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A-1型 (模型航空機)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

A-1型(A-1がた)は、1940年代前半の日本において模型航空教育に用いられたゴム動力模型飛行機(ライトプレーン)。機体名はA-1型[1][2][3][4][5]の他に、AI型[6]A一型などとも表記される[7][8][9]

経緯

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1941年昭和16年)、青少年を対象に大日本飛行協会と協同で行っていた航空奨励事業の一環として[10]大阪毎日新聞社東京日日新聞社[9][10]3種類の制式模型航空機を制定し、そのうちのゴム動力機として[10]東京帝国大学航空研究所[7][9]木村秀政技師によってA-1型が設計された[2][6][7][8][9][11]。設計の際には、日本の模型航空機としては初めて[7]東大航研の風洞を用いて[2]性能検査が行われており[7][12]、測定結果は「模型飛行機の空気力学的性質」と題して論文に纏められ、航空雑誌『航空知識』上で発表されている[2]。その後、当初は大毎・東日両社によってA-1型などの普及が推進された[6]

大日本飛行協会は1941年に、ヒトラーユーゲントに範を取った模型航空教育を日本でも実施すべく、航空局国民航空課の指導を受けつつ模型部の下に大日本航空青少年隊を設置。大毎・東日から版権の譲渡を受けていた[6]A-1型を制式のゴム動力模型飛行機として定め[6][13]、隊員となる青少年への製作指導・工作を行う体制を全国的に整えつつ、県や市単位で結成が進められた青少年隊で使用した。翌1942年(昭和17年)からは[6]、大日本飛行協会・大毎・東日によって模型航空機についての講習会が全国で催され[6][14]、その際にもA-1型が標準機として活用されている。また、国民学校での製作教育に用いられることもあった[15]

第二次世界大戦後、1948年(昭和23年)頃から始まった模型飛行機のブームの中でも[16]、信用が置ける模型飛行機としてA-1型の製作が推奨されるケースがあった他[17]、主に関東地方の模型メーカーによってA-1型のキットも多く製造され、当時木村滑空機研究所が新たに発売した模型飛行機「スカイホース」と併せて、東のA-1、西のスカイホースと評される人気を見せた。このブームは1954年(昭和29年)頃まで続き[18]、A-1型は戦中のみならず戦後にかけても広く普及した模型飛行機となった[2]

機体

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A-1型は屋外向けかつ[7]、大日本飛行協会が制定した[19]日本模型航空機記録規程において[7]、翼幅は70 cm以下、基本的には主幹1本を胴体とし、動力ゴムが露出していることを条件とする初心者向けの[20]「A級」に区分される機体として設計されている[7][21]

胴体は[4][9]または[3]、主翼リブ(小骨)[4][22][23]および車輪は製で[4][22]、主翼周縁および尾翼の骨組、着陸脚には竹ひごを用いる[15][24][25]プロペラ製で[3]、それまでの模型飛行機用プロペラよりも簡単かつ正確に製作できる工程が定められている[26]。ゴムが張られる位置は胴体上面[23]。翼は紙張り[27][28]。主翼は12度の上反角がついた[28][29]不同テーパー翼で、翼型NACA 6400を片面張りにしたものを用いている[23]。また、垂直尾翼はプロペラ後流の影響を抑えるために胴体下方にも突き出している[23][30]

諸元

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出典:『模型飛行機読本』 61,173頁[31]、『学校家庭模型航空機の製作法』 163,164頁[32]、『模型航空読本』 102,103,108頁[33]、『模型航空機 理論と工作』 255頁[14]

  • 全長:45.0 cm
  • 全幅:63.7 cm[12][34]あるいは65.0 cm[30]
  • 翼面積:547.0 cm2[34]あるいは559.0 cm2[12][14]あるいは560.0 cm2[30]
  • 全備重量:約22 g[7]あるいは23.3 g[14]あるいは24.0 g[34]
  • 動力:ゴム4 g強[35]あるいは6 g(回転力240 g・cm)[34] × 1
  • 最大速度:1.2 km/h
  • 翼面荷重:390.0 cm/g2[7][14]あるいは440.0 cm/g2[34]

脚注

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  1. ^ 木村秀政 1943, p. 61,62,173,196.
  2. ^ a b c d e 大村和敏 2010.
  3. ^ a b c 高橋直二 1941, p. 166.
  4. ^ a b c d 堀内幸行 1944, p. 104.
  5. ^ 日本プラモデル工業協同組合 2008, p. 40,50.
  6. ^ a b c d e f g 日本航空協会 1975, p. 851.
  7. ^ a b c d e f g h i j 高橋直二 1941, p. 163.
  8. ^ a b 堀内幸行 1944, p. 33,102.
  9. ^ a b c d e 中正夫 1942, p. 253.
  10. ^ a b c 日本航空協会 1975, p. 850,851.
  11. ^ 日本プラモデル工業協同組合 2008, p. 40.
  12. ^ a b c 堀内幸行 1944, p. 103.
  13. ^ 堀内幸行 1944, p. 33.
  14. ^ a b c d e 中正夫 1942, p. 255.
  15. ^ a b 中正夫 1942, p. 253,255.
  16. ^ 日本プラモデル工業協同組合 2008, p. 50.
  17. ^ 国際模型飛行機倶楽部 編『図解模型飛行機の作り方』長谷川書店、1950年、40頁。全国書誌番号:00690577 
  18. ^ 日本プラモデル工業協同組合 2008, p. 43,50.
  19. ^ 日本航空協会 1975, p. 850.
  20. ^ 木村秀政 1943, p. 168,169.
  21. ^ 木村秀政 1943, p. 173,196.
  22. ^ a b 高橋直二 1941, p. 166,170.
  23. ^ a b c d 中正夫 1942, p. 254.
  24. ^ 高橋直二 1941, p. 166,168,171 - 173.
  25. ^ 堀内幸行 1944, p. 104,106,107.
  26. ^ 中正夫 1942, p. 256.
  27. ^ 高橋直二 1941, p. 174.
  28. ^ a b 堀内幸行 1944, p. 107.
  29. ^ 高橋直二 1941, p. 164,173,174.
  30. ^ a b c 高橋直二 1941, p. 164.
  31. ^ 木村秀政 1943, p. 61,173.
  32. ^ 高橋直二 1941, p. 163,164.
  33. ^ 堀内幸行 1944, p. 102,103,108.
  34. ^ a b c d e 木村秀政 1943, p. 173.
  35. ^ 堀内幸行 1944, p. 108.

参考文献

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関連項目

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  • スカイキッズ号 - 大日本飛行協会の後身である日本航空協会が教材機として用いているライトプレーン。