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Category‐ノート:アジア研究

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カテゴリの曖昧さについて

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このカテゴリには違和感を感じます。と、いいますのも、「アジア研究の歴史」と漠としていて何が含まれて何が含まれないのかが不明だからです。

  1. 「アジア研究者」の新渡戸稲造と「アジア史研究者」の宮崎市定が同じ枠に含まれていますが、研究の対象は別物だと思われます。
  2. サブカテゴリとしてアジア研究の「部分」ではないものが含まれています。例えば「旧外地の学校」はあくまで「昔外地にあった学校」でしかなく、それがそのままアジア研究の一部(サブカテゴリ)には成り得ないと考えます。言ってしまえばこれは「アジア史研究の対象」であり上記2者とまた別の分類になるのはないでしょうか。
  3. 同様にサブカテゴリ:仏教学者についても、アジア研究の一部とは言い切れないと考えます。例えばカテゴリ:仏教学者には「清沢満之」が含まれています。この人は仏教学者ではあってもアジア史学者・アジア学者ではないと考えます。

以上、恐らくこのカテゴリ自身がぶら下がっているカテゴリが多岐にわたっているので、意図的に漠としたカテゴリにされていると思うのですが、最初に範囲を明確にしなかったカテゴリは、色々な人の手で色々な記事がぶら下がって、意図不明なものになりかねません(例:最近はだいぶすっきりしてきましたがココとか)。 カテゴリ自体は面白いと思いますので、範囲の明確化と、必要に応じたサブカテゴリ化をされたほうがよいと思いますがいかがでしょうか?--Kaba 2006年3月25日 (土) 18:43 (UTC)[返信]

レスありがとうございます。すべての問題にきちんとお答えできるかどうか分からないのですが、カテゴリを立てた者の責任として、以下、私の考えを述べます。「違和感」については至極もっともかと思います。正直あまり範囲や定義をはっきりさせずに立ててしまったので少し反省しています。サブカテゴリについてもさらに混乱を招いてしまってるのではないかと思います。ただ、近代日本の学問(人文系・社会系)の中で「アジア学」は重要な領域を構成していたはずなのに、現在では「政治学」「経済学」「歴史学」「文学」などの分野に分散してしまっているせいで、「アジア学」の歴史的発展の全体を見渡すことはきわめて難しくなっていると思います(「歴史学者」のカテゴリはあっても「東洋史学者」のカテゴリは存在していません)。例えば、新渡戸稲造と宮崎市定の(無)関係に現れているように、歴史的テーマを扱う「東洋史」(中心は東アジア・東北アジア史)は今日、「アジア地域研究」とは全く異なる学問領域として捉えるのが普通の考え方かと思います。しかし、白鳥庫吉や内藤湖南の場合、アジアの歴史を研究することと同時代のアジアを把握することは一体の問題関心であったわけで、そういった(今から見れば)「曖昧さ」も含めて「アジア学」(アジア研究)を歴史の問題として考え直すある種の準備として(現時点でそういう記事は少ないので)カテゴリを立ててみるわけにはいかないだろうか、と思ったわけです。と、言い訳を長々書いてみてもなかなかこのカテゴリをどうするか、という方針は出てこないので、とりあえずの暫定案として次のようなことを考えました。如何でしょうか。
  1. 現在のサブカテゴリは安易にいろいろぶら下げた傾向があるので、とりあえず外す方向で考えます。
  2. 新しいサブカテゴリを設けます。一つは「アジアの歴史・文化伝統を扱ってきた研究分野」(主として人文系?)の歴史に関するカテゴリです。「支那学」のようなタイトルにしてもよいのですが(こうすれば哲学(思想史学?)・歴史学・文学を包括できます)、それだと中国に限定されかねない気もするので、「東洋学」というタイトルでサブカテゴリを立てます。宮崎市定などの歴史家や仏教学者の多くはこっちに入ってくると思います。
  3. もう一つは「同時代(といってもその当時の)のアジアを扱ってきた研究分野」の歴史に関するカテゴリです。巧いタイトルが思いつかないのですが「アジア地域研究 (歴史)」みたいなものでいいのでしょうか。特に植民地支配と結びついて発展してきたアジアの社会・経済調査に関わる項目はこちらに入ることになると思います。満鉄調査部はもちろんそうですが、新渡戸・矢内原・尾崎・中西功などが該当するでしょうか(竹内好・武田泰淳もこっちかと思います)。仁井田陞は本来はこっちに入るべきなんでしょうが、一般的には法制史家のイメージが強いので両方のカテゴリに入れることになると思います。--Straysheep 2006年3月28日 (火) 14:34 (UTC)[返信]

