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カシオペア (バンド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Casiopeaから転送)
カシオペア
CASIOPEA-P4
基本情報
出身地 日本の旗 日本
ジャンル フュージョン
活動期間
レーベル
公式サイト https://www.casiopea.co.jp/
メンバー
旧メンバー

カシオペア (Casiopea) は、日本フュージョンバンド

1977年に結成。1979年にデビュー。以来、アルバムなどの作品制作やライヴを毎年ほぼ絶えることなく続けてきたが、2006年にすべての活動を一旦休止。2012年CASIOPEA 3rd(カシオペア・サード)の名義で活動を再開し、2022年7月からはCASIOPEA-P4(カシオペア・ピーフォー)に名義を再々度変更している。

概要

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メンバー構成

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バンド名をCASIOPEAにした直後の1977年に出場したアマチュア・バンド・コンテスト「EastWest'77」から現在のCASIOPEA P-4に至るまで、ギター、ベース、キーボード、ドラムの4人編成で活動。途中、専属ボーカリストの帯同(1986年 - 1987年)やツインドラムでの形態(2004年 - 2006年)もあった。現在のメンバーは以下の通り。

正式メンバー プロフィール 担当 備考
野呂一生
(のろ いっせい)
(1957-01-01) 1957年1月1日(67歳)、東京都出身 ギター バンドのリーダー。メイン・コンポーザー。唯一のオリジナル・メンバー。
鳴瀬喜博
(なるせ よしひろ)
(1949-11-13) 1949年11月13日(74歳)、東京都出身 ベース 1990年加入。
大高清美
(おおたか きよみ)
10月18日[注 1]埼玉県出身 キーボード 2012年加入。
今井義頼
(いまい よしのり)
(1987-11-02) 1987年11月2日(37歳) ドラム 2022年加入。

四期に分かれる活動期

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結成時から1989年までの野呂一生・櫻井哲夫・向谷実・神保彰によるメンバーでの活動を第1期、1990年に櫻井と神保脱退を受けての鳴瀬喜博加入から2006年の活動休止表明までを第2期[1][出典無効]2012年に活動再開を表明し、同時に向谷の脱退を受けて大高清美が加入したCASIOPEA 3rdを第3期、2022年にレギュラー・サポートメンバーであった神保の卒業を受けて7月より今井義頼が加入した現行の活動形態であるCASIOPEA-P4を第4期としている。

活動期 アルバム ギター ベース キーボード ドラム
カシオペア
第1期 1976年 野呂一生 櫻井哲夫 小池秀彦 鈴木徹
1977年 - 1979年 向谷実 佐々木隆
1979年 CASIOPEA

SUPER FLIGHT
1980年 - 1989年 THUNDER LIVE

WORLD LIVE '88
神保彰
第2期 1990年 - 1992年 THE PARTY

WE WANT MORE
鳴瀬喜博 日山正明
1992年 - 1996年 DRAMATIC

Flowers
熊谷徳明
1997年 - 2006年 Light and Shadows

SIGNAL[注 2]
神保彰(サポート)
CASIOPEA 3rd
第3期 2012年 - 2022年 LIVE LIFTOFF 2012

A・KA・RI
野呂一生 鳴瀬喜博 大高清美 神保彰(サポート)
CASIOPEA-P4
第4期 2022年 - 現在 野呂一生 鳴瀬喜博 大高清美 今井義頼

タイムライン

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サウンドの特色

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リズム面では16ビートを基本とし、またハーモニー面ではジャズ理論をベースとし、テンション・ノートや代理コードを多用した複雑ながらもスムーズなコード進行や転調が特徴の一つ。また、調律の基準ピッチを通常はA=440HzとするところをA=441Hzとしているのも特徴で、これは野呂のギターの調律を441Hzで行っていたことに起因している。

結成時からリーダー兼ギタリストの野呂が書くオリジナル曲を中心に演奏。そのロックやファンクをベースとし、アドリブなどソロプレイでなくアンサンブルを主体にしたインストの音楽性は、黎明期の日本のフュージョン・シーンにおいて珍しかったが、80年代に入るとポップス性を前面に出したザ・スクエア(現:T-SQUARE)と共に主流となり、親しみやすくそれでいてテクニカルなインストの曲には「カシオペアっぽい」という形容詞が普通に使われるようになる。

他のフュージョン系アーティストと同様、カシオペアの曲はテレビ番組やラジオ番組のBGMとしても頻繁に使われている。

商業的評価

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80年代前半から中盤にかけて商業的にも成功し、歌のないインストバンドながらアルバムリリース毎にチャートの上位を賑わし、ライブを重ねるごとにファンを増やし続け、日本全国でホール展開のコンサート・ツアーを催していた。

しかし、1980年代後半になると、全米進出のためにボーカルの導入やアメリカン・ポップス色を強くした音楽性はバンドの方向性に迷いを示し、ファン離れが顕著となる。さらに櫻井と神保の脱退という決定的な事態が追い打ちを掛けて人気が急落した。

鳴瀬喜博を迎えて以降は方針を修正し、デビュー以来のロックやファンク・ティストのインストに絞った音楽性による継続した活動を行い、時間は掛かったものの旧来からのファンの回帰に加えて常に新しい世代のファンを増やすことにも成功。浮き沈みが激しい今日の日本の音楽業界の中で、活動休止前年の2005年まで毎年コンスタントにアルバムを制作してリリースし続けていた。

2006年の活動休止後、復活を望む声は絶えず寄せられていて、活動再開の理由のひとつにファンの声援に後押しされたというものがあった[2]。再開後のライブはどれも盛況で、東京 JAZZの前夜祭イベント、その後のツアーの東京と大阪公演はチケットを前売り段階でソールドアウトにした。

他アーティストへの影響

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デビューアルバムからバンド譜が発行されたり、演奏者向けの音楽誌に取り上げ続けられたこともあり、多くのアマチュアプレイヤーにコピー演奏されてきた。現在でも多くのコピーバンドが存在する。

アマチュア時代にカシオペアの曲をコピー演奏したり、影響を受けたプロミュージシャンも数多い。スターダストレビュー根本要は後述のコンテスト「EastWest」で一緒に出場していたカシオペアを見て衝撃を受け、それまで行っていたインストゥルメンタルの演奏をあきらめ、ヴォーカルバンドに方針転換したことを明かしている。後年、スターダストレビューでカシオペアをリスペクトした「Cassiopeia」というインスト曲をアルバム収録している。

吉川晃司1985年にカシオペアとフジテレビの音楽番組『夜のヒットスタジオDELUXE』で共演した際にギターでコピー演奏していたことを告白。代表曲「ASAYAKE」のコピー演奏も流れた。フュージョン系ミュージシャンでは、元T-SQUAREの則竹裕之須藤満本田雅人DIMENSION小野塚晃日野賢二らもアマチュア時代にコピーに勤しみ、その後の演奏活動にも多大な影響を受けることになった。ベーシストであり、作・編曲家でもある徳永暁人は学生時代にカシオペアをコピーしていたばかりでなく、東京音楽大学在学中にそこで講義を受け持つ鳴瀬と野呂の生徒として学んでいた。他に谷村有美などもアマチュア時代にコピーしていたことを著書の中で綴ったり、佐藤竹善もアマチュア時代にベースを弾いており、アルバム『サンダー・ライブ』の「ミッドナイト・ランデブー」や「スペースロード」をコピーしていたことを櫻井哲夫や神保彰の出演していたCS番組の『MINT CLUB』に出演した際に明かしていた。さらに日本のポップス界で有名なプロデューサーの亀田誠治[注 3]本間昭光等もファンであったことを明かしている。モンド・グロッソ大沢伸一はカシオペアの「ダズリング」をアルバムでカヴァーしていたり、キー・オブ・ライフがカシオペアの「ASAYAKE」をサンプリングした「ASAYAKEの中で」という曲をシングルデビュー曲としてリリースしている。

海外のミュージシャンについてはヨーロッパツアー等をしていた時期を通じ、デュラン・デュランカジャグーグー等のイギリスのミュージシャンがカシオペアを聞いているとの内容が当時のインタビューで語られていた。カジャグーグーはカシオペアの1983年のロンドンレコーディング[注 4]にも立ち会っている。シャカタクもカシオペアのファンであることを公言していたり、後のアシッドジャズ系のギタリスト、ロニー・ジョーダンが影響を受けたことを明かしている。近年ではダーティ・ループスがカシオペアのファンであることを明かしていたり、テレビ番組の出演の際にカヴァーしてみたいアーティストとして名前を挙げたり、自身のライブにカシオペア3rdを招待しようとしていた。

