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クリッシー・ハインド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Chrissie Hyndeから転送)
クリッシー・ハインド
クリッシー・ハインド(2013年)
基本情報
出生名 Christine Ellen Hynde
生誕 (1951-09-07) 1951年9月7日(73歳)[1]
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オハイオ州アクロン
ジャンル ロックニューウェイヴパンクロック
職業 歌手、ソングライター、ミュージシャン
担当楽器 ギターハーモニカドラムスピアノボーカル
活動期間 1975年 - 現在
共同作業者 プリテンダーズ、JP・クリッシー&フェアグラウンド・ボーイズ、ジョニー・モペッド、ムーアズ・マーダラーズ、チューブ&バーガーUB40
著名使用楽器
フェンダー・テレキャスター

クリッシー・ハインド(Chrissie Hynde、1951年9月7日 - )は、ロックバンドのプリテンダーズのメンバーとして知られる、アメリカ合衆国のミュージシャンである。

ヒッピー文化の影響を受けたハインドは、ロンドンにあるマルコム・マクラーレンヴィヴィアン・ウエストウッドのパンクスタイルの衣料品店SEXで働いた。1978年には、ピート・ファーンドンやジェイムス・ハニーマン・スコット、マーティン・チェンバースとバンド・プリテンダーズを結成し、ハインドはシンガーとソングライター、ギタリストを担当した。ハインドはプリテンダーズ以外の活動として、フランク・シナトラUB40など他のミュージシャンと共演して、いくつかヒット曲を出している。ハインドとプリテンダーズは、2005年にロックの殿堂入りを果たしている。

生い立ち

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ハインドはオハイオ州アクロンで生まれ育ち、アクロンの高校を卒業しているが、次のように語ってる。「高校生活は面白くなかった。ダンスに行ったこともなかったし、デートに行ったこともなかった。恋人もいなかった。酷いものだった。もちろん、バンドを見に行くことはできたから、それが楽しみだった。どんなバンドでも見るために、クリーブランドによく行っていた。だから私は会ったこともないバンドの男性に恋をしていた。ブライアン・ジョーンズイギー・ポップを知っていたから、周りの男には興味が持てなかった。もっと大きな考えを持っていたんだ[2]。」

キャリア初期

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ハインドはヒッピーカウンターカルチャー、東洋の神秘主義菜食主義に興味を持つようになった[3]ケント州立大学美術学部の学生時代、Sat. Sun. Mat. という名前のバンドに加入した。そのバンドには後にディーヴォを結成するマーク・マザーズボーがいた[4]。ハインドが学生時代の1970年5月4日にケント州立大学銃撃事件が発生していて、4人の犠牲者のうちの1人がハインドの友人のボーイフレンドだった[5]

ハインドはイギリスの音楽誌NMEに興味をもち、1973年にロンドンへ移った。まずは建築会社で仕事をしたが8ヶ月後に辞めてしまった。それから、ロック記者のニック・ケントと会ってNMEの仕事を紹介してもらい[6]、自身で後に「中途半端な哲学の戯言と無意味な攻撃」と称するものを書いた[7]。しかし、この仕事は続かないことに気づき、マルコム・マクラーレンヴィヴィアン・ウエストウッドの当時あまり知られていない衣料品店SEXで働くようになった[8]。ある時点で、ハインドは労働許可証を取得するため、マクラーレンがマネジメントするセックス・ピストルズジョニー・ロットンとその後シド・ヴィシャスに対して結婚することを説得した[9]。このエピソードに対するハインドの見解では、ロットンが「私と一緒に登記所へ行き、口にするのもはばかられることをすると言ってきた。」しかし、その後車を出したらヴィシャスがそこにいた[10]。翌朝に登記所へ到着したら、そこが「長期休暇のため閉鎖」で、ヴィシャスの出廷もあり、翌日からはいけなかった[10]。ハインドは、1975年にクリーブランドへ帰還する前にフランスでバンドを始めようとした[11]