表記のようにしてみました。一応①「昔のアジア」を扱う古典研究(遺跡など考古学的研究も含む)としての「東洋学」と②「同時代のアジア」を扱う現状研究としての「アジア地域研究」(戦前の植民政策学と戦後の地域研究・国際関係論)ということになるでしょうか。人類学的研究はどっちにも該当しそう(鳥居龍蔵みたいに遺跡発掘と民族誌の作成の両方ともやっている人は珍しくないので)ですし、「現代アジア文学」の領域はどっちのカテゴリでもすくえなさそうです。また仁井田陞など双方に片足突っ込んで優れた業績を残した人もいます。それらの項目を上位の「アジア研究の歴史」カテゴリでまとめればいいように思います。--Straysheep 2006年3月29日 (水) 12:38 (UTC)[返信]

カテゴリ移動(タイトルの変更)の提案

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何だかいろいろ誤解を与えそうなので「アジア学の歴史」というタイトルなら比較的分かりやすいのではないか(これなら「東洋学」と「地域研究」の両方の分野が包括できそうな気がします)と思い、しばらく様子を見てカテゴリを新タイトルの方に移動させようと思っています。如何でしょうか?--Straysheep 2006年4月2日 (日) 15:38 (UTC)[返信]

関連カテゴリ再編の提案

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カテゴリ・トーク:アジア地域研究 (歴史)において、。rshibaさんから当該カテゴリの改称問題に端を発して、下位カテゴリも含めカテゴリを再編する提案がなされましたので、以下要約して示します(もし誤った内容があれば訂正お願いします)。

rshibaさんからの提案は以上の通りです。--Straysheep 2010年5月24日 (月) 13:22 (UTC)[返信]

論点というのか、考慮しなければならない方向は3つほどあります。Straysheepさんが東洋学系統のカテゴリを作った頃は、そのどの方角も未整備な荒野が広がっていたのだと推察します。
(1)-a 「Category:アジア研究」⊃「Category:東洋学」、「Category:アジア研究者」⊃「Category:東洋学者」ということは、その下位において、「Category:アジア研究」⊃「Category:日本研究」かつ「Category:東洋学」⊃「Category:日本学」ならば、「Category:日本研究」⊃「Category:日本学」が成り立つ。「Category:アジア研究者」⊃「Category:日本研究者」かつ「Category:東洋学者」⊃「Category:日本学者」であるから、「Category:日本研究者」⊃「Category:日本学者」も同時に成り立つ。同様に、「Category:中国研究」⊃「Category:中国学」、「Category:中国研究者」⊃「Category:中国学者」も導き出せるだろう。
(1)-b 「Category:アジア研究者」と「Category:東洋学者」の境界がどの世代に存在するのかは、「Category:歴史学者」と「Category:近代以前の歴史家」の境界線が、欧州ではルネッサンス前後、中国では明朝と清朝の間、日本では明治維新前後であるように、サブカテゴリの研究対象の地域ごとに異なると思われる。---結局、現在の我々と基本的に同じ精神で研究対象を見ている人物がどこまで遡って存在しているのかによる---。
(2)「カテゴリ:東洋史の歴史学者」、「カテゴリ:文学研究者」とそのサブカテゴリの地域対象ごとのものと、「カテゴリ:東洋学者」とそのサブカテゴリの研究地域ごとのものとは、関連カテゴリとはするが、体系の上下に位置づけないほうがいいと思う。むしろ、「Category:中国研究者」の下に、「Category:中国学者」「Category:中国史の歴史学者」「Category:中国文学者」が並列的に収納されるのがいい。
(3)-a「探検家」系のカテゴリ、東洋・アジア地域に関わる「協会」系のカテゴリは、関連カテゴリにするのか、「Category:アジア地域研究史」「Category:日本のアジア地域研究史」や「Category:アジア地域研究史の人物」「Category:日本のアジア地域研究史の人物」の下位に位置づけるのか。---従来「Category:アジア研究の歴史」の下位において「東洋学」と並列の位置に位置づけるのはやや無理があったが、一度、「地域研究」や「アジア研究」のレベルまで上がったのち、その地域研究の歴史として「Category:アジア研究」の下位に別系列として位置づけているので、下位に置いても落ち着きがいい(と現在のところは考えている)。
(3)-b なお当然のこととして世界的観点ということで、欧米系の各国のアジア研究・東洋学の歴史やその周辺の付帯状況もここに入ってくるわけで、受け止め可能な枠の設定であるかを確認する必要がある。
(4) 全体として、(1)と(2)で述べた範囲は、研究分野ごとの分類に対応し、(3)は、関係組織・関係個人の国籍や居住地や時代別の分類に対応することになるだろう。--rshiba 2010年5月25日 (火) 10:03 (UTC)[返信]