歴史

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第1期(結成から1989年まで)

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野呂一生と櫻井哲夫の出会いによる結成

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1974年、当時高校三年生だった野呂一生と高校二年生だった櫻井哲夫は別々の高校に通っていたが、ともに属していた都内のロック演奏のコミュニティで出会って意気投合し、ベック・ボガート & アピスを目標として都内の練習スタジオでセッションしだすようになる。翌1975年、野呂は明星大学に進学し、その大学の軽音楽同好会のメンバーで構成されたロックバンドのファンシーハウスや中山ラビのバックバンドに参加してセミプロとして活動開始するも、それらはいずれも短期で離脱して、自作曲を元にした櫻井とのバンド活動にシフトが置かれるようになる。野呂と櫻井以外は常にメンバーは流動的で、ボーカルを従える時期などもあったが、次第にハードロックやファンクをベースとして、そこにジャズのエッセンスを加えたインスト音楽にバンドの方向性は持って行かれた。

バンド名の由来

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野呂と櫻井で結成したものの、このふたり以外に固定メンバーがそろわずに活動していたためバンド名もライブを行う度に適当に付けられていた。しかし、あるミニコミ誌の取材を受けた際、「正式なバンド名がなければ載せられない」という申し出があり、野呂が自宅に帰って母親に相談したところ、「星座の名前なんていいんじゃない?」とのアドバイスに星座の本を広げて選んだのがカシオペアである。ただ、英字表記はCasiopeaとし、出典元のカシオペヤ座 (Cassiopeia) の正式な表記とは異なる。

バンド・コンテスト出場と向谷実の加入

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バンドの名称をカシオペアと改めた後の1976年、野呂と櫻井、先述のロック演奏のコミュニティに属していた小池秀彦(キーボード)と鈴木徹(ドラム)を入れた4人編成でヤマハ主催のアマチュア・バンド・コンテスト「EastWest'76」に出場し、決勝大会まで進出して野呂がベストギタリスト賞を獲得したことでアマチュア・シーンに名前が知られ始める。しかし、決勝大会出場直後に鈴木は掛け持ちしていたプリズムのレコードデビューが決まったことからそちらに活動シフトを置くために脱退し、小池も当時様々なバンドを掛け持ちしていて多忙であったことから鈴木の脱退を受けてフェイドアウトするように脱退していってしまう[注 5]。再び野呂と櫻井のふたりだけになったカシオペアは、翌1977年に開催される「EastWest'77」に出場するべくメンバー探しに奔走。野呂は友人のツテを頼って、自分と同学年の年齢で、当時合歓音楽院(現・ヤマハ音楽院)エレクトーン科在籍中だった向谷実をキーボーディストに勧誘して引き込んだ。その際、野呂はカシオペアの指向について、向谷が信奉していたミュージシャンのひとりを引き合いに出して「チック・コリアみたいな音楽[注 6]をやっている」と口説いた。一方、ドラマーの人選はなかなか決まらず、幾人か代わる代わる入れ替えながら出場して行き、決勝大会出場時になってようやく佐々木隆で固定される。カシオペアは最優秀グループ賞と野呂の二年連続のベストギタリスト賞を受賞した。これが足がかりとなってカシオペアは「EastWest '77」決勝大会出場メンバーでプロデビューを目指すこととなって都内近郊でライブ活動開始。1990年代以降はこの1977年を公式にカシオペア結成の年としている。

このデビュー前の時期、「EastWest'77」の審査員だった鳴瀬喜博に見いだされ、野呂と向谷はプロとしての仕事に度々誘われるようになる。また、大村憲司村上秀一といったフュージョンに傾倒していたロック系ミュージシャンとも交流を築く。先行してデビューしていたプリズムとは同じロック演奏のコミュニティ出身だったことから、ともに結成以前からメンバー間の交流もあった一方で、フィールド違いの大学のジャズ研出身だったザ・スクエア(現・T-SQUARE)とはデビューしてから知り合うことになるのでこの当時は面識さえもなかった。また、ともに「EastWest'77」に出場して決勝大会まで進出したサザンオールスターズとはプロ志向どうしであったから合同でライブを行ったり、一緒にイベント出演をするなど共演の機会が多かったバンドの一つだった。

デビュー

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「EastWest'77」出場後、都内近郊で月間最大18本に渡るライブを精力的に行っていき、来るべきプロデビューに向けてバンドを固めていった。並行して数々のレコード会社からの引き合いに応じたのだが、カシオペアが持つ音楽性[注 7]は、“いまの市場には新し過ぎて売れない”との判断が下され、何のレコード会社からも大幅な変更を要望されたことで、レコードデビューが難航していく。この状況に苦慮したカシオペアは打開策として、当時の彼らに就いていたマネージャーの提案により、「自ら出資してセルフプロデュースによるスタジオ収録のレコード音源を作り、何かのレコード会社にその原盤権を買ってもらって商品化してもらう」という自主レーベル作品に近いことを考えて実行に移した。製作費に100万円以上掛けたものの、レコーディング経験者がいなかったことで稚拙な出来となってしまったレコード音源は、カシオペアに興味を示していたはずの各レコード会社の態度を余計に硬化させるだけのものなってしまう。袋小路に入ってしまったカシオペアへ最後に手を差し伸べたのは当時新興だったアルファレコードであった。「作っていたレコード音源を買い取るが、それは使わない」「音楽性は尊重するが、アルファ・レコードが指定したプロデューサーと専門スタッフの下で新たにレコーディングする」、カシオペアはアルファレコードから出された条件を受け入れて、ようやくレコードデビューに漕ぎ着けた。

1979年5月、日本におけるフュージョン・ブームの真っ直中、アルバム『CASIOPEA』でレコードデビューする。当時のメンバーは「EastWest'77」に出場したときからの野呂一生(ギター)、向谷実 (キーボード)、櫻井哲夫(ベース)、佐々木隆(ドラム)。4人の演奏に加えてオーバー・ダビングながら、ブレッカー・ブラザーズランディ・ブレッカーマイケル・ブレッカー)、デイヴィッド・サンボーンらがゲスト参加した豪華な作りとなった。そのデビューアルバム『CASIOPEA』の帯には超絶技巧でアクロバティックな演奏スタイルを示した「スリル、スピード、スーパー・テクニック」というキャッチコピーが与えられた。このキャッチコピーは以後カシオペアの音楽性を表す代名詞となる。1979年のデビュー時、アマチュア時代からの活動拠点であった都内近郊では一定の認知度と人気は既にあったが、全国的に名が知られ始めたのは、同年の日本航空のニューヨーク・キャンペーンのCM曲としてデビューアルバム後に発表したシングル「I LOVE NEW YORK」が使用されてから。また、その「I LOVE NEW YORK」を収録した2枚目のアルバム『SUPER FLIGHT』がデビュー・アルバム以上の売り上げもみせるなどして活動は好調の兆しを見せていたのだが、ドラムの佐々木が音楽的な方向性の違いにより脱退することが決まってしまった[注 8]

神保彰の加入

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1980年、ドラムを神保彰にメンバーチェンジ。前年の秋、慶應義塾大学在学中の櫻井がゼミ仲間から同大学のジャズのビッグバンド、慶應義塾大学ライトミュージックソサエティのライブに就職活動で出演できないベーシストの代役を依頼され受諾。そこで出会ったのがそのビッグバンドに在籍していた神保であった。櫻井は神保に卓越した才能を見いだし、彼を佐々木の脱退が決定事項となっていたカシオペアの次期ドラマーに推薦し、カシオペアはメンバーとスタッフ総出で神保を口説き落としてメンバーに迎えた。当時大学3年生だった神保はカシオペアに誘われるまではプロ経験はなく、また将来プロになる志向もなかった。しかし、ビッグバンドの活動とは別に、敬愛するアメリカのドラマーのスティーブ・ガッドハービー・メイソンが参加した洋楽フュージョンのレコードを片っ端から聴いていてコピー演奏していたり、小編成のコンボスタイルのフュージョンへの憧れや造詣は深く、それらと近似したカシオペアの音楽性にやりたいことを見いだしてプロになることを決断した。

