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グランド・ファンク・レイルロード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Grand Funkから転送)
グランド・ファンク・レイルロード
オリジナルメンバーの3人(1971年撮影)。左からドン・ブリューワー、マーク・ファーナー、メル・サッチャー。
基本情報
別名 グランド・ファンク
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ミシガン州ジェネシー郡フリント
ジャンル
活動期間
  • 1969年 - 1976年
  • 1981年 - 1983年
  • 1996年 - 1998年
  • 2000年 -
レーベル
公式サイト Grand Funk Railroad Official Web Site
メンバー
旧メンバー

グランド・ファンク・レイルロードGrand Funk Railroad, GFR[注釈 1]アメリカ合衆国ハードロックバンド1960年代末にマーク・ファーナー、メル・サッチャー[3]、ドン・ブリューワーによって結成されたトリオで、1970年代半ばにかけてアルバム、ヒット・シングルを連発して高い人気を誇った。

二度の解散と再結成を経て、ブリューワーを中心に2023年現在も活動中である。

概要:歴史

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「テリー・ナイト・アンド・ザ・パック(Terry Knight and the Pack)」というバンドで活動していたドン・ブリューワー (Don Brewer, ds)とマーク・ファーナー (Mark Farner, vo & g)、が、テリー・ナイト(Terry Knight)がバンドを去ったのを機に、メル・サッチャー (Mel Schacher, b) を誘って新しいバンドを結成し、アメリカの鉄道会社「グランド・トランク鉄道 (Grand Trunk Western Railroad) 」をもじったグランド・ファンク・レイルロードと名付けた。

1968年頃より勃興していたニューロック、又はヘヴィロック(現在のハードロック)のスタイルをいち早く取り入れ、1969年にかつて同僚ナイトをプロデューサーに迎えたアルバム『グランド・ファンク・レイルロード登場 (On Time』でデビューする。レッド・ツェッペリンのアメリカ公演の前座を務めた際に、その歌と演奏力で聴衆を熱狂させてツェッペリンを食ってしまったことによって、ロックファンの間で知名度が高まった。アルバムからシングルカットされた「ハートブレイカー」はハードロックの古典になり、セカンド・アルバム『グランド・ファンク (Grand Funk』に収録されたアニマルズの「孤独の叫び」のカバーファンキーな人気曲となった。日本でも人気を集め、ザ・タイガースが「ハートブレイカー」をコンサートのレパートリーとして取り上げ、後にフォークシンガーとしてデビューする井上陽水がこの曲のコード進行を模倣して「傘がない」を書いた。1971年の東京公演は後楽園球場で行なわれ、激しい雷雨の中での演奏はロック伝説として今も語り草になっている。

1972年の『不死鳥 (Phoenix』からはナイトと決別し、クレイグ・フロスト (Craig Frost, kbd) を迎えて4人編成になり、バンド名をグランド・ファンク (Grand Funk)に変更して音楽性をポップな方向に広げた[注釈 2]。同アルバムからは「ロックンロール・ソウル」がシングル・カットされた。1973年、トッド・ラングレンにプロデュースを委ねたアルバム『アメリカン・バンド (We're an American Band) 』を発表。同名シングル曲が全米1位を獲得する大ヒットを記録、このアルバム・タイトルはそのまま彼等の代名詞となり、同名曲はボン・ジョヴィなどアメリカの後続のロックバンドにライブなどで何度もカバーされている。

続いて1974年に発表したアルバム『輝くグランド・ファンク (Shinin' On) 』からは、ジェリー・ゴフィン & キャロル・キング作で1962年にリトル・エヴァによって全米1位を獲得した大ヒット曲「ロコモーション (The Loco-Motion)」をハードロック風にアレンジしたカバーがシングルカットされ、こちらも全米1位を獲得。GFR時代とグランド・ファンク時代を通じて最大のヒット・シングルとなった。同アルバムからは「シャイニン・オン」もシングルカットされた。

1975年には、前年末に発表したアルバム『ハード・ロック野郎 (世界の女は御用心) (All the Girls in the World Beware!!!) 』から、ソウル・ブラザーズ・シックスの原曲をブギ・ウギ調にアレンジした「オー・ワンダフル (Some Kind of Wonderful)」と「バッド・タイム」の2曲のヒットを放った。1976年の『驚異の暴走列車 (Born to Die) 』を以ってCapitolとの契約は満了した。同年、MCAからフランク・ザッパをプロデューサーに迎えた『熱い激突 (Good Singin', Good Playin') 』を発表した[注釈 3][4]が、その直後に解散した。

