黒田綱彦
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黒田 綱彦(くろだ つなひこ、1850年(嘉永3年1月[1][2]) - 1913年(大正2年)5月14日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]備前国岡山(現・岡山県岡山市)生まれ[1]。和学、漢学と仏語を学ぶ。フランス公使館通訳官、工部省調査課長、内務省参事官、同書記官、法典調査委員、麻布区会議員、同議長、東京市会議員となる[2]。
1892年の第2回衆議院議員総選挙において東京府第1区から中央交渉会所属で立候補して当選した[3]。衆議院議員を1期務め、1894年3月の第3回衆議院議員総選挙では国民協会から立候補したが20票差で落選した[4]。1913年に死去した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。