Fuji 3さんの質問を起点とした会話

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コメント論点からずれますが、ちょっと分かりにくいので確認させてください。(歴史)というのは、「アジア地域の歴史の研究」なのか「アジア地域研究の歴史」なのかどちらなのでしょう?後者だと思っているのですが、であればCategory:東洋学の『現状分析など社会科学的分野でのアジア研究に関わる項目については、カテゴリ「アジア地域研究 (歴史)」を参照。』という説明と異なってくるような気がします(『現状分析など社会科学的分野でのアジア研究に関わる項目については、カテゴリ「アジア研究」を参照。』?それともen:Oriental studiesに合わせて同項を削除して現状分析等も含める?)。 あと、南進論を現在の視点で研究対象として扱う人物や論文があったとして、その記事がCategory:アジア地域研究史に含まれて歴史的なものとして扱われたとしたら違和感があります(当該人物や研究成果は現在の人物であり事項であるから)。該当する人物をCategory:東洋学者だけでなくCategory:南進論の人物にも関連カテゴリとして入れるというのもありかもしれませんが、その場合、"アジア研究の歴史的過去に属する事項・人物を探そうとして"Category:アジア地域研究史Category:南進論Category:南進論の人物とたどってきた人にとって違和感が残ることになるかと思うので個人的には賛成しません。今ぐらいの数ならば、「歴史的過去に属する事項・人物」でカテゴリ分けする必要もない気がしますが、将来を見据えて分割するならば、その時代のテーマであることを明確にするような名称と説明書きにするというのはどうでしょうか?以下のようなイメージです。

  • Category:地域研究 各地域研究のカテゴリをおさめるカテゴリ
    • Category:アジア研究 アジア地域研究のカテゴリ
      • Category:東洋学 東洋学範囲地域研究のカテゴリ
        • Category:東洋学者 東洋学者(個別の研究テーマ毎に人物カテゴリがあればそちら優先)
        • 「Category:19世紀のアジア地域研究(もしくは東洋学)」 期間で区切った東洋学範囲地域研究のカテゴリ。同期間にテーマとなった項目を扱い、同期間の事物を現代視点で研究する内容は含まない

Fuji 3 2010年5月26日 (水) 04:45 (UTC)[返信]

  1. Fuji 3さん。(1)現在「東洋学」「東洋学者」系の各カテゴリに書いてある説明は、かつてそのカテゴリ系が立てられた時のものです。ここでの議論は、全体の体系をどのようにするかを、ゼロベースで話し合うという前提に立っています。(2)例えば明治・大正・昭和戦前において南進を唱えた人々の当時の活動が、現在で言えば「アジア研究」という地域研究分野の祖先に当たる当時の知的活動領域(東洋学と重複する部分が大きいが完全にイコールでもない)に関連したものであったとの意味でのカテゴライズです。南進論を現在の視点で研究対象として扱う人物や論文があったとすれば、「近代日本対外思想史」の研究課題であり、その研究者は「Category:日本近現代史の歴史学者」あるいは「Category:日本近現代思想史家」にカテゴライズされるべきでしょう。--rshiba 2010年5月26日 (水) 06:34 (UTC)[返信]
  2. わたくの案の基本は、(1) Category:東洋学Category:東洋学者についてはStraysheepさんが構築した体系を温存し、その周囲に新しく作るカテゴリと調和的に存続するように整える。(2)地域研究は東洋学と並列ではなくて、その上位に位置づけて東洋学を相対化した上で体系として新たに作り替える。その際、英語版を参考にし、また、Stefan Tanak, JAPAN'S ORIENT: Rendering Pasts into History, University of California Press, 1993 が指摘する日本の東洋学の西洋のオリエンタリズムとの相似性を意識する。(3) Category:東洋学者の下位Category:モンゴル学者には、プラノ・カルピニという12~13世紀のヴェネツィア共和国の人物がいます。東洋学以前の東方への関心や関係する人物は、東洋学の下位に置くのではなく、東洋学を包摂する「アジア地域研究史」⊃「近代以前のアジア地域研究史」⊃「近代以前ヨーロッパのアジア地域研究史」に入れるという発想です。--rshiba 2010年5月26日 (水) 07:11 (UTC)[返信]
  3. 例えば、「Category:日本の東洋学者」について例示しますと:
前半のラインは現在の我々の側にいて先行研究を書いた先達として扱う位置づけで、後半は、現在の我々とは異なるその時代の状況のなかでその時代の精神を懐いて生きていた歴史上の人物としての位置づけになります。--rshiba 2010年5月26日 (水) 07:36 (UTC)[返信]
上記のような考え方であれば問題ないのではないでしょうか(上記例は上からと下からとで見ればいいんですよね?)
(A)
(B)
仮に(B)が
だと、存在意義があいまいになって(研究史上の人物以外も入る)ちょっとですが。
分野の詳細な定義については、専門の方におまかせと思っているのでコメントしません。
Fuji 3 2010年5月28日 (金) 01:59 (UTC)[返信]