黄金期

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神保が加入してすぐにライブ・レコーディングされた3枚目のアルバム『THUNDER LIVE』は、音楽誌『ADLiB』の連載企画「ブラインド・フォールド・テスト」[注 9]で賞賛され続けたことで話題を呼び、人気が一気に高まっていく。以後、アルバムを出すごとに売り上げを伸ばし続け、ライブの規模と動員もそれにともなって拡張していった。

所属レコード会社、アルファレコードが海外進出に意欲的で、神保加入後のデビュー3年目の1981年にアメリカ、翌1982年にイギリス向けのレコードをそれぞれ製作して海外進出を果たす。レコード発売ばかりでなく、以降はヨーロッパ南米香港東南アジアなどでライブも行うようになる。

メディア展開も音楽誌やFM番組出演にとどまらず、1984年には音楽を担当したのと併せてメンバー全員で出演もしたマクセルのビデオテープのCMがテレビで連日オンエア、それと前後してNHK『レッツゴーヤング』、フジテレビ『夜のヒットスタジオDX』などのテレビの人気音楽番組への出演も果たしていき、音楽ファンばかりではない一般への知名度も広く浸透していった。また、1984年のヨーロッパツアーのイギリス公演がNHKのニュース番組『ニュースセンター9時』に取材されて、日本での活動と変わらぬ盛況ぶりが伝えられた。このようにカシオペアは国内外で確固たる人気を築いていった。

1986年、ヨーロッパ圏や東南アジア圏の海外での成功を勢いにして、アルバム『SUN SUN』で再度[注 10]の全米進出を試みる。国内同様に市場規模が限られているジャズ・フュージョンではなく、市場規模が一番大きいポップ・ミュージックのカテゴリーに合うように、プロデューサーデヴィッド・ボウイのサポートギタリストとして知られるカルロス・アロマー英語版を迎えて、ボーカル曲の導入やその当時の最先端の流行を追った音楽性に変化させたものの、結局は適わなかった。これで諦めず、翌1987年の次作のスタジオ・アルバム『PLATINUM』の音楽性も『SUN SUN』のそれをさらに押し進めたもので通した。しかし、1980年代後半に入ってからのこのアメリカ市場を見据えた音楽性の変化は、国内の活動にも響いて人気が下降していってしまう。

メンバー分裂

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1988年までのカシオペアは年間2枚のアルバム制作と国内外で年間100本前後に渡るライブをこなしていた。常にカシオペアはグループとしての活動を優先させたため、メンバーのソロ活動は制限されることになり、他のバンドとの掛け持ちもなく、他アーティストのライブやレコーディングへのゲスト参加も少なかった。1985年1986年の当初から期間が定められていたソロ活動も各自ソロアルバムを制作するだけに留まった。

1989年、それまで在籍していたレコード会社との契約が終わって、次のレコード会社への移籍途中であった。そのため、カシオペアはグループとしての基幹活動であるアルバム制作と全国ツアーを休止し、メンバーのソロ活動に充てていた。しかし、その中で櫻井と神保はメンバーを集めてボーカル音楽のバンド、シャンバラを結成。アルバムを制作したほか、ライブ活動も行い始める。野呂一生と向谷実は「シャンバラの今後の継続的な活動は、直に迫るカシオペアの活動再開に支障を与える」として二人にシャンバラの活動停止を要請。これに対し、櫻井と神保はカシオペアの活動と両立できると主張。野呂・向谷と櫻井・神保の両陣営は最後まで平行線を辿って物別れになり、櫻井と神保はこの年をもってカシオペアを脱退してしまう。翌年、櫻井と神保はシャンバラ以外にフュージョン・シーンで活動するジンサクというユニットを結成していく。また、メンバー分裂問題以外にも所属事務所の移籍問題も抱えるなど、この年はカシオペアにとって苦難が重なった。

第2期(1990年から2006年まで)

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鳴瀬喜博の加入

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櫻井と神保の脱退を受けて、1990年にセッション・ベーシストの御大“ナルチョ”こと鳴瀬喜博とジャズ・ドラマーの日山正明を迎える。鳴瀬はカシオペアがアマチュア時代に参加した「EastWest'77」で審査員をして以来の、日山はカシオペアのデビュー前後に活動していたフュージョン・バンド、クロス・ウィンドの元メンバーでそれ以来の付き合いと、音楽性や技能とともに継続して活動できるように知古の者を選んだ。メンバーチェンジをしたカシオペアは、すぐさまアルバム『THE PARTY』と同タイトルの映像作品を制作し、同時発売するとともにライブ活動も再開した。翌1991年、アルバム『FULL COLORS』を制作して発売。前作同様にインスト曲のみで構成される作品であり、1980年代後半に変貌させていた音楽性を軌道修正していた。

1992年に病気療養を理由に日山が脱退し、その後任に当時22歳の熊谷徳明が加入した。熊谷は海外での音楽留学から帰国後、国内での活動を見いだすためにアマチュア時代に敬愛していたカシオペアの所属事務所にプロフィールとデモテープを送っていたのが採用のきっかけとなった。

神保彰のサポート復帰

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メンバーが流動的になりながらも活動状況は安定していて、作品は毎年定期的に作り続けられた。海外でのライブも各国で引き続き敢行されて1996年には日本人のアーティストとして韓国公演を行って話題となる。しかし、この年限りで熊谷が脱退、1997年からカシオペアは、野呂・向谷・鳴瀬の3人による名義のユニットとなる。一時は菅沼孝三がサポートに入るなどしていたが、神保がサポートメンバーとして復帰する[注 11]。1997年中はアルバム『LIGHT AND SHADOWS』のロス・レコーディングに帯同していなかったり、参加名義も“スペシャル・サポート”だったのが、翌1998年からは全てのスケジュールに帯同するようになり、参加名義も“スペシャル”が取れたレギュラーな“サポート”となる。デビュー20周年を迎えた1999年には日比谷野外音楽堂で歴代メンバー(小池、櫻井、熊谷の3人)を迎えた記念コンサートを開催した。2003年には同じく日本を代表するフュージョン・バンドであるT-SQUAREとのジョイント・コンサートや、2004年からはその神保とT-SQUAREの元メンバーである則竹裕之が結成したツインドラムのユニット、Synchronized DNAをサポートに入れた5人体制で活動を行っていたりもした。

活動減少

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1990年代前半は第1期のようにグループとしての活動を優先させたが、1990年代後半に入ると、向谷が鉄道趣味関連ビジネスの手始めとなるトレインシミュレーターの制作、鳴瀬が野獣王国のメンバーとして活動開始、野呂も七年ぶりのソロアルバム『TOP SECRET』の制作や青木智仁斉藤ノブらの誘いを受けてのセッション活動に参加しだすようになって各々のソロ活動が活発化する。その分、カシオペアのライブの本数は年々減少していった。

2000年代に入ると、向谷の鉄道趣味関連ビジネスは以前よりも拡大、鳴瀬は野獣王国に加え、リーダープロジェクトのURUGOME[注 12]も活動開始、野呂がリーダープロジェクトでのアルバム制作と定期的なライブ活動をするなど、さらにソロ活動の比重が高まっていった。この頃の年間のライブ数は多くて10本程度だった。

2006年8月1日、野呂の「カシオペアとしての一切の活動を休止したい」との意向により、レコーディングおよびライブなどの活動をすべて休止すると発表した。

活動休止期(2006年から2012年まで)

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活動休止期間中のメンバーの音楽活動はそれぞれリーダープロジェクトを立ち上げてのソロ活動が中心となっていた。この期間中は一度たりともリユニオンによるライブやレコーディングは成されなかったが、メンバー各々で集まっての音楽活動や、参加するライブでカシオペアの曲は演奏されていた。

活動休止したその年から、鳴瀬は野獣王国やURUGOMEに加えて、カシオペアに提供した自作曲を中心に披露するためのユニット、Narucho-ICE(ナルチョイス)を結成して定期的にライブ活動開始。ベース、ギター、ドラム、ホーン×3の6人編成に、初期は向谷がゲスト扱いで毎回参加し、向谷の自作曲や野呂が書いた代表曲も演奏された。野呂も2009年と2012年の合計2回参加して「ASAYAKE」や「FIGHT MAN」等の自作曲にして代表曲を演奏したが、野呂と向谷の両人がそろって参加する事はなかった。

