黒竜丸
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黒竜丸、黒龍丸は福井藩の蒸気船。同藩で唯一の蒸気船である[1]。後、幕府海軍所属となった。
アメリカのトーマス・ハント商会により黄埔で建造された「Kumsing」を購入したもので、文久3年5月1日に引き渡しが完了し、5月10日に越前に着いた[2]。購入価格は13万ドルとも12万5000ドルともされる[3]。
「黒竜丸」は木製スクリュー式蒸気船で、資料により差異はあるが長さ52m、幅7.4m、深さ4m程度である[4]
文久3年7月、「黒竜丸」は上京計画に関する熊本藩と薩摩藩への使者を運んだ[5]。薩摩では「黒竜丸」を借りたいとの求めを受け、「黒竜丸」は薩摩藩へ借り出されている[5]。
文久3年末から4年初めの将軍徳川家茂の軍艦による再上洛の際、「黒竜丸」も動員された[6]。この時は幕府へ貸し出すという形になっており、塚本桓輔が艦長を務めた[7]。
福井藩内では「黒竜丸」に対する不満があり、薩摩藩への売却案も出された[8]。「黒竜丸」は幕府の人員輸送に従事するなど事実上幕府の輸送船となり、最終的に幕府へ金四万五千両で売却され、元治元年7月19日に幕府海軍所属となった。[8]。
元治元年の天狗党の乱時、10月5日の追討軍などの那珂港攻撃の際に「黒竜丸」は艦砲射撃を実施した[9]。
元治元年2月、輸送船との区別のため軍艦は「丸」を省いて呼ぶこととされた[10]。この際、「黒竜」他5隻が軍艦とされている[10]。
慶応3年10月、本牧沖で座礁した[11]。後、売却され「金星丸」と改名[12]。明治5年1月、北米へ漂着[13]。
脚注
[編集]- ^ 「幕末福井藩の洋式船と航海記」109ページ
- ^ 「幕末福井藩の洋式船と航海記」110-111ページ
- ^ 「幕末福井藩の洋式船と航海記」111ページ
- ^ 「幕末福井藩の洋式船と航海記」110、121ページ
- ^ a b 「幕末福井藩の洋式船と航海記」112ページ
- ^ 『幕府海軍の興亡』152ページ
- ^ 「幕末福井藩の洋式船と航海記」112-113ページ
- ^ a b 「幕末福井藩の洋式船と航海記」113ページ
- ^ 『幕府海軍の興亡』176ページ
- ^ a b 『幕府海軍の興亡』170ページ
- ^ 「幕末福井藩の洋式船と航海記」113-114ページ
- ^ 「19.元静岡県所持蒸汽黒龍丸ヲ兵庫加納久三郎ヘ売渡同人金星丸ト改名セシ船ニ付テノ諸件 明治五年」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B11092320600、船艦購入及売渡雑件 第四巻(B-3-6-3-1_004)(外務省外交史料館)
- ^ 「幕末福井藩の洋式船と航海記」114ページ
参考文献
[編集]- 金澤裕之『幕府海軍の興亡 幕末期における日本の海軍建設』慶應義塾大学出版会、2017年、ISBN 978-4-7664-2421-8
- 長野栄俊「幕末福井藩の洋式船と航海記 -一番丸・黒竜丸・富有丸-」福井県文書館研究紀要 第18号(2021.3)