Straysheepさんのご意見を起点とした会話

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コメントごめんなさい。私が返事をかまけている間にかなり議論が進んでいたのですね。ちょっと話を前に戻すことになるかも知れませんが、私の意見を書きます。まず、このカテを立てた時点では非常に定義が茫漠としていたので、このノートの冒頭であるように「アジアの歴史・伝統の研究」を扱うカテと「アジアの現状分析」を扱うカテは別にした方がいいのではないかということが問題になりました。そこで現状のように前者を下位カテ「東洋学」、後者を「アジア地域研究 (歴史)」にまとめました(この時点で「アジア研究の歴史」カテを先に立てて「アジア研究」カテを立てなかったことがそもそも問題だったわけですが)。しかしその後カテが発展していく過程で、上記の2カテではうまく区分できない領域が存在することが分かってきました。例えば清国行政法仁井田陞の諸研究は中国社会の現状分析である側面(もちろん、これは当時における「現状」であり現在においてはほとんど「歴史的存在」です)と、中国の古典的法文化の研究である側面の双方を持っており、「東洋学」と「アジア(地域)研究」の双方にカテゴライズすることが出来ます。しかし例えば、同じアジア史の研究であっても近代以降の歴史・文化の研究は、東洋学の記事にあるように、一般には「東洋学」とは見なされない(19世紀史の研究などは微妙ですが)傾向にあります(分かりにくいかも知れませんが、例えば中国近代文学の研究者である竹内好や中国現代政治(史)の研究者である尾崎秀実加々美光行を「東洋学者」と呼ぶ人はあまりいません)。以上のように、研究対象がアジアの「歴史・伝統」なのか「現状」なのかでカテゴリを分けている現行のカテゴリ体系は実態にあわない点が出てきています。したがって、研究対象でなく研究そのものの「歴史」と「現状」で下位カテゴリを再編するrshibaさんの案(たとえば(私自身が立てたカテで恐縮ですが)カテゴリ「日本の農学」と「日本の農学史」の関係と同様に理解して宜しいでしょうか?)は、私自身は一つの方向としてはあり得るかなと考えています。
ただし、その際考えなければならないのは、「東洋」「東洋学」という日本語の問題です。当該記事にありますように、非常に曖昧で広範な意味内容を持つにも関わらず、上述のごとく近代以前の古典的文化に対象を限定しているように、妙な排他性を残す概念です。そういう意味では(自省を込めてですが)カテゴリの名称として「東洋(学)」を用いるのはやはり不適当であり、「東洋学者」カテゴリも(歴史・現状双方の研究者を包括するカテとして)「アジア(地域)研究者」(もしくは「アジア学者」)と改称するのが適切であろうと思います。私が持っているカテゴリ再編の案についてはまた後日述べたいと思います。--Straysheep 2010年5月26日 (水) 17:08 (UTC)[返信]

