1932年ロサンゼルスオリンピックの競泳競技・男子100m自由形
1932夏季 男子100m自由形 | |||||||
宮崎康二 | |||||||
会場2 | LA84 Foundation/John C. Argue Swim Stadium | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
開催日 | 8月6–7日 | ||||||
参加選手数 | 10か国 22人 | ||||||
スコア | 58.2 | ||||||
メダリスト | |||||||
| |||||||
« 1928 | 1936 » |
1932年ロサンゼルスオリンピックの競泳競技・男子100m自由形(1932年ロサンゼルスオリンピックのきょうえいきょうぎ・だんし100mじゆうがた)[1]は、1932年8月6日から7日まで開催された。男子100m自由形は、これ以前には1900年パリオリンピックを除いて実施され、8回目の開催である。10の国から22人の選手が出場した。1924年パリオリンピックから、各国の選手は3人に限られていた。日本代表の宮崎康二が優勝し、アメリカ合衆国の連勝を5で止めた。日本はこの種目で金メダルを獲得した3番目の国となった(最初の2回はハンガリーが優勝し、その後アメリカが5連覇した)。決勝は日本人選手とアメリカ人選手が3人ずつ出場した。日本は河石達吾が銀メダルを獲得し、1位2位を占めた。アメリカのトップのアルバート・シュウォーツは銅メダルを獲得した。
開催前の状況
[編集]前記の通り、この種目はオリンピックでは8回目の開催である。この種目は1900年(このときは、自由形の最短距離が200mであった)を除く全ての夏季オリンピックで開催されてきたが、1904年はヤードで測定されていた[2]。
1928年の決勝進出者7人のうち2人が出場した。前回2位だったハンガリーのバーラーニ・イシュトヴァーンと6位であったカナダのWalter Spenceが出場した。2度金メダリストとなったジョニー・ワイズミュラーは俳優に専念するために引退した。『類猿人ターザン』は1932年初めに公開された。アメリカの水泳チームは依然として強かったが、15歳の宮崎康二を中心とした日本もまた目を引くチームだった[2]。
フィリピンはこの種目に初めて出場した。アメリカはこれまでの全大会でこの種目に出場し、8回目の出場となった。
記録
[編集]これらは1932年夏季オリンピック以前の世界記録とオリンピック記録である。
- 世界記録 57.4秒(1924年2月17日、ジョニー・ワイズミュラー、マイアミ)
- オリンピック記録 58.6秒(1928年8月11日、ジョニー・ワイズミュラー、アムステルダム)
準決勝において宮崎康二が58.0秒を出し、オリンピック記録を更新した。
スケジュール
[編集]日付 | 時間 | ラウンド |
---|---|---|
1932年8月6日 | 9:00 15:30 |
予選 準決勝 |
1932年8月7日 | 15:30 | 決勝 |
結果
[編集]予選
[編集]各予選組の上位2人と、3位で最も上位の選手が準決勝に進出した。
予選1
[編集]順位 | 選手 | 国 | タイム | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | Manuella・Kalili | アメリカ合衆国 | 59.6 | Q |
2 | バーラーニ・イシュトヴァーン | ハンガリー | 1:00.4 | Q |
3 | Munroe・Bourne | カナダ | 1:01.1 | |
4 | Reginald・Sutton | イギリス | 1:02.9 | |
5 | Leopoldo・Tahier | アルゼンチン | 1:05.3 | |
6 | Manoel・Villar | ブラジル | 1:08.4 |
予選2
[編集]順位 | 選手 | 国 | タイム | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | Walter・Spence | カナダ | 59.3 | Q |
2 | Albert・Schwartz | アメリカ合衆国 | 59.6 | Q |
3 | 河石達吾 | 日本 | 59.8 | q |
4 | András・Wanié | ハンガリー | 1:02.8 | |
5 | Mostyn・Ffrench-Williams | イギリス | 1:05.9 |
予選3
[編集]順位 | 選手 | 国 | タイム | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 高橋成夫 | 日本 | 59.5 | Q |
2 | Raymond・Thompson | アメリカ合衆国 | 1:02.0 | Q |
3 | Alfredo・Rocca | アルゼンチン | 1:04.2 | |
4 | Joseph・Whiteside | イギリス | 1:04.7 | |
5 | Eskil・Lundahl | スウェーデン | 1:06.2 | |
6 | João・Pereira | ブラジル | 1:08.2 |
予選4
[編集]順位 | 選手 | 国 | タイム | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 宮崎康二 | 日本 | 58.7 | Q |