向谷は鉄道事業の音楽制作に於いて起用しているミュージシャンらで構成したユニット、向谷実とメロディーズを結成した[注 13]。キーボード、ギター、ベース、ドラム、サックス、バイオリンの6人編成で、ライブ活動では、メロディーズで制作した曲、過去の向谷のリーダープロジェクトで制作した曲に加えて、カシオペアでの自作曲も積極的に取り上げていた。カシオペアのメンバーとの共演としては、先述のNarucho-ICEへのゲスト参加、向谷実×中西圭三プロジェクトではレコーディングに鳴瀬と神保を起用、さらに神保とは実験的な音楽制作も行っていた。

2008年、野呂はカシオペアとそれまでのソロプロジェクトを分け隔てなく考えた、野呂曰く「自分がやりたい事をとことん追求」したアルバム『INNER TIMES』を制作し、レコーディングメンバーを制作中にバンド化させて、ソロ名義ではなくそのバンド名のISSEI NORO INSPIRITS(イッセイノロ・インスピリッツ)名義で発表する。ISSEI NORO INSPIRITSは、ギター、キーボード×2、ベース、ドラムの5人編成で、神保彰も参加している。この活動休止期間中に4枚のアルバム、1枚の映像作品を制作し、少ない本数ながらも定期的にライブも行っていた。ただし、作品においてもライブにおいてもカシオペアの曲は取り上げられる事はなかった[注 14]。なお、野呂と鳴瀬は共に東京音楽大学の講師で毎週のように顔を合わせていて、授業の一環で一緒に生徒の制作活動をサポートする事もあった。

サポートメンバーだった神保は、演奏者が自分独りだけによるライブ、ワンマンオーケストラにおいて、休止後からカシオペアで自作した曲と「ASAYAKE」などの代表曲を取り上げて演奏していた。また、リーダーグループで2009年に出演した東京JAZZでは自作曲にして代表曲である「MID-MANHATTAN」を、そのオリジナルが収録された1982年のアルバム『FOUR BY FOUR』にも参加したギタリスト、リー・リトナーとセッションした事から話題となった。

第3期(2012年から2022年まで)

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2012年4月20日、結成35周年を迎えるに当たって、向谷の脱退及び、その後任として大高清美(キーボード)の加入、6年振りの活動再開がオフィシャルサイトにて発表された。また、活動再開後の名義をCASIOPEA 3rdとした。再開後の最初のライブは同年9月の東京JAZZとその前日に単独出演で行われた前夜祭イベント(トーク&リハーサルライブ)。その後、国内ツアーに先行してインドネシアジャカルタでの単独公演、そして10月に東名阪の国内単独公演ツアーが行われた。ライブは活動休止前の既存の曲の演奏が中心ではあったが、CASIOPEA 3rdとして活動再開表明後に野呂が書き下ろした「ARROW OF TIME」がレパートリーに加わっていた。

CASIOPEA 3rdの活動はメンバー各々のソロ活動と併せて行われていた。野呂は活動休止中に作ったリーダープロジェクトであるISSEI NORO INSPIRITSを継続し、鳴瀬も活動再開の発表直前に新たなリーダープロジェクトであるザ・チョッパーズ・レボリューションを結成している。大高は加入以前の参加プロジェクトやリーダープロジェクトを継続し、神保も休止前と同じく全活動に帯同するものの引き続きサポートメンバーという立場で参加することになった。それ故、年間の活動はスケジュール的にごく限られた期間の中で行われていくようになる。

2013年11月に、CASIOPEA 3rd初であり、8年ぶりのオリジナルアルバム『TA・MA・TE・BOX』発表。同月、前年に続いてインドネシアのジャカルタにて単独公演を、12月に国内でアルバム発売記念ライブツアーを行った。2015年4月にアルバム『A・SO・BO』、2016年7月にアルバム『I・BU・KI』、2017年7月にセルフ・セレクション・ベスト・アルバム 『VESTIGE』を発表。同年12月、カシオペア結成40周年と野呂一生のソロプロジェクトISSEI NORO INSPIRITS 結成10周年記念として、EX THEATER ROPPONGIにて双バンドの共演ライブを開催。2018年7月に新作アルバム『A・KA・RI』を発表。

2019年3月、神保の還暦記念スペシャルライブに出演。このライブでは神保がかつて櫻井哲夫と組んでいたJIMSAKUの21年ぶりとなるライブも行われる[注 15]。なお、JIMSAKUはこれを機に活動を再開させていくことになる。7月にアルバム『PANSPERMIA』を発表。結果的に、それがCASIOPEA 3rdとして最後のオリジナル曲収録のスタジオ録音アルバムとなってしまう。

2020年新型コロナウイルス感染症の世界的流行は、日本国内でも観客を入れてのライブコンサート活動をする者たちにとって多大な支障を来たし、CASIOPEA 3rdもその例外ではなかった。春に予定していた東名阪クラブツアーの東京・大阪公演を10月の開催へと延期するに至った。それと前後して9月にはレギュラーサポートドラマーの神保ではなく、川口千里を入れたライブ「CASIOPEA 3+1000」を行う[注 16]2021年10月、元メンバーの向谷、櫻井、神保によるフュージョン・バンド、かつしかトリオが結成されてライブツアーが行われ、カシオペアで各自が作曲したものを中心に、野呂を含めた4人による共作にして代表曲の「HALLE」なども演奏された。

2022年2月、サポートメンバーとして活動に帯同していた神保が卒業[注 17]することを発表し、同年4月から5月に行われたビルボードライブでの国内ツアー『A.J.FINAL』が行われ、5月28日のビルボードライブ大阪公演を最後に卒業した[4]

第4期(2022年より)

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7月に後任の新ドラマー・今井義頼が正式なメンバーで加入して、それを機に、2012年より使用してきた第3期の活動名・CASIOPEA 3rdから第4期の活動名・CASIOPEA-P4に変更して活動することが公式サイトで告知された[5]。今井とカシオペアの公式Twitterから、同月よりこのメンバーでレコーディングを行っていることが伝えられている[6]

エピソード

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アマチュアコンテスト時代を振り返った桑田佳祐は、サザンオールスターズ青山学院大学の同好会部員を応援のサクラに連れていったが、カシオペアとツイストだけはアマチュアにもかかわらず、すでに固定ファンを持っていて、彼らが応援していたと回想した。

デビューした年が近い、同じフュージョンユニット・T-SQUAREに対して、野呂は「同級生的な感覚がある」と度々口にしている。この2つのグループは、1994年にテレビ番組『タモリの音楽は世界だ!』で共演したことがあり、その際に野呂が発した言葉である。また、2003年にT-SQUAREと共演したライブ『CASIOPEA vs THE SQUARE THE LIVE!!』での談話でも、同様の発言をしている。逆にT-SQUAREに80年代後期〜90年代に在籍していた則竹裕之須藤満本田雅人はアマチュア時代からカシオペアの大ファンで、『CASIOPEA vs THE SQUARE THE LIVE!!』にも出演した則竹と須藤は、ライブでカシオペアの曲を譜面なし(暗譜)で演奏できていたことが語られている[7]

カシオペアラジオ

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2016年にファンによって始められた「Nonstop Casiopea」というインターネットラジオがある[8][9]

ディスコグラフィ

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レコード会社レーベルの再編成・統合に伴い、再発盤はアルファレコード時代の音源はヴィレッジミュージックよりリリース[注 18]。更に2009年にはアルファ時代の作品の版権をソニー・ミュージックパブリッシングが引き継いだことによってソニー・ミュージックダイレクトよりリリース[10]。PIONEER時代の音源は、社名変更されたGENEON ENTERTAINMENT(現:NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン)よりリリースされている。

シングル

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# タイトル カップリング曲 発売日 形態 品番 備考
アルファレコード[注 19]
1st I LOVE NEW YORK MAGIC RAY 1979年5月25日 17cmシングル ALR-1017 JAL 『I LOVE NEW YORK キャンペーン』CMソング
2nd THE SOUNDGRAPHY LIVING ON A FEELING 1984年3月1日 ALR-777 マクセルビデオカセット CMソング
3rd ZOOM/DOWN UPBEAT 1985年1月25日 12inchシングル ALR-12002
4th HALLE HOSHI-ZORA 1985年8月25日 ALR-12003 3万枚限定発売
LOOKING UP ('85/4/27新国技館LIVE)
5th SUN Mr.Unique 1986年8月25日 ALR-12005
Samba Mania
6th SOMETHING'S WRONG “CHANGE IT” SOMEONE'S LOVE 1987年11月10日 17cmシングル ALR-1017 CASIOPEA WITH JOHN WAITE名義
ポリドール / AURA[注 19]
7th BAYSIDE EXPRESS 太陽風 (TAIYO-FU☆THE WIND FROM THE SUN) 1988年4月25日 8cmCD H10P-30002
PIONEER LDC[注 19]
8th SPLENDOR ILLUSION 1990年11月25日 8cmCD PIDL-1013 パイオニアパリ〜ダカール ラリー 1991テーマ候補曲
CDV PIFL-1012
アルファレコード[注 19]
アルファミュージック[注 19]
9th GLORY THE WISHFUL STAR 1993年5月21日 8cmCD PIDL-1013 テレビ東京系「Jリーグ中継」オープニングテーマ
10th TAKE COURAGE WARNING 1994年5月25日 ALDA-2001 TXN「ダイヤモンドサッカー」オープニングテーマ
ポニーキャニオン[注 19]
11th Golden Waves Forbidden Fruits 1997年8月20日 12inchシングル PCJA-00023