(1)Straysheepさんが整備した「日本の農学」と「日本の農学史」の上位に、「Category:農林水産業」⊃「Category:日本の農林水産業」を置き、別系統に連なる「Category:日本の農林水産業の人物」を私が設置したのは、ここで検討していることにとても似ています。異なった所で同じようなことを繰り返しているようです。(2)「東洋学」「東洋学者」を全廃はできないでしょう。欧米語の諸版との言語間リンクをどのように受け止めるのかという点も考慮しなければならないことと思います。(3)「日本研究者」を設置して「日本研究者」⊃「日本学者」とし、日本学者からかなりの人名項目を「日本研究者」に移しています。同様に「東洋学者」を狭義に解釈して、上位カテゴリに包摂し、実質吸収する方向をイメージしています。--rshiba 2010年5月27日 (木) 03:58 (UTC)[返信]
(4) 日本と日本人に関しては「東洋学」「東洋学者」を適用せず「アジア研究」「アジア研究者」のみとするのは、一つの選択かと思います。一方、欧米については、カテゴリ「東洋学」「東洋学者」が言語間リンク的な観点から必要でしょう。--rshiba 2010年5月27日 (木) 08:48 (UTC)[返信]
確かに言語間リンクの問題もありますので、欧米については「東洋学(者)」カテゴリの温存は必要かも知れませんね(東洋オリエントの語は日本と欧米との間で意味内容のズレがあるので、そのあたりが頭の痛い問題ではあります。一般には「アジア地域研究者」と理解されているチャルマーズ・ジョンソンあたりも欧米的な定義では「東洋学者」にカテゴライズされるのでしょうか。)。ただ「アジア研究(者)」カテゴリを日本(人)の事項に限定するのなら、名称は「日本のアジア研究(者)」とするのが適切ではないでしょうか。また「東洋学(者)」カテゴリは当該記事の定義に関わらず、「アジアもしくは東洋と呼ばれる地域全般についての研究に関連するカテゴリ」と定義を書き直す必要があるでしょう。--Straysheep 2010年5月27日 (木) 09:31 (UTC)[返信]
(1) チャルマーズ・ジョンソンはどう考えても東洋学者ではありません。第二次世界大戦中に語学将校として養成された以降の米国人は「アジア研究者」でしょう。(2) 英語版を見ると、研究分野は二重にしないで「アジア研究」と「アジア研究」の下位カテゴリだけにしていて、一方、人物カテゴリは、「アジア研究者」⊃「東洋学者」、その下に、「アジア研究者」の下位⊃「東洋学者」の下位、という形にしています。日本語版も欧米研究者に関してはこの形式でいいのではないでしょうか。--rshiba 2010年5月27日 (木) 09:47 (UTC)[返信]
(分節化されたので勝手ながらインデントを修正しました。御了承下さい)なるほど、ということは欧米(少なくともアメリカ合衆国)において「東洋学者」か「アジア研究者」なのかの線引きは、単に世代的な問題(第二次世界大戦以前かそれ以降)であると理解して宜しいでしょうか。ということは、扱う研究内容(前近代か近代以後か)で線引きがされている日本の用法とはまたちょっと差があるということになりますね。日本の場合は境界領域の研究が盛んになり両者の線引きが次第に曖昧になっている(例えば、近現代(同時代)のアジアについての人文的研究が進展している)ので、(東洋学者もしくはシノロジストとしてカテゴライズされる)内藤湖南も((現代)中国研究者としてカテゴライズされる)竹内好も同じ「日本のアジア研究者」に包括するのがいいだろうと思います。カテゴリ体系(下位カテゴリは「歴史」「現状」によるものの他に「研究主体の地域別カテゴリ」「研究対象の地域別カテゴリ」を立て、将来設置されるべき包括的カテゴリにリンクする項目は、極力少なめにするべきではないか、と考えています)についての議論はもう少し詰めていく必要がありそうです。--Straysheep 2010年5月27日 (木) 10:55 (UTC)[返信]
(1) 少し調べてみて驚いたのですが、内藤湖南は「東洋史学者」とする文献はあっても日本国内で「東洋学者」とする文献が見つかりません。日本国内にはそもそも「東洋学」と同時代的に呼ばれた学問はなかったのではないですか。西洋のOriental Studiesの翻訳語としての「東洋学」は存在したようですが、また日本人研究者の仕事が欧米でOriental Studiesの一部と位置づけられたことはあったのでしょうが。なお、1887年に「東洋学会」が創立され、翌年から『東洋学会雑誌』を発行したことを、『明治の読売新聞 CD-ROM』で確認。但し、1890年には活動を停止したようで、後に余り影響を残さなかったのかも知れない(要調査)。--rshiba 2010年5月27日 (木) 12:04 (UTC)[返信]
当時の名称から言うと「東洋学者」というよりは「支那(シナ)学者」でしょうね。ただ日本の研究機関で「東洋学」を名称に冠したものはいくらでもあるし、『東洋学の系譜』『京大東洋学の百年』など(事後的に)回顧したものでは「京大支那学」などは明確に「東洋学」として位置づけられているので、内藤湖南を「東洋学者」と呼ぶこと自体にはさほど問題があるとは思えません。ただしそれをカテゴリの名称とするかどうかについては、まだ別の考慮すべき問題があると思います。--Straysheep 2010年5月27日 (木) 14:56 (UTC)[返信]
『東洋学の系譜』を通覧してみました。東洋学の記述にある「日本の東洋学には日本学は含まれない」ですが、「含まれない」ことになったのは意外に新しく二次大戦後ということはないでしょうか。明治・大正時代には欧米「東洋学」に対応した用語法でしたし、CiNiiを引いていたら1931年創刊『東洋学研究』に国史学・国文学の論文が掲載されています。1931年頃というと、満州事変に前後して「アジアモンロー主義」的言説が盛んになった頃で、日本を東亜のリーダーとする際、東洋のうちに日本が入っていなとまずかったのでしょう。もう少し調べて確証がえられたらトーク:東洋学に書きます。これはカテゴリとは別件ですね。以上は2010年5月30日 (日) 1:01 (UTC) 柴崎力栄さんによる会話です。付記:Straysheep 2010年5月30日 (日) 15:55 (UTC)[返信]