解散後、ファーナーはソロでMark Farner(1977年)、No Frills(1978年)の2枚のアルバムを発表した。ブリューワー、サッチャー、フロストの3人はFlintを結成しFlint(1977年)を発表した。

1980年、GFRはファーナーとブリューワーによって再結成された。『グランド・ファンク復活 (Grand Funk Lives) 』と『ホワッツ・ファンク? (What's Funk?) 』と2枚のアルバムを発表するが、ヒットを出すことなく1983年に再度解散した。

1997年に行なわれたボスニア救済コンサートをきっかけにオリジナル・メンバー3人で再々結成(『ボスニア (Bosnia) 』)。1999年にファーナーがソロ活動のために脱退し、元キッスのブルース・キューリックが加入した。


2024年1月にブルース・キューリックの脱退が発表され、マーク・チャットフィールドが加入[5][6]

メンバー

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Mel Schacher
January 12, 2002
Bruce Kulick
January 12, 2002
Mel & Bruce
January 12, 2002

現在のメンバー

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メンバー名 原語表記 担当 在籍時期
ドン・ブリューワー Don Brewer Drums, Lead Vocals 1968~1977, 1980~1983, 1996~現在
メル・サッチャー Mel Schacher Bass Guitar 1968~1977, 1980~1981, 1996~現在
マックス・カール Max Carl Lead Vocals 2000~現在
ティム・カーション Timothy "Tim" Cashion Keyboards 2000~現在
マーク・チャットフィールド Mark Chatfield Guitars 2024~現在

過去に在籍したメンバー

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メンバー名 原語表記 担当 在籍時期
マーク・ファーナー Mark Farner Guitars, Lead Vocals 1968~1977, 1980~1983, 1996~1999
テリー・ナイト Terry Knight Bass Guitar 1972
デニス・ベリンジャー Dennis Bellinger Bass Guitar 1980~1983
ハワード・エディ・ジュニア Howard Eddy, Jr. Keyboards 1996~1999
ブルース・キューリック Bruce Kulick Guitars 2000~2023

ディスコグラフィー

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スタジオ・アルバム

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タイトル 原題 US 200 認定
グランド・ファンク・レイルロード登場 On Time 1969 # 27 Gold
グランド・ファンク Grand Funk 1969 # 11 Platinum
クローサー・トゥ・ホーム Closer to Home 1970 # 6 2x Multi-Platinum
サバイバル Survival 1971 # 6 Platinum
戦争をやめよう E Pluribus Funk 1971 # 5 Platinum
不死鳥 Phoenix 1972 # 7 Gold
アメリカン・バンド We're an American Band 1973 # 2 2x Multi-Platinum
輝くグランド・ファンク Shinin' On 1974 # 5 Gold
ハード・ロック野郎 (世界の女は御用心) All the Girls in the World Beware!!! 1974 # 10 Gold
驚異の暴走列車 Born to Die 1976 # 47
熱い激突 Good Singin', Good Playin' 1976 # 52
グランド・ファンク復活 Grand Funk Lives 1981 # 149
ホワッツ・ファンク? What's Funk? 1983

ライヴ・アルバム

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タイトル 原題 US 200 認定
ライヴ・アルバム Live Album 1970 # 5 2x Multi-Platinum
グランド・ファンク・ツアー ’75 Caught in the Act 1975 # 21
ボスニア Bosnia 1997
1971 ライヴ Live: The 1971 Tour 2002

コンピレーション

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タイトル 原題 US 200 認定
Mark, Don and Mel: 1969-71 Mark, Don and Mel: 1969-71 1972 # 17 Gold
Grand Funk Hits Grand Funk Hits 1976 # 126
Hits Hits 1977
The Best of Grand Funk The Best of Grand Funk 1990
Capitol Collectors Series Capitol Collectors Series 1991 Gold
Heavy Hitters Heavy Hitters! 1992
Thirty Years of Funk: 1969-1999 Thirty Years of Funk: 1969-1999 1999
Greatest Hits with DVD Greatest Hits with DVD 2006

シングル(米国)

