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黒沢定紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

黒沢 定紀(くろさわ さだのり、生年不詳 - 寛保3年7月29日1743年9月17日[1])は、江戸時代中期の旗本。通称は兵之助、杢之助。黒沢定當の子。妻は諏訪盛就の娘。息子は杢之助、娘は田沼意次の継室[2]、諏訪盛恭の養女(内藤信就の妻)。

略歴

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寛政重修諸家譜』によると、宝永4年(1707年)5月26日に父の跡を継ぎ、石高は590石。享保3年(1718年)4月13日に鉄砲方に任ぜられ、享保6年(1721年)12月18日に布衣を許された。寛保3年(1743年)に死去[3]

参考文献

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  • 『近世大名列伝』(社会思想社 、1967年、139p)

脚注

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  1. ^ 断家譜』巻第十六 黒沢
  2. ^ 社会思想社 1967, p. 139.
  3. ^ 天明二年「三春行楽記」前後(5)”. 2024年1月27日閲覧。