DON
DON | |
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本名 | 渡辺 信一 |
ニックネーム | ドン |
生年月日 | 1958年6月13日(66歳) |
出身地 | 北海道 |
言語 | 日本語 |
最終学歴 | 日本大学卒業 |
コンビ名 | チョーさんとドン |
相方 | プリティ長嶋 |
芸風 | ものまね |
活動時期 | 1981年 - |
過去の代表番組 | 笑っていいとも! |
DON(ドン、1958年6月13日 - )は、日本のタレント。本名、渡辺 信一(わたなべ しんいち)。
かつて「ドン川上」という芸名で、「打撃の神様」の異名を持つ川上哲治(元読売ジャイアンツ選手・監督)のものまねタレントとして活動していた。
来歴・人物
[編集]もともと日大の落語研究会に所属し、野球解説者の声真似を得意として人気者だった[1]。大学在学中の1980年に『クイズ・ドレミファドン!』に出演し、最終問題で優勝を逃す。しかし番組関係者の目に止まり「君は面白いから出てみないか」と誘われ、1980年に『笑ってる場合ですよ!』のコーナー「お笑い君こそスターだ!」で5回連続で勝ち抜き[2]。1981年3月に大学の卒業記念として『お笑いスター誕生!!』にロボタンの芸名で出演。3週を勝ち抜き注目されるが、就職を期に4週目を辞退し一旦芸能界から身を引く。
横澤彪に誘われ、1982年に放送を開始したフジテレビの『笑っていいとも!』に旅行会社社員の立場でレギュラー出演[3]し、芸能界に復帰。川上哲治の扮装をして物真似し、同様に長嶋茂雄(元巨人選手、監督)の物真似で活動していたチョー長嶋(現・プリティ長嶋)とコンビを組む(プリティのブログ[4]によると、番組の企画段階でプリティの『いいとも!』出演は内定していたがタモリの司会は決定しておらず、プリティとドンと明石家さんまの三人でコーナーをやりたいと希望していたらしい)。"来たかチョーさん、待ってたドン"と題されたレギュラーコーナーは、『笑っていいとも!』開始当初の人気コーナーのひとつとなり番組の人気獲得に貢献したが、レギュラーコーナー終了と共に表舞台から姿を消した。
その後、故郷の北海道へ活動の拠点を移し、「DON」「ドン川上」もしくは本名の「渡辺信一」の名で、北海道(主に北海道放送)のテレビやラジオに出演し、ローカルタレントとして活動している。過去にはHBCラジオ番組『カーナビラジオ午後一番』などにも出演していた。
元々かなりの薄毛であったが、カーナビラジオの企画において、番組スポンサーであるかつらメーカースヴェンソンのかつらを装着した所、非常に気にいったため長年愛用していたが、その後2019年「酒メンタリー 生き恥上々」出演時に、2018年まで使用した後かつらを外した事を公表した。カーナビラジオでの1分弱のスヴェンソン生コマーシャル枠の中でパーソナリティーのYASUが「DONさんも愛用しているスヴェンソン」とアピールする事があった。また1980年代当時、プロ野球は南海ホークスファンであった[2]。
北海道出身の大泉洋は物真似を得意としており、全国放送の番組でDONの物真似が披露されたこともある[5]。
過去の出演番組
[編集]テレビ
[編集]- 森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ系、1982年10月 - 1984年9月※木曜日担当)
- Hana*テレビ(HBCテレビ)
- 女だらけ〜お姉ちゃん5人の恐怖のいじめにカケフ君タジタジ! ボクもうこんな家いやだ!〜(フジテレビ系、1987年7月13日)
- ドラバラ鈴井の巣『VS 〜禁断の対決企画〜』大泉組 「さよなら朝日荘」(北海道テレビ放送、2003年10月2日 - 12月11日、2004年8月26日、9月2日)
- 酒メンタリー 生き恥上々 第11弾(HBCテレビ、2019年8月12・13日)
- ハナタレナックス(北海道テレビ放送、2023年8月4日)
ラジオ
[編集]- HBCラジオ
- ニッポン放送
- 高田文夫のラジオビバリー昼ズ(高田文夫と交流があり、それに伴う「準ゲスト」としての扱い)
ディスコグラフィー
[編集]脚注
[編集]- ^ “いいとも!でブレーク ドン川上「31年間芸能界で食べてこられた」”. www.sponichi.co.jp. 2020年5月5日閲覧。
- ^ a b 週刊TVガイド 1983年5月13日 122頁「出番です」コーナー(渡辺信一)
- ^ 氏名クレジットは本名の「渡辺信一」。同様にプリティ長嶋も「片岡馨」と表記。
- ^ 25年の時の流れ プリティ長嶋の日誌-ウェブリブログ (2006.10)
- ^ “今夜の「嵐にしやがれ」は…超いい加減な男・大泉洋さんが登場!番組初!嵐が大泉洋に教えるぞSP!”. 日本テレビ (2013年3月2日). 2021年1月1日閲覧。