1914年のベオグラード砲撃
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1914年のベオグラード砲撃 | |||||||
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第一次世界大戦中 | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
オーストリア=ハンガリー帝国 | セルビア王国 |
1914年のベオグラード砲撃は、1914年7月28日から29日にかけてオーストリア=ハンガリー帝国がセルビア王国の首都であるベオグラードに対して行った攻撃である。これは第一次世界大戦の最初の軍事行動である[1]。
背景
[編集]1914年6月23日にサラエボでオーストリア=ハンガリー帝国皇位継承者のフランツ・フェルディナントと妻のゾフィー・ホテクが暗殺されたサラエボ事件の後、オーストリア政府はセルビア人の公式関与を主張し、7月25日に最後通告を突き付けた。セルビアはこれに期限内に応じたがオーストリア側はセルビア側の対応が不十分であると宣言し、セルビアとの国交を断絶し軍事動員を命じた[2][3]。
経過
[編集]オーストリア=ハンガリー軍のハプスブルク家の砲兵隊がクルップ榴弾砲とシュコダ305mm迫撃砲を用いてベオグラード市内とカレメグダンに砲撃した。この攻撃により報告された死傷者は、ドゥシャン・ジョノヴィッチと操舵手のミハイル・ゲムスベルガー、カール・エバーリングである。
セルビア国境の町や都市に対する砲撃は7月29日の戦闘終了後である8月の第2週まで続いた。 8月12日、ハプスブルク家第5軍の第8軍団と第13軍団は、バルカン海峡鉄道の一部である第2軍の第4軍団の支援を受けて、ボスニアからドリナ川を渡り、セルビアへの侵攻を開始した[4]。
脚注
[編集]- ^ “The Unknown Daring Midnight Raid That Started World War One” (28 July 2016). 11 Jan 2022閲覧。
- ^ Gordon Martel, The Origins of the First World War, Pearson Longman, Harlow, 2003, p. xii
- ^ Tunstall, G.A. (2021). The Austro-Hungarian Army and the First World War. Armies of the Great War. Cambridge University Press. ISBN 978-1-00-904391-5
- ^ Rauchensteiner, M.; Güttel-Bellert, A.; Kay, A.J. (2014). The First World War: and the End of the Habsburg Monarchy, 1914–1918. Böhlau Wien. pp. 142–143. ISBN 978-3-205-79370-0