ハインドはバンドを結成するために1976年にフランスへ戻ったが、うまくいかなかった。そして、フレンチーズというバンドにベース担当として加入した[4]。あるときにリードシンガーが脱退したため、ハインドが代わりにリードシンガーとなった。ハインドはパンク・ロック・ムーブメントの早い時期に、ロンドンへ戻り、1976年後半にメロディー・メイカーのバンドメンバー募集の広告をみて、999というバンドのオーディションに参加した。そのオーディションには、後にカルチャー・クラブのメンバーとなるジョン・モスや、ジェネレーションXトニー・ジェイムスも参加していた[12]。その後、ハインドはザ・クラッシュミック・ジョーンズとグループを結成しようとした[4]

バンドの結成に失敗したあと、マルコム・マクラーレンはハインドをマスターズ・オブ・ザ・バックサイドというバンドのギタリストに据えたが、そのバンドがダムドに改名した時にハインドは脱退させられた。ジョニー・モペッドというバンドに短期間加入した後、ミック・ジョーンズが自身のバンドの初のイギリスツアーにハインドを誘った[4]。ハインドは回想している。「素晴らしいことだったけど、心が折れそうだった。バンドにいたかった。すべてのギグに行き、間近でそれを見て、その中で生きていたかったのに、バンドはなく、打ちのめされた。去り際に「一緒に連れて行ってくれてありがとう」と言い、帰りのロンドンの地下鉄で泣いた。知り合いは皆バンドに属しているなか、私は本当に敗者だった[2][13]。」

ハインドは1978年にムーアズ・マーダラーズというムーアズ殺人事件から名前をとったバンドと短期間過ごした。そのバンドは後にヴィサージのフロントマンとなるスティーヴ・ストレンジがボーカルを務め、ヴィンス・エリーがドラムス、マーク・ライアンとハインドがギターを務めた。バンド名だけでも物議を醸すには十分で、NMEによれば、ハインドはまもなくバンドから距離を置いた。「私はメンバーじゃない。リハーサルに参加しただけ。スティーヴ・ストレンジとスー・キャットウーマンが考えたグループで、私は自分のグループを作っていたところだけど、手伝って欲しいと頼まれたからギターを弾いたの。」[14]

プリテンダーズ

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プリテンダーズ結成時のベース奏者のピート・ファーンドン

1970年代後半

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1978年、ハインドはリアル・レコード・レーベルのオーナーであるデーブ・ヒルにデモテープを送った[15]。ヒルはハインドにバンドを結成するように助言した。1978年春、ハインドはピート・ファーンドン(ベース)と出会い、その後彼らはジェイムス・ハニーマン・スコット(ギター、キーボード)とマーティン・チェンバース(ドラムス、パーカッション)をバンドメンバーに選んで、プリテンダーズという名前をグループにつけた。この名前は、プラターズの1955年の曲「ザ・グレート・プリテンダー」のサム・クック・バージョンに影響をうけたものである[16]

彼らは「プレシャス」、「ザ・ウェイト(The Wait)」、キンクスの「ストップ・ユア・ソビング」などをデモテープに録音して、ハインドの友人であるニック・ロウに手渡して、シングル「ストップ・ユア・ソビング/プレシャス」をプロデュースしてもらいパリで最初のギグを行った。このシングルは1979年1月に発表され、イギリスでトップ30に入るヒット曲となった。1979年の春、プリテンダーズは最初のアルバム『愛しのキッズ』(Pretenders) を制作し、シングル「恋のブラス・イン・ポケット」(Brass in Pocket) はイギリスとアメリカのチャートを騒がせた[17]

1980年代から1990年代

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ロンドンのクラブで演奏するプリテンダーズ(1981年)

バンドはEPアルバム『Extended Play』と、アルバム『プリテンダーズII』を発表した。「トーク・オブ・ザ・タウン」(Talk of the Town) と「メッセージ・オブ・ラヴ」(Message of Love) は、その両方に収録されている。プリテンダーズはその後10年の間に次々とメンバー変更を繰り返した。ファーンドンがバンドから解雇された数日後である1982年1月に、ハニーマン・スコットが心臓麻痺で死去した。マーティン・チェンバースは1980年代中頃にバンドを去った。次々とメンバーが変わる中、ハインドだけは1990年代中頃にチェンバースが復帰するまで唯一のオリジナルメンバーとして残り続けた。ハインドは、この期間バンド唯一の不動のメンバーだった[18]

