1911年10月22日の日食
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1911年10月22日の日食は、1911年10月22日に観測された日食である。ロシア帝国、中国、フランス領インドシナ、アメリカ領フィリピン、オランダ領東インド、パプア保護領、イギリス領西太平洋地域で金環日食が観測され、アジアの大部分、オーストラリア及び以上の地域の周辺の一部で部分日食が観測された[1]。
通過した地域
[編集]金環帯が通過した、金環日食が見えた地域はロシア帝国南部(現在のカザフスタン南部、ウズベキスタン北部、キルギス)、清が支配した中国の新疆省南部(現在の新疆ウイグル自治区に属する)・チベット(現在のチベット自治区)北東端と東部・青海(現在の青海省)南西部・四川省南西部・雲南省北東部・貴州省南西部・広西省南西部(現在の広西チワン族自治区に属する)・広東省南西端(現在の広西チワン族自治区に属する)と海南島(現在は分立された海南省)、西沙諸島、フランス領インドシナ(現在のベトナム北東部)、アメリカ領フィリピン(現在のフィリピン)南西部、オランダ領東インド(現在のインドネシア)東部、イギリス領ニューギニア(現在のパプアニューギニア南部)、イギリス領西太平洋地域(現在のソロモン諸島に属する部分)だった[2][3]。
また、金環日食が見えなくても、部分日食が見えた地域はアジアの大部分(西アジア西部、千島列島、ロシア北東部を除く)、ロシアのヨーロッパ部分の南東部、オーストラリアのほとんど(南西端とタスマニア州南部を除く)、ニュージーランド北部、ミクロネシア全部、メラネシア全部、ポリネシア北西部だった。そのうちほとんどは国際日付変更線の西にあり、10月22日に日食が見え、残りの部分では10月21日に見えた[1][4]。
脚注
[編集]- ^ a b Fred Espenak. “Annular Solar Eclipse of 1911 Oct 22”. NASA Eclipse Web Site. 2016年4月2日閲覧。
- ^ Fred Espenak. “Annular Solar Eclipse of 1911 Oct 22 - Google Maps and Solar Eclipse Paths”. NASA Eclipse Web Site. 2016年4月2日閲覧。
- ^ Xavier M. Jubier. “Eclipse Annulaire de Soleil du 22 octobre 1911 - Cartographie Interactive Google (1911 October 22 Annular Solar Eclipse - Interactive Google Map)”. 2016年4月2日閲覧。
- ^ Fred Espenak. “Catalog of Solar Eclipses (1901 to 2000)”. NASA Eclipse Web Site. 2016年4月2日閲覧。