(インデント戻します)私は必ずしもCategory:東洋学というカテゴリを何が何でも廃止すべき(出来れば廃止した方がいいと思いますが)という意見に固執しているわけではありません。しかし記事項目ではなくカテゴリとして存続させるためには東洋学という概念の曖昧さが少し気にかかります。例えば地域的な問題がそうです(欧米の東洋学者にとってマグリブが「東洋」(もしくはオリエント)に含まれることは当然のことらしいですが、日本においてはかなり微妙であり、またオーストラリアを含むオセアニアや、サハラ以南のアフリカは東洋か西洋かは日本では見解の分かれるところだと思います)。やはりカテゴリの定義は極力明確に線引きしやすい、曖昧さを含まないものが推奨されるべきだと考えます(その際、「東洋学」カテゴリの定義が「東洋学」項目の定義と若干異なっていても、その旨が当該ページに明記されるならば構わないでしょう)。したがって東洋学カテゴリを存続させるとすれば、どのような項目がそのカテゴリに包括されるか、あるいは包括されないかについて明確な基準が設けられなければなりません。さて、東洋学を地域研究としての「アジア研究」の下位概念とした場合、考慮しなければならないのは;

  • 「東洋学」がその対象とする地域はどこからどこまでなのか?
東洋学が「アジア研究」の下位概念とするなら、論理上、その対象とする地域はアジアでなければならないでしょう。そのことはカテゴリの冒頭で(欧米における「東洋学」の定義とは異なっている点が)明記されるべきです。
  • 「東洋学」とそれ以外の「アジア研究」の違いはどういう点に求められるか?
私は最初「対象領域が近代以前かそれ以降か」としたのですが、これは上述の点で曖昧さが残るので止めた方がいいと思います。「人文学的研究か社会科学的研究か」というのも線引きとしては厳しそうです。最後にrshibaさんの提案?された「研究主体の世代上の違い」が残りますが、この点について私は詳かにしないので、よろしくご教示願います。

以上こんな所でしょうか。--Straysheep 2010年5月30日 (日) 16:27 (UTC)[返信]