2 | セーケイ・アンドラーシ | ハンガリー | 1:01.5 | Q |
3 | Abdurahman・Ali | フィリピン | 1:02.2 | |
4 | Noel・Ryan | オーストラリア | 1:02.9 | |
5 | Robert・Halloran | カナダ | 1:06.9 |
準決勝
[編集]各組上位3人が決勝に進出した。
準決勝1
[編集]順位 | 選手 | 国 | タイム | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 宮崎康二 | 日本 | 58.0 | Q, OR |
2 | Raymond・Thompson | アメリカ合衆国 | 59.3 | Q |
3 | Manuella・Kalili | アメリカ合衆国 | 59.3 | Q |
4 | バーラーニ・イシュトヴァーン | ハンガリー | 59.4 | |
5 | セーケイ・アンドラーシ | ハンガリー | 1:01.4 |
準決勝2
[編集]順位 | 選手 | 国 | タイム | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 河石達吾 | 日本 | 59.0 | Q |
2 | Albert・Schwartz | アメリカ合衆国 | 59.2 | Q |
3 | 高橋成夫 | 日本 | 59.5 | Q |
4 | Walter・Spence | カナダ | 59.6 |
決勝
[編集]1932年8月7日
順位 | 選手 | 国 | タイム | 備考 |
---|---|---|---|---|
宮崎康二 | 日本 | 58.2 | ||
河石達吾 | 日本 | 58.6 | ||
Albert・Schwartz | アメリカ合衆国 | 58.8 | ||
4 | Manuella・Kalili | アメリカ合衆国 | 59.2 | |
5 | 高橋成夫 | 日本 | 59.2 | |
6 | Raymond・Thompson | アメリカ合衆国 | 59.5 |
結果まとめ
[編集]順位 | 選手 | 国 | 予選 | 準決勝 | 決勝 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
宮崎康二 | 日本 | 58.7 | 58.0 | 58.2 | OR | |
河石達吾 | 日本 | 59.8 | 59.0 | 58.6 | ||
Albert・Schwartz | アメリカ合衆国 | 59.6 | 59.2 | 58.8 | ||
4 | Manuella・Kalili | アメリカ合衆国 | 59.6 | 59.3 | 59.2 | |
5 | 高橋成夫 | 日本 | 59.5 | 59.5 | 59.2 | |
6 | Raymond・Thompson | アメリカ合衆国 | 1:02.0 | 59.3 | 59.5 | |
7 | バーラーニ・イシュトヴァーン | ハンガリー | 1:00.4 | 59.4 | ||
8 | Walter・Spence | カナダ | 59.3 | 59.6 | ||
9 | セーケイ・アンドラーシ | ハンガリー | 1:01.5 | 1:01.4 | ||
10 | Munroe・Bourne | カナダ | 1:01.1 | |||
11 | Abdurahman・Ali | フィリピン | 1:02.2 | |||
12 | András・Wanié | ハンガリー | 1:02.8 | |||
13 | Noel・Ryan | オーストラリア | 1:02.9 | |||
Reginald・Sutton | イギリス | 1:02.9 | ||||
15 | Alfredo・Rocca | アルゼンチン | 1:04.2 | |||
16 | Joseph・Whiteside | イギリス | 1:04.7 | |||
17 | Leopoldo・Tahier | アルゼンチン | 1:05.3 | |||
18 | Mostyn・Ffrench-Williams | イギリス | 1:05.9 | |||
19 | Eskil・Lundahl | スウェーデン | 1:06.2 | |||
20 | Robert・Halloran | カナダ | 1:06.9 | |||
21 | João・Pereira | ブラジル | 1:08.2 | |||
22 | Manoel・Villar | ブラジル | 1:08.4 |
出典
[編集]- ^ “Swimming at the 1932 Los Angeles Summer Games: Men's 100 metres Freestyle”. Sports Reference. 17 April 2020時点のオリジナルよりアーカイブ。11 September 2016閲覧。
- ^ a b “100 metres Freestyle, Men”. Olympedia. 17 December 2020閲覧。
外部リンク
[編集]- Olympic Report
- Wudarski, Pawel (1999年). “Wyniki Igrzysk Olimpijskich” (ポーランド語). 9 November 2008閲覧。