ゲイリー・アッシャー
ゲイリー・アッシャー | |
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出生名 | ゲイリー・リー・アッシャー |
生誕 |
1938年12月14日 アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス |
死没 |
1990年5月25日 (51歳没) アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス |
ジャンル | ロック, サーフ・ミュージック, ソフトロック, サンシャイン・ポップ |
職業 | 作曲家, 音楽プロデューサー |
活動期間 | 1960s–1990 |
レーベル | コロムビア・レコード |
共同作業者 |
ゲイリー・リー・アッシャー(Gary Lee Usher、1938年12月14日 - 1990年5月25日) [1]は、アメリカのロック・ミュージシャン、ソングライター、レコード・プロデューサー。
概要
[編集]1960 年代にザ・バーズ、ビーチ・ボーイズ、ディック・デイルを含む数多くのカリフォルニアのアーティストと仕事をした。 アッシャーはまた、架空のサーフ・グループやホット・ロッドグループをプロデュースし、スタジオセッションミュージシャンと彼自身のチーム (チャック・ジラード、ディック バーンズなど) を混ぜ合わせた。これらのバンドには、ホットロッドの曲「Midnight Run」を含むSuper-StocksとKickstandsが含まれていた[2]。
彼は最終的にコロムビア・レコードのスタッフ・プロデューサーになり、ザ・バーズやイギリスのデュオであるチャド&ジェレミー、カート・ベッチャーを擁するザ・ボールルームなどをプロデュースし、過去にサーフ系の曲でやったアッシャーの得意技である架空のバンドのでっち上げにより「サジタリウス」でシングル「My World Fell Down」を発売、このシングルが小ヒットした後に、カート・ベッチャーや彼のバンド、ザ・ミレニウムのメンバーと共に「サジタリウス」としてアルバム『プレゼント・テンス』を制作。このアルバムが商業的に失敗した後にコロムビアレコードを馘首、キース・オルセン、ベッチャーと共にトゥギャザー・レコードを設立した。
この「トゥギャザー・レコード」のディストリビューター契約のためにモータウンとしばらく話し合った後、契約は実現しなかったが、マイク・カーブのトランスコンチネンタルと契約を結んだ。このレーベルからサジタリウスのセカンド・アルバム『ブルー・マーブル』を発売。その他サンディ・サリスベリーやベッチャー、その他ザ・ミレニウムの元メンバーの音源をレコーディングし、何枚かのアルバムがリリースされたが、ザ・バーズの『Preflyte』がささやかながら目に見える成功を収めただけで、他のすべてのプロジェクトの費用を賄うことはできなかった。その後、1970年初頭にディストリビューターが契約から手を引いたため、レーベルは解散した。解散したことによってリリースすることが出来なくなった、数多くの未発表音源が残された。1960年代以降、キャリアは衰えたが、アッシャーはプロデュースと曲作りを続けた。
1970年代、アッシャーはザ・ワッカーズの最初の2枚のアルバムをプロデュース。また、ザ・シップというフォーク・バンドのコンセプト・アルバムもプロデュースした。1976年から1977年にかけてはカート・ベッチャーと『The California Album』(当時は未発売)を共同プロデュースし、個人的なプロジェクトとして、1972年に当時デモ音源しかなかった『Beyond a Shadow of Doubt』というレコード付きの本をコラボレーターのディック・キャンベルと共に制作した。『Beyond a Shadow of Doubt』は2001年6月に日本で発売された。
アッシャーは1984年にセレスティウム名義でアルバムを発表。シンセを多用したこのLPは『Sanctuary』と名付けられ、シンガーにトム・ケリー、キーボードにマイク・メロスとアラン・パスクア、2曲でブレント・ネルソンがドラムを叩いている(他のドラムのほとんどはデジタル・プログラム)。エンジニアのビル・フレッチャーは、数曲のベース奏者でもあった。アッシャーは1986年にもブライアン・ウィルソンと仕事をしたが、ウィルソンのセラピストで物議を醸したユージーン・ランディと衝突。アッシャーが最後に共作した曲のひとつが、1985年にシンガーソングライター/プロデューサーのジョセフ・ニコレッティと共作した「Let's Put the Fun Back in Rock n Roll」だ。この曲はゴールデンボーイズ(フランキー・アヴァロン、フェビアン、ボビー・ライデル)によってレコーディングされ、1988年12月6日にフォード劇場でレーガン大統領夫妻のために演奏された。
1990年5月25日、カリフォルニア州ロサンゼルスの故郷の自宅で肺癌のため51歳で亡くなった[3]。
ディスコグラフィー (抜粋)
[編集]プロデュース
[編集]- リトル・ホンダ (1964, ザ・ホンデルス)[4]
- ホンデルス (1964, ザ・ホンデルス)[4]
- ヒット・シティー '65 (1965, ザ・サファリズ)[4]
- イット・エイント・ミー、ベイブ (1965, ザ・サファリズ)[4]
- イン・アクション (1966, キース・アリソン)
- ジーン・クラーク・ウィズ・ザ・ゴスディン・ブラザーズ (1967, ジーン・クラーク)[4]
- 昨日よりも若く (1967, ザ・バーズ)[1]
- ザ・ピーナッツ・バター・コンスピラシー・イズ・スプレッディング (1967, ピーナッツ・バター・コンスピラシー)[4]
- キャベツと王様 (1967, チャド&ジェレミー)[4]
- ザ・グレート・コンスピラシー (1967, ピーナッツ・バター・コンスピラシー)[4]
- プレゼント・テンス (1968, サジタリウス)[4]
- ノアの箱船 (1968, チャド&ジェレミー)[5]
- 名うてのバード兄弟 (1968, ザ・バーズ)[1]
- ロデオの恋人 (1968, ザ・バーズ)[4]
- ワッカリング・ハイツ (1972, ザ・ワッカーズ)[6]