Straysheepさんの提示された疑問「「東洋学」がその対象とする地域はどこからどこまでなのか?」と「「東洋学」とそれ以外の「アジア研究」の違いはどういう点に求められるか?」に回答せずに済ませる方法があります。
Category:東洋学の直下に入る項目は、「東洋学」「オリエンタリズム」「オリエンタリズム (サイード)」などに限る。
Category:東洋学者の下は、現存するCategory:各国の東洋学者を廃止とし、その下に入っているカテゴリCategory:アメリカ合衆国の東洋学者Category:イギリスの東洋学者Category:ドイツの東洋学者Category:ハンガリーの東洋学者Category:フランスの東洋学者とする。Category:日本の東洋学者は廃止する。
現在Category:東洋学Category:東洋学者の下位にある研究対象の地域別の分類はCategory:アジア研究やその同格の他の地域別の分類へ移す。要するに「東洋学」と「東洋学者」を、欧米の地域研究の歴史のなかに存在した時代特定的な過去の思潮として扱うということです。これでどうでしょうか。--rshiba 2010年6月1日 (火) 10:12 (UTC)[返信]
「時代特定的な過去の思潮として扱う」という場合、やはり時期的な下限は明確にされるべきかと思います。あまりこの問題のみに時間を費やすべきではありませんので、とりあえずの妥協案として、「第二次世界大戦まで」であることを「東洋学」カテゴリの定義に明記し、「それ以降については上位カテゴリ「アジア研究」へ」という具合に誘導するというのはどうでしょうか。--Straysheep 2010年6月5日 (土) 19:02 (UTC)[返信]

とりあえず

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隣接領域を整えて行きませんか。そうすると自然にここでの議論に道筋が付て来ることが期待できる。Straysheepさんは、Category:探検家以下のカテゴリを触って居られたようだし、わたくしはCategory:分野別の歴史学者Category:東洋史の歴史学者以下を整えてみます。Category:文学研究者以下の個別カテゴリを整えることも必要だし、Category:組織 (団体)Category:組織・団体別の人物の下位に、ここで課題としている領域に関連するカテゴリを作る余地があるならば作成して置いた方がいいでしょう。--rshiba 2010年5月26日 (水) 09:26 (UTC)[返信]

Straysheepさんが
Category:日本のアジア地域研究史の人物Category:日本のアジア探検家とつなげたのに倣って、
Category:アジア地域研究史の人物Category:アジア探検家としてみました。
また、
Category:日本のアジア地域研究史Category:日本の東洋学
Category:日本のアジア地域研究史の人物Category:日本の東洋学者
さらに、
Category:アジア地域研究史Category:東洋学 ←東洋学の分野別分類が下位に入る
Category:アジア地域研究史の人物Category:東洋学者 ←東洋学者の国別分類が下位に入る
としてみました。この形だと、東洋学系のカテゴリの内部の項目を移動することが少なくて安定したかたちになりそうです。--rshiba 2010年6月5日 (土) 07:56 (UTC)[返信]

以下、途中経過の記録として現在の状態を記録。

以上の通りです。--rshiba 2010年6月5日 (土) 09:19 (UTC)[返信]

概ね賛成です(異論がある場合は、以下の各論へのレスで述べました)。あえて補足するなら、「中国通」はそれについての独立した項目記事が存在しない以上、「中国学者(研究者)」との違いを明確化するためには、当該カテゴリでもう少し定義について説明があると親切なのではと思いました。また、日本における中国学は他のアジア関連諸学に比して研究者に厚みがあり、かつ哲・史・文の役割分担がはっきりしているので「中国文学者」だけでなく「中国史研究者」・「中国哲学・思想研究者」(哲学研究者と思想史研究者の線引きは困難なので1つにまとめる)などの下位カテゴリも必要かと思います。--Straysheep 2010年6月5日 (土) 18:55 (UTC)[返信]
米国の"en:China Hands"と日本の「支那通」をWikipedia:日本中心にならないようにから一つにまとめました。当該項目を起こす必要がありそうです。少々準備した上で書いてみます。また、哲・史・文などについては、現在の「関連カテゴリ再編の提案」が終わりましたら、別項目「関連カテゴリ拡充について」をつくり、そこで検討しましょう。個別項目まで確認しつつ行う作業は思いの外に手間がかかりそうです。--rshiba 2010年6月6日 (日) 04:16 (UTC)[返信]

合意確認

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6月3日(木)の提案

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つぎのことはよろしいでしょうか。

  1. Category:アジア地域研究 (歴史)Category:アジア地域研究史と改名。
  2. Category:東洋学者の下位Category:各国の東洋学者を廃止とし、その下に入っているカテゴリCategory:アメリカ合衆国の東洋学者など国別の東洋学者のカテゴリを、Category:東洋学者に移動する。

ご確認いただきたいです。--rshiba 2010年6月3日 (木) 11:05 (UTC)[返信]

