グラストンベリー
表示
(Glastonburyから転送)
この記事は英語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2024年3月) 翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。
|
グラストンベリー Glastonbury | |
---|---|
座標 : 北緯51度09分 西経02度43分 / 北緯51.150度 西経2.717度 | |
行政 | |
国 | イギリス |
連合王国 | イングランド |
リージョン | サウス・ウェスト・イングランド |
カウンティ | サマセット |
非都市ディストリクト | メンディップ |
タウン | グラストンベリー |
人口 | |
人口 | (2014年1月現在) |
タウン域 | 8,932人 |
その他 | |
等時帯 | 西ヨーロッパ時間 (UTC+0) |
夏時間 | 西ヨーロッパ夏時間 (UTC+1) |
郵便番号 | BA6 |
市外局番 | 01458 |
公式ウェブサイト : http://www.glastonbury.gov.uk |
グラストンベリー(Glastonbury)は、イギリス・サマセットにある小さな町。ブリストルの南37kmの位置にある。行政上は非都市ディストリクトのメンディップ内にあり、2011年の国勢調査での人口は8,932人[1]。
町と伝説の関わり
[編集]町はアリマタヤのヨセフや聖杯、アーサー王伝説で知られている。『アリマタヤのヨセフの聖杯物語』の伝説が、13世紀にフランスの詩人ロベール・ド・ボロンにより紹介された。大元の伝承は4世紀を発祥とし、13世紀に著された伝説によれば、フィリポがヨセフを宣教師として派遣したとされ、ここグラストンベリーにブリテン島で最初の教会を設立したというものである。とはいえあくまでも俗説に過ぎず「歴史に基づくものではない」とされている[2]。
アーサー王伝説にはグラストンベリー修道院跡が深く関わっており、イングランド王ヘンリー2世はアーサー王伝説を自らの権威付けに利用、この意向に沿ってヘンリー2世に仕えていたウァースは『ブリュ物語』を作り出し、ヘンリー2世をアーサー王の後継者と位置付ける狙いと、物語を通じてブリトン人とノルマン人の合流を企図した。その一環としてグラストンベリー修道院はアーサー王終焉の地・アヴァロンに擬せられ、ヘンリー2世は1184年の火災で焼け落ちた修道院に再建資金を援助したり、アーサー王埋葬の噂を元に修道院を発掘させたりしていた。1189年のヘンリー2世の死後に修道士たちが修道院の墓地にアーサー王と王妃グィネヴィアの墓を発見、宝剣エクスカリバーもアーサー王の墓から出たという噂が広まり、グラストンベリー修道院はアーサー王ゆかりの巡礼地として定着していった[3]。
出身人物
[編集]- ヘンリー・フィールディング - 劇作家
- ヘンリー・スコット・ストークス - ジャーナリスト
姉妹都市
[編集]脚注
[編集]- ^ “Glastonbury Parish”. Neighbourhood Statistics. Office for National Statistics. 1 January 2014閲覧。
- ^ アットウォーター、P422。
- ^ 石井、P233 - P234、ペルヌー、P142 - P143、ベルトゥロ、P44 - P48。
参考文献
[編集]- 石井美樹子『王妃エレアノール ふたつの国の王妃となった女』平凡社、1988年。
- レジーヌ・ペルヌー著、福本秀子訳『王妃アリエノール・ダキテーヌ』パピルス、1996年。
- アンヌ・ベルトゥロ著、村上伸子訳、松村剛監修『アーサー王伝説』創元社(「知の再発見」双書)、1997年。
- ドナルド・アットウォーター、キャサリン・レイチェル・ジョン著、山岡健訳『聖人事典』三交社、1998年。