Category‐ノート:宗教的存在
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「宗教的存在」では現実の宗教指導者などと紛らわしいのではないでしょうか。「霊的存在」とか でいいのでは。--頭痛 2011年9月4日 (日) 00:42 (UTC)
- 改名提案を出しました。--頭痛 2011年9月6日 (火) 11:14 (UTC)
反対 「霊的存在」だと意味が違いすぎる。現実の宗教指導者と区別したいという考えは分からなくないので他にいいアイデアがあれば賛成するかもしれない。Fuji 3 2011年9月8日 (木) 13:34 (UTC)
- 「意味が違いすぎる」とはどういうことでしょうか? --頭痛 2011年9月8日 (木) 13:43 (UTC)
- 「霊」の範囲がぶれやすいというのもありますが、アニミズム的な感覚で「霊的」といえばキリスト教的な存在と離れていくと思いますし、仏を仮に、肉体/霊魂/精神というような分類にあてはめるなら、霊よりも精神(理性)がもっとも近いと思います。超自然的存在を霊的というのは分からなくもないですが、それだけブレてしまうものを定義とすると、意味がかなり異なってしまうことも覚悟しなければいけないので反対です。むしろ「超自然的存在」とかの方がまだ無難かと。Fuji 3 2011年9月8日 (木) 14:09 (UTC)
- 「霊的」は英語で言えばspiritualですが、これは三位一体説などで「聖霊(Holy Spirit)」と言うときのspiritとまったく同じです。「アニミズム的な感覚で「霊的」といえばキリスト教的な存在と離れていく」というのはよく意味がわかりません。なぜそこでアニミズムに限らなくてはならないのですか。
- Category:仏のカテゴリ自体は大乗仏教のカテゴリとなっているし神に類する存在として扱う事に問題があるとは思いません(「肉体/霊魂/精神というような分類」とはなんのことでしょうか。その三分類はなにか典拠があるのでしょうか?)細かいところはカテゴリの定義部分で調整すれば済むことです。「霊的」というのは要するに「それに似たもの」くらいの意味であって「仏は霊である」と言っているのではありません。そんなことは他の利用者も分かると思います。
- 「超自然的存在」では魔法使いとかも入ってしまうので明らかにこのカテゴリの意図と合いません。--頭痛 2011年9月8日 (木) 15:02 (UTC)
- 「超自然的存在」は確かに宗教と関係ないものも入るので不適ですね。
- アミニズ、例えば精霊みたいな考え方ですが、一般的なキリスト教徒が聖霊と精霊を同カテゴリのものとしてとらえるとは思えません。
- 「肉体/霊魂/精神」は人間を考えるときの一般的な西洋の分類です。仏の特性を表現するのにちょうどいいので利用しました。そもそも、
- >細かいところはカテゴリの定義部分で調整すれば済むことです。
- >「霊的」というのは要するに「それに似たもの」くらいの意味
- と無理のある定義をするくらいなら今の「宗教的存在」の方が現実の宗教指導者が入るとしても実態を表していていいと思います。Fuji 3 2011年9月8日 (木) 22:43 (UTC)
- 「霊」の範囲がぶれやすいというのもありますが、アニミズム的な感覚で「霊的」といえばキリスト教的な存在と離れていくと思いますし、仏を仮に、肉体/霊魂/精神というような分類にあてはめるなら、霊よりも精神(理性)がもっとも近いと思います。超自然的存在を霊的というのは分からなくもないですが、それだけブレてしまうものを定義とすると、意味がかなり異なってしまうことも覚悟しなければいけないので反対です。むしろ「超自然的存在」とかの方がまだ無難かと。Fuji 3 2011年9月8日 (木) 14:09 (UTC)
- 議論の途中ですが、「Category:霊的存在」の下に「Category:霊」がくるのは語義的に不都合だと気がついたため改名を取りやめます。「生物」と「人物」に当てはまらないもののカテゴリとしてこの辺りの名称が適当だと考えますが、おそらく神や仏を霊性という側面だけで捉えることに不都合を感じる人もいるでしょう。--頭痛 2011年9月9日 (金) 06:29 (UTC)
一旦、提案が終わりましたが、ちょっと考えていて「宗教における形而上の存在」とかしたらしっくりくるのかなと思いました。反対とかなければ改名提案してみようかと思いますがどうでしょうか?Fuji 3 2011年9月10日 (土) 00:08 (UTC)
- その場合「宗教における」をつける必要がありますか?--頭痛 2011年9月10日 (土) 05:03 (UTC)
- コメント コメント依頼から参りました。「霊的存在」「形而上の存在」いずれにも反対です(前者については取り下げられていらっしゃるようですので、詳論は避けます)。「形而上の存在」については、「形而上」の語義そのものに一定の哲学バイアスがかかりかねません。結論としては現状維持以外に私は考えつきません。--Kinno Angel 2011年9月11日 (日) 13:16 (UTC)
- コメント
- 「宗教における」は宗教以外にも形而上の存在は多いわけで必要だと思います。
- 「形而上」は哲学以外でも使われるので、バイアスというのがピンときませんが、そんなものでしょうか?意味的にはしっくりくると思うんですが。Fuji 3 2011年9月14日 (水) 12:26 (UTC)
- コメント
- コメント 神仏が下位カテゴリにあるわけですが、「形而上」とは、神道も仏教もキリスト教もイスラームも、必ずしも捉えていないと思うのですが…(むしろ「形而上」と捉えるものの方が少数派の筈です)。--Kinno Angel 2011年9月14日 (水) 13:37 (UTC)
形而上」とは認識していると思うのですが、どうでしょう?Fuji 3 2011年9月16日 (金) 14:19 (UTC)