コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

HT-3 (航空機)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日立 HT-3

光式研究機1型

光式研究機1型

  • 用途旅客機
  • 分類:中型旅客機
  • 設計者:村山堯
  • 製造者日立航空機(光式研究機1型:福田軽飛行機)
  • 運用者大日本航空(予定)
  • 初飛行1940年12月17日(光式研究機1型)
  • 生産数:0機(光式研究機1型:1機)

HT-3は、日本の日立航空機が計画した中型旅客機。実機は製作されていないが、セミスケールの研究用グライダーである光式研究機1型(ひかりしきけんきゅうき1がた)は飛行に至っている。

概要

[編集]

1939年昭和14年)、航空局は日立に対して、重量過大のため低性能と評価されたTK-3に代わる大日本航空向けの中型旅客機の試作を指示し、同時に80万円の試作奨励金を下賦した[1]。日立は村山堯技師を主務者として設計作業にあたり[2]、その過程でセミスケールのグライダーを製作し飛行させ[3][4]、寸法効果の影響などといった[4]風洞実験では十分な解析ができない点を補完することとした。この研究用グライダーの試作は航空局から福田軽飛行機に指示され[3][4]、福田では「光式研究機1型」の名称で製作を行った[4]

光式研究機1型は1940年(昭和15年)12月17日[3]大阪第二飛行場で初飛行し[3][4]、曳航飛行による試験を[5]12月18日にかけて実施した[4]。しかし、軍用機の開発・生産が優先されるようになり、旅客輸送の必要性が薄まったことを受け、光式研究機1型に加えてモックアップが製作されたのみで、HT-3の計画は中止された[2]

HT-3は日本国内のローカル線での運用を想定した双発機であり、航空局からは実用性を重視した堅実な機体であること、胴体を真円断面とするなど生産性も重視した設計とすること、自動操縦装置を搭載することなどが要求された[2]。光式研究機1型のサイズはHT-3の60パーセントで[4][5]、木製骨組に胴体とエンジンナセルは合板整形、翼は羽布張り。主翼にはフラップを備えていた[5]

なお、HT-3は日本の航空機開発において、セミスケールのグライダーが活用された最初の例となった[4]

諸元

[編集]

出典:『日本航空機総集 九州・日立・昭和・日飛・諸社篇』 64,184頁[3]、『日本グライダー史』 82頁[4]

HT-3(要求値)
  • 全備重量:4,500 kg以下
  • エンジン:空冷倒立V型12気筒(400 hp) × 2
  • 最大速度:300 km/h以上
  • 巡航速度:250 km/h以上
  • 実用上昇限度:6,000 m以上
  • 航続距離:1,200 km以上
  • 乗員:2名
  • 乗客:8名
  • 貨物搭載量:120 kg
光式研究機1型
  • 全長:9.42 m
  • 全幅:12.15 m[4]あるいは12.21 m[5]
  • 全高:1.25 m(胴体上まで)
  • 主翼面積:16.4 m2
  • 自重:250 kg
  • 全備重量:350 kg
  • 滑空速度:75.3 - 90.5 km/h
  • 曳航飛行速度:130 km/h
  • 乗員:1名

脚注

[編集]
  1. ^ 野沢正 1980, p. 63,64.
  2. ^ a b c 野沢正 1980, p. 64.
  3. ^ a b c d e 野沢正 1980, p. 64,184.
  4. ^ a b c d e f g h i j 佐藤博 1999, p. 82.
  5. ^ a b c d 野沢正 1980, p. 184.

参考文献

[編集]
  • 野沢正『日本航空機総集 九州・日立・昭和・日飛・諸社篇』出版協同社、1980年、63,64,184頁。全国書誌番号:81001674 
  • 佐藤博『日本グライダー史』海鳥社、1999年、82頁。ISBN 978-4-87415-272-0 

関連項目

[編集]