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タイトル US HOT 100
1969 Time Machine / High On A Horse # 47
Mr. Limousine Driver / High Falootin' Woman # 97
1970 Heartbreaker / Please Don't Worry # 72
Nothing Is The Same / She's A Good Man's Brother
I'm Your Captain (Closer to Home) / Aimless Lady # 22
Mean Mistreater / Mark Says Alright # 47
1971 Inside Looking Out # 40
Feelin' Alright / I Want Freedom # 54
Gimme Shelter / I Can Feel Him In The Morning # 61
People, Let's Stop The War / Save The Land
1972 Footstopin' Music / I Come Tumblin' # 29
Upsetter / No Lies # 73
Rock'n'Roll Soul / Flight Of The Phoenix # 29
1973 We're An American Band / Creepin' # 1
Walk Like A Man / Railroad # 19
1974 The Loco-Motion / Destitude & Losin' # 1
Shinin' On / Mr. Pretty Boy # 11
Some Kind of Wonderful / Wild # 3
1975 Bad Time / Good And Devil # 4
Take Me / Genevieve # 53
1976 Sally / Love Is Dyin' # 69
Can You Do It / 1976 # 45
1977 Just Couldn't Wait / Out To Get You
1981 Y.O.U. / Testify
1982 Stuck In The Middle / No Reason Why

メンバー構成推移

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日本公演

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7月17日 後楽園球場、 18日 大阪球場
後楽園球場では、開演時に会場へ入り切れなかった観客が暴徒化。12番ゲートの扉を破壊して放火、駆け付けた機動隊員らに投石をする騒ぎとなったが、偶然発生した激しい雷雨により暴動は鎮静化した[7]
5月18日 名古屋市公会堂、19日 京都会館、21日 大阪厚生年金会館、22日,23日 日本武道館
9月6日 日本武道館、8日 大阪フェスティバルホール、9日 名古屋市公会堂
  • 1997年
6月21日 赤坂ブリッツ、22日 大阪フェスティバルホール、24日,25日 中野サンプラザ


※ファーナーは、ソロやリンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンドの公演でも来日している[8][9][10]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『不死鳥(Phoenix)』から『ハード・ロック野郎 (世界の女は御用心)((All the Girls in the World Beware!!!』までは バンド名をグランド・ファンクGrand Funk)としていた。
  2. ^ この頃メンバーはナイトに対してバンド名と印税に関する訴訟を起こした。バンド名使用は認められたが、印税についての請求は認められなかった。
  3. ^ メンバーは以前からザッパをプロデューサーに迎えたいと思っていたが、マネージメントは余りにも奇妙な組み合わせであるとして、彼等の希望を聞き入れなかった。1975年にようやくザッパに連絡した結果、この組み合わせが実現した。双方とも共同作業について極めて好意的な発言を残している。

出典

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  1. ^ Waksman, Steve (2022). Live Music in America: A History from Jenny Lind to Beyonce. Oxford: Oxford University Press. p. 421. ISBN 978-0-197-57053-1 
  2. ^ a b Huey, Steve. Grand Funk Railroad Biography, Songs, & Albums - オールミュージック. 2023年4月5日閲覧。
  3. ^ http://www.grandfunkrailroad.com/bios/Mel_bio.html
  4. ^ Miles, Barry (2004). Zappa. New York: Grove Press. p. 254. ISBN 0-8021-4215-X 
  5. ^ Wardlaw, Matt WardlawMatt (2024年1月2日). “Bruce Kulick Announces His Departure From Grand Funk Railroad” (英語). Ultimate Classic Rock. 2024年10月29日閲覧。
  6. ^ Grand Funk Railroad band members”. www.grandfunkrailroad.com. 2024年10月29日閲覧。
  7. ^ 「はいれぬファン投石・放火 ロック・カーニバル騒然」『中國新聞』昭和46年7月18日19面
  8. ^ 【Grand Funk Railroad】”. www13.plala.or.jp. 2024年6月12日閲覧。
  9. ^ グランド・ファンク・レイルロードのマーク・ファーナーが来日公演!”. BARKS (2003年12月27日). 2024年6月12日閲覧。
  10. ^ グランド・ファンク・レイルロードの奇蹟〈シンコー・ミュージック・ムック〉”. シンコーミュージック・エンタテイメント  |  楽譜[スコア]・音楽書籍・雑誌の出版社. 2024年6月12日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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