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齋田萬蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

齋田 萬蔵(さいた まんぞう、1877年明治10年)7月17日[1][2] - 1944年昭和19年)7月10日[3])は、日本地主[1][2][4][5][6]政治家、東京府多額納税者[4][6][7]

人物

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東京府・齋田又一郎の長男[4][5][6]1907年家督を相続[1][6]農業を営み[7][8][9]、地主である[1][4][5][6]。木村痩仙に画を学ぶ[10]

世田谷町会議員、同町学務委員、渋谷劇場社長である[2]。宗教は真言宗[2]。趣味は植木盆栽絵画[2]。住所は東京市世田谷区代田[4][5]

家族・親族

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世田谷代田の齋田家は、中世には世田谷城主・吉良氏の家臣となり、1590年に吉良氏没落後、この地に帰農し、その開発の中心となった[10]。江戸後期以降は代田村の名主をつとめ、明治に入ると広大な茶園を営み、世田谷の茶業の発展にも尽力した[10]。齋田家の歴代は、書画文芸にも関心が高く、特に9代齋田雲岱(萬蔵、1801年 - 1858年)は画に秀で多くの博物図譜を遺した[10]。11代正脩(又一郎、1858年 - 1907年)は真田謙山に画を学んだ[10]

脚注

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  1. ^ a b c d e 『人事興信録 第10版 上』サ65頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月28日閲覧。
  2. ^ a b c d e 『大衆人事録 第14版 東京篇』443頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月15日閲覧。
  3. ^ 「(死亡広告)父斎田万蔵儀」『朝日新聞』1944年7月15日、3面。
  4. ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第13版 上』サ65頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月27日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第14版 上』サ65頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月27日閲覧。
  6. ^ a b c d e 『人事興信録 第12版 上』サ71頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月27日閲覧。
  7. ^ a b 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』全国多額納税者 東京府 京都府6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月27日閲覧。
  8. ^ 『日本紳士録 第31版』東京サ之部396頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月15日閲覧。
  9. ^ 『日本紳士録 第18版』東京さ之部642頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月28日閲覧。
  10. ^ a b c d e f 世田谷ゆかりの画家たち。齋田記念館サイト。

参考文献

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  • 交詢社編『日本紳士録 第18版』交詢社、1913年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 東京篇』帝国秘密探偵社、1942年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。

外部リンク

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