龍澤寺 (石狩市)
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龍澤寺(竜沢寺) | |
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所在地 | 北海道石狩市厚田区古潭2 |
位置 | 北緯43度21分27.7秒 東経141度25分44.5秒 / 北緯43.357694度 東経141.429028度座標: 北緯43度21分27.7秒 東経141度25分44.5秒 / 北緯43.357694度 東経141.429028度 |
山号 | 三面山 |
宗旨 | 曹洞宗 |
本尊 | 釈迦牟尼仏→阿弥陀如来[1] |
創建年 | 1861年(文久元年)5月[1] |
法人番号 | 3430005004685 |
龍澤寺(りゅうたくじ)は北海道石狩市厚田区古潭2にある曹洞宗の寺院。竜沢寺とも表記される。
水道が普及する以前、海沿いの土地である厚田は総じて飲料水の確保が難しく、古潭で唯一の井戸があった龍澤寺には炊飯時や渇水期になると、手桶やバケツを持った人々が長蛇の列を作ったという逸話がある[2]。
歴史
[編集]1861年(文久元年)5月、函館市にある高龍寺の末寺として創建される[1]。当初は、現在古潭墓地がある場所に所在していた[1]。
1874年(明治7年)2月、風雪のため大破[3][注 1]。1875年(明治8年)7月、開拓使厚田郡出張所[注 2]の役宅の払い下げを受ける[3]。
このころ、古潭の北はずれのヲショロコツにあった弁天社が、海岸の浸食のために移動させられる運びとなり、弁天社の収蔵品等の一部が龍澤寺に移された[5]。龍澤寺本堂の向拝にある龍の彫刻も元は弁天社の物であり[4]、本堂にぴったりと収まる寸法でない理由はそこにあるという[6]。
1945年(昭和20年)7月15日、アメリカ軍の空襲を受けて庫裡が全焼したものの、本堂は大きな被害を免れた[4]。
1955年(昭和30年)、本堂大修築[4]。1957年(昭和32年)、庫裡新築[4]。
寺宝
[編集]- 善寳寺のお札
- 同寺は山形県鶴岡市に所在しており、北国の漁業者や船乗りからの信奉が厚い[4]。
- 本尊横の仏像
- 高さ71cm・幅26cmの楕円筒形の厨子に納められている[7]。全体の重さは4.5kg[7]。
- 1864年(元治元年)、厚田場所請負人である浜屋の平田与三右衛門が、白津狩(シラツカリ)サケ漁の網で海から引き上げた物[7]。
- 1867年(慶応3年)に奉納された[4]。
- 鰐口 (1)
- 1791年(寛政3年)、3代目村山伝兵衛によって寄進された物[8]。龍澤寺創建の70年前の年号なので、弁天社の旧蔵品と考えられる[5]。
- 最大径29cm・厚さ10cm[8]。中央の撞座には八葉蓮華文が施され、上部には2か所の耳がある[8]。下半分の唇の厚さや、「目」と呼ばれる左右の取っ手が特徴的である[8]。
- 北海道博物館に寄託されている[4]。
- 鰐口 (2)
- 1792年(寛政4年)、3代目村山伝兵衛によって寄進された物[8]。
- 最大径37cm・厚さ10cm[8]。撞座に八葉蓮華文が施されている点は前年の鰐口と同様で、2か所の耳には鎖も残っている[8]。
- 厚田区総合センター内に展示されている[8]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 『厚田村史』1969年9月25日。
- 『石狩の碑 第四輯 厚田区編』石狩市郷土研究会〈いしかり郷土シリーズ〉、2012年12月。