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アルバート・コリンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Albert Collinsから転送)
アルバート・コリンズ
アルバート・コリンズ (1990年)
基本情報
出生名 Albert Collins
別名 アイスマン[1]
マスター・オブ・ザ・テレキャスター[1]
生誕 1932年10月1日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 テキサス州レオナ
死没 (1993-11-24) 1993年11月24日(61歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ネバダ州ラスベガス
ジャンル ブルース
職業 ギタリストシンガー
担当楽器 ギター
活動期間 1958年 - 1993年
レーベル アリゲーター・レコード
ポイントブランク・レコード英語版
インペリアル・レコード

アルバート・コリンズ(Albert Collins、1932年10月1日-1993年11月24日)は、アメリカ合衆国テキサス州出身のブルースギタリストシンガーフェンダー・テレキャスターを使用した、鋭角的なギター・プレイで名を馳せた。

2011年、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第56位。

来歴

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テキサス州レオナで生まれ、7歳の頃ヒューストンに引っ越す[2]。いとこの影響でギターを始めた。ライトニン・ホプキンスが母方の親戚ということもあり、ブルースにのめり込んだ。当初はオルガン奏者を目指していたが、車に積んでいたオルガンを盗まれた事により断念。一転してギタリストへの道を目指すようになる。1956年にセッション・ギタリストとして初レコーディングを経験。その後『カンガルー・レーベル』と契約し、1958年にデビュー・シングル「The Freeze」を発表。その後、インストゥルメンタル曲を次々と生み出した。

1969年から1970年にかけて、『インペリアル・レーベル』から3枚のアルバムを発表。やはりインスト中心だが、徐々にヴォーカルにも意欲を見せていく。その後『タンブルウィード』から『There's Gotta Be A Change』 (1971年) を発表するが、以後しばらくライヴ活動が中心となる。ロバート・クレイは、この時期のアルバートの演奏を見て大きな影響を受け、自分のバンドを結成した[3]

1978年、ブルース・レーベル『アリゲーター・レコード』と契約し、久し振りのスタジオ・アルバム『Ice Pickin'』を発表。同作では8曲中6曲で歌っており、シンガーとしての成長も見せた。その後『Frostbite』 (1980年) 、ライヴ盤『Frozen Alive』 (1981年) を次々と発表し、1982年には初来日公演も行う。このときの様子は、ライブ・アルバム『Live In Japan』 (1984年) としてレコード化された。

ロバート・クレイ、ジョニー・コープランドとの連名で出したセッション・アルバム『Showdown!』 (1985年) も話題となり、グラミー賞最優秀トラディショナル・ブルース・アルバム賞を受賞[4]。また、1985年にはライヴエイドにも出演。1986年のアルバム『Cold Snap』では、少年時代に憧れていたオルガン奏者ジミー・マクグリフ英語版との共演を果たした[2]1987年には、前衛サックス奏者ジョン・ゾーンのアルバム『Spillane』にゲスト参加。

1988年7月には、ジャパン・ブルース・カーニバルに出演のために再来日を果たした。同カーニバルには1991年にも出演、また翌1992年にはマウント・フジ・ジャズ・フェスティバルへも出演し、来日は計4回を数えた。

1990年代に入ると、ヴァージン・レコード傘下の、ポイント・ブランク・レコーズ英語版に移籍。1991年、同レーベルからアルバム『Iceman』をリリースしている。また、ゲイリー・ムーアの『Still Got The Blues』 (1990年)や『After Hours』 (1992年)、ジョン・リー・フッカーの『Mr. Lucky』 (1991年)、B.B.キングの『Blues Summit』(1993年)といったアルバムにゲスト参加した。、ポイント・ブランク・レコーズ英語版からは、1993年にも過去のレパートリーを新たに再演した『Collins Mix:The Best of Albert Collins』 (1993年) を発表(ゲイリー・ムーア、B.B.キング、ブランフォード・マルサリスがゲスト参加)。しかし、1993年11月24日、癌のために亡くなる。

演奏スタイル

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フェンダー・テレキャスターをオープンFマイナーという変則的なチューニングでプレイし、キーの違いにはカポタストで対応していた[1]ピックは使わず、フィンガー・ピッキングで音を出す。ライヴでは、とても長いシールドを使って、激しく動き回っていた。また、ソロの途中にギターで会話をするようなユーモラスな演奏をはさむこともあり、この時ばかりは客席からも笑いが起きる。

ほとんどのプレイヤーが外してしまうブリッジ・カバーを付けたまま演奏する。

かなりトレブリーで硬質な音色が持ち味である。彼のニックネームである「アイスマン」や「アイスピッキング」といった呼称はこの独特の音色に由来している。

演奏する際にはギターのストラップを右肩に掛けているのが特徴である。生前のあるインタビューでは「シートベルトで体を固定されてるみたいでイヤなんだよね」と語っている。

ディスコグラフィ

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脚注

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  1. ^ a b c Drozdowski, Ted (2008年9月29日). “The Icy Tone of the Great Albert Collins”. Gibson. 28 December 2018時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月21日閲覧。
  2. ^ a b Skelly, Richard. “Albert Collins - Biography”. AllMusic. 2015年8月6日閲覧。
  3. ^ Robert Cray Official Website - Band
  4. ^ Showdown! - Albert Collins, Johnny Copeland, Robert Cray | Awards | AllMusic

外部リンク

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