他の音楽プロジェクト

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ハインドは、カーヴド・エアソーニャ・クリスティーナとともに、ミック・ファーレンの1978年のアルバム『Vampires Stole My Lunch Money』にバック・ボーカルとして参加している。また、スペシャルズの代表作となるアルバムに収録されている「ナイト・クラブ」(Nite Klub) で、ハインドはバックで歌っている[19]INXSの1993年のアルバム『フル・ムーン・ダーティ・ハーツ』でハインドはタイトル曲をデュエットで歌っている[20]。ムードスウィングスの「ステイト・オブ・インディペンデンス・パート2」(State of Independence Part II) にボーカルとして参加し、『ルームメイト』のサウンドトラックに収録されている[21]。ハインドはモリッシーの「Evaryday is Like Sunday」をカバーしている[22]

ハインドはフランク・シナトラともデュエットしていて、シナトラの1994年のアルバム『Duets II』に収録されている。1995年には、アメリカのコメディ・ドラマ『フレンズ』に出演している[23]。そして、1995年にはシェールネナ・チェリーとともに「ラヴ・キャン・ビルド・ア・ブリッジ」(Love Can Build a Bridge) を歌った[24]エリック・クラプトンもこのトラックにはリード・ギターとして参加している。1997年にEMIラッシュ・リンボーに使用停止を請願するまで、リンボーはハインドの「My City Was Gone」を自身の番組のオープニングテーマとして長い間使用していた[25][26]

ハインドの、プリテンダーズ以外のコラボレーションで最もチャートで成功したものは、1985年にUB40と共演したもので、ソニー&シェールの「アイ・ゴット・ユー・ベイブ」(I Got You Babe) のカバーである。この曲は全英シングルチャートで1位を獲得し[27]、アメリカのBillboard Hot 100でも28位を記録した[28]

クリッシー・ハインド(2008年)

1999年、ハインドはシェリル・クロウセントラル・パークで「イフ・イット・メイクス・ユー・ハッピー」(If It Makes You Happy) を歌った。ハインドはテレンス・トレント・ダービーの曲「Penelope Please」の詞に登場している[29]。1998年、ハインドはグラム・パーソンズのトリビュート・アルバム『Return of the Grievous Angel: A Tribute to Gram Parsons』のため、プリテンダーズを連れてエミルー・ハリスと「She」をデュエットしている。ハインドはスペインのバンドのハラベ・デ・パロのアルバム『Un metro cuadrado - 1m²』の収録曲「Cry (If You Don't Mind)」の録音に参加している[30]。2003年のアニメ映画『ラグラッツのGOGOアドベンチャー』ではブルース・ウィリスとデュエットを歌い声で出演している[31]

2004年、ハインドはブラジル人ミュージシャンのモレーノ・ヴェローゾと一緒にツアーをするために2か月間ブラジルサンパウロに移った。ハインドはサンパウロで部屋を買い、チューブ&バーガーの2004年のビルボードのホット・ダンス・エアプレイでのナンバー1ヒット「Straight Ahead」にボーカリストとして参加した[32][33]。2005年にはハインドはリンゴ・スターと「Don't Hang Up」という曲をデュエットし、この曲はスターのアルバム『Choose Love』に収録されている[34]。同じ2005年、ハインドはインキュバスと共演して「Neither Of Us Can See」という曲を歌い、この曲は映画『ステルス』のサウンドトラックに収録されている[35]

クリッシー・ハインドと彼女のバンドであるプリテンダーズは、2005年にクリーブランドロックの殿堂入りを果たした。ちょうどロックの殿堂は20周年であり、かつロックンロールができて50周年記念だった。アイルランドのバンドU2もこの年に表彰された[36]。式典はニューヨーク市ウォルドルフ=アストリアで行われた[37]

2008年10月17日、アクロン仲間のミュージシャンであるディーヴォのオープニング・アクトとして、バラク・オバマ大統領候補支援のための慈善コンサートに出演した。同じアクロンのザ・ブラック・キーズは、ハインドより前に演奏した[38]

