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Category‐ノート:世界/過去ログ5

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Category:世界の今後

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主要カテゴリからCategory:世界を外した前後でCategory:世界は未使用カテゴリに移動されていましたが、再び「このカテゴリでは概念としての世界を扱う」という定義で復活していることに気が付きました。現在のこの定義では「Category:世界観」との差異が不明瞭ではないでしょうか? "世界"という概念に関する記事ならばCategory:世界観に入れてもよさそうに思えてしまうからです。もちろん、記事の整理分類のために「Category:世界」と「Category:世界観」を使い分けても構わないと思います。ただ、そのためにはWikipedia:カテゴリの方針に従った適切な定義付けが必要だと思います。それが困難なら、現時点ではサブカテゴリ数・記事数も少なく作業も容易なので再び未使用カテゴリに戻しては如何でしょうか。Sina 2007年11月24日 (土) 03:33 (UTC)[返信]

  • 「概念としての世界」と「世界観」では、まったく意味が違うでしょう。「概念としての世界」というのは社会の一単位、全人類社会というような意味合いでしょうし、「世界観」というのは周囲をどう把握するかという問題であり、解釈や意義づけでしょう。前者は、社会学、経済学、歴史学における一単位であるのに対し、後者は哲学や宗教学の一領域でしょう。どこか差異の不明瞭な点がありますかね。--Greenland4 2007年12月9日 (日) 15:04 (UTC)[返信]
  • 少々失礼ながら、[1]のように、記事「世界地図」が「Category:世界」にカテゴライズされていたので、「Category:世界」と「Category:世界観」の間で混乱している方がいるのかと悲観的に思っていました。「世界観」は言葉としての意味が割と確立している(記事世界観もあり)と思いますが、「概念としての世界を扱う」では人によって解釈が違いかねないと思います。「Category:世界」をカテゴリとして使用継続するならば、この「Category:世界」にはどのような記事・カテゴリを入れるのかを改めて定義する説明文が必要なように思います。今の定義文「このカテゴリでは社会の一単位としての世界、および概念としての世界を扱う。」では「社会の一単位としての世界」と「概念としての世界」が「および」で結ばれていて、不可解な印象を受けます。「概念としての世界」とは「社会の一単位」といった意味なのでしたら、「社会の一単位としての世界」を追加した時点で、「および」以降は不必要なのでしょう。Sina 2007年12月9日 (日) 15:59 (UTC)[返信]
世界観は次のような問いに答える。
  • 現実とは何か?
  • 世界の本性とは何か?
  • 人間とは何か?われわれはどんな人間像を持っているか?
  • 死後どうなるか?
  • 何かを知ることがなぜ可能なのか?
  • われわれは何を知っていて、何が正しく、何が真実で、何が誤っているのか?
  • 人間の歴史は何を意味するのか?
  • 神はいるか?
  • 人間は自由意志を持っているのか?

とありますが、世界地図は、このうちのどの問いに答えると考えるのですか? 「世界観」が「言葉としての意味が割と確立している」というのは確かに事実ですが、それをあなたが理解しているかどうかは別問題です。--Greenland4 2007年12月10日 (月) 22:03 (UTC)[返信]