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1970年のエベレスト遭難事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アイスフォール(氷瀑)は、2014年にも数多くの犠牲者を出した。
エベレスト
最高地点
標高8,848 m (29,029 ft)
座標北緯27度59分17秒 東経86度55分31秒 / 北緯27.98806度 東経86.92528度 / 27.98806; 86.92528座標: 北緯27度59分17秒 東経86度55分31秒 / 北緯27.98806度 東経86.92528度 / 27.98806; 86.92528
プロジェクト 山

1970年4月5日、6人のネパール人シェルパエベレストで命を落とした。アイスフォール(氷瀑)の雪崩による遭難であった[1]。このアイスフォールは、ベースキャンプと第一キャンプの間にあり、2014年のエベレスト遭難事故英語版を含め、多数の死者を出している場所である[2]。シェルパたちは、エベレストで最初にスキー滑降をする三浦雄一郎を含む日本エベレスト・スキー探検隊の支援をしていた[3]。シェルパたちの名は、ミマ・ノルブ (Mima Norbu)、ニマ・ドルジェ (Nima Dorje)、ツェリング・ターキー (Tshering Tarkey)、パサング (Pasang)、クンガ・ノルブ (Kunga Norbu)、カミ・ツェリング (Kami Tshering) といった[4]。さらに、その4日後、セラックから落下した氷塊によってキャク・ツェリング (Kyak Tsering) が遭難死したが、彼は日本山岳会エベレスト登山隊に加わっていた[3]

なお、日本山岳会エベレスト登山隊では、日本人隊員のひとり成田潔思4月21日に第一キャンプで体調を崩し、死去している[5]5月11日に日本人初登頂を果たした松浦輝夫植村直己は、エベレストの頂上に成田の遺髪と写真を埋めた[6]

脚注

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  1. ^ Unsworth, Walt (2000). Everest: The Mountaineering History. Seattle, WA: Walk Unsworth. pp. 398. ISBN 1-898573-40-9 
  2. ^ Associated Press (2014年4月18日). “Mount Everest avalanche sweeps away Nepalese guides”. The Guardian (London). https://www.theguardian.com/world/2014/apr/18/mount-everest-avalanche-climbers 
  3. ^ a b THE JAPANESE MOUNT EVEREST EXPEDITION, 1969-1970”. 2018年2月16日閲覧。
  4. ^ Everest Fatalities”. adventurestats.com. 2011年6月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月9日閲覧。
  5. ^ 登高会 年表”. 慶應義塾大学体育界山岳部. 2018年2月16日閲覧。
  6. ^ “極限の山の世界、松浦輝夫さんに聞く――心が血が伝わってきた、植村と結んだロープ。”. 日本経済新聞・夕刊: p. 5. (2014年11月22日)  - 日経テレコンにて閲覧

関連項目

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