黒津敏行
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黒津 敏行(くろつ としゆき、1898年(明治31年)11月12日[1] - 1992年(平成4年)11月16日[1])は、日本の医学者。大阪大学名誉教授[1]。
主な経歴
[編集]1898年(明治31年)京都府に生まれる。1916年(大正5年)京都府立京都第二中学校 (旧制)を卒業後。大阪医科大学 (旧制)に進学。1924年(大正13年)に卒業後、同大助手を経て、1931年(昭和6年)同大助教授に就任。1935年(昭和10年)にはロンドンで開催された第二回国際神経学会に出席した。1936年(昭和11年)大阪帝国大学教授、1948年(昭和23年)同大医学部長に就任[2]。1956年(昭和31年)に退官後は園田学園女子短期大学[3]、園田学園女子大学の初代学長をそれぞれ務めた。
1952年にノーベル生理学・医学賞の候補となっていた(推薦者は日本人)ことが、ノーベル賞委員会が公表した候補者リストにより明らかになっている[4]。
受章歴
[編集]- 1971年(昭和46年) - 勲二等旭日重光章受章