アジアの古典文化研究と現状分析を包括する研究領域の歴史的関連事項をまとめるカテゴリとするならば、Category:アジア地域研究史よりはCategory:アジア研究史がベターではないでしょうか。どうも地域研究東洋学と同様、何となく誤解を招きやすい表現(アジ研で行われているような、現状分析を中心とした分野のように読めてしまう)ですので…。ただ、その場合、折角rshibaさんが作成されたCategory:アジア地域研究史の人物へのリンクをCategory:アジア研究史の人物に付け替えなければいけなくなるので手間がかかりますが(話を蒸し返してしまいすみません)。後者については異論はありません。--Straysheep 2010年6月5日 (土) 18:35 (UTC)[返信]
では提案を「地域」の二文字を消した名称Category:アジア研究史に変更します。Category:アジア研究史の人物Category:日本のアジア研究史Category:日本のアジア研究史の人物への付け替えはやっておきます。--rshiba 2010年6月6日 (日) 00:30 (UTC)[返信]
1週間経過しましたので、合意成立とし、改名を実行しました。--rshiba 2010年6月10日 (木) 12:31 (UTC)[返信]

6月5日(土)の提案

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つぎの改名を提案します。

  1. Category:チベット学Category:チベット研究に改名。
  2. Category:中国学Category:中国研究に改名。
  3. Category:日本学Category:日本研究に改名。
  4. Category:モンゴル学Category:モンゴル研究に改名。

ご確認ください。--rshiba 2010年6月5日 (土) 04:06 (UTC)[返信]

賛成します。ただ、上記のように改名した場合、下位カテゴリがそれぞれ「中国学者」「日本学者」「モンゴル学者」となるのはいかにもバランスが悪い(「中国研究者」「日本研究者」「モンゴル研究者」が適切では?)のですが、それらの改名は今後の課題と考えていいのでしょうか。--Straysheep 2010年6月5日 (土) 18:40 (UTC)[返信]
1週間経過しましたので、合意成立とし、改名を実行します。--rshiba 2010年6月13日 (日) 03:16 (UTC)[返信]

ノートの移動の提案

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Straysheepさん。現在議論しているこの場所Category‐ノート:アジア研究の歴史を、Category‐ノート:アジア研究へ転送し、2006年3月以来の経緯を、関連カテゴリ体系のトップのノートに保存するのは如何でしょうか。将来、再度の手入れが必要になった際にも、一番参照しやすい場所だと思います。--rshiba 2010年6月5日 (土) 10:02 (UTC)[返信]

賛成します。--Straysheep 2010年6月5日 (土) 18:24 (UTC)[返信]
移動を実施しました。--rshiba 2010年6月6日 (日) 00:06 (UTC)[返信]

6月6日(日)の提案

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上記「6月5日(土)の提案」でのStraysheepさんのご意見に対応して、つぎの改名を提案します。

  1. Category:チベット学者Category:チベット研究者に、Category:日本のチベット学者Category:日本のチベット研究者に改名。
  2. Category:中国学者Category:中国研究者に改名。
  3. Category:中東イスラーム学者Category:中東イスラーム研究者に改名。
  4. Category:モンゴル学者Category:モンゴル研究者に、Category:日本のモンゴル学者Category:日本のモンゴル研究者に改名。

以上、ご確認ください。--rshiba 2010年6月6日 (日) 03:57 (UTC)[返信]

1週間経過しましたので、合意成立とし、改名を実行します。--rshiba 2010年6月13日 (日) 03:16 (UTC)[返信]

未使用化カテゴリを削除依頼に提出する提案

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つぎの3カテゴリがこれまでの変更の結果、使われなくなっています。削除依頼に出していいでしょうか。

  1. Category:アジア研究の歴史
  2. Category‐ノート:アジア研究の歴史
  3. Category:各国の東洋学者
  4. Category:日本学者

以上、ご確認ください。--rshiba 2010年6月13日 (日) 12:05 (UTC)[返信]

削除に賛成します(あまり作業に関われなくてすみません)。--Straysheep 2010年6月14日 (月) 11:27 (UTC)[返信]
削除依頼を提出しました。--rshiba 2010年6月15日 (火) 04:47 (UTC)[返信]
Wikipedia:削除依頼/「Category:アジア研究」以下の再編で不要になったものにおいて、ノートはこちらへのリダイレクトとして残した方がいいとの審議結果だったので、そのようにしました。これで一連の作業は取り敢えず終了です。--rshiba 2010年7月3日 (土) 05:31 (UTC)[返信]

残された課題

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あと、どのような作業を行わなければならないかの確認が必要です。--rshiba 2010年6月13日 (日) 08:54 (UTC)[返信]