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HCP 115N

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
115N
105N/2
115N(2005年撮影)
基本情報
製造所 H.ツェギェルスキ鉄道車両工場ポーランド語版
種車 コンスタル105N
改造年 1995年
改造数 1両(400)
運用開始 1995年
運用終了 2010年(除籍)
消滅 2011年(解体)
投入先 ポズナン市電
主要諸元
編成 3車体連接車、片運転台
軸配置 Bo'Bo'Bo'Bo'
軌間 1,435 mm
電気方式 直流600 V
架空電車線方式
車両定員 245人(着席34人)
(乗客密度6.67人/m2時)
全長 26,500 mm
全幅 2,400 mm
全高 3,160 mm
床面高さ 930 mm(高床部分)
350 mm(低床部分)
(低床率13.2 %)
台車 2NN
車輪径 654 mm
固定軸距 1,900 mm
台車中心間距離 前後 - 中間車体 6,000 mm
中間車体 7,000 mm
主電動機 LTa-220(直流電動機
主電動機出力 40 kw
出力 320 kw
制御方式 抵抗制御方式
備考 主要数値は[1][2][3][4][5][6][7]に基づく。
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115Nは、かつてポーランドの鉄道車両メーカーであるH.ツェギェルスキ鉄道車両工場ポーランド語版(H. Cegielski – Fabryka Pojazdów Szynowych、HCP – FPS)が試作した路面電車車両。ポーランドの路面電車における初の本格的な超低床電車(部分超低床電車)で105N/2とも呼ばれており、ポズナンの路面電車(ポズナン市電)で営業運転に用いられた[1][3][4][5][6][7]

概要

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1990年代初頭、ポズナンでは高規格のポズナン高速トラムポーランド語版(Poznański Szybki Tramwaj、PST)の建設が進められていた。その中で普通鉄道と接続する計画を路面電車路線(ポズナン市電)と接続する形へ変更した事を受け、高速トラム向けに定員数が多い路面電車車両の必要性が生じた。既存の車両の連結運転も検討されたが、当時の時勢からポズナン市電の運営事業者はバリアフリーに適した超低床電車の導入を決定した。しかし、当時のポーランドではこの条件を満たした車両の生産は行われておらず、国外企業からの導入という選択肢も財政面から難色が示されていた[注釈 1]。この状況を受け、ポズナンに工場を有するH.ツェギェルスキ鉄道車両工場が、既存の車両の近代化も兼ねて製造したのが115Nである[6]

115Nは片運転台の3車体連接車で、前後車体はポズナン市電から購入した2両(163、164)のボギー車コンスタル105N)を基に、車体の一部を切断し幌やジョイントなどの連接構造を設置したものであった。一方、全長7 mの中央部の車体は工場で新造されたもので、連続して設置された2つの両開き式乗降扉の部分が床上高さ350 mmの低床構造となっていた。それ以外の箇所は床上高さ930 mmの高床構造で、双方は3段のステップによって接続されていた。台車や制御装置はボギー車から流用した一方、運転台の機器やパンタグラフ、乗降扉は新造品が用いられた。車内の座席についても製造当初は布張りの新造品が採用されたが、破損が相次いだ事を受けて後年にプラスチック製のものへと交換された[1][2][3][4][5][6]

1995年に製造され、同年からポズナン市電で営業運転を開始したが、電気機器や乗降扉など各部の故障が相次ぎ、営業運転の離脱を幾度も実施する事態となった。特に2006年以降は長期に渡って運用を離脱し、2008年には一時モダトランスの工場へ持ち込まれたもののすぐにポズナン市電へ返却され、最終的に2010年に除籍(廃車)された。その後は保存の動きも起きたものの実現する事無く、2011年8月に線路から撤去され、解体場へ向けて輸送された事が確認されている[1][2][3][6][7]

脚注

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注釈

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  1. ^ ただし、最終的にポズナン高速トラムに導入されたのはポーランド国外のČKDタトラ製の車両(タトラRT6N1)であった。

出典

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  1. ^ a b c d 105N/2”. MPK Poznań Sp. z o.o.. 2017年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月4日閲覧。
  2. ^ a b c Tomasz Gieżyński (2004-1). “Poznański wagon 105N/2”. Świat Kolei (Łódź: Emi-Press): 50-51. 
  3. ^ a b c d Emil Włuka (2019年2月7日). “Tramwajowe prototypy wczoraj i dziś”. zbiorowy.info. 2023年5月4日閲覧。
  4. ^ a b c Zbigniew Rusak 2000, p. 24.
  5. ^ a b c Zbigniew Rusak 2000, p. 32.
  6. ^ a b c d e Marcin Jurczak 2012, p. 2.
  7. ^ a b c Marcin Jurczak 2012, p. 3.

参考資料

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  • Zbigniew Rusak (2000-3). “Tramwaje niskopodłogowe w Polsce” (PDF). TTS Technika Transportu Szynowego (Instytut Naukowo-Wydawniczy "TTS" Sp. z o.o): 23-33. http://yadda.icm.edu.pl/yadda/element/bwmeta1.element.baztech-article-BGPK-0055-2165/c/Rusak.pdf 2023年5月4日閲覧。. 
  • Marcin Jurczak (2012-1-10). “Krótka historia wagonu numer 400 To już jest koniec, nie ma już nic”. Przystanek 1 (119): 2-3. ISSN 1730-6388. オリジナルの2016-12-21時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161221055749/http://kmps.org.pl/przystanek/pdf/przystanek119.pdf 2023年5月4日閲覧。.