- 歌の贈りもの (1977, ブルース・ジョンストン)[7]
- サンクチュアリー (1984, セレスティアム)[8]
作詞作曲
[編集]- 「409」(1962年、ザ・ビーチ・ボーイズ)[1]
- 「ロンリー・シー」(1962年、ザ・ビーチ・ボーイズ)[9]
- 「テン・リトル・インディアンズ」(1962年、ザ・ビーチ・ボーイズ)[10]
- 「イン・マイ・ルーム」(1963年、ザ・ビーチ・ボーイズ)[1]
- 「マリブ・サンセット」(1963年、ザ・ビーチ・ボーイズ)
- 「ビーチ・パーティー」(1963年、フランキー・アヴァロン)[11]
- 「マグ・ウィールズ」(1963年、ディック・デイル&ザ・デル・トーンズ)[12]
- 「ウィール・ラン・アウェイ」(1964年、ザ・ビーチ・ボーイズ)[13]
- 「カミング・オン・トゥー・ストロング」(1965年、ウェイン・ニュートン)[14]
- 「ザ・トゥルース・イズ・ノット・リアル」(1968年、サジタリウス)[15]
- 「ザ・ブルー・マーブル」(1969年、サジタリウス)[16]
- 「ドン・ギブ・イン・トゥ・ヒム」(1969年、ゲイリー・パケット&ザ・ユニオン・ギャップ)[17]
- 「(フレンド)シップス」(1971年、ゲイリー・アッシャー)
- 「サンクチュアリ」(1983年、セレスティウム、後にローラ・ブラニガンとJ-POPアーティスト麗美)[8]
- 「レッツ・ゴー・トゥ・ヘヴン・イン・マイカー」 (1986年、ブライアン・ウィルソン)[18] (注 - ゲイリー・アッシャーの息子、ゲイリー・アッシャー・ジュニアがギター・ソロを弾いている)
- 「クリスマス・タイム」(1986年、ブライアン・ウィルソン)
- 「レッツ・プット・ザ・ファン・バック・イン・ロックンロール」(1986年、ジョセフ・ニコレッティ・ジュニアとの共作) - フランキー・アヴァロン、フェビアン&ボビー・ライデルによる録音。
脚注
[編集]- ^ a b c d e “Gary Usher Biography, Songs, & Albums”. AllMusic. 16 October 2021閲覧。
- ^ David N. Howard, Sonic Alchemy: Visionary Music Producers and Their Maverick Recordings, 2004, ISBN 147685209X: "Ever since Usher's early surf and hot rod days, he had been creating fictitious studio groups such as the Super-Stocks and the Kickstands, imaginary bands to sate the hungry surf and hot rod record-buying audience."
- ^ “Gary Usher; Co-Writer of Beach Boys Hits”. Los Angeles Times. (2 June 1990)
- ^ a b c d e f g h i j Colin Larkin, ed (1992). The Guinness Encyclopedia of Popular Music (First ed.). Guinness Publishing. p. 2565. ISBN 0-85112-939-0
- ^ “The Ark - Chad & Jeremy | Credits”. AllMusic. 16 October 2021閲覧。
- ^ “Wackering Heights - Wackers | Credits”. AllMusic. 16 October 2021閲覧。
- ^ “Going Public - Bruce Johnston | Credits”. AllMusic. 16 October 2021閲覧。
- ^ a b “Celestium - Sanctuary”. 45cat.com. 16 October 2021閲覧。
- ^ “Surfin' U.S.A. - The Beach Boys | Songs, Reviews, Credits”. AllMusic. 16 October 2021閲覧。
- ^ “Surfin' Safari/Surfin' U.S.A. - The Beach Boys | Songs, Reviews, Credits”. AllMusic. 16 October 2021閲覧。
- ^ “25 All-Time Greatest Hits - Frankie Avalon | Songs, Reviews, Credits”. AllMusic. 16 October 2021閲覧。
- ^ “Mag Wheels - Dick Dale & His Del-Tones | Song Info”. AllMusic. 16 October 2021閲覧。
- ^ “All Summer Long - The Beach Boys | Songs, Reviews, Credits”. AllMusic. 16 October 2021閲覧。
- ^ “Coming on Too Strong - Wayne Newton | Song Info”. AllMusic. 16 October 2021閲覧。
- ^ “Present Tense - Sagittarius | Songs, Reviews, Credits”. AllMusic. 16 October 2021閲覧。
- ^ “The Blue Marble - Sagittarius | Song Info”. AllMusic. 16 October 2021閲覧。
- ^ “Greatest Hits [Deluxe - Gary Puckett, Gary Puckett & the Union Gap | Songs, Reviews, Credits]”. AllMusic. 16 October 2021閲覧。
- ^ “Let's Go to Heaven in My Car - Brian Wilson | Song Info”. AllMusic. 16 October 2021閲覧。