ハインドはレイ・デイヴィスの2009年のクリスマス・シングル「Postcard From London」にゲストボーカルで参加し[39]、同じ年にはモリッシーのアルバム『イヤーズ・オブ・リフューザル』(Years of Refusal) にも参加している[40]

クリッシー・ハインドとウェールズの歌手のJ・P・ジョーンズでバンドを組み、JP・クリッシー&フェアグラウンド・ボーイズと名乗った。彼らはデビューアルバム『Fidelity』を2010年8月24日に発表した[41]。ツアーの録音はUSBフラッシュドライブで発売された[42]

2011年2月5日、ハインドとプリテンダーズは、テレビ番組『CMTクロスローズ』でフェイス・ヒルと生演奏で共演した[43]

ハインドはジョン・ケイルニック・ケイヴと、BBCの番組に1999年7月9日に出演した。このコンサートはロンドンで行われ、DVDで発売された[44]。2010年にはハイチ地震のための慈善シングルとして、スクリーミン・ジェイ・ホーキンスの「I Put a Spell on You」のカバーに参加した。この曲とミュージック・ビデオには、ミック・ジョーンズグレン・マトロックシェーン・マクゴーワンボビー・ギレスピープライマル・スクリーム)等が参加した[45]

ハインドは2014年6月10日に新アルバム『ストックホルム』(Stockholm) を発表した。このアルバムには、ニール・ヤングやテニス選手のジョン・マッケンローが参加している[46]

芸術性

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ハインドの声域はコントラアルトである[47]。1978年にプリテンダーズを結成するまで、ハインドは音楽知識がほとんどなかった[48]。独特の拍子を数えられなくなると考え、正式なボイストレーニングを避けて次のように言っている。「ロック独特の声は、欲求不満や恐れ、孤独、怒り、不安定、傲慢、ナルシシズム、そして忍耐など、先生から学ぶものを除いて、長年の多くのものから鍛えられます。[48]

影響

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1994年のインタビューで、マドンナはハインドのことを振り返っている。
「彼女がセントラル・パーク(1980年8月、プリテンダーズ)で演奏したのを見たわ。素晴らしかった! 私がパフォーマンスを見た中でそう思えた唯一の女性。彼女には度胸がある、すごいわ!男の世界で自信に満ちた態度の女性を見たことが、私に勇気とインスピレーションを与えてくれた。」[49]

私生活

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クリッシー・ハインドのアクロンにあったレストラン(2008年7月)

ハインドには、キンクスレイ・デイヴィスとの間に1人の娘がいる[50]。また、シンプル・マインズのリードシンガーのジム・カーと結婚して別に1人の娘がいる。一家はスコットランドサウス・クイーンズフェリーに住んでいた[50]。その後離婚したが、1997年にはコロンビア人アーティストの Lucho Brieva と再婚した[50][51]。夫妻は2002年に別れている[52]

ハインドはヒンドゥー教ヴィシュヌ派を研究するため、毎年インドへ行く[53]

ハインドはロンドンに住んでいて、さらに故郷のアクロンにもアパートを所有している[54]

ガーディアン紙が2013年に発表した50代の50人のベスト・ドレッサーに、ハインドが選ばれている[55]

ハインドは菜食主義者になったことを「これまで私におこった最高のこと」と話している[56]。肉食者に対しては「嫌悪感、ほぼ軽蔑」しているが、「尊敬できないけど協力して生きる」と言っている[56]。ハインドは動物の権利活動家であり、PETA[57]と、動物の権利グループViva![58]の支持者である。2002年には、ジュード・ロウポール・マッカートニーらと反毛皮運動のコマーシャルに出演した。

自叙伝

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2015年9月8日に自叙伝『Reckless: My Life as a Pretender』を発表した[59][60]

レストラン事業

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2007年11月、ハインドはアクロンにヴィーガニズムのレストランを開店した[61]。レストランは、イタリアの地中海の食物をつかった多国籍料理をだしている[62]。レストランを開店する前の2007年9月15日、ハインドは元プリテンダーズのギタリストのアダム・シーモアと店で3曲を演奏した。レストランはアメリカ国内のヴィーガニズム・レストランのトップ5に選ばれたが、経済的事情により2011年10月2日に閉店した[63]