アルバム

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# タイトル 発売日 販売地域 形態 品番 レーベル 備考
アルファレコード[注 19]
1st CASIOPEA 1979年5月25日 日本 30cmLP ALR-6017 アルファレコード
1986年12月21日 12cmCD 32XA-104
1992年3月21日 ALCA-271
1994年6月29日 ALCA-9001
1998年7月23日 ALCA-9196
2000年5月31日 デジタルリマスター
12cmCD
TOCT-24364 東芝EMI 紙ジャケット仕様
2001年12月19日 VRCL-2201 ヴィレッジ・レコード ダイレクトストリームデジタル
紙ジャケット仕様
2002年1月17日 VRCL-2221 ダイレクトストリームデジタル
2009年5月27日 Blu-spec CD MHCL-20003 ソニー・ミュージックダイレクト 紙ジャケット仕様
2nd SUPER FLIGHT 1979年11月25日 日本 30cmLP ALR-6029 アルファレコード
1986年12月21日 12cmCD 32XA-105
1992年3月21日 ALCA-272
1994年6月29日 ALCA-9002
1998年7月23日 ALCA-9197
2000年5月31日 デジタルリマスター
12cmCD
TOCT-24365 東芝EMI 紙ジャケット仕様
2001年12月19日 VRCL-2202 ヴィレッジ・レコード ダイレクトストリームデジタル
紙ジャケット仕様
2002年1月17日 VRCL-2222 ダイレクトストリームデジタル
2009年5月27日 Blu-spec CD MHCL-20004 ソニー・ミュージックダイレクト 紙ジャケット仕様
LIVE THUNDER LIVE 1980年4月21日 日本 30cmLP ALR-6037 アルファレコード
カセット ALR-6037
1986年12月21日 12cmCD 32XA-106
1992年3月21日 ALCA-273
1994年6月29日 ALCA-9003
1998年7月23日 ALCA-9198
2000年5月31日 デジタルリマスター
12cmCD
TOCT-24365 東芝EMI 紙ジャケット仕様
2001年12月19日 VRCL-2203 ヴィレッジ・レコード ダイレクトストリームデジタル
紙ジャケット仕様
2002年1月17日 VRCL-2223 ダイレクトストリームデジタル
2009年5月27日 Blu-spec CD MHCL-20005 ソニー・ミュージックダイレクト 紙ジャケット仕様
3rd MAKE UP CITY 1980年11月21日 日本 30cmLP ALR-28007 アルファレコード
1981年 米国 AAB-11010
1981年 ヨーロッパ ALF 85624
1984年6月25日 日本 12cmCD 38XA-15
1987年1月25日 32XA-117
1992年3月21日 ALCA-274
1994年6月29日 ALCA-9004
1998年7月23日 ALCA-9199
2001年12月19日 デジタルリマスター
12cmCD
VRCL-2204 ヴィレッジ・レコード ダイレクトストリームデジタル
紙ジャケット仕様
2002年1月17日 VRCL-2224 ダイレクトストリームデジタル
2009年5月27日 Blu-spec CD MHCL-20006 ソニー・ミュージックダイレクト 紙ジャケット仕様
4th EYES OF THE MIND 1981年4月21日 日本 30cmLP ALR-28016 アルファレコード
1981年 米国 AAA-10002
1981年 ヨーロッパ ALF 85375
1984年3月25日 日本 12cmCD 38XA-11
1987年1月25日 32XA-115
1992年3月21日 ALCA-275
1994年6月29日 ALCA-9005
1998年7月23日 ALCA-9200
2001年12月19日 デジタルリマスター
12cmCD
VRCL-2205 ヴィレッジ・レコード ダイレクトストリームデジタル
紙ジャケット仕様
2002年1月17日 VRCL-2225 ダイレクトストリームデジタル
2009年5月27日 Blu-spec CD MHCL-20007 ソニー・ミュージックダイレクト 紙ジャケット仕様
5th Cross Point 1981年10月21日 日本 30cmLP ALR-28029 アルファレコード
1984年10月25日 12cmCD 38XA-24
1987年1月25日 32XA-118
1992年3月21日 ALCA-276
1994年6月29日 ALCA-9006
1998年7月23日 ALCA-9201
2001年12月19日 デジタルリマスター
12cmCD
VRCL-2206 ヴィレッジ・レコード ダイレクトストリームデジタル
紙ジャケット仕様
2002年1月17日 VRCL-2226 ダイレクトストリームデジタル
2009年5月27日 Blu-spec CD MHCL-20008 ソニー・ミュージックダイレクト 紙ジャケット仕様
LIVE Mint Jams 1982年5月21日 日本 30cmLP ALF-85869 アルファレコード
1982年 イギリス
1982年 オランダ
1982年 スウェーデン SNTF-924 Sonet Records英語版
1983年12月21日 日本 12cmCD 38XA-5 アルファレコード
1984年 30cmLP ALR-20002
1984年 スウェーデン 12cmCD SNCD 924 Sonet Records
1987年1月25日 日本 32XA-112 アルファレコード
1992年3月21日 ALCA-277
1994年6月29日 ALCA-9007
1998年7月23日 ALCA-9202
2000年5月31日 デジタルリマスター
12cmCD
TOCT24366 東芝EMI 紙ジャケット仕様
2002年1月23日 TOCT24366 ヴィレッジ・レコード ダイレクトストリームデジタル
紙ジャケット仕様
2002年2月14日 VRCL-2227 ダイレクトストリームデジタル
2009年5月27日 Blu-spec CD MHCL-20009 ソニー・ミュージックダイレクト 紙ジャケット仕様
6th 4×4 FOUR BY FOUR 1982年12月16日 日本 30cmLP ALR-28045 アルファレコード
1984年2月21日 12cmCD 38XA-10
1987年1月25日 32XA-114
1992年3月21日 ALCA-278
1994年6月29日 ALCA-9008
1998年7月23日 ALCA-9203
2002年1月23日 デジタルリマスター
12cmCD
VRCL-2208 ヴィレッジ・レコード ダイレクトストリームデジタル
紙ジャケット仕様
2002年2月14日 VRCL-2228 ダイレクトストリームデジタル
2009年5月27日 Blu-spec CD MHCL-20010 ソニー・ミュージックダイレクト 紙ジャケット仕様
7th Photographs 1983年4月23日 日本 30cmLP ALR-28049 アルファレコード
1983年11月28日 12cmCD 38XA-3
1987年1月25日 32XA-111
1992年3月21日 ALCA-279
1994年6月29日 ALCA-9009
1998年7月23日 ALCA-9204
2002年1月23日 デジタルリマスター
12cmCD
VRCL-2209 ヴィレッジ・レコード ダイレクトストリームデジタル
紙ジャケット仕様
2002年2月14日 VRCL-2229 ダイレクトストリームデジタル
2009年5月27日 Blu-spec CD MHCL-20011 ソニー・ミュージックダイレクト 紙ジャケット仕様
コンピレーション AIR SKIP CASIOPEA "On The American FM Wave" 1983年6月25日 日本 カセット ALC-28048 アルファレコード
2009年5月27日 Blu-spec CD MHCL 20022 ソニー・ミュージックダイレクト 紙ジャケット仕様
8th Jive Jive 1983年11月30日 日本 30cmLP ALR-28052 アルファレコード
1984年1月25日 12cmCD 38XA-8
1987年1月25日 32XA-113
1992年3月21日 ALCA-280
1994年6月29日 ALCA-9010
1998年7月23日 ALCA-9205
2002年1月23日 デジタルリマスター
12cmCD
VRCL-2210 ヴィレッジ・レコード ダイレクトストリームデジタル
紙ジャケット仕様
2002年2月14日 VRCL-2230 ダイレクトストリームデジタル
2009年5月27日 Blu-spec CD MHCL-20012 ソニー・ミュージックダイレクト 紙ジャケット仕様
BEST The Soundgraphy 1984年4月25日 日本 30cmLP ALR-28055 アルファレコード
1984年5月25日 12cmCD 38XA-12
1987年1月25日 32XA-116
1992年3月21日 ALCA-281
1994年6月29日 ALCA-9011
1998年7月23日 ALCA-9206
2000年12月6日 デジタルリマスター
12cmCD
TOCT-10752 東芝EMI
2002年1月23日 VRCL-2211 ヴィレッジ・レコード ダイレクトストリームデジタル
紙ジャケット仕様
2002年2月14日 VRCL-2231 ダイレクトストリームデジタル
2009年5月27日 Blu-spec CD MHCL-20013 ソニー・ミュージックダイレクト 紙ジャケット仕様
9th Down Upbeat 1984年10月25日 日本 30cmLP ALR-28052 アルファレコード
12cmCD 38XA-25
1987年1月25日 32XA-119
1992年3月21日 ALCA-282
