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1988年佐田岬半島米軍ヘリ墜落事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1988年佐田岬半島米軍ヘリ墜落事故
事故の概要
日付 1988年6月25日土曜日
概要 濃霧での有視界飛行中、高度を下げすぎたため
現場 日本の旗 日本愛媛県
乗員数 7
負傷者数 0
死者数 7
生存者数 0
機種 CH-53ヘリコプター
運用者 アメリカ合衆国海兵隊の旗 アメリカ海兵隊
出発地 岩国基地
目的地 普天間基地
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1988年佐田岬半島米軍ヘリ墜落事故(1988ねんさだみさきはんとうべいぐんへりついらくじこ)は、1988年6月25日土曜日午前10:20頃[1]岩国基地普天間基地行のアメリカ海兵隊所属のCH-53が、愛媛県佐田岬半島に墜落した航空事故である。

墜落地点は、同半島に位置する伊方発電所から直線距離で800mほどであった。また、事故現場には土地所有者である地元の農民はおろか、報道陣や国会議員をも「日米安保条約地位協定による日米合同委員会の合意事項による」との理由で立ち入りを禁止された[2]

概要

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1988年6月25日午前、岩国基地を飛び立ったヘリは、濃霧の中訓練を続行し、佐田岬半島に墜落。タスティン航空基地所属だった乗員7人全員が死亡した[1][3]。濃霧の原子力発電所周辺を飛行したのは、訓練の目標物であった可能性が高いためとされる。

愛媛県と伊方町は、日本国および在日米軍に「原発上空の飛行禁止」を要請した[2]

脚注

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  1. ^ a b U.S. Marine Helicopter Crashes in Japan; All 7 Aboard Killed” (英語). Los Angeles Times (1988年6月26日). 2023年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月26日閲覧。
  2. ^ a b 斉間満『原発の来た町 原発はこうして建てられた南海日日新聞社、2002年、115-117頁。オリジナルの2015年5月26日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20150526172333/http://www.ikata-tomeru.jp/wp-content/uploads/2015/02/koudai1gosyo.pdf2023年2月26日閲覧 
  3. ^ Wride, Nancy (1988年6月27日). “7 Killed in Japan Copter Crash Were Tustin Marines” (英語). Los Angeles Times. 2016年6月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月26日閲覧。