内装の改造を行い、2003年「東京メモリードホール」の名称で斎場としてリニューアルオープンした。
出典
[編集]- ^ M2ビル×隈研吾 ―「建設HR」が後世に語り継ぎたい名建築【2】 建設の匠、2021-8-23
- ^ Top 10 ugly buildings around the world BUSINESS TRAVEL, Reuters, 2011-07-15
- ^ 醜い建築物 世界ワースト10 バンクーバーの森、2011-07-27
- ^ 大きな失意のなか地方へ、隈研吾氏に聞く(5)(新しい建築の鼓動2010) 日経XTECH、2009-12-15
- ^ 「埋めればいいと考えた時期も」、隈研吾氏が語ったM2の“トラウマ”と見出した鉱脈 インタビュー動画08:48-08:52、「M2で叩かれたってのがトラウマになって・・・」日経XTECH、2021-04-28