1994年6月29日 ALCA-9012
1998年7月23日 ALCA-9207
2002年1月23日 デジタルリマスター
12cmCD
VRCL-2212 ヴィレッジ・レコード ダイレクトストリームデジタル
紙ジャケット仕様
2002年2月14日 VRCL-2232 ダイレクトストリームデジタル
2009年5月27日 Blu-spec CD MHCL-20014 ソニー・ミュージックダイレクト 紙ジャケット仕様
10th HALLE 1985年9月10日 日本 30cmLP ALR-28071 アルファレコード
カセット ALR 28071
12cmCD 32XA-38
1992年3月21日 ALCA-283
1994年6月29日 ALCA-9013
1998年7月23日 ALCA-9208
2002年2月20日 デジタルリマスター
12cmCD
VRCL-2213 ヴィレッジ・レコード ダイレクトストリームデジタル
紙ジャケット仕様
2002年3月13日 VRCL-2233 ダイレクトストリームデジタル
2009年5月27日 Blu-spec CD MHCL-20015 ソニー・ミュージックダイレクト 紙ジャケット仕様
LIVE CASIOPEA LIVE 1985年12月21日 日本 12cmCD 32XA-48 アルファレコード
1992年3月21日 ALCA-284
1994年6月29日 ALCA-9014
1998年7月23日 ALCA-9209
2002年2月20日 デジタルリマスター
12cmCD
VRCL-2214 ヴィレッジ・レコード ダイレクトストリームデジタル
紙ジャケット仕様
2002年3月13日 VRCL-2234 ダイレクトストリームデジタル
2009年5月27日 Blu-spec CD MHCL-20016 ソニー・ミュージックダイレクト 紙ジャケット仕様
BEST Landing to Summer 1986年6月25日 日本 12cmCD 32XA-78 アルファレコード
11th SUN SUN 1986年9月10日 日本 30cmLP ALR-28085 アルファレコード
カセット ALR-28085
12cmCD 32XA-90
1992年3月21日 ALCA-285
1994年6月29日 ALCA-9015
1998年7月23日 ALCA-9210
2002年2月20日 デジタルリマスター
12cmCD
VRCL-2215 ヴィレッジ・レコード ダイレクトストリームデジタル
紙ジャケット仕様
2002年3月13日 VRCL-2235 ダイレクトストリームデジタル
2009年5月27日 Blu-spec CD MHCL-20017 ソニー・ミュージックダイレクト 紙ジャケット仕様
LIVE CASIOPEA PERFECT LIVE -LIVEII- 1987年7月10日 日本 30cmLP ALR-40005/6 アルファレコード
12cmCD 48XA-167/8
BEST FUNKY SOUND BOMBERS 1987年9月1日 日本 30cmLP ALR-28100 アルファレコード
カセット ALR-28093
12cmCD 32XA-172
BEST ツイン・ベストVOL.1 1987年11月28日 日本 12cmCD 50XA-181/2 アルファレコード
BEST ツイン・ベストVOL.2 日本 12cmCD 50XA-183/4 アルファレコード
BEST 決定版 カシオペア ベストセレクション 1990年9月11日 日本 12cmCD ALCA-76 アルファレコード
REMIX CASIOPEA IN THE '90S THE TAAVI MOTE REMIX 1991年5月21日 日本 12cmCD ALCA-135 アルファレコード
REMIX CASIOPEA-RECALL CUTS U.K.REMIX 1993年2月21日 日本 12cmCD ALCA-459 アルファレコード
POLYDOR / AURA[注 19]
12th PLATINUM 1987年9月1日 日本 30cmLP 28MX-2544 POLYDOR / AURA
12cmCD H33P-20176
1992年6月1日 POCH-1221
2009年6月24日 SHM-CD UPCY-6538 ユニバーサルミュージック
2017年6月21日 UPCY-9700
13th EUPHONY 1988年4月25日 日本 30cmLP 28MX-2549 POLYDOR / AURA
12cmCD H33P-20241
1992年6月1日 POCH-1222
2009年6月24日 SHM-CD UPCY-6539 ユニバーサルミュージック
2017年6月21日 UPCY-9701
LIVE WORLD LIVE '88 1988年11月25日 日本 30cmLP 28MX-2555 POLYDOR / AURA
12cmCD H33P-20285
1992年6月1日 POCH-1223
2009年6月24日 SHM-CD UPCY-6540 ユニバーサルミュージック
2017年6月21日 UPCY-9702
BEST THE LAST MEMBERS 1990年6月1日 日本 12cmCD POCH-1012 POLYDOR / AURA
BEST BEST OF BEST 1990年10月25日 日本 12cmCD POCH-1029 POLYDOR / AURA
BEST Memory 1991年12月21日 日本 12cmCD POCH-1113 POLYDOR
BEST CASIOPEA AND JIMSAKU 1996年8月25日 日本 12cmCD POCH-1585/6 POLYDOR
PIONEER LDC[注 19]
14th The Party AUDIO STACK 1990年6月25日 日本 12cmCD PICL-1006 PIONEER LDC
カセット PITL-1006
2006年7月26日 12cmCD GNCL-1076 GENEON ENTERTAINMENT
15th FULL COLORS 1991年5月25日 日本 12cmCD PICL-1016 PIONEER LDC
2006年7月26日 GNCL-1077 GENEON ENTERTAINMENT
16th active 1992年5月25日 日本 12cmCD PICL-1036 PIONEER LDC
2006年7月26日 GNCL-1078 GENEON ENTERTAINMENT
LIVE WE WANT MORE 1992年8月25日 日本 12cmCD PICL-1039 PIONEER LDC
2006年7月26日 GNCL-1079 GENEON ENTERTAINMENT
BEST AGURI SUZUKI selected for F-1 1993年5月25日 日本 12cmCD PICL-1054 PIONEER LDC
LIVE MADE IN MELBOURNE 1994年3月23日 日本 12cmCD PICL-1070 PIONEER LDC
LIVE FINE LIVE ANTHOLOGY 1994年12月21日 日本 12cmCD PICL-1097 PIONEER LDC
LIVE FINE2 LIVE ANTHOLOGY 1995年10月25日 日本 12cmCD PICL-1108 PIONEER LDC
BEST Schedir 1996年9月25日 日本 12cmCD PICL-1131 PIONEER LDC
BEST Best Selection 1999年6月23日 日本 12cmCD PICL-1185 PIONEER LDC
2006年3月22日 GNCL-1051 GENEON ENTERTAINMENT
アルファレコード[注 19]
アルファミュージック[注 19]
17th DRAMATIC 1993年5月21日 日本 12cmCD ALCA-487 アルファレコード
1994年6月29日 ALCA-9016
2002年2月20日 デジタルリマスター
12cmCD
VRCL-2216 ヴィレッジ・レコード ダイレクトストリームデジタル
紙ジャケット仕様
2002年3月13日 VRCL-2236 ダイレクトストリームデジタル
2009年5月27日 Blu-spec CD MHCL-20018 ソニー・ミュージックダイレクト 紙ジャケット仕様
18th ANSWERS 1994年5月25日 日本 12cmCD ALCA-1001 アルファミュージック
2002年2月20日 デジタルリマスター
12cmCD
VRCL-2217 ヴィレッジ・レコード ダイレクトストリームデジタル
紙ジャケット仕様
2002年3月13日 VRCL-2237 ダイレクトストリームデジタル
2009年5月27日 Blu-spec CD MHCL-20019 ソニー・ミュージックダイレクト 紙ジャケット仕様
コンピレーション Hearty Notes 1994年8月24日 日本 12cmCD ALCA-5007 アルファミュージック
2002年2月20日 デジタルリマスター
12cmCD
VRCL-2218 ヴィレッジ・レコード ダイレクトストリームデジタル
紙ジャケット仕様
2002年3月13日 VRCL-2238 ダイレクトストリームデジタル
2009年5月27日 Blu-spec CD MHCL-20020 ソニー・ミュージックダイレクト ダイレクトストリームデジタル
Blu-spec CD
紙ジャケット仕様
BEST Work in 1995年3月22日 日本 12cmCD ALCA-5031 アルファミュージック
LIVE Work out 日本 12cmCD ALCA-5032 アルファミュージック
BEST SUPER BEST OF CASIOPEA 1996年8月28日 日本 12cmCD アルファミュージック
1997年7月24日 日本 12cmCD ALCA-5188/9
BEST 20TH ANNIVERSARY BEST 1999年11月26日 日本 12cmCD TOCT-24254/55 アルファミュージック
ポニーキャニオン[注 19]
