龍蔵寺 (日光市)
表示
龍蔵寺 | |
---|---|
所在地 | 栃木県日光市足尾町赤倉11-12 |
位置 | 北緯36度40分09.7秒 東経139度26分43.7秒 / 北緯36.669361度 東経139.445472度座標: 北緯36度40分09.7秒 東経139度26分43.7秒 / 北緯36.669361度 東経139.445472度 |
山号 | 赤倉山 |
宗旨 | 天台宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 不詳 |
龍蔵寺(りゅうぞうじ)は、栃木県日光市足尾町赤倉11-12にある天台宗の寺院。山号は赤倉山[1]。本尊は阿弥陀如来[1]。創建年は不詳[1]。輪王寺の末寺[1]。
歴史
[編集]創建
[編集]大宝元年(701年)3月に役小角によって創建されたという伝承がある[2][1]。
後の大火で資料が焼失しているため、創建については判然としない。大同元年(806年)に勝道上人の弟子によって創建されたとされる場合もある[3]。承和5年(838年)に慈覚大師が再興し、輪王寺座主の座禅院によって補修されたとされる場合もある[2][1]。
明応4年(1495年)11月、光明院如来寺の昌源僧正が龍蔵寺を造営したとされる[2][1]。
近代・現代
[編集]もとは妙道院の末寺だったが、明治維新後の神仏分離の際に妙道院が廃絶すると、輪王寺の末寺となった[2][1]。
1887年(明治20年)4月8日には松木大山の大火が起こり、松木から赤倉・上間藤・下間藤・田元までの広大な範囲の山林や人家が焼失した[4]。この際には龍蔵寺も建物や宝物をことごとく焼失している[5][2]。1889年(明治22年)8月には薬師堂が再建され、1895年(明治28年)4月には本堂が再建された[2]。1915年(大正4年)4月には鐘楼が建立された[2]。
境内
[編集]- 本堂
- 太忍坊全祐の碑[1]
- 日光桜正坊の碑[1]
- 渡坑夫共同供養塔[1] - 各地の鉱山を渡り歩く渡り坑夫の供養塔。
- 松木村無縁塔[1] - ピラミッド型の無縁塔。足尾鉱毒事件によって1902年(明治35年)に廃村となった松木村の墓石を集めている。
文化財
[編集]日光市指定文化財
[編集]- 「坑夫の墓」(考古資料) - 1989年(平成元年)12月8日指定。
現地情報
[編集]- 所在地
- アクセス
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 足尾郷土誌編集委員会『足尾郷土誌 1956年版』足尾町学校組合会、1956年
- 『足尾郷土誌』足尾町郷土誌編集委員会、1978年