ディスコグラフィ

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プリテンダーズ

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ソロ・アルバム

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ゲスト出演

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発売日 シングル 全英シングルチャート順位[64]
1984年9月 プライド」(Pride) (with U2) 3
1985年7月 アイ・ゴット・ユー・ベイブ」(I Got You Babe) (with UB40) 1
1988年6月 ベッドで朝食を」(Breakfast in Bed) (with UB40) 6
1991年9月 ステイト・オブ・インディペンデンス」(Spiritual High (State of Independence)) (with モッドスウィングス) 66
1993年1月 ステイト・オブ・インディペンデンス・パート2」(Spiritual High (State of Independence)) (Remix) (with モッドスウィングス) 47
1995年3月 ラヴ・キャン・ビルド・ア・ブリッジ」(Love Can Build a Bridge) (with シェールネナ・チェリーエリック・クラプトン) 1
2000年5月 「Kid 2000」 (with ハイブリッド) 32
2004年1月 「Straight Ahead」 (with チューブ&バーガー) 29

脚注

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  1. ^ Happy 60th Birthday, Chrissie Hynde!”. Starpulse.com (2011年9月7日). 2012年4月13日閲覧。
  2. ^ a b Loder, K. "Pretenders", p. 13. Rolling Stone, May 29, 1980.
  3. ^ Cornwell, Jane (2010年8月21日). “Chrissie Hynde and the Pretenders: Present tense”. The Australian. http://www.theaustralian.com.au/arts/chrissie-hynde-and-the-pretenders-present-tense/story-e6frg8n6-1225906224759 2015年3月16日閲覧。 
  4. ^ a b c d Williams, Mark (May 28, 2014). “Chrissie Hynde: 'Malcolm McLaren wanted me to dress up like a guy'”. The Guardian. http://www.theguardian.com/music/2014/may/28/chrissie-hynde-interview-the-pretenders-malcolm-mclaren March 16, 2015閲覧。 
  5. ^ Hynde, Chrissie (2015). Reckless. Ebury Press. pp. 80-81. ISBN 9781785031441 
  6. ^ Price, Simon (2014年6月10日). “Talker Of The Town: Chrissie Hynde Interviewed By Simon Price”. The Quietus. 2015年3月16日閲覧。
  7. ^ Hynde, Chrissie (2015). Reckless. Ebury Press. p. 150. ISBN 9781785031441 
  8. ^ Shepherd, Fiona (2014年4月28日). “Chrissie Hynde grabs attention with debut solo LP”. The Scotsman. http://www.scotsman.com/what-s-on/music/chrissie-hynde-grabs-attention-with-debut-solo-lp-1-3390360 2015年3月16日閲覧。 
  9. ^ Lydon, John (2008). Rotten: No Irish, No Blacks, No Dogs. Macmillan. p. 138 
  10. ^ a b Hynde, Chrissie (2015). Reckless. Ebury Press. pp. 198–9. ISBN 9781785031441 
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  13. ^ Hynde states this in The Pretenders Greatest Hits DVD documentary extra "No Turn Left Unstoned".
  14. ^ Letters page, NME, January 21, 1978.
  15. ^ Lifton, Dave (2015年1月19日). “35 Years Ago: The Pretenders Roar to Life with Their Self-Titled Debut”. Ultimate Classic Rock. 2015年3月16日閲覧。
  16. ^ White, Timothy (1995-10-14). Pretenders' Hynde Appreciates the 'View'. https://books.google.co.jp/books?id=iA4EAAAAMBAJ&pg=PA3&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q&f=false 2013年1月22日閲覧。. 
  17. ^ Shedden, Iain. “Chrissie Hynde the real pretender”. The Australian. http://www.theaustralian.com.au/arts/review/chrissie-hynde-the-real-pretender/story-fn9n8gph-1226936114228 2015年3月16日閲覧。 
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外部リンク

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