セルフカバー[注 20] ASIAN DREAMER 1994年12月16日 日本 12cmCD PCCR-00129 ポニーキャニオン
2008年11月19日 HQCD PCCR-50009 デジタル・ダウンロードでも配信されている。
19th Freshness 1995年5月19日 日本 12cmCD PCCR-00150 ポニーキャニオン
2008年11月19日 HQCD PCCR-50010 デジタル・ダウンロードでも配信されている。
20th Flowers 1996年9月20日 日本 12cmCD PCCR-00230 ポニーキャニオン
2008年11月19日 HQCD PCCR-50011 デジタル・ダウンロードでも配信されている。
21st Light and Shadows 1997年9月3日 日本 12cmCD PCCA-01123 ポニーキャニオン
2008年11月19日 HQCD PCCR-50012 デジタル・ダウンロードでも配信されている。
22nd Be 1998年9月18日 日本 12cmCD PCCR-00285 ポニーキャニオン
2008年11月19日 HQCD PCCR-50013 デジタル・ダウンロードでも配信されている。
23rd MATERIAL 1999年5月19日 日本 12cmCD PCCR-00304 ポニーキャニオン
2008年11月19日 HQCD PCCR-50014 デジタル・ダウンロードでも配信されている。
BEST GOLDEN☆BEST〜Pony Canyon Years 2011年5月18日 日本 12cmCD PCCA-03399 ポニーキャニオン
BEST The Premium Best 2013年10月16日 日本 12cmCD PCCR-00576 ポニーキャニオン
PIONEER LDC[注 19]
LIVE 20th 2000年2月23日 日本 12cmCD PICL-1199 PIONEER LDC
2006年7月26日 GNCL-1080 GENEON ENTERTAINMENT
24th Bitter Sweet 2000年6月14日 日本 12cmCD PICL-1206 PIONEER LDC
2006年7月26日 GNCL-1081 GENEON ENTERTAINMENT
25th MAIN GATE 2001年7月11日 日本 12cmCD PICL-1219 PIONEER LDC
2006年7月26日 GNCL-1082 GENEON ENTERTAINMENT
CD BOX Limited Editional Collectors BOX 2001年12月12日 日本 12cmCD PICL-1185 PIONEER LDC
26th INSPIRE 2002年7月17日 日本 12cmCD PICL-1257 PIONEER LDC
2006年7月26日 GNCL-1083 GENEON ENTERTAINMENT
27th PLACES 2003年7月2日 日本 12cmCD PICL-1276 PIONEER LDC
2006年7月26日 PCCR-50013 GENEON ENTERTAINMENT
ヴィレッジミュージック[注 19]
SINGLE BEST CASIOPEA“SINGLE”COLLECTION 2001年12月19日 日本 12cmCD VRCL-2239 ヴィレッジ・ミュージック
LIVE CASIOPEA VS THE SQUARE LIVE 2004年9月23日 日本 Super Audio CD HYBRID VRCL-10003 ヴィレッジ・ミュージック
2009年12月23日 Blu-spec CD VRCL-20010 Sony Music Direct / GT music
ユニバーサルミュージック[注 19]
COMPILATION LIVE & MORE 2004年1月28日 日本 Super Audio CD UIGZ-7005 ユニバーサルミュージック
BEST GOLDEN☆BEST 2004年6月2日 日本 12cmCD UPCY-6005 ユニバーサルミュージック
GENEON ENTERTAINMENT[注 19]
28th MARBLE 2004年11月25日 日本 12cmCD GNCL-1015 GENEON ENTERTAINMENT
LIVE GIG 25 2005年2月25日 日本 12cmCD GNCL-1018 GENEON ENTERTAINMENT
29th SIGNAL[注 21] 2005年12月21日 日本 12cmCD GNCL-1041 GENEON ENTERTAINMENT
BEST Best Studio Selections〜GENTLE & MELLOW 2006年6月28日 日本 12cmCD GNCL-1070 GENEON ENTERTAINMENT
LIVE Best Live Selections〜GROOVE & PASSION 日本 12cmCD GNCL-1071 GENEON ENTERTAINMENT
COMPILATION CASIOPEA Plays Guitar MINUS ONE BITTER SWEET 2007年11月7日 日本 12cmCD GNCT-1001 GENEON ENTERTAINMENT
CASIOPEA Plays Guitar MINUS ONE INSPIRE GNCT-1002
CASIOPEA Plays Guitar MINUS ONE PLACES GNCT-1003
CASIOPEA Plays Guitar MINUS ONE MARBLE GNCT-1004
CASIOPEA+Sync DNA Plays Guitar MINUS ONE SIGNAL GNCT-1005
Sony Music Direct / GT music[注 19]
CD BOX CASIOPEA Debut30th Anniversary Legend of CASIOPEA 2009年5月27日 日本 Blu-spec CD+DVD MHCL-20003/28 Sony Music Direct / GT music
BEST BEST OF CASIOPEA -Alfa Collection- 2009年10月14日 日本 12cmCD MHCL-1617 Sony Music Direct / GT music
LIVING ON A FEELING〜CASIOPEA Night Selection MHCL-1618
BEST ULTIMATE BEST〜Early Alfa Years 2012年4月25日 日本 Super Audio CD HYBRID MHCL-10098 Sony Music Direct / GT music
LIVE CASIOPEA recorded LIVE and BEST〜Early Alfa Years 2013年8月21日 日本 Super Audio CD HYBRID MHCL-10105 Sony Music Direct / GT music
カルチュア・コンビニエンス・クラブ[注 19]
BEST Super Best 2011年12月21日 日本 12cmCD WMP-60066 カルチュア・コンビニエンス・クラブ
HATS UNLIMITED[注 19]
CASIOPEA 3rd名義
LIVE LIVE LIFTOFF 2012 2013年4月17日 日本 Blu-spec CD2+DVD HUCD-10135〜6/B HATS UNLIMITED
1st TA・MA・TE・BOX 2013年11月20日 日本 Blu-spec CD2, DVD HUCD-10149/B HATS UNLIMITED
LIVE TA・MA・TE・BOX TOUR〜CASIOPEA 35th Anniversary LIVE CD 2014年7月16日 日本 Blu-spec CD2, DVD HUCD-10160~1 HATS UNLIMITED
2nd A・SO・BO 2015年4月22日 日本 Blu-spec CD2, DVD HUCD-10182/B HATS UNLIMITED
LIVE A・SO・N・DA〜LIVE CD 2016年3月16日 日本 Blu-spec CD2 HUCD-10210/11 HATS UNLIMITED
3rd I・BU・KI 2016年7月27日 日本 Blu-spec CD2, DVD HUCD-10221/B HATS UNLIMITED
LIVE CASIOPEA 3rd & INSPIRITS Both Anniversary Gig 『4010』(Live CD) 2018年5月9日 日本 Blu-spec CD2 HUCD-10270〜2 HATS UNLIMITED
4th A・KA・RI 2018年7月18日 日本 Blu-spec CD2 HUCD-10263 HATS UNLIMITED
5th PANSPERMIA 2019年7月17日 日本 Blu-spec CD2 HUCD-10284/B HATS UNLIMITED
LIVE CELEBRATE 40th LIVE CD 2020年7月8日 日本 Blu-spec CD2 HUCD-10294~5 HATS UNLIMITED
HATS UNLIMITED[注 19]
CASIOPEA/CASIOPEA 3rd名義
BEST VESTIGE -40th HISTORY ALBUM- 2017年7月19日 日本 Blu-spec CD2 HUCD-10243/5 HATS UNLIMITED
HATS UNLIMITED[注 19]
CASIOPEA-P4名義
1st NEW TOPICS 2022年10月12日 日本 Blu-spec CD2 HUCD-10315 HATS UNLIMITED
LIVE NEW BEGINNING〜LIVE CD 2023年5月17日 日本 Blu-spec CD2 HUCD-10320~1 HATS UNLIMITED
2nd RIGHT NOW 2024年7月3日 日本 Blu-spec CD2 HUCD-10328 HATS UNLIMITED

映像作品

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LD/VHS

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  • CASIOPEA LIVE (1985年、LDC(当時))
  • CASIOPEA PERFECT LIVE II (1987年、LDC(当時))- いずれも後に音源化され発売された作品。詳細はALBUMの項を参照。
  • JOIA (1989年、LDC(当時))
  • THE PARTY -VISUAL STACK- (1990年、PIONEER LDC(当時))- 同年のアルバムと同時収録し別ミックスとした映像作品。
  • MOTION PICTURES from FULL COLORS (1991年、PIONEER LDC(当時))
  • MADE IN MELBOURNE (1992年、PIONEER LDC(当時))- ライブアルバム『WE WANT MORE』と同時収録した映像作品。後年アルバムとしても発売された。
  • Live in London 1983 (1992年、アルファレコード)
  • act-one (1992年、アルファレコード)
  • Detail of Flowers (1996年、ポニーキャニオン)

DVD/Blu-ray

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  • CASIOPEA AGAIN(2000年、アルファミュージック)- DVDのみ発売
  • 20th(2000年、PIONEER LDC(当時))- 同名ライブアルバムと同時収録。DVDのみ発売
  • THE MINT SESSION(2001年、PIONEER LDC(当時))- 1997年にCSで放送された番組『THE MINT CLUB』に出演した際の演奏パートを中心にソフト化したもの。DVDのみ発売
  • VINTAGE 2002(2003年、PIONEER LDC(当時))- DVDのみ発売
  • CASIOPEA vs THE SQUARE THE LIVE!!(2004年、GENEON ENTERTAINMENT(当時))- DVDのみ発売
  • the way of CASIOPEA(2004年、GENEON ENTERTAINMENT(当時))- DVDのみ発売
  • 5 STARS LIVE(2005年、GENEON ENTERTAINMENT(当時))- DVDのみ発売
  • CASIOPEA 3rd/LIVE LIFTOFF 2012(2012年12月26日、HATS UNLIMITED)
  • TA・MA・TE・BOX TOUR(2014年5月28日、HATS UNLIMITED)
  • A・SO・N・DA〜A・SO・BO TOUR 2015〜(2015年12月9日、HATS UNLIMITED)
  • Both Anniversary Gig 『4010』(2018年5月9日、HATS UNLIMITED)- Blu-rayのみ発売
  • CELEBRATE 40th(2020年4月25日、HATS UNLIMITED)- Blu-rayのみ発売
  • NEW BEGINNING(2023年3月29日、HATS UNLIMITED)- Blu-rayのみ発売


脚注

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注釈

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  1. ^ 本人および所属のカシオペアの公式ページのプロフィールにおいて生年非公表。
  2. ^ CASIOPEA with Synchronized DNAの共作名義。
  3. ^ 後に櫻井哲夫のソロアルバムをプロデュースしている。
  4. ^ アルバム『JIVE JIVE』。
  5. ^ 脱退後の小池は、杉真理&レッドストライプスのメンバーなどを経て、ビクター音楽産業(現・ビクターエンタテインメント)に就職。所属のビートたけし岩崎宏美の担当ディレクターとなる。後年、ビクター小池の名でビートたけし出演番組に度々出るようになる。
  6. ^ 1977年まで活動していたエレクトリック編成のリターン・トゥ・フォーエヴァー
  7. ^ ロックをベースとしたオリジナル曲によるインスト。
  8. ^ 2枚目のアルバム『SUPER FLIGHT』制作後に話し合いが持たれて決まるが、すぐに脱退したわけではなく、その後に決まっていたライブツアーなどのスケジュールには佐々木は参加していた。カシオペアはこの間に次のドラマーである神保彰と巡り逢った[3]
  9. ^ 来日した海外のフュージョン系の著名ミュージシャンに、日本のフュージョン系アーティストの新譜レコードをアーティスト名やプロフィールなど目隠し状態で伏せて聴かせて、音だけの判断で評論してもらう。
  10. ^ 一度目は1981年に当時の所属レコード会社のアルファ・レコードがアメリカに現地法人のレコード会社のアルファ・アメリカを作ってそこから最初にアルバム『EYES OF THE MIND』と続けてアルバム『MAKE UP CITY』(日本では先に制作されて発売されたが、アメリカでは『EYES OF THE MIND』の後からとなった)を発売したこと。二枚ともチャートに載るくらいのセールス記録を上げて一応の成功を見せたが、翌1982年にアルファ・アメリカが資金難に陥り、アメリカ市場から撤退を余儀なくされたことで、継続したレコードリリースが出来なくなり、カシオペアのアメリカ進出もそのまま自然消滅してしまった。
  11. ^ 1997年当時、神保は櫻井哲夫との双頭ユニットのジンサクがまだ活動中だった。しかし、以前に比べて互いの個人活動が多くなっていた時期で、翌1998年2月にジンサクは解散した。
  12. ^ 1980年代後半に鳴瀬がリーダーとなって活動していた「うるさくてゴメンねBAND」のリユニオン。
  13. ^ 2013年からは一部メンバーを入れ替えた「向谷実とチャージ&バックス」名義となって同様の活動をしている。
  14. ^ 2009年に櫻井哲夫と互いにデビュー30周年を記念した双頭ユニット、ペガサスでは互いのカシオペアの自作曲を幾つも演奏していた。
  15. ^ CASIOPEA 3rd時代唯一の櫻井との共演にもなった。
  16. ^ 翌年と翌々年にも開催。
  17. ^ 活動から離脱
  18. ^ ちなみにT-SQUAREの所属レコード会社でもある。また、2002年には「Village DSD Mastering Series」として、ヴィレッジからアルファレコード時代のCDがT-SQUAREと共に同社からリマスター再発されていた。
  19. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u レーベルは、初版でリリースされたものに従う。
  20. ^ 公式では、ベストアルバムとして位置付けられている。
  21. ^ CASIOPEA + Synchronized DNA名義。

出典

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  1. ^ 野呂出演番組『GUITAR STORIES 情熱のスーパーギタリスト列伝』(TwellV、2011年放送)で野呂自らが発言
  2. ^ CASIOPEA 3rd公式YouTubeチャンネル「鳴瀬喜博インタビュー20131018_1」より
  3. ^ 向谷実『フュージョン狂時代 ワールドツアー雑記帳』ヤマハミュージックメディア、1995年、[要ページ番号]頁。ISBN 4-636-20931-1 
  4. ^ 神保 彰が5月のビルボード公演をもってCASIOPEA 3rd卒業を発表 | ドラマガWeb
  5. ^ “カシオペアが第4期となるCASIOPEA-P4の始動を発表!ドラムは今井義頼!!”. リズム&ドラムマガジン. (2022年7月1日). https://drumsmagazine.jp/news/casiopea-p4/ 2022年7月23日閲覧。 
  6. ^ https://twitter.com/Casiopea_staff/status/1550483228968222720
  7. ^ 『CASIOPEA vs THE SQUARE』内「SPECIAL TALK」。
  8. ^ Nonstop Casiopea - Fusion Radio をTuneInで聴く”. TuneIn. 2024年2月5日閲覧。
  9. ^ Home” (jp). ncradio. 2022年5月9日閲覧。
  10. ^ CASIOPEA アルファ在籍時の初期アルバム18作の待望のハイレゾ化!!貴重なライナーをご覧いただけます”. OTONANO powered by Sony Music Direct (Japan) Inc.. 2024年6月17日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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